古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

広島の原爆資料館を見学しました。

2013年10月30日 02時03分16秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 写真は広島の原爆資料館で撮りました。地上600メートルで原爆が爆発して直径280メートルの火球になった瞬間の模型です。
 中の写真撮影は自由。吉永小百合のナレーションも入った無線機器は300円で借りられます。すべての説明を読み、感じ、想像し、いろんなことを考えながら見てまわれば、たっぷり一日かかるでしょう。入場料は大人50円。
 この「ヒロシマ」の気概を受けとめる人たちは世界中にいます。ヨーロッパ系の人たちや修学旅行生が多く見学に来ていました。人間がこれからもこの惑星で生きのびていくために、「ヒロシマ」を訪れる人の流れを絶やしてはならないと思いました。
 95歳で入院しているおばさんを見舞うために、母にはショートステイしてもらい、二人で広島に行きました。往復625キロメートルを軽自動車で走る一泊の旅になりました。疲れました。こんな無謀なことはもうしません。
 無事に我が家にたどり着いてやれやれです。さあ、畑仕事が待っています。裏山も待ってます。
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車谷長吉の文は風穴をあけてくれます。

2013年10月26日 03時54分09秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 稲刈りがすんでさみしくなった田んぼの畦に、セイタカアワダチソウが咲いています。もうすぐまわりの山々が紅葉して、田舎はどこかさびしく、しっとりした秋の風景になります。一番好きな季節です。二番目は若葉の頃。で、雨で外仕事ができないものですから、図書館で借りた本など読んでいます。ふと目にとまって借りた車谷長吉の『妖談』がおもしろい。これは短編集ですが、ほんとに短い作品ばかり。彼の書く文はどこを切り取っても「車谷長吉が書いた文である」という血が流れています。


 私は生まれ付き身体障害者である。アレルギー性副鼻腔炎(遺伝性蓄膿症)なので、鼻で息が出来ない。この苦しみがあるがゆえに、人の顰蹙(ひんしゅく)を買う作家になったのだった。作家になることは、人の顰蹙を買うことだ、とは気がついていなかったのである。気づいた時は、もう遅かった。人の顰蹙を買わないように、という配慮をして原稿を書くと、かならず没原稿になる。出版社の編輯者は、自分は人の顰蹙を買いたくないが、書き手には人の顰蹙を買うような原稿を書くように要求して来る。そうじゃないと、本は売れないのである。本が売れなければ、会社は潰れ、自分は給料をもらえなくなるのである。読者は人の顰蹙を買うような文章を、自宅でこっそり読みたいのである。つまり、人間世界に救いはないのである。  『まさか』より


 下総の佐原に、うちの嫁はんの友達・勝見梅子さんは住んでいる。高等学校の英語教諭である。お茶の水女子大学を出た才媛で、その才媛ぶりを鼻に掛けている。男どもをみな小馬鹿にしている。うちの嫁はんの友達には、そういう女が多い。梅子さんは英会話なども達者であるが、田舎町にいては、英語を話す機会はほとんどない。虚栄心が強いので、それを残念に思うているらしい。つまり、阿呆(あほう)である。自尊心、虚栄心、劣等感は人間精神の三悪であるが、併し梅子さんには悪であるとの認識はかけらもない。 『辛抱』より


 車谷長吉にしか書けない文をそこはかとなく読んでいると、こころに風穴があき、あたらしい空気が吹き込んできます。





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雨で、散歩はおやすみです。

2013年10月24日 03時58分21秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 先日アップした福地池のえん堤を反対の左側から撮りました。セイタカアワダチソウが満開になり一段と鮮やかです。空き地にぱらぱら伸びているセイタカアワダチソウはあまり風情がありませんが、これだけびっしり咲くとそれなりに見事です。うちの近くでは「蛇が池」と「福地池」のえん堤が黄色い帯になっています。
 晴れた日に朝の散歩でカメラを持って歩いていると、空も土手も田んぼも道端の草花も山も「秋だぞ」と声をかけてくれます。しかし今年は雨が多い。雨が降るとぼくらの散歩はおやすみです。稲刈りもそろそろおわります。道子さんと「一度口吉川町内を軽トラで見てまわろう」と話しているところです。
 ウッドデッキの床用人口木材のサンプルが届きました。施工例の写真を見ると立派なデッキです。しかし床材の板一枚が5000円以上します。そんなに上等でなくていいんだけど。まだ思案してます。
 
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今年は裏山のドングリが豊作のようです。

2013年10月22日 04時32分35秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 散歩の道道にドングリが落ちはじめました。写真はアラカシのドングリです。ザランザランといっぱい実がついています。今年は豊作でしょう。「ドングリが不作で動物が山から里に下りてくる」というニュースを耳にすることがありますが、おいしい野菜の味をおぼえたらドングリがあっても出てくるかも。しかしうちの畑は電気柵が待ち構えてるよ。3日前に新しい電池に換えたところだから、強烈に「ビリッ!!」とくるよ。イッヒッヒー!
 ウッドデッキの塗装をどうするかまだ考えています。夜中にネットで「人工木材」を調べていたら知らぬ間に3時間たっていました。
 屋根の下地シート『モラサン』をデッキの床面に敷く。 ⇒ その上に桟を打つ。 ⇒ 人工木材を止める。 このやり方で10年はもつかな。
 塗装面にサンダーをかけて塗るのは「しんどい」と思うようになりました。だから去年もおととしもその前の年も「やりかけては逡巡し、また翌年やりかけては逡巡してたんだ」と今頃になって気づきました。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          
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ウッドデッキの塗装をどうしようかと思案中です。

2013年10月21日 04時46分48秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 2006年12月4日に新築の家に引っ越しました。あとひと月ちょっとで7周年になります。
 まずつくったのがコンパネ2枚分の広さの仕事場でした。雨露をしのぐために青いシートをかけています。ここで台所のカウンターをつくり、寝室に幅2メートル高さ50センチの勉強机をとりつけ(低いイスにすわるためです)、とりあえず「田舎暮らし」がはじまりました。
 そして12月下旬、いよいよウッドデッキの工事にとりかかりました。あのときの「この仕事はあの世に行ってからも思い出す、ぼくの大工仕事で生涯最大の仕事になるだろう」という思いはいまも変わりません。
 写真はデッキ工事にとりかかったところで、道子さんがデッキにつかうSPF材を広げてサンダーをかけています。大晦日のどんよりした日も暗くなるまで仕事をして、1月下旬にデッキは完成しました。
                  
 このウッドデッキができてお客さんを呼べるようになり、冬から春にかけて次々と来てもらい、泊ってもらったことを思い出します。そのデッキの床が一部腐食してきました。毎年キシラデコールを塗ろうとはじめの2年は塗ったのですが、あとは塗りませんでしたし。元々SPF材で雨に濡れるデッキをつくってはいけなかったのです。しかしあのときは費用の都合でそういうなりゆきになりました。
 ここ2年ほど「今年こそ塗ろう」と思いつつ過ぎてゆきました。
 そして今年。塗ろう塗ろうと思いながら日が過ぎてゆきます。そして「この先ずっとこんな思いをかかえて暮らすのだろうか」と考えてしまいます。腐らない人工木材もあるし、塗装しなくてもいい木材もある。それを上に置けば10年くらいメインテナンス・フリーになるでしょう。
 いま76歳であと10年すれば……。でもそれでこの世がおしまいになるわけじゃないし……。
 ネットで調べると、まーいろんな材料がありますね。
 もう少し思案します。
 
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稲刈りのときなのに雨が降ります。

2013年10月20日 02時31分29秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 10月も後半なのにまだ台風がやってきて、雨が降ります。稲刈りができず、農家はやきもきします。〈稲を刈る ⇒ 稲木に干す ⇒ 脱穀する〉なら雨が降ってもできますが、いまはコンバインとライス・センターで一気に脱穀してしまいますから。
 いまも稲刈りをして稲木に干している方をこの近くで2軒知っています。「そんなふうに収穫したお米でご飯を炊いたらおいしいでしょうね」ときいてみました。1軒の方は明快に「おいしいで!」といわれましたし、もう1軒、ぼくより田舎暮らし1年先輩の方は、「まあ、そうでしょうかねえ」といわれました。言外に「そりゃあ、おいしいわな!」が伝わってきました。
                  
 9月30日、散歩中我が家を遠景に入れて撮った写真です。色褪せた満珠沙華、刈り頃色をした稲の穂波。ほどなく稲が刈られ、やがて山が秋の色になります。
 若葉の頃もいいけれどやはり田舎は秋がいちばんいい。
 道子さんは、黒大豆の枝豆をかなりあちこちに送りました。
「おいしい!」を聞くたびに元気が出て背中を押してくれました。でも今頃になると、サヤには立派な黒豆が入っていますが、ムシもしっかり食っています。それを選別するのが大仕事なんです。
 黒大豆の枝豆は、ふつう葉を切り落として枝つきで売っています。でもうちの枝豆はそんなことはできません。ムシ食いだらけになってしまいます。枝からサヤをはずし、選んで送ります。
 小豆のほうも収穫がおわりました。道子さんはブルーの防風ネットをはずしました。アズキノメイガが、いまから卵を生み、幼虫がサヤに入るのは無理でしょう。サヤは枯れて固くなりかけています。わずか10本あまりでしたがほぼ全部のサヤを無傷で収穫できました。
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岩壷神社にお参りしました。

2013年10月18日 03時51分17秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 今週の土・日に秋祭りをひかえた『岩壷神社』に、宅急便を出しに行ったついでにお参りしました。
 大宮神社と岩壷神社の秋祭りが三木市の二大秋祭りですが、なぜか岩壷神社には縁がなくて、お参りしたことがなかったのです。今年はこの神社のお祭りを見ようと思いました。
 そういえば体育の日は『伽耶院』の「大護摩」があったはずですが今年はそのことを意識もしませんでした。数年前に一度「大護摩」を見たことがあります。300人近くの山伏姿の修験者がズラッと並び、法螺貝を吹き、護摩の火を焚き、迫力のある行事でした。
 せっかく歴史と伝統のある三木市に暮らすようになったのですから、もっと地域の行事を見ようと思います。一度見たら「あそこは見た見た」という気になってしまい、意識から消えてしまっていました。そんな人が多くなれば〈伝統〉なんてすぐに消えてしまいます。
                  
 この祠(ほこら)は佐の広池近くにあり、老人会の仲間に尋ねたら「雨の神様」かなにかを祀ってあるとききました。でもだれもお参りするのを見たことがありません。しかし草に埋もれているわけではなくて、だれか手入れしてお参りしているように思われます。ぼくらは「龍神さま」にお参りするときにときどき寄っていますが、できればもっと由来を知りたいと思いました。
 いまぼくらが意識して参加してるのは、毎月16日の『大将軍神社』へのお参り(奉納と書いて、干支・年齢・「家内安全」とだけ書く。12の倍数のお賽銭を入れる)と、7月14日・24日の裏山の「愛宕さん」・「祇園さん」へお参りです。80歳くらいまでは裏山に登れるでしょう。
 年末には注連飾りをつけに登り、新年には子や孫と登ってお参りしています。年中行事として自分の意識に位置づくと、ずっとつづけたくなります。
 
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黒大豆の枝豆が食べごろです。

2013年10月17日 04時55分33秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 散歩を再開したある日、去年舗装された農道を歩きながら、何気なく我が家を入れた写真を撮りました。右端の白い家が建築中の看護ステーションで、その横の平屋がうちです。山と呼べないほどの低い裏山があり、その左はずれにうちの(借りている)畑があります。
 この視野の広がりはわるくない。
 街に暮らす子や孫が、うちに来ると散歩したがる気持ちがなんとなくわかります。
 田舎に暮らすってこういうことなんだ。絶景を眺めるのでなく、平凡な木立ちや田んぼや丘や茂みや小径がただそこにあり、ことさら意識せずそんなものにかこまれて暮らす。
 黒大豆がぷっくりふくらんで、枝豆として食べごろです。
 道子さんは、渡す人渡す人にほめてもらう〈手前味噌〉と〈黒大豆の枝豆〉をせっせと送っています。なにしろ我が家の黒大豆の枝豆は格別ですからね。ある年篠山で親しかった方から『川北の枝豆』が送られてきました。その値打ちは、篠山に暮らしたことがあるのでわかっているつもりです。あそこは朝霧が毎日のようにただよう。それがいい。うちの枝豆と食べくらべてどうだったかって? さあ……。
 母・妙子さんは、100歳を越えてから寝ることが多くなりました。体調が悪いのでなく、本を読んだりテレビを見たりしているうちにうつらうつらするのです。でも快適な日和のときは、花バサミのカゴをかかえて裏山に出かけます。文を書かなくなった文学少女は、竹の小枝を切るのを仕事にしています。
                 
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秋の『野草酵素飲料』を仕込みました。

2013年10月15日 03時27分41秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 裏山の向こう、福地池のえん堤に、セイタカアワダチソウが咲いています。11月はじめが満開で、あざやかな黄色の帯になって秋を彩ります。その頃には山々のクヌギやコナラが色づきはじめ、田舎の秋のしっとりした情緒がこころをくるんでくれます。ことしはえん堤下の農道が舗装されて、足もとを気にせずに散歩できます。
 きのう道子さんは、秋の野草酵素飲料を仕込みました。野草や畑の野菜類を採集し、洗って干し、穀類豆類などは水にかしておき、裏山でとれた栗や果物に買った果物も加え、1キロずつ切って砂糖と交互に漬け込んでいきます。採集して3時間以内に作業を終えるのがいいとか。ハードな作業でした。
 ぼくは、きょう雨が降るらしいのでそれまでに完了しようと、イチゴの畝づくりをしました。雨が降っていないので、とても作業しやすい土になっています。今年のモミでつくった『燻炭』が豊地農協に出ました。そこで燻炭と有機の牡蛎殻石灰を入れて耕します。次に畝をつくり、「元肥」としてフジワラファームの鶏糞を入れてよく梳き込みます。耕運機を何度往復しても気持ちよく耕せます。
 写真のように畝の中央を深く割り、「割り肥」を入れました。
                  
 夕方には土をかぶせ、ジョレンで整え、畝が出来上がりました。このあと雨が降って土が湿ったらマルチをしておきます。来年もイチゴは3畝にするつもりです。防鳥ネットを張るので周囲を広くとり、11月中頃には苗を植え込みます。
 やっぱり、おじいちゃん・おばあちゃんは、子や孫のよろこぶ顔が見たい。ついつい頑張ってしまいました。
 
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モーツアルト・クラリネット協奏曲を聴きました。

2013年10月13日 04時32分45秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは『日本木管コンクール』の〈二次予選〉が東条町のコスミック・ホールであり、朝からかけつけました。このコンクールは今年24回目で『クラリネット部門』と『フルート部門』が隔年ごとに行われます。
 二次予選は、モーツアルトのクラリネット協奏曲(K.622)。121人の中で二次予選に選ばれた人は14人。30分近くかかるこの協奏曲をピアノ伴奏で演奏しますから夕方までかかります。
 ぼくは8人目までの演奏を聴きました。コンクールに参加した若い人たちが心をこめて演奏するのを、たっぷり聴いてしあわせでした。演奏の上手下手はわかりませんがとにかくこの曲が好きで、いくら聴いてもあきることがありません。再来年はまたここで二次予選があります。「また一日中モーツアルトを聴けたらいいな」と思いながら帰ってきました。
 それとあのコスミック・ホール。ゆとりのある空間。ゆたかな響き。なんともいい。あれくらいのホールで、聴く人を身近に感じながら演奏する。自分の音がきれいに響く。演奏する人もしあわせでしょうね。
 黒豆が枝豆として食べられるくらいになりました。うちの黒大豆の枝豆は絶品です。「いまかいまか」と待っている人があっちこっちにいます。きのう道子さんは畑から野菜をとってきて荷造り・発送しました。まだ発送はありますがぼちぼちと。
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山田錦・米粉の〝シフォンケーキ〝はしっとりした食感でした。

2013年10月11日 04時22分08秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうも朝散歩に出掛けました。「佐の広池の水面は、きょうはどうなっているだろう」と気になっていましたから。びっしり赤い藻みたいなものにおおわれていました。次の強風が吹くまで赤い水面のままでしょうか。
 帰り道、アスファルトの上で干からびている蛇を見かけました。車に潰されたのでしょう。近寄ってみるとヤマカカシです。ネットに「身近によくいる蛇」と書いてありましたがほんとです。福地池の向こうでも死んでたし。うちの畑にもやってくるし。
 ヤマカカシはきょうも畑に来てるかなあ。殺す気はないし本気で捕まえて川向いに移動させようとも思わないのですが、意識するだけでイヤな感じになります。ぼくはどうしてこんなに蛇が嫌いなんだろう。みなさんそうなのでしょうか。
 先日来訪された村の若い方のお店を、二人で訪ねました。「山田錦の米粉でつくったシフォンケーキ」がウリの加東市にある喫茶店です。シフォンケーキはしっとりした食感で、気持ちよく喉を通ります。手づくり感のある喫茶店で、テーブルやイスを自作されたときいてびっくり。〈シンフー / シフォンケーキの店〉でホームページがあり、シフォンケーキの魅力が紹介されています。
 午後、サツマイモや落花生を掘り上げました。ナルトキントキ・ベニアズマは後で植えた(6月後半)ほうが芋が大きくなっています。「どちらも同じ食感だから来年はベニアズマだけにしよう」と道子さんがいいます。芋の形が調理しやすいから。
 これで残っているサツマイモは、「ベニハルカ」と「シモン1号」だけになりました。11月になってから掘ります。落花生はきょう全部掘り上げます。 
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台風一過はいいけれど……。

2013年10月10日 02時35分44秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 これは10月8日の朝、散歩のときに撮った『大池』です。赤い藻でおおわれています。石を投げてみるとふつうに「ドボン」と水がはねますが、水面がまったく見えないので異様です。
 もう一枚の写真は、10月9日朝に撮りました。大池のそばの『佐の広池』です。ここも前日は赤い藻でびっしりおおわれていました。しかし台風一過。藻は吹き寄せられて水面が空を映しています。
                 
 道子さんはきのうも畑で「ヤマカカシを見た」といいます。「捕まえて川向こうの山に移動してもらおう」と昆虫網をとりに行ってる間にいなくなったそうです。
 農業用水を出そうとマンホール状のフタを開けたら、脱皮した蛇の皮が水栓にからんでいます。おそらくあのヤマカカシでしょう。どうもうちの畑を「居心地のいいオレの餌場」と思っているふしがあります。
 彼(彼女かもしれません)は私たちと目が合っても好戦的な態度はとりません。おとなしい、つつましやかな態度で、しずかに姿を消します。しかしなんといってもマムシより強力な毒蛇です。[wikipedia]には「その毒はハブの10倍、マムシの3倍」と書いてあります。(マムシのようなクサリヘビ科と毒の種類がちがいます)別の項目で見たら、「マムシに噛まれた人は1000人に1人死ぬがヤマカカシに噛まれた人は10人に1人死ぬ」とお医者さんが言ったそうです。素人相手のホラ吹き医者かもしれませんが、ふつうのお医者さんでは対応できないようです。
 マムシに噛まれる人は毎年3000人いるそうですが、ヤマカカシに噛まれる人はどれくらいでしょう。どっちにしても早く冬眠してほしい。
 ※ ヤマカカシ(死んだ)の写真はおととい撮りましたがアップはやめておきます。
 ああ、悩ましいなあ。なお蛇が「かむ」場合は「噛む」という漢字です。間違ってました。
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〈豆類〉を台風に備えて手入れしました。

2013年10月09日 03時57分17秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 毎日のようにブログを書いていると、「きょうは何を題材にしようか」と考えます。写真をいつでも撮れるように、デジカメをポケットに入れておきます。
 きょうはどうだったかというと、まず朝5時30分にカーテンを開けてみました。日の出前の東の空に雲がたなびき、もうすぐきれいな〈朝焼け〉が見られそうです。カメラを用意して日の出を待ちました。彼岸を過ぎましたから、少し山の高くなる南よりのところから日が昇ります。
 で、日の出直前の〈朝焼け〉を撮りましたが、先日の写真のようにはいきませんでした。平凡な朝焼け。
 畑では、台風に備えて〈豆類〉を保護しました。大豆・黒大豆は、倒れないように張っている〈マイカ線〉を締めなおしました。グラつく杭は打ち込みました。
 軽トラで道具を取りに帰っていたら、農道に蛇が死んでいます。近寄ってみたらヤマカカシでした。うちの畑でよく見るヤマカカシではありませんが(福地池の向こうで離れているから)、軽トラに轢かれたのでしょう。ネットの写真と照合して確かめようとデジカメでパチリ。よく撮れてますがアップしないでおきます。
「やっぱり朝の散歩をしよう」ときのうから歩きはじめました。まず「佐の広池」周回コースの偵察です。池の水面がびっしり赤い藻のようなものにおおわれて異様な感じです。パチリ。
 土手には秋の草花が咲いています。秋の七草の一つ・「吾亦紅」(ワレモコウ)が咲いているのを見つけて、道子さんがススキ・ハギ・オミナエシなどを手折り、花束にしています。
 セイタカアワダチソウの黄色い花が咲きはじめました。11月はじめには福地池や蛇が池の土手が黄色の帯に見えるほどびっしり満開になります。いろいろ誤解されているようですが、この花は長く秋を彩(いろど)ってくれます。
 吾亦紅は地味で写真になりにくいし、「アレチヌスビトハギ」でも撮るかとカメラを向けました。気づいたらズボンにいっぱいくっついています。クッツキムシをとるのに気をとられて写真はなし。
 で、何の写真をアップするかというと、「小豆のサヤ」です。
                 
 小豆10本は防風ネットのトンネルで育っています。サヤが枯れてきました。例年ならこのサヤ一つずつにアズキノメイガの幼虫が食い込み、やわらかくておいしい小豆を食い荒らしているのですが、ことしは1匹も入っていません。
 というわけで、きのうの写真は、小豆のサヤになりました。
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北播磨総合医療センターは人がいっぱいでした。

2013年10月08日 03時40分42秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 まえの三木市民病院で予約してあったので、きのうは『北播磨総合医療センター』で受診しました。
 10月1日にオープンしたばかりのピカピカの病院です。診察を受ける人は通信機を渡され、その指示で動きます。職員の方は入口から、診察券のチェック、通信機の手渡し、検査の申し込み機械の前、診察、会計、自動支払い機のそばなど、いたるところにおられて、ウロウロするとすぐに声を掛けてくださいます。ちょっと便所に行こうとキョロキョロしても声を掛けられました。
 あちこちの市民病院が閉鎖に追い込まれる時代なのに、最新のシステムを備えた、県下では神戸の市民病院に次ぐ規模の公立病院だそうです。会計で少し待たされましたが、通信機を機械にいれると自動支払機が作動し、1000円札でおつりがありました。ありがたいことです。
 午後はまず豊地農協に『燻炭』をもらいに行き、軽トラに積んでかえりました。早場米のモミでつくった燻炭が入荷しています。うちの畑は、この5年間〈燻炭〉と〈コープ瑞穂農園の堆肥〉をしっかり入れて、「田んぼの土」をいい「畑の土」にしてきました。
 次にショート・ステイしていた母をむかえに行きました。知らない人に車に乗せられると不安がるので、ぼくが送り迎えします。
 そのあと畑に出て水やり。種を播いたところやキュウリ・ナスビなど、やりはじめるとキリがありません。落花生が掘れるようになったので、道子さんが洗って塩茹でし、村の方に「落花生の枝豆」を試食してもらいました。
 こうして書いてみると、年寄りになったとはいえ、結構動きまわるものです。
 
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『手のひらを太陽に』はいい歌ですけれども……。

2013年10月07日 04時04分38秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 いまもよく歌われる『手のひらを太陽に』は元気のいい、気持ちを明るくさせる歌です。この歌に出てくる動物は次のようになってます。

 1ばん  …… ミミズ / オケラ / アメンボ
 2ばん  …… トンボ / カエル / ミツバチ
 3ばん  …… スズメ / イナゴ / カゲロウ

 みんな大きな声で元気よく、心から歌います。でもぼくは思うことがあるんです。
 もし、あの歌で、動物の出てくるところが、「ミミズだーってオケラだーってアメンボだーって」でなく、「ムカデだーってマムシだーってナメクジだーって」という歌詞だったら、ちょっと声に翳り(かげり)が出るんじゃないか。
 で、ネットで調べたら、アンパンマンをつくった〈やなせたかし〉さんが最初に書いた歌詞は、なんと「アメンボ」のところが「ナメクジ」だったんですって。まわりの人にやいやい言われて変えたのでしょうが、やなせさんはえらいですね。動物を差別しない。
 で、ぼくは、どうかというと、ナメクジは苦手です。
 きのうの朝畑の入口のアスファルト道路に、大きなナメクジがいました。ヤマナメクジです。踏み潰されたようになっています。山から畑に出ているのでしょうか。
 畑で作業していたら、そこにもヤマナメクジがいます。野菜づくり勉強に来てる赤松さんに見せたら「デカイ!!」と驚いてました。シイタケのところにヤマナメクジが出たことはありますが、こんな大きなヤマナメクジを見るのははじめてです。写真を撮りました。レーキの柄と比べると太さがわかるでしょ。
                
 
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