古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『腰椎を治療する情報』をさぐっているところです。

2020年05月31日 17時33分18秒 | 古希からの田舎暮らし
 道子さんがスマホで検索して、「少し遠いけど、腰痛にはとてもいい整骨院があるみたいよ」。そのホームページを見ると、よさそうなことが書いてあります。口コミの数も多く、好評のようです。
「月曜日に電話して診てもらおうか」。
 念のため、整骨院の地元の知人に電話して尋ねてみました。
「私も腰痛に苦しんだから、診てもらったことがある。5,6回通ったけど、やめました。どうかなー」
 ネットで情報を得ても、心配です。そこで診てもらった知人に直接きくほうが確かです。
 もう少し情報をさぐってみます。

 写真の右側は笹薮です。いまは笹がびっしり生えてくるときです。でも左側は笹が生えていません。蕎麦が生えて、花が咲いています。道子さんが「笹を退治しようと蕎麦を播いた」のです。笹薮に蕎麦を播くと笹が衰える。ほんとうかどうかわかりません。でも蕎麦を播いたところは笹が生えにくいのは、ぼくも認めます。
 いまは、笹も、竹の子も、ぐんぐん伸びるときです。竹藪や笹薮をなんとかしたい。いまは我慢するしか。

 
 
 
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銀杯草が咲くと母・妙子さんを思います。

2020年05月31日 02時51分43秒 | 古希からの田舎暮らし

 ギンパイソウ(銀杯草)が咲きました。明治時代にアルゼンチンなどから日本に入ってきた宿根草です。
 母はこの草を、何十年も前に文学仲間にもらって、神戸の家の玄関先に植えていました。特別美しい花ではありませんが、毎年律義に咲きます。
 母は64歳のときに山陰の田舎町から神戸に引っ越してきました。大倉山図書館で好きなだけ本を読み、同人誌の仲間に加えていただき、10代の少女の頃からの「文学志向」を、受けとめてもらいました。花を植える趣味はありませんが、文学仲間に教えてもらった花(ギンパイソウ/ミモザ)は、毎年喜んで見ていました。
 94歳のとき三木の田舎に引っ越してからも、ギンパイソウを見られるように、裏山に移植しました。「花が咲いた」というと、うれしそうに愛でるのでした。
 その花が今年も咲きました。この花を見ると、アルゼンチンの草原を連想します。遠くの国の、広い野原に、白い花が咲いている。
 今年も、裏山に咲いたギンパイソウを、母は見てるでしょうね。
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「おぬしゃ修行が足りんな」と言われそう。

2020年05月30日 21時15分26秒 | 古希からの田舎暮らし
『天狗のかくれみの』という童話に、「おぬしゃ修行が足りんな」というセリフが出てきます。
 イタズラ坊やの彦一が「天狗の隠れ蓑」を着て、《弱い者いじめをしている侍》をこらしめる場面です。読み聞かせをしていると、幼い子たちがケタケタ笑うところです。そのセリフを思い浮かべました。
 自分の気持ちの「大袈裟な揺れ」に、「オレは修行が足りんな」と思ったのです。
 朝から、歩くと痛いので杖を突こうと思いました。膝の手術をしたとき使った杖はどこにしまったか。あちこち探して3本の杖を見つけました。

 玄関に置いて、外に出るときは杖を使うつもりです。
 お昼は暗い気持ちで「難儀やなー」というブログを書きました。午後昼寝をしてから、〈電動ウォーカー〉で歩いてみようと思い立ちました。時速2,8キロとゆっくりですが、連続30分1300メートルを歩きました。痛みは感じませんでした。
「歩けるやないか」。「昼前はえらい落ち込んとったけど」。
 体は元気です。歩けば歩ける。痛みを我慢して歩いても、ひどくなるわけではありません。昨日病院で飲み薬をもらいました。これで治す方法もある。そんなに痛みを意識しないで30分つづけて歩けた。
 しばらくは気持ちのゆれのままに、浮いたり沈んだりしながら様子を見ます。どうしようもなくなったら手術がある。『あんしんクリニック』で診てもらい、必要なら手術をしてもらう。
 足が痛いくらいでこんなにゆれるのですから、もし余命いくら、とか言われる病気だったらどんな気持ちになるか。「修行が足りん」な。しかしその「足りん」ところが人間らしい。
 ま、どんなに未熟でも「みんな死ねる」。何にも持たないで。これほど平等なことがあろうか。
 
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難儀やなー。

2020年05月30日 11時26分00秒 | 古希からの田舎暮らし
 難儀やなー。長生きしてるとこんな目にも合わんならんのか。
 そんな気持ちがチラッと頭をかすめます。昨日から歩けなくなりました。100メートルも歩けない。家の中でちょっと歩くだけです。太腿が痛むとギクッとします。
 思い出すなー。あの姫路に泊まった日を。あれは2年前、2018年8月19日でした。姫路に泊りがけで能(人間国宝が演じる)を見に行きました。山陽電車で姫路に行き、電車を降りたら右膝の痛みがひどくなっていました。杖を持っていたので、すがるように少し歩きました。しかし歩くたびに痛むので10歩歩いては立ち止まり、やっと昼ご飯を食べて、お能のホールに入りました。
 ホテルの朝食バイキングも、ぼくはテーブルについたまま。道子さんがよそってきました。ひどい膝痛は秋には多少軽くなり、「下の畑終い」を手伝ってもらいながら、なんとかやりとげました。そして2019年7月に膝の手術をしました。リハビリ。順調に回復して、元気になり、今年は裏山の仕事に精を出していました。頂上までの階段を作り直し、ビニールパイプの手すりをつけて、ぼくも登れるようにしました。ほかにもテント台を作り、外仕事をあれこれしました。
 ところが昨日、診てもらったら腰椎が痛んでる。太腿の痛みは、草刈りした筋肉痛ではありませんでした。なんとか軽いほうに考えていましたが、ちがいました。
 このままでは外を歩くことができません。元気だったのに急にこんなことになって、まだこころがついていけません。
 老人のみなさま、「動ける」ってほんとに大事ですねえ。足腰サプリメントがいっぱい宣伝され、売れているのが、身にしみてわかります。あんまり効かんようだけど。
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世の中はなかなか思うようにいきませんね。

2020年05月29日 16時46分41秒 | 古希からの田舎暮らし
「バッテリー草刈り機を買ったし、防草シートを押さえる鉄筋のピンも作ったし、畑の斜面をちゃんとしよう」。
 張り切ったのは一週間ほど前です。その頃から太ももの裏側が痛くなり、仕事をサボり気味にしていました。草刈りをしたし、朝の体操に加えた『スクワット』(2分間)のせいで「筋肉痛になった」のだろう。「少し養生すれば大丈夫だ」と外仕事をひかえていました。
 しかし痛みがひどくなるので、山陽病院で診てもらいました。
 結果は「腰椎が弱ってる」。太もも裏側の痛みは簡単でない。養生が必要だし、すぐ治るものでもない。要するに年寄りになって、あちこち「ガタ」が出てきてる。
 それを聞いて、「あーあ、世の中は、うまくいかんなあ」と思いました。

 いまは歩くのが難儀で、運動をひかえています。
 その後太腿の痛みについて調べてみました。そしてぼくの考えているより「深刻で/重大な/痛み」であることがわかりました。あんしんクリニックで診てもらい、腰椎の手術をしなければ治らないようです。
 当分、お医者さんに処方してもらった薬を飲み、無理のないように少し体を動かします。

 
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道子さんの大手柄!

2020年05月28日 20時04分34秒 | 古希からの田舎暮らし
 家のまわりや裏山で、ときどきスズメバチを見掛けていました。
「どこに巣をつくるつもりだろう」と道子さんは気をつけていました。台所の前(棚)で、大きなスズメバチをよく見かけるようになり、道子さんは巣をつきとめました。
 なんと携帯ガスコンロの中に巣を作ろうとしているのです。

 活動の弱る夕方に、服を重ねて着込み、厚いビニール袋を頭からかぶり、手には皮手袋をして、道子さんは巣にハチ用のスプレーを吹きかけました。写真のハチは死んでいるので小さく見えます。しかし大きなハチでした。巣はまだ小さいですが、すぐに大きくなります。スズメバチが飛び交うようになると、業者にお願いして退治してもらうしかありません。
 道子さんの決死のハチ退治は、見事に成功しました。まだこれから巣をつくるところです。当分気をつけます。
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オープン・テラスでランチしました。

2020年05月27日 16時58分09秒 | 古希からの田舎暮らし
 山陽病院で診てもらったらお昼近くになりました。で、帰り道ペンギンのいる「バランタイン」でランチしました。

 冬にいろいろ改装していましたが、なんと! 感じのいいテラス・ガーデンになっています。しかもちょうど天気のいいとき。店内よりずっと広く、木陰かテント屋根の下です。
 カレーライスを注文したらそれはなくて、スパゲティーを食べました。テラスはざっといっぱいのお客さんです。よく見たら女性ばっかり。男性はぼくのほかにもう1人いたかな。

 屋外というだけで、いい景色ではないけど、空気がさわやかで、いい気分でした。
 畑の、あの電撃殺虫器ですが、毎晩がんばっています。2台の殺虫器に蛾があつまっています。ときどき、殺虫器のそばに雨蛙がいます。夜、集まってくるムシをいただくという魂胆でしょう。
 イチゴはおわりました。苗は処分して、今年もネットハウスで/黒豆/大豆/の苗立てをします。大豆はサチユタカの種を買いました。1キログラムも。(最小単位ですって)15センチ間隔で植えるらしいです。でも播かないで、苗立て⇒移植します。
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温泉『ゆぴか』に入って、のんびりしました。

2020年05月25日 20時35分11秒 | 古希からの田舎暮らし
 先日『ゆぴか』(白雲谷)温泉に電話かけてみたら、「うちは18日からやってます!」。
「よかたん」温泉も「とどろき」温泉もコロナ休みだし、あきらめていたのに、「温泉に入れる!」。勇んで月曜日に出掛けました。
 入口で体温をチェックされて、久しぶりの温泉です。小野市にはすぐれた専門の方がおられて、公園も街の通りも草花がきれいに植え込まれています。「ゆぴか」の玄関アプローチも、草花に彩られています。

 そういえば西宮の老人友だちが、「老人会の草花見学バスで小野市に来た」と話していました。なかなかいい眺めです。
 温泉はリニューアル工事をして、まえと風呂場の様子がちがっていました。この温泉はまわりの景色が見事です。池があり山があり、申し分のない眺めです。
 いい気分で温泉につかり、お昼は途中のうどん屋さんで食べました。

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小説家・阿川弘之のこと

2020年05月25日 02時52分56秒 | 古希からの田舎暮らし
『きかんしゃやえもん』はひらがなで書かれた童話です。ことばの調子がよくて、「読み聞かせ」をすると子どもたちはよろこびます。教科書に載ったこともあります。我が家でも二人の娘たちが幼い頃は〈読み聞かせ〉で、また〈自分で読んで〉、ボロボロになるまで愛読しました。いまも多くの子どもたちに愛読されています。
 この童話の作者が、小説家の阿川弘之です。
 国民には長女の阿川佐和子のほうがよく知られていますが、父親の阿川弘之は94歳まで生きた小説家でした。多くの作品を残し、文化勲章も受けています。
 ぼくは昭和20年8月、日本が負けたときは国民学校(小学校)2年生でした。田舎の学校でも、2学期から教科書に墨を塗らされました。「兵隊さん」と書いてあれば、「ハイ、ここは墨で塗りつぶしなさい」。そのうち新聞みたいな紙の、チラシみたいな数ページの粗末な教科書が配られて勉強しました。
 中学の音楽の時間には、「君が代」にかわる新しい国歌を目指す歌『緑の山河』を歌いました。君が代や日の丸は排除して、「あの戦争が軍人が悪かった」と習いました。
 日本が「どんな小さな穴をくぐって敗戦にこぎつけたか」を知ったのは、大人になってからです。学校では一切習いませんでした。鉄の船や飛行機がやってくるのに、竹槍訓練を国民に強いていた軍人たちは、頭がおかしい。それが当時はまかり通ったのです。

 阿川弘之の『井上成美』を時間をかけて読みおわりました。そして阿川弘之が、海軍の三人の大将=山本五十六/米内光政/井上成美/の評伝を、渾身の力をふり絞って書いた「こころ」をおもいました。
 阿川でなければ書けなかった本です。特に井上成美という人間を、歴史の風雪の中に、大地に足を踏ん張って立たせた、筆力に敬意を表します。
 
 本を読むのは好きで、いろんな作家の本も読みましたが、阿川の作品は軍隊や戦争にまつわるものでした。本の題を見ただけで敬遠していました。そんな育ち方生き方をする世代でした。80歳になってから彼の作品を読み、彼のこころが伝わりました。
 日本はひどい戦争をして、外国を侵略し、国民を粗末にし、犠牲にして、軍人がのさばっていた。そんな軍人ばかりではなかった。立派な人がいた。どんな時流にも流されない、自分の眼を信じて行動する人がいた。そんな人が力ある立場に立てていたのは奇跡だったかも。しかし米内も井上も右翼に殺されず、信念を全うすることができた。彼らがいたから日本は敗戦に到達することができた。
 いつの時代も、そんな立派な人はいる。こんなに沢山の人間が生きているんだもの。しかし、いまもそんな立派な人は、力ある立場に立てない。しょうもない人が立って、仕切っている気がする。
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バッテリー草刈り機のその後は?

2020年05月24日 19時56分20秒 | 古希からの田舎暮らし
 バッテリー草刈り機は少しパワー不足だけど、問題なく使える。と、書きました。たしかにその通りです。23センチの鋸歯で草を刈れます。
 ただ、バッテリーは30分ほどで電気がなくなります。充電しなければなりません。バッテリーは2つあるので、付け替えてもう30分刈ることはできます。2個目も電気がなくなると、長い休憩が必要です。
 それは困るので、バッテリーの代替品を2個注文して、届きました。それをフル充電しようとしたらマキタの充電器にはまりません。違う型のバッテリーが届いたのかと草刈り機に装着してみました。問題なし。代替品のバッテリーに合う充電器があればいい。それを注文しました。
 もう一つ問題があります。道端の草を「ナイロンコード」で刈ってみました。大きな負荷がかかると止まってしまいます。スイッチを切って、また入れても、動きません。道の端に草が生える。それを刈るにはナイロンコードがいい。でもバッテリー草刈り機は使えない。エンジン式の草刈り機でやるしかない。
 マキタの26cc草刈り機は処分する気でしたが、まだ必要です。プラグを交換して使います。ガソリンタンクも2サイクルエンジンのオイルも必要です。当分エンジンとバッテリーの二刀流でいきます。
 
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バッテリー草刈り機で草を刈りました。

2020年05月22日 17時45分27秒 | 古希からの田舎暮らし
 きのうのうちに新品のバッテリーをフル充電して、今日は朝から草刈りをしました。23センチの鋸歯ですが、草はきれいに刈れます。芝生を刈ってみました。

 ジズライザーという器具を装着して、少し浮かせて刈りました。エンジン草刈り機と比べると少しパワー不足ですが、ちょっと時間をかけて刈れば問題ありません。モーターが柄の先についているので、先端が少し重いです。しかしジズライザーを滑らせながら刈るにはちょうどいい。肩にかかる負担は軽く、快適に刈れました。
 刈りはじめたら仕事に弾みがつきます。ところが30分くらいのところでバッテリーがなくなり、別のバッテリーと交換しました。それも電気がなくなり、一時間作業したところで午前中の作業はおしまい。
 おじいさんはまだ「やる気満満」だったので残念。バッテリーを追加注文しようとネットで調べてみました。マキタの純正バッテリーは一万円以上します。高すぎる。代替バッテリーがいっぱい出ています。怪しいバッテリーもあるかも。コメントを見ても迷うばかり。
 でもまあ、いままで代替バッテリーで失敗したことがないので2個で8000円くらいのを注文しました。(いままでにマキタの掃除機用とキャノンIXYのバッテリーを代替品で購入し、全く問題ありません)

 朝食後、道子さんは外に出て、裏山とデッキ前の庭で花を摘んできました。「自分が植えた花でこんな花瓶ができるってしあわせ」といいながら花を挿していきます。
 4月から花はつぎつぎかわりますが、前庭も裏山も花盛りです。多くの人に愛でてもらえないけど、無心に咲いています。生前、母が愛でていたギンパイソウも咲きはじめました。
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アライグマも人間もイチゴ大好き。

2020年05月22日 01時45分57秒 | 古希からの田舎暮らし
 日曜日は萌ちゃんたちがイチゴ摘みに来ました。そして水曜日には大志くんたちがイチゴ摘みに来ました。我が家のイチゴ畑はネットハウスに守られています。アライグマは夜に悔し涙を流しているでしょう。
 うちの畑のとなりも60坪ほどの畑です。三木の市街地近くの方がつくりに来ます。定年退職してまだ60代の元気あふれる方です。狩猟免許を持っています。
 日曜日、このおじさんがワナを仕掛けてアライグマを捕まえました。なんと、2匹も。見に行ったら、おじさんがもう死なせていましたが、2匹ともすごく大きかった。死んだら小さく見えるけど、それでも大きかった。
 去年までスイカをつくってアライグマにやられていましたから、おじさんは「やった!」と思ったでしょうね。きいたら「イチゴをえさにした」そうです。アライグマもイチゴ大好きなんだ。
 イチゴはもうすぐおわります。道子さんはエンドウやソラマメの収穫をしています。下の畑に比べるとグッと小さい畑です。(400坪➡60坪)しかし道子さんの菜園づくりは年期が入っていますから、いっぱいとれました。山のほうに植えてる花の世話もあるし、道子さんは〈大忙し〉です。
 
 ほんとに目立たないけどいまニシキギの花盛りです。枝にヒレみたいなものがついており、とても小さい花が咲いています。いただいたときは小さい木でしたが、この山によく合うのか大きく繁ってきました。この花は秋に赤い実になります。野鳥は食べますが有毒で、薬にもなるとか。
「ニシキギ」は「スズラン」とともに「世界三大紅葉樹」の一つですって。そんなモン知らんよねー。『日本三大〇〇』とかいうのは「言ったモン勝ち」だそうです。「日本三景」みたいに。でも流行らなかったら勝手に言ってるだけですね。

 
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バッテリーの草刈り機を買いました。

2020年05月21日 20時03分44秒 | 古希からの田舎暮らし

 26ccエンジンのマキタの草刈り機でも3万円以下で買えます。しかし、おじいさんは、このたび、それより高価なバッテリーの草刈り機をはり込みました。
 軽い。スイッチを入れるとすぐ動く。草がからんだら逆回転できる。ガソリンの混合オイルをつくらなくてもいい。バッテリーは30分ほどしかもたないけど2個ある。
 30分も働けば十分だ。おじいさんは、長時間働くことはない。鋸歯は23センチ用。いままで(25,5センチ)より小さくなるけど、それくらいがちょうどいい。
 今日はハンドルをつけて、組み立てただけです。明日からの草刈り、山の斜面刈り、がたのしみです。
  
 大豆の種を買いました。兵庫県でよく作られる『サチユタカ』です。水田種苗店でも美嚢園芸店でも大豆の種は「鶴の子」だけませしか置いてません。他は取り寄せになります。早速注文しましたが、サチユタカは1キロ単位でしか売ってません。仕方がないので1キロ買いました。余りそうです。裏山の空き地にも植えることにします。

 
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『井上成美』を読みおわりました。

2020年05月21日 00時46分25秒 | 古希からの田舎暮らし
 外仕事で〈すること〉はいっぱいありました。天気もよかった。でも、きのうは一日『井上成美』を読んでいました。終りに近づくにつれて、離れにくくなる本でした。
 読みおわって、思うことはいっぱいありますが、一つだけ。驚いた/感動した/でなく、ぼくの思考を越えた部分を引用します。
 引用のまえに、引用文当時の日本の状況を書きます。
 昭和16年12月8日は日本の「開戦記念日」です。日本がアメリカに宣戦布告して、ハワイの真珠湾を攻撃した日です。山本五十六・連合艦隊司令長官は、宣戦布告と同時に真珠湾を攻撃して大戦果をあげました。
 日米交渉で暗雲がたちこめ、重苦しい日々がつづいていました。その暗雲が、大戦果で一気に吹っ飛びました。日本中がわき立ちました。多くの著名人たちも快哉の声をあげました。新聞もラジオも、国民も。戦場に兵士を送っている家家も。愛国少年たちも。
 井上成美は第四艦隊の長官として南洋諸島に出撃していました。少し長くなりますが、そのときの描写から引用します。

 12月8日朝8時、オアフ島北方の南雲機動部隊旗艦・赤城が、無線封鎖を破って戦闘速報を打ち始めた。飛行隊の奇襲成功を確認して約5時間後であった。一方的な戦果が挙っていた。訳了した電文の末尾に「我飛行機損害軽微」とあり、図上演習で全滅の判定を受けた味方艦隊は、全くの無傷らしかった。鹿島(井上が長官をしている第四艦隊の旗艦)の作戦室は色めき立った。
 飯田通信参謀が、それを井上の部屋に届けに行った。待つほどもなく戻って来たが、飯田の様子は何となく変であった。
「どうしたんですか」
「いや。おめでとうございますと申し上げたら、いきなり馬鹿呼ばわりされたんだ」
 皆が黙って顔を見合わせた。長官は、祝意を表する通信参謀個人を馬鹿扱いしたのか、とうとうこんないくさに突入してしまって馬鹿なことだと言ったのか、飯田はあとを語ろうとしないので、よく分からなかった。ともかくそう聞いた以上、幕僚たちは手放しで喜ぶわけには行かなくなった。
 開戦直後実戦部隊の上層部でこういう雰囲気に陥ったところは、多分四艦隊だけであった。前線の将兵はもとより、陸海軍関係者のほとんど、国民の大多数が、緒戦の大戦果に深い感動を味わっていた。
 駐米大使館附武官の横山一郎大佐は、かねて「英米を相手に戦う場合、戦闘に勝つことが出来ても戦争に勝つ見込みは無い」と主張しつづけて来た人だが、ハワ奇襲大成功の報を聞いて胸が一杯になり、異様な嬉しさと爽やかさが身内を走り抜けるのを自分でも不思議に思ったという。
    ※ 原文は旧仮名遣いですが。

 日本の軍隊の中枢部にいた軍人が、このように反応した。その事実に驚きました。小説家の阿川弘之は、この評伝を史実/事実をなぞって書いています。誇張したり、持ち上げたりしていない。この作家は若くして、海軍にいましたから、現場もわかっています。
 そこにこの本の価値がある。軍人の井上成美は、あの開戦の勝利にこのように反応した。
 彼の真っ直ぐ地平線まで伸びる透徹した視線を、どう表現すればいいか。
 読んでよかった。
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植えた樹は見えないところで頑張ってるんだ!

2020年05月20日 02時48分34秒 | 古希からの田舎暮らし
 散歩道にあるヤマボウシの写真を、数日前にアップしました。その樹は茂みの北側にあります。日陰でしずかに咲いています。〈凛とした存在感〉! 息をつめて見入りたくなります。
 裏山にもヤマボウシがほしい。
 5年くらいまえにヤマボウシを裏山にも植えました。よく伸びて3メートル超の樹になっています。しかし葉が茂るだけで花は咲きません。散歩道のヤマボウシを見るたびに「裏山の樹も咲くかな」と思っていました。
 きのう道子さんが「ニュース!」。ヤマボウシが一輪咲いているというのです。行ってみると、いっぱい葉が茂っている先のほうに、小さい花が見えます。立派な花ではありませんが、咲いた。
 一輪咲いた。来年から咲くようになる。
 裏山は竹藪ですから、地中には竹の根が縦横に伸びています。いまの時季、タケノコがいっぱい生えてきます。細い竹も、笹も伸びてきます。ヤマボウシは地中の竹の根とたたかって、毎年少しずつ自分の根を伸ばして、花を咲かそうと頑張ってるんだ。
 見えない地中のたたかいに、いのちのふしぎをおもいます。

 もう一つ、樹のニュース。
 5年くらいになるか。渋柿の『蜂屋柿』を買いました。高さ3メートル近い樹を明幸園で買って軽トラで運んできました。竹藪を深く掘り、竹の根を取り除き、花と野菜の土を何袋も入れて、植えました。
 道子さんは毎年、干し柿をつくります。あの甘さは、干し柿でないと味わえません。その渋柿は道の駅で買ったり、村の方にもらったりします。干し柿を、アライグマに食われたことも、アライグマを檻でつかまえたこともあります。裏山で渋柿をならせて、干し柿をつくりたい。
 しかし、蜂屋柿は枯れはしませんが、実はなりませんでした。5年もならないのであきらめていました。道子さんは柿の木のそばを通るとき声を掛けるようにしました。そして今年、花が10個余りついています。
 地中で竹の根とたたかって、実をならせようとしている。
 感動しました。
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