古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

お花見/お花見/

2021年03月31日 17時43分14秒 | 古希からの田舎暮らし
 運転免許を返上された村の方と「お花見」。私たちもいつまで運転できるかわかりませんが、行けるときに花見をしました。
 まず隣り村との境に、美嚢川べりの四本桜。道端ですが、枝ぶりがよく、見事にさいています。
 東条町にまわり、東条川沿いの桜も満開です。とどろき荘の駐車場で記念撮影をしました。

 マスクをはずして、背筋をのばして「ハイ、チーズ!」。
 北谷川にまわり、橋の上から桜のトンネルを見物しました。ほぼ満開で、花見客もチラホラ。我が家にもどって、裏山のテントハウスで、野外のおしゃべり会。午前中にぼくがたき火をしていた「焼き芋」を食べながら、腰をすえておしゃべりの花を咲かせておられました。
 できるときに、できることをする。自然のなりゆきにさからわない気持ちの流れを、「いいな」と思っています。
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「やあ、ヌートリアくん、久しぶり!」

2021年03月30日 11時08分37秒 | 古希からの田舎暮らし

 福地池をまわって、軽トラで「ツクシ摘み」に行こうとしたら。ヌートリアくんが道を横切っていました。久しぶりに見ました。九文小池と福地池を行ったり来たりしているのでしょう。
 人間に恐怖心/敵がい心をもたないヌートリアですね。近寄って写真を撮ってもじっとしています。     
 思い出すなー。
 1995年。神戸に地震のあった年(1月17日)の4月、ぼくは明石の中学から、丹波の今田町立今田中学校に転勤しました。篠山にアパートを借り、車で通勤しました。久しぶりの田舎がうれしくて、休みの日にはあちこち田舎の景色を見てまわりました。
 夕方車塚古墳に行ってみました。お濠にかこまれた、宮内庁管理の立派な古墳です。しばらく見とれていると、お濠の水面を動いている動物がいます。
「あの動物はなんだ! ビーバーみたいなものが泳いでる」
 学校できいて「ヌートリア」というネズミを教えてもらいました。はじめてきく名前です。夕方のお濠を静かに泳ぎ、岸辺でじっと瞑想にふけるような姿に魅せられて、毎夕のように見に行きました。
 ヌートリアが好きになり、よその人に存在を教えたくなりましたが、三木市の田舎で畑をつくるようになると、ヌートリアの被害にあい、檻を仕掛けて捕まえては市役所に突きだしました。
 いろいろあったけど、久しぶりのヌートリアくん。
 昨日、道子さんはツクシがいっぱい生えているところを見つけました。

 平らな草原で、いいツクシが生えてます。
 摘んで帰って佃煮にしました。「今日も摘みに行きたい」というので軽トラで出掛けました。そしていっぱい摘みました。

 あとの仕事が大変だ。


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はやくも『お花見』シーズンになりました。

2021年03月29日 21時42分50秒 | 古希からの田舎暮らし
 裏山に植えたソメイヨシノがほぼ満開です。

 ソメイヨシノは6本あって全体を撮りにくい。枝先を見てください。8分咲きです。うしろに写っている樹は楠です。50センチの苗を10年ちょっと前に〈レモン屋〉さんにいただきましたが、今では7メートル超の立派な樹になってます。
 次の写真は、黄木蓮(エリザベス)です。はやくも咲きはじめました。(例年は4月10日を過ぎてから咲く)今年は大きなツボミがいっぱいついていて、満開がたのしみです。うしろの黄色の花はミモザです。

 村の老人をおつれして「お花見」しようと〈下見〉に出掛けました。まず東条町のとどろき荘前に行ってみました。老人に近い貫禄のある桜ですが、6分咲きでした。写真はなし。満開は4月3日くらいかな。
 東条町から吉川町にまわり、『北谷川』両岸の桜並木を見にいきました。例年うちの裏山より早く咲くのに、今年はまだです。ここも写真は撮りませんでした。
 満開は3,4日あとになりそうです。
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電動ウォーカーを買い替えました。

2021年03月27日 15時49分41秒 | 古希からの田舎暮らし
 電動ウォーカーが故障して動かなくなりました。外を歩くと快適な季節になりますが、外歩きは気が散りやすい。雨の日、外を歩くのはイヤですし。
 それに健康寿命を伸ばそうと考えて、電動ウォーカーを買い替えました。いまの調子だと数年は歩けそうです。(年寄りは先のことはわからんけど)

 前のウォーカーと製造会社はちがいますが、同じような性能です。時速1~10キロまでスピード調整ができますが、3,6キロメートルくらいがぼくの限界です。
 試しに歩いてみました。音がとても静かです。だれか眠ってる夜中でも、歩けそうなほどに。前の機械は相当にぎやかだったので、夜は歩けませんでした。買い替えてよかった。
 前の機械は30分歩くようになっていました。途中でやめてもいいけど、30分間音声でリードされると、仕方なく歩いてしまいます。今度の機械は自分で区切れます。「10分止め」からはじめて、自分の気持ちのいいところでとめることにします。無理しない。がんばらない。
 前の機械は軽トラで清掃センターに運んで捨てます。
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スマホを新しく替えました。

2021年03月26日 17時08分50秒 | 古希からの田舎暮らし
 2017年12月、おじいさん・おばあさんも世の中の流れにのって、〈ガラ携 ⇒ スマホ〉に切り替えました。自分のブログをさっと見られるようになりました。おじいさんはスマホのメールはしませんが、電話のほかにちょっとした検索もできるようになりました。道子さんのほうLINEができて交流がひろがり、検索もサクサクとできるようにました。
 あのときのブログを見ると。ぼくは「スマホなんて文明の利器を追いかけなくても、ガラ携で十分満足している」と思っていました。しかし道子さんに「マサイ族はスマホを使ってるのよ」といわれて、「エッ? いつの間にそんな時代になったんだ!」とこころがかわり、持つことにしたのでした。
 あれから3年4カ月。ぼくのスマホは液晶画面が傷ついてしまい、見えにくいです。道子さんのスマホも「何とかがいっぱいになった」とかすぐ出てしまいます。
「この際新しい機種にしよう」ということで今日機種を替えました。予約で10時に「au」に行って、なんかいっぱいサインしたり、よくわからんけど説明きいたふりしたり、新しいスマホをもらったのは11時30分。座ってきいてるだけで結構疲れた気分です。
 このスマホが最後になるでしょうか。
 いやいや、おじいさん、世は100歳時代。「これでおしまい」なんて考えないほうがいい。次はもっと便利になるんだから、せいぜい長生きしなしゃんせ。

 
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裏山の花園がにぎやかになりました。

2021年03月25日 03時59分25秒 | 古希からの田舎暮らし

〇 テント・ハウスの前です。ユキヤナギのそばでチューリップが咲きだしました。ミツバツツジは三日もすれば咲くでしょう。今年はソメイヨシノの花見も早まります。
 道子さんの丹精で花いっぱいの裏山になります。
〇 バード・フィーダー(野鳥の餌場)に二羽の鳩がやってきます。ガラス窓をあけて「コラッ!」と声をかけても逃げません。実にあつかましい。ヒヨドリは来ません。よかった。アオジは毎日やってきます。とても敏感で、ガラス越しに「ソーッ!」と見ても飛び立ってしまいます。アオジは友だちを誘うようで、先日五羽のアオジを見ました。うれしかったです。

〇 大志くん/大志母/がやってきました。萌ちゃんといっしょにつくった裏山の祠に、合格のお礼参りをして、テント・ハウスでお昼を食べて、裏山の竹を伐ってもらいました。おじいさんはたき火をして、焼き芋をして、おやつに食べてもらいました。
〇 ブラウニング(イギリスの詩人)に『春の朝』という詩があります。むかしは、英語の教科書に載っていました。明治時代の上田敏の訳で紹介します。

時は春 / 日は朝(あした) / 朝は七時(ななとき) / 片岡に露みちて /
揚雲雀(あげひばり)なのりいで / 蝸牛(かたつむり)枝に這ひ /神、そらに知ろしめす。 / すべて世は事も無し。

 最後の一行のような平安が、多くのひとびとにおとずれますように。
 
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同い年の人が、この文を書いてるんだ。

2021年03月23日 16時46分36秒 | 古希からの田舎暮らし
 いろんな〈外仕事〉をしている「ごほうび」で有馬温泉に一泊しました。

 蟹のコース料理で、城崎に行かなくてもしっかりいただきました。
 夜中に本を読んでいて、この文章に「つきあたりました」。引用します。


 自決にせよ、栄養失調にせよ、ソ連兵や土匪に殺されたにせよ、あの「満州」で同胞を見殺しにせざるを得なかった日本人の背負い切れない悔恨はまだうずいています。
 民草(草のようにそよいでいる庶民のこと)にとって祖国とは一体なんでしょうか。
 戦時中の祖国や満州の指導者は、私の心の中ではとうの昔に消し去りました。
 生涯、国家に信を置くことはできません。

 
 この文は『じいちゃんは引き揚げ少年だった』坂本龍彦・著(岩波ジュニア・新書1999年発行)に寄せられた読者:常木彰さんからの手紙です。彼は国民学校2年生(小学校2年生)のときに満州で「日本の敗戦 /家族で逃げまどう/襲撃にあう/乳飲み子の弟の死/飢え」など筆舌に尽くしがたい体験をしました。その体験を著者に手紙で告げて、上の引用文でしめているのです。
 昭和20年8月15日には、ぼくも国民学校2年生でした。同い年の子どもが「生涯にわたってこんな思いを秘めて生きる」体験をした。 …… 夜中にこの文につきあたって、本を置いてしばらくじっとしていました。
 83年の人生で、映画や映像や本で見たり、聞いたり、読んだりしたあの戦争の「悲惨」が、プツプツと心の沼から吹き上がってきます。
 それを現実に体験する場面に置かれてしまった子どもに、ことばがありません。
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裏山の桜も開花しそうです。

2021年03月22日 02時20分51秒 | 古希からの田舎暮らし
 花の春になりました。ミモザ/サンシュユ/ユキヤナギ/コブシ/馬酔木/などは、いま満開です。
 地面ではムスカリが咲いています。

 球根で、一面に咲くようになりました。はじめてこの花を見たときは「オッ! この花はなんだ」と思いました。見なれてくると「まー、ね」という感じです。
 椿の『侘助』は大きな樹になりました。「家の窓から後ろの花が見えない」と道子さんにいわれて、侘助に気の毒なほど強剪定しました。
 1、2年、いくらか樹勢が弱った感じでしたが、またよく咲いています。

 侘助の健闘をほめてあげます。
 裏山にはソメイヨシノを6本植えています。チラホラ咲きはじめました。まだお彼岸だというのに。裏山の桜は毎年、おそく咲くのに、もう開花宣言です。
 世の中はコロナで暗い気分でも、花は咲く。エライなー。
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その日に気が向く仕事からやります。

2021年03月20日 19時53分34秒 | 古希からの田舎暮らし
「やろうと思う仕事/やるべき仕事」は山ほどあります。どれをするか。その日気が向いた仕事をします。83歳になると三つ「やろう」と思っていても、実際にやるのは一つだけ。
 で今日は何をしたか。  ……  ブロックでBBQコンロの脚をつくりました。鉄筋と杭を入れて倒れないようにしました。

 BBQのコンロは、鉄の棚板でつくりました。まだ平面だけです。煉瓦をつかって、コンロのかたちにします。なんでもない、簡単な仕事に見えますが、そうでもありません。
 
 
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そよご/たんぽぽ/

2021年03月20日 02時43分35秒 | 古希からの田舎暮らし

『そよご』の葉っぱです。常緑樹で、葉っぱの縁がかるく波打ったように見えます。この特徴で樹を見分けることができます。生長がはやくもおそくもなく、いつも緑でいてくれる、人気の樹です。
 10年ほど前、ホームセンターで〈三本のソヨゴの苗〉を買って植えたことがあります。枯れてしまいましたけど。その後「そよご」のことをネットで見たら「ソヨゴの苗を買うヤツはバカだ。山にいっぱい生えている」と書いてありました。
 そよごのことを読んで、裏山の樹をよく見たら。なんと、そよごはいっぱい生えていました。玄関先には大きなそよごの樹が突き出ていました。そよごの苗は通販でも売ってありますが、裏山にはいっぱい生えています。苗をとれると思いますのでどうぞ。

 めずらしくもない「たんぽぽ」の写真です。散歩する道ばたにいっぱい生えています。たんぽぽの黄色い花は、もうすぐ白い綿毛の種になって風に飛んでいきます。
 下の畑で、4ミリ目の防風ネットを張ったとき。数日後に見たら、青いネットに白い綿毛が一面についていました。「たんぽぽの種は、空気中をいっぱい飛んでるんだ」とおどろきました。
 根は、固い地中でもかなり深く伸びる。すごい植物ですね。
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春ですねー。

2021年03月19日 13時15分12秒 | 古希からの田舎暮らし
 孫の大志くんが生まれた頃は、まだ神戸に住んでいました。大志くんが歩きはじめた頃、三木の田舎で暮らすようになりました。あれから15年。月日の流れをはやく感じます。
 今日公立高校の入試発表があり、大志くんが合格しました。よかった。おめでとう。
 
 あったかい、いい天気です。福地池をまわって村のポストまで散歩しました。快い空気感をたのしみながら、村の郵便ポストまで歩きました。
 無施池の横の道路で撮りました。

 アスファルトとセメントのわずかなすき間に、スミレが咲いてます。「こんなところに」と健気に感じるのは人間の勝手ですね。
 一番頑張って咲くのはカラスノエンドウです。土手の草刈りは4月になってからします。しかし散歩の途中に見た畑では、一面カラスノエンドウが盛りあがっていました。

 この地に暮らしはじめた頃、この畑は隣り村の〈おじいさん・おばあさん〉がつくっておられました。池のまわりを散歩して、立ち話したことも何度かありました。
 いつの間にか見かけなくなりました。いまは放棄畑です。カラスノエンドウだけが盛りあがっています。


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この国の恵まれた老後を感謝しつつ …… 。

2021年03月17日 16時44分06秒 | 古希からの田舎暮らし
 民生委員の方が写真のおくり物を持って来られました。

 口吉川町「ふれあいまちづくり協議会」から〈フルーツ詰め合せ〉のおくり物です。後期高齢者で独り暮らし/夫婦とも後期高齢者の二人暮らし/の家庭におくられるそうです。
 ありがたく受け取りました。この国の、老人への、なんと親切な配慮でしょう。
 このおくり物を民生委員からもらったとき、ぼくは昭和12年にこの国に生まれた人たちを思いました。昭和12年に生まれたぼくたちは、昭和19年に国民学校の一年生として入学しました。この頃から日本の大きな都市は空襲にあい、家を焼かれ、親や身内の者を亡くし、空腹をかかえて逃げまどい、集団疎開や縁故疎開でみじめな、ひもじい目にあい …… 。敗戦後、戦災孤児となり、「なんで親が死んで、オレだけ生き残ったんだ。なんでいっしょに死なせてくれなかったんだ」と何度も思ったことでしょう。餓死も日常のできごとだったでしょう。
 昭和19年に満州に集団入植した大兵庫村(高橋村の開拓団)の山下さんは、敗戦で逃げまどい、昭和20年8月17日に、ホラン河で集団自決しました。一家七人のうち一人だけ生き残った小学校5年生の幸雄さんは日本に帰ってきました。
 彼はその後の人生で「どうしてオレだけ生き残ったんだ。なぜ死ねなかったんだ」と思うことが何度も何度もあったそうです。国民を粗末にしたあの戦争を、忘れたくない。
 おくり物への感謝と、あの戦争で長く生きることのできなかった同い年の子どもたちへの思い。
 
 
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《大将軍神社 ⇒ 御酒神社》にお参りしました。

2021年03月16日 12時14分05秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は16日。大将軍神社にお参りする日です。二軒の当番はお餅を用意して、神社に幟を立てて、境内を掃き清め(勤めがある当番の家は仕事を休んで)もてなしてくださいます。
 少し肌寒いので焚き火をしておられました。
「皆勤賞をねらったのですが、2月のお参りの日を忘れました」/「前の日に来たり、後日遅れて来る人もあります」/でもやむを得ない事情でなく忘れたのですから、小細工はしないでおきます。
 お参りのあと「ちょっとドライブしようか」。よその村の中を走っても、軽トラですから注目されません。桃津から村中の道に乗りいれ、田舎道を走って、久しぶりに保木の神社にお参りしました。
 あのクスノキは相変わらず立派です。

 枝の広がりもいいけど、根元の枝ぶりが、またいい。堂々とした感じで、しばらく見とれていたい気になります。この樹がそばにある家はいいなー。
 口吉川町の南畑 ⇒ 大島 ⇒ 善祥寺 ⇒ 三木よかわゴルフ場 ⇒ オリムピックゴルフ場 ⇒細川町の道に出て、御酒神社(みさか神社)に寄りました。
 軽トラをとめて、神社で記帳して、しっかりコロナ退散を拝んできました。ここの大きな石は、タダモノでない。パワーがあります。

 ぼくが登って、道子さんに撮ってもらいました。
 
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老人クラブの総会は無事にすみました。

2021年03月15日 17時55分49秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は村の「老人クラブ総会」です。今年度からしばらく「休部する」ことを決めます。
 総会の写真です。

 会長が「やむを得ざる事情」を熱を込めて説明し、いろんな意見が出ました。そして「休部」が決定しました。
 2011年3月に、ぼくはに会計係を引き受けることになり、JAの貯金通帳を引継ぎました。クラブ名の印鑑をつくり、クラブ名義の通帳に切り替えました。通帳の日付を見ると平成23年3月22日(2011年)「ご新規」となって、繰り越し金を入金しています。
 はじめは老人会のグランドゴルフなど催し物のとき、おやつを用意する係のつもりでした。それが毎年つづき、いろんな行事の弁当などもお世話することになり、会計報告やら何やらで、老人としては、それなりに気をつかう仕事になりました。
 そして2021年3月、10年ぶりに会計係の仕事から解放されます。たいした仕事でなかったけど、気持ちの負担になっていたのでしょうか。
 午後は1時過ぎに昼寝をしました。一度3時ごろに目が覚めました。しかしまた寝てしまい、起きたら夕方でした。
 長い間気をつかっていたんだ。解放されて心身がホッとしてるんだ。
 今日は解放感をかみしめるために外食します。アルコールは飲みませんけど。最近は100CCのビールも飲みません。食べるだけです。
 おじいさん、ごくろうさんでしたね。自分で自分にほうびをあげてください。
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母の『三回忌』をしました。

2021年03月14日 14時37分43秒 | 古希からの田舎暮らし
 母は2年前の3月14日に亡くなりました。3月は老健施設に毎日通って顔を見ていました。生きる力が次第におとろえていくのを感じました。14日の早朝「息をしておられません。あわてないで来てください」と電話がありました。
 今朝は二人で「三回忌」をしました。

 道子さんが阿弥陀経をあげて二人で拝みました。お墓は永代供養墓にしていますので、合同供養祭の4月1日にお参りします。
 にぎやかに一族がつどって法事するのもいいけど、二人だけでしっとり拝むのもいい。
 萌ちゃんの運転で、萠ばあちゃんが「ツクシ摘み」に来ました。佃煮をつくるそうで、いっぱい摘みました。いい天気でよかったです。
 そのあと、二人で村のポストにハガキを出しに歩いて行きました。春はいいですねー。

 裏山の向こうは福地池です。池をまわってポストに散歩しました。
 いまは満水です。4月には若葉が芽吹きます。こんなところを散歩できる〈しあわせ〉を感じます。
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