古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

池づくりで頭がいっぱいです。

2015年01月30日 03時54分46秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 いま考えてみると池をつくるために穴を掘るまでは簡単なことでした。「ツルハシで掘って畦波板で囲い、水をためればできる」と安易に考えていました。
 しかし作業をしていく途中で雨が降り、水がたまって土に浸み込み、ぬかるみ、池づくりの大変さをだんだん思い知ってきました。山に降る雨水を池のまわりに逃がし、防水シートの下にわいてくる水用のマスをつける。
 値の張る防水シート『プールライナー』は届きましたが、まだ荷物を解いていません。5メートル×6メートルで18キロとずっしり重いシートです。「これを広げたらもうたためない。前段の作業を慎重にしなくては」とそればかりに思いがいきます。
 池づくりにとりかかる前にネットで調べて計画を立てればよかったのに、思いつきでヒョイヒョイとやってしまいました。でもここまでやったのですからなんとか仕上げたい。
 寒いのでたき火をしながら、あれこれ思案しています。
 それにしても去年から今年にかけて、この冬はよく降ります。畑の畝間はジクジクでなかなか入れません。12月中ごろに播いた六条大麦はようやく芽を出しましたがまだ麦踏みをするほど伸びていません。(11月中に播くべきでした)
 でもまあ、畑や山にすることがあって、元気に暮らしているので「ヨシ!」としましょう。
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東条町のコスミックホールは残してほしいです。

2015年01月28日 03時53分46秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 味噌づくりを終えてひと息。
 きのうはまず東条町で買い物。東条図書館で本を借り、近くの喫茶店「シンフー」でお茶。(山田錦をつかった、しっとりふわふわのシフォンケーキ)口吉川の郵便局に寄ったついでに手打ち蕎麦「稜庵」まで足を伸ばして昼食。(一番好きなメニューは「冷やかけ蕎麦」ですが、これは夏場だけ。お気に入りの「ざる蕎麦大盛り」にしました)
 一度忘れ物をとりに家に帰り、三木の図書館へ。イーオンに寄って用事をすませ、グリンピアの「杜の湯」に入ろうと寄ったら休園。「よかたん」に入って帰りました。
 平凡な一日ですが、母・妙子さんがショートステイで家にいないからできたことです。一日羽根を伸ばしました。
 ところでシンフーできいたのですが、東条町のコスミックホールを取り壊す方針が打ち出され、いま反対署名をしているそうです。
 あそこで音楽を聴くと気分がよくなる。そんな素晴らしいホールです。聴衆だけでなく演奏者も多分。
 今年の「木管コンクール」はクラリネットの番だから(フルートと一年交代)、また3次予選でモーツアルトのクラリネット協奏曲が聴ける。(一昨年は12人の出演者のうち8人聴きました。30分×8人で240分。堪能しました)そう思っていたのにどうなるか。
 演奏会は少ないですが、去年は関西フィルのチャイコフスキー交響曲第5番を聴きました。わくわくする演奏でした。紺野美沙子/草刈正雄の演劇を観ました。こころがしっとりしました。
 そのホールがなくなってしまうというのか。
 何の力もないけれどせめて署名に協力しようと用紙をもらってきました。
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今年の味噌を仕込みました。

2015年01月27日 03時18分31秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは年に一度の「味噌を仕込む日」でした。
 朝、ショートステイ中の母のところに顔を出し、その足で稲美町の麹屋さんまで、注文してある麹をもらいに行きました。大豆は大鍋5杯煮て、麹は24キロ使います。
 電動ミンサーを出して組み立て、寿司の手桶とかバットを並べてセッティングし、道子さんは麹をほぐしながら塩と混ぜておき、準備完了です。
○ 大豆をミンサーで潰す  麹と混ぜる  味噌玉をつくる  4斗樽に投げつけて空気を抜く(重くなるので4斗樽は2つ使って、半分くらい入れます) 道具や容器を洗って片づけ、掃除をする  …… と夕方暗くなるまでかかりました。
 味噌は仕込んだら一年間は発酵させて食べるのがふつうですが、うちは5月頃から「新味噌」を賞味します。これがまたおいしい。たのしみです。
 電動ミンサーを2010年に買ったときは「いい歳して、いつまで使えるだろう」と気になりましたが、これで6年使いました。年に一度ですがよく役に立っています。麹屋さんに予約すれば貸してもらえますが、予定を立てても予約できなかったり、稲美町まで返しに行かねばならないし。買ってよかったです。
 作る味噌の「量」はそのうち減らすことになるでしょうが、今年は例年のようにつくれました。まずは ″めでたし″ です。
  
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「味噌づくり / 池づくり」をしました。

2015年01月26日 03時38分03秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは曇った日でしたが、ぼくは「池づくり」、道子さんは「味噌づくりのために大豆を煮る」で一日をすごしました。
 写真は畦波板で囲んだ池です。(向こうに見えるのがキウイの棚です)畦波板の縁は木をビス止めして、上から不要な毛布・カーペットなどをかぶせ、尖ったところを無くします。池の中にはブロックや材木の切れ端などで <縁の浅いところ / 中央の深いところ> をつくります。(水生植物を植える水中の棚にします)
                     
 仕上げは防水シートです。プールライナー(5メートル×6メートル)を注文しました。池の縁にかなりはみ出しますが、これは先の方まで伸ばして縁の溝を防水します。山の池ですから雨が降ると泥水が池に流れ込む心配があります。池の縁に溝をしっかりつくって、雨水を下に流したいのです。縁を10センチ高くするつもりなんですがどうかな。
 道子さんは5つの大鍋に一日中「付きっ切り」で大豆を煮ました。10時間以上煮ます。IH/携帯コンロ/丸型の石油ストーブで煮るのですが、吹きこぼれると美味しい大豆のエキスがこぼれてしまうし、煮詰まると焦げてしまいます。携帯コンロはガスを何度も入れ替えねばならないし、ほんとに目が離せないのです。引っ越した当初はウッドデッキにコンパネで風防コーナーをつくって、携帯コンロや練炭コンロを使って煮たこともありますが、いまは寒いし室内で。でも水を吸った大豆でいっぱいの大鍋を持ち上げて、ガスボンベを入れ替えるのが大仕事です。
「いつまでできるかなー」道子さんのつぶやきが、妙にこころにしみました。
   
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「池づくり」 / 「味噌づくり」

2015年01月25日 03時31分24秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 我が家の「手前味噌」はどなたにも「美味しい」とほめていただきます。道子さんの味噌づくりは年季が入っており、自家栽培の有機無農薬大豆と皇帝塩で、今年も味噌を仕込む季節がやってきました。
 昨夜道子さんは、大鍋5つに大豆(1,5キロずつ)を入れて水にかしました。今日は一日中大豆を煮ます。5つの鍋を見張りながら、吹きこぼれないように、大豆が水を吸って焦げつかないように、水を足しながら大豆があめ色になるまでじっくり煮るのです。娘たちは、子どもの頃「あめ色になるまで煮た、味をつけてない大豆をおやつに食べさせてもらった」ことを今でも語り草にします。
 あしたは麹をもらってきて、電動ミンサーで大豆をすり潰して仕込みます。2010年に電動ミンサーを買ったときは、「70歳を過ぎてから年に一度しか使わないような機械を買って、いつまで味噌づくりするつもりだ」と自問しましたが今年で6回目。10回は使うでしょう。充分役に立ってます。26日が過ぎればお貸ししますよ。
 池づくりのほうは、きのう畦波板の補強作業をしました。まず排水ポンプですが、とても元気よく排水してくれました。池の底のほうはヒシャクやチリトリで泥といっしょにすくい取りました。注文したプールライナーが届くまでに畦波板を固定し、古い毛布を敷き詰めておきます。(プールライナーを傷つけないように)池のレイアウトの砂や石はプールライナーの上に置きます。出来上がるまでの工程がたのしみです。山仕事/畑仕事はあるのですが、しばらくは池づくりです。
 NHKが「全豪オープン」テニスの試合を放送するので錦織圭の活躍を見てしまい、時間をとられます。(わくわくします)なお大相撲は朝青龍の引退後一切見なくなりました。白鵬がいつも優勝していますが関心を持たないようにしています。
 そもそも朝青龍に引退を強いた成り行きですが、「相撲界が彼を育てられなかった」のが問題です。親方は、そして相撲界は、多少やんちゃな朝青龍を、立派な力士に育てるべきだった。白鵬が上がってくる前、毎場所コロンコロン負ける別名「カド番大関」ばかりの大相撲で一人横綱で頑張っていたのは誰だったか。横綱がいなくて弱い大関ばかりだったら大相撲はつぶれてた。白鵬が上がってきたら「やれやれ、やんちゃ坊主をほうむれる」とばかりに引退させる。
 前にこのブログで書いたことがありますが、横綱・琴桜はわが郷里・鳥取県倉吉市の出身です。同級生の鎌谷くんの弟で、家も近く中学時代から知っています。その彼が親方をしていた頃、朝青龍のことをずっと気にかけていました。朝青龍も、こよなく気にかけてくれる他所の親方に敬服するところがあったのではないかと推察します。
 朝青龍の笑顔は善良そのものです。やんちゃな若僧だけどしっかり育てようという気があったら立派に成長してくれただろうに。そしたら白鵬一人だけでなく本当の対決が見られたであろうに。
 これからも大相撲は見ません。
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「大変な決断だった」と思いました。

2015年01月24日 04時19分57秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 2005年というと11年前になりますが、その秋に「田舎暮らしをしよう」と空き家を探しはじめました。あちこちの不動産屋さんに電話を入れ、空家物件を紹介してもらうのです。空き家のファックスがいっぱい入ってきました。「これだ!」と思う物件があると不動産屋さんに案内してもらい、25軒は空き家を見たでしょうか。
 田舎暮らしも9年目になるのに、いまでも「あんな空き家もあったなー」と思い出すことがあります。数日前東条町に出掛けたときも、「むかし不動産屋さんに案内してもらった空き家」を思い出して訪ねてみました。
 中を見せてもらった古い家は壊され、新しい家が建っています。道をへだてた菜園用の畑や倉庫の残骸はそのままです。「ひょっとしたらここで暮らすことになっていたかもしれない。古希近くなってから <街の家を処分して見ず知らずの田舎で暮らそう> なんて、よくも真剣に考えたものだ。いまだったらとても考えられない大冒険だ」と <遥かなむかしをふり返る> 思いでした。
 大冒険をしようとしているときは「怖さ」や「心配」が吹っ飛んでいたのでしょうか。
 自分で切り拓いたような気になっていますが、ほんとうは何かに背中を押されなければ一歩も動けなかったでしょう。
 では何が? 何か舞い降りたか。何かに憑(つ)かれたか。
 その <X> は自分にもわかっていない気がしました。人生の不思議というのか。
 水浸しになって裏山の池づくりはひと休み。きのうは排水ポンプを待って待って一日暮らしました。届いたのは暗くなってからでした。
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『排水ポンプ』で池の穴にたまった水をくみ出します。

2015年01月23日 01時34分53秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 アーあ、雨か。
 自然のすることだから仕方がないけど。もう一週間だけ降るのを待ってくれたらよかったな。
 池用に掘った穴に水がたまってしまいました。裏山は粘土質なので水が引きません。早くくみ出して干さないとドロドロの沼みたいになります。「ストーブに灯油を入れるポンプに、ホースをつけてくみ出そうか」と思案しましたが、池の穴の上まで雨水が流れ込んでいます。そんなものでくみ出せるような生易しい水量ではありません。
 池をつくるとなれば、これから水をくみ出さねばならない事態もあるでしょう。この際思い切って排水ポンプを買おう。
 ホームセンターに行ってみたら汚水用電動ポンプは2万円以上します。ちょっと高すぎる。ネットで調べたら8千円ほどでリョウビの排水ポンプがありました。使用者の感想を見ると性能に問題はないようです。早速アマゾンに注文し、今日届きます。すぐに排水に取り掛かります。
 防水シートは『プール・ライナー』にしました。「ブルーシートでは池の防水はできない」と書いてあります。プールライナーは、値は張りますが15年以上もつ丈夫なシートだそうです。
 裏山の木々の寒肥や剪定は後まわしにして、当分池づくりに精を出します。 
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池づくりに打ち込んでいます。

2015年01月22日 02時13分05秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
『ビオトープ』づくりは佳境に入っています。
 寝ても覚めても「どのように強い池にするか」と思いめぐらして、頭がフル回転しています。畦波板を内と外から鉄筋で押さえる案はやめます。池の縁に接する四角形を材木でつくり、池の周囲にはめます。垂木でつくった杭を深く打ち込んで、四角形の枠をビス止めします。その枠に畦波板をとめて支えます。内側からも土を突き固めて支えます。
 池の中は水が対流するように、<深いところ/浅いところ>をつくります。ネットで調べたら、池づくりの防水シートは『プールライナー』がよく使われているようです。きちんと寸法を測って注文します。
 道子さんに「昼寝しないで仕事してるね」といわれてしまいました。そういえば3日ほど昼寝していません。
 思い出しました。2006年12月に引っ越してまず手掛けた仕事は「ウッドデッキづくり」でした。完成までの一カ月余り、来る日も来る日もデッキのことで頭がいっぱい。寝ても覚めてもいかに強いデッキをつくるか思案して、夜中に起きてはあれこれ考えてメモし、朝起きるとすぐ仕事に取り掛かりました。
 勤めていたときから昼寝常習犯だったぼくが、昼寝をしませんでした。道子さんに「エッ? 昼寝しないの?」といわれるほど打ち込みました。
 ビオトープの池づくりにも相当打ち込んでるな。
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ビオトープづくりに打ち込んでいます。

2015年01月21日 01時04分40秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうはホームセンターで畦波板(高さ40センチ)を買い、6枚をつないでみました。一周<7,2メートル>の、ひょうたん型にくびれたビオトープにします。
                     
 道子さんは、「ひと月ほどかけてぼちぼち、ツルハシトシャベルで池を掘る」つもりでした。ところが池のイメージができると力がわいてきて、ぼくもちょっと手伝い、夕方には掘り上げてしまいました。写真は、出来上がりをイメージしようと、地面に波板を置いてみた昼前の様子です。
 きょうは池の底を整地して、畦波板を支える鉄筋を打ち込み、土で固めようと思います。雨が降らねばいいのですが。
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枯れた竹はよく燃えます。

2015年01月20日 01時42分58秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 ブログをチェックして「どんなふうに『竹藪退治』にチャレンジしてきたか」ふり返ってみました。

2006年 12月 …… 家が建って引っ越し、2007年2月まで「ウッドデッキづくり」に連日精を出しました。
2008年  冬  …… (まだブログを書いてなかったときで何をしたか忘れました)家の裏に物置小屋をつくったかな。
2009年  冬  …… いまの「大工小屋」兼「農作業小屋」を建てて、棚をつけました。
2010年  冬  …… チェーンソーを買って裏山の枯れ枝を切り、竹を伐って積み上げました。
2011年  冬  …… 竹を裏山の頂上まで伐り上がりました。
2012年  冬  …… 南の急な斜面のほうの竹を伐り上がりました。
2013年  冬  …… 裏山にブロックで炉をつくり、「たき火BBQ」をはじめました。竹伐りはひと休み。
2014年  冬  …… 足場パイプでキウイの棚をつくりました。もらった足場板でデッキ風にしました。
2015年  冬  …… 道子さん念願の「ビオトープづくり」。高齢になっても頂上まで登れるようにする。

 写真は「枯れた竹の薪」です。積み上げていた竹を引き出して短く切りました。畑で野菜カスや刈った草を燃やす燃料にします。
                        
 この枯れた竹は燃えやすいです。火力もあります。写真に積み上げた竹の壁が見えていますが、これを全部片づけようと思ってます。ビオトープづくり / 竹の片づけ / 山道の整備 / 植えた木々に寒肥をやる …… これから「冬の山仕事」が本番です。
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『ビオトープづくり』が始動しました。

2015年01月19日 03時37分33秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 道子さんは数年前から「ビオトープをつくりたい」といってました。裏山に「小さな池をつくったらいいような」低いところがあるのです。ぼくは「小川はないし、やぶ蚊は多い。水溜りみたいな池をつくったら蚊の猛襲をうけることになる」と乗り気でありませんでした。ところが〈 you tube 〉でメダカとボウフラの実験を見て、ビオトープづくりの意欲がわいてきました。
「水槽にボウフラとメダカを入れるとどうなるか」を実験した映像です。メダカはボウフラを食べるので、ボウフラは逃げて底に沈みます。ところがボウフラは数分おきに水面に顔を出さないと生きられません。(そんなこと知りませんでした)我慢しきれなくなってボウフラが水面に上がってきます。そこをメダカが食べるのです。
 道子さんはツルハシで地面を掘り、ぼくは杉の角材で斜面を土留めし、工事に着手しました。まだ細かいところまでイメージがわいていませんが、畦波板6枚つなぎの大きさにしようかと考えています。それだと直径が2メートル以上になって大変かな、と思ったり。
                      
 写真の黄色のバケツあたりが、掘っているところです。ブルーシートでは防水できないそうです。ネットで「遮水シート」を調べて買うつもりです。また仕事ができたけど、ぼちぼちやります。「たのしんで」を忘れないようにして。
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『ピンピンコロリの法則』を読んで、妄想しました。

2015年01月17日 03時52分46秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 星 旦二さんの『ピンピンコロリの法則』という本を読みました。副題は ≪「おでかけ好き」は長寿の秘訣≫ です。内容を一行でまとめると「寝たきり老人なんかにならないで、元気に生きてコロッと死にましょう」です。そのために心掛けることをいくつかあげています。一部だけ紹介してみると。

○ 運動すると長生きする。
○ お酒は適量なら毎日でもいい。でも禁煙はしよう。
○ 家にこもっていないで、とにかく外に出よう。
○ 買い物好きは長生きできる。
○ 病院より美容院に行こう! 「見た目」はとても大事。
○ 夫は妻が死んだら要注意。男女とも、独りになったらペットを飼おう。
 
 別に目新しいことではありません。いま老人の間では「終活ブーム」で、棺桶体験もあったりします。そして老人みんなの願いは一つ。NNKにならないでPPKで逝くこと。元気に生きてコロッと死ぬことです。
    NNK …… ネン・ネン・コロリ (Nen・Nen・Korori) の頭の文字。
    PPK …… ピン・ピン・コロリ (Pin・Pin・Korori) の頭の文字。

 ポックリ寺やポックリ神社があちこちにあるようですが、うちの村の裏山も『ピンコロ山』、登る山道は『ピンコロ坂』、山上の祠は『ピンコロ神社』、お祀りしている神様が『ピンコロ大明神』てなことになってもいいかな。などと、しょうもないことを妄想しました。
 でも「死ぬ」のは大仕事のようです。身近かな九〇歳超の人が年の暮れに危篤になり、子らが入院先に呼ばれました。外国に駐在していた子も。しかし持ち直して年を越し、いまも意識はあるそうです。子らは一旦それぞれ帰っていきました。
 おそらくそんな話がいっぱいあるでしょう。「寝たきり」が数か月に及ぶのは仕方のないことで、いまからその程度の覚悟は必要だと思います。

 ところで「PPK」を逆にすると「KPP」。
 何のことか最近知りました。「きゃりい・ぱみゅ・ぱみゅ」(Kyary Pamyu Pamyu)ですってね。
 ちょっとした違いなのにえらい違い。
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やれやれ! よかった! これで図書館に本を返却できます。

2015年01月16日 16時46分52秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 去年の12月、大型活字本で阿川弘之の『山本五十六』(全5巻)を三木図書館で借りて読みました。年が明けて返却したとき第2巻だけありません。仕方がないので「延長貸出し」してもらい、もう一度家で徹底的に探してみました。しかしいくら探してもありません。もし同じ本があれば弁償しようとネットで古本も調べてみましたが、古い大型活字本なんか出ているわけありません。「困った困った」と思いながら返却日が迫っていました。
 そんなとき三木図書館から電話がありました。
「あなたは大型活字本の『山本五十六』第2巻を借りておられますね。落とし物として警察に届いているので受け取りに行ってください」
 よかった! ずっと気になっていましたがどうしようもありませんでした。ホッとしました。
 早速三木警察に本を受け取りに行きました。これで次の返却日に全部返すことができます。
 きっと、どこかの駐車場で車から落ちたにちがいないと思いましたが、見当もつきませんでした。
 緑ヶ丘のコスモス(薬局)の駐車場に落としていました。どなたか店に届けてくださり、店の方が警察に届けてくださったそうです。ありがとうございました。
 日本は、いい人たちが住んでいる、いい国だな、とつくづく思いました。
 
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 佐野洋子の『死ぬ気まんまん』 を読みました。

2015年01月15日 04時14分36秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 作家の佐野洋子(『100万回生きたねこ』で絵本作家として知られる)は72歳で亡くなっています。彼女が乳がんで余命2年と宣告されてから書いたエッセイが『死ぬ気まんまん』です。
 〈がん闘病記〉は山ほどあり、ときどき図書館で借りて読みます。癌と告げられ、人は「怒涛のようなこころの遍歴」と向き合います。それをどのように伝えるか。人さまざまです。印象に残っている本も少なくありません。ジャーナリスト・千葉敦子の『死への準備日記』には強さを、作家・中野孝次の『ガン日記』にはどこか従容と受け入れる寛容を、女医・小倉恒子の『女医が乳がんになったとき』には<意識の広がりと連帯>を感じました。みんなが物凄くマジメに生きようとしてるんだなー、と感心しました。
 で、佐野洋子の『死ぬ気まんまん』から彼女の「痛快な見方」をいくつか引用してみます。


 私はガンになっても驚かなかった。  二人に一人はガンである。 ガンだけ威張るな。もっと大変な病気はたくさんある。 …… ガンは治る場合も大変多い。治らなければ死ねるのである。皆に優しくされながら。私はウツ病と自律神経失調症の方がずっと苦しくつらかった。 ……  私はガンの人には同情できないが、神経系統の病気の人には心優しくなる。  ……  私は闘病記が大嫌いだ。それからガンと壮絶な闘いをする人も大嫌いだ。ガリガリにやせて、「現場で死ぬなら本望」と(レポートなんかする)人も大嫌いである。

 私は死ぬのなんか何とも思っていないのに、余命平均二年と言われたので、すっかりその気になって言いふれまわった。すると周りが、私の周りの世間がセーターを裏返したように優しくなったのである。これを使わせていただいて何が悪かろう、と実に醜い心が、私の心の扉をたたくのである。優しいヒサちゃんは、筑前煮や、竹の子ごはんや、おいしいゆばとかをほとんど毎日とどけてくれる。 …… ただの麻雀友達なのに、「今、西友にいるけど、何か買って行くものない?」 でも私は、カレンダーに×をつけていった三億円犯人みたいに、この世から解放されるのを待っているのだ。

 先日、先生が何か注射してくれたら、頭が一日で、ツルッパゲになってしまった。 …… 帽子を買ってもらったりしたが、私は帽子が似合わない。ので、家の中にいる時はツルッパゲのまんまにした。ツルッパゲになってわかったが、私は頭の形がいいのである。そして、ツルッパゲになった私を見ると、私は初めて、「私」そのものになった気がした。
 そして気が付いた、私は顔だけブスなのだ。若い時、私は自分の手と足にほれぼれしていた。全体から見ると顔の面積などいくらでもないのだが、女は顔が命なのは70年間じっくり味わった。私は利口ではないが、すごく馬鹿というわけでもないと思っていた。しかし、私は今度生まれたら「バカな美人」になりたい。この間、鏡で顔を見て、「あんた、その顔でずっと生きてきたんだね、健気(けなげ)だったね、偉かったね」と言ったら涙が出て来た。自分の健気さに。
 

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『とんど焼き』が盛大になってうれしいです。

2015年01月13日 01時11分47秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 うちの村の老人会が「村の『とんど焼き』をまたやりましょう」と声を掛けたのは2010年(平成22年)でした。今年は「とんど復活」6年目になります。ぼくらも老人クラブのメンバーとしてお世話しながらたのしんでいます。今年はぜんざいをサービスすることにして、道子さんはいろいろ準備しました。去年は買ったお餅がイマイチでしたが、今年は老人会のメンバーについてもらいました。やわらかいお餅で、みんながおいしくいただきました。
 多くの村の人たちに参加してもらい、復活6年目は盛大なとんど焼きになりました。

 村の人たちがたくさん参加する行事になって、とてもうれしいです。
 子どもたちも来てくれました。老人クラブのメンバーはたくさん参加していますが、いろいろ都合があるのか子どもたちは少ないですね。
                     
 あれ!?  大志くんもいるみたいです。補強メンバーになってくれてありがとう。
 うちのお向かいの訪問看護ステーションの方にも手伝ってもらい、とっても助かりました。うちの村の「とんど様式」がほぼできた感じですから、来年から老人クラブ全体で取り組めるように計画します。
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