古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『干し柿日和』がつづきます。

2018年10月31日 02時20分57秒 | 古希からの田舎暮らし
 稲刈り日和がつづくうちに、すべての稲刈りがおわりました。
 今年の秋は、朝夕冷え込み、日中はよく陽が当たり、干し柿づくりも順調です。道子さんと「干し柿日和だね」といっております。道子さんは渋柿を「皮をむいてから熱湯に3秒ひたす」やり方をスマホで知りました。村でもらった渋柿も道の駅で買った渋柿も、順調に干し柿になりつつあります。
 
 甘いモノに目のないアライグマは干し柿が大好物です。我が家の干し柿も過去にはアライグマにやられたことがあります。そこで昼はウッドデッキに出し、夜は室内にとり込むようにしています。
 干し柿の向うに稲刈りのすんだ田んぼが広がる。晩秋の景色です。
 この空気感。なんか、いい。今年は、夏にうちの畑になった土地が目の前に広がり、さらに、いい。
 道子さんは、イチゴ120株(2畝)/タマネギ300本(1畝)/エンドウ・ソラマメ(1畝)/ネギなどを植えて、前の土地が畑らしくなってきました。

 きのうはうちの村の「老人クラブ・昼食交流会」案内のチラシを二人で村の家家に配りました。ほんとは昔からの村に、案内チラシなんて似合わない。声を掛け合って集まればいい。案内チラシをつくって、配るなんて、かえって空々しい。
 でも「村の寄合い」に半分も出てこない。そんな時代です。ひとつの節目かも。
 老人クラブのつながりや活動が、盛り上がりますように。
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「オレは平坦な道を歩いてきたんやなー」。

2018年10月30日 03時32分55秒 | 古希からの田舎暮らし
 何気なく図書館で借りた本『ガン封じ寺和尚の奮戦記』 -捨てて歩けー 高田真快 著(平成6年・国書刊行会)を見ていたら、著者の生年が目にとまりました。
 
   昭和12年岡山県生れ。 …… オレと《同い年》や。

 本を読んでいくと、高田さんは波乱万丈の人生。病気になり、巡礼し、お坊さんになり、本もいろいろ書いて、亡くなっています。
 先日、池井戸潤の『陸王』を読んだときも思いました。
 「陸王」の主人公は、落ち目の小さい足袋製造会社をやっていて、新製品を作ろうとしたり、会社の運営資金を銀行に頼んだり、交渉したり、苦労の連続です。
 そのとき、思いました。
「オレは、60歳まで中学校の先生をして、授業のことはあれこれ考えたけど、会社の支払いとか、売り込みとか、製品開発とか、人間関係とか、そんな苦労をしないで生きてきたんやなあ」。
 昭和12年に生まれ、戦争に負けたのは7歳(小学校2年生)のとき。山陰の山奥に暮らしていたから、敵の飛行機も味方の飛行機も飛んで来ないし、爆弾も落ちないし、本物の「警戒警報」も出たことはない。身内に戦死した人もなく、戦争の苦労はありません。
 その後も平凡に生きてきました。ちょっと病気したり、西宮 ⇒ 明石 ⇒ 今田 と転勤したり、結婚してから5回引っ越したり、いろいろあったようで、今から振り返ってみると道は平坦でした。 
「なんでかわからんけど、ぼくは、恵まれて生きてきたなあ」。
 世の中の大変な話を聞き、まわりの人たちの苦労を見聞するにつけて、自分にあたえられた《恵み》を思います。

 生き物は、自分にあたえられた境遇で、精いっぱい、生きる。人間も、動物も、植物も。自分にあたえられた境遇の中で、自分にあたえられた力で、一生懸命生きている。
 生きてきた場面を思い起こし、「ああすればよかった」/「あんなことはすべきでなかった」/と思うことはあっても、あのときは、ぼくなりに、「一生懸命生きてきたんだ」。
 そんなことを思いました。
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西宮の芸文センターで音楽を聴きました。

2018年10月28日 11時48分30秒 | 古希からの田舎暮らし
 久しぶりに西宮の芸文センターで音楽を聴きました。若いPAC(芸文センター管弦楽団)の演奏で、モーツアルトを。清潔感のある演奏で、気持ちのいい音にひたりました。
 ここの大ホールは天井が高く、10年以上たっても古びた感じがありません。壁や床、イス、フロアに固くて厚い材木がつかってあり、しっとり感がなかなかいい。
 ホールに入って、天井を見わたすだけでいい気分です。
 きのうは、12時に家を出て、神鉄恵比須駅前に車を置いて、西宮北口に行きました。このコースは時間がかかりますが、電車にゆられていると着きます。
 膝が少し痛いので、足を引きずるような歩き方になります。それを見て若い乗客の方が席を譲ってくださいました。人の情けが身にしみる年頃になりました。ありがとうございます。
 村の100歳超の方が亡くなられ、今夜はお通夜に行きます。最近は家族葬が多いですが、生前に交流のあった方なので、列席したいと思います。


 
 

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イチゴ畝/テントテラス/ができました。

2018年10月27日 02時06分15秒 | 古希からの田舎暮らし
 道子さんは「家の前の畑」にイチゴの苗120株を植え込みました。濃い土色というより浅い真砂土色ですが、「割り肥え」は野草酵素飲料の搾りかすと鶏糞などをしっかり入れています。燻炭もしっかりすき込んでいます。
 
 この苗たちはこのまま冬の寒さに鍛えられ、春にはマルチを掛けてもらい、4月にはアライグマを寄せつけないネット・ハウスで囲んでもらいます。
 そして5月には「イチゴ天国」がこの地上に出現するという次第です。
 大変な作業でしたが、道子さんは根を詰めてやりとげました。
 さてぼくのほうは、コンパネ2枚の台をおおうテント・テラスをつくりました。下の畑のテント・ハウス材料で、写真のようなテント・テラスに。波板の屋根をつけるより簡単でした。

 歩いて30秒の我が家に、眺めのいいウッドデッキがあるのに、なぜこんなものを? 
 出来上がったテントを見て「必要なものというより、つくって遊びたいだけやな」と思いました。
 でも、まあ、畑に11年置いていた丸テーブルとイス2脚を持ってきます。
 こちらのねらい通り、前を通る村人を「お茶をどうぞ」と呼び込めるか。
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「下の畑」はほったらかしで「家の前の畑」に一生懸命

2018年10月25日 22時04分18秒 | 古希からの田舎暮らし
「下の畑」の草を刈り、片付けるタイムリミットが迫ってきました。お返しするのは12月末日ですが、11月中には片付けを完了するつもりです。
 ところが気持ちはどうしても「家の前の畑」に向かってしまい、片付けのほうに意識が行きません。困ったもんです。といいながら、今日も前の畑に屋根をつける仕事をしていました。
 ポリカーボネートの屋根をつける気になっていましたが、そんな大袈裟なことをしなくても、シートの屋根でいいです。下の畑でシートを張って「休み場」をつくっていましたが、今日はそれを前の畑に移動しました。
 明日シートを張って、屋根は完成ということにします。
 道子さんはイチゴの畝をととのえて、120株のイチゴを植え込んでしまいました。大仕事でしたが「イチゴ天国」のために実によく頑張りました。
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有馬温泉で骨休め

2018年10月24日 22時42分07秒 | 古希からの田舎暮らし
 前の畑ができて、いろいろ働いています。
 家の前の土地は今から12年前、持ち主の方に「畑にしたいから売ってもらえないか」とお願いしたことがあります。「あの土地はバブル期に坪10万円で買いました。せめてそれに近い値で」と言われて、あきらめました。そして下の畑を借りて11年間耕作してきました。
 今年なってから測量士がやって来て、前の土地を測量しはじめました。「家を建てることになりました」と不動産屋が言いました。
「眺望はわるくなるけど、12年間たのしんだし、ま、仕方ないか」と思っていました。ところがその話が立ち消え、また売りに出されているのをネットで知りました。前と比較にならない安値で。8月に土地を入手。《眺望と畑》を手にすることになりました。
 思わぬなりゆきで土地を入手し、「《縁》があったんやなあ」とつくづく思います。
 さていろいろ仕事のある日々ですが、お誘いがあり、有馬温泉に一泊しました。

 夕食の「前菜」を見て「きれいだなー」と見とれてしまいました。
 いい骨休めになりました。
 また仕事に励みます。膝痛とも付き合いながら。
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『山田錦』の稲刈りは順調にすみました。

2018年10月23日 00時38分31秒 | 古希からの田舎暮らし
 去年の10月は雨がひどかったのですが、今年は『山田錦』の稲刈りが調子よくできました。きのうは道子さんの用事で郵便局に出掛け、ついでに口吉川町をドライブ。笹原から旧道に入り、槇 ⇒ 久次 ⇒ 里脇/大島/南畑/保木/ …… とまわり「稲刈りが順調にできてよかった」と思いました。えらそうな視察でなく、秋を感じながら軽トラでドライブするのはちょっといいものです。
 写真はうちの村の稲刈りの様子です。最後の稲刈りで、向こうにコンバインが動いています。

 さて我が家の「前の畑』も着々と整っていきます。一週間前に仕込んだ「野草酵素飲料」を搾り、「搾りかす」を畑の肥料に使います。畝をつくり、イチゴの苗を「本植え」します。その準備として「割肥え」を入れました。

 写真はイチゴの2畝を耕運機で割ったところです。この谷に酵素飲料の搾りかす、JAの鶏糞、過燐酸石灰を入れて畝を整えます。真砂土でしたが、先日かなりの量の燻炭、米ぬかをすき込んでいます。
 なおイチゴの苗は2箱(80株)買っていましたが、長い畝がとれるので40株買い足しました。子や孫の「イチゴ天国」のために、おじいちゃんおばあちゃんは頑張るぞ!
 ところで「新しい畑には堆肥をたっぷり入れよう」と思ってコープ瑞穂農園に電話しました。しかしいまは「軽トラ一杯3000円の堆肥はやってない」って。「肥料袋一杯500円の堆肥はあります」って。それでは高くて使えません。
 道子さんは「イチゴやタマネギは腐葉土で苗をくるんで植える」といってます。
 きのう、ドライブの途中、前から気になっていた「三木堆肥化センター」に寄ってみました。南畑から山に入っていく道です。細い道をかなり登っていくと山の中に大きな工場。
 話を聞いたら「食物残渣を各地から集めて、堆肥化している工場」ですって。「堆肥は無料であげます」って。いまはまだ臭いがあるので、もう少し寒くなって臭いがなくなったら、軽トラでもらいに行きます。
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三木の音楽会をたのしみました。

2018年10月22日 02時31分09秒 | 古希からの田舎暮らし
「今年は駄目と思ったけど〈黒豆の枝豆〉なんとか採れるよ」 
 と娘たちに電話したら、日曜日に採りに来ました。午前中は畑仕事をするつもりでしたが、草刈り機を軽トラに積んで「いざ出動」というとき、急に眠くなりました。
 そんなことがときどきあって、その時は「眠いという〈内なる声〉にしたがう」ことにしています。
 で、午前中寝てしまいました。
 お昼前「今日は三木音楽協会のコンサートが吉川公民館である」ことを思い出しました。道子さんに「行こうか」といったら「行ってもいいね」。
 吉川公民館のホールにはじめて入りました。

 演奏曲目に『ラ・カンパネラ』などがあるのに音楽室のグランド・ピアノで気の毒でしたが、演奏はたのしめました。声楽もよかった。前から2列目の席で、すぐ前で歌っていただく「生の声」が耳に快く響きました。
 しばらく音楽会から遠のいていましたが、あと2回音楽会に行く予定です。
 一つ目は来週の土曜日、西宮の芸文センターでモーツアルトの演奏会。久しぶりにPAC(芸文センター管弦楽団)の演奏を聴きます。若い、真摯な、気持ちのいい演奏。クラリネット協奏曲をたのしみます。
 もう一つは小野エクラホールで「三木室内管弦楽団」の演奏会が11月4日にあります。なんと入場無料。頑張っていただくのに申し訳ないような気持ちです。
 オール・ベートーベン・プログラムで、交響曲第3番=『英雄』とピアノ協奏曲第3番。大曲にチャレンジする心意気がうれしくなります。
 
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畑の片付けにとりかかりました。

2018年10月21日 01時33分00秒 | 古希からの田舎暮らし
 心の中では「畑をお返しするのは12月だからボチボチ片付けよう」と思っています。でも実際に片付けはじめると、この11年間に畑でやったことがいっぱいあり、「片付けは簡単でないです」。
 遊歩道の一部を片付けはじめました。いろんなモノが出てきます。そんなことをしたのを忘れてます。「そうだ。こんなこともしてたな」。思い出しながら片付けることになります。

 堆肥を入れていた容器のふた(トタンの波板)に集めてみました。ブロックのカケラ/打ち込んた杭/ガラクタを入れていたカゴ/パイプのカケラ/などが地面から出てきます。
(サツマイモを掘りに来られた方が「うちにバッカンを借りてるので廃物を出してください」。バッカンというのは産廃では舟みたいな鉄の箱です。名前をはじめて知りました。)
 そうだ。あのカゴは、まだ中学に勤めてたとき使ってた。教科書/チョーク箱/プリント/ピクチャー・カードを黒板に止めるマグネット/などを入れて片手に持ち、もう一方の手にテープレコーダーを下げて教室に行った。そのカゴがこんなところにある。もう20年超前のことだな。
 燃えるものは燃やしてしまおう。イチゴネット・ハウスの木材などは先日から焼却炉で燃やしています。草ゴミとかサツマイモのツルを燃やしながら。

 ブロックの炉のそばは木材の山。イチゴ・ネットハウスにこんなに材木を使っていたかとびっくり。
先日もきのうも相当に燃やしましたがまだまだ。サツマイモのツルなどを燃やす燃料になりますが、こんなに多くはいりません。
 また北朝鮮の地方の人たちのことを思います。あの国は、金王朝の無能な指導者に言われて、木を伐って山を段々畑にしてしまいました。いまも地方の燃料は木です。その木に不自由しています。この木材を村の角に積んでおけば、みんな煮炊きに使ってくださるでしょうに。
 朝鮮の南北対話とかトランプと金王朝のトップ会談とか、民衆の願いや生活と関係のないところで歴史は動いています。携帯電話を渡して思いをしゃべってもらった北朝鮮の地方の民衆の声。「生活が苦しい。生きるのがつらい。何より希望というものがないのが、やりきれない。戦争でも起こればいいと思う」。
 例えば停電が毎日、何時間もある。いまの時代にそんな生活がどんなものか。想像するのもつらい。
 
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『断捨離』しながら思ったこと

2018年10月20日 02時28分15秒 | 古希からの田舎暮らし
 寒くなりました。夏の着るもので誤魔化していましたが、間に合わなくなりました。衣服を入れ替えしなければなりません。
 野良着と室内着と外出用のズボンやジャンパーなどです。冬の着る物を出してみると、お金を掛けた上等のものはなくて、ホームセンターやスーパーで買った衣類で間に合わせています。夏の衣類も同じ。ワイシャツやネクタイを締めることもなく、背広を着ることもありません。わずかな衣類です。ここ数年は、15分もあれば入れ替えができていました。
 きのう、重い冬の上着を手に取ったとき。
「この上着はまだ勤めていたときの室内着だ。20年超も昔の、重いモノなのにまだ着ているか」。
 そう思って冬の衣類を見ると、年数のたったものが多い。去年買ったジャンパーも、色がイヤで着てない。
「あまり着ないモノまで並べることはない。小屋で使うウエスが無くなったし、この際ウエスにしよう」
 一度そう思うと「これは重い。これは色が嫌い。これもウエスにしよう」と、夏物冬物合わせて山のようなウエス材料ができてしまいました。
「ただ捨てるのは抵抗があるけど、ウエスにするなら有効利用だ」。
 衣類にハサミを入れ、引き裂いていると、調子が出てきます。半日かけてウエスの山ができました。
 12年前、引っ越しのときに衣類を処分したのに、こんなに衣類が増えていたのか。
 オレでもこんなに衣類余ってるんだから、街の人は衣類に埋もれてるだろうな。断捨離を心掛けている人なら、着る物だけがスッキリ並んでいるでしょうが、多くの人はあふれる衣類をどうしていいかわからないのではないか。
 寒い国・北朝鮮の人たちのことも思います。平壌の人は、看板だから何か着ているでしょう。しかし地方の人たちは着る物に不自由しているはずです。整理がつかないほどあふれて、着ることもない衣類を、あの国の地方の街角に積み上げたら、役立ててもらえるだろうに。
 
 気に入った冬物を一つ買うことにしよう。
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テラス/物置/をセットしました。

2018年10月18日 01時09分19秒 | 古希からの田舎暮らし
 下の、大きな畑に、気持ちが全然いきません。前の畑ばかりに。
 今日はコンパネ2枚のテラスと物置をセットしました。

 道子さんは「このテラスにイスとテーブルを置いて、通行人を呼び込んでお茶する」といいます。この道を歩いて通行する人は一日に一人か二人でしょうが、でも「人と交流しよう」とする心構えがいいね。
 テラスにはパラソルを置けばいいようなものですけど、道子さんは「屋根を付けてほしい」といいます。ぼくはポリカーボネイトで屋根を付けるつもりです。大工仕事となると大好きですし。
 膝は、杖なしで歩けます。でも立ち上がって歩きはじめるときは「痛むかな」と不安ですし、多少は痛みがあります。ゆっくりしか歩けません。
 これからの人生は「こんな状態と付き合いながら生きるのかな」と思います。
 なにしろ「膝痛」をかかえて生きる人は、グルコサミンのコマーシャルでは、2000万人とも4000万人とも言ってますし。自分だけ抜けようと思っても駄目なようです。
 ま、いいか。
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84歳になるまでの免許証をゲットしたぞ!

2018年10月16日 20時30分09秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は明石の試験場に行きました。「高齢者講習終了証明書」をもって、意気揚々と。そしてスイスイと窓口を通って、新しい運転免許証をもらいました。
 これで平成33年10月、84歳になるまで車を運転することができます。
 では、84歳になったら自主返納するか。  
 そのとき、また、考えます。元気ならもうちょっと。
 お昼前に「魚の棚」に行きました。今日はお客さんは少な目でした。魚も少なかった。道子さんはピチピチはねてるエビを買いました。夕食にはエビのから揚げが出ましたが、これが実にうまかった。新鮮な魚は味がちがいます。

 アーケード街は飾ってありますが、人通りは少な目でした。久しぶりに明石焼き(タコ焼き)で昼食。目当ての大きな太刀魚は出てなくて、魚秀で太刀魚の塩焼きを買いました。しかし味はイマイチ。やっぱり魚は新鮮でないと駄目ですね。

  
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今年の稲刈りは順調にはかどっています。

2018年10月15日 00時45分07秒 | 古希からの田舎暮らし
 特に8月末の台風で、黒豆は駄目になりました。毎年、枝豆を道端で販売する口吉川町の村村も、今年は「中止」だそうです。我が家の黒豆も駄目。それでも枝豆を食べてみよう。抜いて少ないサヤを茹でてみますが、例年より粒が小さく、味が落ちます。
 日曜ごとに「黒豆の枝豆狩り」に来た子たち孫たちも、今年はどうするか。多くの人と分かち合い、よろこんでもらった枝豆ですが、有終の美を飾ることはできませんでした。来年からは10分の1も作れません。
 土づくり ⇒ 畝立て ⇒ 植えつけ ⇒ 土寄せ ⇒ 杭を打ってハウスバンド二段張り ⇒ 畝間潅水 ⇒ 虫点検 …… いっぱい花が咲き、サヤになりかけたとき、7月末の台風・8月末の台風・9月の台風。「あーあ!」
 ま、人生はこんなもんかな。
 10月10日が過ぎて、いまは山田錦の稲刈りが真っ最中です。
 去年の三木市の雨を調べてみたら10月は18日雨が降っていました。それもかなりたっぷり。稲刈りの月にこんなに雨に降られたのでは、農家はお手あげです。コンバインを田んぼに入れたけど、立ち往生して、人間が足をとられながら鎌で刈り、コンバインに持っていく場面を見掛けました。気の毒で、見ていられませんでした。
 今年は、あの台風が稲の稔りにどう響いたかわかりませんが、稲刈りは順調にできそうです。
 
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『秋の野草酵素飲料』を仕込みました。

2018年10月13日 23時02分53秒 | 古希からの田舎暮らし
 春の野草酵素飲料は、夏にほとんど飲んでしまいました。炭酸水で割り、氷で冷やした酵素飲料は実にうまい。1リットルの水筒に入れて畑に持っていってもすぐに飲んでしまう。
 9月からは秋の酵素飲料ができるまで我慢していました。
 そして、秋の酵素飲料を作る季節がめぐってきました。
 今日は天気がいいので、手作り酵素飲料を仕込むことにしました。
 秋は新芽の野草が少ないので果物が中心になります。

 デッキに並べた材料です。リンゴ/柿/みかん(裏山の木になったのも)/キウイ/オレンジ/ブドウ/など。穀物や豆類(前夜から水にかしておく)=黒豆/大豆/胡麻/玄米/など。野草や菜っ葉類。ジャガイモ/小芋/サツマイモ/など。畑の根菜類など。全部で10キログラム用意します。
 
 いつもの仕込み準備の写真です。白砂糖は11キログラムを用意します。
 作り方は簡単。砂糖を1キログラム敷き、材料1キログラムごとに砂糖を1キログラム入れます。道子さんが刻み、ぼくが砂糖を広げて、21キログラム仕込みました。今回はこの飲料に入れる調整剤などを買っていなかったので、春の野草酵素の残り1瓶を種酵素のつもりで入れました。さ、どうかな。
 このあとは1週間、朝夕、素手でまぜます。手についている菌も有用なんですって。

 昼食・昼寝。注文していた「物置き」が届いたので、午後は組み立てる仕事をしました。高さ160センチ/幅150センチ/奥行89センチ/の物置きです。前の畑に置き、肥料や道具類を入れます。
 
 説明書を見ながら、2時間かけて、なんとか組み立てることができました。
 
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後期高齢者運転免許講習を受けました。

2018年10月13日 00時56分14秒 | 古希からの田舎暮らし
 後期高齢者の運転免許証更新は、やり方が変わりました。まず「認知症テストを受けなさい」というハガキが来ます。自動車学校に申込んでテストを受けると、公安委員会から「テストの結果通知」が来ます。75点以上が合格です。合格した人だけ、運転実技と視力検査などの講習を受けることができます。(自動車学校で)
 それからやっと免許証更新に行きます。3段階になるので、ハガキが来たらすぐに申し込んでも、ギリギリです。ぼくの場合、誕生日は過ぎてしまいました。やっと12日に講習を受けることができました。明石で更新してもらいます。ついでに、久しぶりに『魚の棚』で新鮮な魚を買うつもりです。
 午後、昼寝をしてから畑の買い物に出掛けました。まず志染農協に、ヌカをもらいに行きました。新しい畑の肥料にします。

 写真はヌカの大袋です。風呂桶に10杯分超のヌカが入ってます。大きな精米工場で精米した新米のヌカが入荷するのでしょうか。それを90リットルのビニール袋5袋に入れて、軽トラで持ち帰りました。

 帰りに豊地農協で、予約した燻炭をもらいました。(入荷していた)新米のモミガラで作ったのでしょう。おそらくここの燻炭は日本一安い。芦屋市の市民農園で野菜をつくっていた親友は、ここまで軽自動車で買いに来て、それを45リットルのゴミ袋に分けて、菜園友だちにあげていました。
 新しい畑の畝に、道子さんが肥料やヌカや燻炭を撒き、ぼくが耕運して、まぜました。いい畑になりそうな予感。でも土の力でいい作物ができるのは数年あとになるでしょう。
 
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