古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

あの『戦争』の本を、もう一度読んでおこう。

2014年05月29日 05時03分51秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 1937年(昭和12年)にぼくは生まれました。日本が中国を相手に戦争を始めた年です。
 でも「日本が戦争を仕掛けた」というと人聞きがわるので当時の軍部は『支那事変』と呼ぶことにしました。1939年(昭和14年)にソ連に戦争を仕掛けた、あの戦争を『ノモンハン事件』と呼んだように。
 大日本帝国陸軍が戦争の目的として掲げたのは「暴支膺懲」(ぼうしようちょう)でした。「暴支膺懲」とは「暴虐な支那を懲らしめよ」という意味で、「弱い支那(中国)の蒋介石軍は2か月で懲らしめられる。ここでお灸をすえてやろう」と思い上った態度で戦争を仕掛けたのです。
 戦争は、2か月どころか8年間も、ぼくがもうすぐ8歳になる1945年(昭和20年)8月まで続けられ、日本は負けました。
 ぼくらの世代が「ものごころついた」のは戦後で、学校で平和教育を受けました。そしてほどなく77歳になります。
 その間日本は戦争をすることなく、ぼくらは、あの「戦争」のいろんな話を聞き、いろんな映画を見、いろんな本を読み、いろんなことを考えて、生きてきました。
 人生の残りの時間に、「もう一度読んでおきたい戦争の本を挙げよ」といわれたら、ぼくは次の3冊を挙げます。
 
○ 柏木兵三 『長い道』
 残念ながらこの本はいま絶版のようです。でも大型活字本で神戸の図書館にも三木の図書館にもあります。また古本としては普通の値段で流通しています。ぼくも古本で入手しました。
 内容は「日本海側の田舎に縁故疎開した少年が、子どもたちの勢力争いの谷間でいじめられながら、すくっと成長していく物語」です。児童の疎開をめぐってはもっと悲惨な物語がいっぱいあります。この小説は歌にも映画にもなったそうですが、ぼくは知りません。少年の世界を活写した、というか、ぼくの心情に一番近い、というか。
 ネットで感想を見ると、若い人も読んで少年の世界を感じているようで、「これからも生きる本なんだ!」と思いました。

○ 加賀乙彦 『帰らざる夏』
 ぼくより10年早く昭和2年に生まれた、作家・城山三郎は予科練に志願して入隊し、毎日毎日殴られ、敗戦後「廃墟となって生きた」と書いています。敗戦のとき10代だった多感な少年たちは、あの戦争に若い命をかけました。だから日本が負けたとき「廃墟になって生きる」しかありませんでした。あるいは加賀乙彦のように「一度死ぬ」しかありませんでした。
 1929年(昭和4年)に生まれた加賀乙彦は、軍隊のエリートを育てる陸軍幼年学校に入学しました。小説の中で作家の等身大の少年は、敗戦を恥じて自決します。この作品を書かねば生きてゆけない、作家の命をかけた作品です。
 ネットで若い人たちの感想文を見ると、「この作品の力」がしっかり次の世代に伝わっているのを感じました。

○ 江崎誠致 『ルソンの谷間』
 作家・江崎誠致は1922年生れです。20代を兵士としてあの戦争で戦いました。ルソン島の戦いは「最悪の戦場」でした。それを記した本は多くありますが、この『ルソンの谷間』はそんな様子を伝えるだけでなく、戦争というものを、それを戦う人間というものを、正確に伝える作品です。何度も読み返している本です。今年また読むつもりです。
 
 
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ささやかな善意でこころにうるおいを。

2014年05月28日 02時57分30秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                         
 うちの村のゴミ・ステーションが先のほうに見えます。
 アプローチの道端の草が伸びてきたのできのう刈りました。これから田植えで忙しくなる村の人たちに、少しでも気持ちよさを感じてもらえたらうれしいです。ブロックで囲んだゴミ・ステーションの前にはビン回収用容器が置いてあり、その前の花は道子さんが手入れしています。コスモスがいっぱい苗立ちしていますが、はびこる感じになってきたので刈っています。いまはナデシコがいっぱい咲いています。
                         
 ゴミ・ステーションの角に、石ころがセメントでとめてあります。村の人にきいたら「これは大日如来やで」。どなたかガラスのコップを置いて花を挿しておられるので、きのうは道子さんがナデシコを挿して拝んでおきました。
 数年前、京都の西本願寺前を散歩したことがあります。細い路地を歩くと数十メートルおきくらいに、何か「いわれ」のありそうな祠があり、花が挿してあったり、団子が供えてあったり、でした。日本人は、町でも田舎でも、ことあるごとに何かを拝んで長い歴史を生きてきました。いまでも交通事故のあった場所にお地蔵さんが置かれたりしますが、そんなものが伝わっているのでしょう。
 神戸のニュータウンに長年住んで、そんなものから遠ざかっていましたが、ちょっとした祠や木立や道祖神があって、拝むところがあるのはいいですね。なんとなくこころがうるおいます。大事にしようと思います。
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『響子悪趣』を読みました。

2014年05月27日 05時55分21秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 東条町の図書館には二週間に一度本を借りに行きます。ここで借りなくても三木の図書館に行けばいくらでも本はあります。でも小じんまりして、ほとんど来館者のいない、清潔で、静かな、この図書館が、なんとなく好きなのです。自分の本棚みたいな感じがします。
 この図書館の入口には、借り手がなくなって廃棄する本を「自由に持ち帰ってください」と置いてあります。その中から、読むかもしれない本をときどき持ち帰って本棚に並べています。そんな本の中に、作家:三枝和子の小説『響子悪趣』(ひびきこあくしゅ)という本がありました。
 題名を見てもさっぱりわからないこの本を、なぜか3日前から読みはじめ、きのうは夜中に起きて朝方まで読んでいました。ミステリーや軽い小説とちがい、ねっとり絡みつくようでした。でも読むのをやめられなくて最後まで読みました。
 題名を見るだけで「凶々しい」感じがします。ヒロインの美しい女が、「ヒビキコ」という名前なのも「凶々しい」。でも確かな存在感を持って立ち上がってくる小説の人たちがぼくを離しませんでした。
 スローライフ。文字通りの晴耕雨読。わるくない。
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甲子園にプロ野球を見に行きました。

2014年05月26日 07時00分27秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは西宮の甲子園球場にプロ野球を見に行きました。友だちがバックネット裏席のチケットを送ってくれたのです。試合は《阪神 対 ロッテ》のセ・パ交流戦。テレビで阪神が勝ってたら「ちょっと応援する」程度の、「ゆるゆるのファン」なので、久しぶりに球場の雰囲気をたのしんできました。
 写真はあの「7回裏の攻撃が始まる前の風船飛ばし」です。
 阪神はなかなか打ってくれないし、「情けない!」思いで試合見てるだけでは「やっとれん!」でしょう。「人間はどんなことでもたのしみを見つけようとするんだ!」と感心しました。7回になるとあっちでもこっちでも風船をふくらませ、ときどき「パーン!」と破裂するし、試合なんかそっちのけで球場全体が落ち着かない雰囲気になります。
                        
 それにしても口吉川町から甲子園球場まではずいぶん遠い感じがしました。日頃あまり不自由を感じずに暮らしていますが、いざとなると街の暮らしとちがい不便です。
 それに久しぶりに歩いた街は、落ち着きがあって、ゆたかでした。三宮で途中下車して地下街を歩きましたが、自分のイメージにあるような街の場末感はなくて、「こころのゆたかさがここにもある」のを感じました。写真は大阪音大の学生がやっていた街角のサロンコンサートです。
                        
 甲子園球場もリニューアルされて、客席下の通路もどことなく便所っぽい空気感が消えていました。食べ物などの店も小ぎれいになっているし、銀傘の柱がなくなり特別な観客席までついていたり、街は街なりにゆたかになっているのを実感しました。
 
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映画『ネイチャー』を見に行きました。

2014年05月24日 03時47分16秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 母・妙子さんには毎月一週間ずつを2回、ショート・ステイをしてもらっています。
 ステイの間は一日おきに様子を見に行き、ノートに彼女の4人の子ども(つまりぼくたち)のことや孫やひ孫のことを書いたり、彼女の兄弟姉妹(ぼくからすると叔父・叔母)のことを書いてきます。口で言うのはすぐ忘れてしまいますが、ノートに書くと繰り返し繰り返し読んで、思い出してくれますから。
 こんなふうに母がショートステイするようになって3年目になりますが、母をステイ先に届けて家に帰るといまでもホッとします。
 きのうは映画『ネイチャー』を見に行くことを思いつきました。畑仕事はありますが「一息入れたくなった」のです。(道子さんはゆっくり車を走らせれば大丈夫だといいますし)高速道路は60~70キロ、田舎道や市街地は40キロ前後で走って、三田マイカルで無事に映画を見てきました。
 観客はぼくら2人だけでした。電気代だけでも「もったいない!」。
 映画の迫力はすごかった。ぼくらは2Dで見ましたが、もし3Dで見てたら、オグロヌーをナイルワニが襲うところなんか心臓にひびくかも。あんな映像が撮れるようになった時代に、ぼくらは生きているのですね。
 
 ことろで去年は全国的に『マイマイガ』(蛾)が大発生して問題になりました。「10年に一度くらい大発生し、一度発生すると2、3年はつづく」そうです。そういえば去年の秋はうちの裏山でも蛾がいっぱい飛んでいました。
 そして今年、畑には毛虫がいっぱいいます。裏山では毛虫が新緑の葉っぱをむしゃむしゃ食べまくっています。ハサミを持ち歩き、見つけ次第チョン切るのが一番安全な駆除の仕方ですが、それにしても数が多い。当分チョキチョキやるしかないようです。
 
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『メキシコマンネングサ』(?)が咲き誇っています。

2014年05月23日 01時46分22秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                         
 いま、玄関先の山への上り口は、写真のように黄色の花でおおわれています。元は道子さんがホームセンターで一株買った「草」ですが、ぐんぐん増えて写真のように斜面に広がってきました。名前を調べようと「黄色の花」で検索したら「マンネングサ」というところまではわかりました。多肉性の植物で千切って地面に挿すだけで増えていくそうです。屋根や地面を緑化するのに適した植物で背が高くなることはありません。
 ネットのいろんなサイトで「マンネングサ」の写真を見ると、「オノマンネングサ」/「モリムラマンネングサ」/「メキシコマンネングサ」がよく似た草で、そのどれかだと思います。いまのところ「メキシコマンネングサ」に軍配を上げておきます。花のアップ写真です。
                        
 我が家の前を散歩で通られる方は約1名(プラス 犬一匹 プラス 身内の方)おられるのですが、きのうは「きれいですね」と声を掛けてくださいました。
 道子さんはいまもコルセットをしています。重いものを持ったりしにくいのでぼくが手伝います。でも畑の草が茂る季節になりましたので、道子さんは苗を植えたり夏野菜の支えをしたり、ぼくは草刈りをしたり畝を耕運したり、それぞれに仕事があって畑に出ています。することは山ほどありますが「仕事に追われてる」気持ちはなるべく持たないように心掛けています。
 400坪もある菜園ですから畝間に夏草が茂るのは当たり前。全部の畝を管理できなくて当たり前。
 そんなふうに思いながらボチボチ仕事をしていると、案外うまく管理できて見苦しくない畑になっています。
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「セスジスズメくん、コイモさんが可哀そうじゃないか」

2014年05月21日 02時12分21秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 コイモの種芋を直に植えると毎年、種芋が腐ったり芽が出なくて欠株になるので、今年は畑で「芽出し」をしてから植え替えました。品種も「石川早生」をやめて「土垂(どだれ)」と「赤芽大吉」にしました。去年ちょっと植えてみた土垂と赤芽大吉がよく収穫できたのです。
 35株を植え替えて3日目。見まわっていたら「セスジスズメ」(コイモにつく蛾)がもう卵を生みつけています。
                         
 中央のコイモの芽に「仁丹」くらいの緑色の卵が一つ、くっついているのがわかるでしょうか。
 こいつがなかなかの曲者で、すぐにセスジスズメの幼虫になります。幼虫になるとこのコイモはもう生長できません。葉が出ても幼虫に食い尽くされてしまい、欠株になります。セスジスズメの幼虫は太さは小指ほど、長さは10センチになり、クロメンガタスズメと並んで幼虫の王様みたいなものです。ふつうの人が見ると「ドキッ!」として手が引っ込みます。素手でつかめる人は「しょうもない勇気のある人」か「虫愛ずる姫君みたいな虫好きの人」。
 こんな小さな芽に卵を生みつけるなんて可哀そうやと思わんか、セスジスズメくん。
 毎日見まわって卵をはらい落とすしかありません。
 今年はどうも虫が多いような気がします。
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『三世代交流・グランドゴルフ大会』に〈老人世代〉として参加しました。

2014年05月18日 18時36分09秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                      
 いつもの〈星陽グランド〉で、いつものように〈グランドゴルフ大会〉の開会式。
 でもなんだか様子がちがいます。
 そうです。これは『三世代交流・グランドゴルフ大会』なのです。老人はふだんからたくさんいますが、ここにはなんと貴重な口吉川小学校の小学生たちが、ずらーっと、並んでいるではありませんか。
 で、ぼくも「老人世代の一人として参加してほしい」と声がかかり、この大会に参加いたしました。子どもたちといっしょに過ごす時間っていいですね。グランドゴルフで「カーン」と球を打つ。ボールが転がる。打った子どもは猛ダッシュで球を追いかけて走る。
 その「ダッシュで走る」姿が新鮮に見えます。老人会でやるときは、球を追って歩くか、ちょっと小走りのポーズだけして歩くか。あんな猛ダッシュは絶対しない。
 人のプレーを見ているときも、子どもはグランドの金網に上(のぼ)ろうとする。一人だけそんなことをする子がいるのでなく、金網に取りついた男の子は、例外なくフェンスにぶら下がって、金網に脚を掛けて上ろうとする。「老人会でゲームするときは、あんなことする老人は一人もいない」と思いながら感心して見ていました。
 それぞれの村が、どのチームも和気あいあいの雰囲気で、心あたたまるひと時でした。
 さて、23日には、老人だけのグランドゴルフ大会があります。今年もまた、会計のぼくが「おやつ係」をします。おやつを買ってきて袋に入れる。老人会の仕事の中でも一番好きな仕事です。

 畑のほうは次々と夏野菜の苗を植え、畑に埋めて「芽だし」をしていた小芋も本植えしました。
 もうすぐ夏ですね。
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「田舎暮らしの初心」を思い出しました。

2014年05月17日 05時30分16秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                      
 軽トラと軽自動車を左右にとめている、我が家の玄関先の写真です。若葉の季節が過ぎ、しっかりした緑の道が山の田につづいています。毎日見ている景色で、何の変哲もありません。
 実は尼崎に暮らす身内の人が数日泊まりに来て、「この緑のトンネルが素晴らしいわ! 目に焼き付けて帰りたい」とよく眺めていました。緑の濃くなった裏山も、キウイの棚も、田植え準備がはじまった田んぼも、彼女には新鮮な景色だったようです。
「そうだった。朝起きて玄関を出るとき、この道を眺めては田舎暮らしの喜びを感じたものだ」と、この地ではじめて体験した初夏・2007年5月を思い出しました。
 引っ越して間もなく村の全戸集会があり、街灯が少なくて「月明かりの夜道を歩いて村の寄り合いに参加した」のも新鮮な感覚でした。「月明かりをたよりに夜道を歩く」のを、子どものころ体験したはずですがすっかり忘れていました。
                      
 これはウッドデッキから東を眺めた、夕方5時前の写真です。我が家は裏山の陰になり、西日が田舎の景色にあたっています。ぼくたちにとっては毎日見るありふれた景色です。しかし強い西日があたると田舎の景色がくっきり見えます。引っ越したころはそんな眺めがとてもうれしかった。
 田舎暮らしも8年目ともなると『初心を忘れる頃だな』と思いました。
 
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この国がおかしくなっていきます。

2014年05月16日 04時36分23秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうの夕方6時頃、テレビを見たら画面は安倍総理大臣の国民へのアッピールみたいな放送でした。
 そんなもの、見たくないからチャンネルを変えたら、どこのチャンネルも同じ放送です。
 おかしい! 
 この自由な時代に、そんな重大発表でもないのに、すべてのチャンネルにリアルタイムにあの顔が映り、さも重大なように訴える。
 見たくもありません。
 BS放送に切り替えて、ドラマかスポーツ中継でも見るしかありません。
 
 いま問題にしようとしてる「自衛権」とかにコメントしたくありません。
 第2次世界大戦の戦前・戦中に生まれ、新制中学の誕生・成長とともに大きくなった世代の私たちは「平和教育」で育ち、戦争につながるものを拒否して生きてきました。憲法9条を保持する日本の方向を変えようとする勢力は、1960年代から半世紀以上にわたり、さまざまな策動を仕掛けてきました。でも足元を見ると私たちが立っている岩盤はがっしりしていて「どんなことがあってもこの国は二度と戦争の方向に走らないだろう」と思っていました。
 足元の岩盤は長年波に削られ、危なくなっています。ほんの少し前の、あの政権交代の清新な時代の空気は、選挙で一気に重く変わってしまいました。我が天下とばかり、好き勝手にふるまう政権党に、「嘆かわしい!」とぼやくだけです。

 そうそう、ブログに書いていた「海上自衛隊の護衛艦『たちかぜ』でのいじめによる新入隊員の自殺に、国は7350万円の賠償をするように」と4月23日に高裁の判決がでました。国は上告を断念した、賠償金を支払う、というニュースをぼくは見落としていました。というより、自衛隊内部のいじめによる自殺を認め、今後起こらないように努力する、というニュースは大きく出ませんでした。いじめの調査資料を隠していた、上官は口をぬぐっていた、という「隠蔽・いじめ体質」を、マスコミは厳しく告発しませんでした。
 自衛隊内部での人間関係はいろいろあるようです。ある人に聞いた話です。

 自衛隊内では、いじめは普通にバンバンやっとるで。それを上官が注意しようと思っても、できんってな。舞鶴に泊まっとる護衛艦が、出航することになって「明日出航するから用意しとけ」と上官が命令しても、古参の機関係が「エンジンが故障しとって、あと2日はかかりまっせ」って言うこときかんって。注意したら仕返しされるし、今の自衛隊でも古参兵が威張っとるって。その機嫌とって、いじめは見て見ぬふりをして、船動かすしかないがな。あの大東亜戦争中「突撃!」となると上官は後ろのほうから号令かけたのと同じや。前で号令掛けたら、後ろから撃たれるって恐れたんや。だれかって命は惜しいしな。いざ戦争となったらどうなるか……。

 そんなことにならんようにするには、絶対命令で国民全体が動く体制が必要です。そんな体制が可能かどうかでなく、暴力をともなう強制でやらせるしかありません。

 
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『風の旅』(三浦哲郎) を 読みました。

2014年05月13日 05時27分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 雨が降るし、道子さんの入院以来家事や畑仕事をこなしてきた疲れもあって、昨日は読書三昧(ざんまい)の一日にしました。読んだのは三浦哲郎の『風の旅』(大型活字本を図書館で借りました)。久しぶりに文学の香りをかいだ気分です。
 作家・三浦哲郎は2010年に79歳で亡くなりました。その作家を追悼する〈作家・出久根達郎〉の文を引用します。

 
 リアルタイムで『忍ぶ川』を読んだ時の興奮を、忘れない。すごく新しい形式の小説を読んだような気がした。時代の先端をゆく内容と文章だと、読みながらふるえた。事実は逆で、古風すぎるほどの純愛物語なのである。一語一語が正確無比、刻まれたような文章で ……。  (中略)
 1961(昭和36)年、『忍ぶ川』は芥川賞を受賞した。私は17歳、古書店の店員だった。 (中略) やはり『忍ぶ川』に感動した友人と、ある日突然、三浦さん宅を訪ねたのである。
 あれから49年、三浦さんは少なくとも作品の上では全く年をとらず、『忍ぶ川』のういういしい白絣のまま、一字一句おろそかにせぬ文章を維持して亡くなられた。

 「最初の一枚が、竹の幹を駆け登るようにして舞い上ると、それを追って、あとから幾十枚もの葉がつむじを巻いてくるくると舞い上がった」

 初期の作品『風の旅』の冒頭、目の前で風が生まれる瞬間の描写である。何の技巧もない、しかしまるで自分が見ているような臨場感のある文章である。これが三浦さんの巧まぬ技巧であった。日本語の美しさと遣い方を、さりげなく教えて下さった作家であった。


 「一語一語が正確無比、刻まれたような文章で」と出久根達郎は書いています。彼の引用した文の後はこんなふうにつづきます。

    竹の下枝が揺れはじめ、やがて林のなかは、さわさわと、葉という葉がそよぐ音に満ちた。
    (いま、風が生まれて、発っていくのだ)
    と彼は思った。
     風が梢をざわめかせながら、どこかへ飛び去ってしまうと、葉のざわめきも次第に収まり、林のなかはまた元の静けさに戻った。

 こんな文章ではじまるこの小説に〈鶴〉という女性は出てきます。ヒロインではない彼女の描写はほとんどありませんが、しずかな瞳で見られているような存在感に惹かれます。めざましいドラマが展開するわけでもないのに心のひだにしみこんでくる小説でした。
 


 

 

 
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関西フィルのチャイコフスキー交響曲第5番を聴きました。

2014年05月11日 03時58分18秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 ぼくのお気に入りの文化ホール=〔東条町のコスミック・ホール〕は図書館と同じ建物にあり、2週間に一度本を借りに行きます。入口にはホールの催し物チラシが置いてあって、きのうの音楽会を知りました。関西フィルが〔チャイコフスキー / 交響曲第5番〕をやるというのです。
 この交響曲はCDでは何十回と聴いていますが、演奏会で聴いたのは去年の秋がはじめてでした。(バーミンガム市交響楽団/アンドリス・ネルソンス指揮/西宮の芸文センター)凄い演奏で感激しました。
 コスミック・ホールではオーケストラも小編成になり、演奏の迫力も及ばないだろうけれど、あの交響曲をまた聴けるのはうれしい。そう思って3月にチケットを買っていました。
 コスミック・ホールはとっても音楽を聴きやすいホールです。席につくとゆったりした空間が身も心もつつんでくれます。しかもサロン・コンサートのようにステージを間近に感じます。音がきれいです。おそらくここのステージにあがる演奏者も気持ちよく演奏できるでしょうね。
 プログラムはじめのモーツアルト・ヴァイオリン協奏曲第3番を、ときどき目をつむって聴くと、すぐ目の前で演奏している、その音の音圧というか波動というか、空気の感触が実に心地よい。こんなホールが近くにあって音楽を聴ける。(めったにないのは残念ですが)
 で、いよいよ〈チャイ5〉の演奏です。
 素晴らしかった。パワフルな演奏なのに聴衆を圧倒するのでなく、聴衆の盛りあがるわくわく感をきちんとホールドして、品よくリードしてくれる。ほんと、聴けてよかった。夜道を10分あまり運転して家に帰ってもまだ〈チャイ5〉の余韻につつまれていました。ホールが近くにあるって、しあわせなことです。
 ここしばらく、コスミック・ホールづいています。6月には演劇(草刈正雄/紺野美沙子 『日本の面影』……ラフカディオ・ハーンと妻の物語)を見ます。たのしみです。
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安納芋のしなびた苗を買いました。

2014年05月08日 17時56分52秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 圧迫骨折の道子さんはコルセットを装着して安静が必要なので、ひとりで買い物に出掛けました。
 ホームセンター・ナフコに寄ったら、安納芋の苗を売っています。安納芋は、甘味がつよくて近年特に人気がありあます。他のホームセンターでは新鮮な苗が10本で500円ほどしますし、朝のうちに売り切れてしまいます。去年はマザーポット苗を植えて、最終的には30本ほど苗を採りましたが今年は買いそびれていました。
 で、ナフコの店先で見たら、安納芋苗を10本250円で売っています。安い! でもしなびています。そして≪50パーセント引き≫のシールが貼ってあります。残っているのは5束ほど。道子さんがいっしょなら「ダメ出し」するかもしれないけど、見たときから「よし、買って、育ててみよう」と気持ちが動きました。ぼくが3束買うのを見たよその知らないおじさんが、残りの束を手に取って「買うべきか / 買わないべきか」思案顔です。(おじさんは結局買いませんでした)
 これが買った苗の写真です。しなびて、力なさそうにうなだれてる感じです。
                         
 サツマイモは最低気温が10度を下回ると枯死するおそれがあります。それできのうの晩は水につけて玄関の中に入れておきました。今日の午後、束をほぐして枯れた葉を取りのぞき、水切りしました。それがこの写真です。
                         
 「これはもう枯れてる」という苗は一本もありませんでした。生き返ったように立派な苗になっています。もう一晩水にさして、明日植えることにします。数年前ホームセンター・ダイキで、枯れた苗を50パーセント割引で売っていました。そのときは植えた苗30本が全部枯死してしまいました。店にクレームをつけましたが、今考えると最大の原因は最低気温が低かったからです。
 さて30本50パーセント引きで325円という安納芋苗はどんな実力を発揮してくれるか。
 秋がたのしみです。
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誕生日 おめでとう! 101歳になりました。 

2014年05月07日 01時59分27秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                       
 きのうは大正2年(1913年)生まれの母・妙子さんの誕生日でした。数字の〔1・0・1〕ローソク3本に火をつけてケーキカットです。娘が三木・青山に支店のできたケーキ屋さんで買ってきてくれました。
 おばあちゃんには「今日は私の誕生日」と自覚してもらおうと朝から一張羅に着替えてもらいました。道子さんは家の庭や裏山で花を摘んできました。日頃から道子さんが庭や山の手入れをしているので、すぐにこんな花瓶ができます。
                         
 去年は妙子さんの 〔子ども4人と連れ合いたちなど〕 が集まって100歳を祝いましたが、101歳からは〔古希を越えた子らや連れ合い〕に召集をかけるのはやめます。今年は我が家の子や連れ合いや孫たちでお祝いしました。
                      
 ケーキカットのあと、娘や孫たちは畑にイチゴ摘みに行き、思ったより多く採れました。そして甘かった。道子さんの丹精のお蔭です。
 午後は畑仕事です。土手の草刈りがまだ残っているのでぼくはそちらにかかり、道子さんは夏野菜を植え込みました。

 ぼくより一つ年上の前の老人会長さんが畑に寄られて「草刈りがえらいので、4輪駆動の草刈り機を買った」と話されました。うちの村でも近年4輪駆動の草刈り機を購入される家が多くなりました。あの機械は使いなれたら便利なのでしょうが、斜面を刈るのですから見ていて危ないときもあります。ぼくはあの機械は使いません。自分で土手を刈れなくなったら畑をやめます。
 7年半前、この村に引っ越してきたとき「きれいに草が刈ってある村だなあ」と感心しました。三木の口吉川町や細川町の田んぼはなだらかな山間(やまあい)にあって土手が多いのに、どこの土手もよく草刈りがしてありました。もっと奥の丹波や但馬や佐用のほうではときどき「草の繁るにまかせた土手」を見掛けますから。でも暮らしてみると、みんな体力的にもギリギリのところで草刈りをして、この景観を支えているのだとわかります。
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『コメツブツメクサ』という名前でした。

2014年05月04日 04時05分47秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                               
 春の道端でよく見かける雑草ですが名前を知りませんでした。春はタンポポをはじめ黄色の花がいっぱい咲きます。そんな花の中でいちばん小さくて目立たないし、「春の畑の雑草」で検索しても見つけられずに日が過ぎていきました。で、「花の色別図鑑」を検索してやっとわかりました。「シロツメクサ」=(白詰草 = 〔クローバー〕のことです)と似ているので『コメツブツメクサ』という名前です。なお白詰草はオランダから献上されたガラス製品に、緩衝材として詰めてあったから名付けられたそうですね。
 この草の名前がわかってうれしいです。
 5月の草刈りをはじめました。今年は5月になってからの冷え込みがなさそうだし、黒マルチをかければ地温は大丈夫のようだし、サツマイモを早めに植えることにします。畝づくりを早めにしていたので夏野菜を植えるのがらくです。広い畑ですが、それなりに要領よくつかえるようになりました。
 5月3日は憲法記念日でした。その日の朝日新聞に作家の小林信彦氏が文を寄せています。(オピニオン欄)

 
 今年のゴールデン・ウィークは、戦後もっとも暗いゴールデン・ウィークだと、私は感じている。
 安倍首相が列強国の一つになりたいと焦っている。テレビにうつる顔で、そう思えるからだ。現在の憲法の制約が外されれば、集団的自衛権の行使も一内閣の閣議決定によって強引に押し通せる。国民の声を聞く必要などない。
 これを〈疑似戦時体制〉というのだが、私は文字通り、〈戦時体制〉の中で育った。生まれたのが1932年(昭和7年)だから、1945年の敗戦まで、幼少時、ずっと戦争の中にいた。敗戦は1945年の夏で、このとき、私は中学一年生だったから、生まれてから〈戦時体制〉しか知らなかったともいえる。 …… (中略)
 安倍政権が〈列強国〉になりたいと願うことから、東京でのオリンピックなどという騒がしいものが出てくる。すべては〈列強国〉になりたいという希望からだ。 …… 今の政権の〈列強国〉入り志望を大ざっぱに述べれば…………
 1 国防軍保持義務のために、憲法9条を変える。
 2 特定秘密保護法をつくり、他国の軍隊と協力して海外でも戦争ができるようにする。
 3 ODA(途上国援助)の軍事使用を緩和する。
 4 集団的自衛権を行使するために、戦争反対の声を抑えるようにし、憲法に基本的人権の抑制を入れ、徴兵制の導入につながるようにする。
 5 原発と核燃料処理サイクルによるプルトニウム保有で、未来の核武装にそなえる。
 経済から戦争が望まれるようになるのは、アメリカの例を見ればすぐわかる。軍事ビジネスの方向に進むために、安倍首相は異様なほど、テレビの画面に笑顔をさらす。 …………… 中略 
 男の子、若者を家庭に持つ人々は、彼らを戦場に送るのを避けなければならない。戦場に送られるのは、幼い私が見たように、彼らなのである。


 絶海の岩山や辺鄙な無人島をめぐって近隣国とつばぜり合いをして、同じ狭い岩場に立ってわざと肩をぶつけ合っていますが、船の事故一つを見てもそれぞれの国が置かれている社会の状況やレベルはちがいます。あの戦争で学んだ叡智がこんなとき、どう生きて働くのか。愚かさを繰り返すのか。
 おじいさんは見守るしかありません。
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