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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

ウスバツバメガの幼虫だよ

2009年05月31日 04時34分41秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 ゴミ出しに行った足で近くの喫茶店に行き、朝食をとりました。それから喫茶店に車を置いたまま近くの山道を散歩して、写真の虫を見つけました。
 これは『イラガ』の一種にちがいない。あの、触れると痛い、刺す幼虫だろう。毒々しい派手な色を見ると、目立つことで小鳥に食べられず生き延びていく幼虫のようです。庭木にさわる人は、一度や二度はイラガにやられた経験があるでしょう。ぼくもあります。蚊に刺された程度ではすまない痛みとかゆみがあとあとまでつづきます。うっかり触れると大変な目にあいます。
 帰ってインターネットでこの幼虫を調べてみると『イラガ』とはちがう種類のガのようです。『ウスバツバメガ』の幼虫です。どんな『ガ』か知りませんが、とにかく幼虫が刺すとは書いてありません。でも用心してこれからも見るだけにしておこう。
 そういえばあれから15センチはある立派なムカデに出会いました。畑に行く途中の道で、ムカデが道路を横断して側溝に入り、壁を這いまわり、山の落葉の中に入っていきました。しばらくじっと見ていましたがムカデから敵意とか威嚇の波動は伝わってきませんでした。といってもこちらは長靴に作業用のゴム引き手袋という畑装備でしたから、もし襲ってきたとしても踏み潰すことが可能な体制でしたが。この生き物はナメクジやゴキブリや夜盗虫を食べて7年も生きてきたんだな、という思いが胸をかすめましたが、「ありがとう」という気持ちにはなれませんでした。
 そうそう。なにかの生き物が、いっしょに出掛けようとムカデを誘ったら約束の時間になっても来ない。あんまり遅いから様子を見にムカデのうちに行ってみると、ワラジをはいているところだった。そんな童話があったなー。
 この童話をつくった人はムカデを愛しているのかなー。
 
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スーザン・ボイルをクリック

2009年05月29日 03時54分41秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 夜中に起きてブログを書こうとパソコンに向かい、もう二時間もヘッドフォンをかけて"you tube"のスーザン・ボイルの歌を、繰り返し繰り返し、また繰り返し繰り返し、聴いています。
 この数日、毎日何十回と聴いているのに、いまも涙が流れます。目の前の奇跡に感動する人々の渦に身をひたして、自然に出てくる涙です。彼女の歌には、このひと月に全世界で2億回近いアクセスがあったとニュースが報じていますが、世界中の多くの人が、ぼくみたいに繰り返し見ているからでしょうか。
 スーザン・ボイルさんのような人なら、この村でも朝散歩していて、農道で出会いそうです。「きょうはええ天気ですな」「うちの猫も気持ちよさそうに日向ぼっこしとりますわ」と会話でもしてすれちがいそうな近所の陽気なおばさん。そのおばさんが人の心に起こす奇跡は、心が洗われるようで気持ちがいい。久しくそんなことがなかったけど、身をひたすと気持ちのいい人々の感動の渦。
 アフリカの飢餓を救うために全米のアーティストが結集して WE ARE THE WORLD という曲をつくりあげたことがあります。日本の中学の多くの英語の教科書にも載っていました。歌ができたのは1983年のことでした。マイケル・ジャクソン/ライオネル・リッチー/ステイビー・ワンダー/レイ・チャールズ/ダイアナ・ロス/ティナ・ターナー/シンディー・ローパー/……50人近いアーティストが、一晩ハリウッドのスタジオに集りみんなで歌い朝とともにまた自分の活動の場に帰っていく。奇跡のように実現した超有名歌手の集りの様子を、淡々と収録したビデオを、また見たくなりました。
 スーザンの歌とこの歌では意味は違いますが、感動はこころの栄養分です。その栄養分を、人々に分かち与えたスーザン・ボイルのいきなりの登場に感謝します。
 
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そば屋があるのはうれしい

2009年05月28日 03時48分35秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 来訪者と食事をできる店が近くにあるだろうか。田舎暮らしをするにあたって気になっていたことのひとつです。
 三年前の春に土地をもとめ、家を建築していた秋は、神戸市の家から建築現場に毎日のように通いました。その頃車で数分のところにやはり建築現場がありました。建物は倉庫のようでもあるし個人の家のようでもあるし、広い敷地に何が建つのだろうと見ていました。
 我が家が師走に引っ越して新年を迎えた頃にあの建物も出来上がり、看板が上がりました。お寿司や仕出し弁当の店で出前もしてもらえます。しかもおいしい。我が家では何度か出前を頼んだり、来訪者と食事に出掛けたりしました。店は順調なようでうれしいことです。
 去年の秋には、10分ほど車で走ったところに何か建物が建っているのに気づきました。『そば』と旗が立っています。いつの間にこんな店ができたのだろう。ぼくはそばが大好きなので、畑の肥料を買うついでに寄ってみました。
 新しい店で、「趣味がいい」ということばが似合います。電気で石臼がまわり、そばを挽いています。10センチはあろうかと思う分厚い杉板の卓。手でさわる感触がなんともいい。
 ざるそばを注文しました。これがまたうまかった。ここのそばは自慢できる。「おいしいそば屋があるから行こう」と来訪者を案内できる。
 大晦日には孫たちも大集合で年越しそばを食べるのですが、去年はここに注文しておいて持ち帰りました。「40秒ゆでてください」と言われたのですが、はたして店自慢のうまさを引き出せたかな。今年の大晦日は店に食べに行こうという話になっています。
  
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草刈りは大仕事です

2009年05月27日 04時18分17秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 写真は蛇ガ池(じゃがいけ)というため池の下の農道です。我が家から2分のこの道は散歩でときどき歩きます。六月になると田植えがはじまるので、自走式4輪駆動の草刈り機で営農組合のほうで刈ったばかりです。いまは大型バスでも楽楽通れるほどの広い道に見えます。ところが田植えが終ってしばらくたつと草がぐんぐん伸びて軽自動車でもボディーの両側を草がこすり、徐行しないと通れないほど狭い道になります。
 毎年のことなのに5月から8月の草の伸びる勢いはすごい。草刈りが大仕事になります。7月頃には村の草刈りがあります。うちを含む数軒の新参者以外は村中総出です。ため池の土手がいちばん大変なようです。長い斜面を両足で踏ん張りながらの作業は体にこたえます。少しでも涼しいうちにということで朝7時から草刈りにかかり、昼前まで作業がつづきます。
 老人会の役員の方は後期高齢者の仲間入りをする年齢なのに、草刈り機のタンク三杯のガソリンを使い切ってしまうと話しておられました。ぼくは草刈りをするときにタンク一杯のガソリンで半日というノルマにしています。そして必ず間に休みをとる。知らず知らず頑張り、疲労がたまり、踏ん張りがきかなくなると危ないからです。村中総出の作業ではそうもいかないで頑張るしかないのでしょう。
 神戸市に住んで大豆畑トラストをやっていたときは、タンク一杯のガソリンが空になるまでぶっつづけに草刈りをしました。60歳になったばかりの元気と古希を過ぎた元気はちがいます。そのちがいを敏感に感じ、その年齢の力量に素直にしたがう気持ちを大事にしたい。
「なーに、歳はとってもまだやれる。おれは気が若いんだから」という気負いがいつの間にか消えている自分の心を好ましく見ています。無気力になっていくのとちがう。心と体がバランスよく老いる。そのときできることをたのしんでやる。頑張らない。
 それにしても草刈りは大仕事です。
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事後報告をします パートⅡ

2009年05月24日 01時46分53秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうの事後報告のつづきです。
○ レンゲ畑(4.18ブログ)  雑草が多く、ギシギシに虫がつくので刈ってしまったときのう書きましたが、きょうはその草が乾いたので焼こうと運びました。道子さんが草を集めていると、下にたくさんの夜盗虫がいるのです。草を集める間に50匹は潰したそうです。そんなに見つけるのは夜でもむずかしい。夜盗虫は大食漢です。みんなで野菜を食べれば一晩でやられます。見つけられてよかったと思いました。
○ 梯 剛之さんのピアノ演奏会(5.4ブログ) 演奏会の前日になってコンサートがあることを知り、会場で彼のCDをもとめました。彼のCDデビュー版のモーツアルトは以前から愛聴していたのですが、このたび入手した彼のシューベルトとショパンを弾くCDを、ときに聴いています。草刈りでくたくたになり、シャワーを浴びてから部屋で緑の裏山を見ながら聴く。人生のしあわせな時間です。
○ イチゴ畑(5.1ブログ) 5月になってからは毎週孫たちが泊りがけで来ています。イチゴ畑につられて。絶えずランナーを切り、痛んだ葉っぱやイチゴは除去し、去年秋の畝つくりからずっと世話に時間と労力をとられましたが今年もその甲斐がありました。この『宝交』の苗を淡路の知人に送っていただいたのはもう10年も前のことでしょうか。あれから毎年たくさんの苗をいろんな人におすそ分けし、我が家でもたのしんでいます。そういえばもうすぐ植える落花生も、10年前に田舎の先輩を訪ねたときいただいた三株の苗がはじまりでした。去年はこの村の九軒のお宅に落花生の枝豆をおすそ分けすることができました。『つながる』いい言葉です。
 
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事後報告をします

2009年05月23日 00時59分19秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 ブログを開設して二ヵ月余りになりますが、イチゴ畑目当ての孫を連れてやってきた娘に、「カタツムリどうしてる?」ときかれました。そういえば途中まで書きっぱなしで、きちんと報告していないことが多くあります。そこで今日は思いつくままに事後報告をしてみます。
○ 5月14日:日記 = 竹薮のシイタケ置き場で見つけたカタツムリ夫妻は、昆虫飼育用のプラスチックケースで元気にしています。いつまでもくっついているかと思いましたが、もうくっついているところは見かけません。キュウリ・レタス・摺り潰したタマゴの殻・生シイタケなどを入れています。いちばん好きなのはシイタケのようです。もう竹薮には放しません。よその山に持っていって放します。シイタケ置き場はできたのかって?  「それが親分、まだでござんす。いろいろすることがあるもんで、ついつい延び延びになってしまいやして。面目ねえ」
○ 3月9日~10日:日記 = ヌートリアの残りの一匹はどこに行ったのか。  わかりません。水辺に穴を掘って生きるので近くの池にいるのでしょうが、はっきりした目撃証言はなく、いるらしいという話ばかりです。元来夜行性の動物ですから今年の冬、村で評判になり、村の衆が次々と見にやってきたようなことはめったにないようです。なお捕獲用の檻は市役所に返しました。次に「やっ! ヌートリア出没!!」と書くのはいつになるでしょうか。
○ 4月18日:日記 = レンゲ畑。 刈ってしまいました。畑のそばを、柴犬を連れ長い竹の杖をついて散歩する村のおじいさんが5月中頃に「レンゲは刈ってしまったのか。きれいで散歩の途中見るのを楽しみにしてたのに」と残念がっていました。「雑草に虫がつくので刈って焼こうと思いまして」とこたえました。いまではまともなレンゲ畑を見かけることがありません。残念がるおじいさんの気持ちを大事にしなくては、と思いました。レンゲが豆になって種を落とすまでそのままにしておけば来年もまたレンゲ畑になったでしょうに。
○ 4月28日:日記 = 二重リングno22のリングは? 来訪者にいくつか無理に手渡しましたが、まだ手元に沢山あります。いつでも声を掛けてください。
 長くなりますので今日はここまで。また適宜事後報告をしますのでよろしく。  
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草刈りはいつまでできるかなー。

2009年05月22日 04時34分47秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 これは去年の6月に撮った写真で、借りている畑の土手の草刈りをすませたところです。去年は4月5月と土手の斜面で両足を踏ん張りながらなんとか草を刈ったけれど、年寄りには危ないと感じて足場をつくりました。材木で杭をつくり、防腐剤を塗って打ち込み、材木を渡しただけの足場です。
 この足場のお陰で6月からは楽に草を刈ることができるようになりました。でも「道路沿いは目障りだし短いところだからなんとか足場なしでやろう」と思っていました。しかし去年から今年に掛けて冬以外は毎月草を刈るうちに、道路沿いの斜面も足場をつくったほうがいいと思い、今年は足場をつけました。お陰で斜面の草を刈りやすくなりました。
 昨日は今年二回目の草刈りをしながら、ふっと体のゆらめきを感じました。ふらつくのでなく、危ないと感じるのでもなく、近い将来そうなるかなという予感のようなものです。それを「老い」というのでしょう。
 退職して神戸市西区神出の休耕田で『大豆畑トラスト』をやっていた数年間は、よく草刈りをしました。高い土手はほとんどなかったので上の畦と下の溝から刈払い機で刈ればきれいになりました。ですから刈払い機は使い慣れているし、身のこなし・足の踏ん張りはまだ大丈夫と思っていました。
『老い』の歩みはなんと確かなのでしょう。
 ぼくは「頑張らない」を信条として71年間生きてきたつもりです。でもよく考えてみると、それは「嫌いなこと・いやなことは頑張りたくない」であって、する必要のあることはそれなりに頑張ってこなしてきたのでしょうね。そう思ってまわりを見ると「頑張る老人」だらけ。頑張るつもりはなくても気がつけば頑張ってる。
 どこかで聞いたことがあります。人間の細胞と犬の細胞はちがわない。だから同じくらい生きるはずだ。ところが犬の寿命は長くても20年に届かない。人間は80歳を越えても生きる。なぜそんなにちがうか。犬は「明日は○○をしよう」と思って眠りにつき「今日は○○をしよう」と目覚めるのではないでしょう。生きる意志のちがいでしょうか。
「老いていく日々を慎重に生きたい」と書くつもりだったのにおかしな論調になりました。やっぱり人間は「頑張る」のが「たのしい」のかなー。「しあわせ」なのかなー。退職して無為にぶらぶらしているようでも常になにかに頑張りたい生き物なのでしょうか。
 
 
 
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あなたならどうする? パートⅡ

2009年05月21日 02時41分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 昨日は畑の草刈りをしました。刈払い機で土手の草を刈っていると草の陰にいたムカデが逃げていきます。
「やっ! ムカデだ!!」とあわてて、逃げようとするムカデを刈払い機で切ってしまいました。ほっとする間もなくまたムカデが出てきて、あわてて刈払い機で切ろうとしたけど、このムカデは草むらに逃げ込んでしまいました。
 この草を集めて焼くときうっかり草を手でかかえたら、ムカデに刺される。刺されないようにするには熊手と棒ではさんで一輪車に積んで運ぶのがいいかなー。
 結局刈払い機のタンク一杯のガソリンが無くなるまで草を刈る間に、三匹を切ったけど一匹は逃げてしまいました。そこで畑で仕事をしている道子さんに「この草の山にはムカデがいるから気をつけて!」と声をかけました。すると「病害虫の本に、ムカデを見たらそのまま逃がしてあげましょうと書いてあったわよ。だからこのまえ逃がしてあげた」という言葉が返ってきました。
 ええっ!? 逃がしてあげた? 
 夫婦間でなんという重大な見解の相違! 
 食事のときその病害虫の本を見たら、たしかに「そのまま逃がしてあげましょう」と書いてあります。ムカデは人間を襲うわけではありません、か。たしかにムカデはおそってくるわけではない、なー。でも刺す。あれはムカデが我が身の危険を感じてすることか。
「ムカデは夜盗虫、ナメクジなどを食べてくれます。ゴキブリを追って家に入ることもあります。だからそのまま逃がして……」
 夜盗虫かー。サツマイモの苗が枯れていたので、まわりの土を掘って調べてみたら夜盗虫が二匹出てきました。こいつらの仕業だったか、と長靴で踏みつぶそうとしましたが、なかなかつぶれません。あのしぶとい夜盗虫を、ムカデは食べるのか。エライなー。ナメクジも食べるのか。ウマイかなー。
 ムカデは7年くらい生きて15センチくらいになります、かー。その間ずーっと夜盗虫やナメクジやゴキブリを食べてくれているのか。
 でもなー。こんどムカデを見たらどんな態度をとればいいかなー。
 あなたならどうしますか。  なおムカデ、夜盗虫、ナメクジの写真は省略します。
 
 
 
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7月10日頃ベニバナが咲く

2009年05月20日 01時12分08秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 隣のを散歩していて、畑で作業している人を見つけ「なにを植えてるんですか」とたずねました。
 おじいさんは熱心に語りはじめました。ベニバナを栽培している、7月10日頃に花が咲く。食用油用でなく染料に使う原種のベニバナを、偉い学者先生の指導で植えつけている。トゲがあるから皮手袋をしないと収穫できない。草がひどいので除草剤を散布したらちょっと苗の色が浅いからどうかな……。
 米価安定のために今年も三割強の田んぼを休耕田にします。うちのでも三町近くの田んぼを休耕田にしなければなりません。去年は農協の指導で営農組合は黒大豆をつくりました。今年はちがう田んぼでやはり黒大豆をつくります。
 黒大豆つくりは米つくりよりしんどい仕事です。耕土改善をした田んぼは100メートル×30メートルくらいですから、100メートルある一畝の草抜きをするだけで半日かかってしまいます。「途中で何度も振り返り、先を見て絶望的な気持ちになる」と聞くだけで、こちらまで腰が痛くなります。
 畑仕事に行く途中、村の人にそんな話をしたら「うちは今年は七枚の田んぼのうち五枚が黒大豆になります。残るのは山田錦の田んぼ一枚と自家米の一枚だけですわ。米つくりよりしんどいけど仕方ありません」と苦笑しておられました。営農組合で作業をするのですが、米つくりのように省力化機械化が進んでいるわけではありません。
 長年米をつくってきたのにその米が、つくり甲斐のないほど安く、なれない他の作物をつくる。
 ベニバナ満開の田んぼを想像して書きはじめたのに、ため息の出る話になってしまいました。でも7月10日頃にはまたベニバナを植えつけた田んぼに行ってみよう。
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道はいいものですね

2009年05月15日 04時49分53秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 先週図書館に行ったとき『道のかなたに』という本を借りました。ドイツの人が撮った『道』の写真集です。世界のさまざまな道路が写っています。しかし生活感のある家や人間は写っていません。どの写真も中心に居座るのは道です。道は手前から向うに伸びています。
 車の疾走しそうな道。牧場の小道。坂をのぼる道。雪の道。林間の道。海に向かう道。山中の道。
 道の先にはなにかがある。なにかと[いま・ここ]をつなぐ道。道をつくったのは人間。……無人の道がいっぱい語りかけてくる写真集です。ぼくは未知の道を歩くのが好きです。横丁や袋小路、本道からそれる小道など道を見ると通ってみたくなります。
 友の持つ田舎の家をきのう訪ねて、小道の写真を撮りました。家の横から後の山に入っていく道です。木漏れ日の差す小径の先には、心安らぐスペースがありました。
 いま借りている畑と家を往復する道もいい。この道のことはまたそのうち。
  
 

 
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カタツムリを飼うことになりました

2009年05月14日 02時39分44秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 トレタテのシイタケを食べることに味をしめ、今年はホダ木を10本ほど買い足すことにしました。年末にホダ木を買って2月にタネを打ち込み、井げたに積んでコモをかぶせておきました。
 そのホダ木の正式な置き場をつくろうときのう竹薮を片付けていたら、大きなカタツムリが以前から置いているホダ木にくっついています。それも二匹が合体しているみたいです。ちょっとやそっとでは離れそうにありません。よっぽど深く愛し合っているのでしょうか。
 インターネットでカタツムリのことを調べてみると、びっくりするようなことが書いてあります。
○ カタツムリは雌雄同体である。……結婚するときはどちらが雄役・雌役をするか話し合うのでしょうか。
○ カタツムリは冬眠もするし、夏眠もする。……春から梅雨にかけてと秋にゴソゴソ動きまわるのでしょうか。いまの季節ならもうすぐ卵を産むかもしれません。
 それが孵る(かえる)まで飼ってみようかな。すばしこく動きまわるでもなく、うじゃうじゃ相手がいたわけでもないのに、一生懸命『婚活』してやっとこの藪でめぐりあった二匹。それを見かけたのもなにかの縁かもしれません。
 でも今度放すときはどこか遠くの竹薮にしよう。シイタケはもう食べられないように。
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若竹はぐんぐん伸びる

2009年05月13日 03時48分52秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 ブログを書きはじめて二ヵ月が過ぎました。毎日書くつもりだったけど、だんだん間遠になるものですね。
 さて若葉の季節が過ぎつつあります。まわりの山々は若葉の色が濃くなりました。竹薮も真竹の筍が伸びてにぎやかです。竹薮は放っておくと笹や筍がぐんぐん伸びます。元の竹薮に戻るのに時間はかかりません。そこで出てくる筍や笹の芽を切ってしまいます。
 このところ笹の新芽切りに熱心なのは、96歳の誕生日を祝ったばかりの妙子さんです。天気がいいと日に何度も裏の竹薮に行き、しゃがみ込んで笹の新芽をちぎります。天職のように意欲に燃えています。そこで竹薮に入る道に手すりをつけました。
 道子さんは竹薮に花壇をつくろうと畑の土を運んで花を植えています。ぼくは今年増やしたシイタケのホダ木置き場をつくろうと竹を切っています。でも畑仕事がいろいろある季節なので、竹薮の仕事は間遠になってしまいます。
 里山づくりは夢としていまももっていますが、しばらくは畑仕事に精を出すことにしましょう。
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仕事・ツルハシ・開拓者

2009年05月09日 04時06分56秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 いかにも何かすることがあるように『仕事』なんて単語を使いますが、実は定年退職してぶらぶらしている人間には仕事はありません。何かしても世のため人のためになるでなく、収入になるわけでもありません。
 日記を書くとすれば「きょうは何もなかった」と書く日が365日つづく。しかしそれでは退屈してしまう。はつらつと生きることにならん。なにかすることを考え、それを仕事と称して、頑張らんでもええけど頑張る。
 老後はそんな日々が延々とつづきます。
 街に暮して何かするとすれば、ゴミを分別して捨てる・草をむしる・ベランダ菜園・テレビ・読書や音楽鑑賞・各種趣味・老人大学やボランティア・健康維持のジム通い・散歩や医者通い・サプリメントをあれこれ飲む・ときどき旅行とアルバムの整理。仕事とは呼べないなー。
 田舎に暮らすとすることがいくらでもあります。里山復活を夢見て裏の竹薮に穴を掘り、木を植えるのも仕事のひとつです。
 ツルハシを力いっぱい大地に振りおろす。縦横に地下を走る竹の根がぐさっと切れる。頭が空っぽになり、開拓者という心地いい言葉が頭をよぎる。
 もやもやごちゃごちゃ詰まっていたなにかが全部どこかに飛んでいってしまう。
 はじめての感覚です。ぼくは、この歳になってツルハシを振りあげる体験をするようになっていたのか。新鮮な目で自分の人生を眺めます。
 全力で大地と格闘するといえば大げさですが、わずかな時間でもそんな感覚にはまる竹薮の穴掘りが気に入っています。
 
 
 
 
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歴史を知ると思いが深くなる

2009年05月07日 03時20分43秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 4月の『拝む』に載せた写真を再掲します。先日『モーニング』にありつこうと車で出掛けて、道の駅に来てしまいました。そのときに案内所で買った地元の歴史の小冊子を見ると、大将軍神社のことが書いてありました。
 想像心をかきたてる記述ですがそのまま写してみます。
 
馬場にあるこの城は、別所氏の一族で衣笠氏歴代の城であった。衣笠親信のとき三木合戦が起り、秀吉軍の夜襲を受けて城主親信は討ち死にしたが、このとき忠臣がその屍を持って城を逃れ、近くの林に遺骸を埋めて、その前で自害したという。その地を大将軍の林といい小さな神社が建っていて大将軍神社という。
 里人はその忠節を憐れんで厚く葬り、君臣の二霊を祀っていたが、現在は祭神が変わっている。世を憚って(はばかって)、豊臣秀吉を祭神としているが本当は、衣笠親信とその忠臣である。

 そうだったのか。小さな神社にそんな歴史があったのか。
 ありふれた田舎の景色を慈しみながら散歩していましたが、歴史を知ると思いの奥行が深くなります。今日の散歩は、またこの神社周辺を歩いてみることにしましょう。

 
 
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梯 剛之さんのピアノ演奏会

2009年05月04日 03時49分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
「私は知らなかった。これほどまでに清楚で、慎ましい気品をたたえ、しかも生き生きとした生命にあふれたモーツアルトを! 無心が故の演奏の清々しさなのであろうか。改めて、モーツアルトを聴く幸せに浸り、その美しい世界に遊び、……そんな心の旅をさせてくれる梯剛之という音楽家に感謝したいと思う。」
 これは音楽評論家の諸石幸生氏が梯剛之(かけはしたけし)さんのCDに書いた解説です。評論家というのはうまいこと書くものですね。この文を読むだけでどんな演奏か聴いてみたくなります。
 このCDと出会ったのは13年前。まだ篠山にアパートを借りて勤めていたときのことです。18歳で本格的にデビューした梯さんのはじめてのCDでした。いまでも愛聴している一枚です。そして梯さんは、本を出したといえば読み、テレビでヴァイオリニストの和波さんと対談する番組があれば見入る遥かな存在の青年でした。
 4月28日はゴミ捨ての日。こののゴミステーションは歩けば10分ほどかかるので車で行きます。道子さんが「ゴミ捨てに行くついでに『モーニング』で食事をすませてそのまま散歩しようか」といい、ぼくもすーっと賛成しました。田舎で暮らすと、ときにそんなことをしてみたくなります。といってもこの2年間に一度やっただけですが。
 だけど近くに一軒だけあるあの喫茶店ではなー。
 そうだ! 5分も車を走らせてとなりの町に行けば、ため池のほとりに喫茶店がある。あそこだってモーニングくらいやってるだろう。
 車で店の前に行ってみると定休日と立て看板。このまま家に帰る気にもならずなんとなく車を走らせるうちに道の駅に来てしまい、そこで朝食をすませて帰ろうとしたとき案内所のチラシの棚に梯剛之という字が見えました。
 明日29日となりの小野市で、梯剛之さんのオール・ベートーヴェン・プログラムの演奏会があると書いてあります。すぐに電話してみると事務所は定休日でした。次の日朝一番に事務所に電話してチケットがあるのをたしかめ、夕方久しぶりにネクタイをしめて出掛けました。
 二列目の席でした。目の前で梯さんが弾いています。大げさな身振りや表情を付加することなく、内なる音楽のエネルギーをまっすぐ鍵盤に伝える梯さんの演奏に圧倒された二時間でした。
 偶然がいくつも重なってこの空気の振動に身をさらすことができました。我が人生にこんな至福の時間がまだ残されていたとは。
 いいえ。偶然はそんなに都合よく重なるものではありません。めぐまれているのです。なにか大いなるものに。
 行雲流水の心で晴耕雨読の田舎暮らしをしたいといいながら、自分の人生は自分で仕切ろうとあくせくしていないか。力をぬいて生きてみなさい。
 夜道を運転して帰りながら、そんな声が聞えてくるような気がしました。
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