古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

みんながそれぞれに仕事をしています = その1

2013年02月28日 01時41分00秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 散歩の途中に畑に寄ったら、道子さんが「ヒヨドリの仕事」を見せてくれました。さすが大食漢。小松菜をきれいに食べています。うちの畑の菜っ葉はおいしかっただろうな。
                 
 こちらは「道子さんの仕事」。3畝200株のイチゴの草を、深く張った根からていねいに抜き、中央に追肥を施して踏み込んでいます。2日がかりの仕事です。これから黒マルチを掛けるのがこれまた大仕事。植え込むときの<マルチ掛け>とちがって、マルチを掛けてから苗の顔を出させねばなりません。まず苗の両端に竹串を刺します。次に上から黒マルチをかぶせます。苗の位置が竹串でわかるので、苗の穴を切り、ほじくり出します。
「どうして植えるときにマルチを掛けなかったか」って?
 植えるときに掛けるのは容易ですが、黒マルチを掛けると畝が保温されます。でもおいしいイチゴがなるようにするには、「苗を寒さにさらして鍛えたほうがよい」と本には書いてあるのです。それで面倒でも後でマルチを掛けるようにしています。うちでは道子さんしかできない作業です。
 今年は十二分に寒さに鍛えられたから「もういいでしょう!」。
                 
 道沿いの石垣の上にカイヅカを植えました。ここはプランターを二列に置いていたのですが、手がかかるし夏は朝晩水やりが必要です。プランターよりウッドデッキ前の「花畑」や裏山の「小径沿い」に花を植えるようにしたい。そこで竹の杭を打ち込んで垣根をつくり、カイヅカ13本を植えました。これはぼくの仕事。
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『裏山』さまのおかげです。

2013年02月25日 02時06分38秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 裏山にネコヤナギが咲いています。その向こうでは孫たちが「何でも焼いて食べる昼食」中です。ソーセージ、ホットドック、肉、安納芋、パン、チクワ、チーズ、一口厚揚げ、マシュマロなどいろいろ。ブロックでつくった「焚き火場」がこんなに大働きするとは思いませんでした。
 次は<和食系>にするといってます。おじいさん・おばあさんは明石の「魚の棚」に行って、焼き魚でも調達しようかな。ここ数日、ウグイスみたいな野鳥が一羽、裏山の木立ちをしきりに飛びまわっています。あの巣に住んでくれたらいいのに。
 プルーン(シュガープルーン)の苗木を裏山に植えました。ついている説明を見たら「異種の木があるとよく実がなる」と書いてあります。異種を探しているのですがどこのホームセンターも「シュガープルーン」ばかり。ようやくコメリで「バーバンク」という品種を見つけて植えました。
 プルーンが食べられるのはいつになるでしょう。
 母・妙子さんは、ショートステイから戻るとその日から<山仕事>に復帰です。花バサミを入れたカゴをかかえて、裏山に登ってきます。雪のよく降る山陰に64歳まで暮らしたので「きょうは寒い! 外に出ないでおこう」と思ったりしません。ひとしきり竹の枝切りに精を出します。この母の<お仕事>のおかげで竹の枝が片付き、快適に焚き火ができます。100歳になっても「何か人の役に立つ仕事をしたい」という母の願いを、裏山はかなえてくれてます。
「裏山がある」って素敵です。
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三朝町の地図を検索しながらため息をつきました。

2013年02月24日 03時28分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 うちの畑の物置場です。中央の「竹の薪」の山を撮ったつもりです。これから草を刈るようになると竹の薪で燃やします。できた「草木灰」は畑に撒きます。
 この冬は、過去4年間に皆伐して竹薮に突っ込んだ竹を、引きずり出して薪サイズに切りました。それを畑に運んで積み上げました。これだけあれば秋までバンバン燃やせます。緑の草は白い煙をあげて燃え、いい草木灰になります。「草木灰」と豊地農協で購入する「燻炭」と「コープ瑞穂農園の堆肥」を畑に入れる。そんなふうにこの畑をつくって5年、いい土になりました。採れる野菜の味がちがいます。
 夜中に起きてグーグルの地図で、4年前に訪ねた「三朝町」(鳥取県中部の温泉町)を拡大して見ていました。平家の落人伝説のある「中津」、その近くの「鉛山」などを拡大してみました。地図上では家が残っていますが、家が崩れたり消滅しているかもしれません。今頃は深い雪に埋もれているでしょう。かつて人間が耕した畑は雑草と竹薮の山に戻っているのでしょう。
 こんな過疎の村・廃村寸前の村・廃村になった村が、日本には山ほどあります。
 話変わって芦屋市にも市民農園があります。超高級住宅の建ち並ぶことで名高い〝六麓荘町〝に。税金が物納になり、その宅地を51区画の市民農園にしたのです。この農園の募集があり芦屋市民の申し込みが殺到し、3倍の競争率になりました。知人は抽選にもれたそうです。
 市民農園に申し込む人は、土に触れ、種を播き、水をやり、草を抜き、愛情を込めて育てます。菜園への熱い思いを込めて申し込んだのに、なんとかならんのか。
 夜中にため息をつきました。
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PAC定期演奏会をたのしみました。

2013年02月23日 04時33分33秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 六条大麦の畝です。寒いので去年芽を出してからあんまり伸びていません。しかし「麦踏み」を4回したので鍛えられ、びっしりグリーンのベルトになっています。稲や麦は芽が伸びると「分けつ」して株が増えます。<麦踏み>は「霜柱が立つからそれを踏み潰して根が浮かないようにするため」と思っていましたが、「鍛えて分けつを促す」ためにするのですね。勉強しました。
 きのうは2月のPAC定期演奏会を聴きに西宮芸文センターに出掛けました。ブラームスのヴァイオリン協奏曲とシューベルトの交響曲第4番というクラシック正統派のプログラムで、美しい音をたのしみました。
 ヴァイオリンは「堀米ゆず子」さんで、若いオーケストラを相手に、小気味良い切れ味の演奏でした。ヨーロッパを中心に演奏活動をしている堀米さんが、プログラムのインタビューで「PACオケはヨーロッパでも有名で、若く優れた奏者が集まっているということで共演を楽しみにしています」と話していました。そうなんですか。
 指揮者の「ユベール・スダーン」さんの指揮ぶりにも魅かれました。特に今年の席(右翼の一階席で横から見下ろす位置)から見ると「端正な折目正しい指揮ぶり」っていう感じで、アンコールの「ロザムンデの間奏曲」なんか音楽に吸い込まれてしまいそうでした。指揮者とオーケストラのあの一体感! すごかった。
 さ、まだ寒いけどもう春だ。山仕事・畑仕事・大工仕事に精を出そう。
 
 
 
 
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ウグイスが営巣してくれないかなー。

2013年02月22日 04時11分36秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 シイタケのホダ木づくりは道子さんの仕事です。裏山の芝生で電動ドリルを使って菌を埋め込む穴を開けています。今年もホームセンターで10本のホダ木を追加購入しました。今年はもうちょっと手を掛けて、いっぱい採れるようにしたいと思います。
                  
 こちらはぼくのこの冬の仕事です。梨の木(幸水と豊水)を植えようと竹薮を切り拓きました。右端のサザンカとコバノミツバツツジの後ろは竹薮だったのですが、竹を切り、藪に押し込んでいた古い竹を引っ張り出して片付け、4メートル余り奥まで空き地を広げました。たったこれだけの竹薮開拓でも相当に頑張りました。
 写真に写っているのですが、この空き地に2メートルの長い台をもってきました。プランターの台にしていたもので、これに買った「野鳥の餌」と水を置いています。
 実は数日前から一羽の野鳥がしきりに裏山をうろうろしています。道子さんは野鳥図鑑で調べて、ウグイスだろうといいます。「セキレイの巣」と見間違えてアマゾンで買ってしまった「セキセイ(インコ)の巣」を、杉の木の地上3メートルのところに取り付けました。「野鳥さーん、どなたか使ってくださーい」と思って。あそこで営巣してくれたらいいんだけど。
 去年は裏山のすぐ家の近くに放棄された鳥の巣を見つけました。地上50センチくらいのアセビの木の茂みでした。卵が二個ありました。あれはウグイスの巣ではなかったかと思います。畑仕事がはじまるし、裏山をあまりうろうろしないようにして窓から様子を見ます。
 
 
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『長良川』を読みました。

2013年02月21日 03時36分02秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 直木賞作家・豊田穣の自伝的な小説『長良川』を読みました。高齢になると文章を読む速度が落ち、ときに目だけが字を追って内容が認識できず、同じ文を読み返すことがあります。豊田穣の硬質な文を、そんな風に読みすすめ、最後まで読みました。

 あの戦争で日本軍の兵隊が捕虜になり、アメリカの捕虜収容所で2年余を過ごした。
 その間日本軍は敗戦に敗戦を重ね、多くの日本兵が東条英機の作らせた戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず」に追い詰められて降伏することもできず、絶望的に銃剣をつけて突撃し、特攻隊に「志願」させられ、愚劣な作戦で餓死衰弱死させられ、200万を越す兵士が死んだ。
 捕虜になった兵士たちも、のうのうと過ごしたのではない。『長良川』の海軍中尉は、取調べを受け、自決手段もなく、コンクリートの壁に頭を打ちつけて自裁しようとした。手の動脈を噛み切ろうとした兵士もいる。
 いますぐ読み返す気力がありませんが、また読みたいと思っています。彼の文を引用してみます。


 裏切ることによってしか生きることのできなかった人間のことを、私は考えなければならない。積極的な裏切りもあれば、消極的なものもある。 (中略)  多くの「裏切り者」は、自分の行為に理由をつけようと試みる。生きるためには止むを得なかったのだと考え、自分をも他人をも納得させようとする。  (中略)  もし裏切らなければどうなっていたのか。案外静かな幸福が待っていたかも知れない。人間はそのような場には近よりたがらないのである。


 それにしてもなぜぼくは今頃こんな作家、こんな本と出会ったのか。




 
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豊田穣『長良川』を読んでいます。

2013年02月19日 02時09分52秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
  
 2月14日の昼、散歩に出て撮った写真です。低いなだらかな山の連なり。木木の芽のふくらみ。肩を寄せあう数軒の民家。枯草の土手。トラクターで耕された田んぼ。土の中の蛙。蛇。みんな春を待っています。
 何の変哲もない田舎の景色です。描こうとしても絵になりません。 
 つかみどころのない大らかさに魅かれて<大きいサイズ>でアップしました。
 図書館で借りた本、豊田穣の『長良川』を読んでいます。
 この本は一度借りたことがありますが、読まずに返却してしまいました。そんなことをぼくはよくします。そして自分では「あの本とは縁が無かったんや」と思うことにしています。でもこのたびまた大型活字本を借りて読みはじめ、引き込まれて半分読んだところです。軽く読み飛ばせない重い本です。
「豊田穣」は戦記文学を沢山書いているから、日本の軍隊の「勇ましい戦争」の手柄を書く人かと思っていました。保守派論客で戦記物を沢山書いた児島襄(こじま のぼる)と名前の字は似てるし、同じように思い避けてきました。
「小木曽 新」という作家がこの本の解説で「豊田 穣」を紹介していますので、そのまま引用してみます。


 彼は、太平洋戦争中に捕虜になった。艦上爆撃機の操縦員としてソロモン海域の作戦に出撃したとき、米軍機に撃墜されて(海上を漂流していて)、捕虜になった。海軍兵学校を出ている、選ばれた青年仕官の身分で、捕虜になった。
 だれの生涯にも転機のようなものはあるが、彼のばあい、捕虜になった、その瞬間から、人生のすべてが逆転した、といってよい。おそらく、これほどの逆転の例は、数少ないにちがいない。完全に、それまでの世界が裏返しになったのである。
 生、そのものが否定されることになった。しかも、否定された生を、彼は理解し、肯定しなければならない。生ま身の彼は、死んでいないからである。逆説的にいえば、彼は、その瞬間から、ほんとうの意味で、生きはじめたのかも知れない。
 彼の郷里には戦死の公報がとどいた。彼が米国の捕虜収容所を転々としている間に、母親は愛する長男が戦死したと信じて、しだいに衰弱して死んだ。彼の墓もできた。……。
 

 あの戦争で、「日本の兵隊」が「捕虜になる」とはどんなことだったか。
 無名の兵隊の戦争体験をよく読んできたぼくにも多少わかります。その自分に起こった現実を、目をそらすことなくここまで見つめた人がいたとは。そんな人の存在を、ぼくが75歳になって知るとは。
 何かの縁でしょう。読んでからまた書きます。
  
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春のたしかな足音がきこえます。

2013年02月15日 04時24分23秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 きのう、ぼくたちで道をつけた周回道を散歩したときに撮った写真です。向かいの山々の落葉樹が、ふっくら盛りあがってやわらかく見えます。若葉が山をおおうのは4月の中・下旬になるでしょう。浅い緑は竹藪です。見ていると胸の広がる管理された竹林ではなく、茂るにまかせた放置竹林です。
 この時季の山の感じは好きです。落葉樹の枯れ木色の梢がうっすら赤みを帯びて、木の芽のふくらみを感じさせます。春。未来にむかう春。春のたしかな足音をききながら散歩しました。
                  
 散歩の途中、畑に寄りました。オオイヌノフグリが咲いています(写真)。ナズナもホトケノザも。畑には電気柵の下に防草シートを張る仕事があり、土手の草刈り用の足場をつけ直す仕事もあります。
 でもまず裏山の仕事です。先日買った「キウイ」の木を植えなければ。それに注文していた<世界三大紅葉樹>の「スズランノキ」がきのう届きました。これも植えます。<世界三大>と名前は大袈裟ですが「スズランノキ」の苗は30センチもありません。とりあえず鉢植えにして、ちょっと大きくなってから山に植えるほうがいいかも。
 春の足音とともに「忙しさ」と「気持ちの張り」もよみがえってきます。さあ!
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あの「竹薮退治」のあとはどうなっているだろうか。

2013年02月14日 05時27分13秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 この写真を説明します。場所は篠山市の奥にある『集落丸山』に行く途中の山です。「丸山」はほとんど廃村という限界集落でしたが、宿泊施設がつくられ、「ろあん松田」(蕎麦懐石料理の店)ができて、変りました。この店はミシュラン・ガイドに載ったとか。
 写真は3年前の2010年2月に撮りました。数十年前に杉や桧を植林した山で、木はよく伸びています。でも間伐されないので、暗い山になっています。そして山すそは竹薮がはびこっていたのでしょう。その竹を切り倒し、枝を払って横に積み上げてあります。
「ははーん、竹薮をやっつけだんだな」
 これを見て家に帰ってから、猛然と裏山の竹を切り倒しました。そして裏山の頂上まで切り登りました。1000本も切ったでしょうか。実際は低い、低い山ですが、竹藪だったときは3メートル先でも未知の<藪の中>でした。それが頂上まで登ってみたら、胸ふくらむ世界が広がりました。
 で、ふと思ったのは「いまあの写真のところはどうなっているだろうか」です。
 竹薮が戻ってはいないだろうか。
 実は我が家のまわりには1970年代に分譲地として売りに出されていた土地が沢山あります。うちより山寄りには一軒の家も建っていませんが、かつて70区画の分譲地でした。
 土地を親から譲ってもらった人でしょうか。ある年毎日のように来て、自分の敷地の竹を切って燃やしていました。でも1年たつとまた竹がびっしり生えました。2年目も毎日通って竹を切り、更地にしました。しかしまた竹がびっしり生え、いまはそのままです。思いつきで竹を「皆伐」してもすぐ竹薮に戻ります。
 今年は写真の場所に行ってみることにします。
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耕運機が大働きしました。

2013年02月13日 04時08分48秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは「夕方から雨が降る」という天気予報だったので、それまでに畑を耕して畝をつくり、黒マルチをかけておくことにしました。まず豊地の農協で燻炭3俵とセルカ(牡蛎殻の有機石灰)・粒状の苦土石灰などを買い、それを梳き込みながら耕運機をかけました。元肥はあとで入れます。
 寒かったので草も生長が遅いように見えますが、どうしてどうして。地中の根はしっかり土を抱え込み、これから伸びるエネルギーをたくわえています。
                 
 手前のほうを8畝、向こうを3畝耕しました。去年の5月に爪を替えたので耕運機はよく土に食い込んで耕してくれました。
「これがなかったら、これだけの畑、とてもつくれないな」
 耕運機に感謝。
 久しぶりに<畑仕事>をしました。午後は陽射しもなく雨が降りそうでしたが、畑仕事をやりだすとするだけのことはしないと終われません。「寒い寒い」と引っ込んでいましたがやっぱり畑はいい。
 土よ・太陽よ・水よ・空気よ・まわりの小山よ・村の墓地よ・クヌギコナラよ。今年もよろしく。
 
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春よ、来い!

2013年02月12日 03時46分37秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 散歩しながら蛇が池・福地池・九文小池の竜神さまにお参りしました。生卵・お酒・塩を持って。そのとき蛇が池の土手から撮った写真です。少し見える湖面はうちの裏山の先にある福地池です。緑に見えるのは竹薮ばかりで、山や田んぼはまだ冬色をしています。ふだんは草で歩けない蛇が池の土手がきれいに焼けているので、きのうは端まで歩いて渡りました。
 九文小池の土手に登る道に、羽ペンにするような鳥の羽が数枚落ちています。雄の雉(きじ)の羽です。雉が襲われたのでしょうか。動物の足跡を探しましたが見当たりません。羽の写真を撮りましたがあんまりリアルなので消去しました。かわいそうに雉はダメージを受けているでしょう。それにしてもだれが襲ったのか。
 散歩をしていてよく出会う(ということは向こうもしょっちゅう村の中を歩いておられる)おじいさんと途中で出会い、羽の話をしました。「わしも後で見とくわ」といっておられたのでまた話がきけるでしょう。
《放置竹薮問題》のアンケートを送った「卒論を書く」という学生さんから「どこの県ですか」とメールが来ました。「三木市」と書いたのですが、川崎市の方で、どこの県かわからなかったそうです。「神戸市」だったら全国区だけど「三木市」では見当がつかないのでしょう。「神戸市の北西に隣接する三木市」と書くことにします。
 それにしても竹薮よ!
 特に冬から早春にかけて散歩していると竹薮が目につきます。竹より背の高いクヌギやコナラの若葉、夏の緑、秋の紅葉にごまかされないのです。
 うちから車で東条のマックスバリューに買物に行くとします。裏山の竹薮のそばを走り、美嚢川の両岸にずーとづつく竹薮を横目に眺め、桾原(クヌギハラ)の信号で左折して坂道を登り、ゴルフ場の前から東条に下る坂道はまさに「竹薮通り」です。両側につづく田んぼと竹薮。ときどき民家。あーあ。
 こんなに竹薮ばかりがはびこって日本はどうなるのだ。 (この項つづく) 

 
 
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また裏山で焼いて食べました。

2013年02月11日 04時08分28秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 寒いけど陽射しは春です。この前焚き火で餅とパンを焼いて食べたのがたのしかったので、この日曜日はいろんなものを買い込んで孫たちがやってきました。おじいさん・おばあさんは朝から張り切って、まず部屋を掃除し、外に出て裏山で焚き火をし、バーベキューの炭で焼いて食べる用意をしました。
 写真の右は焚き火、左が食卓のつもりで準備したのですが、みんな焚き火のほうがよかったみたいです。次は焚き火を囲んでみんながすわるようにセッティングします。
 妙子さんは、自分の部屋で弁当風の食事をしました。彼女は、目を細めて孫やひ孫のおしゃべりを眺める「ひいお婆さん」を演じるのは苦手のようです。孫やひ孫のことを心配する時期を通りすぎると、高齢者の関心は「自分の人間としての矜持(きょうじ)をどう保持して生きるか」に移るようです。「長生きしとればだれかが世話してくれる。放っときはしない」と達観して、あとはなるべく身辺自立して生きようと心掛ける。あと10年生きて110歳になって、子が85歳になって腰が曲がり杖を突くようになってもまたは子の寿命が尽きても「だれかが世話してくれる。世の中はそんなものだ」と思う。
 先日ショートステイから戻ったとき、母は久しぶりに3人の子らに電話をしました。ぼくがダイヤルして母の声を聞かせたのです。母は耳がとても遠いので相手の言うことはわからないけど、とにかく声を聞かせました。そしてなにかの刺激になればとハガキを用意しました。ぼく以外の子らに「声を聞かせてもらい、ありがとう。元気でよかった」といった文面に「母が竹を切る写真」を入れて印刷したハガキです。それを朝食のときに渡しました。
「下に自分で一言だけ書いてね。切手を貼って出すから」
 きのうは晴れていました。ふだんなら母はまっ先に花バサミを持って裏山に出てくるところです。でも出てきません。部屋を見るとハガキを机に置いて、眺めています。なんとなくただ眺めているのか。「どう書こうか」と考えているのか。
 テレビはむかしから見ないし、本も大型活字本しか読まなくなった。もう知人と会っておしゃべりすることも叶わない。仏壇に向かってこの世を去った人々と対話しようと思うほど単純でもない。
<生きる軸>みたいなものは何なのか。自分の「更なる老い」を視野の隅に入れてぼくも眺めています。
 

 
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散歩していたら「カラス貝」の殻がいっぱいありました。

2013年02月10日 07時05分52秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 写真の貝殻は5センチ以上あります。「佐の広池・周回道」を散歩していたら「大池」の堰(せき)のところでだれか仕事をしていました。大池はこの冬ずっと水が抜いてあり、真ん中に水たまりがあるだけです。土手から池に下りて歩くことができます。
 きっと働き者の老人会の先輩が仕事をしておられるのだろう。
 気軽に土手から池に下りて堰(せき)まで歩いてみました。池に下りて歩くのははじめてです。貝がいっぱい散らばっています。堰で水栓修理の仕事をしておられたのは知らない方でしたが「これはカラス貝で、むかしはみんなが拾って佃煮にして食べました」と教えてもらいました。
「カラス貝」はネットで見たら<淡水真珠>をとる貝だそうですね。貝殻の大きさが20センチ以上になる貝もあるとか。真ん中の泥の中にはいまでも貝がいそうですが、とても捕って食べる気になりません。ネットで見たら「長靴の底をかじるような不味い味」だそうですし、ゴルフ場からの雨水が流れ込むような池ですから。
 昼からは裏山の片付けをしました。4年前・3年前に竹薮に突っ込んだ竹を引っ張り出し、薪サイズに丸鋸で切るのです。山ほど薪ができました。畑で草を燃やす燃料にします。
「それにしてもこんなにいっぱい竹を突っ込んでいたのか」と自分で感心してしまいました。あのときは「まさか自分の生あるうちに、ここを片付ける時がくる」とは思いもしない深い深い竹薮でした。
 こんなに早く片付けることになろうとは。
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苗木を植え終り、そろそろ畑仕事をしようかなー。いや、まだ寒いなー。

2013年02月09日 03時39分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
<土手焼き>のことを書いたら「あなたが燃やしたのですか」ときかれました。説明不足でした。冬はどこの村でも土手を焼く季節です。日曜日に村中総出で消防団がポンプを引きながら池のまわりの枯草を燃やしていきます。天候の具合によってよく燃える年と燃え残る年がありますが、今年はどこの村の土手もよく燃えました。
 我が家からは<佐の広池>の土手焼きがよく見えます。ここに移り住んだ2007年3月にはそんなことを知らず、炎を上げて燃える土手を見て「火事だ!」とあわてましたが、今年は裏山で焚き火をしていて<土手焼き>を見逃してしまいました。
 梨「豊水」の苗木を買って、植え方をネットで調べたら「別の梨の品種がないと受粉しない」と書いてあり、あわてて「幸水」の苗木を買いに行きました。明幸園で苗木を見てたら「スズランノキ」があります。
「これを植えたら《世界三大紅葉樹》がうちの裏山に勢揃いするぞ!」
 大きな鉢植えで○万円します。それに1メートルのモミジやニシキギと並べたのではバランスがとれません。で、ネットでスズランノキの苗木を注文しました。
 3年前に植えた「ミモザ」が3メートルを越す背の高い木になりました。ミモザは神戸に住んでいたとき植えて枯れさせたことがあるので、こんなに伸びるとは思いませんでした。ひょろひょろの弱そうな木です。で、ネットで剪定の仕方を調べてみたら、枝を短く切って幹を太くするのがいいようです。4月に花が終ったら「チョンチョロチョン」に切り詰めます。
 
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野鳥の飛来する里山になってほしい。

2013年02月07日 04時34分05秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 福地池の前の田んぼで、チドリ科の大きな鳥『ケリ』が飛び立ったところです。4羽写っています。といってもわかりにくいですね。すみません。野鳥たちはこれから卵を生み、ひなを育てようとします。ケリは夫婦でヒナを育てます。カラスなどがヒナをねらうと夫婦で飛びあがり、果敢にむかっていきます。そのときけたたましい声で鳴きます。
 裏山で木を植えるために作業していると、野鳥が飛んできて枝にとまり、また飛んでいきます。道子さんは野鳥図鑑を見て、「いまのはシロハラだった」とか「イカルが飛んできた」とか「あれはどう見てもキクイタダキよ」とか言います。
 いま「おまえの願いをかなえてやろう」と神さまとかが言ってくれたら「動物に、目の前にやってきて写真を撮る間だけじっとしていてほしい」と頼みたいところです。よく見かける『ジョウビタキ』の写真さえピシッと撮れません。文字で書くだけ。そういえば田舎ではよく見かけるセグロセキレイですが、日本特有の野鳥なんですってね。だから外国からのバード・ウオッチャーはセキレイを見かけるととても喜ぶって。
 こんなに野鳥が飛んでくるのなら巣箱をつくってやろう。そう思って見本用に<セキレイの巣>をアマゾンで購入しました。ところが実物が来てみると<セキセイインコの巣>とシールが貼ってあります。ぼくが<セキレイ>と<セキセイ>を見間違えたのです。ちゃんと<セキセイインコ>と表示してくれてたら間違えなかったのに。ま、仕方がない。そのまま裏山の木にとりつけました。いまのところだれも利用鳥ナシ。
                  
 雨の降る前だったので今年の「土手焼き」は見事に焼けています。写真は福地池の土手ですが、上のほうの小さい祠がよく見えます。あれはむかし人柱になったという福寿坊というお坊さんを祀る祠でしょうか。
 まだ寒いですがそろそろ畑仕事をする元気が出てきました。
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