保坂正康氏の『昭和陸軍の研究』は未来に残る労作で、「繰り返し読みたい」といまも手もとに置いている。彼は保守派の論客と目されるがいまの政治状況に黙っておれなくて『安倍首相の「歴史観」を問う』という本を出した。(2015年7月発行・講談社)
いくつか引用してみます。
安倍首相の歴史観を聞いていると、東京裁判は戦勝国の復讐の裁判で、あの戦争に対して侵略という定義はないという。つまり歴史修正的な歴史観です。この考えはドイツにもアメリカにもある。しかしそれは権力と一体になっていない。どの社会もどこかでバランスが働いているんです。日本だけが、今、歴史修正主義が権力と一体化してしまっている。この点で日本は、世界史的な包囲網に入っているのではと私は懸念しています。
私は、この国の軍事化を進めている政治家にかつて聞いたことがあります。
「軍事化を進めるときは、実際に死ぬかもしれない自衛隊員のことも考えるべきじゃないですか」と。そしたら
「自衛隊の人は、みんな誓約書を入れて入隊している。命令されれば、どこにでも行くってことになってますから、大丈夫です」
と答えた。そんなことよく言うなと思いましたね。
戦争に行けと言ったら、(中略) 辞める人もいると思いますね。結局は徴兵制しかないんです。(中略)「地球の裏側へ行くのも厭わない」と (中略) ある政治家は、 ある官僚も 言いました。しかし、彼等の子供たちは決して行かないでしょう。なぜか? 自分たちの息子は行かないようなシステムをつくるからです。
太平洋戦争のときに、戦争政策を決めた最上位の軍事指導者の子弟は死んでいますか? 太平洋戦争で指導者の息子たちが、激戦地へ行っていますか? ほとんど行きません。なぜなら、行かないですむ仕組みを巧妙につくるからです。徴兵の例外を幾つもつくるからです。戦争時の権力というのは、そういうものなんです。
こんな調子で保坂氏は「軍服を着た首相」に斬り込んでいます。しかし実際に声をあげるこの国の人々は多いとはいえない。そういう状況を見越しているからこそ権力は踏み込んでくる。
いくつか引用してみます。
安倍首相の歴史観を聞いていると、東京裁判は戦勝国の復讐の裁判で、あの戦争に対して侵略という定義はないという。つまり歴史修正的な歴史観です。この考えはドイツにもアメリカにもある。しかしそれは権力と一体になっていない。どの社会もどこかでバランスが働いているんです。日本だけが、今、歴史修正主義が権力と一体化してしまっている。この点で日本は、世界史的な包囲網に入っているのではと私は懸念しています。
私は、この国の軍事化を進めている政治家にかつて聞いたことがあります。
「軍事化を進めるときは、実際に死ぬかもしれない自衛隊員のことも考えるべきじゃないですか」と。そしたら
「自衛隊の人は、みんな誓約書を入れて入隊している。命令されれば、どこにでも行くってことになってますから、大丈夫です」
と答えた。そんなことよく言うなと思いましたね。
戦争に行けと言ったら、(中略) 辞める人もいると思いますね。結局は徴兵制しかないんです。(中略)「地球の裏側へ行くのも厭わない」と (中略) ある政治家は、 ある官僚も 言いました。しかし、彼等の子供たちは決して行かないでしょう。なぜか? 自分たちの息子は行かないようなシステムをつくるからです。
太平洋戦争のときに、戦争政策を決めた最上位の軍事指導者の子弟は死んでいますか? 太平洋戦争で指導者の息子たちが、激戦地へ行っていますか? ほとんど行きません。なぜなら、行かないですむ仕組みを巧妙につくるからです。徴兵の例外を幾つもつくるからです。戦争時の権力というのは、そういうものなんです。
こんな調子で保坂氏は「軍服を着た首相」に斬り込んでいます。しかし実際に声をあげるこの国の人々は多いとはいえない。そういう状況を見越しているからこそ権力は踏み込んでくる。