古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

電撃殺虫器をつけてみました。

2022年06月30日 22時08分36秒 | 古希からの田舎暮らし
 2019/20/21/年は前の畑に『電撃殺虫器』をセットしました。5月から10月まで。毎日たくさんのムシをとり、毎朝刷毛でムシの掃除をしました。畑の地面にムシを落として踏みつぶしました。
 しかし、いくらムシを電撃殺虫しても、畑の作物の被害が少なくなった実感がない。それなら「電撃殺虫器をやめてみようか」。ということで今年は5月からパスしてきました。
 でもあそんでいる電撃殺虫器に「出番」をつくってみよう。という気になり、家のウッドデッキにセットしました。朝になって、ムシはどうなっていたか。写真の通りです。

 デッキのテーブルにいっぱい群がり、電撃殺虫器の下の皿に盛り上がるようにムシが死んでいます。ヤモリやカエルはムシをねらって家のまわりにいるのですが、その食料を奪うことにならないか。彼らが食いきれないほどムシがいるから大丈夫でしょう。
 家の前にできた駐車場です。

 朝、玄関の戸をあけてこの景色が見える。いままでの草の茂みと感じがちがいます。なんていうか …… 。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『満州国演義』全九巻を読みおわりました。

2022年06月29日 20時19分28秒 | 古希からの田舎暮らし
 ブログを見ると5月7日に「全九巻を読む決心をした」(船戸与一『満州国演義』)と書いています。まず第八巻を読み、一巻目から2カ月かけて全巻読みおわりました。サラッと読める本でなく、引っ掛かるところもあり、自分の意識をつよく振り向けて、読むことに没頭しました。満州国の歴史/満蒙開拓団や満蒙開拓青少年義勇軍/関東軍指揮官たちの暴走/ノモンハン事件/張作霖爆破/柳条湖事件/陸軍の統制派・皇道派の対立/太平洋戦争の推移/あの戦争をめぐるいろんな事件・人物が登場します。それは知っていることですが、小説風な書き方だったので、生々しく感じました。
 日本人にとって「あの満州国はどんな存在だったのか」と考えます。
 一部の軍部や一部の日本人が考え違いをしていたのでなく、日本人全体が「考え違い」をしていました。その土地には人間が生きていました。土地を耕して、生活していました。そこに出掛けて、現地の人たちを蹴散らして生活することを、なんとも思わなかった。想像力に欠けていました。おそらく著者は「そんなにはやく、軽々しく、反省しないでくれ」と思うでしょう。
 時間をかけて、じっくり、考えます。
 
 
 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〈梅雨明け宣言〉が出ましたけど。

2022年06月28日 17時27分36秒 | 古希からの田舎暮らし
 午前中は『満州国演義』第九巻を読みました。4000ページほど読んで、あと100ページです。実は第九巻は図書館になかったので、中古本を買ったら文庫本でした。読んだら図書館に寄付します。
 つらい、きびしい、記述なので、どんどん読みすすむことはできません。気をまぎらそうと「漢字ナンクロ」をちょっとやったり、パソコンの〈you tube〉で音楽をきいたり、また本に戻って読んだりします。
 午後は外仕事をしました。まず、バードフィーダー下の草刈りをしました。

 スズメの餌・粟粒は下の地面に撒きます。草が伸びているとスズメが粟をさがしにくいだろう。粟が見やすいように芝生の地面を短く刈りました。いまは「スズメたちと、ときどき鳩一羽」ですが、12月になるとシロハラ/アオジ/がかえってくるでしょう。
 玄関先の草原は村の共有地です。毎年、田植えのおわった6月末と稲刈りのすんだ11月に総出で草刈りをしておられます。家の前の看護ステーションには看護師の方がよく訪ねてこられます。その車は道端に止めているのですが、狭い道なので苦労しておられました。
 このたび、村の草原を駐車場にすることになり、工事が完成しました。

 今日から利用できるそうで、何台か駐車しておられます。
 我が家の玄関先もちょっと雰囲気が変わった気がします。
 ニュースでは、近畿はもう「梅雨明け宣言」が出たとか。ほとんど雨も降ってないのに。福地池は底が出ています。田んぼの土用干しはまだ先です。それまでは水を張っておかねば。
 我が家の畑などの水やりも大変です。道子さんはデッキ前の花畑/鉢植え/裏山の花花/などに毎日水やり。前の畑はぼくが担当しようと思ってます。
 思い出すなー。2020年8月1日から31日まで一度も雨が降りませんでした。毎日水やりしました。またそうなるのでしょうか。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『満州国演義』からは〈この引用〉でおしまいにします。

2022年06月27日 21時00分53秒 | 古希からの田舎暮らし
『満州国演義』第九巻には、引用したいところが山ほどあります。生活に追いつめられ、悩んで、決断して、日本をはなれ、/開拓民/開拓少年/開拓花嫁/として満州に渡った人たちが、逃げまどい、集団自決し、飢え、病気になり、ソ連軍におびえ、厳冬の収容施設で命をおとす。なぜそうなったのか。そこにいたる経過を引用したい。
 しかしパスして、〈瀬島龍三〉に関する引用で最後にします。


「ヤルタ会談で、スターリンとルーズベルトのあいだで交わされた秘密協定だ。その協定とはドイツ降伏後にソ連が連合国の一員として対日参戦するということらしい。その暗号電報が握り潰された」
「だ、だれにです?」  /  「これも噂でしかなく事実のほどは不明なんだが、少佐時代に台湾沖航空戦勝利が誤報だったという電報を握り潰した大本営参謀の瀬島龍三中佐」
「それがもし事実としたら、何のためにそんなことを?」
「小野寺少将が送った電報が事実なら(ソ連が参戦するという電報)、大本営方針の対ソ静謐論は意味をなさなくなるだけじゃなく、実に危険なものとなる。対ソ静謐論を変更して対ソ戦に備えるわけにもいかない。精鋭師団は関東軍から引き抜かれて南方へ送られ、飢餓や病気で多数が死に、残っているのは傷病兵だらけ。とにかく、大本営にとってストックホルムからの暗号電報は事実であって欲しくない。それで電文を握り潰し、ソ連にアメリカとの講和を斡旋してもらうという路線を変更しないことに決めたんだと思う」

「問題はドイツ降伏の三カ月後だ」
「何があるんです、三カ月後に?」
「未確認情報だが、三カ月後あたりにソ連が対日参戦をする可能性が高い。 …… 小野寺少将が掴み、大本営に暗号電文で流したらしい。しかし、その電文は大本営参謀・瀬島龍三中佐によって握り潰されたとも噂されている」

「ヤルタ会談の密約についてはストックホルムの駐在武官・小野寺信少将が掴み、暗号電文を大本営に流したという噂を聞いている。それを瀬島龍三参謀が握り潰したともささやかれている。事実関係は不明だが」
「瀬島参謀ならやりかねませんね、台湾沖航空戦勝利が誤報だという堀栄三情報参謀の電文を握り潰したという過去も噂されてるしね」

 参謀本部にいた瀬島龍三は、敗戦時にシベリアに抑留され、日本に生還してからは商社マンになり、功成り名遂げた。船戸与一はこの小説の中で、三度も同じ内容の噂、で瀬島を非難している。それをどう見るか。
 ぼくは「参謀本部の連中が、瀬島にあらわれたように、/庶民/一般の人々/と、人間として向き合わない、モノか道具のように使い捨てる。都合のわるいモノは切り捨て、将棋の駒を動かすように引き回した」と思います。
 参謀のこの感覚は、第一巻から第九巻までずっと同じです。あの戦争全体が、庶民のためでなかった。参謀本部は、庶民を、自分たちに都合のいいように、手足か道具のように動かそうとしました。
 その精神がいまも、官僚や政治家にチラチラ見える。それが問題です。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道子さんは今年も「金胡麻」を作ります。

2022年06月26日 18時57分56秒 | 古希からの田舎暮らし
 日本では胡麻は絶滅危惧種みたいに言われています。作っている人はほんとに少ない。
 三木の近郷で作っていた人も、作るのをやめたようです。三木に引っ越してきた頃は、西中の菜園/東条・とどろき温泉の裏/で胡麻を作っている人を見かけました。しかしここ数年、胡麻を見かけることがなくなりました。西脇に胡麻を作っている人があるそうです。西脇は「日本のへそ」になるそうで、「へそ胡麻」というふれこみです。あまり飛びつくような話でありませんけど。「へそのゴマ」というのはほんとは「垢」ですし。
 道子さんは今年も金胡麻を一うね播きました。ところが毎日水やりしますが、芽が出ない。おかしい。とうとう「今年は胡麻を作るのをやめようか」と言い出しました。「大豆畑トラスト」の頃から、もう20年、必ず毎年作っていたのに。
 美嚢園芸で話したら「ポット播きにしてみたらどうですか」と言われました。早速ポットに胡麻を播いて水やりをしました。このポットは紙ですからこのまま畑の土に埋めて育てます。
 すると、写真のように、芽が出てきました。

 播いた金胡麻は一粒残らず芽が出ているように見えます。これで大丈夫。道子さんは、今年も金胡麻を作ります。よかった。
 朝、5時に起きて「昨日植えた大豆は大丈夫か」と畑に行ってみました。179本の苗がしっかり立っています。安心して、いつものスワイショウ/仏さん(仏壇)にお参り/瞑想/朝食。
 裏山で仕事をしていたら、昼前に道子さんが「植えた大豆がしおれてるよ」と言います。暑さでぐったりしてるんだ。急いで水やりをしました。夕方黒豆の苗を39本植えました。しっかり水をやったけど、明日の昼はまた水やりが必要でしょうね。
 外仕事をすると、汗が吹き出します。暑い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「軍部中枢の内幕」が暴露されています。

2022年06月26日 03時34分56秒 | 古希からの田舎暮らし
 いま読んでいる『満州国演義』第九巻では、陸軍中枢部の内幕が暴露されています。フィリピンから台湾に逃亡した富永恭次第四航空司令官をさんざんこきおろしています。引用します。


「(特攻はひどいから)何とか第四航空軍の特攻作戦を中止するように大本営陸軍部に働きかけてもらいたいと頼むつもりでした」
「第四航空軍はもう特攻作戦はできませんよ」
「どういう意味ですか、それは?」 / 「逃亡しました」 / 「だれがです?」 / 「富永恭次第四空軍司令官」 / 「何ですって?」 / 「もうじき米軍の陸上部隊がリンガエン湾に上陸し、マニラに向かって来ます。それで、昨日マニラのエチャゲ南飛行場を飛び立って台湾に向かった」 / 「て、敵前逃亡ですか」 / 「そういうことになるらしいですね、藤岡主任の話では」 / 「特攻隊員たちに『最後の一戦で本官も特攻する』と操縦桿を握ったこともないくせに叱咤激励してたあの司令官が、敵前逃亡ですって?」  ……   「第四航空軍の残存部隊はルソン北東部に後退した第14方面軍に吸収されたそうだ。富永司令官は台北に着き、台北到着の申告を行おうとしたが、それすら拒否された。それだけじゃない。台湾軍管区の一兵卒にも敬礼されなかったと聞いている」
「軍法会議はいつ開かれるだろう?」
「おそらく開かれない。インパール作戦で抗命罪を犯した列兵団の佐藤幸徳中将が軍法会議を要求して、牟田口廉也中将のあまりにもでたらめな作戦立案を告発すると息巻いたのに手を焼き、大本営は結局精神異常というかたちで予備役に追いやった。佐藤中将と富永中将とはまったく事情がちがう。正反対だと言ってもいい。佐藤中将は部下たちをむざむざ餓死や病死させることを避けるために抗命した。しかし、富永中将は無数の部下を特攻隊として死なせておいて、いざ米軍がマニラに迫るとじぶんだけはさっさと台湾に逃亡したんだ。どんな言いわけもできない。それでも軍法会議を開けば、陸軍内部の矛盾が明らかになる。 ……  結局は軍法会議は開かれず、陸軍刑法違反はうやむやにされて富永中将は予備役にまわされることになるだろう」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大豆の苗を〈本植え〉しました。

2022年06月25日 20時55分28秒 | 古希からの田舎暮らし
 6月7日に豆を播きました。順調に芽が出て、苗ができました。2週間たった20日頃が〈本植え〉のときでしたが、5日間グズグズしてる間に、徒長してしまいました。
 今日、〈本植え〉しました。
 まず、鉄筋で畝に穴をあけます。

 30センチ間隔に千鳥植えの二条。今年は30センチにテープを貼ったヒモを用意して、片側の穴をあけ、15センチずらしてもう一列穴をあけました。穴の深さは10センチくらい。ここに苗をつっこんで、水を入れてから土寄せをします。

 苗を植えたところです。畝の途中に台が見えます。電撃殺虫器を設置する台です。今年は、意識して、電撃殺虫器を設置していません。
ムシは殺せないのですが、誘蛾灯としてムシを呼び込んでいるところもあります。それをやめてみました。
 さて、裏山は〈花盛り〉です。イノシシにゆり根を食われて、道子さんが丹精込めた裏山の『ゆり園』は去年ほろびました。鉢植えの百合がささやかに咲いています。
 いまは〈くちなし〉の花が咲きほこっています。

 アジサイが小さく、少ないのが残念です。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和陸軍の上官たち

2022年06月24日 21時52分41秒 | 古希からの田舎暮らし
 いま読んでいる『満州国演義』は、昭和陸軍の上官たちの愚劣さを告発しています。ぼくらの世代は子供の頃に戦争があったわけですが、戦争の話をきくと「上官たちの愚劣さにいまも腹が立ちます」。相和19年生れの作家・船戸与一は膨大な資料を駆使してこの大河小説を書き上げました。インパール作戦を強行した牟田口廉也/何の作戦もないまま特攻機に若者を追い立てた富永恭次/ノモンハンで大失敗したのにあちこちで作戦に口を出した辻政信/などを、あちこちでこき下ろしています。
 そのなかで、特攻隊の部分を引用します。


「 …… 神風特攻隊を崇高な行為の極致と讃えまくる。特攻を英雄視して日本精神の鑑と書く。ふざけた話だ。まったく。  ……
 第一次上海事変のときの爆弾三勇士と同じです。あれは単なる事故だったのに、捨て身の救国行為と新聞に書かせた。腹が立ちます」
  ……
「わたしは事実を言ってるだけです。もともと特攻という戦術は零式戦闘機なんかでやる戦術じゃなくて、機首に1,2噸の炸薬を積める桜花という有人ロケットが完成してから試みられるはずだった。それが間に合わないうちに零戦で敢行された」
  ……
「さらに敵艦めがけての体当たり攻撃以外に補給なしの斬り込み部隊の投入も行われた。 …… 富永恭次第四軍航空軍司令官は千名以上の高砂族青年部隊に山刀を与えてマニラを離陸させ、レイテ島の脊梁山脈を越えて落下傘でブラウエン飛行場近くに降下、抜刀による斬り込みを命じたのだ。その効果については一切報告がなされていない。高砂族がいかに密林での生存術に長けていようと、そんなかたちで軽機関銃の掃射を浴びればどうなるか。 …… 」


 召集された兵隊たちを消耗品のように戦場に駆り立てた上官たちの思い上がり。この「残酷」も歴史に埋もれていくのか。 


                                         
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第九巻に入りました。

2022年06月23日 11時18分04秒 | 古希からの田舎暮らし
 船戸与一が命をかけて書き上げた『満州国演義』第九巻に入りました。第八巻は最初に読んでいましたので、ざっと目をとおしました。サイパン島が陥落し、東条内閣が総辞職して(昭和19年7月)、本土空襲が本格化します。架空の登場人物たちにも昭和19年末から昭和20年8月にかけての「破滅にむかう空気」が迫り、目がはなせなくなりました。
 徹底した情報統制と「なにかモノにとりつかれたような空気」が日本全体をおおいます。
 どう考えてもあの空襲下で、国民が竹槍訓練をするのはおかしい。でも多くの国民が実際に訓練をした。
 満州ではあの時代の日本の空気を一歩引いてながめられるか。しかし開拓団の悲劇が待ち構えている。
 5月7日に第八巻を読みはじめてから48日、ようやく最後の巻にたどりつきました。

 6月7日に播いた大豆が、立派な苗になりました。植え替えるときです。去年のブログを見て、やり方を復習して、植え替えます。
 去年は25センチの千鳥植えで「二条植え」したと思ってブログを見ました。思いまちがいで30センチ千鳥植えでした。
 いまブログでチェックしたらこうなっていました。品種はいずれも「サチユタカ」です。
 2019年 20センチの二条植え  2020年 25センチの千鳥植え  2021年 30センチの千鳥植え
 毎年の「作付け面積」はほぼ同じです。そして収量も10キログラム前後です。
 となると、今年も「30センチ千鳥」にします。株間をひろくして、大豆に気持ちよく生長してほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『満州国演義』より引用します。

2022年06月22日 22時42分38秒 | 古希からの田舎暮らし
『満州国演義』第七巻を読みおわりました。とうとう大東亜戦争がはじまり、シンガポールで英国軍を降伏させたところです。
 いくつも心に引っ掛かることがありますが、一つだけ引用します。小説として書いてあるので前後がわかりにくいでしょうが、発言の中身を読んでください。


「わが帝国陸軍は国民革命軍(支那事変で日本軍と戦う蒋介石の軍隊)も八路軍(毛沢東率いる共産軍)もいまだ制圧できない状況にある。 …… 対米戦も覚悟しなきゃならない。支那とでさえ思うようにならないのに、アメリカと戦争して勝てると思いますか。いや、そんなことはどうでもいい。帝国陸軍が支那でこれほどの苦戦を強いられるのはなぜだと思いますか?」
 ……
「その大きな理由のひとつは徳地良純少佐のような無能な参謀が存在するからですよ。参謀だから陸大を出てる。天保銭組だ。しかし、無能きわまりない。ノモンハン事件を起こした辻政信少佐は自己顕示欲の塊りだったが、徳地良純少佐は近代戦は情報戦だという軍事学の常識も心得てない間抜けだ。存在するだけで、百害あって一利もない。徳地良純少佐は貴重な証人を無意味に射殺した。 ……
支那派遣軍を管轄する北支那憲兵隊司令部にあの無能な参謀を告発願いたい」
 ……
「わたしはどきどきぞっとすることがある。帝国陸軍が支那に進駐するのはいわば時代の流れだ。欧米の帝国主義に抗するためにはわが国も帝国主義の途を採らざるをえない。それが支那の連中にとってどれだけ迷惑だろうとね。しかし、帝国陸軍のなかに私利私欲に走ったり、無能なくせに恰好をつけたがる参謀が出て来ると、わたしはじぶん自身がとんでもないまちがいを冒しているんじゃないかと不安になる」


 日本軍の上官たちの「無能」で「卑劣」で「恰好をつけたがる」風潮は、いろんな作家がいろんな作品に書いてます。船戸与一は膨大な資料で日本軍内部の、無意味な「威張り」/「勝手な処断」を知ったことでしょう。どうしてもこの出来事を書かずにはおれなかったのでしょう。善良で有能な下級兵士たちの「膨大な嘆き」、愚劣な作戦に振りまわされて「戦死させられた」無念が、いっぱい歴史に埋もれています。



 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早朝に仕事をしてよかった。

2022年06月21日 17時52分19秒 | 古希からの田舎暮らし
 夜中に起き出して本を読み、午前3時ごろまた就寝。昨日は裏山の芝生を草刈りしました。今日は雨になる。それまでに刈った草をかき集め、芝生の肥料としてJAの鶏糞一袋をまくつもりでした。
 午前5時ごろ起きてテレビの天気予報を見ると、雨が早くなり、午前中から降りそうです。芝生は〈肥料食い〉です。雨の前に撒くと、地面にしみ込んでいい。雨のあとは刈った草が地面にへばりつく。雨の前に肥料を撒きたい。
 早い時間でしたがすぐに着替えて、竹のサラエ(目の細かい熊手)で草をかき集め、鶏糞を撒いて、サラエで散らしました。1時間作業して汗びっしょり。シャワー。
 6時30分からのスワイショーはいつも通りにやって朝食。雨が降りはじめました。早朝に仕事をしてよかった。
 夕方「ブログを書こう」と外に出て写真を撮りました。鶏糞を撒いた芝生です。

 栗の花が落ちています。もう受粉がすんで、先の雄花(花穂)が地面に落ちたのです。芝生に落ちた花穂が写っています。栗は花穂の根もとにできます。小さい栗の形になっています。

『満州国演義』は7巻目を読んでいます。「読む自分の心構え」にショックをうけて、グズグズしています。その部分を引用します。


「死んでるのですよ、女は」永有(満人)が低い声で言った。「屍姦が行われているんです」
「ど、どういうことです、いったい?」
「女は死んだばかりで、その死体を女の母親が売りに出した。さっき苦力たちから金を受け取ったのが母親です。一晩過ぎると、死体は死臭を放つ。売れるのはきょうだけだ。あの母親は死んだ娘を一角で売り、その金銭で第三十四管煙所に向かう(阿片を吸う)」
「どうなるんです、死体は?」
「一晩経ったら、長春街に捨てられる。腐臭を放ちはじめたら、清掃局が大有坊貧民義地に運び、万人抗に埋める」
「酷いな、酷過ぎる」
「その言葉は同情からですか」
 四郎(主人公の一人)はこの科白にはっきりした棘を感じた。
 永有が冷えた笑みを頬に滲ませてつづけた。
「ぼくは威張り腐った日本人が嫌いだが、満人に同情を寄せる日本人はもっと嫌いです。威張りたがるのは単純な民族的優越感のせいだが、同情心は陰湿な優越感に基づいてる。聞いてるだけで虫酸が走ります」


 船戸与一はだれにむかってここを書いたか。日本の読者にむかって書いた。あの〈満州国〉への日本人の意識を告発している。小さなヒロイズム/ヒューマニズム/の根底にある「同じように地球に生きてる人間への優越感」を告発している。その優越感を「われわれはいまももっていないか」と問いかけている。ぼくも問われている。きびしい問いかけ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

焼き芋/草刈り/の一日でした。

2022年06月20日 21時11分09秒 | 古希からの田舎暮らし
 新しいダッチオープンで焼き芋をしました。まえのオーブンなら〈紅はるか〉3つの大きさでしたが、新しいオーブンでは5つ入りました。いつものように1時間のたき火でおいしく焼けました。あと5つ残っているので明日にでもするかな。もう少し先にするかな。
 お昼は〈紅はるか〉一個とお茶。老人にはちょうどいい昼食でした。
 午後は草刈りをしました。
 バッテリー式ですから、草刈り機が軽い。先日、まえの草刈り機(エンジン式)を廃品回収に出しましたが、久しぶりにあの機械を持ってみて、「ずいぶん重さがちがうなあ」実感しました。足もとが不安定になる80代のおじいさんには、軽い草刈り機がいい。
 バッテリー式の「バッテリー」は4つもってます。はじめマキタの草刈り機に付いているバッテリーは2個です。ハイパワーにして15分刈れます。ちょっと短い。2個で30分しか刈れません。
 追加で買ったバッテリーは30分刈れます。2個で60分。つまり全部のバッテリーで90分の草刈りができるのです。
 追加で買ったのは、マキタのバッテリーではありません。機械についてるメーカーのバッテリーを追加で買うと一つ1万円します。同等品をやすく買いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しい〈ダッチオーブン〉をシーズニングしました。

2022年06月19日 18時56分29秒 | 古希からの田舎暮らし
 夜中に「シーズニングのやり方」をネットで調べ、〈ワード〉でメモにまとめました。それを印刷・ラミネートして、シーズニングをきちんとやってみようと思います。
 今朝はまず買い物に出ました。耐熱手袋/キッチン・ペーパー/亀の子たわし/焼き芋用小石/などを買い、オリーブ・オイルやトングとともに裏山のテーブルにセットしたところです。

 まえのダッチオーブンは20年以上まえにホームセンターで買いました。〈シーズニングする〉なんて知りませんでした。よそに出かけて「BBQする」ことはもうありません。裏山で焼き芋をするだけです。でも「シーズニングを体験してみたい」と用意しました。

 シーズニングは思ったより時間がかかりました。はじめに水を張って40度にする。食器洗剤で亀の子タワシをつかって洗う。このあたりは順調にすすんだのですが、〈火にかける ⇒ 手でさわれるくらいさめたら油を塗る〉の〈さめる〉のが時間がかかります。ときどきさわって、「まだ熱いな」とじっと待つ。この時間を長く感じました。
 それで、〈シーズニング〉はうまくできたのか。わかりません。どうなれば〈いいシーズニング〉かわからないので。なんとなく、できた気もするのですけど。
 焼き芋は明日のおたのしみです。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『故郷の廃家』はこんな家だったか

2022年06月18日 18時17分03秒 | 古希からの田舎暮らし
 エンジン式の草刈り機は、エンジンがかかりにくい。重い。一反三畝の畑(田んぼ)は4年前に返したので土手の草刈りはありません。バッテリー式草刈り機を買いました。「草刈り機を引き取ります」とチラシが入ってました。廃品回収に草刈り機を出そう。
 お昼前に軽トラで吉川町金会に持っていきました。おにいさんが受け取ってくれました。
 帰り道、〈よかたん〉に寄って買い物をして、昼食は〈稜庵〉でとることにしました。駐車場はいっぱいでしたが、一つだけありました。稜庵は久しぶりです。できれば〈月一〉で行きたいのですが、3カ月ぶりかな。かわらぬ稜庵の〈ざる蕎麦〉。満足でした。
 軽トラで帰り道、口吉川町の村村をまわってみました。どの村も田植えがすんだところです。
 日本はいま「空き家が700万軒ある」と耳にしますが、写真の家を見て、思わず♩~『故郷の廃家』を歌ってしまいました。

 そうそう、ぼくらが口吉川町で暮らしはじめたころから、この家も廃家としてありました。あれから15年、通るたびに「いつ草に埋もれるか。いつ倒れるか」と思います。でもずっとこのまま15年建っています。

 注文したダッチオーブンが届きました。  ジャーン!

 大きめのダッチオーブンです。重量を計ってみると、鍋が5キログラム/蓋が3.2キログラム/合計8,2キロです。鍋だけ持つのが精いっぱいに近い。サツマイモは前の鍋だったら3個のところが5個も入ります。最初はシーズニングしてある鍋だそうです。
 鍋をかけてから蓋をのせることにします。小石を買いに出て、焼き芋は明日から。たのしみです。
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダッチオーブンを買い替えます。

2022年06月16日 23時43分39秒 | 古希からの田舎暮らし
 いま焼き芋につかっているダッチオーブンは、神戸市須磨区名谷に住んでいた2000年頃にホームセンターで買いました。あまりつかうことなく、戸外に置いていました。三木市で田舎暮らしをすることいなり、裏山でたき火をして、ダッチオーブンで焼き芋をするようになりました。やっとダッチオーブンの「出番」がきたのです。冬になると、たき火/焼き芋/で重宝していました。
 焼き芋をするには、小石の上に芋を置き、まわりにも小石をつめて蓋をします。そのとき少量の水を入れることにしています。そのほうが「しっとりする」と思います。ところが水を入れたらすぐに漏ってくる。
 おかしいな。長年つかっても油引きなんかしてないし、錆びて穴があいてしまったのか。
 焼き芋の後、小石を全部出して調べてみました。

 なんと、穴があいているのでなく、底が割れています。このままでも水を入れなければ、焼き芋にはつかうことができます。しかし、新しく買うことにしました。次の焼き芋は、新しいダッチオーブンでやります。

 これは樹木の枝を伐った写真です。たき火のそばに切った枝を落としています。直径5センチ超の太い枝です。
「竹藪に木を植えてはいけません。竹に負けてしまいます」とまえに風雅社の人に言われました。でもこの15年、いろんな樹木が勢いよく育っています。その樹を「強剪定する」。自分の植えた樹を切る。そんなことは思いもよりませんでした。
 しかし、いまの樹の勢いには圧倒されます。
 茂りすぎているから、強剪定してもいいか。切ったら、明るくなり、いい眺めになりました。もともと過密に植えたので、重なり合っています。植えた樹でも、茂りすぎたら切る。15年もたつと、強い剪定が必要な樹もあります。
 たき火をしながら、剪定します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする