古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

田舎暮らしになぜ憧れる?

2009年09月27日 04時05分33秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 田舎に住むようになって『田舎に泊ろう』というテレビ番組が見られなくなっていました。でも光テレビにしたのでBSで古い放送が見られるようになり、きのうたまたま見て考えました。
 人はどうして田舎に憧れるのだろう。
 ぼくは山陰の田舎に生まれ、田舎で育ちました。二十二歳でやっと憧れの都会に出てきましたが西も東もわからず、阪神電車の特急に乗っても特急券がいらないことをはじめて知りました。たくさんの人間が交通信号を見てきびきび動き、電車やバスが次々とやって来て人を吸い込んだり吐き出したりする様子を眺め、自分もその活気の中に暮らせるようになったのをうれしく思いました。
 それから50年近く街で暮らしましたが、定年が近づいてきた頃から田舎で暮らしたいと思うようになりました。「ふるさとに帰りたい」ではなくどこでもいいから「田舎で暮らしたい」です。
 田舎に住むようになって気づいたのは心の顔が変ったことでした。退職後ぼくは須磨区名谷の家のまわりを毎日散歩しました。同じ道を毎朝歩くのがきらいで日によってコースを変え、あちこち歩きまわりました。こちらに来てからも散歩しています。でも人を見かけるとあいさつし、なにかことばをかけることが多くなりました。村の道を車が通ると運転している人の顔を見るようになりました。
 どちらかというと人見知りし、引っ込み思案だと自分のことを思っていましたが、自分のつけている仮面というかマスクというかそんなものがはずれていると意識するようになりました。
「70歳になるまでに田舎暮らしをしたい」と『神戸シルバーカレッジ』の仲間たちに話したら「みんな憧れるけどいまさらどうしようもなくて、街の隅で朽ち果てるしかないと思ってるんだよ」とうらやましがられました。彼らの本気の心情があとになって伝わってきます。
 田舎の人は純朴で善人だし街に住む人は人情に辛いというわけでもないのにこの心の開放感は? また考えてみます。
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かかしをつくりました。

2009年09月23日 04時52分17秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
『毎日が日曜日』というか『サンデー毎日』というか『全日空』というか。畑仕事をしていると曜日なんか忘れてしまいます。でも今年はシルバーウイークとかいって世の中の喧騒がかすかに伝わってきます。お勤めをもっている子どもたちが芋掘りにやってきました。
 案山子(かかし)をつくらせてやろうと待ち構えていたお爺さんとお婆さんは、早速孫たちをつかまえていっしょにつくりました。というか大人のほうが熱心につくって仕上げ、畑に立てました。
 でー、この案山子は畑に立って何を見張るのか。
 ふつう、案山子は田んぼに立って稲を見張ることになっています。しかし稲は植えてません。強いて役目を与えるとするなら大豆をハトが食べないように見張るくらいです。それなら11月に入って、大豆が乾いて落ちるようになってから立てればよい。それにハトは乾いた固い大豆はほとんど食べません。大豆を植えたとき芽を出すやわらかい双葉を好んで食べます。
 実は見張ってもらうことなんかどうでもよくて、とにかく案山子をつくって畑に立てたかったのです。それも大人たちが。というかお爺さんお婆さんが。だから案山子が立ったのを満足して眺めています。
 もうすぐ稲刈りの時期ですが案山子を見かけることはなくなりました。キラキラテープが張ってある程度です。そんなところに新参者が案山子を立てたりして目立つのはいかがなものか。
 と思わないではありませんがこれは高齢化するジリ貧農業への応援メッセージなんです。いま農業を支えている70代以上の人たちは、遠い遠い昔、祖先が稲を作り始めた頃からの『米つくり』が革命的に変化するのを体験しました。子どもの頃は牛に代かきをさせ、手で田植えをし、田を這いずりまわって草取りをし、鎌で畦の草を刈り、鋸鎌で稲を刈り、稲木に干し、足踏み脱穀機で脱粒し、籾摺り機でモミを摺り、水車で精米するのを体験した世代です。いまでは田植え機やコンバインが「アッ!」という間に仕事をしてしまいます。農薬や化学肥料は魔法のように効きます。夢にも描けなかったほどらくになりました。
 それがいいとかわるいとかでなく、そんな時代を生きてきた人たちへの共感と応援のつもりです。「ほー、案山子かー」とひと息ついてもらえたら。心に涼風がひと吹きするように。
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芋掘りでブログデビュー

2009年09月22日 02時11分42秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 写真は孫の『大志くん』です。このシルバーウイークにサツマイモ掘りにやってきました。もうすぐ4歳になります。おじいちゃん・おばあちゃんの畑にやってくると遊歩道や畝間をひとしきり走りまわり、近頃は手袋をしたら蛙やバッタも捕まえられるようになりました。
 最近家族で淡路島にドライブで出掛けたそうです。『ふきもどし館』というところに寄ったら、今年になって21000人目の入場者。記念品をもらい、写真をホームページに掲載されています。
      http://www.fukimodosi.org/  
の21000人目の入場者をクリックすると何枚も写真が載っています。それをお爺ちゃんはお気に入りに入れて、呼び出しては眺めたり。母性愛や婆性愛にはおよばないけど、爺性愛で孫の成長を応援しています。グーグルだと『淡路島 ふきもどし』で出ますので余程おひまならよろしくお願いします。
 実はひそかに、さり気なく孫のブログデビューを考えていたのですが、こんなストレートなかたちになりました。サツマイモは掘り頃です。『シモン一号』を試し掘りましたがまだ小さいです。順調に生育していますが、こちらは一ヵ月待って掘ったほうがいいです。
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収穫の秋レポート・芋の巻

2009年09月20日 03時50分42秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 畑は収穫の秋です。いろんな芋が実ります。
 きょう見ていただくのはこんにゃく芋。掘り出して洗い、ひげのような根を切って写真に撮りました。比較のためにふつうのコーヒーカップと並べていますが、胴回り55センチ、高さ18センチ。カボチャの大きさです。
 こんにゃく芋は掘り出して冬は凍らないように保存します。春にはまた植えて大きくし、秋に掘り出して保存。そういう育て方をしてこの芋は4年目ですが、こんにゃくを作るには大きくなり過ぎたかな。今年は講習会に参加してこんにゃくづくりにチャレンジします。来年の種芋のためにはもう少し先に掘ったほうがよさそうです。
 コイモを二株だけ掘ってみました。コイモプールは干していますが、となり上の田んぼは山田錦をつくっており水を落とすのが10月はじめになります。それまで水がしみてきてじめじめします。まだ大きな葉は青々として、高く伸びた茎は張りがあります。「掘るのはもうちょっと先にしてくれ」といっているようです。コイモプールがカラカラに干上がってからにしようかな。
 サツマイモは掘り頃です。バイオのベニアズマは大きくなりました。ナルトキントキも掘るのに充分な大きさです。
 今年は舟底式でなく垂直植えに近い斜めの植え方をしましたので、一株の芋数は多くありませんがその分株数を増やし、芋が大きくなっています。土もしっとりして掘りやすく、天気がよければ最高の『芋掘り』ができますよ。
 そうそう、今年植えた『シモン』はツルが生気にあふれています。最初に植えたほうを、きょうは一株試し掘りしてみようかな。
『安納芋』という種類のサツマイモは買ってきた一株を7月に植え直し、それから二株ツルをとりました。どれも元気よくツルが伸びています。10月中頃に掘ってみようかな。「芋は小さいけどトロッとして甘い」と書いてありましたがどうかな。でも掘るのが待ち遠しいな。
『アピオス』という芋は三株を鉢から移して植えました。こちらはツルも細く葉も小さくて邪魔になりません。元気に育っていますがどんな芋かよくわからないのでもう少し調べてみます。
 道子さんはいろんな芋をつくってみたい人ですが、今年はムラサキイモと沖縄のサツマイモをつくるのは、ぼくが反対してつくりませんでした。
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『分杭峠』に行きました。

2009年09月19日 03時45分36秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 伊那市のかんてんぱぱの工場を見学したあとはどこにも寄らず、まっすぐ高遠町の宿に向かいました。旅に出ると「今生ではもう来ることもないだろうからついでにあそこにも寄ろう」と欲張りたくなったものですが、古希を過ぎたいまはひたすら宿に着いて風呂に入ろうと思うばかりでした。
 夜中に目覚めてフロントでもらった観光地図を広げ、どこに寄って帰ろうかと眺めました。観光スポットはいっぱいありますがどうでもいい。長野に来たのだから高い山を眺め、ひなびた田舎を走ってみようと思いました。
 翌日フロントで尋ねると「道は細いけどそちらからでも駒ヶ根インターに行けます。分杭峠(ぶんぐいとうげ)に寄られたらいいですよ」とすすめられました。
 美和ダムという大きなダムに寄り、細い山道をゆっくり走って10時前に峠に着きました。30台は止まれそうな駐車場がありますが車は見かけないしだれもいません。ちょっと立派な小屋のような便所があるだけです。車をおりて峠の空気を深呼吸していると次々と車がやってきて、たちまち車や人がうろうろ。
 帰ってからネットで『分杭峠』(標高1424メートル)を調べてみました。気の出る場所・磁場ゼロ・日本一のパワースポット、あるいは地質学上の特徴などがいっぱい書いてありますから効能はそちらで。写真は駐車場から数十メートルほど下った山道で、急な斜面に粗末な板がとめてあり、そこに腰掛けてパワーを浴びるのです。一時間座って瞑想するのがいいそうですが、30分で切り上げました。敏感な人は強く『気』を感じるそうです。
 10年ほど前に中国の著名な気功師が発見したとか。テレビで紹介され休日は人でいっぱいになるそうです。便所以外に売店など一切なくて俗化していないのが気に入りました。帰ってからも写真を見るだけで気持ちのよくなるスポットです。
 
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『かんてんぱぱ』工場見学の旅

2009年09月17日 05時21分00秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 長野県伊那市にある『かんてんぱぱ』の工場見学に一泊で行ってきました。写真は本社事務所前にある『かんてんぱぱホール』内の喫茶店です。窓の外の手入れされた赤松林に9月の陽光がさし込み、心地よい風がわたっています。ホールで開催中の写真展を見たあとここでコーヒーを飲みました。心満ちるティータイムでした。
『かんてんぱぱ』はリストラなし、定年なしの社員を大事にする優秀な会社だそうですが、それを納得できる雰囲気をあちこちに感じました。休日は見学者で駐車場があふれるそうですが、ふだんの日も人はいっぱいでした。『にんげん』が大事にされる場所って、ぼくら人間は本能的にわかるのでしょうね。敷地に一歩入ったときから出るまでの数時間ずっといい気持ちでした。
 かんてんの材料になるテングサなどの残りかすを、肥料にして売っていました。「おいしいイチゴをつくるのに来年はこれを入れてみようか」ということで、小さな軽自動車に大きな海草肥料を三袋も買って積み込みました。なんだか効きそうな気がします。でも肥料のにおいは、シートでぐるぐる巻きにしても大きなビニール袋に入れても、旅行中ずっとついてまわりました。
 
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棟梁の腕前

2009年09月13日 03時49分59秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 やっと雨が降りました。一月ぶりの雨です。「雨が降ってよかったなあ」と植物たちのいい合う声が、裏の山でも畑の土手でも聞えます。
 畑仕事ができないので新築の家の見学会に出掛けました。我が家を建ててもらった棟梁の作品です。「相変わらずイー仕事してますネー!」と嘆声を上げたくなる出来栄えです。自分の大工の腕をひけらかすでなく、住む人が日々「心満ちてくる」仕上がりになってます。
 棟梁との出会いは三年前の8月でした。
 田舎暮らしをするにはまず住む家を、と数ヶ月中古住宅を探しまわりました。しかしぴったりの家にうまく出会わず、小さな家を建てて田舎暮らしをしようと心を決めました。住宅展示場を見てまわり、家を建てる心得本を読み、ハウスメーカーはやめました。そして地元の工務店で棟梁と出会いました。
 知人の建築士に「素人がそばで見たり手伝ったりするのを職人は嫌うよ」と忠告されましたが、棟梁は気持ちよく手伝わせてくれました。屋根裏の物置作りを指導してくれました。この「いい出会い」がぼくの田舎暮らしの出発でした。
 この「恵まれてる感」はその後もいろんな人と出会い、いまもづついています。だれに感謝すればいいかわからないから、裏山の愛宕さんにお参りして代表して感謝を受けとってもらうことにします。
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葛の花踏みしだかれて

2009年09月10日 04時50分22秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 朝の散歩をしていたら、道子さんが「葛の花が咲いてる!」と嘆声をあげます。写真に撮ってみました。この花なら見たことはありますが『葛の花』と意識したことはありません。
 そうか。これが葛の花か。と思ったら中学生の頃国語で習った短歌を思い出しました。

   葛の花踏みしだかれて色あたらし この山道を行きし人あり  釈迢空

 作者を確かめようとネットで調べたら「葛の花踏みしだかれて」で6000件以上。この歌はみんなちゃんと覚えていて、ブログなんかに引用してるんだな。名歌は、だれの心にも強い力で焼き付いていることを、あらためて感じました。
 そういえば何十年も前の秋、ポスターを見て感心したことがあります。こんな俳句が書かれていました。

   菊の香や奈良には古き仏達

 いまつくったばかりの俳句のように新鮮です。作者を見ると、松尾芭蕉。
 えっ! 芭蕉が歩いた頃の興福寺かいわいはどんなにさびれていただろう。東大寺のあたりはどうなっていただろう。それにしてもこの俳句。すごい!
 
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アライグマ捕獲用の檻は返しました

2009年09月09日 04時50分45秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 8月はじめに市役所農業振興課で借りた『アライグマ捕獲用檻』はきのう返しました。被害にあったスイカの写真を見てもらったら「アライグマが食べたみたいですね」ということで捕獲用檻を貸してもらいました。しかし犯人はカラスだったようです。アライグマには自分の食物を漁るルートがあり、一晩に4キロくらい歩きまわるそうです。アライグマも生きていくのに結構苦労してるんですね。
 もしアライグマが出没していたらトウモロコシ、サツマイモにも被害が出ていたでしょう。しかし檻に猫は掛かりましたが、作物の被害はまったくありませんでした。
 念のためもう一度チキンラーメンをくくりつけて檻を仕掛けてみよう。また掛かったら猫も懲りて来なくなるだろう。と思いましたがやめました。意味もなく動物をいじめないでおこうという気になりました。
 去年は畑にコオロギがいっぱいいました。堆肥箱のまわりなんか何百匹といて、いっぺんに十匹踏み潰せるかなと思うほどでした。
 今年は堆肥箱のまわりはゼロ匹に近い。次々と生ゴミを放り込みヌカをかけるので堆肥箱は醗酵して熱い。まわりの畦と遊歩道は草を刈り、かき集めて燃やしたので隠れる場所がない。畦の外側の土手は草が刈ってあって陽射しがきつい。うかうかしていると鳥や蛙に食べられる。コオロギは少なくなりました。
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水やりに時間をかけています

2009年09月07日 04時06分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 お盆前の集中豪雨のあと9月になっても雨が降りません。畑はカラカラです。いま花が咲いている黒大豆、落花生、剪定して再び花が咲きはじめたナスビなどに水が必要です。遊歩道や大豆の畝間も水分不足で草が伸びません。こんなにカラカラになっては水をしっかりやらなくては。
 家庭用ホースで上から水をかけてもあまり浸透しません。土が濡れたと思ってちょっと足で土を蹴ってみると、たしかに表面はどろどろになるほど濡れていますが、2センチ下は白く乾いた土です。
 大豆畑トラストをやっていたときは畑に入っている75ミリの太いパイプを開けて、畑全体に『畝間潅水』をしました。長さ45メートルの畝間15本に水を通していくのです。畝の両側から水が流れて途中でつながる場面を見ると、ぼくは中学生時代に見た『箱根風雲録』という映画を、いつも思い出します。
 せき止めていた板を上げ、濠(ほり)を走る水と競争するように百姓たちが土手を走る。「村の衆、水が来たぞ!」と歓喜の声をあげて水に飛び込み、みんなの笑顔がはじける。その歓喜の声が聞えるような気がします。
 いま畑にはいろいろな作物を植えていますから畑全体に畝間潅水するわけにはいきません。そこで水をやりたい畝間の両端に土をかき寄せてセキをして、ホースで水を入れます。でも家庭用ホースでは一つの畝間に水をためるのは30分以上かかるでしょうから42ミリホースに付け替えます。
 水量が圧倒的にちがうので見る見る水がたまります。土の割れ目を見るといくらでも水は入っていく。底のほうまでカラカラなんだな。水をやってよかった。自分がとてもいいことをしている気になります。
 どろどろになって泥のついた太いホースを取り回し、へとへとに疲れます。でもあちこちの畝間にコイモプールのように水がたまり、カラカラの畑がしっとりしてきます。「水をくれー」と声をあげそうだった作物たちのよろこびが伝わってきます。畝間にたまった水は一時間もすれば吸収されてしまいますが、大地の底がしっかり作物を支えてくれる手応えが快い。でも一雨ほしいなー。
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ささやかな奉仕

2009年09月03日 03時02分33秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 お盆前には集中豪雨があり佐用町で大きな被害が出ました。このあたりでも激しく雨が降り、道路の真ん中を川のように雨水が流れました。あとで散歩してみると道の中央に10センチ以上の溝ができています。場所は我が家から電柱二本分上った三叉路です。
 大昔からこのあたりはなだらかな山でした。ところがゴルフ場ブームと宅地開発の波が押し寄せ、一部分が一旦は宅地化されました。道は簡易舗装され、何軒か家も建ちました。でも我が家から上は宅地化され50区画くらいが売られたというだけで家が建つこともなく、何十年も放置されて草木の生えるにまかせてあります。
 我が家の前までは舗装された市道ですが、その先は簡易舗装のはげてしまった石ころだらけの道です。私たち数軒の住む高みに上がってきた車はここで方向転換して下りていきます。ところが道の真ん中に溝があるのでそれを避けようとすると三叉路での方向転換がうまくいきません。
 そこできのう石ころをかき寄せ溝を埋めて、車が方向転換できるようにしようと二人で30分奉仕作業をしました。写真は三叉路でぼくが石をかき寄せているところで、この上に人家はなく、ゴルフ場まで茂みと田んぼと池があるだけです。
 田舎では自分の家付近の道路ぎわの草を刈ったり、道の穴ぼこを埋めたりするのはよくあることです。口が動くよりまず体が動く。
 
 
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