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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

二人で奉仕活動をしました。

2010年06月30日 02時58分15秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 写真の庭石菖(ニワゼキショウ)はよく見かける花ですね。畑で野菜をつくりはじめた頃、草抜きをしていてこの花に出会うと抜かないで残したものです。人を引きつける可憐な雰囲気を、この一輪の小さい花は持っています。そう感じるのはぼくだけではなく、道子さんは畑をつくりはじめた頃わざわざ移植したというし、この花に引かれる人は多いようで、種の通信販売もあります。
 そのニワゼキショウが今年は遊歩道を埋め尽くすように咲いています。はじめはそこだけ草を刈りませんでした。しかしギシギシや他の雑草が伸びてくるので先日刈ってしまいました。ニワゼキショウだけなら残したかったのですが。
 月曜日の晩はアライグマの檻を仕掛けませんでした。あれこれお菓子を買って帰ったらもう暗くなってるし雨は降ってるしで、アライグマも出勤しないだろうと勝手に思ったのです。火曜日の朝畑に行ってみたらトウモロコシには手をつけていません。やはりよく降ったからお休みしたのでしょう。
 きょうはぼくも張り切ってアライグマおもてなしの準備をしました。まず雨が降っても気持ちよく過ごせるよう檻の下に板を置きました。(畑の土がどろどろになっても体にくっつかない)発泡スチロールのトレーには、ドーナツ、餡子の入ったドーナツ、白餡の三笠饅頭(少々賞味期限が切れてるけどおいしいよ)、アンパンマンのビスケットなどを切り分けて入れました。甘党のアライグマなら大満足でしょう。
 さらに檻の入口に通じる遊歩道をベニヤ板でつくりました。雨が降っても誘導用に置いたお菓子がどろどろにならずにすみます。奥のトレーの上はベニヤ板を屋根として置き、雨からお菓子を守ります。頭の中では『展覧会の絵』のプロムナードの音楽が鳴っています。
 公民館裏のゲートボール場が草だらけです。いつもは老人会で公民館掃除をする前に老人会長が草刈りをされるのですが、所用でできないそうです。そこで道子さんと二人で午後草刈りの奉仕活動をしました。二時間かかりましたが、きれいになって気持ちがいいです。
 さーて、アライグマくんは掛かってくれるかな。朝起きたらすぐに畑に行ってみることにします。

 
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雄の大人アライグマを捕獲しました。

2010年06月29日 02時40分46秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 26日(土)の夜中は雨が土砂降りで、27日(日)の朝畑に行ってみたらまだ畦間に水がたまっていました。アライグマの檻も土がはね返ってドロドロ。せっかくのお菓子も土まみれのドロドロ。そこで27日(日)の夕暮れにまた檻にお菓子を持っていきました。夜に雨が降るかもしれませんが、アライグマが来た痕跡がありますからやってくるでしょう。ていねいに檻のまわりにお菓子をまいておきました。
 そして28日(月)の朝6時に軽トラックで畑に行ってみると、朝日の当たる檻になにか入っています。去年の夏はスイカ畑のそばに仕掛けたら黒い猫が掛かっていました。『むーな村』ではアライグマの檻にカラスが掛かっていたそうです。ほんとにアライグマが掛かったのだろうか。
 軽トラを置いてそばに寄ってみました。
 掛かった! アライグマ! 顔はタヌキに似ていますが尻尾にしま模様があり手は五本指がはっきりしています。おとなしそうな顔で、キョトンとぼくを見ています。親近感も好奇心も敵意も伝わってきません。ただそこに動物がいる。という感じです。
 金曜日に檻を借りて月曜日の朝には捕獲した。調子よくいった。というか出来すぎ。
 とにかく9時になったら市役所の農業振興課に電話して連れていってもらいます。でもなんとなく落ち着かない。ひょっとして逃げるかもしれないから針金で檻の戸をくくっておこう。早目に畑に出て、役所の人が来るまで番をしておこう。村の人が散歩に通りかかったら見てもらおう。これが土曜日の晩にでも掛かっていたら日曜日一日落ち着かないところでした。
 10時過ぎに市役所の人に渡してからは畑仕事がはかどりました。代わりの檻を借りたのでまた仕掛けて捕獲します。きのうは黒大豆と味噌用の大豆の苗を畝に植えました。
 去年は黒大豆だけ50センチ間隔で苗を植えました。それが調子よかったので大豆も40センチ間隔で苗を植えました。でも労は多く、苗の育ちがイマイチだったので来年はまた直播きに戻します。夕方お菓子を買いに出て、アライグマ用のおいしいお菓子を買いました。でも暗くなってから雨が降り出したので畑に行くのはやめました。
 アライグマくん、また天気のいい夜にたっぷりお菓子を食べてもらいますからね!
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アライグマにやられないようにしてきたこと。

2010年06月27日 04時41分36秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 写真は2008年12月の我が家の畑です。橋に手すりをつけて落ちないようにし、畑にも構造物のようなものが見えますでしょ。橋のあたりにはクヌギの落葉が吹き寄せられて積もっています。
 2008年というと田舎に暮らすようになって二年目です。四月のおわりに、一反三畝の休耕田を借りる話になりました。まず着手したのが伸び放題だった土手と畑の草刈りです。26ccの刈払い機を買い(25,5センチの歯を付けられるように)、連日草刈りをするゴールデンウイークになりました。営農組合の大きなトラクターで土を耕してもらい、地主さんのトラクターで畝立てをしてもらい、また我が家では耕運機を買って畦のまわりに幅1メートルの遊歩道をつくりました。いまふり返ってみると大豆畑トラストを10年近くやってきて、『むーな村』で刈払い機や耕運機を使ってきたからできたことです。いまでこそ我が物顔で畑をしていますが二年二ヵ月前は400坪という広さに「おっかなびっくり」だったのかと思い返して不思議な気がします。
 さてぼくはその頃毎日散歩をして、村人を見るとあいさつし、よく立ち話をしました。その情報ではこの付近はアライグマがたびたび出没していました。桃坂の神社の天井には巣をつくって住みついているし、西中のおじいさんの畑では76個できたスイカを全部アライグマにやられたし、トウモロコシはほとんど人間の口に入らなかったし、イチゴは食い荒らされてしまったし、ぶどうをつくっているではアライグマに食い荒らされて台無しになるし……というものでした。
 我が家も畑をつくるとなるとアライグマにやられる。防御しなくては。そこて1,5メートル幅で50メートルの強い動物防護ネットを買いました。まず我が家ではトウモロコシとスイカをネットを使って守ろう。
 道子さんはまずトウモロコシをつくりました。ぼくはネットを張った木枠を6枚つくり、それをコの字に組み立てて両端に立て、間は長い竹を渡してネットを張るネットハウスをつくりました。写真中央のブルーシートがかけてある構造物が長さ7メートルのトウモロコシハウスです。トウモロコシを収穫した後は、ブルーシートで雨がかからないようにしてワラをしまったりする場所になってしまいました。そしてこの構造物は、いまではネットの木枠だけ残っています。
 木枠やネットで守るのは大変です。捕獲がいい。もう防護ネットを張るのはしんどい。というのが正直な気持ちです。
 アライグマくん! うんと犠牲を払ってきみの食べたことのないようなおいしいものを提供するからね。おたのしみに!








 
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アライグマの檻を仕掛けました。

2010年06月26日 03時46分02秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 24日(木)は久しぶりの快晴で畑もぐんぐん乾き、仕事がはかどるところでした。ところがぼくは老人会のグランドゴルフ大会があり、午後そちらに参加したので仕事ができませんでした。
 そこできのう25日(金)は早朝から雨が降るまで仕事をがんばろうと、朝6時に畑に出掛けていきました。きのうは母妙子さんのデイサービスの日なので、迎えに来られる9時過ぎには家にいる必要があります。朝食はそのときにとることにしました。
 さて畑に来てみると二、三日で草が「グンッ!」と伸びたようです。草の勢いに圧倒されます。サツマイモのツルもやっと元気に伸びだしました。去年は6月11日に猛烈な勢いのベニアズマのツルを切って30本くらい補植したと記憶していますが、今年はツルを切るのはまだかわいそうです。
 軽トラに積んできた草刈り機で畦間、遊歩道の草を刈っていきました。いままで草刈り機を使うときは、肩に掛けてぶらぶら歩いて畑に持ってきましたが、だんだん横着になりました。でも軽トラってほんとに便利です。
 朝食をすませて妙子さんをデイサービスに送り出したあとは、耕運機を持ってきて大豆や黒大豆を植える畝を耕すことにしました。黒豆の畝(20メートル二畝)と大豆の畝(10メートル八畝)の表面をうすく引っかくのです。コープ堆肥や草木灰などを入れて畝はつくってありますが、この数日でうっすら草の芽が出ています。このまま大豆の苗を植えたのでは草まみれになります。
 耕運や草刈りのすんだ昼頃、道子さんがトウモロコシの畝のほうで呼びます。ナニゴトかと行って、ひと目見て状況を理解しました。
 写真のようにトウモロコシが引き倒され、皮を剥(む)いてかじられています。手が猿のように使えるアライグマの仕業です。ついに出たか!
 アライグマ対策のことはまたお伝えしますが、防護ネットを張るのはあきらめます。以前と規模がちがいますから。檻で捕獲するしかありません。
 午後市役所の農業振興課に借りに行きました。二つ借りれたらと思いましたが、貸し出しが増えているので一つだけ。「今日も一匹捕獲したので引き取りに行かねば……」だそうです。
 帰りにマックスバリューに寄り、ドーナツや鳥の唐揚げなどあれこれ買って帰りました。捕獲されて炭酸ガスで安楽死させられるアライグマにせめて生涯最高のごちそうを食べてもらおうと。夕方雨の中を軽トラで仕掛けに行きましたがさて……。
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樹を切るときは見ようと思ってたのに……。

2010年06月22日 03時27分20秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 この村の鎮守さまは、我が家のウッドデッキから東の方一キロメートルのところに見えます。鎮守の社は左のモミの木と右の楠にはさまれ、後ろはコナラらしい大木とアラカシの木々などが集って一応鎮守の森になっています。
 ところが左のモミの木が枯れて枝葉がなくなり、指で幹をつつくと簡単に樹皮がはがれ、ふかふかになっていました。写真中央の裸木です。これは危ないということで村の役員会で切ることが決まり、見積りを見せてもらいました。かなり費用のかかる作業です。
 これだけの大木だから大仕事になるだろう、そのときは見に来ようと散歩で寄るたびに思っていました。先週13日の日曜日は雨でしたが、かかりつけの神主さまにお願いして切るまえのお払いをしてもらいました。役員にはその『お払い』の案内がありましたが、出掛ける用事があって行けませんでした。翌日散歩で寄ってみるとたしかに『お払い』のあとがありました。
 写真はそのときに写したもので、道子さんと老人会の先輩が大木の足もとにある開拓の碑を見ておしゃべりしています。お払いはしたけれど雨で木を切る作業はできなかったようです。ウッドデッキから見れば建設機械が来たらわかるから、作業がはじまったら見に来ようと思っていました。
 きのうの夕方買物の帰りに寄ってみたら、もう木が切られています。開拓の碑は後ろに移され、切り株もありません。サクサクの切り株でしたからユンボで削りとってしまったのでしょうか。
 いつ切ったのだろう。倒れるとき「ドサッ!」と迫力ある倒れ方をしたのだろうか。木はどう処理したのだろう。それにしても作業を見られなくて残念無念! 写真にだけ残る枯れ木を見て、これがドサッと倒れる場面を想像するしかありません。
 右の楠にもお払いの痕があって、これも切られるのかと心配でしたがこちらは枝を少し切っただけでした。この楠はおそらく昭和天皇が即位したときに全国の神社に二本ずつ配られた苗木の一本でしょう。保木という村の鎮守(えびす神社)には立派な楠が二本立っていますし、となりの西中のお堂にも立派な楠があります。うちの村もこの楠だけは残りますように。
 夏風邪なのか体がしゃんとしません。雨がちで畑仕事ができないのでじっくり休養することにします。 
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梅雨の晴れ間に大働きしました。

2010年06月18日 05時21分49秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 写真は苗を植えた落花生で、順調に育っています。苗の根元に残っている豆を鳩がつつくようですがもう大丈夫でしょう。これから秋まで草を抜きながらお守りします。
 さて天気予報は、きのうが『晴れ』でそのあとは『一週間雨が降る』となっています。「えらいことや。ジャガイモ掘ってしまおう」というわけできのうは一日中畑仕事に精を出しました。道子さんはジャガイモ堀り。ぼくはサツマイモの草抜きと土寄せ。サツマイモのそばの草が伸びました。これ以上伸びた草を抜くとサツマイモの根をいためてしまいます。
 ジャガイモはきのうをパスすると雨で当分掘れないし、ここには大豆を植える予定でもう苗床に種を蒔いたし(十日後に苗を移植します)、移植を考えると肥料を入れて畝をつくっておかねばならないし、というわけできのう掘れてよかったです。
 ジャガイモを掘ったあとに草木灰を入れ、COOP瑞穂農園の堆肥を入れて耕運し、畝立てをしました。ジョレンで土を上げて畝を整形するのは苗を移植してからです。土寄せをしっかりしないとここは風の吹き抜ける畑なので台風がこわいです。
 以前有機無農薬の胡麻をつくっていることをブログに書きましたが、その胡麻がなかなか芽を出しませんでした。地温が生育の大きな要素だったようです。「種を蒔いても芽が出ない」と道子さんはあれこれトライしましたがやっと出揃いました。(発芽しかけた種を夜盗虫が食べてしまうのだろうか。と卵の殻を砕いた肥料をまいたこともありました。コープ瑞穂農園で売っているカルシューム肥料です。夜盗虫はチクチクするのでその上を這うのをいやがるそうです。ホントかなー。)
 そういえばジャガイモを掘った道子さんは夜盗虫をたくさんやっつけました。夜盗虫から蛾になる前のサナギもたくさん。ぼくはサツマイモの草抜きをして夜盗虫が出てくると水に放り込み、『夜盗虫土佐衛門さん』になってもらいました。
 去年はレンゲ畑を刈っていっぱい夜盗虫と遭遇しましたが、今年も夜盗虫は健在です! アーア。
 
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13年ぶりに四国巡礼のお寺を見て感じたこと。

2010年06月16日 04時24分35秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 四国八十八カ所巡礼のお寺めぐりをしたのは、ぼくが定年退職し、父が亡くなった1997年の夏でした。7月と9月に一週間ずつかけて車で八十八カ所をまわりました。
 あれから13年が過ぎました。このたび大塚美術館を見るついでに第一番札所霊山寺から第四番札所大日寺まで参拝してみて、お寺も時代とともに変っていくのを感じました。13年前にお参りしたときは第一日目は第二番札所極楽寺の宿坊に泊りました。宿坊の玄関脇にささやかな売店があり、巡礼用品などが売ってありました。
 その品々を見ているうちに、第一番札所霊山寺と値段がちがうことに気づきました。霊山寺で杖、白い服装、数珠、納経帳などを買ったときは「こんなものか」となんとも思わずに買い求めましたが、極楽寺で値段をみると巡礼グッズがどれもずいぶん安いのです。
 お寺の人に「えらい安いですね」ときいたら「よくわかった先達さんはまずタクシーでうちの寺に寄って巡礼の買物をされ、それから一番にまわられます」。
 今回極楽寺に行ってみたら駐車場に別棟の売店が建っています。そこに巡礼グッズは売ってありますが値段が霊山寺とあまり変りません。お寺は代替わりしたのでしょうか。方針が変ったのでしょうか。どんな事情があったかわかりませんが時代の流れでしょうか。第四番の大日寺では古びた観音像の並んでいた回廊や納経所が新しくなり、あのさびれた感じがなくなっています。
 四国巡礼は盛んになっているようですがお寺も変るのですね。いつか次の機会には『歩き遍路』で巡拝しようと思ってきましたが、そのことにとらわれて無理に頑張るのはどうかな、という気がしてきました。変る自分をそのまま受け入れる。際限なくなまけるようになるかな。
 雨がたっぷり降って、畑の水やりを心配しなくてもよくなりました。五月の終りから六月前半は水やりにずいぶん時間と労力をとられていたとあらためて思います。黒豆と大豆の種蒔きの時期です。今年は直播きしないで苗を育て、きっちり間をとって植えようと思います。風通しをよくし、芽を摘んでよく茂らせ、一本一本に精いっぱい実ってもらいましょう。
  
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野うさぎの写真をバッチリ!

2010年06月15日 06時39分07秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 裏の山の草陰で見かけたのは二週間も前でしょうか。道子さんが「ナスビの苗が食べられた。だれがあんなもの食べたんだろう」と不思議がっていましたが、犯人はどうやら野うさぎのようです。いつ覚えたのか裏の藪から出てきて家の横の小屋の中を通り、表の畑に出てくるようになりました。
 その後も「菊菜の葉を食べられて筋だけになってる」とか「レタスの苗がかじられた」と野うさぎ出没の気配がありました。二三日前には、ウッドデッキで来客とお茶しているときに一瞬姿を見かけました。子うさぎの大きさです。
 そこでなんとか写真に撮ろうとカメラを手近に置いて心の準備をしていました。そしてきのう、庭を見ると野うさぎが野菜を食べに来ています。ガラス戸越しに撮り、そーっとガラス戸を開けて撮り、まだ大丈夫、体をウッドデッキに出してズームアップして撮りました。
 まさかこんなに早く野うさぎの写真が撮れるとは思いませんでした。
 ネットで野うさぎのことを調べてみたら、餌付けはむずかしいようです。小学校で飼っているうさぎと野うさぎは、種類がちがうといってもいいくらいで、人間になつかないようです。それに捕まえるのは法令違反だそうです。「脱兎のごとく」といいますが、飼育されているうさぎとちがい、実にすばしこく、逃げる迫力がちがいます。野性を感じます。
 一昨年の秋に、親くらいの大きさの野うさぎを裏の藪で見たことがあります。ガラス越しに見て、そーっと窓を開けたら一瞬に姿が見えなくなりました。その一回だけで、その後姿を見ることはありませんでした。「ピーターラビットみたいなうさぎがどこかにいるのだなー」と幻のようなはるかな動物を思う気持ちで思い出していました。
 あの野うさぎの子どもでしょうか。毎日餌を食べに庭に来るではありませんか。どきどきわくわく!
 道子さんは「野うさぎがなにを食べても絶対に腹を立てない!」と宣言しています。ナメクジや夜盗虫に葉っぱの端っこをかじられても「キッ!」となりますが、野うさぎなら「ゼーンブどうぞ!」。
 ぼくも同感です。
 野うさぎが来たら思うがままに食べてもらいます。心の中ではいまどうしているかと気になって気になって仕方ありませんが、知らん顔しておくことにします。
 
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絵を見るのは体力勝負でした。

2010年06月14日 03時38分28秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
『大塚国際美術館』というのは実物大の陶板美術館です。とてつもなく大きな絵もそのままの大きさで展示してあります。入れ物である建物も大きい。見て歩くのに疲れました。(人物を入れれば)写真を写してもいいのでいくらか撮りましたが、数が多くてそれにも疲れてしまいました。それが第一の感想です。
 入口を入るとシスティーナ礼拝堂が実物大で展示してあり、ミケランジェロの描いた15メートルの天井の絵に圧倒されます。大きすぎて一枚の写真に納まらないので、別の礼拝堂の写真(スクロベーニ礼拝堂)を載せます。こんな礼拝堂があるのをはじめて知りましたが、天井の青色と散りばめられた星が実にいい。祈りの場というより癒しの空間です。
 まじめに順路通りに見ていきましたが、実物大の素晴らしい絵なのでつい見入ってしまいます。大昔にこんな見事な絵を描いたのかと感心して古代から中世と見て歩くうちに疲れてしまいました。
 そこで「見たい絵だけ見よう」と方針転換し、館内の喫茶店でコーヒーを飲んでからは、途中をとばしてルネッサンスの『モナ・リザ』あたりから見て歩くことにしました。それでもどこかで見たような名画ばかりですからつい見入ってしまいます。
 館内のレストランで食事をした後は、ドラクロアワとミレーとピカソの『ゲルニカ』だけ見て帰ることにしました。美術館で絵を見るのは高齢者にとっては体力勝負ですね。
 早目に帰り、畑に出て水をやりました。骨休めに旅をしたはずなのに、畑に出て体を動かしているとホッとします。
 
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大塚国際美術館に行きました。

2010年06月13日 02時00分41秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 一度行ってみたいと思っていた『大塚国際美術館』に行きました。日帰りバスツアーで行くところですが、骨休めが目的なので一泊します。イチゴ畑とタマネギ収穫の慰労会のつもりです。鳴門のホテルに泊り鯛のコース料理を食べて、翌日美術館を見学しました。
 鳴門までは車で一時間余りです。午前中に鳴門市に着いてしまいました。まず訪れたのは大麻比古神社でした。観光地を訪ねたいのでなくゆっくりしたいのですから、心休まるところがいいと思って選びました。阿波一ノ宮になっている大きな神社で、吹きぬける風がさわやかでした。
 昼食のあと四国八十八カ所巡りの一番霊山寺から四番大日寺までドライブしました。一つ一つのお寺に車を止めて、参拝しながらのドライブです。四国巡礼は、父が米寿を祝い誕生日を前に亡くなった1997年に車で行きました。
 三番の金泉寺の裏で大きな顕頌碑を見て、いろんなことを考えました。これはお寺のある板野町東地区の戦死した出征兵士の碑です。一番上の欄のはじめの数名が日清戦争、日露戦争、そして支那事変の戦死者です。『支那事変』というのは1937年に(昭和12年……ぼくが生れた年)日本が中国で起こした戦争ですが、『戦争』といえば聞こえがわるいので小規模の争いという意味で『事変』と呼びました。軍部は「弱い支那なんかすぐにやっつける」つもりだったでしょうが、大東亜戦争にまで拡大して負けました。
 碑の1段目の終りから6段目の最後まで大東亜戦争で戦死した兵士です。この小さな村からどれだけの人たちが出征し、どれだけの人たちが戦死したでしょう。元気盛りの若者や一家の大黒柱の父親が南の島に行かされ、飢餓に苦しみ、マラリアに苦しみ、密林に倒れたのでしょうか。ビルマ戦記、ニューギニア戦記、ルソン島レイテ島に行かされた一兵卆の苦しみを伝える戦記などを読んでいますので、碑の前に立つとそんな場面を想像してつらい。
 大塚国際美術館のことはまた書きます。
 
 
 
 
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タマネギを収穫しました。

2010年06月09日 05時01分58秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 今年はタマネギの生長が遅く、玉が大きくなりません。地温が低かったからでしょうか。6月に入ってようやく玉が大きくなり、葉の倒伏がはじまりました。そこでおととい、タマネギを収穫しました。写真は三畝に抜いて並べたタマネギで、1000個超あります。
 こんなにたくさん我が家で食べるわけではなりませんが、娘たちの一家に供給し、有機無農薬の農産物に理解のある知人などに送ったり、来訪者にお渡ししたりすると一年間でちょうど消費する量です。一番左の畝は『ネオアース』という品種で三月まで保存できます。
 半日干して持ち帰りましたが、軽トラックが大活躍したことはいうまでもありません。乗用の軽自動車でも運べないことはありませんが、なんといっても気分がちがいます。うちが軽トラを買ったという情報はすでに村人間に流れているようで、4人の人が畑に立ち寄って軽トラ談義をしていかれました。
 道子さんはこれを5個ずつヒモでくくって小屋にぶら下げます。特別なくくり方が農業の本に書いてあるのですが、ぼくは覚え切れず、作業に手を出しませんでした。いままでのくくり方だと、タマネギの葉が乾燥してやせるとポトポト落ちるのですが、その本のくくり方は、やせると重みで締まるのです。一日かかって全部のタマネギを一人でくくり、小屋にぶら下げました。エライなー。ぼくのしたことといえば、草刈りの疲れが二日後に出て昼寝。
 今年のタマネギも去年9月に種を蒔き、苗を管理して11月に植え、12月1月に追肥し、何度か草をとり、全部の世話を道子さんがしたことになります。なおタマネギは今ごろになると真ん中に大黒柱のように太い茎が伸びて、先に種ができることがあります。そうなると栄養分はどんどん吸い上げられて子孫のために消費され、玉がスカスカになります。抜いてしまうしかありません。ということもタマネギづくり10数年の道子さんに教えてもらいました。
 ひと月前に植えたコイモが、ようやく出揃いました。来週には草取り・追肥・土寄せをします。
 
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ヒヨドリのみなさん、イチゴ畑へどうぞ!

2010年06月07日 01時53分29秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうの日曜日、娘たちや孫たちがやってきて、最後のイチゴを籠にいっぱい採りました。雨が降らなかったので甘みがぎっしりつまっています。「甘い! 甘い!」といいながらよく味わって食べました。週末ごとにやってきて、週の間には三度宅配してもらい、一ヶ月たのしんだイチゴ畑はこれでおしまいです。200株の『宝交早生』を食べつくしたイチゴ天国月間でした。
 午後、道子さんとぼくはイチゴネットを撤去しました。キラキラテープがいっぱい結んであり、すそは草が伸びてからまっているので、この100坪ネット(800円)はボツにしました。竹やら杭やらを片付け、イチゴの畝に掛けた黒マルチを剥がし、マルチ押さえ金具を抜いて集め、イチゴの三畝はみるみる裸になっていきます。
 まだ赤くなりそうなイチゴが残っていますが、きょうからネットにからまって亡くなったヒヨドリタロウくんをしのんで、ヒヨドリのみなさんに無料開放します。イチゴ天国のお流れを享受してください。なお今年も『宝交早生』でない品種の苗を10株買って植えたのですが、実りも味もよくありませんでした。イチゴの品のよい甘さはやはり宝交で味わうのが一番です。
 イチゴづくりは一年間ずーっと手間ひまを掛ける仕事です。まず10株いい苗を残し、いまのランナーは切って、8月頃に伸びるランナーから苗をとります。秋には割肥えを元肥として入れて来年のイチゴ畝をつくり、新しい苗を植えていきます。冬はマルチをしないでできるだけ寒さにさらして苗を鍛え、春になる前に黒マルチを掛けます。汚れた葉枯れた葉はとり、いつも根元を清潔にしてやります。そして五月、やっとイチゴの実る季節になるのです。それを道子さんは一人でコツコツ毎年やりとげています。ぼくはその苦労を聞いて書いているだけ。スンマセン。
 まわりの田んぼでは代かきが終わりました。田植えがはじまります。田舎が田舎らしくなる季節です。
 それにしても雨が降りません。「昔だったら水で争いが起きたでしょうね」と通りがかりの村の人にたずねたら、一しきり水の苦労の昔話をしておられました。満水だった福地池の水位は二メートル下がっています。雨よ、降れ!
  
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軽トラックは想像していたより便利です。

2010年06月06日 04時04分25秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 軽トラックを買いました。オートマチックの新車です。72歳になってから、仕事で使うわけでもないのに、軽トラを買うなんて、一体何歳まで動けると思ってるんだ、と自分でもおかしくなります。でもそんなことがぼくの人生に起ってしまいました。
 早速これに乗ってコーナンに買物に行きました。ぼくが軽トラのシートとか荷物用ロープなどを買って積み込んでいると、道子さんが鶏糞や油粕、有機石灰を買ってカートに乗せて持ってきました。それを見たとき「いくら買っても大丈夫」と感じたあの安心感。
 経験したことのない感覚です。畳大のコンパネを10枚買っても、4メートルの木材や足場パイプを買っても、高い植木を買っても大丈夫。いままででしたらサービスコーナーに行って店の軽トラを借り、時間を気にして積み込み、急いで荷物を家に下ろし、車を返しに戻って自分の車で帰る、でした。相当な時間と体力と気力が必要でした。
 パントリーをつくり作業小屋をつくったときは、何度も何度もホームセンターの軽トラを借りました。その苦労から解き放たれた解放感は、想像していたよりはるかに大きい。何か長いもの、かさばるものを買いたいと思っても我慢していましたがこれからは気軽に買えます。でも不要なものまで買ってしまったり、すでに買っているのにまた買ったりしないように気をつけないと。
 午後は土手の草刈りをしようと草刈り機を荷台に載せました。道子さんは生ゴミや肥料や噴霧器や苗をいろいろ積み込んでいます。よく見るときょうは使わないものまで積んであります。でも軽トラだから大丈夫。ああ、この心の軽さ。
『軽トラのある吉川町口吉川町の風景』という写真を公民館で募集していました。こんなの、うちは関係ないと思っていたけど、いやいやどうして。この新車を乗りまわして写真を撮り、応募してみようかな。 
 
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野うさぎを見かけました。

2010年06月05日 04時27分48秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 家の横にまわったときなにか裏山で動いたようです。通路を見ると野うさぎの子どもでした。写真を撮ろう玄関からカメラを持ち出し、裏山の通路にそっと上がっていくと野うさぎは跳びはねながら竹薮のほうに隠れてしまいました。(写真は撮れませんでした。残念!)
 一昨年になるでしょうか。裏山で野うさぎを見かけました。親うさぎの大きさでピーターラビットのような色でした。家の窓からガラス越しに見たのですが、このときはなにかの気配を感じてさっと竹薮に姿を消しました。あのうさぎの子どもでしょうか。
 竹薮のままだと草は生えません。竹を切ると日が当たるようになり、草が生えてきます。その草を食べにきてくれたらうれしいのですが。
 小鳥の餌台は二箇所に設置したままでその後なにも置いていません。水と砕いた大豆を置くようにします。去年選別したクズ大豆は5キログラム以上ありますから。竹を切ったからでしょうか。ときたま野鳥を見かけるようになりました。引っ越して間もなく一度キツツキを見ました。また来てくれるとうれしいのですが。
 山の上のほうにはアオサギが巣をしているらしく、「クワー」という鳴き声が聞えます。カラスもよくやってきます。これでは小鳥たちは落ち着かないでしょう。
 それにしてもヒヨドリは油断もすきもない。落花生を110株植えて、20株残った苗に防護ネットを掛けるのを忘れていました。もう苗になっているし大丈夫と思って。ところが三つほどのポットは芽が出るのが遅れ、豆が割れて芽が出るところでした。それがヒヨドリに食べられてしまいました。
 道子さんは夜ナメクジ退治にハサミと懐中電灯を持って出ていきます。昨夜は夜盗虫を見つけて胴を切り、しばらくして見たらムカデが抱え込むようにしてその夜盗虫を食べていたそうです。やっぱりムカデは夜盗虫を食べるんだ! 話を聞いただけでも感動しました。
 ムカデは夜盗虫やゴキブリやナメクジを食べて7年も生きるのですよ。これで咬まなければもっとソンケイするのですが。
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またまたイチゴの宅配に。

2010年06月04日 03時54分46秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうの朝は6時から畑に行ってイチゴを採ってみました。6月になってもまだ赤い実が採れそうでしたから。最盛期には山盛り4杯採りましたから少なくなりましたが、それでもなんとか三杯ありました。これだけあれば孫に宅配できそう。
 というわけで神戸と加古川に宅配に出掛けました。そして二人で『ゆぴか』に寄ってイチゴ畑終了の打ち上げをしようと。ちゃんと入浴の用意をして出掛けたのに、途中でホームセンターに寄ったり花屋さんに寄って買物をしているうちに気が変わり(というかはじめの目標を忘れてしまい)帰ってきてしまいました。気ままな暮らしですがだれに迷惑をかけるわけでもないので、ま、いいか。
 今年の5月は毎週末孫たちが(というか娘たちが)やってきてイチゴ摘み。週の間には三回宅配し、まさに田舎のイチゴじいさんイチゴばあさんを完璧に演じきりました。「これが最後かなー」と思いながらイチゴの世話をしていると、ついつい「いまならできる」という気になり、サービスしてしまいまた。
 落花生を植えました。去年は40センチ間隔で100株でしたが今年35センチ間隔にしたら112株です。本には30センチ間隔と書いてありますがこれは少し狭い気がします。去年はポットで育てている間にナメクジになめまわされ、20株以上食われてしまいました。今年はナメクジにひとなめもさせなかった立派な苗です。雨が降りませんが水やりは数日でつくでしょう。
 トウモロコシが今年はいまのところ順調に育っている、と道子さんがうれしそうです。でも蛾は見逃してくれないでしょう。そうそう。足跡のあったアライグマですが、その後イチゴ畑に入った形跡はありません。あちこちおいしい獲物があってうちの畑まで手がまわらないでしょうか。そのうち我が家の畑を忘れてくれるといいのですがね。
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