不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

こころが旅をする。

2010年07月31日 04時59分40秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 鳥取県中部の岡山県との県境(けんざかい)近くに、小学校時代の友だちの家があります。写真のように立派な藁屋根の家で、数年前に立ち寄ったとき「三朝町の文化財に指定しよう」という話があがっていると言っていました。彼は東京のほうの大学を出て社会的に立派な仕事をしてきましたが、古希近くなって郷里に戻りボランティア的に福祉施設の所長をしています。
 数年前に寄ったときは九十歳を越えたお母さんが元気に一人で暮らしておられましたが、去年の秋に寄ったときはだれもいませんでした。お母さんは天寿をまっとうされたのでしょうか。友だちにも会えませんでした。仕事に出掛けていたのでしょう。道を歩く村人にも出会いませんでした。
 印象に残ったのは玄関を入ったところに置いてあった箱です。三文判とボールペンが入っていて「宅配の荷物は置いて、自分で判を押してください」と書いてありました。町の荷物の集配所からはるばる県境までのぼってきた業者の人への配慮です。うちもこれができるといいのですが、このあたりではそれをしている人は知りません。
 旅は「ここは見た」「あそこはまだ見てない」と何かを征服するように行くものではありませんが、御朱印帳にお寺巡りの印をもらうようにあちこち漏れなく行きたくなることがあります。そんなときは一歩引いて「こころが旅をする」と思うことにしてます。
 郷里の鳥取県に、どうしてもどきどき帰って様子を見なければならない人はもういませんが、なぜか昔の人や出来事を思い出し、行きたくなることがあります。そんな機会があると気ままに寄りたいところに寄りながら旅をします。そんな旅が一番好きです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょっと旅に出てみようかな。

2010年07月30日 04時07分56秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 畑、裏の山、前庭と家のまわりには仕事がいろいろあるのですが、ふと旅に出たくなることがあります。そこで行ってみたいところを考えてみました。パックツアーに申し込んで出掛けるのは面倒がなくていいのですが、お仕着せの旅はなぜか印象に残りません。ちゃんと現地に立ち、景色をしっかり見てるはずなのに「あそこには行った」と記憶が残るだけです。
 そこで6月から行き先を考えています。まず石見銀山。昔の繁栄といまの限界集落の様子を、現地のボランティアガイドにじっくり話を聞きながら見て歩きたい気がしました。
 次に京都の山奥の花背峠か芹生(せりょう)峠。ここも限界集落か廃村です。you tube を見ると単車か乗用車で峠の悪路を走リ抜ける様子がアップされています。でもどこか憧れに似た「いつか訪ねてみたい」という気持ちと you tube で見た山奥の荒廃した自然にギャップがあって行く気になれませんでした。
 鳥取県の山奥の町・智頭町の板井原集落。ここは昔、人間が住みついてから車の入ったことのない山奥の集落です。村の家家は六尺道をはさんで建ち、いまでは観光客が集落のはずれまで車で来て、村の中を歩いて見学します。昔のままの家家と小川と畑が醸成する空気に身をひたしてみたい。
 写真は去年の秋、同窓会で鳥取県に帰ったときに撮りました。鳥取県中部の温泉町・三朝町の山奥の集落『中津』の倒壊した廃屋です。名勝・小鹿渓沿いに山に入ると『中津』に着きます。見かけて話をしたおじいさんは、もう住めないから下のから通って家のまわりの片付けをしていました。もう一人訪ねた雪囲いをした家のおばあさんは、家の横の荒廃した茶室風の建物を、冷たく見放すように「よその人が建てたでわたしゃ知りません」と話していました。
 茶室風の建物は屋根が剥げ落ち、『平家』と書いた表札が見えました。その前には『安徳稜』の看板と粗末な石積みがあり、道の向うには『平家一門』と書いた墓があり、その横に『二位尼の墓』(建礼門院)と看板が出ていました。「さすが山奥だけあってここは平家の落人か」と思いましたが、おじいさんと話したら「中津というはあちこちにあって平家と関係があるようにいいますけえな」と突き放すような言い方をされました。
 よそ者が村に入り込み、勝手に気どってつくったのでしょう。そして見捨てたのでしょう。かつて30軒以上あった集落にいま住む人は三軒の老人だけです。それをさらしもののように見るつもりはありませんが、ではどういうつもりだ、ときかれると詰まってしまいます。
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山の木々にも水やりをしなくては。

2010年07月28日 02時49分37秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 雨が降りません。畑はカラカラです。でも畑は『畝間潅水』をしたので心おだやかに見まわることができます。畑の作物を思うたびに「畝間潅水しといてよかったなー!」としあわせ感がこみ上げてきます。
 気持ちにゆとりができて山を見まわっていると、銀なんのなるイチョウ(藤九郎)の葉が黄色くなり、落葉しています。今年の冬に植えた紅い花の沈丁花も葉が枯れています。山もカラカラなのに水をやっていませんでした。申し訳ないことをしました。たっぷり水をやりながら、レモンの木のことを思いました。
 レモンの苗は田舎暮らしをはじめた冬、つまり4年前に植えました。ところが存在を忘れてしまい、苗木は枯れてしまったように見えました。1メートル足らずの幹は枯れて葉も枝もありません。そこで幹を50センチ切り、根は生きているかもしれないのでそのまま置いておきました。すると去年根元から細い幹が伸びてきたではありませんか。いまも元気に葉を付けています。
 だから沈丁花も銀杏も根が生きていたらまた葉を付けるでしょう。
 ところで「桃栗三年柿八年」は「梅は酸い酸い13年、柚子は大馬鹿18年、林檎ニコニコ25年、女房の不作は60年、亭主の不作はこれまた一生」とつづくそうです。その柚子をやはり最初の冬つまり4年前に植えました。
 そんな柚子を古希になってから植えるなんて、どういうつもりだったでしょうね。古希に18年足したら平均寿命を通り過ぎて米寿になってしまうではありませんか。ところがきのう見たらなんと! 柚子の苗に三つも柚子がなっているではありませんか。なんと植え主思いの賢い柚子でしょう。いやそんな喜び方をするのはよくないかな。
 せっかくこの冬切り拓いたのに、このところ山頂に足が向きません。登ると一汗かくし、蚊はまとわりつくし、ハンモックを吊るして緑陰読書でもしようと思っていましたがまたの機会に。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

稲の植え方を知りたい。

2010年07月27日 02時48分38秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 田舎 …… わら屋根、里山、鎮守の森、田んぼ、あぜ道、畑、道ばたの祠……。
 その中でも『田んぼ』は日本の田舎の景色には欠かせないアイテムです。その田んぼはどのようにつくられているのか。自分の中の乏しい知識で見ていました。
 冬の間にトラクターで田んぼの土を起こし、五月になると水を入れて代かきし、田植え機で苗を植える。除草や消毒を薬剤散布で行い、入る水をバルブで調整し、秋には水を落としてコンバインで収穫する。それをライスセンターに持って行って玄米にしてもらい、出荷する。
 きのう口吉川町大島のあたりを車で走っていると、やたらに『疎植栽培』と田んぼのあぜに旗が立っています。車を止めて田んぼを見ると、たしかに見なれた株間より広いようです。一株が太く、しっかりしているように見えます。
 6月の終わり頃畑仕事をしていたら、村の人が畑に寄って話していました。「うちの田んぼも一部稲を『直播き』にしたけどどうも調子がよくない。まだ苗が残ってるから今日は植え直そうと思ってな」24日土曜日に愛宕さんに登ったとき、村の人が「あの直播きの田んぼはたしかに稲がしっかりしとる。よさそうやな」と話していました。うちの営農組合では直播きしたのでしょうか。
 ちょっとネットで調べてみる「日本では古来稲は一尺四方に一株植えていた。それを生産効率を上げて増産しようと戦後密植にした。一坪70株(苗の間16センチ条間30センチ)を30センチ四方に一株として一坪37株にすると、有効な茎がよく育ち、苗は少なくて収量は変らない」とあり、農機具メーカーがバックアップしています。
 また別の農機具メーカーは直播きをバックアップしています。種籾の処理は手間が掛かるようですが、なにしろ田植えをしなくていいのは大きい。『田んぼ』といえば『田植え』というイメージでなくなるわけです。
 営農組合の問題もあります。先祖の遺産の田んぼをつくる後継者がいなくなり、営農組合で村ごとになんとか田んぼをつくっていますが、その組合も後継者問題にもうすぐ直面することになります。先祖代々個人でつくってきた田んぼを組合でつくる意識改革も必要です。
 お百姓さんの汗の一粒が米一粒になる。農業だけがそんな意識に取り残されていい筈がありません。「人の苦労も知らずに、棚田百選なんてクソ食らえ」と思っていましたが、稲の栽培について不勉強でした。田舎に暮らすのですからいま直面する問題にもっと関心を持ってみます。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大パイプで畝間潅水をしました。

2010年07月25日 01時25分14秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 テレビのデータ放送で三木市の天気予報を見ると、今日(25日)は「雨が降るかも」となっています。それならもう一日潅水を待とうかと思っていました。でも夕方畑に行って、畝間を歩いていると「もうノドがカラカラだよ。水をくれー!」という野菜たちの声が聞えた気がして、やっぱり畝間潅水をすることにしました。時間は5時。
 大豆畑トラストで畝間潅水をしていたときは、太いパイプ(75ミリ)を全開にして一反の大豆畑で二時間かかりました。いまから放水して二時間で7時。全部の畝間に水がまわったらすぐに水を落とすことにして開栓しました。勢いよく水が畑に入っていきます。パイプは75ミリより太いようです。
 畝間の除草がよくできているのと土寄せをして畝間のでこぼこが少ないのとで、水はよく流れ、見る見る畝間に水が満ちていきます。
 全部の畝間に水がまわるのにわずか45分かかっただけでした。すばらしい! これでほとんどの作物は、カンカン照りでも一週間水やりをしなくてもいいでしょう。田んぼですから底の粘土層の上に水がたまりました。それと前日の夕方水をやっておくと水が暑くならないうちに浸み込んでしまい、次の日は畑に入って除草や追肥ができます。
 写真は5時46分の畑です。右手奥の水栓から水が流れて畝間全部をうるおしたところで、このあとすぐに水栓を止めて水を落としました。
 この畑(田んぼ)を借りて耕作するようになって三年目ですが、はじめて太いパイプの畝間潅水をしました。思ったよりも簡単でした。45ミリパイプに振りまわされるようにしてやった畝間潅水よりずっと楽でした。
 あまり水の必要のない作物もあります。しかし「大雨が降った」と思えば畝間潅水くらいはどうということはありません。ふだんは50メートルの家庭用散水ホースを引っ張りまわして二口で水やりをしますが、これからいざとなればこの方法をとることにします。それにしても農業用水はありがたいです。
 きのう24日は愛宕さんの今年の当番が山に登り、燈明をあげて拝む日です。(毎年7月14日と24日に拝みます)きのうは土曜日でしたので、当番の二人のほかに区長や役員の人も登っていきました。お尻に敷くワラの束持参です。「これでトンドをするのだな」とその姿を見て、ぼくも6時半頃に登りました。全部で6人の村の衆に居てもらって愛宕さんも心丈夫だったでしょう。
 シートを敷いてお酒を飲んでおしゃべり。午後8時にワラを燃やしトンドをして下りてきました。山道は真っ暗で、電池がなければ歩けなかったでしょう。
 昔はもっともっと多くの人が登り、お酒を飲み、おしゃべりが盛り上がったでしょう。
 村の行事が一つ一つなんとか受け継がれていくのをうれしく思いながら帰ってきました。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青年の心を思いかえしていました。

2010年07月24日 04時53分22秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 イギリスの青年詩人P.B.シェリ(1792 ~ 1822)の詩にこんな一節があります。
    The desire of the moth for the star,    星を求むる蛾の願い
    Of the night for the morrow,         暁を待つ夜の想い
     The devoion to something afar,       この悲しみの世界より
    From the sphere of our sorrow.        遥けきものへ捧ぐる心  (斉藤勇 訳)
 P.B.シェリは英文学史に名を連ねる文学者の中でもとびぬけた美男子で、いまに残るいくつかの詩を書いています。なお奥さんも美女で怪奇小説(フランケンシュタイン)を書いて名を残しています。シェリーはヨットに乗って海に出て30歳で亡くなりました。
「星を求むる蛾の願い」という一行は多くの人の心をとらえるらしく、ネットで検索するといろんな人が自分のモットーにしたり、会の名前につかったりしています。斉藤勇という英文学者は「はかない想いであっても、遥かなものに憧れ、挑む青年の心」を伝えるこの一行を自分の著書に題名にしています。
 蛾が星にむかって夜空をどこまでも飛んでゆく。宮澤賢治の『夜鷹の星』、アンデルセンの『みにくいあひるの子』と同じテーマです。……遥かなものへの憧れ。
 それが青年の心です。いまのぼくは、足腰が弱り、白髪が増え、皮膚がたるんできたから年寄りなのでなく、憧れる青年の心を失っているから年寄りなのです。
 でもかつて自分も持っていた青年の心を取り返そうと思わないがいい。ともすると若い頃をふり返ってしまいますが、いまはいまなりの存在の意味があります。累々たる青年の残骸をたどるだけが能ではないのです。
「いま、ここに」生きているつもりでも、ついつい昔を振り返ろうとする自分に言い聞かせるつもりで書きました。畑の潅水ですが、きのうは太いパイプを開けませんでした。天気予報では今夜一雨あるかも。もう一日待ってみます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アピオスの花が咲きました。

2010年07月23日 02時29分56秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 去年の春、落花生の畝の端っこに、道子さんが注文していた『アピオス』という芋を植えました。ポットに細いツルが30センチほど伸びている苗でした。「植えて放っておいても大丈夫だって」といわれて少しだけ場所を提供したのです。秋のおわりに思い出して掘ってみると小さい芋が数珠のように連なって出てきました。
 その時点でどんな芋か調べてみようという気になり、ネットで検索しました。「アメリカインディアンが戦いの前に食べた滋味豊かな食べ物」というので、蒸して食べてみました。なかなかいけます。通販でも食品として販売しており、たくさん栽培している人もあります。
「来年は少しつくってみようか」という話になり、去年は30センチでしたが今年は2メートルの場所にたくさん植えました。そのツルが花をつけたので写真で紹介します。ぼくもはじめて見ました。去年は植えたことを忘れて、雑草に埋もれていましたから。
 さて全国的に大雨の被害がでましたが、梅雨が明けると猛暑で、畑はカラカラです。畝間が石のように固くなり草抜きも土寄せもできません。このままでは大豆、黒大豆、落花生、コイモ、サツマイモ、コンニャクも、キュウリ・ナスビ・トマト・ピーマンなどの夏野菜も干上がってしまいます。ホースでほそぼそと水やりしていたのでは追いつきません。
 というわけで一昨日は『畝間潅水』をするために45ミリのホースを出してきました。農業用水のパイプにこのホースをつないで、畝間に『走り水』を流そうというわけです。畝間に流すとじわじわと畑の底に水が行き渡り、植物も水に向かって根を伸ばしていきます。
 ところがきのう、前日水を流した畝間を土寄せのために耕運しましたが、一日で畝間はカンカチです。道子さんが「大雨が降ったと思って、太いパイプを開けて水びたしにしようか」といいます。たしかに夕方の水やりに毎日二人が一時間以上とられていたのでは、家のまわりの畑や山の植木にも水をやらねばならないのに時間が足りません。
 この畑はつくって三年目です。去年も畝間潅水はしましたが、75ミリの水田用のパイプは開けたことがありません。しかしこれだけ畑がカチカチになるとどうしようもありません。
 大豆畑トラストをやっていた頃を思い出します。雨が降らず一反の大豆畑に5週連続で畝間潅水をした年がありました。(大豆は、雨が降らなくても週に一回の畝間潅水で間に合います)今年もそうなるのでしょうか。多少不安ですが、太いパイプを開けて水をめぐらしてみます。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ゲゲゲの女房』を毎日見ています。

2010年07月21日 04時15分23秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
『ゲゲゲの鬼太郎』というマンガは、読んだこともアニメや映画を見たことはありません。しかし『水木しげる』という人には興味があって、彼のマンガ以外の本は読んだことがあります。このブログでも彼の『ラバウル戦記』を紹介しました。
 いまは角川文庫になっている『水木さんの幸福論』という本が手もとにあって、気楽に読むことがあります。彼は文章の中で自分のことを「水木さんは思います」というように「水木さん」と書きます。その味がいい。この本は「幸福論」といいながら幸福のことはあまり深く考えてなくて、自分の伝記みたいなものです。彼はずいぶん苦労していますから構えて書くこともできるでしょうが、軽妙な書き方です。その軽さがなんともいい。
 それに彼は鳥取県人です。(ぼくも)鳥取県の人はなんとなくいじけて、ぐじぐじしている、とぼくは思います。でも彼は裏ではぐじぐじしてるかもしれないけど、アッケラカンとした風を装っている。その味がまたいい。
 彼は敗戦後神戸の新開地の水木通りに『水木荘』というアパートを所有してたことがあります。(ペンネームの由来です)彼は神戸に住んで貧乏してたんだな、という親しみを感じます。
 それにぼくの祖母は水木さんと同じ境港の出身です。子どもの頃、おばあちゃんがいろいろ苦労した話を聞いたことがあります。どんな苦労か忘れましたが境港には親しみを持っていて、行ってみたいと思う地の一つです。
 ときどきテレビで紹介されますが、いまでは境港市にはゲゲゲの鬼太郎の電車が走り、妖怪ロードや妖怪神社があり、水木しげるのお陰で有名になっています。でも彼がこの地に住んでいたときはだれも見向きもしなかったでしょうね。
 そういえば島崎藤村が小説を書いていた頃、生れ故郷の信州・馬籠の人々は彼を、『郷土の恥さらし』と忌み嫌いました。彼は妻を亡くし、手伝いに入った姪を孕ませ、『新生』という小説を書いてフランスに旅立ちました。郷土の人々は作家の『業』を天下にさらして生きるしかない強い生き方をおそれました。いまでは観光地として、毛一筋でも島崎藤村と関係があれがでかでかと言い立てる根性と共通しています。
 というようなことで(どーゆーことか書いてる本人もわかってませんが)いまは朝の連続テレビ小説にはまっています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パワースポットときいて行きました。

2010年07月20日 06時04分56秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 道子さんがある集まりに参加して聞いてきたところによると、子午線上にある『明石市天文科学館』とすぐそばの『柿本人丸神社』と『月照寺』が集っている場所に、あちこち旅している人がパワーを感じたというのです。これから有名になるかもしれない、感じる人ぞ感じる『パワースポット』でしょうか。
 とうわけできのう、早速二人で出掛けました。去年は長野県の『分杭峠』という有名なパワースポットで30分余り『気』を浴びましたが、今年はこれですませることにしましょう。写真は明石市天文科学館の展望台から見下ろしたところで、左の大きな屋根が月照寺、右の少し奥の社殿が柿本人丸神社の拝殿です。
 まず天文科学館へ。9時50分から50分間のプラネタリウムを見ることにしました。夏休みの休日とあって館内は早朝からにぎやかです。気を浴びることを兼ねてのプラネタリウムでしたが二人ともしっかり寝てしまいました。涼しくて、蚊に刺されなくて、満天の星空のもとで快い音楽と眠りを誘う解説を聞いてリクライニングシートにもたれていると、眠るなというのは無理というものです。
 人丸神社と月照寺にお参りしてから『魚の棚』へ。『林喜』(「ハヤキ」と読むそうです)という食堂に入って『あなご丼』を注文しました。12時過ぎでしたがぼくらの後に入ってきた二人組のお客で昼食のあなご丼は売り切れ、店はおしまい。あなご丼しかないお店ですから。
 昼どきですから、ところどころにある明石焼き(たこ焼き)の店には行列ができ、昼網の魚目当てのお客さんで通りは混んでいます。勤めていた頃、職場に淡路から通っている娘さんがいました。彼女は家からバスに乗り、富島港から明石港まで船(一応高速船と名前がついています)に乗り、魚の棚を通ってJR明石駅まで歩き、そこから電車に乗り、電車を下りてからは自転車で通勤していました。
 その彼女にきかれたことがあります。「毎日『魚の棚』を通って通勤してると蛸が店の売り場から逃げ出して道を歩いてることがあるけど、あれってホントはだれのものでしょう」
 たしかに蛸が店の台から下りて道を歩こうとしています。店の人が必死に引き剥がしてまた台に載せています。この蛸は漁師の蛸壺に入ったところで漁師のモノになり、浜で買ったところで店のモノになり、店先で買ったところで買主のモノになり……と人間は勝手に思っていますが、道を歩いている蛸にきいたら、「おかしなことをいうねー。こうして立派に生きて道を歩いている蛸がどうしてだれかのモノということになるんだ」というでしょうね。
 人間はかつて人間に対してそんなことをしました。いや、いまも。お金のためには一番残酷になれる動物です。
 ところでパワーを感じたかって? さー、眠っててわからなかったけど……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無理せずこつこつと仕事します。

2010年07月17日 01時41分47秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 どうやら梅雨明けのようです。よく降りました。草がぐんぐん伸びています。おやおや、だれかバス停留所の草刈りをしていますよ。土木事務所関係の人でしょうか。「勝手にボランティア」で近くの人が刈っているのでしょうか。感心なことです。
 えっ? 去年自分の作ったベンチが夏草に埋もれてるから、ちゃんと見えるように草を刈ってるおじいさんですって? まー、お元気なことで……。なお道路わきの田んぼは、米の生産調整のために黒大豆を植えているのがわかりますか。今年うちの村ではこのあたりの二町五反あまりの田んぼに黒大豆を植えました。
 トウモロコシはほぼ収穫がおわりスイカの番です。アライグマはちょうど食べ頃をよく知っていておいしくなった時期に穴を開けて食べるといいます。一匹捕まえてから別のアライグマがほんとに来ているのか来ていないのか。それをはっきり知るためにきのうは檻を仕掛けました。いままでと場所を変え、残りのムシ食いトウモロコシを囮(おとり)にして檻を置いています。
 えさは好物の甘いものを用意しました。ビスケット・カステラ・餡ドーナツ・栗三笠饅頭を切って、おいしそうに発泡スチロールのトレーに並べ、檻の踏み板の奥に置きました。それから入口やまわりに誘引するためにばらまいています。これをカラスがつつかないように、竹の枝をまわりに立てました。またアライグマの行動する高さより高いところにテグスを張りました。カラスはテグスをきらいます。もちろんスイカにもカラス用テグスを張っています。
 雨があがると毎日草抜きやムシ防除のための自然のくすりを散布したり仕事が増えます。木酢酸やHB101やアセビなどの煎じ薬を散布するとか。でも無理はしないでおこうと自分に言い聞かせています。膝痛は滑って膝を捻挫したのでなく、オーバーワークだったのでしょう。仕事に無理がきかなくなりました。少な目の仕事を目標にします。それでもちょっとしんどいと感じたら頑張ることをやめます。骨休め温泉や昼寝をたっぷりとります。「してしまわないといけない」「しなければならない」と考えるのをやめます。
 カナカナ蝉が鳴きだしました。山からカナカナが断続的に聞え、ゆるやかに風が渡り、日が山に沈んでゆく風情がなんともいい。見なれているのに新鮮な田舎を感じながら家路につきます。
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛宕さんの祭りに参加しました。

2010年07月15日 03時33分49秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 7月14日と24日は裏山に鎮座まします愛宕さんの祭りがあります。といっても村の当番の二軒が午後6時に登って、お神酒をお供えし、しばらくお酒を飲んで神さまといっしょに過ごすだけです。ここに引っ越して四年目になりますが、愛宕さんの祭りに参加したことはありませんでした。というか当番以外の村人はだれも参加していませんでした。
 それがこのブログで去年の夏紹介したように、村のお金で二つのお社(やしろ)を新調し、神主さまも登って神さまを招来してもらったのですから、せめてうちだけでも参加しようと思ったのです。道子さんは腰痛を用心してぼくだけが当番の後を登ることにしました。雨でも降ると薄暗くなるし滑るので少し早目に当番の方が登られたのです。老人会で顔なじみのお二人で、ぼくが登ってみるとお神酒をお供えして、二つの社の間の広いところにシートを敷いておられました。
 この愛宕さんの当番は当日までに参道をきれいにします。今年も草を刈り、落葉を掃いてきれいにしてありました。雨の後で薮蚊対策としてぼくは網付きの帽子をかぶって登りました。当番の方も薮蚊を心配して蚊取り線香をぐるりに置き、ムシよけスプレーを吹いていましたが、頂上にいた一時間ほど蚊には襲われませんでした。神さまが守ってくださったのでしょう。
 ぼくも冷えた缶ビールをお供えしてシートでのおしゃべりに加わりました。しばらくしゃべっていたら、なんと村の人が一人自主的に登ってこられました。火を焚くとか秘伝の儀式でもあるかと思いましたが、それはありませんでした。昔はお尻に敷くワラを各自持って登り、それを燃やして下りたそうです。お神酒を飲んでおしゃべりをたのしむために登ってくる村人は少なくなかったといいます。
 気になっていた裏山の愛宕さんのお祭りに参加して、また一つ納得した気分になりました。開発直後で月世界のようだった初期のひよどり台に6年、ピカピカの須磨ニュータウンに26年住んでいましたから、この村に暮らすようになって木立ちや祠や小さな行事を新鮮に感じます。小さな村の小さな祠や行事の消えていく時代ですが、どうしようもない時代の流れなのでしょう。
 自分の居合わせる時代をそのまま受けとめて生きる。いまここに! 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『熊野の郷』温泉に行きました。

2010年07月14日 01時48分20秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 参議院選挙前に公民館のまわりをきれいにしたときの老人会の集合写真です。作業の都合で三人ほど写っていない人がいます。うちの村も老人はあちこちうろうろしていますが、老人会に出る人は限られています。夫婦で参加しているのは二組で、どちらの夫婦もよく働き、会を支える主力メンバーになっています。うちの夫婦はその一組で、このたびも頑張りました。
 裏山とうちの間の通路を通りやすくしようと道子さんはツルハシで土を削って運び、ぼくは草刈り機で笹や竹を刈りました。8センチくらいの竹もスパッと刈るには普通の草刈り歯でなく目の細かい下刈り用の歯に付け替えなければなりません。普通の鋸歯の三倍以上の値段です。一年に一枚を目立てしながら大事に使っています。
 さてその作業でちょっと無理をして道子さんの腰痛が出たようです。そこできのうは三田にある『熊野の郷』温泉に午後行きました。この温泉は、公営のとどろき荘(東条町)、よかたん(吉川町)、ゆぴか(小野市)、ぽかぽ(滝野町)グリンピアの杜の湯(県の施設で民間が運営)などとちがい、民営です。850円とちょっと高めの料金設定ですが何度でも入れます。安い料金でVIPルームを利用でしますし、食堂なども充実しています。なにより電気風呂があって道子さんの腰痛にいいのではということで足を伸ばしました。
 駐車場は前庭にありますが、きのうは少し離れた下のほうの駐車場に車を止めました。ここから玄関前にスロープカーという乗り物があるのです。10メートル余りの坂を登る8人乗りの小さいケーブルカーですが、孫だったらよろこぶだろうな。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

投票所にプランターを置きました。

2010年07月12日 03時08分26秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 いつものようにうちの村の公民館がこのあたり四の投票所になりました。市から各老人会に配られる予定の花が間に合わないので(今日の午後土と花が分配されます)我が家のプランターを並べました。写真は九十七歳と村で最長老の妙子さんが投票を済ませて帰るところです。
 参議院議員選挙が終わりましたね。民主党が完敗したというべきでしょう。一言でいうと菅さんは旬を過ぎていた。去年の初秋、政権交代後すぐの『クローズアップ現代』で大塚さん、古川さん、枝野さんたちが民主党の政策を説明したあの清新な感じがありませんでした。でもまた自民党政治だけには戻ってほしくありません。政権交代で日本国民の政治知識の平均点が上がったと思うのに、また停滞しそうで、無力な老人は「大相撲と同じだ。あまり見たくない」と思います。
 大豆、黒豆、落花生、コイモなどの土寄せをすませて畑仕事も一段落です。またすぐに草は伸びますが。スイカがだんだん食べ頃になるのでカラスとアライグマに警戒しなければなりません。アライグマは欲しいと思えばどこにでものぼり、どこでももぐって食べますが、それでも動物防護用の網が張ってあるとそれなりに苦労することになります。カラスはテグスを張っておくと近づきません。
 そこで今日からまたアライグマ用の檻を仕掛けることにします。ただし饅頭をカラスに食べられないよう、テグスや網や竹の枝で防御します。アライグマは通るけどカラスが通ると恐怖を感じるような通路をつくるつもりです。
 膝の水を抜いたとブログに書きましたら、心配して声を掛けていただき、ありがとうございます。畑の土手の草刈りやくわを使う仕事は負担にならないようにぼちぼちやっています。まだちょっと違和感がありますが、次第によくなっています。温泉がいいと思うので、きのうは『ぽかぽ』に夕方行きました。桾原(クヌギハラ)の信号から東条インターに出て社まで高速道路を走ると『よかたん』に行くのとあまり変らない時間で行けます。お湯がいい。効きそう。食事も『よかたん』よりいい。(よかたんは近頃メニューが少なくなり、イマイチです)グリンピアの杜の湯とぽかぽに行くことにします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

畑仕事に精を出しています。

2010年07月11日 02時09分29秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 夕方うちの畑の上から撮った写真です。草の勢いの盛んないま、400坪の畑をこれだけ管理するのはぼくらには大仕事です。手前は刈ったばかりの土手で、その下を遊歩道にしています。ここも草が生えるので草刈り機で絶えず刈っています。その向うはサツマイモの畝が4畝あります。最近草を抜いたばかりです。その先は大豆畑で、最近草を刈って耕運機で畝立てをしました。大豆の苗を40センチ間隔に移植したところです(8畝)。その他いろいろ植えていますが、どの畝も草を抜き、あるいは削り、土寄せをして追肥をしたりと手を入れています。
 さてアライグマですが、トウモロコシの食べられ方を見るとどうやら畑には来ているようです。しかし檻にはかかりません。饅頭やドーナツを切ってばらまいているのですが、これはカラスが食べてしまっています。いままでは檻の奥の踏み板まで入らなかったのに、きのう見たら奥のトレーの菓子を引っ張り出して平らげています。トレーにはカラスのクチバシでつついた痕跡がいっぱい。あーあ。もう一匹アライグマを捕まえたいなー。
 うちの畑のとなりは村の墓地ですが、その土手に桜の木を植えました。ご先祖さまのお陰で畑をつくらせてもらえるので、せめて花見を楽しんでもらおうとソメイヨシノを買ってきたのです。水やりもして順調に根付いているように見えたのですが、きのう見たら葉が全部茶色になって枯れています。枝はぐにゃぐにゃです。なにか病気にかかったのでしょうか。植えた穴が粘土質だったので根腐れになったのでしょうか。今度抜いて調べてみます。
 曇りのほうが仕事はしやすいですが、作物は日光を欲しています。ぼくらは暑いのを我慢しますから畑に太陽の恵みをください。トマトが日光を渇望しています。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

畑はいつも動物にねらわれています。

2010年07月10日 04時18分40秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 写真は落花生のうね間に耕運機を通したところです。落花生は移植した110株が全部元気に育っていますが、草もしっかり伸びています。一本一本抜ける状態ではありません。そこで耕運してから落花生のまわりの草は手で抜いて追肥と土寄せをします。落花生は横に広がりますからこれが最後の土寄せになります。あとは伸びた草をそっと抜けたら抜く程度です。もう花が咲いています。いまの時期に咲く花が地面に根を下ろして実になります。8月9月になっても花は咲き根をおろしますが、その頃の花は食べられるほどの落花生になりません。
 落花生の土寄せは道子さんが担当し、ぼくはコイモの土寄せをしました。今年のコイモは植える前に底に肥料をやりませんでした。鶏糞の追肥をしっかりします。なお醗酵鶏糞はホームセンターでも100円程度で売っていますが、うちではJA豊地で売っている赤穂のデイリーエッグの鶏糞をつかいます。300円しますがサラッとして扱いやすく好評だそうです。
 ゴミステーションですが、きのう早朝に行ってみたらやはり食い荒らされていました。前日の夜ゴミ出しをした人があり、掛け金のヒモをまわしていなかったからでしょう。アライグマでなく猫の仕業だと思いますが、どうするかなー。
 畑のアライグマの檻のまわりにはカラスが二羽うろうろしていました。ぼくらを見てすぐ飛び立ちましたが、檻のまわりの饅頭などはカラスが食べたのかとがっかりしました。カラスはスイカやトウモロコシをつつきますからテグスを張って防ぎます。
 雨で畑仕事ができないし骨休めをしようと夕方よかたん温泉に行きました。家の前まで帰ってくると、ヘッドライトに動物が浮かび上がりました。キツネです。ゆっくり山に入っていきました。そういえばここに住んでからまだタヌキを目撃していません。野ウサギは見かけなくなりました。いまはどこに出没しているのでしょう。
 それにしても佐用インターを出て作州の人を訪ねたときのことを思い出します。道の両側の畑や田んぼは鉄筋のメッシュや動物用の網で守られていました。放棄田も目立ちました。「鹿や猪の被害が甚大で作物をつくる意欲が失せる」と田舎暮らしの先輩が話していました。彼は一度に15頭の鹿を夜帰るときに見てじっとしていたそうです。(ヘッドライトで目が光るので数えられます。他の知人はやはり夜26頭の鹿の群れを見て、立ち去るまで車の中でじっとしていたそうです)
 畑の作物が動物の被害を受けて全滅した人の落胆はぼくの想像を越えます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする