古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

畑仕事はつづきます。

2012年09月14日 05時16分16秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 写真は落花生の畝です。今年は〈 4畝 ⇒ 3畝 / 100株 ⇒ 75株 〉に減らしました。洗うのが大変なのと、歯が弱って香ばしい落花生をポリポリ噛むのがうれしくなくなったからです。いま畝の間にも根を下ろし、盛りあがるように繁っています。
 ところが次の2株の落花生を見てください。
               
 今年ポット苗を買った落花生です。〈枝豆用〉とあったので2株買ったのですが、こんなに貧弱です。この苗は他の苗のように広がろうとしませんでした。それをマルチ押さえで無理に広げたのが写真です。
 落花生をネットで調べてみると、千葉では「〈半立(はんだち)種〉は味がいい」ということで栽培が広がったそうです。その半立種かもしれません。育て方を間違えたのでしょうか。
 電気柵の通電を維持するには雑草管理など手がかかりますが、これでアライグマもイノシシもシャットアウトできたと思えば気持ちが浮き立ちます。「またサツマイモが、カボチャが、やられたのではないか」、もうすぐ実の入る黒大豆が「枝をしごいてイノシシに食われてしまったのではないか」という心配から解放されたのですから。
 実際、一生懸命につくった作物が動物にやられたら、ほんとに「やる気」がなくなりますね。

 そうそう、蛇がまたネットにかかりました。これで4匹目です。道子さんはチョウチョが卵を生み付けるのを防ぐために、白菜など葉もの野菜の苗に一センチ角程度の目の粗いネットでトンネルをしています。これによく蛇が引っかかるのです。有機無農薬の畑なのでムシが沢山います。それを食べに蛙が沢山住んでいます。草を刈るといっぱい逃げていきます。その蛙をねらって蛇がきます。
 黒っぽい、多分アオダイショウだと思うのですが、その蛇が先日からよくネットに引っ掛かるのです。頭は細いからネットをくぐって蛙を食べに来る。でも途中で、蛙を食べて膨らんだ胴体がネットに引っ掛かる。進退きわまる。もがいて死んでしまいます。その死体はネットをハサミで切って道端に置いておきます。アオサギやトンビが見つけて食料として持っていけばよし。そのまま残っていたら土に埋めてあげます。
 ところがきのうの朝は、ネットに掛かって間がない、もがいている蛇を道子さんが見かけたそうです。彼女は逃がしてあげようとネットをハサミで切りはじめました。はじめはもがいていた蛇が、解放してもらえると思って大人しくなり、ネットを切ってもらうのをじっと待っています。(道子さんはそう感じたそうです)全部のネットを切ってもらって、(うれしそうに)……道子さんの感想……逃げていったそうです。
『鶴の恩返し』という話があるけど『蛇の恩返し』もあるかもしれません。宝くじでも買ってみるか。

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『原発はなぜ危険か』(岩波新書)を読んでいます。

2012年09月13日 03時32分33秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 19日に農協杯の『グランドゴルフ大会』があるので、うちの村の老人会でも練習しようということになり、三木防災公園のグランドゴルフ場に練習に出掛けました。写真のような芝生の広場で練習します。あちこちの老人会が練習に来ており、「このスポーツは老人のあいだでは盛んなんだ」と感じました。
 岩波新書『原発はなぜ危険か』……元設計技師の証言……(1990年刊行・田中三彦著)を読んでいます。彼は「原発」の中心になる原子炉・圧力容器の設計にかかわった技師でした。『バブコック日立』・呉第二工場で1974年(昭和49年)に起こった製造過程での事故を、この本で告発しています。国家レベルの原発を推進する大企業を相手に告発するのですから、それ相当の覚悟がなくてはできません。それを覚悟して対決しているのです。
 問題の原子炉圧力容器は、福島第一原発の四号機用です。彼はその炉の設計にかかわっていました。原子炉の圧力容器は溶接して組み立てます。そして最後に容器の不自然なゆがみをとるために『溶接残留応力除去焼鈍』(SR)で数百度に加熱します。
 その作業中に圧力容器がゆがんでしまったのです。問題はここから。そのゆがみを矯正するためには、中に突っ張りをいれてまた加熱しなければなりません。ところが加熱すると鋼鉄のねばりというか強度は落ちます。そうした作業のマニュアルはアメリカの写しであり、製造時点での技術レベルでしかつくれません。
 1974年(昭和49年)あなたは何歳でしたか。あのときの技術レベルで作った圧力容器の原子炉が、いま稼動しているのです。 …… ぼくはうまく説明できませんが、とにかく原発は危ないこと、そして技術者の良心が伝わってきました。それをいまの原発問題の20年も前に、彼は私たちに警告していたのです。(この本は去年再版されたとか……アマゾンの書評で読みました)
 こんな製造過程での『事故』が他の原子炉圧力容器を製造する過程でも起こったかもしれない。でも明るみに出ることはない。
 見なければよかった。知らなければよかった。ではすまない問題なんですが……。
 
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『夕顔』が咲いています。

2012年09月12日 04時41分46秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 もうすぐお彼岸。早く日が暮れます。畑から帰ると道子さんは薄暗くなった裏山に夕顔を見に行き、「きょうは11輪咲いてたよ」。10センチ以上の大輪の花が独特の芳香を放ちます。この写真は6時半に撮りました。人に見られることもなく、精いっぱい咲くのですね。
               
 土手の草を刈ると、ホームレーキ(さらえ)で掻き集めないでそのまま2日干します。これを秋に播いて来春収穫する「エンドウ・ソラマメの防寒マルチにしたい」と道子さんがいうので、ぼくはせっせと集めてコープ堆肥の容器に入れました。いい干し草になります。
 きのうは歯医者さんに診てもらったついでに吉川町方面をドライブしました。東光寺に久しぶりに寄り、幹線の道をそれて吉川町の田舎を走り、「村によって風情がちがう」のを感じました。なんでもない田舎なのですが、「みんなちがって みんないい」。
 
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『マタギ』の足もとに冬瓜がなっています。

2012年09月10日 01時39分28秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 カボチャや冬瓜はイノシシだかアライグマだかに踏み荒らされましたが、電気柵ができて安心したのか、カボチャも冬瓜もまた雌花が次々とつき、受粉して大きくなりはじめました。
 写真中央の角材の杭は、先日紹介した『マタギ』です。老人が電気柵をまたぐとき、よろめかないようにこの杭につかまってまたぎます。熊を追って山を駈ける勇壮なマタギの名を借りるとは不届きな! と思わないでください。畑の雑草だって『タカサブロウ』なんて歌舞伎役者みたいな名前で堂々と生えているのですから。
 杭の足もとに冬瓜が15センチ超になってきました。一つは大きくなって収穫したのですが、また一つ。冬瓜は「あんかけ」で食べるようですが、去年ネットでレシピを見て、カラアゲにしたらうまかったです。
 先日草刈りをしたときに、鋸歯を取り付けるのにインパクト電動ドライバーを使い、その後なくしてしまいました。「どこかに置き忘れたのではないか」と数日間家や小屋や畑や土手と、ありとあらゆるところを探し、道子さんにも言って探してもらったのですが、ありません。その日の動線を思い出しながら辿りましたが、どこをどう動いたかはっきり思い出せません。ひょっとして村の人でない人が通り掛かって、土手か道路に落ちてるドライバーを持っていったか。動物が持っていくことはないだろうし。
 まー、あれはもう10年以上使ったものだし、新しいほうのドライバーも電気コードで使うドライバーもあるし、なくなっても仕方がないとあきらめました。
 おととい、畑の黒いマルチの上にドライバーがあります。「なんでこんなところにあるのだろう」不思議です。でもぼく以外のだれかが、こんなところに置く筈はありません。「あったぞ!」というのが恥ずかしく、道子さんには黙ったまま。こんなところで告白しています。
 そういえば神戸に住んでいた頃、ご近所だった人と道子さんは賀状をやりとりしています。ある年のその方の賀状に「毎日お義母さんと『宝探し』をしています」と書き添えてありました。「通帳がない」「印鑑がない」「財布がない」と探している姿が見えるようです。そして押入れの布団の下とか衣類の箱の底のほうとかに押し込んであったりします。
 あーあ。そんな年齢になりましたかな。
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『領土問題』コーナーまで設けてあります。

2012年09月09日 02時07分22秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのう買物に出て、イーオン(旧ジャスコ)の中の本屋さんに寄ったら、写真のような『領土問題』コーナーができて、好戦的な本が並んでいました。 …… 『韓国・北朝鮮を永久に黙らせる』 / 『騙されるな 日本!』 / 『ほんとうは危ない日本』 / 『2012年、中国・北朝鮮が攻めてくる』 / 『真・国防論』 / 『日本を守りたい・日本人の反撃』 / 『2012年「戦える日本」へ』 ……。 
               
 いつ頃だったか忘れましたが、このブログで、ある評論家の本から文を引用したことがあります。
「東京は石原老人の『おもちゃ』になっている」
 どんな文脈で引用したか忘れましたが、いまはまたそんな状況です。東京と関係のない尖閣列島を買い上げると知事が言い出し、結局国が20億円も出して買い上げることになったとか。そのへんの老人がほざいたら無視されるでしょうが、知事という立場で好きなことを言ってます。そんな彼を三度も知事に選んだ東京都民の民度にため息が出ます。そういえば以前石原知事は「原発は東京湾にもってきたらいい」と発言したこともありますが、いまその発言を追及されてもとぼけるだけでしょうね。
 彼と同じようなレベルのどこかの大統領が、日本海の小島に行ったら国内の支持率が上がったとか。それにワルノリして言動がエスカレートしています。
 領土問題となると、どんな小島のことでも血相を変える代議士もいたりして、ぼくは、先日読んだ『日中戦争の全貌』という本を思い出しました。
 日本の陸軍が「二ヶ月もとっちめたら蒋介石が手をついて謝る」とはじめた『支那事変』ですが、「南京陥落! 日本勝った!」と国民が提灯行列をして祝い、いくら軍隊を追加して送り込んでも、そうなりませんでした。結局8年戦い、沢山の人が死に、日本は負けました。途中でやめようと言い出したら、「亡くなった英霊に申し訳が立たない」と強硬論がのさばりました。
 彼らは敗戦後、口をぬぐって生きています。『一億総懺悔』は自分の責任をごまかすための言葉でしかありませんでした。でも戦争に苦しんだ庶民の、戦争をおこした者たちへの反感反撃は、「おっとどっこい!」いまも脈々と生きています。
 
 
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三日に一度の草刈りなんて不可能。どうするかなあ。

2012年09月07日 02時55分58秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 アライグマもシャットアウトするために、電線は三本張りました。この写真は、北(上)となりの田んぼとの境界(土手の斜面)に張った電柵です。わかりにくいですが、電線の下の草は、三日前に刈ったのにもう3センチくらい伸びてます。あした伸びたら電線につかえます。電気ショックが弱まってしまうアースを避けるために、あしたはどうしても草を刈らねばなりません。
 そんなふうに毎日電気柵を見まわり、草刈りをつづけるのは無理です。草は雨の日も伸びるし、そんな日に電気柵を設置して狭くなった畦道で、刈払機を振り回わすのは危ない。
 電気柵をまたいで向こうに行くだけでも、危ない思いをしました。
 片足をあげて柵をまたぎ、足を柵の向こうにつき、もう一方の足をあげて柵を越える。たったそれだけのことなのに、そしてわずか60センチの柵だから若いときならなんでもなかったのに、片足立つだけでバランスを崩してよろめきます。そのときはアルミの支柱をつかんだので倒れませんでしたが、地面にしっかり立てた杭につかまって「またぐ」がいい。
 そこで杭を打ち込みました。その杭を『マタギ』と名付けることにしました。名前だけでもカッコよくしたい。老いの気概です。
 それにしても写真の土手の斜面は、これからどうするか。
 電線の下はシートを貼って草を生えさせないようにします。それと斜面の草刈り用足場を電気柵の内側に設置します。この土手はいままで下の畑からと上の畦道から刈っていましたが、途中に足場をつけて柵越えに刈ります。早急にやらねばならない仕事になりました。
 サツマイモのネットを全部はずしました。道子さんはツル返しをしました。しんどい作業です。
 ぼくは太いホースに替えて、畑に水やりをしました。三木は「雨が降る」天気予報なのに全然降りません。カラカラです。
 電気柵を見まわっていると「あそこは地面と電線が離れ過ぎていないか。これでほんとに大丈夫なんだろうか」と心配が先立ちます。この5年あまり、動物ネットを張ったり、網をかぶせたり、檻を設置したり、夜な夜なラジオをつけたりと、実にぼう大な苦労をしてきたので、安心できないのです。
 でも「これでやられたら仕方がない」とあきらめよう。石にかじりついても守るほどのものじゃない。サツマイモやカボチャなんて買ってもしれたものだ。「絶対に守りきる」にこだわって意地になるのはやめとこう。
 そう思うことにします。
 
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『軍旗はためく下に』(VHSビデオ)はいつ見ようかな。

2012年09月06日 06時14分22秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 アマゾンに注文していたVHSビデオテープ『軍旗はためく下に』が届きました。「電話などに中断されないで、眠くない時間帯に、しっかり集中して見よう」とビデオテープを見る日を待っています。
 原作は結城昌治の同名の小説で、新藤兼人の脚本、監督は深作欣二です。
 結城昌治は昭和2年生れ。藤澤周平/城山三郎/吉村昭と同年生まれです。いずれも作家で、あの戦争に負けた年は18歳19歳、多感な年齢でした。日本の戦争とともに成長して、<敗戦と対面した青年たち>です。予科練に志願した城山三郎は、その敗戦後を「私は廃墟となって生きた」(『そうか。君はもう……』)と書いています。城山だけでなく、あのひっくり返った敗戦後の価値観に、青年たちは<廃墟となって生きる>しかありませんでした。
 小学校6年生(敗戦当時は国民学校6年生)だった先輩は、あのひっくり返った世の中を「一年間黙って大人を観察して、どう生きるかを考えた」と述懐しています。自分の信じた<宇宙>が消えてしまい、大人はナニゴトもなかったように暮らしているのですから、子どもの<心>がこれからどう生きていくかを考えるのは大変だったでしょう。
 敗戦のとき小学校2年生(国民学校2年生)で山陰の山奥で暮らしていたぼくは、あの戦争を実感したことはありません。身のまわりから男の大人が消えた。女たちと子どもが残り、畑を耕した。学校ではやたらに神社にお参りした。防空頭巾をかぶって登校した。そんな記憶はありますが、空襲も爆弾も体験したことはありません。飛行機が頭の上を飛んだり、兵隊さんを見かけたこともありません。神戸から親類が疎開してきたことを覚えている程度です。
 さきほど挙げた作家の中で、ぼくは藤澤周平と結城昌治に肌が合います。城山の小説や吉村の小説は、戦争に関する作品でも読もうと思いません。結城昌治は推理作家ということになっていますが、人間を見る視点は藤澤と通じるところがあります。藤澤は時代劇の中で、名もない庶民の<人間としての気概>を描いていますが、結城はそれをあの戦争・敗戦の中で描いています。
 業界新聞で活躍した藤澤は、戦後の人々との交わりの中で、あの戦争をめぐる不正や不条理やいじめをたくさん見聞した筈です。それを告発する作品を目にした筈です。心をいためる見聞にいたたまれないことがあった筈です。そして言いたいことが山ほどあった筈です。でもあまりに巨大な悪とあまりに間近に対面して、手をこまねくしかなかった。人間の<矜持>を描くとすれば時代劇にするしかなかった。
 そうです。あの戦争をめぐる時代の日本社会には<人間の誇り・矜持>を描く余地がなかった。
 ぼくの言いたいのは。戦争という嵐が過ぎたら、「一億総懺悔」だとか「軍部がわるかった」とかで、個々の大小の犯罪がうやむやにされた。例えば軍隊内のリンチ。私的制裁。ひどかった。そんな部隊が外地に行って突撃すれば。いじめた上官が前に出て指揮すれば背中を撃たれることを恐れ、後ろから「突撃!」と叫んだ。
 ぼくのブログで根本博中将の旭川連隊での訓示「私的制裁の禁止」を取り上げたことがあります。
 このことを書き始めるとワッといろんな思いが出口を求めて殺到し、秩序がとれなくなります。
 また考えます。
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二人とも大仕事をしました。

2012年09月05日 04時16分46秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 母・妙子さんが3泊4日のショートステイに行っている間に、道子さんもぼくも大仕事をしました。
 まず道子さんは、毎年ウッドデッキに干したり小屋に干したりと苦労していた < ゴマを干す作業 > を完了ししました。
                
 写真のように小屋の天井に吊るしていたタマネギを移動して、そこにすべてのゴマの茎を数本ずつしばって逆さに吊るしました。昨年までは、ウッドデッキに干したゴマは夜になるとシートをかぶせ、雨が降りそうだとシートでおおい、小屋で段ボールに立てたゴマは、日中は日なたに引きずり出し、と絶えず気にしていましたが、これでカラカラに乾くまで放念できます。乾いた茎を軽く叩くと、ザーッと音をたててゴマが下のシートに落ちます。それを集めて篩(ふるい)にかければ、おおかたの選別はできます。
 テレビで見た西脇のおじいさんのやり方です。いろんな試行錯誤をして10年のうえゴマを収穫してきた道子さんが、ようやくついの収穫法に到達しました。彼女のよろこびがいかに大きいか。
 ぼくのほうはきのう電気柵に通電しました。
                
 ゲートは二箇所つくりました。一つは橋から入る道。もう一つはなだらかな土手から上がる道。写真はなだらかな土手の電柵です。注意の看板を取り付けています。握り取っ手のバネをはずして入ります。
 実は前の晩電柵のブログを読んでいたら、注意書きがありました。
「柵は電線を張ったら最初から通電しなければならない。イノシシは最初鼻でふれて危険かどうか調べるが、あとは調べずに毛の生えた体で毎晩くぐるようになる。通電していても効かない」
 えらいこっちゃ! きのう一部の柵は張ってしまった。残りは急いできょう中に張って通電しなければ。
 通電する機械は盗られることがあるらしいから、しっかりビス止めして設置しなければならない。
 あれやこれや一日てんてこ舞いして夕方暗くなる頃に通電することができました。ところがセットについてる簡易テスターでアースして調べても「強・中・弱」のどれもつきません。電流が弱いのかと手袋をとって電線にさわってみると、かすかな電気ショックがあります。
「動物はこんなショックで忌避するのだろうか。テスターが故障しているだけだろうか」
 160メートルの柵を調べて歩きました。どこをさわってもかすかなショックだけです。
「これは『電気柵100』というセットで、電線は100メートルが基準になっている。その機械に三段張りで500メートルも電線を張ったから電気が弱くなったのだろうか」
 見回って見回ってやっと見つけました。ガイシをはずれた電線がアルミの支柱に接触していました。ここで漏電していたのです。なおしてからテスターをつけたらバッチリ。強のランプがつきます。
 あしたはサツマイモのネットがはずせるかな。
 
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電柵は思ったより時間がかかります。

2012年09月04日 02時39分10秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 畑に入る橋のたもとに、ハナトラノオが咲き、チョウチョがずっと花につきまとっています。「おっ! これは写真になる!」と何枚か撮りましたが、一番ましな写真でこれです。何を撮ったかわからない。むずかしいものですね。
 きょうはずっと電柵の工事をしました。まず電線を張る下の草を刈りました。ナイロンコードで刈ればアルミでできた支柱を傷つけないから、幅50センチほど土手の畦道を刈っていきました。でも夏の草は強いのでナイロンコードではなかなか刈れません。何度も同じところを刈ってやっときれいになります。電柵が完成してからも夏場は5日に一度くらいは刈らねばならないでしょう。鋸歯をつけて刈ったほうがよさそうです。
 というわけで午後は鋸歯に付け替えて刈りました。途中で1本支柱を傷つけてしまいました。アルミなので鋸歯がちょっと当たると切れてしまいます。電柵をつけても草刈りに苦労しそうです。あしたも電線を張りますが、まだ通電できそうにありません。思ったより大変です。
 道子さんは一日中ゴマの収穫です。下のほうのサヤがはじけて落ちはじめると、葉っぱを全部落とし、茎を切り取って干します。村のご近所の方にゴマ作りをすすめ、タネをさし上げたら作ってくださいました。我が家より早く播いたので、もう日に干して収穫したそうです。一升ほどとれたと報告に来られました。ゴマ作りが一歩広がって道子さんはうれしそうです。「西脇でゴマをつくっている人を一度訪ねよう」と思ったのは2年前でしょうか。「いつかそのうち」というのは意識しないと永遠に来ないですね。
 
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電柵工事は時間がかかります。

2012年09月03日 04時48分32秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 電柵工事をしていた夕方、檻を見たら何か動物が入っています。近くに寄ってみたら、またあのシッポの細い狐がかかっていました。なつかしそうな顔でこちらを見ています。
「なんだよ。おまえ、またかかってしまったのか」
 早速檻を開けましたが出てきません。きょうも仕掛けるつもりだったので、餌の饅頭をやろうと軽トラにとりに行きました。檻に戻ってみたら、少し離れたところから見ています。饅頭を投げてやりました。
 電柵がもうすぐできるし、檻は市役所に返します。狐が2回、猫が1回かかっただけでした。
 電柵工事は、畑の三辺のポールを打ち込みました。もう一辺は肥料置き場・農機具置き場・生ゴミ堆肥箱・草の焼却炉が並んでおり、土手の斜面にポールを打ち込むことになります。そんなやり方でもいいかどうか、向いの村の人に尋ねてみます。
 電柵なんてめったに売れるものでないので、電線やガイシの値段がホームセンターによってちがいます。きのうガイシの返品に行って気づきました。「イノシシの野郎、タダではすまさんぞ!」とカッカしていたので、値段のことを冷静に考えず、高い買物をしたようです。
 でもまあ、これでアライグマやイノシシの害を防げるなら万々歳です。
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『納豆巻き』を食って元気になったぞ!

2012年09月02日 00時49分58秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 名誉のためにどこかわからないように写真を撮りましたが、口吉川町ではない、近くの村の黒大豆畑です。おそらくJAの指導で転作の田んぼに6月に黒大豆を播いた。しかし一度も草をとらないできた。という畑でしょう。
 実はうちの(借りてる)畑一反三畝も5年前ちょうどこんなふうでした。雑草の盛りあがる畑を「こんな畑でも黒大豆を収穫するのだろうか」と眺めながら、神戸市西区神出の<大豆畑トラスト>に畑作りに通ったのを思い出します。あとできいたら一升ほど黒豆を収穫したそうです。400坪で。その次の春4月22日にうちが借りる話になりました。そしていまの畑があります。
 ときに思います。畑があって、なんと豊かな暮らしになってるか、と。
 イノシシにやられてガックリしている<田舎のおじいちゃん>をはげまそうと、大志くんとおとうさんおかあさんがやってきて、お寿司をつくりました。大志くんは得意の『納豆巻き』をつくってくれました。それを食べたら、ポパイのほうれん草のようによく効いたぞ!! 
 電気柵つくりに頑張ります。             
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電気柵は工事中。近日公開します。

2012年09月01日 01時49分38秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 先日イノシシの柵をどんなふうに設置しているかを見学しようと軽トラでドライブしました。金屋のローソン前で20号線から桃津のほうに入り、『冷泉橋』を渡ります。去年台風で削られた橋のたもとはきれいに修復されていました。ずいぶん大掛かりな工事になったようです。
 桃津の村のなかをドライブして、大雄寺に寄りました。写真のように新しく、立派なお寺です。郷土の学者・藤原惺窩(ふじわらせいか)の菩提寺で、近くには彼の生誕地があり、像が立っています。お寺では、お門違いですが、イノシシ退散をお願いしました。この頃拝むところがあると拝むのが癖になっているもので。
 さてイノシシ対策は『電気柵』ということにしたので、早速買いに出ました。セットは3万円ですが、追加のガイシやポール、電線に結構な費用がかかります。うちの畑は一周200メートル足らずですが、セットは二段張り・100メートル。つまり一周100メートルの畑を電線二本で囲む用材がセットになっています。
 マニュアルには電線を三段張りにすれば「アライグマを防げる」と書いてあります。三段ということは地上60センチまで電線を張る。「それでアライグマを防げるなら三段張りにしよう」とポールにガイシを三つずつ付けて地面に30センチ打ち込みます。きのうは半分打ち込んだところで日没。
 きょうは工事をつづけます。さー、サツマイモの葉っぱくん、動物ネットをかぶせて窮屈な思いをしてもらいましたが、きょうはスカッと青空が見えますよ。
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