古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

畑の草刈りでマムシを退治しました。

2012年04月27日 23時41分18秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 (マムシの画像はファイルから削除しました。どうも気になって仕方がありませんでした)          
 4月下旬になり、今年も畑の草を刈りはじめました。きょうはまず土手の上と内側の遊歩道からです。円筒形の堆肥入れの周囲を刈ってたら、なにか飛びました。トカゲがいたのか。飛んだモノは大麦の草に引っ掛かっています。よく見たらマムシの尻尾です。頭はどこにいったか。刈った草をさがずと、太めの胴体がありました。
 それを火バサミでいっしょに並べて写真を撮りました。念のために村の人に見てもらって、マムシと確かめようと思いましたがだれも通りません。でも写真を見ると太め、短めで、明らかにマムシです。マムシ退治の第一号になりました。マムシを見つけて殺したのとちがうけど、とにかくやっつけました。
 無事に退治できてよかった。実は、おととい(水曜日)の朝、街に暮らす友だちが野草酵素の飲料をつくるためにペール缶持ってやってきました。でも道子さんが前の晩の深夜から不調だったので、野草を採るだけにして、仕込まないで持ち帰ってもらいました。
 彼とぼくはハサミとカゴを持って、野草を摘みに畑に来ました。円筒形の堆肥箱のまわりでも、ハコベ、ナズナ、ギシギシ、オオイヌノフグリ、カタバミなどをハサミで摘んでカゴに入れました。まわりの草は人が踏まないし日当たりがよく、30センチ以上伸びて草むらになっていました。マムシはこの草むらにいたはずです。マムシはフラフラ・ウロウロ動きまわるのでなく、大体ひとつところにじっとしているそうです。
 しかし水曜日はなにごともなく過ぎ、きょう金曜日にマムシが刈り払い機に切られたというわけです。よくもまあ、水曜日は無事でよかった。あのときも草むらにひそんでいたでしょうが、間近に人間の手が行かなかったか。襲う気がなかったか。もし咬まれたら軍手をしててもだめです。おおごとになるところでした。
 道子さんの再入院は水曜日でした。その日にバイパス手術をすることになり、バタバタしました。でもバイパスの手術はうまくいき、熱も下がりかけてきました。「ブログに書いていいよ」と道子さんにいわれたので書いておきます。退院まではもう数日かかるでしょうが、元気になりました。ご心配をかけました。
 ぼくは、といえば「なんとか結石がうまく下りますように」と空想なんかしておりました。口吉川町久次には『脚気神社』という小さい神社があります。日露戦争のとき多くの兵隊が脚気にかかりました。そこで出征する前にこの神社にお参りするようになりました。ここから空想。そのとなりに『結石神社』というのがあって、前に大きな岩があり、その上から地面にトンと跳ぶ。結石がコトンと落ちる。そうなったらいいな、なんて。
 












て、
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『春の手づくり酵素飲料』を仕込みました。

2012年04月24日 04時15分34秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 畑の横の道から見た向いの蓮花寺の山々です。一挙に『若葉の頃』になりました。常緑の木々の濃い緑と『新緑』と『竹』が混ざり合って、しばらく竹の「浅い緑」が姿をくらまします。彼らはこのあいだに筍を伸ばし、木々の緑の領域をまた征服していきます。この二、三年、竹薮の拡大速度がだんだんアップするのを、肌で感じるようになりました。
 さて調味料から飲料まで世の中は「酵素ばやり」ですが、手づくり酵素飲料づくりもさかんになっています。我が家では道子さんが25年以上も前から「手づくり野草酵素飲料」を仕込み、来客にも飲み物としてお出ししています。
 きのうは春の酵素飲料を仕込みました。砂糖11キログラム、畑や裏山で採れた野草、野菜、穀類や果物を大きなペール缶に一キロずつ交互に入れて漬け込みます。「今年は寒さで桜の開花も雑草の伸びも遅いようだ」とゆっくり構えていましたが、季節の歩みはやはり圧倒的です。畑で充分な材料を確保できました。あと10日でおいしい春の酵素飲料ができます。
「炭酸水で割るのは本来の飲み方でありませんよ」と醗酵調整剤をもらうときに言われてしまいましたが、去年からそのおいしさにはまっています。水筒に氷と酵素飲料と炭酸水を入れて畑に持って行く。まずひと仕事。そしてひと休み。ベンチにすわる。汗をふく。向かいの山々を眺める。「冷たい炭酸水割り酵素飲料」を飲む。生き返ります。
 酵素飲料は高価な『野草酵素』が大々的に宣伝されていますが、手づくりの酵素飲料がいちばんです。ネットに作り方がアップされていますし(you tube で見れます)、醗酵調整剤販売元では作り方のDVDを送ってくれます。なにより販売されているような「酵素を殺してしまった」酵素飲料でないのがいい。(酵素を殺さないと販売できない)
 田舎では材料確保に苦労しないで酵素飲料を作ることができます。特に春の酵素飲料づくりは、材料がいっぱい。きのうはカラスノエンドウ、ナズナ、ハコベ、ギシギシ、ホトケノザ、ヨモギ、ドクダミ、タンポポ、クローバー、ユキノシタ、ミツバ、セリ、レンゲ、ツクシ、スギナ、ヨメナ、大麦若葉、菜の花、木々の新芽(山椒、紅カナメ、アラカシなど。柿若葉はまだ無理でした)など60種類以上を漬け込みました。(トリカブトやトウダイグサなどは毒があっても草同士で消し合うので問題ありませんが、一応トウダイグサは避けました。)あすは街に暮らす友だちもペール缶下げて酵素飲料づくりにやってきます。田舎に暮らすってゆたかなことなんですね。
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PAC定期演奏会の年間会員が予約できました。

2012年04月22日 04時00分47秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 きのうは、西宮の芸文センター・PAC定期演奏会の年間会員を予約する日でした。午前10時電話受付開始です。ジャスト10時に電話がつながるのようにかけましたが、はずれ。「こちらはNTTです。お掛けになった番号は、ただいま大変混みあっております。……」。それから道子さんとぼくは二台の携帯電話と固定電話で掛け続けました。「みんなもこんなふうに掛け続けてるんだろうな」と想像しながら。ところが11時になっても12時になってもつながりません。これがあるから午前中の用事を午後にのばしてもらったのに、出掛ける時間が迫ってきます。
 それでも掛け続けて12時半過ぎにやっとつながり、年間会員を予約することができました。やれやれやれ。おめでとう! 
 午後の用事というのはうちの村の公民館の掃除ボランティアでした。写真は公民館の座敷のほうです。少し古いけどなんとなく趣きのある座敷に見えます。いままで婦人会が掃除していましたが、婦人会が廃止されてからボランティアが当番で公民館掃除にあたることになりました。よその村には、外観を見ると入ってみたくなる、凄く立派な公民館が建っているところもありますが、古びて、ひなびて、つつましく見える公民館もあります。バブル全盛期のゴルフ場建設と関連があったり、それぞれの村に歴史があったりで公民館もいろいろです。
「さあ畑仕事に精を出そう」意気込むと雨が降る。そんな天候がずーっと続きます。
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竹薮を切り拓く人たち

2012年04月21日 02時04分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのう竹薮のことを書きましたが、世の中には竹薮を切り拓くことに力をそそいでいる人がたくさんおられます。ぼくは裏山で1000本余りの竹を切っただけですが、『又八』さんは、なんと2000本の竹を切り倒し、ユンボを購入して竹の根を掘り起こし、それはそれは立派な『男の隠れ家』をつくってしまいました。又八さんのホームページ『又八クラブ』を見せていただくと、ぼう大な苦労が伝わってきます。こんなえらい人もいるんですね。
 またネットで世界遺産の石見銀山を見ていたら、「緑の森を守る取り組み」をしておられ、「2008年には9000本の竹を切り倒して山を拓いた」写真が載っています。これはすごい。スケールがちがいます。四日間に延べ100人の人たちが参加して竹を切り、その場でチップに粉砕し、真砂土や酸化マグネシュームを混ぜ、水を撒いて固めて山道にしてしまうのです。その竹チップだけで100立方メートルできたといいます。さぞ長い立派な山道ができたでしょうね。なんとも力強く、勇気のわくとりくみです。その記事と写真を「お気に入り」に入れて、眺めては悦に入っています。でもちょっと気になります。この「とりくみ」は2008年の9月。踏み込めないほど荒れていた竹薮が、まばらに竹の生える涼しげな竹林に生まれ変わっていますが、あれから4年。いまはどうなっているのでしょう。
 実はぼくの家の前にも、かつて分譲地だった土地があります。(いまも分譲中かな)ぼくらが引っ越してきた2007年春、この土地の持ち主が一念発起して全部の竹を刈り、燃やして、更地にしました。翌年も持ち主がやって来て全部の竹を刈り、燃やしました。でも竹は一年で元のように繁ります。ふたたび放置されて三年目のいまは、こぼれるほど竹が繁っています。
 ぼくに裏山の竹を切る元気が出るのは、すぐ隣の土地だからです。たとえ50メートルでも離れていたら、そして毎日眺める裏山でなかったら、竹を切る元気は出なかったでしょう。10日ぶりに見たら筍が伸びていたり、一ヶ月ぶりに来てみたらあちこちの筍が竹になっていたら、「やっぱり竹薮はつよいなあ」とあきらめていたでしょう。
「生きている限り竹を切る意欲が衰えませんように」路傍の神や仏にお願いします。
 
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竹薮は、ほんとにどうすればいいのか……。

2012年04月20日 00時00分53秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 写真は、蕎麦屋さん『稜庵』の窓から撮った田舎の景色です。田んぼの向こうに竹薮の小高い丘が見えます。というかあの丘には竹しか生えていません。手が入らないので竹が盛り上がり、こぼれるほどに詰まって生えているのです。あの竹薮の地面には竹の落葉が積もり、他の植物は生えていません。むかし生えていたとしてももう枯れています。クヌギやコナラが竹より高く伸びて頭を出しているのがうちの裏山ですが、ここは竹より高くなる木は生えなかったようです。あるいは木の根が伸びられなくて枯れてしまったのでしょう。
 去年我が家を訪ねてこられた方とこの店に来たとき、窓からこの景色を見て「田舎はいいですねー」といわれました。街の方はこの景色を見て、そう思われたのでしょう。ぼくがやたらに竹薮のことをぼやくので、道子さんが「あなただって数年前まで竹薮を敵視してなかったでしょ」といわれて反省しました。
 ぼくは定年退職した頃は神戸の須磨ニュータウンに暮らし、北区・大沢の竹薮オーナー募集に応募して喜んで出掛けていました。筍を掘り、孟宗竹を切り倒して壮快感にひたっていました。竹が少々はびこっても、竹という使いやすい素材だし、簡単に切れるし、縦横に根を張って地面もしっかりするし、とあさはかな考えをしていました。田舎に暮らすようになり、裏山の竹を切って里山に戻そうと頑張るようになって、次第に危機意識を持つようになりました。
 ぼくが危機意識を持った頃には、竹薮拡大の勢いは止めようがないほどになっているのに気づきました。竹薮は7年目から拡大速度がぐんと上がるそうです。いまどき家の裏に竹を植える人はいません。昔植えたものです。どの竹薮も7年目なんてとっくに過ぎて、ぐんぐん拡大しています。
 ではどうすればいいのでしょう。反感を煽るだけでは解決になりません。竹切りボランティアがあちこちに芽生えていますが、こうした地道な努力しかないでしょう。ちょっと手が入っているな、竹を皆伐したな、と感じるところがあります。志染小学校の北、フジワラファームの北側の竹薮です。竹薮が斜面を這い上がり、裾のほうの竹を切って積んであります。それから我が家の裏山。皆伐してあります。……以上結局じまんばなしでしたな。すんません。
 
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ありふれた豊かな一日でした。

2012年04月17日 04時49分30秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 毎月16日は『畑の神さん』の日です。当番の方が神社にのぼりを立て、お神酒とお餅を用意して接待してくださいます。きのうは軽トラを途中の道端に置いて、散歩がてら歩いてお参りしました。この地に暮らすうちに、いつの間にか大将軍神社に毎月お参りするのがぼくらの習慣になりました。うちの村の20軒余りの方々が、400年以上にわたってこの神社とならわしを引き継いでこられたお陰です。
                 
 散歩で歩いてたら農家の庭先の桜が満開でした。植え込みのある前栽とは別に、空き地に水仙や桜が咲いています。『ガーデニング』なんて言葉をことさらつかわなくても、空いているところにちょっと花を植える。咲く花と同じ無心の行為。それができる庭先がある。田舎のよさです。
                 
 お参りして帰りに道端のカラスノエンドウを見たら、アブラムシがびっしり茎についています。色の濃く見える茎です。その一本一本にテントウムシの幼虫がとりついて、アブラムシを食べています。アブラムシが発生するようになったらうちの畑の六条大麦にもやってくるでしょう。彼らは麦が大好きですから。
 軽トラに戻り、そのまま三木の図書館に行き、新しく入った本を中心に10冊借りました。図書館はやっぱりいいですね。書棚の間を歩いていると、ふだん狭くなってる視野が広がる気分になります。そのあとナンバ・ホームセンターに行ったら、駐車場を臨時苗売り場にして、トマト、キュウリ、オクラ、ナスビ、ピーマンなどいっぱい広げてあります。まだ寒い日もあるのに大丈夫でしょうか。連休くらいが植え頃だと思うのですが。
                 
 家に帰って昼食は宇都宮パックの焼き蕎麦にしました。寒くないしデッキで食べようと並べたところです。うちの庭先のチューリップが咲きはじめ、お向かいの神戸の長田からときどき畑作りに来られるおうちの芝桜、遠くの木々の芽吹きを眺めながら食べました。食後は昼寝。そのあと志染愛真ホームを訪ねて桜を見せてもらい、グリンピアの『森の湯』につかって帰ってきました。
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裏山のミモザが咲いています。

2012年04月16日 05時11分49秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 ミモザは早ければ3月に花が咲きますが、今年は遅れています。植えて三年目になる裏山のミモザが、4月中旬になってやっと満開になりました。ネットで見ると風に弱い木のようです。いままで伸び放題にしてきましたから強剪定をして樹形を整えます。7月には翌年の花の準備を完了してしまう木だそうです。剪定が遅れると来年花が咲かないので気をつけます。
 母・妙子さんはミモザに特別な思いがあるようで、先日花を見せたら「おお、ミモザだなー!」としばし見とれていました。彼女は六十四歳のとき山陰の田舎町から神戸に出てきて、『ひととき』に投書したり大阪の文学学校に通ったりして、季刊の同人誌『ひのき』の仲間に入れてもらい、10年を超えて小説とおぼしきものを書いてきました。やがて文学の仲間は老い、同人誌は廃刊になり、九十四歳になったとき、いまの三木市の家に引っ越して街から離れてしまいましたが、都会への憧れ・文学への憧れは九十九歳になるいまも残り灰の熱のように消えないでいます。
 そんな六十四歳からの人生のひと駒で、ミモザという木と出会ったのでしょう。毎年公園のミモザが咲くと歓声をあげて見とれていました。そこで少し離れて神戸に住んでいたとき、ミモザの苗木を買って彼女の家の庭に植えてみましたが一年で枯れてしまいました。いまの我が家の裏山には根付いたようです。大きな木になるので、添え木を強化して育てます。
 先日、鉢植えの紅葉葵を裏山に植え替えようとツルハシで穴を掘ったら、土の中には竹の子の赤ちゃんがちゃんと育っていました。5月になれば竹の子がいっぱい顔を出すでしょうね。
 赤ちゃんを見ると、アライグマでも竹の子でもかわいいのだけど……。
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なんとも素敵な民家です。

2012年04月15日 02時30分48秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 
 きのうの朝、軽トラで散歩に出て、蓮花寺で民家を撮りました。この民家は去年もブログで紹介しましたが、藁屋根が満開のソメイヨシノにおおわれています。敢えて大判の写真にしました。手前に池、その向こうの土手を歩いてこの民家の門に着きます。専用の道ですからどこにゴザを敷いて花見をしようが自由。下の田んぼからゆるやかな斜面がせりあがり、そこにソメイヨシノが10本余り植えられています。桜は老木でも若木でもなく、力あふれる壮年のように大地に足を踏ん張って咲いています。自分の屋敷の桜だけで豪華な花見ができます。右のほうの畑も山も屋敷内ですから、野菜も筍もワラビもシイタケも間に合います。
 ホームセンターで売っているソメイヨシノは、花の時季を過ぎると値段が下がります。去年は2メートル超の苗木に3980円と値札がついていましたが、5月に買ったら980円でした。「これは安い!」と調子に乗って植えたのか、きのう数えてみたらソメイヨシノが裏山に6本。そのうち我が家でも裏山で花見ができるか。あの世から見ることになるでしょうが。でも毎年竹の子を蹴飛ばす人がいないと元の竹薮に戻ってしまいます。
 孫の大志くんが来たので、おじいちゃんしてふたりで裏山に登って竹を切りました。一年生になった大志くんはなんでも自分でしたがります。竹挽き鋸で直径10センチ近い竹を切ることにチャレンジし、ひとりで見事に切りました。なんでもないけど大きな体験なのでしょうね。
 お陰で道子さんは順調に回復しております。しばらくは畑仕事をなるべくひかえて養生につとめます。たのしいおしゃべりもリハビリになりますのでまた訪ねてください。
 
 
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ベートーヴェン『運命』の音楽会に行きました。

2012年04月14日 05時12分22秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 道子さんが退院した日、桜の花見をしながら帰ろうと東条川に寄り道しました。そのとき撮ったコスミックホール前の道路です。先日ボタンティアの方が花を植えておられました。加東市にも小野市にもきれいな道路があり、三木市もそんな町づくりをしようとボランティア養成に努めています。道子さんもうちの村のゴミステーションやバス停に花を植えてささやかな奉仕をしています。
 ブログで道子さんの入院を書いたらいろんな方からメールやコメントをいただき、ありがとうございます。無理をせず、私たちの能力に見合った田舎暮らしをしていきますので、これからもよろしくお願いします。おしゃべりはいい養生になります。裏山に植えた木々も花を咲かせてお待ちしています。お訪ねください。
 さてきのうは西宮の芸文センター・音楽会で行ってきました。車で西宮北トンネルを抜けると六甲山系の南側は桜がまさに満開です。鷲林寺前の信号で左に曲がり、北山ダム、甲呪寺、甲山森林公園を通り、旧『播半』横に下りてくる道は花盛り。新甲陽から広田神社にかけても桜のトンネル。神戸屋で昼食をとって広田神社に寄ると『コバノミツバツツジ』がほぼ満開。シートを敷いてツツジの花見客もおられました。
 音楽会は、PACオーケストラ・佐渡裕指揮でベートーヴェンの交響曲第5番『運命』とドボルザークのチェロ協奏曲などでした。『運命』はあまりに有名な曲で、カラヤンやクライバーのレコードで何度も聴く機会があったので比較するのは酷です。若いオーケストラが一生懸命演奏していました。
 この『運命』は第二次大戦のとき、イギリスからドイツ向け放送のテーマ曲になっていました。イギリスはどうして敵国の作曲家の音楽を使ったか。この交響曲が人類の共有財産ともいうべき名曲であり、ベートーヴェンの『第五番』だったからです。「5」はローマ数字では「V」。勝利(VICTORY)の頭文字です。そして当時のイギリス首相・ウインストン・チャーチルのマークになっていたあの「Vサイン」は、味方の兵士や国民を鼓舞しました。ハイネの詩集を焼いたり(ユダヤ人だから)ショパンの曲の演奏を禁じた(ポーランド人だから)ヒットラーとの違い。些細なことではありません。
 横文字・カタカナ英語を禁じ、「鬼畜米英」とわめいた日本人の偏狭さを、独善体質を、私たちはいくらか克服したでしょうか。
 さあ、きょうからぼちぼち畑仕事をします。
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10日ぶりにシャバに。

2012年04月13日 02時06分17秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 いつもブログを見ていただき、ありがとうございます。このところ、どうもブログの調子がおかしい。春たけなわなのに、ときどき米の話や竹薮の話なんか書いて誤魔化してる。そう思われたでしょうか。その通りです。実は道子さんが入院してました。きのう退院し、10日ぶりにシャバに復帰しました。元気になったのをお伝えしようと、病院から帰る途中のゴルフ場入口で写真と撮りました。彼女にとってはじめての病気入院でした。
                
 結石が動き、腎臓の熱が出たのです。いきなりの入院でしたから、ぼくは何度も家と病院を行ったり来たり。うちで一番元気なのはあと24日すれば満九十九歳になる母・妙子さんで、「留守番はまかせておけ」と胸を張ってぼくを病院にせき立てました。まー、一件落着でやれやれ。
 きのうは快晴で、桜が一挙に満開になりました。そこで桜見物をしながら帰ろうと、まず病院近くの三樹小学校の桜を車の窓から見ました。校庭をコの字に囲んで咲く桜はいまが満開で、三木市の桜スポットにリストアップされています。ゴルフ場の桜を見たりしながら東に走り、北谷川の桜並木も見て、退院祝いに蕎麦屋『稜庵』で蕎麦を食べてから帰ってきました。
 なお北谷川の桜は七分咲きくらいでした。日曜日から来週はじめが満開でしょう。ここの若木の桜は花に勢いがあり、いいエネルギーがもらえます。また来ようかな。
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うまい米を食べてるんだなー。

2012年04月11日 03時44分27秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 いろんな花が一斉に咲きはじめました。裏山の「ムスカリ」のこぼれ種も。
 2月終りの週末は、うちの村の伊勢講があり、二人が参加しました。村の伊勢講は五年ごとに行われ、ぼくたちにとっては二度目のお伊勢参りです。鳥羽の旅館に泊り、海の幸の食事をおいしくいただきました。ところが翌朝の朝食のとき、だれ言うともなく、「ご飯がまずいな」という声が聞えてきました。
 うむ……。たしかにマズイ。ぼくたちはふだん、おいしい米を食べてるんだな、とあらためて思いました。
 実は6年前の12月にこの村に引っ越してきました。すぐに村の新年宴会があり、一升瓶を提げて夫婦で参加しました。見ず知らずの土地で田舎暮らしをはじめるにあたっては、村八分にあわないように「しっかりあいさつするのだぞ!」といろんな人に忠告を受けていましたから。
 区長さんに紹介してもらい、ぼくは飲めない酒を注いでまわり、いっぱい話を聞きました。その中で頭に残っているのは「酒米・山田錦をつくる口吉川の田んぼは泥が深い。ふつうの米をつくっても味がちがう。炊き立ての飯ではわからんでも冷えた飯やおにぎりにしたら、米のうまさがわかる」 / 「休耕田をただで貸してあげるから米をつくらんか」という話でした。
 家で食べる米は地元のヒノヒカリです。玄米を直前に精米して炊きます。その炊き立てが実にうまい。鳥羽の旅館の朝食で、「同じ三木に住んでいる人でも別所のほうの人は口吉川までわざわざ米を買いに来る」とだれかが話していました。
 そしてこの一月、その米でパンをつくる『ゴパン』を買いました。週の半分くらい、朝食はパンを食べますが、いまではお米のパンばかりです。地元の米でつくったパンだと思うと余計にうまい気がします。ときどき『長岡式酵素玄米ご飯』というのを炊きます。これも地元の玄米で炊くのですが、これがまたうまい。
「主食に食べる米がうまい」のはしあわせなことです。
 
  
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すごい風でしたね。

2012年04月08日 04時45分17秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 先日の低気圧はすごかったですね。我が家の畑も被害がありました。相当重い円筒形の堆肥入れの蓋がよその田んぼまで飛んでいたのには驚きました。きのうは散歩をして、畑から我が家にむかう道を歩いてのぼりながら、ゴミの落ちた道を掃除することを思いつきました。竹ほうきで道の葉っぱや枝を溝に掃き落とし、サラエで掻き寄せて山にあげる作業です。15分できれいな道になりました。清清しい空気が写っているでしょうか。
                
 裏山に行って植えた木々を点検してみると、ミモザが咲きはじめ、ユキヤナギもぼちぼち、サクラもいくらか咲きそうな気配です。先日発見したライラックの負傷は痛々しいですが、芽がではじめています。このライラックは裏山に一番に植えた木です。山への上がり口に5年前に植えて、枯れかけたこともありましたが、太くなってきたな、と思って見ていました。
                
 今年の冬、足もとの笹を刈ってみたらライラックの木の根元がドーナツ状にふくらんでいます。木のこぶが出来たのか。そう思って放置していましたが、先日道子さんが花を植えて水をかけたら、このドーナツが壊れて卵のようなものが見えたというのです。そこで彼女はドーナツを撤去し、さらに幹に穴が空いているのを見つけました。細い笹を突っ込んでみたら10センチ入るというのです。木の幹に穴を開けて中まで卵が入り込んでいるのです。何の卵か、どこまで食い荒らしているのかわかりません。とりあえず先日買った『トップジンMペースト』を塗って穴を保護しました。
 卵が残っていて中から食い荒らして木を枯らせるか。ライラックが生き残って花を咲かせるか。五月の花を待ちます。ライラックさん、気づかなくてごめんなさい。これからは「コブ」に気をつけます。
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『野良竹』化する竹林を憂う。

2012年04月06日 02時58分44秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 拡大・荒廃する竹薮をネットで検索していると、竹林の『野良竹化』という言葉が出てきました。野良犬や野良猫のように広がっているというのです。かつては飼い犬や飼い猫のように民家の裏に竹を生やし、竹の子を掘り、竹を切って利用して、竹林を管理していた時代から、放置する時代になってしまいました。
 わかりやすい香川県の資料が出ていました。
 香川県の竹薮面積:  1986年(昭和61年)  2173ヘクタール
            2000年(平成12年)  3978ヘクタール
 この15年間で竹薮の面積は1,8倍に拡大しており、しかもその拡大速度は上がっているのです。さらに竹の子の生産量や竹材の生産量を見ると次の通りです。
 竹の子の生産量:   1988年(昭和63年)  13700トン
               2002年(平成14年)   1200トン
 竹材の生産量:     1964年(昭和39年) 125000束
                2002年(平成14年)   1500束
 竹を建築資材などに利用しなくなり、わずか1パーセントにまで落ち込んでいます。経済的にどうしようもなくなって竹薮が拡大しているのです。
 ではこのように拡大し、荒廃していく竹薮は今後どうなるか。
 学者の話が載っています。竹薮がスピードアップして拡大し、繁茂していくとすればその先どうなるか。竹の侵食が自然に淘汰されることはないのか。…… 単一の植物だけが勢力を拡大して、やがては枯れるだろう。だが竹が枯れて他の植物が生え、再び原生林になるには少なくとも200年、300年かかるのではないか。100年くらいではどうにもならないし、経済的にメリットのない竹薮拡大阻止のとりくみではむずかしい。もちろん竹は根が浅いから地すべりや地盤の崩落も起きやすい。
「えらいこっちゃ!」 みなさん、危機意識だけはもちましょうね。 
 

    
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ツクシがいっぱい。

2012年04月02日 03時16分03秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 日曜日、子や孫たちが朝からやってきてにぎやかに朝食。そのあと散歩に出ました。何の変哲もない田舎の田んぼ道ですが、街からやってくる子や孫にはほっこりする時間です。いま土手焼きをしたあとにツクシがいっぱい。摘んでかえりました。
 土曜日に孫たちは西宮の芸文センターに連れて行ってもらい、「キッズ・コンサート」をたのしみました。それぞれになにか楽器を持参して「エーデルワイス」を演奏したそうです。こんな小さな出来事が積み重なって、ひとのこころは育つのでしょう。大志くんはいよいよ一年生になります。
 散歩のあと、ウッドデッキで、ツクシのハカマトリをみんなでしました。ぽつぽつおしゃべりしながらの手作業です。その間におばあちゃんがおやつとお茶を用意します。平和でうららかな春の日。いつまでもこんな時代がつづきますように。
 
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はびこる竹やぶに日本人はもっと危機意識を!

2012年04月01日 04時20分01秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 写真はアップしません。どこか身近な竹薮を思い浮かべてください。あなたが、これから車か乗り物で旅に出掛けられるなら、100本以上竹の生えている「竹薮」を30まで数えてみてください。竹薮調査でなく、数の多さを実感するために。
 実はこんなことがありました。お客さんがあると近くのおいしい蕎麦屋『稜庵』に行くことがあります。お店の和風のインテリアに心がしっとりします。障子の窓を開けると田んぼが広がり、その向こうに小高い竹薮が見えます。街からのお客さんはそれを見て、「やっぱり田舎はいいですね。みどりがきれいです」としばらくほっこりした気持ちになります。
「いや、あの竹薮をよく見てください。盛り上がってこぼれるほど竹が繁っているでしょ。あの竹の足もとは、竹以外のすべての植物が死に絶え、竹も枯れて折り重なり、ものすごく荒廃しています。あれで竹が枯れてしまったら死の世界ですよ」なんていえないからあいまいに笑って「そうですかねー」とやりすごします。あれでも街の人には「ミドリのイナカはいいなあ」と見えるのでしょうね。
 軽トラで散歩してぼくが「はびこる竹薮」を嘆くと横で道子さんが「あなたは余程竹薮に対抗意識を持ってるわね」といいます。でもわれわれ日本人は、はびこる竹薮にもっと危機意識を持たねばなりません。というわけで、ネットで「竹薮阻止」とか「竹薮退治」とか検索してみると、頑張っている人がいっぱいいます。
 一部を紹介します。

 
 ……竹林を無くして土地を違う事に活用してください。竹林よりもっと良い使い方が他にもあるでしょう? たけのこが竹林放置のいい訳になっていませんか。せめて隣の土地に迷惑かけないように雑木林にでもしてください。死んでからよそ様や子や孫、ひ孫から怨まれますよ。使い道がなくてもだれにも迷惑かけないように枯らしてから死んでください。竹の子を取ったり、竹を切ったり、活用したりするボランティアの人もそんなことをせずに竹を枯らす活動をしてください。あと何年体が動きますか。仲間たちはまだ生きていますか。

 
 この人は「ラウンドアップ(モンサント社が世界に誇る最強の除草剤)で竹を枯らすしかない」と強く日本人に訴えています。ほんとはそうなんでしょうね。ぼくは除草剤を使うのはイヤだから、竹薮討伐隊長を気どって裏の竹薮に挑んでいますが、竹は裏山全山に広がっており、わずかなスペースを全伐してもぼくがいなくなれば一年で元の竹薮に戻ってしまいます。
 うちの裏山は竹を切ったら世界が広がりました。木を植え、花を植え、小径をつくり、焚き火をして、どれだけ豊かな気持ちで暮らせるようになったことか。     この項つづく(ぼくの生きている限り)。 
コメント (3)
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