古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

2019年を振り返ってみました。

2019年12月31日 22時40分23秒 | 古希からの田舎暮らし
 大晦日でしたが、ほぼ何もしない一日でした。
 何したかなー。 …… テレビを見たり/漢字ナンクロをしたり/本を読んだり(『山本五十六の乾坤一擲』鳥居民著)/昼寝したり/ちょっと掃除機を掛けたり/しました。むかしは大晦日といえば買い物に出たり、大掃除らしきことをしましたが、今日はどこにも出掛けず、家の外にも出ず、一日が過ぎてゆきました。

 2019年はどんな年だったか。
〇 年が明けても膝痛はうっとうしく、老健施設にお世話になっている母は弱っていくようだし、「母を看取ったら人工関節置換の手術するかな」と思うようになりました。
〇 3月に母が亡くなり、家族葬でおくりました。
〇 2018年8月には家の前の土地(65坪)を去年買い取って畑にしました。10月にフェンスをつけて真砂土を入れてもらいました。それを畑らしくするために耕し、土止めをしました。
〇 2019年4月、アライグマからイチゴを守るために「イチゴ・ネットハウス」をつくりました。金網や動物ネットで、頑丈なネットハウスにしました。アライグマは畑にも出没しましたが、イチゴは一粒もやられませんでした。イチゴではアライグマに完勝しました。大きなアライグマを捕獲して役所につき出しました。
〇 母の死後、膝の手術をうける気になりました。7月に手術を受けて、真面目にリハビリをして、膝の痛みから解放されました。
〇 眼の白内障は5段階の2程度でしたが、「手術するなら早いほうがいい」ということで12月に両眼の手術をしてもらいました。メガネなしで生活できるようになりました。
〇 前年に亡くなった弟のお骨/3月に亡くなった母のお骨/を納骨することになって、墓終い/永代供養墓にする/ことを今年やったのも大きな仕事でした。
〇 借りていた休耕田=一反三畝〈400坪〉は去年お返しして、「味噌用の大豆」は前の畑で作りましたが、5,7キログラム収穫しました。思いのほかよくできました。1月に味噌を仕込みます。

 

 
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お正月の準備を少ししました。

2019年12月30日 17時05分41秒 | 古希からの田舎暮らし
 大掃除は新しい年にすることにして、今日は《A4》の紙を半分に切って「幣」をつくり、メガネ飾りをつけました。
 メガネ飾りは3つセットで売ってあり、2セット買うと6つになります。そこで今年は6個所にお正月飾りをつけました。

 自動車と軽トラックに一つずつ。前の畑に一つ。(イチゴ・ネットハウスの入口に)
 毎年つけている裏山の登り口に一つ。

 今年は、裏山の山頂の祠=愛宕さん/祇園さん/には村の掟で登れません。(母が3月に亡くなったので一年間は村の神さまにお参りできない)メガネ飾りもつけられないので、裏の小屋に一つ。  
 最後の一つは、道子さんに山頂に登ってもらい、我が家の拝み石に付けました。ここは萌ちゃんと大志くんがつくった石の祠です。村の人はだれもお参りしないけど、我が家は全員が拝むことになっています。ぼくは膝痛で登れなくなってから、登ったことがありません。
 今日は雨でなかったら「杖を突いて登ってみようか」という気だったのですが、やめました。来年は手すりを丈夫にして、つかまりながら登れるようにします。
 
 
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「年の瀬」らしく働きました。

2019年12月29日 02時42分14秒 | 古希からの田舎暮らし
 きのうは「年の瀬」らしく働きました。
〇 この数年は門松を飾るのをやめていましたが、竹を伐ることを思い立ちました。丸鋸で切るとカタチができるので写真のようにつくりました。

 道子さんが葉牡丹で飾付けて、いい門松になりました。
 そうそう、忘れないように書いておこう。右上の玄関チャイム・ボタンですが、今年の秋口に鳴らなくなりました。耳が遠くなり、一箇所のチャイムでは聞こえないときがあります。それで枕もとと台所で鳴るようにしています。
 押すボタンは、ワイヤレスで電池で作動します。それが宅配の人に「鳴らない」といわれました。電池切れ。来年6月にはまたボタンの電池を替えなくては。「覚えておく」はむずかしいけど、ときどき思い出して「再認識する」ことにします。
〇 新聞や折り込み広告/段ボール箱がたまっているので、軽トラで回収ボックスに持っていきました。田舎は所どころにコンテナの回収ボックスがあるので便利です。いつでも持っていける。
 その回収ボックスですが、新聞・紙類の投入口が狭くて、奥は空なのに入口でつかえているときがあります。ステッキのような棒があると、押し込んで入れることができます。これも「再認識して」おいて、この次は竹の棒を持っていくことにします。コンテナの横に置いておけば、また使ってくれる人もあるでしょう。
〇 先日10人で団地清掃した山すその道ですが、また葉っぱが少し落ちてます。回収コンテナからの帰り道「きれいに掃こう」と思い立ち、道子さんと二人で竹箒で掃きました。30分もかかりませんでしたが、これで清々しい新年が迎えられます。
〇 注文していた3Dの絵本が届いたので、食卓近くに置いて食前に見ています。白内障手術のあとは、毎日目薬をさす必要があります。目薬は3種類。一つさしたら5分あけて次の目薬。それを一日に3回。老人で時間はありますから、タイマーで5分をはかってさしています。
〇 窓ふきや大掃除は寒いので後まわし。ワックスがけはどうしようか。思案しています。
 年の瀬。体が動いて、終焉のときまでこんな風にすごせたらいいけど。
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3Dの絵本を4冊買います。

2019年12月26日 21時48分11秒 | 古希からの田舎暮らし
 両目の白内障手術をしてよく見えるようになったのですが、朝起きたときはかすんだような感じになります。目の筋肉のトレーニングというか、眼の運動というか、そういうものが必要です。でもどうしたらいいかわからない。
 実は今日は歯医者さんに行く日でした。歯のクリーニングを待っている間に、置いてある『3Dの絵本』を見ていました。しばらく絵を見ていると立体的に見える本です。
 ページをめくり、一つ一つの絵が立体的に見えると、また次にすすみます。本を見終わって遠くを見ると、さっきよりよく見える気がします。「3D絵本を見ると眼の筋肉のトレーニングになる」という(思い)がひらめきました。
「3Dの本」を買って、毎日見るトレーニングをしよう。水晶体を動かす筋肉のトレーニングになる。4冊まとめてアマゾンに注文しました。
 
 今日は11時歯医者の予約でした。診察がすんだら近くの「稜庵」で、蕎麦を食べる時間になります。道子さんは/かけ蕎麦(天麩羅付き)/ぼくは/ざる蕎麦(天麩羅付き)/。年越し蕎麦のつもりでおいしく食べました。
 渡瀬から東条町にまわり、東条町図書館で本を借り、甲南ホームセンターで竹箒を買い、「とどろき温泉」に入りました。
 何もしてない一日のようですが、ふり返ってみると結構いろいろやっているもんです。
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坂井希久子『妻の終活』を読みました。

2019年12月26日 02時10分51秒 | 古希からの田舎暮らし
 図書館の新刊コーナーで目にとまった本:坂井希久子『妻の終活』(2019年9月刊/祥伝社)を読みおわりました。ここ数年、本を読むのに時間がかかるようになりました。でも中味が気になって最後まで読みました。

主人公は70歳前の夫です。団塊世代で、会社人間で、亭主関白で、頑張って生きてきました。二歳下の妻は二人の娘を生み育て、娘たちはそれぞれ自分で生きていけるようになりました。
 妻に癌が見つかり、余命一年と告げられたところから話は展開します。 …… 妻は死亡し、葬式がすみ、娘たちは自分の世界に戻り、夫は独りで生きていくことになります。

 ぼくは八十二歳。妻は4歳下。娘二人。境遇は似てるような似てないような。団塊世代の10年先輩になります。この小説と同じような境遇の人はいっぱいいるでしょう。
 なんかなあ。あんまり身近なテーマで、どう言っていいか。
 いまは元気な老夫婦も、いずれ、どちらか先に死ぬんだよなー。
 
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清掃センターもクリスマス気分でした。

2019年12月23日 19時54分51秒 | 古希からの田舎暮らし
 土曜日は地域清掃でよく働きました。日曜日は第九の音楽会でひと休み。月曜日は年末の片付け・断捨離です。今日は軽トラに捨てる家具や陶器を積んで、清掃センターに持ち込みました。
 積み込みに時間がかかり、午後出掛けました。
 入口で車の重量が計量され、燃えるゴミ ⇒ 荒ゴミ(木材中心と金属中心に分けて)⇒資源ゴミ(プラスチック/ガラス瓶)⇒埋め立てゴミ(陶器/廃物のホース/汚れたプラスチック類など)と軽トラでまわっていきました。
 楽しみは〈埋め立て仕分け場〉前の人形たちです。
 クリスマス用の飾付けで、にぎやかでした。

 しばらく眺めて、「ほわん」とした気分です。明日がクリスマスなのにこんなにクリスマス用の飾りが捨ててあるとは。新しいのを買って、古いのを捨てに来たのでしょうか。
 帰り道、軽トラを運転しながら、反省しました。そうだ。年末になるのに「しばらく龍神さまにお参りしていない」。膝 ⇒ 眼と手術も無事にすんだのに。
 お参りしよう。龍神さまにお供えする卵が要るので、ジャパンに寄りました。駐車場の「椋の木」は葉が落ちて、枝が複雑に曲がりくねって広がっています。

 人間の脳みその血管や神経も、こんなふうになっているのでしょうね。
 帰るとすぐ龍神さまのお参りに出掛けました。龍神参りは軽トラでまわるのがいい。乗用車は似合わない。今日は「蛇が池」⇒「九文小池」⇒「福地池」⇒「佐の広池」⇒「無施池」⇒「雨ふらし」の神さまとまわりました。いつものように生卵・お酒・お塩を投げいれ、二礼・四拍手・一礼して不動明王の真言「のうまくさんまん …… うんたらたかんまん」を三回となえます。
 
 これは佐の広池の写真です。ここはイノシシの柵の扉を開けて、中に入って拝みました。ここには1メートル超の鯉がいるのですが、今日は姿が見えませんでした。
 
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いい響きの「コスミック・ホール」で『第九』を聴きました。

2019年12月23日 04時51分28秒 | 古希からの田舎暮らし
「自由席だから開場時間までに行こう」と1時に家を出てコスミック・ホールへ。1時30分開場です。1時15分に着きました。しかし駐車場は満車。テニスコートのほうに誘導されました。
 ホールでは入口に人があふれています。少し早めに開場。座席にすわり、ホッとしました。クラシック音楽ではなかなか人が集まりませんが、年末の「第九」は身近な人が歌うこともあって満席です。
 三木市でも明石でも、神戸でも、どこでも年末は第九の演奏会があります。ぼくも神戸に住んでいたときは、第九の合唱団に入って歌いました。『神戸フロイデ合唱団』は200人以上の団員で、ぼくの歌っていた頃は外山雄三指揮の大阪フィルハーモニー交響楽団でした。4年くらい歌ったかな。
「第九」は日本の年末の風景になっています。
 今日の第九は『北はりま第九オーケストラ』の演奏で歌います。といっても寄せ集めのオーケストラですから全曲はちょっと無理です。第4楽章だけ演奏しました。歌うほうは年季が入っています。「北はりま第九合唱団」は23回目の演奏ですから。
 なによりうれしいのはコスミックホールの音がいいことです。楽器より歌う声のほうがきれいに聴こえます。合唱もきれなハーモニーで聴こえる。少ない人数の合唱団ですが美しさと迫力のある合唱が聴けました。「からだ」と「こころ」に気持ちよくひびきました。
 第九は三木の文化会館でもやりますが、コスミックホールがいい。このホールはこのブログで何度も「ほめ言葉」を紹介していますが、もう一度。

 N響のコンサートマスター篠崎さん(バイオリン演奏会で) …… 「三田のホテルに泊めてもらい、高速道路で田舎の山の中を走るからどんなところに連れていかれるかと心配でした。このホールに来てびっくり。実にいい響きです。」  …… 彼はあれから毎年このホールで演奏会をしています。よほど気に入ったのでしょうか。

 日本センチュリー交響楽団の指揮者 …… 「この町の人が想像する以上に、日本の演奏家はこのホールのことをよく知っています。」(つまり、いい響きで、演奏しやすく、きれいに聴こえる)
 
 ぼくは、過去の、このホールでの演奏家(写真)を見て驚きました。チェロのミッシャ・マイスキーが演奏しています。 …… なんで? こんな片田舎に、どうしてマイスキーが来たんだ。よっぽどこのホールの響きがよかったのでしょうね。
 このホールでマイスキーのチェロを聴く。至福の時間だったでしょうね。うらやましい。
 
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今日は音楽会がある。忘れないで行こう。

2019年12月22日 03時26分10秒 | 古希からの田舎暮らし
 朝3時半。目覚めてパソコンに向かいました。
 思い出したのです。去年は、コスミック・ホールでの「第九音楽会」のチケットを買っておきながら行くのを忘れてしまいました。
 そうだ。去年は下の畑を片付けるのに必死だった。ほんとに必死だった。片付けたブロックや資材を軽トラに積んで、清掃センターに通いました。片付けた畑を何度も耕運しました。道子さんは、畑の土に埋もれてしまった防草シートを、力を振りしぼってはがしました。畳一畳大の生ごみ入れや焼却炉も壊して、木材は畑で燃やしました。
 あんな大仕事をやったのは、去年のことなんだ。今年だったら絶対にできなかった。はじめから「やる気力」が出ない。去年だからできたんだ。でもよくやったなあ。
 片付けに気をとられて、音楽会のことが完全に吹っ飛んでいました。
 それにしても、あの頑張りはわずか一年前のことなんだ。たった一年前なのに、気分は老いたなあ。こころが老いたというか。「年寄り気分」になってしまった。
 こころはいま、終活へ、終活へ、そのための断捨離へ、と流れていきます。
 でも今日はコスミックホールでの「第九演奏会」をたのしむことにします。
 
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道路の落ち葉をきれいに掃除しました。

2019年12月21日 20時01分50秒 | 古希からの田舎暮らし
 21日(土)は、街で言えば「団地清掃の日」でした。みなさんが9時から「山すその道」にとりついて、溝の落ち葉を片付けて燃やしました。三木市街のほうから畑づくりに来ている方も参加して総勢10人。一生懸命に働いて、100メートル余りの山すその道がきれいになりました。

 いいお正月がむかえられそうです。
 掃除を頑張った御近所のみなさん。

 前日までに道脇の草を刈り、斜面の笹も刈っていました。また雨の降らない日がつづき、溝の落ち葉も乾いていました。今年は掃除がやりやすかったです。
 
 もう一枚写真を撮るのを忘れていました。例年うちのウッドデッキで、作業のあとゼンザイとお茶で交流するのですが、今年は裏山のたき火を囲んでおしゃべり・交流しました。
 デッキと雰囲気がちがって、おだやかにポツンポツンと話が行き交いました。いい雰囲気でした。
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「迷路のイルミナージュ」を歩きました。

2019年12月19日 17時19分05秒 | 古希からの田舎暮らし
 両目の白内障手術がすんで一週間が過ぎて、温泉に入れるようになりました。
 18日には、フルーツ・フラワー・ホテルに泊まり、赤湯に入りました。いろいろあった一年の疲れがとれた気分です。ここの照明は巨大迷路になっています。去年より複雑な迷路になり、子ども孫連れのお客さんも見に来ていました。
 照明も見栄えがよくなって、見ごたえがありました。

 夕食も翌日の朝食もバイキングです。
 去年から4度目のバイキングで、同じものが出ていますからなれました。蟹の脚が山盛りに積んであります。「オッ! 蟹だ!」とお皿にとって自分の席に持っていく人がいます。しかし蟹好きのぼくは、動じません。4度目ともなるとわかってる。あの蟹はシガシガ。身は少し。おいしくない。だから手を出しません。
 膝はもう温泉療法しなくていいし、赤湯やバイキングは堪能したし、次を考えることにするかな。
 家に帰って昼寝して、午後は山すその、道沿いの、草を刈りました。いまは落ち葉がいっぱいの道路になっています。そこで明後日・土曜日に団地清掃で道路をきれいにします。その準備です。
 草を刈りながら、「こんなことができるようになったんだ」とうれしかったです。
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白内障手術も無事にすみました。

2019年12月17日 20時37分42秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は左目の白内障手術をして一週間目の診察です。
 お医者さんに「よく見えるようになりました。次は一か月後に視力検査などをします。」と言われました。「もう大丈夫です」と言われたようなものです。早速お祝いをしなくっちゃ。快気祝いも考えます。
 ということで明日は〈フルーツ・フラワー・ホテル〉で一泊します。赤湯の温泉に入り、ホテル中庭の〈イルミナージュ〉=(照明の巨大迷路)を見て、なじみになった〈バイキング食事〉をします。
 この前(10月30日)はサービスでついてくるスパークリングワインを飲んで酔ってしまい、夜は温泉に入れませんでした。アルコールはダメ。一滴も飲まずに夜も温泉に入ります。
 
 
 
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おばあちゃん、誕生日おめでとう!

2019年12月15日 17時04分23秒 | 古希からの田舎暮らし
 先日は道子さんの誕生日でした。日曜日に大志くん一家と萌ちゃん一家(萌ちゃんは自動車学校があって来れませんでした)が、ケーキを用意してお祝いしてくれました。孫にとっては「おばあちゃん」ですからケーキに書いてあるのは仕方ありません。

〈ささやかな〉お祝いが一番「しあわせ感」が深いですね。大判振る舞いだったり、豪華だったりすると、年寄りは落ち着きません。緊張して、こころがしっとりしません。
 足掛け3年かかった不明熱の余波も卒業できたし、運転免許証も更新できたし、前の畑は使いこなせるようになったし、道子さんにとってはまずまずの一年が過ぎようとしています。
 道子さんは新年早々白内障の手術をして、本がよく読めるようになる予定です。おじいちゃんは、膝や眼の手術の一年を乗り越えて、山仕事/畑仕事/などができるようになりそうです。
 ま、ぼちぼち生きるつもりです。
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『三木山落語』で笑いました。

2019年12月15日 04時24分16秒 | 古希からの田舎暮らし
 きのうは三木山森林公園に出掛けました。〈笑い納め…三木山落語〉がありました。料金は200円です。安くて申し訳ない気分です。楽しませてもらいました。
 八軒屋けん市さんは「LCC」(格安航空)をネタにしたお笑い/天神亭わら司さんは「読書の時間」/他に腹話術や篠笛などで面白く笑った2時間でした。落語家のおしゃべりはよく伝わりますね。耳が遠くなっているけどちゃんと聞けました。
 この落語会は18回目で、次は6月13日(土)ですって。電話で予約しておかないと入れないかも。ぼくたちは11月のはじめに予約していました。(予約は17番目でした)。
 
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道子さんも運転免許証を更新しました。

2019年12月13日 21時16分38秒 | 古希からの田舎暮らし
 75歳以上=後期高齢者の運転免許証更新は、いまは三段階です。
① 自動車学校で認知症テストを受ける。 …… 公安委員会で採点して通知が来る。
② 自動車学校で高齢者講習を受ける。 
③ 明石の更新センター(または警察署)で免許証を更新してもらう。

 昨日、自動車学校で高齢者講習を受けた道子さんは、今日明石の更新センターで免許証を更新してもらいました。ぼくが車を運転して明石まで。更新がすんだら「魚の棚」に寄るつもりでしたが、なんんとなくドライブしたくなって、野々池のほうまで車を走らせました。
 もう30年近く前のことですが、ぼくは野々池中学校に勤めていました。44歳から54歳まで10年間です。勝手知った道を少し走ってみましたが、「なつかしい!」とか「感慨深い」思いは浮かばず、サクサクした気持ちでした。当時は自分なりに中学校教育に打ち込んだはずなのに、過ぎてしまえばこんなものかな。
 
 そうそう。写真の35ミリフィルムとAPSフィルムはプラスチックごみに出して、捨ててしまいました。思い出の写真とか「貴重な家族の記録」があったかもしれないけど、そんなものを思い出したり、プリントしたり、整理したりするのが、面倒になりました。
 認知症になったときに「思い出の写真を見て、むかしの記憶をよみがえらせる」のがいいかな、と思ったけど、そんなことしなくていい。「あんなもの、なかった」と思えばいい。
 捨ててしまったら、スッキリした気持ちになりました。35ミリフィルムを写真にする機械も不要だったな。もう役に立たないけど「断捨離の学習代」と思うことにします。
 どうせ人生はムダなことだらけですし。
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松本清張『半生の記』を注文しました。

2019年12月13日 03時37分45秒 | 古希からの田舎暮らし
 松本清張の『半生の記』は、図書館で借りて何度も読んだ本です。大型活字本でも読みました。河出書房版でも読みました。読むたびに、心にひびくものがありました。
 いまも図書館で借りて、読み返しています。終活にむけて最後まで残しておきたい本も整理・処分しているところですが、『半生の記』は手元に置いて読み返したくなりました。
 82歳になり、終活中なのに、今ごろになって本を買うとは「どういう了見だ?」。
 自分に問いかけながら注文しました。

 本文を引用してみます。 松本清張 『半生の記』 1966年初版/1992年新装版 より
   
 砂を噛むような気持とか、灰色の境遇だとか、使い馴らされた形容詞はあるが、このような自分を、そんな言葉では言い表せない。絶えずいらいらしながら、それでいて、この泥砂の中で窒息したい絶望的な爽快さ、そんな身を虐むような気持が、絶えず私にあった。
 家の近くに廃止になった炭鉱があった。あまり高くはないがボタ山がある。私は一番上の女の子を連れて、夜、その山の頂上に立ち、星座の名前を教えた。山の端から昇ってくるサソリ座は赤い眼を輝かせ、図で見るよりは意外に大きな姿で昇ってくる。天頂には三角形に白鳥座と弓座とがある。私は子供に「あれがデネブだ」「あっちがアルタイルだ」と指さして教えたが、そんなことでもするより仕方なく、私の心には星は一つも見えなかった。

  
 文盲の母と道楽者の父の、親の喧嘩の絶えない、極貧家庭の一人っ子で、尋常小学校高等科を卒業すると給仕に雇われて一家の生活を支え、絶望しながら生きた時代を、松本清張は自分で書いています。抑制のきいた文から、絶望/わびしさ/が伝わります。
 若い頃、松本清張の小説はよく読みました。松本清張/遠藤周作/の文章は、眼に触れているだけで快い。まっすぐ入ってきます。そこに描かれている〈わびしさ〉も入ってきます。
 もし彼の人生が別の曲がり方をしていたら、「松本清張の作品を読むしあわせ」がなかったかもしれない。と思いながら、ときどき、読み返してみたい。
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