古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

一回目の草刈りができました。

2013年04月30日 03時12分49秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 見なれた畑の全景です。いつも同じアングルの写真になってしまいますが、今年一回目の草刈りがほぼ完了しました。南の土手の下半分はまだ刈ってないのですが。冬に道路側の足場をはずして修理したときは、足場に立つのを「落ちそうだ。こわい!」と思いました。きのうはそんな感じはしませんでした。
 なぜでしょう。考えてみました。

 たしかに、高齢になって、脚の力が落ち、バランスも危うくなっている。しかしいまの「身のこなし」力で、足場を歩くのは問題ない。しっかりした足場を慎重に歩く力は十分にある。「こわい!」と思うか・思わないかの分岐点は、「草を刈るという目的意識があるか・ないか」だ。
  
 こんな話をきいたことがあります。
 
 人間と犬の細胞は、同じような材質で同じようにできている。犬は長生きしても20歳までに死ぬ。人間は80歳まで生きる。同じような細胞の集合体である「犬」と「人間」に、どうしてそんな差ができるか。それは「生きるという目的意識」をもつか・もたないか、の差ではないか。

 かつて哺乳類はみんな四つんばいで移動する動物でした。ところがあるとき、人間は二足歩行するようになりました。人間は、なぜ「二足歩行する」ようになったか。
 「この問いにある中学生がこう答えた」と講演できいたことがあります。
  
 それは人間が「二本足で歩いてみよう。」と思ったからではないですか。

 講演した高名な教育学者は、「おそらくこれが正解に近い答えでしょう」と話していました。

 ひまな老人は余生を何気なく生きているのに、いつ死んでも「ま、いいか……」と思っているのに、「明日の予定はこれだ」という目当てがあるわけでもないのに、生きてます。
 人間という動物は、存在の根源のところに、「生きる目的意識」があるのでしょうね。


 

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きのうは一日中草刈りをしました。

2013年04月29日 04時10分44秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 イチゴのネットを張りました。<5メートル×10メートル>の畑に高さ185センチのネットを張るには、『50坪用防鳥ネット』がピッタリでした。しかし上向きの姿勢で作業するのに185センチの天井はしんどいです。来年は10センチ低い竹柱にします。
 きのうは一日中草刈りをしました。
 でも土手の草刈りには、まだかかれません。電気柵の下や畝間だけでもいっぱい刈るところがあるのです。「夏草のように高く伸びてないから、チョコチョコと畑を刈ってから土手にとりかかろう」安易な気持ちで畝間にとりつくのですが、草の密度はびっしり。同じところを何度も刈らないときれいになりません。
 南の土手のカラスノエンドウを刈るときが思いやられます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の草刈りがはじまりました。

2013年04月28日 06時03分58秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                    
 写真の雑草は『コメツブツメクサ』といいます。米粒のように小さい「詰草」です。「黄色の花だけど、カタバミとちがうし、なんという草だろう」ネットで調べました。
 コメツブツメクサが畑のあちこちにかたまって生えています。スギナやツボミオオバコもかたまって生える草です。5月になるとあの「ハマスゲ」も生えてきます。雑草の勢いに負けないように、今年も草刈りをします。
 手はじめに北側の土手を刈りました。
 ここは他の土手とちがい、ギシギシやツボミオオバコなどいろんな雑草が勢いよく伸びるところです。上の田んぼが稲をつくるので土手が湿っています。ここに電気柵を張っているのですが、下草がすぐに伸びます。
 そこで防草シートを張替えました。写真は夕方やっと通電したときに撮りました。なお手前・右の三本の杭は、生えてきたクララを保護しています。
                    
○ まず電気柵の電線をはずします。
○ 次にポールを抜きます。
○ 土手の草を刈ります。
○ 75センチ幅の新しいシートをピンで留めます。
○ ポールを打ち込みます。
○ 電線を張ります。
 以上の作業を一日でやってしまわねばなりません。もし動物(アライグマ・イノシシなど)が夜にやってきて、電気柵がなかったり通電してなかったら、次から鼻先で障害物を確かめず、体でぐいと電線をくぐってしまうそうです。
 「一人で夕方までにやれる」と思ったのですが無理でした。大志くんのお父さんに手伝ってもらい、なんとか日暮れに間に合いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若葉よ、とまれ!

2013年04月25日 02時43分39秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 若葉の季節です。写真中央はわが村の鎮守の小木立ちで、向かいの山々も「わかばいろ」です。
「わかば」。いいですね。人間の一生でいえば何歳のときでしょうか。
 母の100歳祝いをしようとバタバタしていた間に、若葉が通り過ぎていきます。お客さま(といっても高齢になろうとしている兄弟関係の数人だけですが)を見送ってホッと山々を見ると、若葉がしっかりした緑になりつつあるではありませんか。
 過去にもブログに書きましたが、「若葉よ、とまれ!」と声をかけたくなります。
 裏山に「シロハラ」らしき野鳥が飛来するのですが、先日救出した野鳥でしょうか。それならあの事故から無事に回復したことになり、うれしいですけれど。
 イチゴの「ネット張り」が急がれます。きのう豊地の農協で防鳥ネットを買いました。100坪用〈18メートル×18メートル〉は扱いにくかったので、今年は50坪用〈9メートル×18メートル〉のネットを張ります。イチゴ畑の面積は〈5メートル×10メートル〉で高さ約2メートルのネットを張りますから、うまく張れたらちょうどいいはずです。
 18日に採集・漬込みをした野草酵素飲料が一週間経過して、濾過する日になりました。「ゆこう」の絞り汁を加え、炭酸水で割れば最高の清涼飲料水になります。汗たらたらで畑仕事をして、ひと休みしてこれを飲むと体の芯が生き返ります。味見するのが待ち遠しい。きょうは芦屋の友も野草酵素飲料をつくろうと「野草採集」にやってきます。
 大地、太陽、水、空気のめぐみを、体にも心にもいっぱいもらって、今年も生きています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

100歳のお祝いをすませて、さ、畑仕事だ!

2013年04月24日 03時43分52秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 きのうは子らが集って、母・妙子さんの100歳祝いをしました。母が祝ってもらったことをしたことを忘れないように、写真やビデオに撮っておき、記念に贈ったビデオ付きテレビで繰り返し見てもらうつもりです。料理を頼んだりケーキやお花を頼んで段取りをするのも100歳でおしまいにします。子らも老いてきましたので。
 まわりの田んぼでは、畦や土手の草刈りがぼちぼちはじまりました。カラスノエンドウの生長が例年より遅いような気がしていましたが、このところ急に伸びています。あれを刈るのは一苦労です。刈払い機にからみつき、普通の草の倍の手間がかかります。< イチゴ・ハウスのネット張り ⇒ 電気柵の下の草刈り ⇒ 防草シートの張付け ⇒ 土手の草刈り ⇒ 生ゴミ土壌の置き場所づくり > にとりかかります。
 夏野菜の苗がホームセンターに並んでいます。もうそろそろ植える時季です。さ、頑張るつもりはないけれど、畑仕事にエネルギーを注ぐことにします。 
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春の畑仕事が目白押しに待っていますが、まずは……。

2013年04月23日 03時05分29秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 ブログの編集ページにロックがかかってしまい、19日に書いてからお休みしてしまいました。よくわからないけど、指示を読んでなにかするのが億劫(おっくう)になりました。それで放置していました。
 きょう開いてみたら編集画面が出てきました。なぜでしょう。ま、よかった。
 きょうは母・妙子さんの100歳のお祝いをします。正式の誕生日である5月6日にはデイ・サービス先(母は『学校』と呼んでいます)でお祝いがあり、ぼくたち夫婦も「およばれ」します。やっぱり100歳ともなればまわりもいろいろ考えるものです。
 ところでこの写真、畑のイチゴの畝です。今年は3畝200株にしました。よく花が咲いていますが、まだネットを張っていません。先日杭を打ち込み、ヒモを張ったところでストップしています。でもヒヨドリがねらっていますから、母の祝いが終ったらすぐにネットを張らねばなりません。
 畑にめぐらしている電気柵の下の草が伸びて、電線につかえそうです。土手の草刈りも急がねばなりません。電気柵を一度抜いて、下に草を防ぐシートを張ってからまた電線を張るつもりにしているのですが。
                 
 これはうちのウッドデッキ前に咲いた『ネモフィラ』です。青空と同じ色の花で、野原一面に咲くといいでしょうね。「国営ひたち海浜公園」のホームページを見てください。もうすぐ「ネモフィラ祭り」があり、450万本のネモフィラの「空色の野原」が見られるそうです。
 よくわからないけど、無事にここまで書けました。これからもこの編集画面がすんなり出ますように。
 そうだ。龍神さまにお願いしようかな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市の清掃センターにゴミ捨てに行きました。

2013年04月19日 05時44分57秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 三木市の清掃センターは、市街地から山に入ったところにあり、布団などの大型ゴミを受け付けてくれます。
衣類は「燃えるゴミ」として降ろし、布団や毛布は埋め立てゴミとして投棄します。そこで17日に軽トラに布団や毛布を積んで捨てに行きました。
 埋め立てゴミを投棄するところは広くて防水処理がしてあり、軽トラのまま投棄場まで下りていきます。市のパンフレットには「ゴミ引取り料金」が書いてありますが、一定重量内の片づけゴミは無料でした。まだきれいな毛布やコタツ布団を積んで「このまま北朝鮮に行って『コッチェビ』(孤児)の子どもたちにこの布団を渡せたらいいのに」と叶わぬことを考えながら走りました。
 母・妙子さんが5月6日で満100歳になるので、お祝いに布団を新調したのです。ついでに屋根裏部屋に突っ込んでいた布団類を整理したら、軽トラの荷台に山積みするほど多くの布団・毛布・コタツ布団を捨てることになりました。
 2006年12月に三木市の田舎に引越したのでまだ7年目です。長く住んだ前の家から引越すときは、いっぱい捨てました。質素な暮らしをするつもりで引越したのに、なんで軽トラで投棄するほど布団があるのかよくわかりません。もし引越してなかったら、どうだったでしょう。まさかゴミ御殿に暮らしてはいないと思いますが、「ゴミ御殿」ができるのがわかる気もします。
 いま日本の人は、うっかり暮らしていると「ゴミ御殿5分前」になってしまうのかもしれません。
 きのうは「春の野草酵素飲料」をつくりました。
 春は「木の芽」を入れてもいいので、裏山でいろんな木の芽を採りました。ベニカナメ、アラカシ、カキ、モミジ、サクラ、イチョウ、ビワ、ウメ、キンモクセイ、サンシユウ、サザンカ……。畑ではこぼれ種で穂が出ている六条大麦やゴボウの葉っぱも採り、レンゲ、ナズナ、ハコベ、ヨモギ、スギナ、ヨメナ、ギシギシ、カラスノエンドウ、タンポポ、ゲンノショウコ、セリ、シロツメグサなどにエンドウ、ソラマメ、ブロッコリーなど野菜の葉や花も。毒のある草や芽でも仕込むと毒を消し合います。毒といえばトリカブトが有名ですが、例えばトウダイグサも強毒です。道子さんはそれをざっと洗って水を切り、1キロずつ切り刻んで砂糖と交互に漬け込んでいきました。(全部で11キロの砂糖と10キロの野草・果物・穀類などを仕込み、一週間でできます。詳しくはネットで「手作り野草酵素飲料」を検索してください)ぼくは100歳祝いに買ったテレビを設置しました。母がショートステイから帰ったらお祝いをします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辻井伸行さんのピアノを聴きました。

2013年04月18日 02時54分33秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 このブログをよく覗いていただき、ありがとうございます。
 毎日忙しくバタバタしているのですが、ブログを書く時間も寝てしまい、ご無沙汰しています。今月は三日に一回しか書いてません。たまった出来事をボチボチお伝えします。
○ まず「シロハラ」の受難について
 裏山にサクランボ(暖地)を3年前に植えたのですが、今年は花が咲き、サクランボになりつつあります。それを「ヒヨドリには食べさせないぞ!」と先日防鳥ネットを張りました。ところが16日の朝、裏山を見まわっていたら、なにかネットにかかってもがいています。ヒヨドリなら、放してしまったらサクランボをまたねらうだろう。道子さんに見てもらったら、「シロハラ」が引っ掛かっています。
 シロハラは今年になって裏山に毎日飛来するようになりました。飛ぶというより裏山を歩いて散歩している野鳥です。いままでよく知らなかった野鳥が毎日飛来するのはうれしいものです。「今日も会ったね」とあいさつするような気持ちで見ていました。
 そのシロハラがもがいているのです。そこで道子さんに救出をお願いしました。ハサミを持ってきて絡んだ防鳥ネットをジョキジョキ切っていきます。シロハラのためならネットなんかボロボロになってもかまいません。で、なんとか羽と絡んだネットは取り除いたのですが、飛び立てないのです。どこか動物病院にでも診てもらおうか、と思ったのですが、元気で歩きまわったり指に噛み付くことはできます。野鳥の自然治癒力で元気を回復して、自分で飛べるようになるか様子をみることにしました。
                 
 水と野鳥の餌を用意し、道子さんは土を掘ってミミズを目の前に置きました。シロハラはペロッと食べてしまいました。飛べるようになるまで円筒形のゴミ入れに入れておこう。
 しばらくするとシロハラは外に出たらしく、どこかに行ってしまいました。
○ 辻井伸行さんのピアノを聴きました。
 16日は西宮の芸文センターで辻井伸行さんのピアノを聴きました。BBCフィルハーモニック・佐渡裕指揮で、ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番とベルリオーズの幻想交響曲という豪華プログラムです。CD・電波・テレビという機械を通った波動でなく、辻井青年の指がおこす空気の波動に直にふれました。2009年5月4日のブログに書いていますが、5年前には小野市のエクラホールで、ヨーロッパで活動している梯剛之さんの「オール・ベートーヴェン・プログラム」ピアノ・リサイタルを聴きました。
 梯さんの清澄な音。辻井さんの若い力あふれる音。生きてる間にそんな空気の波動にふれてしあわせです。
 それにしても、16日は芸文センターでラフマニノフ。17日はフェスティバルホールでチャイコフスキーのピアノ・コンチェルト。まだ続くBBCとの全国縦断ツアー。辻井青年のエネルギーの奔流。
 人間の「若い!」って凄いなあ。自分にもそんなときがあったんだなあ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぼつぼつ仕事を片づけています。

2013年04月14日 04時46分07秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 いま裏山でいちばん盛りの花は「ハナカイドウ」です。夕方6時半頃木々に水をやりながら撮りました。きれいな花なのですが、下向きだし、樹形がよくありません。以前明石でラフターヨーガをやっておられる「おさる」さんのお父さんに見ていただいたら、「木はどんな姿にでもなりますよ」といわれました。お父さんは盆栽をやっておられますから、おっしゃる通りでしょう。ま、当分この形のまま咲いてもらいます。
 シイタケの「建屋」というか「ヨシズを張った竹の枠」を補強して、昼の日があまり当たらないようにしました。強風で吹き飛ばされていたのです。今度は大丈夫でしょう。
 畑のイチゴがいっぱい花をつけています。今年は3月の気温が高く、よく生長したので、少し早目に採れるかもしれません。電気柵があるからアライグマやイノシシは防げるし、防鳥ネットを張ることにします。
 毎年1メートルの杭を40センチくらい打ち込み、それに竹の柱をビス止めして針金を張っていましたが、今年は「マイカ線」を使います。打ち込む杭も、ツルハシと鉄筋を使って下穴をあけてから打ち込むことにします。全力で木槌を振り下ろすのは息が切れますので。
 そうだ。サクランボのネットも張らなくては。ヒヨドリなどが美味しさを知ったら執拗にねらうでしょうから。そういえば畑のムシ塚にヒヨドリの遺骸を埋めた年があります。イチゴのネッドに引っ掛かって死んでました。
 おじいさんおばあさんは、目ざましい働きはしませんが、仕事をぼつぼつ片づけています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

裏山で焚き火をしました。

2013年04月12日 04時01分12秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 風邪気味のまま数日が過ぎていきます。立ち歩くと「病みあがり」の感じなので三日ほど外に出ないでいました。きのうの午後は気分がいいので、裏山に出てみました。「何かを焼く・燃やす」という目的はないのですが、なんとなくあのブロックを並べた「炉」で焚き火をしたくなったのです。
 焚き火の炎を見ていると、6日に列席した先輩の葬儀が思い出されます。
 ぼくの人生の山場みたいなところで、〈あのときの「ぼくという存在」の全てのエネルギー〉をそそいだ濃厚な時間を共有している先輩でした。あれから数十年という時間が過ぎていきました。それぞれに老いていきながら、出会えば、おだやかな交流を積み重ねてきました。ことさら思い出話の話題にしなくても、出会えばあの精魂を傾けた時間が、せせらぎのようにこころの底を流れました。
 焚き火の合間に、ここに移り住んでから裏山に植えた木々を見てまわりました。ハナカイドウはいま花盛りです。ハナズオウやライラックの蕾がほころんできました。竹薮だった頃から自生していた馬酔木(あしび)の新芽がびっしり出ています。
                
 馬酔木の葉は、野菜のムシを防ぐ「煎じ薬」に使います。ですから道子さんがいつも摘むのです。すると写真のようにいっぱい新芽を出します。
 クヌギやコナラも、栗や夜叉五十子(やしゃぶし)の木も、ガマズミや去年もらったニシキギも、みんなみんな新芽をつけています。今年植えた梨(豊水/幸水)や雄・雌のキウイやプルーン(シュガー/バーバンク)も新芽を出しました。
 そうそう、「サクランボ(暖地)の花が今年は咲いた」と喜んでいたら小さい実をつけています。小鳥に味を覚えられたら毎年ねらってくるでしょう。おいしいサクランボになる前にネットを張って防がなくては。
 夕暮れの木立ちを歩き、芽吹きを見てまわり、火の始末をし、春がこころのうろを埋めてくれた思いで、家に入りました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風邪気味でぶらぶらしています。

2013年04月11日 05時28分01秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 写真は咲きはじめたコバノミツバツツジです。これは元々裏山に生えていた木で、竹を切ったので日が当たり、木に勢いがついてきました。その横の若葉色はユウゼンケヤキです。植えたときは鉛筆くらいの太さでしたがいまではしっかり枝を張ってきました。
 裏山ではコバノミツバツツジ、ハナカイドウが花盛りです。ライラックもつぼみがほころんできました。足もとにはムスカリが花壇を縁どっています。花好きの道子さんは毎朝裏山を歩いてから仕事ににかかります。
 ぼくはこの数日風邪気味で、外仕事をしていません。家の中でぶらぶらしたりテレビを見たりしています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミモザは長く咲いています。

2013年04月08日 04時41分43秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 たしか植えて3年目ですが、ミモザはぐんぐん伸びて3メートル以上になりました。去年の5月頃、思い切り剪定したつもりでしたが、また枝を張ったのです。幹はあまり太くなっていません。まだ掌で握れます。自分の力だけで立つのは無理な太さです。
 だから添え木をしています。去年剪定するとき、すべての枝先を切るようにネットに書いてあったのですが「それではあまりに可哀相だ。少し切らないで残しておこう」とそのままの枝を残しました。そういう枝は花が咲いていません。「全部の枝を切り詰めればよかった」と反省しました。
 なにかあるとよく相談していた80歳の先輩が亡くなりました。もう10年、それが無理ならせめてもう5年、そんな人にいてほしかった。ですから何度かお見舞いに行き、竜神さまにもお願いしていました。
 妻と二人で葬式に出て、家族の方にごあいさつし、弔辞を読み、出棺を見送るうちに、絶対あってはならないように思っていた「死」が、意外にすんなり胸におさまるのです。
「ああ、〈死ぬ〉ってこういうことなんだ」
 ひとは、それぞれに寿命があり、死ぬ時期があって、死ぬ。
 そうかもしれません。このまま受け入れていままで通りに暮らします。
 5日・金曜日はPACオーケストラの定期演奏会で、西宮北口に出掛けました。佐渡裕指揮でオルフの『カルミナブラーナ』でした。
 まだ53歳だった1991年1月、ぼくは『神戸フロイデ合唱団』に入団しました。誰に誘われたのでもなく「魔が差した」としか思えない不可解な行動でした。そのとき歌ったのが『カルミナブラーナ』でした。フロイデ合唱団はすべて暗譜で歌うことになっています。大変な思いをしました。
 ああ、あれも遥かな思い出だなー。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

裏山につぎつぎと花が咲きます。

2013年04月03日 03時20分47秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 我が家の裏山はほとんど平坦な地面が10~20メートルほどあり、そこから登りになります。その平坦なところに木を植えているのですが、それがつぎつぎと咲いて毎朝歩くのがたのしみです。いまはアセビやサンシユウの花がおわり、コブシ・ユキヤナギ・ミモザ・椿の侘助・沈丁花などが咲いています。
「うちで花見をしたい」とソメイヨシノの苗を6本も買って植えています。あれは植えて数年して咲き始めるそうですが、いま花をつけているのは5年前に植えた一本だけ。花が咲くようになるまでに数年かかるそうです。はたして今生で花見ができるでしょうか。
 道子さんが植えたムスカリの球根が増えて、いま群生しています。クリスマスローズも咲いており、もうすぐネモフィラが咲くでしょう。コバノミツバツツジも咲きはじめました。寝室から裏山の花を眺めるのはしあわせな時間です。
 親しかった先輩が亡くなられ、実感がわかず、しんみりしています。
 昭和8年生まれで、日本が戦争に負けたとき(昭和20年)は小学校6年生でした。「どうもおかしいと思ったぜ」「大戦果をあげたなんてウソばっかり発表して!」「弱いのう。やっぱり負けたか」。まわりの大人はすぐに気持ちを切り換えました。子どもはそんな器用なことはできません。
 敗戦のとき予科練に志願で入隊していた城山三郎は、あの敗戦をこう書いています。
 
   私は廃墟になって生きた。 (『そうか。きみはもういないのか』より)

 まわりの大人たちに煽られ、「日本は絶対勝つ!」と信じる少年だった先輩は、「ひっくり返えされた自分の宇宙をどのように修復したか」について、こう話してくれました。
  
   ワシはな。なにをどう考えたらええかわからんようになった。まわりの大人の言うこと・することを
   黙ってじーっと見とった。立ち直るのに1年かかったぜ。

 敗戦のとき7歳だったぼくは、山陰の山奥で、戦争を実感することもなく蝉をとっていました。あの戦争の不条理が、少し年上の少年たちに「生涯にわたって影を落としている」ことを、あとで知りました。
 まだ話をきこうと思っていたのに断ち切られました。

   

   

   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

堆肥入れのフタをつくりました。

2013年04月02日 05時04分19秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                    
 円筒形の堆肥入れが、うちの畑には4つあります。2つに〈コープ瑞穂農園の堆肥〉を入れ、他には〈ワラ・干し草〉・〈燻炭や鶏糞堆肥など〉などを入れています。このフタは写真右端のように「OSB合板」でつくって雨をしのいでいました。でも直径115センチほどの容器ですから(フタは直径130センチ)、どうしても一枚の合板ではカバーできず、継ぎ目ができます。その継ぎ目から雨水が入り、よく湿っていました。
 そこでこのたびフタをトタンの波板でつくることにしました。波板を2枚つなぎ、写真のような8角形のフタにしました。二枚出来上がったので裏と表を並べて記念撮影。
 1枚のフタに角材の交差するところが5ヶ所あり、両方の角材に切り込みを入れるので時間がかかりました。それを4枚も。こんなめんどうなやり方でなくてもよかったでしょうが、図を描いたりあれこれ思案してつくったフタです。多少のボケ防止にはなったでしょう。
 きのうは天気がよかったので一日中畑で頑張りました。去年大豆をつくった5畝に耕運機をかけ、コープ瑞穂農園の堆肥を梳き込みました。それからフジワラ・ポートリー・ファームに鶏糞を買いに行き、肥料を入れてまた耕し、ジョレンで畝を整形しました。
 フジワラ・ファームでは、鶏糞が一袋〈200円 ⇒ 100円〉になっていました。5月末までの特別感謝奉仕だそうです。うちでは農協委託販売で320円した頃からこの鶏糞を愛用しています。サラサラで撒きやすく、窒素分が少ないのがいい。
 春本番、畑仕事も本番でした。こころは満ちていますが体は疲れました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする