古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

漏水を溝でとめます。

2014年07月31日 08時41分11秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうの午後畑に出てみると、上の田んぼが干してあって漏水が止まり、溝もほぼ乾いています。
「よーし、いまのうちに耕運して漏水が流れるように溝を掘ろう」
 耕運機で往復して土を砕き、土を左右に寄せて、写真のように漏水の流れる溝を整備しました。
                       
 これで上の田んぼが水を入れても、漏水は溝を流れ、畑のほうに入ることがなくなります。でも梅雨明けとともに「水やり」が大きな仕事になり、畑に出ると1時間はホースをもっています。もうすぐ大豆・黒豆の花が咲きます。小豆・落花生も水をほしがってます。また畝間潅水をします。

 『どん底の共和国』を読了しました。古い本ですが、あの国の人々の置かれている状況は、「いまも変わらない」のが悲しいです。
 脱北して韓国に亡命した人が10000人を越えたというニュースは古くなりました。中国には、北朝鮮を逃れて韓国に行く機会をねらっている人が数十万人いるそうです。彼らは東南アジア経由・モンゴル経由で韓国大使館に逃げ込んで亡命します。しかし警戒は厳しく、容易に韓国に行けません。
 「北朝鮮では人間らしい生活ができない。韓国に行けば人間として生きてゆける」という情報は「あの国の人はみんな知っています」。
「ルーマニアの独裁者チャウセスク(大統領)が市民により処刑された」ニュースは、北朝鮮では一切報じられませんでした。しかし「2日の間に国の隅々まで知れ渡った」。何かの本で読んだことがあります。
 いくら統制しても情報の流れは止められません。それなのに「どうしてあの国だけ反乱が起きないのだ!」。
 同じ著者の『暗愚の共和国』……北朝鮮工業の奇怪 を読むことにします。
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8月の草刈りにとりかかりました。

2014年07月30日 04時22分13秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                      
 まだ8月になりませんが畑の北の土手は、草がグングン伸びています。電気柵に触れる草もあります。で、きのう「8月の草刈り」をはじめました。写真は北の土手で、手前に一叢見えるのはクララです。小さい苗を一本だけ5年前に植えたクララは、毎年株が増え、根が太くなり、今年もサヤがいっぱいついてます。種(豆)がたくさんとれるでしょう。
 
 いま読んでいる『どん底の共和国』= 北朝鮮不作の構造 = より
 この本は1989年つまり25年前に出ました。著者は北朝鮮の元山農業大学で16か月客員講師をつとめた在日朝鮮の人です。彼は愛する祖国の人々のために、農業を教え、収穫を増やしてもらおうと、機材を寄付し、精いっぱい活動しました。何度も北朝鮮に入国し、大学で教え、ボルボ(車)と運転手・案内人をつけてもらい、長期に滞在して農業の実情を知りました。どうしようもなくなってこの告発本を書いたのです。
 そんな古い本を、ぼくが取り上げるのは、「あの国の人たちの生活は現在も変わっていない。生存ギリギリのところで苦労しておられる」からです。国際政治と無縁のところで地を這う生活を長年強いられてきた人々と、それを強制してきたあの国の独裁政治体制をできるだけ多くの人に知ってほしいからです。
 問題点をいくつか紹介します。
○ 全国土段々畑化政策 …… 主食にするトウモロコシを増産するために「山という山を段々畑にせよ」という恐るべき政策が1970年代から行われ、国土が荒れて、いまどうしようもなくなっている。土砂は流れ、耕地は石があふれ、河川は浅くなり、洪水は頻発し、国土が破壊された。
○ 稲の密植 …… 「稲を密植するとたくさん米がとれる」と国民に強いた。その結果減産になり、餓死者が出た。実は毛沢東も中国でそんなやり方をさせた。素人考えを押しつける。
 実は口吉川町では、ある村が稲の『疎植』にとりくんでいます。苗と苗の間をたっぷりとる植え方です。苗が少なくてすみ、手間も省けます。しかも太陽が下まであたり、分けつがすすみ、有効な穂が多くなり、収量が上がります。
○ 主食をトウモロコシにして段々畑で増産しようとした。そのトウモロコシだが、ポップコーン系でなくデントコーン系の品種を植えさせている。デントコーンは昔は飼料用としてつくったが、現在は澱粉、アルコール、コーン油の原料として栽培される。それを国民の主食にさせている。粒は固く、糖分が少ないが収量はポップコーン系の2倍になる。(北朝鮮ではそんなにとれないが)
○ 田植え機やコンバイン(稲刈り・稲こき)がなくて人海戦術でいまも田植えや稲刈りを行っている。しかし物資不足と無責任体制で収穫は乏しい。ウンカを網でとろうとしている。満足な鎌や鍬もない。それが全国の問題なのだ。(宣伝用ショウウインドウは別扱いである)
○ 「刺激の強いキムチは健康によくない」とか首領様が理屈をつけて白菜やトウガラシ・にんにくなどが国民に配られない。自家のわずかな庭は自留地になっており作物をつくることができる。国民は必死に作っているが、自留地でビール用ホップを栽培しろと命令して、実質的に自留地とりあげてしまう。
 1年や2年の辛抱でなく何十年もそのままの体制がつづく。考えただけでやり切れません。
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「ツル返し」をはぶけるでしょうか。

2014年07月29日 03時00分05秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                        
 サツマイモのツルです。「ツル返し」してみると、黒マルチをかけていたのに、マルチのないところまでツルを伸ばして、しっかり根を下ろしています。立派なひげ根を写真に撮りました。こんなに根を張られたのでは大事なサツマイモが細くなってしまいます。
 そこでツル返しのとき畝と畝の間に黒マルチをして、根を下ろせないようにしました。畝間にマルチを張った写真です。サツマイモの横はどちらも大豆の畝で、畝間潅水をしたのが写真でわかります。
                        
 次に左右に振り分けていたサツマイモのツルを、中央の畝間(マルチ)の上にツル返ししました。それがこの写真です。
                        
 さあ、これでサツマイモの畝は「ツル返し」しなくてもよくなるでしょうか。

 一週間前から重い本を読んでいます。『どん底の共和国』=北朝鮮不作の構造= 1989年 亜紀書房 発行 李 佑 弘 (イ・ウホン)著。1998年頃に、北朝鮮関係の本を集中的に読み、強い衝撃を受けた本が<3冊プラス1冊>あります。それをいま読み返しています。「生きてるうちに、もう一度、あの国の人々の苦しみに、思いをいたしておこう」と読んでいます。
 この本の書かれた時代から25年がたちました。時代は変わりました。技術も進歩しました。でも北朝鮮の人々は、「いまもこの本に書かれたような農業をして辛うじて生きている」のを思うと、言葉がありません。
 この項はまた書きます。
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にぎり寿司はおいしかったです。

2014年07月28日 05時32分10秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 大志くんのおとうさんがにぎり寿司をつくってくれました。ネタがうまく、ご飯との「ほどあい」がよくて、ちょうど一口で食べられます。9人で「おいしい!」/「おいしいなー!」といって、たくさんのお寿司をきれいに平らげてしまいました。
                     
 おじいちゃんは、床を拭き、掃除機をかけ、エアコンを入れました。おばあちゃんは、畑の野菜を採ってきて、2軒が持ち帰れるように仕分け、スイカを切って冷やしました。
 土曜日、畑で畝間潅水をしていたら、大きなオタマジャクシが畝間を泳いでいます。池の水を入れていますからホースから出たのでしょう。もう足が生えかけています。バケツに入れた写真です。
                     
 我が家は、肉食系のムシ類、両生類は大事にしてます。畑のムシを食べてくれるから。ムカデ(ゴキブリやナメクジも食べてくれる)、蜂(すずめ蜂も。青虫をいっぱい食べてくれます)、てんとう虫、カマキリ、カエル、トンボも。夕方になるとトンボが畑の上をいっぱい飛び交います。空中を飛んでいる小さいムシを食べるのです。(蛇はカエルを食べるから駄目)
 いま畑にはカエルがいっぱいいます。ちょっと畝間を歩くとき「踏んづけてしまわないか」と心配になるほど。それを見て「このカエルたちがみんな生きていけるほど小さいムシがいるんだなあ」と感心します。
 このオタマジャクシはカエルになるまで面倒を見て、畑に放します。
 
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『畝間潅水』をしました。

2014年07月27日 01時49分06秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                       
 写真は大豆の畝で、2、3日前に土寄せをしたばかりです。そのときは土が湿っていました。いまはカラカラです。これから花が咲くというのに。あんまり暑いので外に出るのをためらっているうちに、午後3時になりました。畑の半分が山のかげになる時間です。日かげなら仕事ができます。
 畑に来てみるとゴマ(金ゴマ)の葉にしおれているのがあります。作物全部が水を欲しているのが伝わってきます。今年はじめての畝間潅水をすることにして、道具箱から45ミリホースを出して蛇口につなぎました。
 この畑をつかいはじめた頃は、畝間潅水で太い方の水栓を開いて畑全体を水浸しにしていました。水の勢いがよく、1時間でいっぱいになります。でも畝間はどろどろになって入れないし、水のいらない作物まで水浸しになります。それにこの畑(圃場整備をした田んぼ)は漏水がひどく、下の家の畑が水浸しになってしまいます。
 というわけで手間はかかりますが、4年ほど45ミリホースで畝間潅水をしています。
 畝の向こうまで水が走ると次の畝にホースを移動します。30回以上ホースと格闘して移動して、どうやら全部の畝に走り水をしました。服はドロドロ。疲れました。
 
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サツマイモの『ツル返し』をしながら思いつきました。

2014年07月26日 00時22分29秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                       
 今年は黒マルチをかけた畝をカッターで切りながら、サツマイモの苗を植えました。マルチで草の管理がしやすいと思ったのです。苗が小さいうちは水やりも苦労せず、草も生えませんでした。しかし20日ほどまえから急にツルが畝間やとなりの畝に伸びて、草と混じり、ひげ根を土に下ろすようになりました。「ツル返し」しなければなりません。写真はサツマイモの畝2本を左右にツル返しして草を刈ったところです。
 このままにしておくとツルは自分で元に戻り、またひげ根を下ろします。
 なんとかいい方法はないか。 …… で思いつきました。この畝間も黒マルチでおおってしまう。
 するとツルは根を下ろしようがないから(土がないので)伸びるだけ。サツマイモの「力」は今の根に集中し、サツマイモを大きく太らせるために働く。 …… ということになる。だといいなあ。
 サツマイモを黒マルチして植えると「ツル返し」も「草抜き」もらくです。サツマイモの根近くにはに草がないので、グイッとツルも持ち上げて向こうに倒し、残った草を踏んづける。その草をあとで刈る。いままでのツル返し・草抜きより随分らくな気がしました。毎年マルチをつかってサツマイモをつくることにます。
 ところでベニアズマと安納芋の『マザー・ポット』を買って植えてあるのですが、まだツルを採っていません。新たに植えたら芋を掘るのもひと仕事で、孫や子らも「芋掘り」はあきたようだし、やめます。
 一部の夏野菜が出来過ぎで困り、ご近所は〈つくる人・もらう人〉ばかりだし、少し離れた、つくっておられないお宅に宅配しました。
 それから〈焼きピーマン〉をつくるのを、僕の仕事にします。焼きナスよりしっかり焼かないと美味しくありません。はじめ要領がわかりませんでしたが、できるようになりました。西日のあたる田舎の景色を眺めながら、おいしい〈焼きピーマン〉づくりに精進します。
 
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大豆・黒豆の土寄せを完了しました。

2014年07月25日 00時21分20秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                        
 写真は大豆の畝です。この数日、畝間を草刈り機で刈り、耕運機を通し、追肥をして、土寄せしました。あとは生えてきた目立つ草を抜く程度で、ムシがつかないよう馬酔木・唐辛子などの煎じ薬を散布したりムシを捕殺したりするくらいです。それがなかなか大変なのですが。クララはまだ一株なのですが大きくなっているので、葉も煎じてつかえないかと思うのですが。相当に苦いらしいからムシに効くかもしれません。
 それにしても盛夏の畑に除草剤なしでこんな畝をつくるのは、どんなに大変なことか。
 黒豆のほうも土寄せを完了しました。いまのところ順調ですが、もうすぐ豆の花の時期になりますので「畝間潅水」をしなければならないでしょう。45ミリホースで畝ごとに水を通します。
 きのう24日は裏山の愛宕さんにお参りする日でした。5時半頃に畑仕事を終えて、蚊を防ぐ服装をして登りました。参道は10日前より乾いており、登りやすかったです。
                        
 カナカナ蝉の鳴くのをききながら、よもやま話をして、お神酒をいただきました。疲れが出たのかしんどかったので、「とんど」をする前に山を下りてきました。
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何という名前の幼虫かわかりませんでした。

2014年07月23日 21時53分49秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                        
 大きさを示すために100円玉を置きました。蛾か蝶の幼虫でしょうが、何という名前か知りたくて、ネットで『幼虫図鑑』を検索しました。はじめて見る幼虫です。大きさは〈毛虫・イモ虫〉類では一流。クロメンガタスズメやセスジスズメと同じ大きさです。10センチはあるでしょう。頭のほうに黒い筋が二本横にあって、毛が生えて太い幼虫。図鑑にありそうなので丁寧に画像を見ましたが、こんな色の幼虫はありませんでした。
『晶子の庭は虫づくし』には何度かお世話になりましたが、このサイトでも見つかりませんでした。
 この虫は裏山で見つけました。ドキッとして道子さんにどう処分するかたずねたら、「向こうの山(50メートル以上離れてる)に引っ越しさせてあげて」と言われました。
 きょうは畑に行きませんでした。行けば行けたのですが、なんとなく二人ともぐずぐず。昼寝したり、家のまわりを片づけたり、裏山の草を刈ったりしました。雨は当分降りそうにないので、天候や時間に追われることなく、ゆっくり目のペースで仕事をします。
 
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民度の問題です。

2014年07月22日 01時29分18秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 韓国で船の事故があったとき、安全対策の手抜きの多さに「我が国は3等国という実態が明らかになった」と韓国のある新聞が書いて、自国の「民度」の低さを嘆いていました。
 日本で政権交代があって民主党政権になったとき、国民はいままでは感じなかった清新な空気にふれた気分でした。しかし日本の国の人々はその清新さを育てず、潰す方向に動き、また自民党政権に戻ってしまいました。
 いま半藤一利の『いま戦争と平和を語る』という本を読んでいます。その中にこんな見方が書かれています。


(半藤) 言論の自由は国家安寧(あんねい)の「生命線」です。この生命線だけは何があっても守らねばなりません。ところが、戦前の日本は、とくに昭和10年代はこれが完全に奪われましたからね。結局は国民全部が無能であったといっていい。そりゃ、頑張って抵抗して、「これはすばらしい人だな」という人は探せば一人や二人はいますが、それだけでは「どうもねえ」と思います。反軍演説の斎藤隆夫にしたって、ある部分では非常に先見の明もあったし、頑張ったと思いますけれども、大きな力にはなれなかった。

(対話の相手) 相当な人物が一人、二人出てきてもだめなんですね。結局、国家の方向を決めるのは国民全体の民度かもしれません。

(半藤) それこそ民度の問題です。リーダーが駄目なのは国民そのもののレベルが低いからです。全体のレベルが低いのに傑出したリーダーが多く生まれるわけはありません。


 自民党が公明党と結んで大勝したとき、「ああ、こんな民度の国でずっと生きてきたんだなあ」と思いました。どうして再度ひっくり返ったか / どうすればよかったか / これからどうなるか / なんて思いわずらう気になりませんでした。「ああ、こんな民度の国で70年あまり生きてきたんだ」と自分をなぐさめて、ニュースはあまり見なくなりました。
 
 
 
 


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学校は夏休みになります。

2014年07月21日 02時50分20秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                       
 顕微鏡を覗いて、孫の萌ちゃんがなにか宿題をしています。小学校中学年になった大志くんも百字練習帳を買ったって。子どもたちは夏休みになりましたが、たのしいことばかりではないようです。でも「我が家ではたのしいことをしよう」と、夏休み早々ウッドデッキでバーベキューをしました。裏山BBQは6月の終わりにしましたがあれは昼間。夜は蚊の襲来がひどいから、ウッドデッキに蚊取り線香を10本くらい配置して、夕方BBQです。午後はちょっと雨が降って三木市に大雨・洪水注意報が出たりして、果たして夕方できるかと気をもみましたが大丈夫でした。
                       
 BBQの写真で右のほうに二つ光ってるのは、おじいちゃんが朝から作った専用照明塔です。地面を掘って脚を埋め、黄色のペイントを塗りました。夜7時ではまだ目立ちませんが、このあと役に立ちました。
 暗くなり、片づけたあとは恒例の花火です。デッキに敷いたベニヤ板2枚の上でたのしみました。ここでいつものようにおじいちゃんは退席して寝にいき、みんなは星空を眺めておしゃべりした(でしょう)。ひいおばあちゃんは自室でマイペースの食事。BBQと関係なく大好きな海鮮丼で猪口一杯をちびちびやりながら召し上がりました。
 
 いま読んでる本から引用します。半藤一利の『いま戦争と平和を語る』(対談風に書いてある)から。

 昭和期の日本を歪めた大事件をあげてください。その一つに……。

 2・26事件はひと言でいえば「恐怖の梃子(てこ)」ですよ。あの恐怖の梃子が抜き差しならないぐらい大きな形になってくる。何かをいえば陸軍の上に立つ人は「わたしたちはいいが、部下の方がどう出るか」と脅すんです。大抵の人はおじけ震えますよ。
 これはもう最後の最後まで、終戦のときまでそうですからね。昭和天皇でさえ、「わたしが開戦のときノーと言えば、たぶん軍がクーデターを起こしただろう」と『昭和天皇独白録』でいってるじゃないですか。内大臣の木戸幸一なんかはおびえっぱなしです。それを恐れずに終戦に持ち込んだのは鈴木貫太郎だけです。

 
 
 あの事件は陸軍の皇道派が起こしました。日本中が震え上がりました。事件のあと皇道派を追放して主導権を握った東条英機以下の統制派は、国民の心に宿った恐怖心を、事あるごとに、徹底的に、利用しました。それに天皇があんなこと言ってどうするんだ! 
 いまの日本であんな事件を起こしたらどうなるか。国民にそんな勢力を潰す力はあるのか。
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山羊は草をしっかり食べます。

2014年07月20日 02時46分25秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                        
夕方雨が上がってから、近くの村を軽トラでドライブしました。一日中家にいたのでちょっと外に出てみたくなったんです。川向いの村を走っていたら山羊が道ばたで草を食べてます。写真を撮りました。荷台に収穫したトマトを積んでいたので一つあげたら、飛びつくように喜んで食べました。
 この山羊の綱は8メートルくらいあります。立ち木につながれてずいぶん広い範囲の草を食べます。横にロープを張り、ロープの左右2メートルの幅の草が食べられるような、スライドする輪っかをつければ、草刈りが助かるかなー。
 
 ところで近頃、テレビのニュースを見たり新聞を読んだりするのが嫌になりました。安倍総理の顔が出て、「何か言う」のを「見る・聞く」のが嫌で、夕方7時のNHKニュースは見ないで、BS放送の『にっぽん縦断こころ旅』という30分番組を見ています。
 日本という国は、あの大きな戦争の反省ができていない。
「特攻隊」なんて人間の命を「鉄砲玉」にした作戦を、国家が若者に強制したのです。20歳前後で出撃を強制された『命』がどんなに重いものだったか、70年以上生きてあちこち衰え、傷んできた自分の『命』を感じながら、やり切れない気持ちになります。一人や二人の狂信的な上官が提唱した作戦でなく、国家が自分たちの未来である「若者」を駆り立てた。
 またそんなことをしようとするのか。
 人間の心を踏みにじり、あれだけの犠牲をささげながら、同じ轍を踏もうとするのか。
 
 
 
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『土用干し』を利用するつもりでしたが。

2014年07月19日 04時10分03秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 金曜日、母はデイサービスなので明石の魚の棚に買い物に出掛けました。連日の畑仕事で、少し休養したい気持ちもありました。
 昼寝をしてから畑に出てみると、「上の田んぼは土用干し中」と思っていたのに水音がします。
 「しまった!」
 早速耕運機を畑にもっていき、水路になる溝を耕運しましたが、もう漏水でドロドロ。「田んぼを代かきしている」ような状態です。仕方がないから溝の水が少しでも流れるようにドロをかき寄せました。

 上の田んぼは漏水があって、うちの畑の土手沿いはジケジケ・ドロドロしています。そこで土手沿いの溝の草を刈り、流路を確保して水が流れるようにしているのですが、それが雨が降ったり草が伸びたりしてうまく機能していませんでした。このところ「田んぼの土用干し」で溝が乾いてきました。その間に草を刈り、耕運・土寄せをして、漏水が落とし口に流れるようにするつもりでした。
 ところがきのうの午後畑に出てみると、もう田んぼに水が入り、漏水もしています。
「エッ? 土用干しは土用の丑の日までやるのじゃないのか」
 今年の土用の丑の日は7月29日だそうです。勝手に思い込んで、悠長に構えていたのが間違いでした。
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『野菜名人』さんが来られました。

2014年07月18日 01時47分03秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                        
 口吉川小学校で「野菜の作り方」を子どもたちに教えて、『野菜名人』としてお礼の手紙をもらったうちの村の方が、お孫さんとたずねてこられました。18日(金)に終業式で夏休みになるので、17日にキュウリ・ピーマン・ナスビを収穫してピサをつくったそうです。うちでも賞味させてもらいました。写真は子どもたちからのお礼の手紙とピザです。
 子どもたちが、野菜づくりに興味を持つのはいいことです。種が苗になり、生長して実をつけ、人間の糧になる。それを頭でなく、体で体験し、喜びを感じる。観察でなく、愛情で、植物の生長を受けとめる。
 さて、7月の土手の草刈りはほぼおわりました。畑の中の草刈りもほぼおわりました。でも作物のまわりの草を抜き、追肥をし、堆肥やワラで根をおおう作業があります。サツマイモのツルアゲも大豆・黒豆の土寄せも。
 当分いまの畑を作りつづけるつもりですが、作業が厳しくなってきました。植える前の計画をきちんと立てる。余分につくらない。黒マルチで畝をおおって休ませる。防草シートで刈りにくいところをおおう。楽になるように考えます。
 例えば落花生ですが、3年前は100株超(10メートル畝4本)つくっていました。でも去年は75株3畝にしました。今年苗が余ったので「ま、苗があるし植えるか」と4畝にしてしまいました。それだけ草抜きも収穫も手間がかかります。3畝でとめるべきでした。
コイモは土に埋めて「芽出し」をしてから植えました。1畝で納まるように植えるべきでした。でも5株余り、2畝目に植えました。
 道子さんは去年750グラムある山芋をつくり、「こんな大きさの山芋はなかなか売ってない」とよろこんでいました。ことしは30株超をポットに植えてから移植したのですが、やはり2畝目にかかってしまいました。(山芋の芽はなかなか出ません。「これは駄目かも」とあきらめたころに雑草の中からツルの頭が伸びてきます)
 そんなふうに少しずつ増えると仕事に追われます。「縮小」へ向けて考えます。
 
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草刈りしすぎて疲れました。

2014年07月16日 03時19分16秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                        
 火鉢に植えて庭に置いてる蓮の花が咲きました。5年前この根をもらってきた善祥寺では、今頃蓮が咲き誇っているでしょう。火鉢に水を入れるだけでほとんど世話をしませんでしたが、今年の冬に道子さんは根を掘り出しました。火鉢いっぱいの大きな根に生長していました。それを切り分けてありあわせの瓶(かめ)に入れたら、こちらも葉が伸びて蕾ができました。
 『蓮の育て方』をネットで見たら「年に一度植え替える」と書いてあります。これからはそうします。冬になったら裏山に小さい池を掘って、ビオトープにして、そこに蓮を植えられたらいいかな。
  きのうは草刈りをしました。土手の草刈りでなく畑の中の草刈りです。通路と遊歩道と畝間の草を刈るだけで、草刈り機のガソリンタンク2杯が空になりました。それでもまだ刈るところが残っています。夏の草の勢いにはタジタジとなります。
 ぼくがまだ60歳代はじめの頃、田舎で菜園をやってる70歳過ぎの人と話してたら「草刈りは一日タンク一杯と決めとるんや。疲れが尾を引くでな」と言われたことがあります。その頃「ぼくなら一日3杯刈れるくらい体力があるな」と内心思いました。
 あれから15年。もうすぐ77歳です。それなのにガソリン2杯分の草刈りをした。疲れました。
 これからはいままでふつうにやっていたことを《縮小する》ことに気を配らねばなりません。反省しました。
 
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うちの村の『祇園さん』の日でした。

2014年07月15日 01時44分37秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのう7月14日は裏山山頂の祠(2つある)の「祇園さん」に「お参りする日」でした。
 当番の家(2軒)が前の日までに参道を掃除して、当日の夕方はお供えするお酒やおつまみを用意して登ります。我が家は勝手に裏山の祇園さん・愛宕さんに年末年始に登って注連飾りをつけたり、秋の収穫の感謝を捧げたりしますが、正式なお参りは<7月14日=祇園さん / 7月24日=愛宕さん>だけです。
 で、きのうは早めに畑仕事を切り上げ、6時半頃に登りました。「上で待機しているのは当番だけ」で「お参りする人ゼロ」という年もありましたが、きのうはうちを入れて3軒がお参りしました。
                       
 写真に写っていますが、それぞれ藁の束を持って登り、おしりに敷いて車座になります。おしゃべりし、お神酒をいただき、とんどで藁を燃やして下りてきます。7時過ぎ、足元がおぼつかなくなるのを用心して、ぼくたちは早めに下りてきました。それでも参道では懐中電灯が必要でした。
 小豆を植えました。ポットで育てた苗です。
 まずイチゴのあとを耕して畝をつくり、畝間に防草シートを敷きました。このブログでは「道子さんが <アズキノメイガ> からいかにして小豆の鞘を守ってきたか」というこの数年間の長い戦いの物語をお伝えしてきました。毎日小豆を点検して蛾の卵を生みつけた鞘をとり、補虫網でアズキノメイガを捕えてつぶし、それはそれは大変な苦労をしてきました。
 で、いよいよ究極の対策です。
                       
 写真のように4ミリ目の防風ネットを小豆の畝にスッポリかぶせてしまいます。小豆は一度に収穫できるのでなく、だらだら鞘ができ、豆ができ、乾いてきます。それをつぎつぎ収穫する作業ができるように、高さ175センチ・幅150センチ・長さ10メートルの畝をおおうのです。中に空気がこもらず風通しがよくなるように、ネットはできるだけピンと張ります。
「アズキノメイガくん、これでどうだ!」と見得を切っているところです。
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