古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

生きる力をリハビリにもらいながら。

2019年08月31日 03時21分27秒 | 古希からの田舎暮らし
 リハビリで外を歩ける時間が「たのしみ」になってきました。木曜日、山沿いの笹の葉に、見たことのない、小さい、蒼い羽根の、蝶がとまっていました。カメラを持ってなかったので、次から持って出ようと思いました。
 きのうの写真から。
 
 裏山の芝生を張った庭です。「手術前に一度刈っておこう。退院して一か月もしたらまた刈れるだろうから」と芝生の雑草を刈りました。そして40日たった写真です。手術後の草刈りはまだ無理です。
9月になると草の勢いは少し衰えるでしょう。刈れるのは10月かな。このまま伸びてもらいます。
 次の写真はお地蔵さんを祀ってある祠です。きのうは家からここまで歩いて往復しました。

 毎年、8月24日の地蔵盆には、この前の道が通行止めになります。回り道をしなければなりません。
いつもは車で通る道を、今日は歩いたので、拝んでおきました。立派な祠です。

 ここまで書いて、あとは全米オープンテニスの、錦織圭の試合を応援観戦しました。12時から午前3時過ぎまで。負けました。今年は早めに「枕を高くして寝る」ことになってしまいました。
 でも大坂なおみが残ってる。次の試合は、アメリカの天才テニス少女:ガウフ(15歳)との試合です。今年のウインブルドンで彗星のごとくテニス界に登場しました。
 前年度チャンピオンの大阪なおみと天才少女ガウフの対決。アメリカの数万の観衆はガウフを応援するでしょう。応援の歓声が耳をつんざくでしょう。ものすごい雰囲気の試合になりそうです。後世の語り草になる試合になるでしょう。
 まだ枕を高くするのははやい。おじいさんも観戦応援で頑張ります。
 
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リハビリの現況はこんな調子です。

2019年08月30日 01時40分15秒 | 古希からの田舎暮らし
 退院したのは7月31日でした。あれから一か月、リハビリに励んでいます。
 きのうのリハビリはこんな調子でした。

 朝起きて洗面をして、仏壇を拝み、それから瞑想をします。
 仏壇前の籐椅子に座って、照明を入れ、ロウソクを点けて線香を立てます。数珠を手に鈴を鳴らして、拝みます。この仏壇になってから、この短時間の所作が実に気持ちいい。仏壇の前に正座するのでなく(正座はできません)籐椅子に腰を下ろす。ちょうど目の高さに小さい仏壇がある。この感じがいい。
 それから20分間瞑想をします。いまは脚を伸ばしてベッドにすわり、アイスノンを膝に置いて瞑想します。
 朝食の30分後にリハビリです。円筒形の氷で右足の膝まわりをアイシングします。病院では15分といわれていますが、いまはタイマーで11分間、しっかりアイシングをします。そのあと6種類のリハビリ体操です。昼食/夕食/の30分後も同じメニューです。気分がいいと少し多めにリハビリ体操をします。退院して一か月、一回もサボることなくこのリハビリをやっている自分を、ぼくは気に入っています。
 午前か午後、外歩きに出ます。きのうは午後、下の畑まで歩きました。往復1400歩ほどでしょう。毎日少しずつ距離を伸ばそうと思います。歩くときは杖を両手に持ちます。はやく歩ける。危なくない。
もし脚が痛くなったら歩くのを中止します。無理しない。頑張らない。
 車の運転は大丈夫な感じです。きのうは退職者通信を12軒に配りました。ぼくが運転して家のそばに行き、道子さんに通信を入れてもらうのです。
 こんな調子で「いつになったら杖なしでサッサと歩けるのか」と思うこともあります。でも手術の体験者は多い。元気に歩いてる。その人の話をきくのが励みになります。
 8月31日には三宮のクリニックに高速バスで出掛けます。リハビリをほめられたらうれしいな。
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USオープン(テニス)の応援観戦はつづきます。

2019年08月29日 03時29分33秒 | 古希からの田舎暮らし
 きのうの午後は昼寝をしないで、夕食後ぐっすり寝るように時間調整をしました。そして深夜12時前に起き出して、錦織圭の「2回戦」を応援観戦。いま午前3時過ぎ。パソコンに向かったところです。
 今夜から明朝にかけて、大坂なおみの「2回戦」があるでしょう。また昼寝をしないで時間調整します。USオープンは2週間。7回勝てば優勝です。
 しばらくは、落ち着かない、枕を高くして寝れない、日がつづきます。
 でも、ハラハラする試合は好きではありません。楽勝ムードのまま勝つのが好きです。長生きしているおじいさんを、あまりハラハラさせないでください。
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USオープン(全米オープン・テニス大会)を観戦しています。

2019年08月28日 04時36分37秒 | 古希からの田舎暮らし
 全米オープンテニス大会が始まりました。全豪/全仏/全英(ウインブルドン)/に続いて、今年最後のグランドスラム大会です。
 日本の錦織圭/大阪なおみ/が有力な選手として試合します。WOWOWで生中継します。でもニューヨークはちょうど日本と夜昼が逆になります。夜中の12時くらいから試合があって、明け方終ります。
 26日深夜は錦織圭が勝って2回戦へ。27日深夜は大坂なおみが勝って2回戦へ。夜中に試合を見るためには夕食後8時から就寝します。11時くらいに起き出して、明け方まで試合観戦。
 いま大坂なおみが勝って、明け方4時半です。ブログを書こうとパソコンに向かっています。こんな日々が、勝ち進めば9月の第2週までつづきます。
 うれしいじゃありませんか。日本の選手がグランドスラムで優勝する場面を生で見られるなんて。
 
 筋肉が落ちないようにするために、きのうから外を歩いています。きのうは家から坂を下って畑まで歩きました。往復1200歩です。両手に杖を持って、交互に突きながらゆっくり歩きます。無理しないように、少しずつ距離を伸ばしていくつもりです。
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退院祝いの食事/ドライブで新種ブドウをゲット。

2019年08月26日 22時43分10秒 | 古希からの田舎暮らし
 風呂に入れるようになったし、車の運転もできるようになりました。ささやかに「お祝いしよう」とお昼は外食にしました。悠庵で〈お気に入り〉の穴子丼を。

 ここの穴子丼は、シャモジで茶碗によそって食べます。一杯目はそのままで。二杯目は薬味をかけて。三杯目は出汁をかけて。それぞれにおいしい。多めですが完食しました。
 帰りは「車を運転してもいい」ことになったのでミニドライブ。豊地の交差点から谷口 ⇒ 瑞穂 ⇒
みなぎ台 ⇒ あきら歯科 ⇒ 「隣の薬局」へ。実ははじめからねらっていました。ブドウが売ってあるのを確かめようと。
 いまは「藤稔り」はおしまいです。「ピオーネ」が出ています。でもこの薬局には新種が出ています。ぼくの「お気に入り」の『翠鳳』(すいほう)は出ていないか確かめたかったのです。
 翠鳳はまだでした。しかしみどり色の大粒のブドウがあります。名前は『雄宝』(ゆうほう)。調べてみたら「天山」と「シャインマスカット」を掛け合わせた新種で、粒が大きく、皮がうすい。味はサッパリ系です。買って帰りました。
 もう一種類『ゴルビー』も売ってありました。こちらは甘味がつよくて、美味しいブドウです。これも買いました。ワインレッド色の愛らしい姿をしています。

 数粒ずつ食後のデザートにします。しばらく「たのしみ」が増えました。

 ところで「ゴルビー」というのはご存知のようにゴルバチョフの愛称です。世界中の人たちがワクワクするような政治家でした。そんな立派な政治家はどこに行ってしまったのか。
 トランプ/金正恩/習近平/プーチン/文在寅/安倍晋三/ ……。 ワクワクするような政治家がいなくなってしまいました。緊張関係をやたらに盛り上げようとしている。21世紀の政治がそんなレベルにあるのが「恥ずかしくないのか」。
 日本の、あの戦争で、亡くなった人たちは、いまの政治をどう思うか。
 
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『墓仕舞い』をしました。

2019年08月26日 02時50分48秒 | 古希からの田舎暮らし
 我が家のお墓は神戸市西区の「神戸平和霊苑」にあります。いまの家から車で30分ほどです。しかし/お彼岸/お盆/年末/ごとにお参りするのはしんどくなり、ここ数年ご無沙汰していました。
 弟は先年68歳で亡くなり、母も3月に亡くなり、まだ納骨していません。お墓はあるのですから放置することはできません。
 いろいろ思案しましたが、いまの霊園で「永代供養」をしてもらうことにしました。いまのお墓を「墓仕舞い」して、新たに永代供養墓に納骨します。その墓仕舞いをきのうの日曜日にやりました。
 お寺の霊苑にお墓がある場合は「離檀料」(よくわかりませんが「檀家を離れる」から払うお金です。お寺によっては数百万円を請求されるという話もありましたがいまは数十万円というのが相場のようです)を払います。宗派に関係のない霊苑は不要なのでしょうか。我が家の場合は不要でした。
 墓仕舞いの工事費が必要です。お墓の規模によりますが、墓石を砕いて処分する費用です。
 きのうは好天に恵まれ、萌ちゃん・大志くんたちも列席してくれて、墓仕舞いができました。

 
 道子さんにお経をあげてもらいます。(お寺さんにお願いすると費用が必要になります)焼香台は霊苑で用意してくださり、みんなで焼香しました。お花は道子さんが我が家の花畑でつくってお供えし、おだやかな雰囲気でやることができました。夕方近くは雨になりましたが、拝んでいるときはいい天気でした。天気にも恵まれ、みんなで拝んで、いい「墓仕舞い」ができました。
 どなたに感謝すればいいのかわかりませんが、「恵まれてるねえ」といい合い、しっとりした気持ちで帰ってきました。
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入浴OK! 運転OK! 「パッ!」と世界がひろがりました。

2019年08月25日 03時36分59秒 | 古希からの田舎暮らし
 きのうは高速路線バスで三宮に行きました。バスの最初のステップは高いけど、両手で手すりをつかみ、左足を掛けると乗れます。居眠りしているうちに三宮につきます。往復とも快適でした。
 リハビリと診察(執刀医の)では、レントゲン写真/血液検査の結果/を見て「よく回復している」とほめられました。もうすぐ82歳になるおじいさんでも「ほめられるとうれしい」です。
 いまは1日おきにシャワーをあびています。でもゆっくり風呂に入りたい。お医者さんに尋ねたら、「手術痕をタオルでこすって洗ったりしなければ入ってもよろしい」だって。うれしい!
 ぼくは「お風呂大好き人間」です。一日に何度でも体を伸ばして入浴したい。我が家は、小学校/中学校/の頃、入浴では「思い出すのもツライ」苦労をイッパイしましたから。いくら入浴してもあの「風呂への飢餓感」は生涯消えません。
「車の運転」を尋ねたら「いいでしょう。右足を手術したんだから気をつけて」だって。「はい、田舎道を軽自動車でゆっくり走るだけにします」と元気にこたえました。道子さんも運転はしますが、ふだんはぼくのほうが安定感がある。彼女は「高速道路は大丈夫」だから、遠出のときとても助かります。
 きのうは恵比須駅の駐車場から家まで、夕暮れの道をぼくが運転して帰ってきました。これからはまかせなさい。
 歩くほうは「家のまわりをボチボチ散歩するのはいいです」って。これもうれしい! 杖を突いてゆっくり散歩します。80歳を越えると筋力の落ちるのが心配です。少しずつ鍛えることにします。電動ウオーカーはもう少し先にします。
 
 きのうは世の中が明るくなったような気分でした。ありがとうございます。
 ところで帰宅してみたら〈古希になる生徒たちの同窓会〉案内が来てきました。西宮の中学生(15歳)だった生徒が古希(70歳)になる。ということは若かった先生も80歳超で、亡くなった人も多いかな。芦屋の竹園でやるって。
 中学時代の同窓会というのは、生徒同士は「懐かしい!」。ワーワーキャアキャア! 子ども時代のパワーがよみがえって、盛り上ります。「先生に見えなかったイジメ」もありますから、行きたくない生徒も。そして先生は「お添え物」です。同窓会というと「先生」もいるほうが「なんとなくいいかなあ」。
 興醒め(きょうざめ)するようなことを書きますが、現実です。同窓会という先細りの閉鎖的な会は、その限界も見きわめたほうがいい。
 何十年も前の体験を書きます。
 ぼくは西宮の中学校に1960年に就職しました。高校3年大学4年ですから15歳の生徒とは7歳違いです。教師の人数の都合でしょうか。3年生の教師集団に組み入れられましたが、授業は1・2年生に英語の授業をしました。3年生につきものの修学旅行には用務員さんも同行しましたが、ぼくは残留組でした。疎外感を味わいました。
 22歳になったばかりで、幼く見えたのでしょう。運動会では、みんな白い服装です。教師のぼくが煙草を吸っていたら「生徒が煙草を吸っている」と保護者の方に注意されました。(60年前は、教師は生徒の前でもよく煙草を吸っていました)。
 その学年の生徒たちが何十年かぶりに同窓会を甲子園のホテルでやりました。
 ぼくも先生ということで案内が来て、参加しました。受付で若い女性たちが「まー、センセイ!」と嬌声をあげて名札をつけてくれました。先生たちの席に案内されて教師だったみなさんとおしゃべり。それから会の終わるまで、生徒だった人たちのおしゃべりは盛り上がり、先生たちはぼそぼそと会話し、生徒は誰一人話し掛けてきませんでした。
 同窓会では「教師はお添え物」と痛感しました。それでいい。教師と生徒の世界はちがうのです。先生をやめてから子どもたちを見ていると「先生というのは子どもたちが見えていないんだんなあ」とつくづく思います。別の世界の人間なんです。
 同窓会には先生はいなくてもいい。アクセサリーです。しかし先生がいないと同窓会らしくない。女性は長生きだから「だれか女の先生が出てくれるかな」。ぼくはどうするかな。
 

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明日は診察・リハビリです。

2019年08月23日 20時55分50秒 | 古希からの田舎暮らし
 8月に入って4回目のリハビリで三宮のクリニックに行きます。3日は娘に車で送ってもらい、帰りはタクシー/10日は往復タクシー/17日も往復タクシー/でした。明日は恵比須駅から三宮まで路線バスに乗って行きます。恵比須までは道子さんの運転で車。帰りも同じく路線バスと道子さんの車。
 手術をして一か月で「入浴/運転はできる」と書いてありました。明日は手術をしたお医者さんの診察があります。その許可が出ることを、こころのなかでは期待しています。
 まだ杖を突かずに歩きまわるのは無理なようですが、自分の感じでは、動きがしっかりしてきたように思います。
 今日は三木の図書館に行って本を借りました。大型活字本を7冊。
 活字が大きいと頭によく入る気がします。それだけ読む力が落ちたのでしょう。それでいい。読みたい本をぼちぼち読めばいい。
 旧ジャスコのイーオンに寄って、ダイソーで杖を買いました。あそこにはいろんな長さの杖が売ってあります。72センチくらいから86センチくらいまで。一本が150円。とんでもなく安い!(ふつうの杖はどんなに安くても2000円前後です)。
 前に一本買って、病院で愛用していましが、2本目を買いました。2本杖でサッサと歩いてみました。なかなかいい。ダイソーさん、ありがとう。
 
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手術をして一カ月になります。

2019年08月23日 03時33分31秒 | 古希からの田舎暮らし
 手術をしたのは7月24日でした。リハビリを指導され、退院したのは7月31日でした。
 さて、術後一カ月。
 8月3日/10日/17日/と毎週神戸・三宮までリハビリに通い、経過は順調で、リハビリも「真面目にやっている」と言われます。
 退院してからの23日間、家の中で、杖を突いて歩き、一日3回のリハビリ(15分のアイシング/6種類のリハビリ体操)を真面目にやり、寝たり起きたりしているときは、氷嚢とアイスノンで膝を冷やすようにしています。

 いわば経過は順調で「文句ない」はずですが、気分はあまり晴れていません。「うす曇り」くらいな気分です。
 外を見れば、緑の盛んな季節です。入院する前に草刈り機で刈った芝生が伸びてきました。芝生よりも雑草が大きな顔して生えてきて、小さい蛙はいるし、蛙をねらうマムシが「ちょうど潜みたくなる草むら」になっています。
 ネットで「膝の人工関節手術の予後」を検索すると「数か月後にはふつうに生活できる」と書いてあります。さすれば「術後一か月後くらいで不平不満を並べ立てる」のは間違いでしょうな。
 いまは我慢のとき。
 わかっちゃいるけど、動きたい。

 リハビリのあと/朝寝/昼寝/をしっかりするので、夜中に目が覚めています。テレビでも見ようとWOWOWをチェックしたら映画『ショウシャンクの空に』をやっていました。何度も見た映画ですが、また途中から90分見てしまいました。いま夜中の3時半です。
 何度見てもいい。ほんものの〈希望〉がじわっと心にしみ出してきます。平均寿命を過ぎ、親友たちも亡くなり、体もガタが来て、「いつ生の区切りがきてもいい」という気分ですが、この映画を見ると「もう少し生きてみるか」とおもいます。
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「真面目という狂気が一番恐ろしい」という『文』を思い出しました。

2019年08月21日 00時42分24秒 | 古希からの田舎暮らし
「真面目という狂気が一番恐ろしい」という一文をお寺の山門で見たのは、20年超もむかしのことです。
 その頃は神戸の名谷に住んでいました。阪急六甲から歩いていけるところに「米ヌカの酵素風呂」があり、数か月通ったことがありました。その酵素風呂の近くにお寺(たぶん祥龍寺)があり、山門に警句のような文が掲示してありました。ときどき文は替わります。その中で強烈に焼き付いているのが冒頭の文です。何かの本からの引用でしょう。出典も示してあったと思います。

真面目という狂気が一番恐ろしい。

 言いたいことが、あるのですが、喉につかえてうまく言えない。
 そんな状態のまま、この数日、この文を自分のこころのなかで転がしています。人間という動物は「真面目にしか生きることができないのかもしれない」。自分の中の、制御不能の衝動に突き動かされて、生きるしかないのかもしれない。
 そんな、悲しい動物だとしたら、生きのびるために、いっぱい考えていることがあるだろう。

 そのひとつが「瞑想」です。道子さんとぼくは、毎朝「瞑想」を20分間しています。妄想がわくとしたら、それを映画のように見る。それだけでもいい。そんな瞑想です。
 思っていることを伝えられないので、これだけでアップします。
 また考えます。


 
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夏休みはいつものBBQ。

2019年08月18日 19時42分26秒 | 古希からの田舎暮らし
 世の中は、お盆の帰省ラッシュもUターンラッシュもおわったようです。我が家では、夏休み恒例の、ウッドデッキBBQをたのしみました。
 西日を受けた田舎の遠景に、入道雲が夏の情緒を演出してくれます。

 街に住んでいると、空を見上げたり雲を見たりすることがあまりありませんが、田舎ではつい目に入ってしまいます。というか自然しか見るモノがない。
 膝の手術で、8日間ポートアイランドの病院に入院しましたが、窓から見えたのは、建物で四角に区切られた空、病院の玄関、数本の街路樹でした。外を見る気がしませんでした。
 退院して、窓から田舎の景色を眺めて「この10年あまり、なんと豊かな自然を見て生きてきたか」を思い知りました。

 毎年同じBBQです。その安定感がなかなかいい。NHK・BS放送の『こころ旅』に出てくる「思い出の場所」もそんな幼い頃の安定感が主題になっています。
 願わくは、おじいさん・おばあさんの生の尽きるまで、同じ情緒がつづきますように。
 
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伊藤桂一『月下の剣法者』は面白かったです。

2019年08月17日 21時16分41秒 | 古希からの田舎暮らし
 光人社NF文庫『秘めたる戦記』=(悲しき兵隊戦記)の表紙には、詩人で小説家の伊藤桂一(1917年 ~ 2016年 99歳で没)のことをこう書いてあります。

 
 七年の長き日々を戦野においた兵隊作家の第一人者が、軍隊の底辺に生きた下級将校、下士官、兵隊のありのままの姿を円熟の筆にのせて鮮やかに描き切った感銘を刻むドキュメンタリー700枚。苦難の道をあゆみつつも人間の心を失わない人々に、慈愛に満ちたまなざしをおくる詩情あるれる ……。


『秘めたる戦記』は最後まで手元に残しておく本のなかの一冊です。その伊藤桂一の書いた時代小説が目にとまったので、大型活字本『月下の剣法者』を借りて読みました。
 いろんな架空の剣豪が登場する剣豪小説です。物語に登場する剣豪が、1ページ目を読んだだけで「すくっ!」とこころの中に立ち上がる。こころをつかまれたぼくは、剣豪を応援しながら読み進みたくなる。14編の短編集ですが、どれもきわめて面白かった。
 機会があれば読んでみてください。
 書きたいのは別のことです。剣豪小説の本の解説を詩人の林富士馬さんが引用しているのですが、伊藤桂一さんの「死にのぞんでの気概」を紹介しています。若く、名もなく、異郷の野辺に、死んだ兵士をおもう「伊藤さんの気概」が脈打っています。
 

 たまたま「戦記作家の五十年目」(「新潮」平成7年十一月号)と云う近頃の随筆のなかに「戦記 -
といっても、主として底辺の人たちの戦場での戦いぶり、生き方考え方、生死の間の物語を、戦後たゆみなく綴ってきた一戦記作家の私としては、戦中世代の消滅しつつあることは、ことさら身にこたえる」「連合軍の上陸を迎えて悪戦したQ島 - の司令官と参謀長は、いよいよ 命運の尽きた時、互いに自刃して潔くその生を終えた、という伝聞がある。しかし、実際はそうでない。この島では、婦女子までが、勇壮に戦って死んでいるのだが、司令官と参謀長は、モルヒネを用いて、安楽死を選んでいるのである。日本の軍隊は、こうした弱劣な、上層部の軍人によって、戦争指導をされている。私は別に、軍の上層部の在り方を、露悪的に書いたことはないし、むしろ、軍人の世界にしかない人間的な美談を、拾っては紹介する仕事を一方でつづけてきたが、軍の最上層部の醜態は、ここで、私が記すまでもなく枚挙に遑(いとま)はない。(中略)死に臨んで、モルヒネを選んだというのは、どういう心理だろう」「戦後五十年目の時に、私は、孤独な、荒涼とした死に方だけはしたい、と覚悟しておいて、今後も、事を進めようと考えている」(伊藤桂一の原稿より)
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雨が降って、道子さんはホッとひと息。

2019年08月17日 02時32分01秒 | 古希からの田舎暮らし
 台風は雨をいっぱい降らせてくれました。水やりに追われていた道子さんもホッとひと息ついています。ぼくはなんにもできなくて、家の中でだらんとしているだけ。
 「なんにもできない」と「ブログに書くこと」もありません。
 2009年3月からはじめ11年以上続いているブログ『古希からの田舎暮らし』が間遠になっています。それを意識すると「田舎に暮らして、裏山や畑で毎日することがあったから書けたんだ」とあらためて思います。
「田舎暮らし」が結構もてはやされるようですが、それなりの「価値」というか「存在感」というか、そんなものがある。だから人々は憧れるんですね。

 今日もリハビリ(チェック)で三宮のクリニックに行きます。退院してから3回目です。タクシーで往復します。杖を突いて歩けますが「杖無し」で歩いてはいけません。(脚が腫れてくる)一週間後のリハビリからは、高速バスを利用しようと思っています。
 やっぱり「外を自由に歩ける」ようにならないと「ショウバイにならんなあ」と感じます。
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お盆は仏壇に向かって。

2019年08月13日 17時09分37秒 | 古希からの田舎暮らし
 母は3月に亡くなりました。初盆です。みんなで仏壇に向かい、道子さんにお経をあげてもらって拝みました。ぼくはイスにすわって拝みました。

 いまのお墓は「墓仕舞い」して「永代供養のお墓」にしますから、そのときに拝みます。
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大志くんは〈焼きナスビ/焼きピーマン〉が上手です。

2019年08月13日 01時53分47秒 | 古希からの田舎暮らし
「お盆で帰省中」の大志くんに、夕方〈焼きナスビ/焼きピーマン〉をしてもらいました。

 ウッドデッキのイスにすわり、西日のあたる田舎の遠景をながめながら、携帯コンロでナスビやピーマンを焼く。やってみると、気持ちのいい仕事です。上手に焼けて、みんなで夕食にいただきました。
 おじいちゃんも仕事をしました。
 黒豆は生長したし、台風がやってくるし、杭を打ってハウスバンドで囲う必要があります。
 去年はきつい台風が来て、大豆・黒豆の樹が倒れてしまいました。杭を打ち込んでハウスバンドで2段に囲っていたのに。そこで今年は、竹の杭でなく鉄筋の杭に、ハウスバンドを張ろうというのです。
 さいわい4メートルの鉄筋を数本買っていたので、それを切断して1メートルの杭をつくることにしました。
 その鉄筋を切断する仕事を、おじいちゃんがしました。ほんのちょっとですけど。

 小屋で、鉄筋を固定して、ディスクグラインダーで切断します。プラスチックの保護メガネをかけて。
 はやく、自由に歩けるようになって、いろんな外仕事をしたいなあ。
 
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