古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

祇園さん・愛宕さんにお参りしました。

2013年12月31日 00時53分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 我が家の年末恒例行事になった「祇園さん・愛宕さんへのお参り」写真です。
                
 家と畑の「ホーム・レーキ」(サラエ/ガンジキ)を総動員して持って登り、参道や祠(ほこら)まわりの落葉を掃き清めました。7月のお祭り以来掃除してないので、クヌギ・コナラの枯葉が厚くつもっています。それから祠を清め、水をそなえ、注連飾りをつけました。
 1年の恵みを感謝して神妙に拝んでいるところです。
 新年のお参りに、また登るつもりです。注連飾りは、老人クラブでお世話する「とんど」のときに燃やしてもらいます。
 大勢の人が参拝する神社やお寺でなく、村の人だけがむかしから拝んできた「祠」を一家で掃除して拝む。なんかいいですね。
 村の方にたずねても「どっちが祇園さんで、いつ祀(まつ)るか」曖昧だったので、80歳をまわった村の古老の方に確かめたことがあります。
「7月14日が〈祇園さん〉、7月24日が〈愛宕さん〉、参道から頂上の広場に出て、左が祇園さん、右が愛宕さん」ときちんとおしえてもらったことを思い出しました。忘れないように2011年7月25日のブログに書いていました。
 生涯「米づくり」にうちこみ、この村の田んぼを営営と耕してこられた方でした。去年の9月に亡くなられ、ぼくのブログでも「米づくり変遷の歴史を生き抜いた〈立派なお百姓さん〉でした」と追悼したことを思い出します。
 きょうは大晦日ですが、今年は「佐の広池周回の散歩道」草刈りは手付かずのままです。年末に刈るつもりでしたが、寒すぎるでのあそこまで行く気がしません。去年の12月に3日がかりで草を刈って開通させた『周回道』の写真でも載せておきます。
            
                   
 来年もよろしくお願いします。
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2013年 ⇒ 2014年に、〈よろこび〉をバトンタッチします。

2013年12月28日 00時07分08秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 我が家の2013年を、思いつくままに振り返ってみました。
                  
 手前左の小さい木立ちはうちの村の鎮守の森で、美嚢川の向こうにはなだらかな若葉の山が広がっています。(5月3日の写真)若葉の頃の山々に、ことばはいりません。黙って、若葉の吐き出す酸素を胸いっぱい吸うだけで、十分にしあわせです。
 5月は〈みのり〉の月でもあります。孫たちの家族は毎週やってきて、しっかり〈みのり〉を享受します。写真のイチゴはひと山がひとり分です。塩茹でしたソラマメは極上の味で、たっぷり食べられます。
                  
 母・妙子さんは5月に『満100歳』になり、デイ・サービス・センターで皆さんに祝っていただきました。デイ・サービスに来ておられる老人の方々全員がホールに集まり、道子さんもぼくも招待されて、「100歳を祝う会」をしていただきました。
                  
 職員のみなさんは勤務のあと、「銭太鼓」を練習され、その成果を披露してくださいました。きけば、口吉川デイ・サービス・センターで「100歳を祝う会」をするのは3人目だそうです。母はその中で一番元気で、自分で歩くから立派だそうです。
 6月にはタマネギ、ジャガイモを収穫し、夏にはスイカや夏野菜を収穫し、秋には胡麻、落花生、黒豆、大豆、サツマイモ、小芋などを収穫し、まわりの山々が色づき、やがて落葉し、冬になりました。
 来年もまた同じように1年をすごすことができますように。
 
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『神戸に出るルート』を変えようと思います。

2013年12月27日 05時02分56秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 家を建てて「田舎暮らしをする」といっても神戸の須磨区から車で走れば40分ほどですから、「遠くに行ったような」気分にはなりません。神戸の街に出るのも「ちょっと車で出ればいい」と気軽に考えていました。しかし後期高齢者になり、自分の「老い」を意識すると「なるべくなら車に乗りたくない」気持ちがつよくなりました。そんな私たち老夫婦にとってありがたい『新ルート』を見つけました。
 車で神戸電鉄の『恵比須』駅に行きます。家から車で15分。県道20号線の信号『細川町中』で左折して、〈竹中半兵衛の墓〉とか〈秀吉本陣跡〉の看板を横目に見ながら田舎道をたらたら走ると駅です。車は多くないし、歩道はちゃんとあるし、歩行者はいないし、道路を横断する人はいないし、危ないところがありません。
 駅前には広い駐車場があります。ここに車を置いて電車で『新開地』に出れば、阪神・阪急・山陽と乗り換えてどこにでも行けます。駐車料金は1時間100円ですが、丸一日だと400円。
 もう少しだけ若かった頃は「どこへでも車で行けばよい」と感じていましたが、生活のリズムが「ゆっくり」になると感じ方がちがってきました。道子さんは尼崎・塚口の実家に行くとき、地下鉄の『名谷』まで車を運転して行き、そこから電車に乗っていましたが、これからは神鉄『恵比須』経由で行くといいます。
 人に来てもらう場合、いままでは神鉄『三木』からバスで来てもらうか車で最寄の駅まで迎えに行くかしていました。最寄の駅といってもJR『新三田』/地下鉄『西神中央』なら車で40分かかります。往復だと80分。〈迎え・送り〉が大仕事でした。来訪者は時間にゆとりのある老人が多いので恵比須駅まで来てもらい、往復30分で送迎できます。
 しばらくこのルート経由で暮らそうと思います。
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やっと年内に大麦の芽が出ました。

2013年12月24日 03時24分26秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 六条大麦を播いたのは11月のおわりでした。2週間たっても芽が出ないので気になっていました。いくら寒いといっても「累計温度が100度を超えると芽が出る」とどこかに書いてありましたから。
 それが年末になってようやく出てきました。15センチを越えると〈麦踏み〉をします。一月中には1回目の麦踏みができるでしょう。「2週間おきに3回するのがいい」とどこかで読んだので、そうします。
 畑には小芋が十数株残って年を越します。こんなに寒いと土が凍るので保温が必要です。モミガラでおおうといいのですが、どことも田んぼに撒いて、燃やすか梳き込むかしてしまいました。で、老人会仲間の方にきいたら「うちはネギをつくるからアラヌカはたくさんあります。どうぞ」。(モミガラのことを「アラヌカ」というそうです)白い根の部分を長くするためにモミガラに深く埋めて育てます。
 軽トラで70リットルの袋に6つもらいました。小芋の畝を2枚の板ではさみ、モミガラで埋めていきます。うちも「白ネギをつくろう」とネギの畝もモミガラでおおいました。
 タマネギの追肥が残っていますが、フジワラファームの鶏糞がなくなりました。もらいに行こうと電話してみたら「いまは何百袋単位の注文があって在庫がない。年明けにしてほしい」。
 草刈りは終ったし、畑の土は湿っていて畝づくりができないし、ことしの畑仕事はそろそろ「おしまい」です。この畑のお陰でことしも〈とても豊かな田舎暮らし〉ができました。注連飾りをして、太陽に、土に、水に、空気に、この村でむらしから畑を守ってきた人たちに、そして草たちに、カエルたちに、ムシたちに(夜盗虫も入れるかなー)、感謝の気持ちを伝えます。
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きょうは子や孫が門松づくりをします。

2013年12月22日 02時39分20秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 道子さんに「あした子どもや孫が門松づくりに来るから、竹を切って用意しといてね」と頼まれました。で朝から裏山で竹を切り、長短いろいろなセットをつくってみました。小屋に並べて記念撮影。
 なおうしろの棚にカボチャが見えてますが、これは『鉄兜』(テツカブト)という品種で来年3月までこのまま保存できます。それができ過ぎたので困っています。野菜づくりに来ている青年にかなり助けて消費してもらいました。でもまだ10数個残っております。スープにすればそれなりに食べられるのですがいかがでしょうか。
 竹は丸鋸で斜め切りするのでそんなに力はいりません。しかし道子さんに見てもらったら「太過ぎて葉牡丹とつり合わない」と全部ボツになってしまいました。で、少し細い竹を切ってつくり直しました。道子さんが南天と松を切ってきて、畑に種を蒔いて育てた葉牡丹とポットの花をあしらい、うちの分は完成です。この見本を見て、子どもらも自家用の門松をつくるでしょう。
 畑やまわりの野山から材料をとってきて門松をつくる。なんでもないけど〈田舎暮らしのしあわせ〉を感じる〈ひととき〉です。
 午後は、子らのプランターと土を買いに出て、〈めがね注連縄〉も買いました。年末には半紙で「幣」を切って注連縄につけ、裏山に登り、愛宕さん・祇園さんにかざって拝みます。畑・裏山・小屋にも注連縄をつけます。
 そうだ。ことしは7年前に植えた木にミカンがなってるからこれもつけよう。裏山にウラジロが生えていたらもっといいのだけど。ウラジロは定植できるかネットで調べてみます。
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ブログを書き渋っています。

2013年12月21日 04時51分34秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 いつもこのブログを訪ねてくださってありがとうございます。
 12月1日ブログの最後の行に、こんな文を書きました。

 「PPKで逝きたい」とのん気に言っても「逝く」のは大仕事のようです。

 いま身近な人がホスピスに入り、終末をむかえようとしています。この年の瀬にどうなるか。
〈そのとき〉はせまっています。すると平凡だった日常が吹っ飛んでしまいます。だれもが終末をむかえるというのに、自分との距離によってまわりの風景までちがってきます。
 ことしの春にはぼくの身近な80歳の先輩が亡くなりました。
 道子さんはやはり身近な先輩を8月におくりました。
 どちらの方もふだんから親しく交流しており、お見舞いにも行きました。
 そしてどちらの方も「矢尽き刀折れた」ように逝かれました。

 母・妙子さんはショート・ステイしていた夜、トイレに行こうとしてベッドから起きあがったとき「転んだ」のはたしかなようです。痛がるのでレントゲンを撮って「骨は大丈夫」と診断してくださいました。帰宅してからシップを貼り、痛がるので介助して食事や着替えを手伝っておりました。
 そして「これからは全面的に介護が必要になるな」と腹をくくっておりました。ところが時間が経過し、打った痛みがうすらぐと、妙子さんは起き上がり、トイレに行き、洗面所で入れ歯と顔を洗い、玄関に新聞をとりに行くようになりました。
 打ったところはどんな具合か尋ねると「打ったりしとらん。なんともありゃせん」ともう完全に記憶から消えています。「打ったことが記憶から消える」と「骨折や痛みも消える」なんてことにはならんでしょうが、それにしても立派。「不死鳥の如く」ふたたび起き上がりました。
 そのうちぽかぽか陽気の日には「花切り鋏の入ったカゴをかかえてふたたび裏山に登るのではないか」とさえ「竹切り孝行息子じいや」は思っています。
 
 ブログを書き渋りながら、さまざまな人生模様を眺めているところです。
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黒大豆は6,5キログラムの収穫でした。

2013年12月18日 03時12分02秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                    
 これは12月14日の朝7時過ぎの写真です。あと8日で「冬至」になる朝の「日の出」は一番南寄りに近いところで、「真東」(まひがし)は手前の2本の電柱の中間になります。毎朝日の出を見るのは気分がいいです。拍手(かしわで)を打って「日の出」を拝む人があるけど、わかる気がします。わたしたちは太陽のお陰で生きています。
 先日脱穀した黒大豆は、選別したら6,5キログラムありました。うちは正月以外にも黒大豆を煮豆にしますが、これだけあれば充分です。売ってある瓶詰めの「黒豆の煮豆」は砂糖漬けみたいに甘いですが、うちでは薄味にして豆そのものの味をたのしむようにしています。うちの畑でつくった「小豆・大豆・黒豆」はどれもおいしい。
 農閑期になりました。草刈りはおわったし、収穫もおわりました。畑には小芋や野菜を収穫しに行くくらいです。タマネギの追肥は来週にします。そろそろ年賀状を書き、年末大掃除に手をつけることにしましょう。
 そうだ。「佐の広池」周回散歩コースの草刈りがまだだった。村のどなたも歩かれない散歩道ですが、新年にはうちの一家が散歩しようと思います。ことしはまだ余力があるので来週には草を刈ります。
 
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若者たちとの落ち葉掃除はパワフルでした。

2013年12月16日 07時12分40秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 ことしの「落ち葉掃除」は実にパワフルでした。
 まず参加人数です。いつもの年なら7人くらいですが、ことしはなんと14人。それだけでも圧倒されるのに「ひとりひとりのパワー」が全然ちがいます。なにしろ平均年齢を勝手な観察で計算してみたら、20歳以上下がりましたから。先日スタートした〈訪問看護ステーション『みなぎの』〉のスタッフがボランティアで参加してくださり、街から野菜づくりを学びに来る青年にも参加してもらいましたから。
 ことしは先日大雨が降りました。道路の落ち葉が側溝に流されて「枡」のところで数メートルも詰まりました。詰まった落ち葉の上を踏んでも足が沈まないほどです。それをほぐすようにくずして一輪車で山に捨てるのですが、掻き出しても、掻き出しても、減りません。おそらくここを高齢者がやったら途中であきらめたでしょう。しかし若者は粘り強かった。無施池の横の枡も「祇園さん・愛宕さん」への登り口の枡もきれいに通りました。
 やっぱり若い人はいいですねえ。
 こんな「気はやさしくて力持ち」の若い人たちがいるのだ。日本の未来は明るい!
 午後は黒豆の脱穀をしました。午前中のパワフルな仕事のあと、おじいさんとおばあさんで「足踏み式脱穀機」を借りてきて仕事をしたのですが、1時間でサヤをはずすことができました。あとは室内でできる仕事ですからぼちぼちやります。
 先日蒔いた「六条大麦」は寒くて発芽するかと心配でしたが、やっと芽が出はじめました。よかった!
  
 
 
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『魚の棚』で歳末の雰囲気を吸ってきました。

2013年12月12日 03時57分10秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 三木市口吉川町に住んでいると歳末の雰囲気を感じませんが、道子さんの運転免許更新で明石に出たついでに『魚の棚』に寄ってみました。写真のように〈大漁旗〉がにぎやかに下がり、「あー、年末なんだな」。
 魚の棚ではまた太刀魚を買いました。塩焼きにすると「とてもうまい」のでつい買ってしまいます。
 来年の年賀状を印刷しました。こんなに早くつくるなんていままでなかったことですが、道子さんもぼくも母・妙子さんも3人とも印刷は完了です。
 妙子さんは印刷したハガキに、一言ずつ自筆で書き足しました。一言書くつもりでハガキに向かうと一言が二言になり、友や身内一人一人に語りかける年賀状になりました。全部で22枚。立派です。
 畑は畝間に雨水が残り、まだ入れません。でも残っている作業は黒豆の脱穀と野菜の収穫くらいです。
 今年もそろそろ終りですね。
 
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ねじめ正一『23年介護』という本を読みました。

2013年12月10日 04時33分53秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 ブロックを積んだ畑の焼却炉の横に、古い材木の山ができています。製材所(元)の廃材をもらいました。畑のゴミを燃やす燃料にします。その向こうに写っているのは畳一畳大の生ゴミ投入箱で、やはり製材所(元)の廃材で6年前につくりました。製材所(元)にはいっぱいお世話になり、この畑のお陰で豊なに田舎暮らしをしています。

 図書館で借りて、ねじめ正一の『二十三年介護』(新潮社・2000年発行)という本を読みました。
 ねじめ正一のお父さんが脳溢血で倒れました。お母さんは家族に助けられながら23年間介護しました。夫を看取ったあと息子・ねじめ正一のすすめで「介護の手記」を書きました。それに作家のねじめ正一が解説をつけた本です。
 一読に値するかどうかわかりません。でも発行後しばらくして文庫本になり、広く読まれているようです。
 ぼくの感想。
 さすが作家です。母をうまくリードして手記を書かせ、介護の様子がよく伝わってきます。お母さんもよく伝わる文を書く人です。23年におよぶ父の介護となると、家の経済や家族の人間関係などいろんな問題がからんできますが、読者がいやな気持ちにならないよう整理して生身の人間像を伝えてくれます。
 介護中に父はまた脳梗塞になります。そのお父さんに『胃ろう』手術を受けさせ、お母さんは在宅介護に踏み切ります。それから介護は9年つづくのです。なんともいいようがありません。つよいお母さんだったから介護・看護ができたのでしょう。その〈つよさ〉はよかったのか。どうなのか。
 むかし同窓会で話していたときある友が「『胃ろう』の手術をしたら、意識なんかなくても、なんぼでも生きるでな。あんなことするもんでない」といったのをつよく覚えています。
 本文より引用します。

 「後悔なんてあるわけないよ。お父さんはいのちの最後の一滴まで使い果たして亡くなったもの」
 長い間寝たきりで亡くなって、親父には後悔はなかっただろうかと訊ねたとき、二十三年介護の母はそう答えた。
 晴れ晴れとした答え方であった。
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コープ瑞穂農園堆肥をもらいました。

2013年12月09日 04時25分24秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 例年春と秋には〈コープ瑞穂農園〉の堆肥をもらいに行くのですが、ことしは春から行きそびれていました。しかしタマネギを植えた畑は「コープ堆肥」でおおいたいし、「気合を入れてもらいに行かなくては」とたまに思い出していました。
 日曜日、街から野菜つくりにやってくる赤松青年にお願いして、いっしょに行ってもらうことにしました。いつものように巨大なシャベル・カーでどさっと軽トラに積んでもらい、持ち帰ったところをパチリ。道子さんと二人で運ぶときは半日仕事ですが青年は馬力がちがいます。大助かりでした。ありがとうございます。
 早速タマネギ畑はコープ堆肥で覆いました。エンドウも堆肥をやってフワフワシートで覆いました。まえにも書いたことがありますが、ここの堆肥は安いです。
 私たちがもらいに行くと「軽トラ山盛り一杯で3000円」。瑞穂体験農園を借りて野菜をつくっている人は、堆肥置き場に積んである堆肥を「無料」でつかい放題! その堆肥を肥料袋(ふつうの「花と野菜の土」袋の大きさ)に入れると、一袋500円で売店で売ってあります。手作業で袋に入れる手間賃を計算するとそうなるんですって。
 うちの畑は藤原ファームの鶏糞をつかい、他の動物糞(牛・馬・豚)は入れないようにしていますので、ゆっくり効きます。燻炭とコープ堆肥はふんだんに入れるので「とってもよい畑の土」になりました。野菜の味がいい。「土のお陰」です。
  
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モーツアルト/クラリネット5重奏曲を聴きました。

2013年12月07日 06時25分01秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 数年前のある日、晩秋の陽を浴びて畑で野良仕事をしていたら、ぼくの頭の中で音楽が鳴りました。空耳(そらみみ)でなく。モーツアルトのクラリネット5重奏曲(K.581)の第2楽章でした。その余韻を慈(いつく)しむように、しばらく鍬(くわ)を持つ手を休めてあたりの景色を眺めていました。
 畑のそばのコナラから「ひら」また「ひら」と枯れ葉が落ちてゆきます。豆殻を燃やした煙がまっすぐ立ちのぼっています。田舎に暮らす〝しあわせ"が体をつつんでくれました。
 ぼくの持っているCDはカール・ライスターのクラリネットです。愛聴していますが、まだ演奏会でこの曲を聴いたことがありません。先日聴いたチャイコフスキー/第5番交響曲のように「直接演奏する空気の波動に身をさらしたい」と願っていました。
 その演奏会がきのう「やしろ国際学習塾L.O.Cホール」であり、夜聴きに行きました。チラシには
 《至福の瞬間(とき) …… 現代最高のクラリネット奏者 × 我が国最高のクァルテット!》
とあります。ポール・メイエのクラリネットにアルティ弦楽四重奏団でした。
 演奏がはじまりました。スピーカーで聴く音とちがってやわらかい。きのうは昼寝をしなかったものだから眠気が忍び寄り、夢見心地です。(寝てたかも)
 でも大好きな音楽だからぼくの耳はしっかり聴いてくれたでしょう。できれば木管コンクールのクラリネット協奏曲のように(10月にコスミック・ホールであり、朝から出掛けて8回聴きました)8回繰り返して聴いていたい。しあわせな時間でした。
 でもショックなことが。
 きのうは口吉川町老人クラブの「グランドゴルフ大会」が午前中にあり、ぼくも参加しました。無事におわって、うちの村はみんなで昼食をとって帰りました。午後は畑に出て黒大豆の畝を耕運しました。5時前に家に帰り、思いついて母の爪を切りました。夕食を待ちながら夕刊を広げたら、道子さんが「6時に出れば間に合うわね」。
 えっ? なにがあるの?/きょうは音楽会でしょ/えらいこっちゃ。忘れてた/なんとか間に合うから大丈夫よ/
 何ヶ月も前にチケットを買い、家の中に二ヶ所もチラシを貼って、それを眺めて演奏会をたのしみにしてたのに。その演奏会を忘れてたなんて。
 ぼくにはショックでしたが、読まれるみなさんにはショックでないかもしれません。
「老人にはそんなことあるある」って。
 来年から同じカレンダーを二つ買って並べてぶら下げ(2ヶ月がひと目で見れる)、そこにいろんな用事をすぐに書き込み、さらに大事なことは直前に紙に大きく書いて、挟み込むようにしているのですが。
 あーあ。どうか大きな「忘れ物」をしないで終点までいけますように。
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ひと仕事おわって「やれやれ」と腰を伸ばしてます。

2013年12月05日 03時26分11秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 わかりにくいですが、この3畝にはタマネギを4条で植えました。全部で1000本。道子さんの仕事です。我が家で1000個も食べませんが、来訪者にちょっとお渡ししてもよろこばれます。大豆畑トラストで出会った石川さん推奨の『タマネギステーキ』もおいしいです。近くの村で野菜をつくっておられる方は5000本植えるそうです。手作業でやるしかない仕事で、「プロはちがうなー」と感心するばかりです。
                  
 こちらは畑の南の土手です。来年の3月まで土手の草はあまり伸びませんから、足場にのってていねいに刈りました。秋から伸びはじめた曼珠沙華も刈りました。また伸びてくれるでしょう。これでことしの「土手の草刈り」はおしまいです。4月から11月まで8回の草刈りが無事にできて、ホッとひと息ついています。
 そうそう、佐の広池を周回する散歩道の草刈りにまだ手をつけていません。蛇やマムシはとっくに冬眠しているので年内開通をめざして刈ることにします。
 このブログ『古希からの田舎暮らし』は2009年3月に発信しはじめ、この秋で1000回を越えました。何か大きな事業を目標にしたり、何かを達成しよう、とするブログではありません。老人の地味な日常をお伝えしているだけです。それでも1000回書くことがあったのは、古希になってから田舎暮らしをはじめたからです。1本の樹木も路傍の石ころのようなお地蔵さんも、新鮮な気持ちで眺めることができました。裏山や休耕田の畑でツルハシを振り上げたり、草刈り機を振りまわしたりして、全身をつかって自然と大地になじんできたし、それをお伝えすることができました。
 もうひとつ、お伝えしたいことがあります。
 それは「こころ」です。神戸の街に暮らしていたときは退職後毎日散歩しました。毎日のように道を変えて住宅街を歩きました。でも見知らぬ人と出会って声をかけよう、話しかけてみよう、という気になりませんでした。ご近所以外にはあいさつもしませんでした。
 田舎に暮らすようになって、自分の「こころ」が知らぬ間に「外に向かって開いている」ことに気づきました。なぜかわかりません。村で人に会えばあいさつする。村の中の道を車が通れば運転者の顔を見るし、野良仕事をしている人があれば自分から話しかける。無理にするのでなく、自然にそうなってる。そういう状態がいまもつづいています。人間同士だからそれが自然です。風景の自然だけでなく、人間同士の自然が田舎には息づいています。だから「こころ」が「知らぬ間にひらいている」のでしょう。
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大豆を脱穀しました。

2013年12月02日 02時59分15秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
   
 天気に恵まれてきのうは大豆を脱穀しました。
 まず耕運機で大豆を植えていたところ耕し、レーキでならしました。それから24畳のブルーシートを敷き、『足踏み式脱穀機』を置きます。機械の字が左から右に書いてあるので戦前の脱穀機ではないようです。
 稲木に干していた大豆を運び、脱穀開始です。実際は1人で踏み1人で脱穀するのでしょうが、なれてないので左右の人が踏み、真ん中の人が大豆を差し入れて脱穀しました。
 唐箕(とうみ)は朝借りてきました。こちらは相当古いようですが造りは頑丈です。はじめはザーッと出てしまったり全然出なかったりしましたが、大志くんたちはいろいろ試みて使い方をマスターしてくれたようです。
   
 みんなはじめての体験でわくわくしています。
 大豆の脱穀カスは横で燃やし、大志くんと萌ちゃんが最後の消火まで火の世話をしてくれました。このたびは孫二人もとってもよく働いてくれて、午前中に脱穀がおわりました。
 重量を測ってみたら17,5キログラム。選別すれば15キログラム足らずでしょうか。例年のように味噌に7,5キログラムつかいます。まあまあの収穫でした。
 なお写真は大きいサイズでアップしてしまいました。
 そうそう、軽トラで家に帰るとき福地池をまわってみました。水を抜いた池の底で、おとなのヌートリアが1匹泳いでいました。久しぶりに見ました。
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落成式に招かれました。

2013年12月01日 01時56分44秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 我が家のお向かいに完成した〈訪問看護ステーション〉=『みなぎの』の落成式に招かれて、二人で参加しました。病院や看護学校の方々・地域の方々・国会議員も来ておられ、我が家の前はときならぬ人の集まり。
 で写真・右にチラッと写っている白い壁が看護ステーションです。左は我が家で真ん中が裏山です。
                 
 「何を撮りたかったのか」
 青空と裏山の色づいたコナラ・クヌギです。
 葉っぱが一枚スーッと落ちてくる。また一枚。音もなく。
 外からなんの力も加わらないのに。また一枚。
 静寂。落ち葉。とまった空気。
 なんというか雰囲気というか情緒というか息づかいというか。「秋」。
 裏山のある家に暮らすようになってはじめて体験します。
 実にいい。
 降ってくる落ち葉を感じながらたき火にあたる。「しずかな」と形容詞をつけたくなる「秋」です。
 それにしても寒いですね。
〈皇帝ダリア〉がついにしおれました。寒さに耐えてよく頑張りました。
 畑の〈秋ジャガイモ〉がいっぺんにしおれました。
「試し掘りしてみたらアンデスは小さいからもう少しおく」と道子さんはいってます。
 足踏み式脱穀機を借りてきました。唐箕(とうみ)も借ります。きょうは大豆の脱穀をします。街から野菜づくりに来ている青年、孫たちも手伝います。
 心はずむ一日になりますように。
 
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