古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

檻に狐が入りました。

2011年08月27日 03時27分38秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
  
 アライグマ用の踏み板式檻に、狐が入っていました。写真ではカラスがえさを横取りしないように、檻の前にテグスを張っています。野性の狐を間近にしっかり見るのははじめてです。そばに寄ってみると強烈なにおいがします。猫とちがい、眼に力があります。
 この檻には、三日前に小さいチキンラーメンと三笠饅頭を二つに切ってものを数個入れていました。でも猫がかかったばかりで、どうせだれもかからないだろう、と畑に来てものぞきませんでした。「檻は仕掛けても狸や狐がかかったときはすぐに解放しなければならない」ので、家にカメラをとりに帰り、写真を撮ってから檻のふたをあけました。
 猫ならふたをあけるとすぐ走り出て、5秒で姿を消します。しかし狐は檻になれてないようで、後ろがあいたのにまえに突っ込もうとします。しばらくして気づき、やっと走り出て、10メートルほど村の墓のほうに駆け上がりました。でもそこでとまって振り返り、こちらをじっと見ます。それからちょっと走り、また振り返ります。
 十数年まえに北海道旅行をしたとき、熊牧場にいたキタキツネを思い出しました。車を下りて牧場に行く途中でキタキツネを見かけたのです。こちらはよろこんで、写真を撮り、持っていたおやつをあげました。狐はおやつをくわえ、ぼくらを見送っています。また旅行の途中、車で走っているとキタキツネが繁みなら出てきて、写真を撮らせ、おやつをもらって見送ってくれたことがありました。「キツネというのは、人間に興味があるんだな。親しみを感じて、出てきたのか」と思いました。そういえばキツネと人間の物語はよくありますね。
 8月の草刈りは終わりました。土手の草刈り足場をつくって三年半。少しガタのきたところがあります。木の杭をつくって修理します。大きなケガをしないうちに。
 
 
 
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8月の草刈りに精を出しています。

2011年08月26日 06時56分07秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
  
 うっかりしていて、オリジナルサイズでアップしてしまいました。ごめんなさい。ゴマのうねです。二うねあり、間もなく切って干します。手前の空色の容器には、クロメンガタスズメの幼虫を水葬にするための水が入っており、それを火バサミで集めて火葬するのがぼくの仕事です。
 ゴマは200本超あり、150センチ以上に伸びています。道子さんが今年ほどゴマに手をかけたことはありません。毎日ゴマのうねを見てまわります。「見てまわる」のは生易しい仕事ではありません。なにしろ自分のひざから頭の上まで一本ずつのゴマを見おろし、見あげ、クロメンガタスズメの幼虫を捕まえ、カメムシのつがいを手でつぶし、不要な葉っぱを落としながらまわるのです。
 ゴマはこれから日に干してサヤがはじけるのを待ちますから、葉っぱの欠片が入ると選別に手間がかかります。それで切るまでにできるだけ葉を落としておきます。写真のゴマはずいぶん葉っぱを落としてすっきりしていますが、ここまでが大変な作業です。とぼくは紹介するだけで、ゴマにはノータッチです。すんません。
 さて、8月の草刈りをはじめました。あぜの上、土手の上部、あぜの内側、遊歩道は8月のはじめに刈りました。「月に2回あぜの草刈りをする」という減農薬農家の話を見習って。でも半月たつと草はしっかり伸びています。今回は通常の草刈りですから土手の上から下まで全部刈ります。
 この畑で、足場をつくり、それにのって草を刈るようになって4年目ですが、この作業がちょっとおっくうになってきました。特に南側の長い土手の足場の下部を刈るのが。一年一年過ぎてゆくのを、自分は向上しつつある、と思う人生の時期はとっくに過ぎてしまいました。でも、心のどこかでは「まだ大丈夫」と自分にいいきかせながら体を動かしています。それがいつまで通用するか。
 こんな書き方をするのは、自分のためです。「つよがる」老人とか高齢者のがんばりを称揚する世間の風潮に、ぼくは感心しません。その年で寝たきりの人も亡くなる人も大勢いるのです。ときに弱音を吐き、頑張ろうとする自分にブレーキをかける。老いの「大事な心得」だと思っています。
 写真に見える我が家の裏山ではツクツクホーシが鳴き、日が落ちると草むらから虫が鳴きはじめ、秋の足音が聞えます。夏の夕方聞えていたカナカナは聞えなくなりました。カナカナを聞くと、なぜかいまでも夏のキャンプの夕暮れを思います。こんな自然にかこまれて、自らの老いに素直に生きるいまのしあわせを、そのまま感じています。
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今年も草は勢いよく生えてきます。

2011年08月25日 03時49分26秒 | 古希からの田舎暮らし

 北条鉄道の終着駅である『北条町駅』の写真です。広くきれいな道路をはさんだ向かいには、図書館やコープの入った大きなビルがあり、感じのいい町です。ビルに通じる陸橋から眺めると、ホームセンターのコーナンやショッピングセンターのイーオンの看板ももすぐ近くに見え、清潔で近代的な街に来たような気分になります。しかし北条鉄道で来ると一時間に一本しかありませんから、またいつか車で、どんな町は見てまわることにしましょう。
 芭蕉が「夏草や 兵どもが 夢のあと」と詠んだむかしから、年年歳歳畑の草の勢いは同じなのでしょうが、それにしても畑の草はよく生えよく伸びます。「先日根元からこっきり刈ったのに元気だね」と心の中で声をかけながらもため息がもれます。でも「草を刈ったあとはムシが少ないよ」と防除担当の道子さんにいわれると、「月に2回畦の草刈りをして減農薬の米づくりに精を出している」というお百姓さんを思い、草刈りに精を出すことにしましょう。
 去年の冬土手の肩に植えた曼珠沙華(まんじゅしゃげ)が、今年はいくらか増えているしょう。しかし多分お彼岸より秋にずれ込みます。10月上旬か。とすると土手の肩を刈るのはお彼岸のあとがいいか。せっかく土手のぐるりに500球あまり植えたのですから、なるべく見栄えよく咲くよう刈る時期を考えます。
 去年は7月下旬から9月まで雨が降らず、太いパイプをあけて、畑全体を水びたしにする畝間潅水を数回しました。今年は適度に雨が降り、42ミリホースで畝間に走水(はしりみず)をするだけでしのげそうです。
 裏山の木々もこの間の雨でひと息ついています。竹やぶに植えたいろんな樹木ですが、一年目は「なんとか枯れないで生きてる」のが、二年目からその木の持つ「育つエネルギー」を発揮してぐんぐん伸びてきます。ひなひなした苗木の面影は消え、大地にしっかり生えている姿に感動します。でも「この樹勢が予見できたらこんなに近くには植えなかったのに」と反省することもたびたび。
「せっせと植えてもオレの生きてる間は繁って困るようなこともないだろう」とタカをくくっていたのに。「竹やぶに木を植えたってほとんど育ちませんよ」と植木屋さんにさんざんおどされたのに。植物が本来の勢いを発揮したときのエネルギーに圧倒されています。
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神戸電鉄・粟生線と北条鉄道に乗りました。

2011年08月23日 03時50分39秒 | 古希からの田舎暮らし
               
 口吉川町の住民説明会が、公民館で行われると回覧板がまわってきました。その議題の一つが「神戸電鉄・粟生線の存続について」です。「たくさん赤字があり廃止やむなしか? と話題になっている粟生線に一度乗ってみよう」とまえまえから思っていたので、きのう思い切って一日がかりで乗ってきました。
 最盛期には年間1400万人を越える人たちが利用した神戸電鉄粟生線ですが、いまでは半分の700万人に落ち込んでいるそうです。少子高齢化と自動車を利用する人の増加、他の交通手段の利用が主な理由です。神鉄としては赤字路線の補助金がなくなれば廃線するしかありません。
 車を押部谷近くの駐車場にとめて、『押部谷』駅から乗ってみました。なおこの駐車場というのは『西盛口』の信号から坂を上った辺鄙なところにあり、駐車料金が一日300円です。でも看板に「一日とめ放題300円」とあるのは正確ではありません。だって300円払って一度駐車場を出て再駐車すれば、また300円払うことになるでしょう。「食べ放題」とかいう宣伝がよくあるから、筆がすべって「とめ放題」となったのでしょうが、駐車場の中で車が寝そべったりでんぐり返ししてもよいというわけありません。
 はじめての粟生線乗りをしっかり記録しようと、ぼくは電車の一番前の窓に貼りついて、粟生までのすべての線路をビデオで撮影しました。前方両側にひらける沿線風景もちゃんと写ってます。DVDにしましたから、それを見ればどんなところを走ったか思い出せます。ぼんやり乗っただけだと忘れてしまいますので、繰り返し見て、記憶にとどめておこうと思います。
 粟生線はいま15分間隔で走っています。押部谷から終着駅の粟生までは単線になるので、いくつかの駅ですれちがうようになっています。ぼくらが乗ったのは昼間でしたから電車がガラガラでした。
 神鉄の粟生駅はJR加古川線の粟生駅でもあり、加古川行や谷川・西脇行に乗り換えることができます。(ただし電車は一時間に一本です)そしてかつてJRの北条線で、いまは第三セクターの北条鉄道に乗り換えることもできます。
「粟生まで行くなら北条鉄道にも乗ろう」とはじめから思って出てきたので、11時10分発の北条鉄道に乗りました。一両だけの気動車が一時間に一本走っています。この車両はディーゼルの燃料に食用油の廃油を利用しているエコ電車です。電車の中にはすず虫が飼ってあり、涼しい声で鳴いてくれました。
 終着駅『北条町』(ホウジョウマチと読む)に着いて駅前に出てみると、広い、きれいな道路と大きな建物があり、昔からの田舎町という雰囲気はありません。10分ほど歩いて大きな大きな『イオン』ショッピングセンターに行ってみると、これまたピッカピカ! 北条というと五百羅漢とかフラワーセンターに来たことがありますが、そんな田舎の感じとつながりませんでした。
 写真は道子さんの撮った北条鉄道のすず虫列車(一両だけ)です。
 さ、一日遊んで骨休めしたので、きょうは8月の土手の草刈りをします。   
 
 
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ロケットが見事に飛んだよ!

2011年08月22日 05時45分47秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
             
 理科に明るい大志くんのおとうさんがロケットをつくりました。圧力に耐える炭酸水のペットボトルや水道のカチット栓や空気入れなどをつかって。空気の圧力で水を噴射して飛ぶロケットです。みんながそろった日曜日の夕方、雨があがり、星陽グランドの駐車場で飛ばすことにしました。おじいさんおばあさんも軽トラに乗って見に行きました。
 写真は発射まえ、足踏みポンプで空気を入れているところです。このあとみんなでカウントダウンして発射させました。50メートル以上飛び、その迫力はちょっとしたもので、大人が見ても「ホーウ!」と感心します。
 さて5回にわたり動物児童文学『千子の夏休み』を読んでいただき、ありがとうございました。モルモットについてもアライグマについても、「動物の適正飼育」を訴える団体の提灯持ちみたいな物語になってしまいました。なおアライグマですが、去年三木市で800匹捕まえたそうです。(市の農業振興課で把握している数です)市は「少なくともその2倍はいる」とみているそうです。(ぼくは、「そんなもんじゃないだろ」と思いますが)捕獲数を見ても、ぼくが物語を書こうと取材した4年前より300匹増えています。
 では、うちの畑に仕掛けた檻はどうなったか。
○ 1晩目 …… チキンラーメン・三笠饅頭を切って踏み板の奥に置く。だれもノータッチだった。
○ 2晩目 …… えさだけがきれいになくなり、檻のふたはそのまま。動物なら踏み板まで入ってこないと饅頭やチキンラーメンは食べられないはずだが、体重の軽い動物が入ったのだろうか。と思案してカラスにやられたという結論に達した。「カラスのヤツめ! 苦心して仕掛けたのに邪魔しやがって!」と無性に腹が立つ。道子さんに「カラスと同じ土俵で相撲とってるね」といわれても怒りはおさまらない。そこで絶対にカラスに食べられないよう檻のまわりに杭を打ち、テグスを張りめぐらした。
○ 3晩目 …… 朝見に行ってみると何かかかっている。白と黒の猫だった。猫にも腹が立つ。邪魔するな!
しっかり反省させようと晩まで檻に放置することにした。でも畑仕事をしていると気になって、10分ほどでふたを開けて逃がしてしまった。道子さんが「どこの猫か後をつけて調べたらいい」と言ったけど、脱兎のごときスピードで村の墓に逃げてしまった。
 アライグマの大好きなスイカは、テグスを2本張っているだけですが、いまだに無傷で転がっています。どう考えてもあのピンクタイガーの『にらみ』が効いているとしか思えません。もっと増やそうかと思います。
 

  
 
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動物児童文学  『千子の夏休み』 (5)

2011年08月21日 04時05分40秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 しばらくして、ゲンから、11時にとめきちさんの家にくるように、とでんわがあった。
 千子は、ちょうど11時にとめきちさんの家につくように、家を出た。
 竹やぶの小道をぬけ、ひらけたところに出ると、ゲンがとめきちさんの家に行こうとしているのが見えた。
 ゲンは、とめきちさんの家のまえで千子をまち、二人いっしょに家に入った。
 光さんともうひとり、見たことのないおじさんがまっていた。
 かべぎわに、白い布をかけた台がおいてあり、とめきちさんの位はいと、ふくろに入ったつぼがのっている。そのよこに写真がたててあり、千子のしっているとめきちさんより、すこしわかい顔がやさしくわらっている。
 光さんが、ロウソクに火をつけて、せんこうをたてた。千子は、ゲンとならんで、位はいに手をあわせた。
 光さんは、ざしきのしょうじをあけた。田んぼと池が見えた。
「このおじさんは、中学のときからのともだちで、いまはどうぶつ病院のお医者さんだけど、いっしょにはなしをきいてもらうよ」
 おじさんは、よろしく、とゲンと千子に頭をさげた。
 光さんは、しばらくだまってけしきを見ていたが、しずかな声ではなしはじめた。
「おとなにはなすことばになるけど、きいてください。ゲンちゃん、千子ちゃん、そしてもし声がとどくなら、なくなったおじいさんにも、たくさん生れて死んでいったモルモットにも、きいてもらいたくて、光という人間のしたことを、はなします。
 ぼくが、おじいさんにモルモットを買ってもらったのは、中学一年のときでした。うれしくて、名前をつけてはなしかけ、まいばんだいてねました。
 そのうち、学校でいやなことがあると、モルモットにあたるようになりました。かわいそうと思う気もちはあっても、モルモットのいやがることをする自分を、とめられなくなりました。それにいつのまにかモルモットがふえてきました。
 ぼくは、モルモットを飼うのがいやになり、すてることにしました。モルモットはふえて11匹になっていましたが、紙のふくろに入れて、池のむこうにおいてきました。
 おじいさんはそれを見つけて、ひろってきましたが、なにもいいませんでした。家のうらに小さい小屋をつくって、モルモットのせわをするようになりました。おじいさんは、ぼくにあてつけがましく飼っている。はらがたちました。ぼくは、ぜったい、モルモットのせわをしなかったし、小屋をのぞこうとしませんでした。
 家をはなれて航空高校に入ってから、モルモットのことを思い出したことはありません。二十三年ぶりにかえってみると、なんと、おじいさんは、まだモルモットを飼っていたのです。びっくりしました。
 おじいさんが死んだら、モルモットをせわする人はいない。だれかもらってくれたら気がらくだけど、こんなにたくさんのモルモットをひきとる人はいない。
 しょぶんしてもらうしかないと思って、どうぶつ愛護センターにでんわしましたが、モルモットはひきとらない、といわれました。
 ぼくは、どうぶつ病院の医者をしているともだちにそうだんしようと思い、きのうモルモットのせわをしてから、行ってわけをはなしました。
 どうぶつ実験には家で飼っているようなモルモットはつかわない。しょぶんするのなら、安楽死がある。ますい注射ならくるしまないだろう、といわれました。
 そうするしかないと思って、きょうは注射をしてもらうことにして、水田さんとこの人とぼくはおさけをのみ、そのままともだちのうちにとまりました。
 けさ、かえってみたら、モルモットの小屋の戸があいています。
 しまった! 戸のまえにあの石をおくのをわすれた。
 モルモットはぐったりしています。1匹ずつ手にとってみましたが、ぜんぶ死んでいました。
 水田さんが、犬のあしあとがある。野犬がおそったのだろう、といいました。
 モルモットは、こわかっただろう。
 モルモットは、いたかっただろう。
 ゲンちゃんや千子ちゃんには見せられない。モルモットは、はかにうめました。
 なくなったおじいさんが、ぼくのすることを、そばでだまって見ている気がしました。
 ゲンちゃんや千子ちゃんには、モルモットは、もらう人があったからあげた、というつもりでした。でもすぐ、うそだとわかる。
 わかっても、ゲンちゃんと千子ちゃんは、なにもきかないで、しんじたふりをするでしょう。
 おじいさんが、ぼくなら、どうするだろう。
 おじいさんがぼくなら、いいわけしたり、ごまかしたりしない。自分のしたことを、しょうじきにはなすだろう。
 どう思われようと、ぼくのしようとしたことを、ありのままはなそう。 
 はなすのは、ぼくには勇気のいることでした。
 はなしをきいてくれて、ありがろう」
 光さんは、頭をさげた。千子はゲンを見た。ゲンは池のほうを見ていた。
 しずかだった。かぜがなくて、8月15日のまひるの太陽が、かーっとてっていた。
「とめきちさんにもらったモルモットは、ぼくが飼う」
 ゲンがいった。光さんはうなずいた。
「それは、ぼくからも飼ってくださいとおねがいする」
 どうぶつ病院のお医者さんをしているおじさんが、いった。
「2匹いるそうだね。それが気になる」
「おすとおす。とめきちさんがえらんでくれたんや」
「それならいいだろう。でも、あとでたしかめさせてほしいけど、いいかね」
 ゲンはうなずいた。おじさんは、もうひとつ気になることがある、といった。
「あのモルモットは、はじめは2匹だった。同じ小屋で飼っているうちに、つぎつぎと子どもがうまれて、ずーっとつづいてきた。よくないことだ。だからゲンちゃんのモルモットには、もしめすといっしょになることがあっても、子どもができないように、手術をうけてほしいんだけど」
「お金がかかるんやろ」
 ゲンにきかれて、おじさんはうなずいた。
 光さんが、いった。
「そのお金は、ぼくに出させてほしい。もし、モルモットが病気になったら、どうぶつ病院につれていってほしいし、そのお金も出す。かってなおねがいだけど、モルモットにはできるだけのことをして大事に飼ってほしい」
「光くんの気もちはわかるけど、たしかにかってなおねがいだな」
「だれにでもたのめることじゃない。ぼくのしたことをぜんぶわかったうえで、モルモットを飼うといってくれるゲンちゃんだから、たのんでるんだ」
「ばあちゃんは、ぼくがモルモットを飼うのをゆるしてくれた。でも本をよんで、手術とか病気とかお金のかかるのが気になってたんや。子どもがつくれないようにする手術は、ぜったいうけさせようと思うし。だからぼく、どうぶつ病院につれていくから、ひようは光さんにせいきゅうしてな。ぜったいばあちゃんに、せいきゅうしたらあかんで」
「よし、わかった。いつでもつれてきなさい。これで、一けんおとくいさまがふえた」
 おじさんがあくしゅしようと手を出した。ゲンは、その手をにぎって、にこっとした。
 お医者さんのけいたいでんわに、でんわがかかった。
「アライグマが7匹つかまったそうだ。しょぶんにたちあうからお先にしつれいするよ」
 おじさんは、かばんをもってかえっていった。
 ゲンがきいた。
「光さん、この家はあき家にしとくの?」
「このままなら5年でくずれてしまうらしい。ぎょうしゃの人が、もしこの家の古い柱や屋根の材木をもらえるなら、ただでこわしてあげるって。だからたのもうと思ってる」
「家のあと地はどうするの」
「どうするつもりもない。草ぼうぼうになる。ゲンちゃんとこで、畑でもつくってくれたらうれしいけど」
「畑はいらん。しごとがふえるだけや」
「クローバーの野原にしたら? モルモットのさんぽができるよ」
 千子がいうと、ゲンがさんせいした。
「そうや。クローバー畑にしよう」
 家をこわして更地になったら、ゲンがクローバーのたねをまくことで、そうだんがまとまった。
「ゲンちゃん、夕方になったら、モルモットをさんぽさせようよ」
 千子にいわれて、ゲンはモルモットをつれて、クローバーのしまに行くことをやくそくした。
 
 やくそくの時間よりはやめに、千子は家を出た。竹やぶの小道をとおるとき、3週間まえ、はじめてこの道に入ったときは、びくびくして歩いたことを、思い出した。
 小道をぬけて池の見えるところまでくると、ゲンは、さきにクローバーのしまにきていた。
 日がしずもうとしていた。思わず見とれてしまうほど大きな太陽だった。
 ゲンのあしもとにはモルモットがいて、いつものように頭をくっつけて、クローバーを食べていた。
 千子が1匹のモルモットをだきあげた。
 ゲンがもう1匹のモルモットをだきあげた。モルモットは、うでのなかでおとなしくしている。
 千子が夕やけの空を見て、いった。
「千子、あしたのあさ、かえる」
 夕日にむかって、ゲンがいった。
「ぼく、千子ちゃんがおらへんかったら、こころが、この夏を、のりきられへんかったかもしれん」
 千子がきいた。
「ゲンちゃん、『千の風に』うたえる?」
「おんがくの時間にうたった」
「わたしも。うたおうか」
 ふたりは、夕日にむかって、うたった。

    わたしの おはかのまえで
    なかないでください 
    そこに わたしは いません  
    ねむってなんか いません
    せんのかぜに せんのかぜになって
    あのおおきなそらを ふきわたっています

 あさから出なかったなみだが、この日はじめて、千子のほほをつたった。
 千子はゲンを見た。
 ゲンはなみだのもりあがった目で千子を見た。
 夕日がしずんだ。
「冬休みに、またモルモットにあいにくる」
 千子はゲンにモルモットをわたした。
 竹やぶの小道に入るときふりかえると、ゲンは、まだクローバーのしまにたったまま、千子を見ていた。
 
                                      おわり 


    
  
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動物児童文学  『千子の夏休み』 (4)

2011年08月20日 04時44分09秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
           『千子の夏休み』  (4)

「日本にいなかったアライグマが、どうしてすみついたか。みなさん、しってますね。そう、テレビのアニメを見て、アライグマを飼う人がふえたからです。では、あのうた、うたえますか」
 スクリーンにアニメがうつった。
 野原がひろがり、少年とアライグマが、じてんしゃにのってはしり、草はらを、ころげまわっている。
 おんがくがながれた。
 荒井さんは、「ハイディハイディリトゥラスコー」と英語でなにかうたいはじめ、「ヒアラスコー」と声をかけた。すると、おじさんやおばさんたちが、スクリーンのことばを見て、声をそろえてうたいはじめた。
  
    しろつめくさの はながさいたら
    さあ いこう ラスカル
    ろくがつのかぜが わたるみちを
    ロックリバーへ とおのりしよう
    かみさま ありがとう
    ぼくに ともだちをくれて
    ラスカルに あわせてくれて
    ラスカルに あわせてくれて
    ありがとう ぼくのともだち    
    ラスカルに あわせてくれて

 荒井さん、水田さん、光さん、千子のおとうさんおかあさん、それに村のおじさんおばさんたちも、おとながみんな、大きな声でうたっている。
 なつかしそうに うたっている人。
 なみだぐんで うたっている人。
 顔が かがやいている。
 へやの空気が、いっぺんにかわった。
 千子はびっくりした。ほかの子どもたちも、わけがわからなくて、きょとんとしている。おじいさんやおばあさんたちは、なんでうたなんかうたうんだ、という顔をしている。
 荒井さんは、千子やゲンや村の子どもたちの顔を見ていった。
「ふしぎでしょ。ふだんえらそうにしているおとなが、子どものアニメのうたを、大きな声でうたうなんて。じつは、いまから30年まえ、『あらいぐま・ラスカル』というテレビアニメが、放送されました。11さいの少年が、アライグマの子どもをひろって、そだてるおはなしでした。一年間、まいしゅう放送されて、ぼくたち日本の子どもは、日曜日のよる、このアニメを見るのが、とてもたのしみでした」
 おじいさんたちが、声をあげた。
「あのテレビがよくなかった。あれで、子どもがアライグマを飼うようになった」
「アライグマを、日本につれてきて、売ったやつがわるい」
「アライグマは凶暴だからって、にがしたやつがわるい」
「ちょっとまってください。だれがわるかったかを、いまになってはなしあっても、しかたありません。もう日本にすみついてしまったのです。
 ではどうすればいいか。つかまえて、へらすしかありません。100匹のアライグマがいるとして、まいとし、半分ずつつかまえれば、9年後にはゼロになります。いまからそとに出て、捕獲器のつかいかたをせつめいします」
 公民館の倉庫のまえには、じょうぶな金あみでつくった捕獲器が、ならべてあった。
 どんなところにおくのがいいか、えさはなにがいいか、のらねこやたぬきがはいったらどうするか、荒井さんはわかりやすくせつめいしてくれた。
 公民館のまえに車がとまり、見たことのないおばさんが、つかつかとやってきた。
「わたしは、日本アライグマ友の会の、佐藤澄子といいます。みなさん、アライグマを捕獲器でつかまえようとしていますが、つかまったアライグマは、どうなるかしっていますか」
 荒井さんは、こまったような顔で、よそを見ている。佐藤というおばさんは、そばにたっていた千子の顔をのぞきこんで、いった。
「おじょうちゃん、アライグマはつかまったらどうされるか、しってるの」
 千子はくびをふった。
「みなさん、アライグマはころされるのですよ。なんにもわるいことをしていないのに」
「スイカを食いあらされたぞ」
「特産品のブドウをやられた」
 佐藤さんは一歩まえに出て、みんなを見まわしてから、えんぜつをはじめた。
「みなさん、きいてください。アライグマのあかちゃんは、カナダの森でのびのびとくらしていました。ある日、こわいおじさんにつかまえられて、日本につれてこられました。アライグマは、お店で売られ、子どもに飼われ、ちょっとひっかいたからってたたかれ、野山にすてられました。アライグマは、イタズラしてやろう、わるいことをしてやろう、なんてかんがえていません。つれてこられた日本で、ひっしに生きているだけです。そんなアライグマを、みなさんは、つかまえて、ころしてしまうのですか」
 佐藤さんのけんまくに、みんなだまってきいているだけだ。
「アライグマは、いまでは日本にすみついています。アライグマを、ぜつめつさせることは、もうできません。だったら、しぜんにまかせたらいいじゃありませんか。がいこくからきたどうぶつは、アライグマだけではありません。それがふえて、日本をせんりょうしてしまいましたか。
 畑でつくるものを食べられてこまるなら、電線のさくをすればいいじゃありませんか。人間の食べものをとって食べるのは、アライグマだけじゃないでしょ。アライグマは、ねこやいぬとおなじ、いのちあるどうぶつです。人間のつごうで、ころさないでください」
 それだけいうと、佐藤さんはさっさと車にもどって、行ってしまった。
 あっけにとられて見ていた人たちが、がやがやしゃべりはじめた。
 水田さんが、荒井さんにきいた。
「あの佐藤さんをしっているんですか」
「ええ、アライグマをころすな、と役所にこられることがあります」 
 荒井さんは、村の人たちにむかっていった。
「たしかにアライグマは、くるしまないように安楽死のしょぶんをします。それはやさいやくだものをつくって食べる人間には、しかたのないことです。でも、畑をあらされたことのない人に、なかなかわかってもらえないのが、ざんねんです」
 荒井さんは、アライグマが捕獲器にかかったら、ぜったいに自分ではこんではいけない、かならずれんらくしてください、とつけくわえた。
 千子のおじいさんは、捕獲器をかりようともうしこんだけど、じゅんばんまちになった。
 
 8月12日のあさ、千子が顔をあらっていたら、とめちきさんが死んだ、とゲンがしらせにきた。光さんはいろいろ用事があるので、モルモットのせわをしてほしいとたのまれたいとう。
 なにかてつだいをしたいと、おじいさんも千子についてとめきちさんの家に行った。とめきちさんの家には、村の人が五人きて、あまどをあけ、へやとにわをかたづけて、そうじしていた。ゲンと千子はうらにまわって、モルモットの小屋をそうじした。モルモットが1匹死んでいたので、はかにうめて、花をそなえた。
 えさのやさいと水をやっていると、光さんと千子のおじいさんがうらにまわってきて、しばらくモルモットを見ていた。
 おじいさんが、モルモットにはなしかけた。
「とめきちさんは、やすらかな顔をしておられた。おまえたちには、25年もせわをしてもらったことが、わかるかのう」
 光さんは、なにもいわないで、モルモットをたしかめるように、1匹ずつ見ていた。
  
 つぎの日、とめきちさんのそうしきにあつまった人たちに、光さんはおれいをいった。
「とめきちの身内といえば、まごのわたしだけです。わたしは、中学校をそつぎょうして、23年まえにこの村をはなれてから、一度もかえってきませんでした。村のみなさんに、おせわになりっぱなしでした。きょうも、とめきちをおくりに来ていただいて、きっとよろこんでいると思います。ありがとうございました」
 れいきゅう車が出てしまうと、ゲンと千子は家のうらにまわって、モルモットのせわをした。モルモットをそとに出してだんボールばこに入れ、鉄のさんを水であらってきれいにした。あたらしいわらを、たっぷりしいた。
 えさばこや水入れをあらって、小屋の金あみのくものすをはらった。
 千子は、小屋をきれいにしながら、モルモットはどうなるのだろう、モルモットはどうなるのだろう、と思っていた。ゲンもそれをかんがえているのだろうが、だまったまま、そうじをしていた。
 そうじがおわると、モルモットを1匹ずつりょう手でだきあげ、顔を見てから、小屋に入れた。32匹いた。
 ゲンが、とめきちさんにもらったモルモットをさんぽさせたいといった。千子はゲンのうちに行き、二人は1匹ずつモルモットをだいて、池のふちをまわって、クローバーのしまにつれていった。2匹はいまもなかよしで、草の上におろすと、頭をくっつけるようにして、クローバーを食べた。
 14日のおぼんの一日を、千子は家でおじいさんとおばあさん、おとうさんとおかあさんとすごした。ゲンがよびにくるのではないかと、一日中気になったが、ゲンはこなかった。
 千子は、あさってのあさ、おとうさんおかあさんといっしょに、まちにかえることになった。
 あしたは、自分からゲンの家に行って、いっしょにモルモットを見に行こう、と千子は思った。
 15日のあさ、ふくや本をかばんにつめていると、ゲンがやってきた。
「モルモットの小屋でなんかあったみたい。光さんと水田さん、それにしらないおじさんが、小屋のほうで、はなしてるのが見えた」
「ゲンちゃん、行ってみようか」
「それが、子どもはきたらだめって。光さんから、ばあちゃんにでんわがあったんや」
「だって、わたし、あしたかえるのに。きょうはモルモット見たい」
「そりゃ、ぼくも気なるけど。またばあちゃんにきいてもらうからまっといて」
 千子は、むねがざわざわした。
 

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動物児童文学  『千子の夏休み』 (3)

2011年08月19日 02時31分31秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 ゲンと千子がモルモットのせわをするようになって5日目、モルモットのせわをするのを見たい、とおじいさんが千子についてきた。
 千子とゲンは、小屋のわらをかえ、畑からとってきたやさいと水をやった。
「ゲンちゃんのモルモット、名前つけたの?」
 千子にきかれて、ゲンがいった。
「名前はつけへん。モルモットはモルモット。にんげんに名前つけられても、モルモットはよろこばへんと思うし」
 おじいさんがいった。
「そうか。ゲンちゃんのいうとおりかもしれん。名前をつけて、ふたりだけの世界にはまってしまうのは、わたしも好きでない。だったら、ゲンちゃんは、どうしてモルモットを飼いたいんだ」
 ゲンは、ちょっとかんがえてからいった。
「モルモットをだいてると、むねがきもちいい。ぬいぐるみをだいても、いいきもちにならへん」
「どうしてだと思う?」
「モルモットは、いのちがあるから」
「いのちってどんなものだろう」
「目に見えん、ふしぎなもんや。そのいのちにふれたいから、飼うんや」
「ぬいぐるみみたいに、ほっとけないよ」
「とめきちさんのすることを見てきたから、せわがしんどいのはわかる。ぼくは、いのちにさわりたいんや」
「そうか。ゲンちゃんは、なかなかかんがえてるな。もしおばあさんが飼わせてくれなかったら、わたしのうちにおいてもいいよ」
「ありがとう。でも、ばあちゃんのてつだいをいっしょうけんめいして、うちで飼えるように、じぶんでたのむから」 
 ゲンのおばあさんが、とめきちさんの家から出てきた。
「ゲン。とめきちさんが、はなしがあるって。千子ちゃんもおじいさんも、いっしょにきいてください」
 とめきちさんは、ふとんにおきあがっていた。
「ゲン。モルモットのせわしてもらって、すまんな。お医者さんに注射してもらったし、もう4、5日したらそとに出られる。それまでたのむわな」
 とめきちさんの声は小さくて、みんな顔をちかづけて、みみをすませてきいた。
「25年まえ、まごが、モルモットのせわをせんようになったとき、わしはモルモットを、そのへんにすてようと思った。ふくろに入れて、すてにいったけど、すてられなんだ。もってかえって、ずーっと飼うことになってしまった。よかったかわるかったかわからんけど」
「とめきちさんだからできたことです」
 千子のおじいさんが、いった。
「よかろうとわるかろうと、とめきちさんの生きかたで、ほかのものにはまねのできんことです。ながいこと、ようせわしてこられましたなあ」
 ゲンのおばあさんが、いった。
 ゲンと千子は、だまったまま、とめきちさんの手をにぎった。とめきちさんは、ゲンと千子の手をにぎりかえし、ひとつ大きくうなずいて、よこになった。
 ゲンと千子は、まいあさ、モルモットのせわをした。死んでうごかなくなったモルモットがいると、とめきちさんのつくったはかにうめて、花をそなえた。
 4、5日したら、またそとに出られる、といったとめきちさんは、おきあがることができなくなった。
 ゲンと千子は、モルモットのせわをしたあと、いっしょにすごすことがよくあった。千子がゲンにしゅくだいをおしえてもらったり、村の神社につれて行ってもらって、せみをつかまえたり、ゆうがたにはカブトムシをつかまえたりした。水田さんの店にあそびに行って、どこかの畑がアライグマにやられたとはなしをきくと、水田さんについて畑を見にいった。
 8月10日には、千子のおとうさんとおかあさんが、おぼんやすみになって、やってきた。
 おかあさんは、スイカがアライグマにやられてしまった、ときいて、しきりにざんねんがった。
 おじいさんのつくったスイカは、世界でいちばんおいしい。
 おとうさんに、さんざんじまんしたのに、しょうこをみせられなくなった。
 おぼんやすみで、あちこちの家に、はかまいりにかえってきた人があって、村がにぎやかになった。
 とめきちさんのまごで、ひこうきのパイロットをしている光(ヒカル)さんも、かえってきた。ゲンのおばあさんが、とめきちさんのぐあいがわるい、とれんらくしたのだ。
 光さんがこの村にかえってきたのは23年ぶりだ。光さんのかぞくは、夏休みをがいこくですごしていて、ひとりかえってきたとう。
 せがたかく、りっぱにみえるおじさんで、子どものころいっしょにあそんだ村の人たちが、家にきて、光さんとなつかしそうにはなしていた。光さんが、モルモットのせわは自分がするというので、ゲンと千子は、とめきちさんの家に行かなくなった。

 8月11日には、村の公民館で、アライグマをつかまえるためのはなしあいがあった。千子のうちは、おじいさんだけでなく、アライグマのしたことにはらをたてている、おかあさんとおとうさんも、はなしあいに顔を出した。
 畑をアライグマにやられたよそのうちでも、どうにかしてアライグマをやっつけたい、というきもちがつよく、一人でなく、二人きているうちがあった。
 光さんもはなしあいに顔をだした。光さんは、アライグマをつかまえるはなしをきくというより、村のみんなの顔を見たいために出てきたのだった。
 ゲンや千子だけでなく、村の子どもたちも、やってきた。あちこちに、おしゃべりのわができて、公民館のへやはにぎやかだった。
 はなしあいのせわ役をする水田さんが、役所の人をしょうかいした。
 ほほからあごにかけて、くろぐろとひげをはやした、せのたかい、こわそうな顔の人が、出てきた。
 みんなきんちょうして、まえを見た。
「アライグマの係をしている、荒井熊雄です」
 みんながどっとわらった。
 荒井さんは、笑顔でみんなをみまわして、シーッとひとさしゆびを口にあてた。
 みんながしずかになると、
「荒井熊雄は、わたしのほんとの名前です。でも、アライグマの兄弟ではありません」
 といい、またみんながわらった。
 きんちょうがほぐれたところで、荒井さんは、みんなにはなしかけた。
「いまこの村に、おす50匹、めす50匹のアライグマがいるとしましょう。もし、このアライグマが、人間につかまえられずに生きていくと、12年後には、何匹になるでしょう」
 みんな、がやがやはなしていたが、まえにすわっているおじさんがいった。
「10倍の1000匹! いや3000匹」
 えーっ! と声があがり、またがやがやとにぎやかになった。
 荒井さんは、シーッと、ゆびをくちにあてた。
「ざんねんでした。ちょっとはずれましたね。せいかいは、12年で、11500匹になる、でした」
「うそっ!」
「そんなことになったら、むちゃくちゃやがな」
 また、荒井さんが、シーッとゆびを口にあてた。
「アライグマは、春に4匹から8匹くらいの子どもをうみます。いま日本のあちこちで、どんどんふえているのです。では、アライグマがどんなことをするか、見てみましょう」
 荒井さんは、あかりをけして、パソコンをさわった。
 アライグマに食いちらかされた畑が、スクリーンにうつし出された。
 りっぱなスイカにあながあけられ、食べられている。トウモロコシがたおされて、食いちらかされている。ブドウだなにぶらさがったブドウが、ぜんぶやられている。
「アライグマの手は、ゆびがながく、木のぼりがじょうずです。たかい金あみでものりこえてしまいます。アライグマに食べられないようにスイカをつくろうと思えば、動物園にあるような、がんじょうな金あみのおりのなかでつくるしかありません」
 どこかのおじさんが、たちあがった。
「まあ、きいてください。わたしは、となり村のものですが、去年スイカを70こ、ぜんぶアライグマにやられました。はらがたってしかたがないので、ことしはぜったいにやられないように、がんじょうなパイプでかこいをつくり、めがこまかく、ふといロープのあみですっぽりおおいました。」
「スイカはだいじょうぶでしたか」
「いいえ、スイカはだめでした。かぜがとおらなくて、スイカのなえがそだちませんでした」
 べつのおじさんが、たちあがった。
「うちの村では、神社のてんじょううらに、アライグマがすみついていました。てんじょううらはあんぜんだし、あき家はあちこちにあるし、なんぼでもすむところがあります」
「ほんとにこまりますねえ。では、みなさん。アライグマはけしかあん、と思っている人は、ちょっと手をあげてみてください」
 荒井さんにいわれて、千子はさっと手をあげ、まわりを見た。たくさんの人が手をあげていた。
「わかりました。ではアライグマを見たことのある人はいますか」
 千子は見たことがない。まわりを見たけど、手をあげた人は、2、3人だった。
「アライグマは、ひるはねて、よるうごきまわります。だから見た人が少ないのです。どんなどうぶつでしょう」
 スクリーンに、アライグマの写真がうつし出された。たぬきとよくにた顔で、しっぽにしまのもようがついている。かわいい! とあちこちから声があがった。  




 


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動物児童文学  『千子の夏休み』 (2)

2011年08月18日 03時29分42秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 モルモットをたくさん飼っているのは、とめきちという人で、96さいになったいまも元気だ。となりの家に、ひとりですんでいる。モルモットのえさにするやさいを、畑でつくっている。家のうらには、モルモットのはかがつくってある。モルモットが死んだら、そこにうめている。
 ゲンは千子(チコ)に、とめきちさんのことを。そんなふうにはなした。
 とめきちさんの家は、となりといっても、ちょっとはなれていた。古いわら屋根の家で、家のまわりがかたづいていないし、草ものびている。
 家のよこは、ひろい畑になっていて、レタス、キャベツ、ブロッコリーやはっぱのやさい、キュウリ、トマトなどがつくってある。
「これがモルモットのえさになるんや」
「えっ! ぜんぶモルモットが食べるの」
 チコがびっくりして、大きな声でいった。
 うしろでもの音がした。
 こしのまがったおじいさんがたっている。
「とめきちさん。千子ちゃんや。山のむこうのおじいさんのところに、夏休みにあそびにくるっていうとったやろ」
 千子は、こんにちは、とおじぎをした。とめきちさんもおじぎをして、ようきたな、といった。
 ゲンが、モルモットを見にきたというと、とめきちさんは、うらにまわって、べにや板でかこった小屋を見せた。
 たたみ一まいよりすこしせまく、屋根は、千子のあたまよりちょっとひくい。
 とめきちさんは、たてかけてあるベニヤ板をずらした。金あみのはってある小屋で、ゆかになにかいる。
 よく見るとモルモットだ。一匹や二匹ではない。うようよいる。
「わーっ! なん匹いるの」
「まえにそうじするときに、ぜんぶそとに出してかぞえたら、47匹おった。ながいこと飼っとると、ふえたりへったりするけど、いまは30匹くらいおるかな」
 千子とゲンは、しばらくだまってモルモットを見ていた。
 おくのほうに、ぶあつい板のたながあって、ふちがかじったようにまるくなっている。入口のところに、水とやさいがおいてあって、5、6匹のモルモットがもぐもぐ食べている。
 千子のおじいさんが、やってきた。
「千子ちゃん、ここにいたのか。畑にはいないし、どこに行ったのかとさがしたよ」
 おじいさんは、とめきちさんにあいさつして、モルモットの小屋をのぞいた。
「わー、こんなにたくさん飼っておられるのですか」
「はい、さいしょは、まごがほしがったもんで、祭りの夜店で2匹買ってやったんです。モルモットはさびしがりやで、1匹だけではかわいそうやっていわれたもんで。まごは、名前をつけて、まいにちかわいがっとりました。でも子どもはすぐにあきてしまいますな。モルモットが、おもしろいはなしをしてくれるわけやないし。そのうちなんぼでもふえてしまいましてな」
「おまごさんって、あのひこうきのパイロットをしておられる人ですか」
 とめきちさんは、うれしそうな顔になった。
「りっぱになってくれて、わしもうれしいです。あの子は、ふた親ともにはやくに死んでしまいましてな。モルモットを買ってやったときの顔は、いまでもおぼえとります。よろこんで、まいばんだいてねとりました。そのまごが、いまでは、よめさんもらって、子がうまれて、わしもひまごができました」
「そしたら、モルモットは、おまごさんが子どものときから、ずっと飼ってこられたんですか」
 とめきちさんが、うなずいた。
「ゲン、田んぼの水を見にいくで」
 ゲンのおばあさんが、よびにきた。おばあさんは、千子のおじいさんにあいさつして、いった。
「とめきちさんはこの25年ほど、家をあけたことがあらしません。モルモットは、せわせなんだらひとばんで死んでしまういうて、旅行も行きはらしません。わたしゃ、モルモットのきもちはわからんけど、これだけのモルモットが、ぎゅうづめでくらしとって、しあわせなんやろかと思うことがありますねん。
 でもとめきちさんは、気がやさしいよって、畑でやさいをつくって、小屋のわらをかえて、まいにち水とえさをやって、ずっとせわしてはります。モルモットが死んだらそこのはかにうめて、花をそなえて手をあわせてはる。わたしらには、まねのできんことですわ」
 千子のおじいさんは、なんどもうなずいて、モルモットをじっと見ていた。

 つぎのあさ、千子はいちりん車をおして、おじいさんと畑に行った。
 畑が、なんかへんだ。トウモロコシがたおれている。だれかが、あばれたのだろうか。
 そばによって見ると、毛のちゃ色になった、食べごろのトウモロコシのかわがはがされ、食べられている。
 スイカ畑は、だいじょうぶのようだ。大きなスイカが、ころがっている。千子とおじいさんは、スイカ畑に行った。大きなスイカを手でたたくと、ぼこっとへんな音がする。ころがしてみたら、よこにまるい穴があけられて、なかみは食べられている。
 だれがこんな食べかたをしたのだろう。
 ほかのスイカをしらべたら、そろそろ食べごろだな、と思うスイカは、どれも食べられている。きょう食べるスイカは井戸にひやしてあるけれど、あしたから食べるぶんはない。
 あまりのできごとに、おじいさんは、畑にすわりこんで、ぼんやりスイカを見ていた。
 おじいさんは、千子がスイカを食べるのを、うれしそうにながめて、もっと食べろ、もっと食べろ、といってくれた。
 いまは、どんなきもちだろう。
 千子は、なんといえばいいかわからなくて、だまっておじいさんを見ていた。
「ここもアライグマにやられましたな」
 声のほうを見ると、水田さんがこちらに歩いてくる。
 水田さんというのは、たねやなえを売っている店のおじさんで、おじいさんに、やさいのつくりかたをおしえてくれる。あかるくて元気な人で、おととい、千子がおじいさんといっしょに水田さんの店に行ったときは、「千子ちゃん、おじいさんのつくったスイカはおいしいか」と声をかけてくれた。
「水田さん、アライグマのしわざですか」
「このスイカの食べかたはアライグマです。この村にもアライグマが出るようになったみたいです。注意してください、ってまわってるところです」
「ほかにもやられた畑があるんですか」
「いままでまわったところでは、おたくを入れて7けん、やられました。ブドウ畑も、ひどくあらされています」
 ブドウは、この村の特産品にしようと、みんなでつくっている。それがアライグマにやられたらしい。
「そんなにやられたんですか」
 おじいさんは、すっかりしょげて、のろのろかえっていった。千子はそんなおじいさんのうしろを、いちりん車をおしてかえった。
 ひるからのおやつはスイカだ。ちょうどスイカを切ろうとしているところにゲンがきた。
「とめきちさんが、しんどいって、ねとるんや。うちのばあちゃんが、モルモットのせわしてこいっていうから、千子ちゃん、てつだってくれへんか」
 千子は、モルモットのせわならしてもいい、と思った。
「うちの畑をアライグマがおそって、スイカを食べてしまったの。これがさいごのスイカよ。ゲンちゃんも食べなさい」
 おばあさんにいわれて、ゲンもスイカを食べた。千子は、これがさいごのスイカなんだ、とあじわいながら食べた。
 おじいさんはひときれだけ食べて、つかれたからねてくるといって、おくのへやに行ってしまった。
「おじいさんは、スイカをつくるのに、ずいぶんくろうしたのよ。うえたときは、まださむいから、なえにキャップをかぶせた。つるがのびてきたら、1本のなえから4本のつるがのびるようにした。1本のつるに一つのスイカがなるように、め花を一つのこして、お花がさくと、それをめ花にくっつけた。水をやったり、草をぬいたり、いつもせわして、千子ちゃんに食べさせるんだって、いっしょうけんめいだったわ。それがこんなことになって、なぐさめようがないわねえ」
 おばあさんは、ためいきをついた。
 千子もためいきをついた。スイカを食べられなくなったことより、がっかりしているおじいさんを見るのがつらかった。むねに石がつまったみたいに、ドーンとおもかった。
 スイカを食べたあと、千子とゲンは、とめきちさんの家に行き、モルモットの小屋のそうじをした。ゲンとはなしあって、モルモットをぜんぶそとに出すことにした。
 だんボールばこをもってきて、モルモットを入れた。かぞえてみたら、ぜんぶで36匹いた。
 小屋のわらをかき出し、鉄のさんを水であらって、あたらしいわらをしいた。モルモットを1匹ずつだいて、小屋に入れてやるときもちよさそうにしている。
 畑からやさいをとってきて、水であらい、えさばこに入れてやった。モルモットは、あつまってもりもり食べだした。水をやって、この日のせわはおわった。
 とめきちさんが、つえをついて見にきた。
「とめきちさん、だいじょうぶですか」
 千子が声をかけたら、とめきちさんは、だいじょうぶ、だいじょうぶ、と手をふって小屋をのぞいた。
「おう、きれいにしてもらったのう。ありがと、ありがと。そしたら戸のかけがねをかけて、この石をおいとくんや。野犬がくることがあるでな」
 ゲンと千子は、重い石をころがして戸のまえにおき、ベニヤ板でかこいをした。
「ゲン、おまえにやったモルモットは、さびしそうにしとらへんか」
 とめきちさんにきかれて、ゲンがいった。
「やっぱり、ともだちがおらんと、さびしいみたいや」
「2匹にしたら、またふえてしまう」
 千子がしんぱいすると、とめきちさんは、おすどうしならだいじょうぶ、といった。
「いまからつれてきて、だんボールばこでいっしょにしてみたらええ」
 ゲンは、家にかえってモルモットをだいてきた。とめきちさんが、おすのモルモットをえらんで、だんボールばこでゲンのモルモットといっしょにしてみた。
 ゲンのモルモットはちかよっていったが、しばらくするとはなれて、ちがう方向をむいてしまう。なん匹かためして、やっとなかよしのともだちが見つかった。

                                  明日につづく

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児童文学で動物愛護を考えたことがありました。

2011年08月17日 02時23分35秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 いまの住いに引っ越してあと4ヶ月で5年になります。田舎暮らしを始めて2年目に、動物愛護の児童文学に応募しようと物語を書いたことを思い出しました。人目にふれることはありませんでしたがいまでも同じ気持ちなので、このブログにアップします。
 長い物語ですが読んでいただけたらうれしいです。原稿用紙55枚の物語なので5回に分けます。児童文学なのでなるべく漢字の使用を避け、漢字にはルビを打っているのですがこの原稿ではルビを省略します。物語をつくるにあたっては多少の取材をしましたが、実在の人物とは関係なく、すべてフィクションです。

                    
                  千子の夏休み

 さかみちをのぼったところに、おじいさんの家はあった。車の音をききつけて、おばあさんが出てきた。
「千子ちゃん、よくきてくれたね。さー、あがって。かばんはおじいちゃんがはこんでくれるから」
 千子は車をおりて、家のまわりをながめた。
 家はあたらしい。家のうらはなだらかな小山になって、竹やぶがしげっている。家のまえは小川がながれ、そのむこうに田んぼがひろがっている。
 ミンミンぜみの声にまじって、小鳥がないている。
 おかあさんは車をおりると、りょう手をつきあげて大きくのびをした。
「空気がおいしいわ。ここなら千子のぜんそくもきっとよくなるわよ」
 おじいさんはてい年で会社をやめてから、いなかぐらしをしたいといいだした。このいなかに家をたてて、まちからひっこしたのは、2年まえのことだ。
 千子とおかあさんがこの家にきたのははじめてだが、思っていたよりいいところだ。
 おばあさんが、大きな皿にキュウリとトマトを山もりにして、テーブルにどんとおいた。
「これがおやつ。うちの畑でつくったやさいは、あじがちがうわよ。食べてみて」
 おじいさんもあがってきて、キュウリを食べながらいった。
「やさいは、土づくりがだいじだからな。レンゲをまいたり、おちばを入れたりして、ことしはふかふかの、いい土になった。キュウリは、ほうちょうで切ったりしないで、まるかじりするのがいちばんうまい。食べてみなさい」
 おかあさんが、キュウリをぽりっとひとくち食べた。
「うん、これよ。キュウリってこんなあじだったのを、思い出すわ」
 千子はトマトにかぶりついた。
「おひさまのあじがする」
「おひさまのあじか。千子ちゃんはうまいこというな」
 千子は大きなトマトを食べてしまうと、キュウリも二本食べた。食べているうちにまた手が出てしまった。
 おじいさんは畑仕事のふくにきがえて、おばあさんと出ていった。
 千子は夏休みの三週間をいなかのおじいさんの家ですごすことにして、大きなかばんににもつをつめてきた。おかあさんに手つだってもらい、かばんからしゅくだいや本やきがえを出して、机やタンスにしまった。
 おじいさんが、いちりん車にスイカ二つとトウモロコシをつんで、畑からかえってきた。
 千子がはずんだ声でいった。
「おじいちゃん、スイカもつくってるの」
「そうだ。きょう食べるスイカは、ひやしてある。うらの井戸からとってきてやる」
 おじいさんがスイカをかかえてくると、おばあさんが、大きなほうちょうでスイカを切りはじめた。
「えっ! ひとつまるまる食べるの」
「スイカなんて水をのんでるみたいなものだ。これくらい、ペロッと食べてしまうよ」
「もったいない! 千子はスイカが大好きだから、うちでは三日に一回、六分の一に切ったスイカを買うことにしてるのよ」
 おっかあさんは、スイカが大好きで、よく買うくせに、千子のためにスイカを買ってくるような口ぶりだ。
「それをきいてたから、ことしは千子ちゃんに、まいにちスイカを食べさせてやろうって、いっしょうけんめいつくったのよ。ね、おじいちゃん」
 おばあさんにいわれて、おじいさんがてれたように、にこっとした。
「あまい!」
 ひとくちスイカにかぶりついて、千子がさけんだ。
「シャキシャキして、あまさもさいこう!」
 おかあさんが、がぶがぶ食べる。千子もまけずにがぶがぶ食べる。
「千子、よかったね。こんなスイカが、まいにち、思いっきり食べられるのよ」
「千子、しあわせ」
 千子はつぎのスイカに手をのばした。
 つぎのあさ、千子はおじいさんの畑についれていってもらった。
 ひろい畑だった。おじいさんは、トウモロコシのひげをゆびさした。
「千子ちゃん、これがちゃ色になったら食べごろだ。とってみなさい」
「これだったら、トウモロコシ、まいにち食べられるね」
「そのつもりでつくったんだ。畑にきて、食べたいだけとっていいよ」
 トマト、キュウリ、ナスビなどのむこうが、スイカ畑になっていた。いくつかのスイカが見える。
 千子はスイカをかぞえてみた。
「八こもある!」
「いや、きのうかぞえたら、十七こあった。はっぱのかげになっているんだよ」
 おじいさんは、スイカをもちあげて、わらのざぶとんをなおした。それからてのひらで、スイカをかるくたたいて、みみをすました。
「おじいちゃん、なにしているの」
「スイカの食べごろを、音でしらべてる。ポンとすんだ音のするスイカがいい。ほら、きいてみなさい」
 千子はおじいさんのまねをして、ポンとたたいて音をきいてみた。たしかにスイカによって音はちがう。でも、どのスイカが食べごろかわからなかった。
 おかあさんはつとめがあるのでまちのマンションに帰ってしまい、千子のいなかの夏休みがはじまった。
 まいにちおやつに、スイカやトウモロコシを、たっぷり食べられるのがうれしかった。
 いなかにきて三日目のあさ、千子は家のまわりをあるいてみた。
 竹やぶのまがりくねった小道をとおりぬけるときは、このさきになにがあるかと、どきどきした。小道をぬけると、ひらけたところに出た。
 大きな田んぼの稲が、かぜになみうつようにゆれている。そのさきには、つくってない田んぼがあり、草が刈ってある。まんなかに、しまのように草のはえたところがある。
 そのむこうは池になっていて、池のむこうに、わら屋根の家が二けん見える。家のまえは畑で、うしろは小さな森になっている。
 夏休みのしゅくだいの絵は、ここをかこう、と千子は思った。
 しまのようになった草むらで、なにかがうごいた。
 千子は草のしまに、行ってみた。
 しまは、クローバーがもりあがるようにはえているところで、千子のへやくらいのひろさがある。
 またクローバーがうごいた。
 千子は、クローバーの草むらに入っていった。
 なにかいる。
 白にちゃ色と黒の、まるいかたまりがうごいている。
 うさぎだろうか。
 うさぎにしてはみみが小さい。クローバーをもぐもぐ食べている。ハムスターにしては大きすぎる。なんというどうぶつだろう。
 千子はしゃがんで、どうぶつのせなかをなでた。毛がふわふわしてきもちがいい。りょう手ですくいあげて、むねにだいた。
 いやがったり、おこったりしない。だかれたままじっとしている。
 だいていると、かわいくて、いいきもちだ。
「ぼくがもらったモルモットやで」
 うしろで声がした。
 ふりかえると、青いティーシャツにジーパンをはいた、千子とおなじくらいの男の子がちかよってくる。
 男の子は、千子のだいているモルモットを、りょう手でかかえた。
「どこの子や」
「おじいちゃんのうちにきたばっかり」
「千子ちゃんか。おじいさんが、くるっていうとった。5年生か」
 千子がうなずくと、男の子は池のむこうのわら屋根の家をゆびさした。
「あれ、ぼくのうちや。名前はゲン。6年生。ばあちゃんと二人ですんでるんや」
「モルモット飼ってるの」
「うん。飼ってるっていうか、となりのじいちゃんにもらったばっかりや。モルモット、まだいっぱいおるで。見にいくか」
 千子はうなずいた。
 ゲンはモルモットをだいて歩きだした。千子はゲンについていった。
 わら屋根の家についた。
 ゲンは板をよせてつくったかこいに、モルモットをおろした。
「このすきまから出てしまったんやな」
 ゲンはにわを見まわし、石をひろってきて、かこいのすきまにおいた。
「ちゃんとしたかこい、まだつくってないんや。ばあちゃんが、モルモット飼うのをゆるしてくれへんから」
 
                                      明日につづく 

   
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スベリヒユを食べてみました。

2011年08月16日 05時43分55秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 三木市の防災公園には立派な運動施設があります。とりわけ『ブルボンビーンズドーム』という呼称のテニスコートはすばらしい。春にはデヴィスカップの予選が、震災の放射能の影響で東京でなくここで開催され、話題の錦織選手も試合をしたとか。
 先日、出掛けたついでにこのコートに寄ってお茶を飲みました。常設の観覧席は1500人だそうですが、とにかくきれいです。屋根はありますが天井から拡散された光が入ります。外は真夏の太陽が照っているのに、中の光線はやわらかくてどこかシーンとした気持ちよさです。このコートは見るだけならいつでもだれでも入れるようです。駐車場も無料です。
 実は畑にイヤというほど生えている、『スベリヒユ』という雑草を摘んで食べたので、その写真をアップしようと思ったのですが、やめ。テニスコートの写真を思い出してアップします。
 スベリヒユは夏にいっぱい生える雑草ですが、簡単に抜けるのでそんなに苦労しません。食べられることは本を見て知っていましたが、テレビで紹介されたそうで、それでは一度食べてみようかと、畑で買物袋にいっぱい摘んできました。
 まず茎と葉を洗い、ゆでて、つまみ食いしてみました。なんのクセもない味です。レシピには辛子醤油とか酢味噌とかあるいはマヨネーズで食べるのがいいように書いてあるのでやってみました。どれもいけます。ちょうど来客があったので試食してもらいましたが「これなら食べられる」。
 ギリシャやトルコでは野菜として売っているし、日本でも山形県では野菜として売ってるんですって。ビタミンBが豊富とか鉄分が豊富とか血圧にいいとか、そうそう、美容にいいとも書いてありました。でもうちでは常食にしようと思いませんでした。もし有機無農薬の畑で摘んだスベリヒユを食べてみようという方がおられましたら、畑で自由に摘んでください。近くにあるお寺『伽耶院』には「入山料 草引き10本」と立て札が立ってます。その真似をして、スベリヒユ代は「畑の草引き 7本」ということにいたしましょう。
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アライグマ軍団ついに来襲!

2011年08月14日 03時49分32秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 朝、おばあさんは畑へ、おじいさんは裏山に竹を片づけに行きました。おじいさんが竹を切り、杭をつくって、遅れて畑に行ってみると、どうもサツマイモのあたりの様子が変です。サツマイモの端のほうが掘られて、食い散らかされているようです。横の土手のカボチャを見るとこれも食べた跡があり、転がっています。
「なにか動物がやってきて食い散らかしたようだ」とさらに様子を見ると、カボチャの株の間に植えたトウモロコシもまだ実は入ってないけど折られています。今年のサツマイモは順調に育っていると内心ホクホクしていたのに、30株は掘られているでしょうか。ナルトキントキは長い芋なので途中まで食っては土がかたいから隣の株を掘りして、次々と食い荒らしているのです。
 これはアライグマだろうか。それにしては大量に食い荒らしている。イノシシが親子連れでやってきて食い荒らしたのではないか。アライグマだったら甘いものが好きだから、トウモロコシとかスイカをねらうのではないか。(大きなスイカにはテグスが張ってあり、例のタイガーがにらみをきかせています)それが被害にあわず、カボチャがかじられているとは、さては犯人はイノシシか?
 心はイノシシ犯人に傾きます。
 イノシシなら電柵をすぐに張るのは大変だからとりあえず白いロープを張ってみようか。ひと晩でこんなに食い荒らすとは一匹や二匹ではない。集団で襲っている。こんな調子で襲われたらサツマイモは三日でなくなってしまう。とにかく畑のそばの家の人にたずねてみよう。
 経験豊かでよく作物のことを知っておられる方なので、対策も聞こうと早速訪ねました。「そうですか。一度現場を見せてもらいましょう」とぼくより先輩らしいご夫婦が長靴をはき帽子をかぶって出てこられました。ところが土手の下の畑を見ると、その家もカボチャやサツマイモが食い荒らされています。
 うちの現場を見てもらうと、「これはどうもアライグマのようですな。イノシシなら馬力があるというか、もっと深く土を掘って食い荒らしますよ」といわれました。
「そうか。アライグマが夜盗軍団になって襲ってきたのだな。なんとかしなくては」
 去年の6月にはアライグマを役所で借りた檻で捕まえました。山一つ南の、細川町の谷にあるメダカ庵のブログでは「今年になって5匹目のアライグマを捕まえた」とあり、あの谷は大変だなあ、と読みました。でもうちの畑が襲われるとは思っていませんでした。そこでうちの村の老人会のお仲間に電話してきいてみました。
「うちの畑は二週間ほど前にアライグマに襲われて、サツマイモは全滅。カボチャも全滅。もうつくる元気がなくなるほどやられました」
 きょうは土曜日で役所の檻は借りれないし、とにかく晩までになんとかしないとサツマイモは全滅します。
 そこで動物ネットを買いに出ました。2メートル×50メートルのネットを買い、4メートルの鉄筋なども買ってかえり、昼寝をして(どんなことがあっても昼寝はするのです)、夕方4時から仕事にかかりました。
 竹の杭を打ち込み、高さ50センチで切り、杭にマイカ線を張り、その上に動物排除ネットを張ります。サツマイモを植えた畝は4箇所あり(分かれていたから助かったところもあります)全部にネットをかぶせ終ったのは7時半過ぎでした。月齢13,3の真ん丸に見える月が山よりかなり高く昇っていました。
 被害にはガックリですが、落ち込んではいられません。残ったサツマイモを守らなくては。月曜日までもちこたえて、役所に檻を借りに行き、敢然とアライグマの来襲に立向うことにします。
 なお買物に出たとき、タイガーくんの弟を買ってきましたので、兄弟並んだ写真をアップします。被害の写真なんかより勇ましくていいでしょ。ピンクタイガーくんも、日光に鍛えられ、次第に兄貴のようなホンモノのタイガー色(いろ)になって、頑張ってくれるでしょう。
  
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黒大豆にマイカ線を張りました。

2011年08月12日 22時05分51秒 | 古希からの田舎暮らし
                
 黒豆は下枝が伸びてそこにもサヤがつきます。その下枝は幹の付け根から重みで折れてしまうことがよくあります。それを防ぐために、いままで黒豆に添え木をしてそこから垂らした紐で枝の先を引っ張り上げていましたが、去年うねの両側に紐を張ることを、黒大豆の本場・丹波篠山の知人に教えてもらいました。
 黒豆のうねの両側に竹の杭を打ち込みます。4株おきに杭を打ち込みますから2メートル間隔です。そこに『マイカ線』というヒモを張っていきます。地上20センチのところに二巻きして張っていけば、線がゆるむこともなく、伸びることもなく収穫までピンと張ったまま役目を果たしてくれます。
 この線はテレビアンテナのフィーダー線によく似ているので、いままで「フィーダー線みたいなヒモ」と呼んでいました。去年買ったヒモは積水化学の『コートバンド』という商品名だったので、そう呼んだこともあります。でも通じにくいのでネットで調べたら、一般的には『マイカ線』というそうです。これは商品名ですが、この会社の製品が一番よく知られているのです。『ハウスバンド』とか『キョウジンバンド』という商品名もありますが、通じにくいでしょう。
 さて10メートルの黒大豆のうね6本に杭を打ち込み、このマイカ線を張りました。本来の黒豆収穫用のうねは4本ですが、枝豆用のうねにも張ったのです。これで黒大豆は台風がきても多分大丈夫でしょう。
                
 雨が降らないのでコイモプールをつくりました。きのうつくって水深6センチまで水を入れましたが、朝見たら水は土にしみ込んでいました。そこでもう一度水深6センチまで水を入れたのが写真のコイモプールです。きのうはまず雑草を抜き、コイモの余分な芽を摘み、土寄せをしてからセキをつくって水を入れました。これで一週間ほどコイモは水やりしなくても大丈夫です。
 小豆の防風ネットは畑に行くたびに気になります。でも道子さんによると、いまのところアズキノメイガは入っていないようです。まだ小豆は花が咲いていませんけど。これから正念場です。
 
 
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津山=鳥取を結ぶ《因美線・土師駅》の写真です。

2011年08月11日 01時30分03秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 
 いくつかあるお気に入り写真の一枚です。足元の白線がプラットフォームで、単線のレールがあるだけです。駅舎はなく、バス停のような一坪ほどの雨よけの屋根とベンチがあります。無人駅で改札口もありません。道路から直接ホームに出るようになってます。これは中国山脈を越えて津山と鳥取を結ぶ『因美線』の鳥取県側の「はじ」という駅です。いまでは大阪から姫路 ⇒ 姫新線 ⇒ 《智頭急行》 ⇒ 鳥取(一部は倉吉まで)に『スーパーはくと』が走り、2時間余りで結ばれてしまうので、因美線は日に数本しか列車の走らないローカル線になってしまいました。
 しかし昔は『みささ号』という急行列車が大阪から『上井』(「アゲイ」と読みます。いまでは『倉吉』という駅名になっています)まで因美線を走っていました。その頃帰省のたびに通過したのが『土師駅』とか『奈義駅』です。鳥取から中国山脈を越えるときは今にも止まりそうな速度で上っていきます。寂しそうな土師駅とか奈義駅を通過するときは、ホームの駅名や人の顔がはっきり見えるくらいです。そして県境のトンネルに入り、途中からぐんぐんスピードが上がります。トンネルを出ると美作の景色に日が照り、列車はすごいスピードで走り、気分までちがいます。
 でも年老いたいまは陰鬱な山陰の空とこの景色の寂寥感をなつかしく感じるときがあります。ですから敢えて大判でアップしました。9月。稲刈り前の田んぼが広がり、右手にはコンバインで稲刈りをしている人がいる。向うの山すそには民家が散らばり、何百年も人々が暮らしてきた。そんな村までとぼとぼと歩いてみたい。
 この村に生まれ、勤め先の田舎町まで通勤するために毎朝列車をこのホームで待ち、向かいの山を眺める。都会に憧れる若者の焦燥感。苛酷な人生に打ちひしがれた人の絶望。そんなものを黙って抱きとる山山。
 やっぱり田舎っていいのかもしれませんね。
 きのうは朝は水やりに42ミリホースで格闘し、夕方は黒大豆の『マイカ線』を張りました。コイモはまだ水が必要な様子なので、耕運機で畝間を掘り下げ、コイモプールをつくることにします。道子さんはムシ防除に打ち込んでおり、強力なニンニク・アセビ混合液で芯食いムシなどを阻止しようとしています。小豆の防風ネットはまだ効果がわかりません。
 
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世はどこも夏休みですね。

2011年08月10日 02時13分17秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
            
 夏休みで孫たちがやってきました。うちはふだんもよく来ていますが、このたびは特に夏休みモードで一週間ほどいます。まず手はじめに昼食は『流しそうめん』をしました。バーベキューは先週来たときにやりましたから、次は夏休みの終わり頃にする予定です。
 さて流しそうめんですが、写真のようにウッドデッキでしました。裏山でやれば野趣あふれていいでしょうが、日が当たって暑い。蚊が来襲する。そこでオーニングを出し(それでも日が当たっていますが)、蚊取り線香をあちこち置き、イスを出して、竹に水を流し、そこにそうめんを流します。
 おじいちゃんはどこで食べたのかというと、竹の一番終点にザルを置き、そこにたまったそうめんをじっくり食べました。人間は70歳を過ぎると動体視力が格段に劣化し、動くものを捕らえて食べようという意欲が衰えてきます。でも回転寿司は食ったなー。
 ま、とにかく、これから流しそうめんをする人に参考までに注意事項を。
 ○ 流しそうめんは、始めの水流とそうめんの速度で傾斜を加減してはいけません。1メートル地点を過ぎるとどんどん加速度がつきます。できれば途中で竹を継いで傾斜を変えます。あるいははじめは、じれったいほどゆっくり流れるように調整します。
 ○ そうめんを食べるときはそうめんに専念し、薬味などは合間に食べて、腹の中で出会うようにします。そうしないとそうめん流しのペースがつかめず、ギクシャクした食事になります。
 ビニールプールもウッドデッキで。学校にあがれば宿題もあるので宿題タイムはしっかりとります。おじいちゃん、おばあちゃんには遠い遠い昔のことですが、世の中では現在でも親や子が宿題に苦しめられています。宿題をやらなかったらどうなるかときいたら、二学期中ついてまわるそうです。執念深い宿題ですね。
 夜は花火です。外に出て、蚊取り線香をあちこち置いて、花火に火をつけていました。おじいちゃんおばあちゃんは見物するだけ。火をつけて自分で持ってみたい、という気持ちがからっきしわきません。
 こんな夏休みがいまどこのおうちでも展開されているのですね。あーあ。
 
 
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