古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

人とつながり、人に支えられて、田舎に暮らしています。

2012年09月28日 05時23分07秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 秋には秋の花が咲きます。コスモスが風に揺れる頃、キクイモの花も精いっぱい咲いています。そして11月になるとセイタカアワダチソウの黄色い帯が、蛇が池や福地池の堤を彩ります。「アレルギーになる」と濡れ衣を着せられますが、セイタカアワダチソウがびっしり咲くと、それはそれは見事な幅広の黄色いベルトになります。
 ブログでこのところ毎日書いていますが、畑仕事をしていると先日亡くなられた村の方を思ってしまいます。
 5年前の2008年5月、畑を借りることになり、朝の散歩がてら畑に行ったときです。道にだれか倒れていました。見知らぬおじいさんです。そばに寄って助け起こし、とりあえず道に座ってもらいました。
「おうちはどこですか」 / …… / 「おうちの電話は何番ですか」 / 「×××番」 / 持っていた携帯電話でかけてみましたが「違います」。言われた番号はすべて間違いでした。
 救急車を呼ぶような怪我はしておられないし、こちらが途方に暮れてしまいました。思いついたのは、その方に電話することでした。間もなく軽トラで来られました。
「うちの村でないけど、このじいさん知っとるから家に届けてくる」
 午後、家にいるとその方がよその村の人を案内して来られました。ご夫妻で「認知症のおじいさんがお世話になりました」とお礼を言われて恐縮です。その方が「蛇が池のほうまで歩いて行って、帰ろうとしてこけたらしい」と説明され、「人の通るところでよかった。奥のほうでこけとったら、わからんところだった」と話されたことがありました。
 自分では「田舎暮らし」のつもりでこの地に移り住んで1年ちょっと。顔見知りになり、あいさつを交わす村の人は何人かできましたが、1年やそこらでそんなに親しくなるものではありません。「その方に電話して……」ととっさに思いついた「自分のしたこと」をいま思い返してみると、その方の存在は「田舎暮らしの支え」になっていたんだ、とあらためて思います。
 どこの馬の骨ともわからん人間が落下傘で降りてきたのをそのまま受けとめてもらい、田舎になれてゆくのを、あたたかく見守っていただきました。60年も70年も生きてくると、子どもとちがってそう簡単に人と馴染むものではありませんが、それでも人とつながり、人に支えられないと、人は生きてゆけません。
 今年もまた、秋は、いろいろなことを思いながら、すぎてゆくのですね。
コメント
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