古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

十字架を背負って生きるしかない人。

2013年08月31日 00時46分19秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 このところブログがトビトビになっていました。
 何十年も前に、作家の山中恒さんが朝日新聞に寄稿された文を思い出して、気が重かったのです。
 彼の文を見たのは、「イジメ」が社会問題化して、いろんな人が寄稿していたときでした。イジメはいまも社会問題化していますが、あのときも少年の自殺にはじまり、いろんな有識者があれこれ発言しました。
 山中氏の原稿が見つかればいいのですが、ずいぶん昔のことで探す手がかりがありません。ぼくの覚えているポイントをいくつか書き出してみます。

○ イジメが問題になっているが自分にも「イジメられた体験/イジメた体験」がある。
○ それは戦時中、集団疎開していたところで起こった。(山中氏は1931年=昭和6年生まれで国民学校=小学校のとき集団疎開をしていた。)ある子が子分をつくり、威張ってまわりの者をいじめた。自分もその的になったことがある。疎開のときのイジメは、みんな食糧不足で空腹のときに、食べ物を奪うというかたちで起きた。いわば生存に直結するイジメであった。
○ 敗戦後みんな大人になってから、疎開児童の同窓会がひらかれた。そのとき山中氏は、イジメた子に「イジメたことを謝れ」と詰め寄った。大人になったその子は「そうか。ぼくが迷惑をかけたのだったら、謝る」と言った。その言い方に山中氏はカチンときた。「……のだったら……」とはどういうことか。
○ だが大人になったその子が、それ以上謝ることはなかった。
○ ぼくはまた、ぼくがイジメた子に対しては「すまなかった」と謝った。心から謝った。だがその子は冷たかった。もしも「そうか。きみが謝ってくれたらもういいよ。水に流そう」と言ってくれたとしても、イジメたことは消えない。
○ ぼくはその十字架を一生背負って生きるしかない。

 「十字架を背負って一生生きるしかない」その言葉がぼくのなかでひろがっていきます。
 兵庫県の但東町の人たちは、昭和19年に開拓団として旧・満州に集団で渡りました。翌昭和20年8月、ソ連が攻め入り、中国の人たちが暴動を起こし、但東町の開拓団の人たちは絶望して集団自決しました。家族が手足を縛り合い、呼蘭河に身を投げたのです。400人が死にました。
 当時小学校5年生だったその人は、家族と結んだ紐が解けてしまい、死ぬことができませんでした。
 彼にはなにも謝ることはありません。しかし家族が、開拓団の人たちが、次々と身を投げた場面は消えません。引き揚げまでの日本人収容所の惨状は消えません。
 悪夢のような十字架。加害者であろうと被害者であろうと、責任があろうとなかろうと、十字架に関わった者・見た者は、十字架を背負って生きるしかない。そしてだれを責めようと、だれのせいにしようと、十字架は消えない。
 まとまりませんが、あの戦争の惨状はいまも、そしてこれから死ぬまで、生き延びた人たちにのしかかっているのです。 



 

 
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サイディングで『灰入れ』をつくりました。

2013年08月28日 03時56分21秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 ゴマの根とか刈った草を燃やして草木灰をつくっていますが、灰の容器がボロボロでした。いままでの容器というのはトタン板の衣類収納箱だったのです。この5年余りでそれを5つ、使いつぶしました。熱い灰を入れるのでトタン板の腐食が速いのです。
 お向かいの建築現場の廃棄物箱からサイディング板の切れ端を拾ってきて、写真のような『灰入れ』をつくりました。板は金具でつなぎ、フタはトタンの波板にしました。それを畑の焼却炉横に設置したところです。
                    
 トタンの衣類収納箱より長く使えたらうれしいですが、どうかな。
 もう一つ。緑のトンネルの中に、やはりサイディングの板を使って小さいテーブルを設置しました。杭を2本打ち込み、サイディングの板を止めたものです。
                    
 このトンネルが思ったより涼しいスポットで、居心地よくしたかったのです。熱中症にならないように、野草酵素飲料を飲みながら、休みます。これから秋・冬は「緑のトンネル」というわけにはいかないけど、やはりトンネルをつくってブルーシートを張り、休憩所にします。
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サツマイモの『ツル返し』をしました。

2013年08月27日 05時25分12秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 去年の今頃は、サツマイモ畑をイノシシやアライグマに荒らされて、がっかりしながら動物ネットを補強していました。ツルは物凄い勢いで山のように盛り上がるけれど、上から動物ネットで押さえつけて、動物に掘られないよう厳重に保護しました。「ツル返し」(ツル上げ)どころではありませんでした。
 今年は草抜きをこまめにして、すでに何度もツル返しをして、サツマイモは順調に育っています。きのうは雨のあとの畑に入って、また「ツル返し」をしました。いま芋が太る時期ですが、写真のようにツルから盛んに根が出ています。芋掘りをする9月中旬頃までにあと2回「ツル返し」をしようと思っています。
 まえにも書きましたが、こんなにのびのびした心で、堂々とツル返しができるのは、電気柵のお陰です。毎年動物に悩まされてきましたが、あの苦労がウソのようです。(夜盗虫・アワノメイガ・アズキノメイガ・カナブン・カメムシなど、いろんなムシにやられる悩みは続いていますが)。
 
 
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久しぶりの雨に山の木々がよろこんでいます。

2013年08月25日 04時01分25秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 久しぶりに雨が降りました。
 雨の降らない間、畑の作物や庭の花々には水をやっていました。しかし気になっていましたが、山の木々に手がまわりませんでした。
 窓から裏山を見ていると、木々が雨をよろこんでいる声が聞えるようです。
 龍神さま、ありがとうございます。近くお礼参りにうかがいます。
 さてお向かいの『訪問看護ステーション』外装がほぼ完成しました。建物の前には「廃材入れ」の鉄の箱が置いてあります。そこに角材の切れ端、外装のサイディングの切れ端、内装の石膏ボードの切れ端などが投入されています。ぼくは大工さんたちが帰ったあと、鉄の箱を覗いて、何かに使えそうな角材とかサイディングの板を取り込んでいます。
 資材の切れ端を取り込んだら、何かを作りたくなります。で、つくった一つが「携帯コンロの風防枠」です。いままでコンパネでつくっていましたが、サイディングの板(外装用の防火の板)でつくりました。ウッドデッキの手すりに置いて、夕日のあたる景色を眺めながら焼きナスをします。
                  
 ぼくは、こんな「やっつけ仕事」がとても好きです。思いつくままエエカゲンに切ったりとめたりして、どうでもいいようなモノをつくる。つくりながら思いました。
「人間って、一番どうでもええようなことを、一番にしたがる動物だな」
 道子さんが畑のあちこちに捕虫用トラップを10個ぶら下げていることは先日紹介しました。そのトラップにスズメバチがいっぱい入って、スズメバチの瓶詰めができそうです。このトラップはスズメバチを捕る仕掛けではありません。ねらいは、アワノメイガ・アズキノメイガ・夜盗蛾です。この蛾たちが作物に卵を生みつけ、その幼虫が作物を食い荒らします。
 トラップには蛾もかかりますが、一番かかるのはスズメバチです。畑にこんなにスズメバチが来ているとは知りませんでした。でもスズメバチには、トラップにかからないで、虫をたくさんつかまえてほしいのです。
 スズメバチさん、気をつけてネ。
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『ハメ』に用心しようっと。

2013年08月23日 01時45分38秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 胡麻の刈取りを完了しました。写真は、小屋に半分ほど〈逆さ吊り〉したところです。乾燥して下のシートにパラパラ落ちています。胡麻をつくっている人を取材した映像を、以前テレビで見ました。西脇の人で、やはりこうして逆さ吊りしていました。軽く「コン!」と叩くと「ザーッ!」と胡麻が落ちてくる。
 うちがお勧めしてゴマをつくられるおうちが3軒あります。他にゴマをつくっておられるおじいさんが、となりの村にあります。この方はほんの数本ですが。
 ネットをのぞいたら「日本の胡麻は絶滅危惧種」と陰口をたたかれていました。しかし少しでもつくる人があると、なんだかうれしくなります。
 日本の胡麻よ、がんばれ! ウルグアイに負けるな!
「あれっ? どうだったかな」といまネットで見たら、胡麻の生産国は、1位ミャンマー/2位インド/3位中国/以下アフリカの国々・南米の国々でした。でも中国の胡麻は国内で消費するにも足りないほどだそうです。わずかな菜園でも自家消費分がつくれるし、なにより使うときに「炒ってスリバチで摺ってふりかける」と香りや味がちがいます。みんなが家庭菜園でつくるといいですね。
 そうそう、きょうは『ハメ』のことを書くつもりでした。
 きのうは口吉川町の老人クラブが100人超集まって、「囲碁ボール」という競技の大会をしました。そのとき耳にしたのですが、この夏は「ハメ」(マムシ)に咬まれた人が3人もいたそうです。
 近隣の山をいっしょに歩いた向いの村の方も咬まれました。去年は散歩でよく出会ううちの村の方が咬まれたし、うちの近くに畑をつくってる人には「ハメ捕まえたぜ。もう1匹おるで気いつけなはれ」と言われるし。
 数年前になりますが、道子さんは裏山でマムシと対面しました。というか〈にらみ合い〉をしました。畑ではぼくが、去年草むらを刈って知らずにマムシも刈ってしまいました。ちょこちょこいるのです。
 マムシはこれからが危ない時期です。
 精出して草むらを刈り、用心して行動します。
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2009年にブログ発信を開始しました。

2013年08月22日 02時42分34秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 2009年3月に発信しはじめた『古希からの田舎暮らし』が、きょう8月22日のこの「ブログ」で997回になります。「古希からの」と題しましたが「古希」はとうに過ぎてしまいました。10月になれば満76歳。もう「古希」でなく「喜寿」を祝う年です。
 よくも1000回近くまで発信しつづけたものです。ことさら何かが発展したり、サクセス・ストーリーのように成長するでなく、高齢者の、心身のだんだんとおとろえゆく様子をお伝えするのがメイン・テーマでしたが。 
 でも一つだけ言えます。
 街に暮らしてたら、個人的な身辺雑記をお伝えするにしても、こんなに続かなかったでしょう。街の暮らしだって日々の生活の変化はあり、書くことはいろいろあったでしょう。でも個人的なことばかりで普遍性がない。心の原風景のような広がりがない。
 田舎に移住して、まわりの人や景色に新鮮な目を向けることができたから、それを発信することができました。広い畑を耕作し、裏山の竹薮を切り拓き、村の老人会仲間と付き合いを深め、三木という新しい土地になじもうとする力が、自分の感覚や感性を磨いてくれました。
 定年退職して、次第にしょぼくれてゆくはずの日々が、「田舎暮らし」を志向したことによって、みずみずしく広がり、ブログ発信することができました。
 いまではこの発信が、自分の生きる証しみたいになっています。
 いままでブログを訪問していただき、ありがとうございました。
 これからもお付き合いを、よろしくお願いいたします。
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電気柵の下に〈除草シート〉を敷きました。

2013年08月21日 04時48分35秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 75センチ幅の〈除草シート〉を、電気柵の下に敷きました。いままで、草が伸びてすぐに電線にふれるので、一日おきに見まわって草刈り機で刈っていました。これでしばらく大丈夫です。
 でも「除草シート張り」はしんどい作業でした。

○ シートを敷く部分の草を刈る。(前日に) ⇒ 3本の電線をはずしてポールを抜く。(打ち込んで一年になるポールで、ゆるんで抜きやすかった) ⇒ シートを張る。(写真の作業) ⇒ マルチ止めのピンでとめる。 ⇒ 4メートルおきにポールを打ち込む。 ⇒ 電線止めガイシをつけて幅を調整する。 ⇒ 電線を張る/通電をチェックする。

 動物には「通電しない晩」をつくってはいけません。なんとか暗くなるまでに作業を完了しました。なぜかというと、動物は、まず鼻で目の前の障害物(電線)をたしかめます。そのとき「ビリッ!!」っとくるとびっくりして飛びのきます。次回から近寄りません。ところがある晩やってきた動物が、ビリッとしないでもぐることができたら、次回から鼻でたしかめず背中でグイッ! と電線を持上げて畑に入ります。毛のはえた背中ではビリッ! が弱いのです。
 これで畑の4辺中3辺に除草シートを敷きました。残りは近日中に敷きます。
                 
 道子さんは、ヨトウガ/アズキノメイガ/アワノメイガを捕獲しようと畑のあちこちに『ムシトリ』を仕掛けました。ペットボトルをつかい、『ストチュー』(酢・糖蜜・焼酎)を入れて畑のあちこちにぶら下げます。それの放つにおいにつられて、スズメバチがつかまった写真です。
 スズメバチは実は有力な畑のムシ・キャッチャーです。ムシを捕らえ、肉団子にして巣に持ち帰り、幼虫に食べさせます。自分は肉団子を食べられません。流動物しか入らない体の構造になっています。肉団子をもらった幼虫が出す流動物を、成虫は食べて生きています。だからせっせとムシを捕る。
『ムシトリ』はスズメバチを捕らえるために仕掛けたのではありません。道子さんは「もっと夜盗蛾が入ったらいいのに」と思っています。そこで彼女は夜盗蛾が黄色の花に寄る習性を利用して、におい付きの黄色の粘着リボンをぶら下げます。
 することがいっぱいです。古希を過ぎた夫婦が、元気に畑で働けるのを感謝して暮らしています。
 
 
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映画『少年H』 を、私は見ません。

2013年08月19日 02時51分45秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 ゴミ捨てのついでにドライブがてら軽トラで走り、久しぶりに保木(口吉川町の集落の一つ)の神社にお参りしました。ここの〈楠〉はぼくの好きな樹です。枝が広がり、見ていると気持ちがひろがります。
 さて、いま水谷豊などが出る映画『少年H』が公開されています。
 妹尾河童のベストセラー小説『少年H』を映画化したものです。ぼくは戦時中のドラマは気になって見るほうですが、この映画は、テレビで放映されるようになっても見ないことにします。
 元の小説が駄目だから、底流に流れるエエカゲンさがイヤだから、見ません。
「へそ曲がり」と思われてもかまいませんが、できればその気持ちをわかっていただきたくて、書きます。お読みいただければうれしいです。
 山中恒(ひさし)という児童文学者が、『間違いだらけの〈少年H〉』という労作を書いて、ベストセラー小説を批判しています。山中の批判は正確に的を射て、あの小説の弱さを暴いています。彼は、嫌がらせでなく、自分という存在を成り立たせるために、どうしても必要な仕事をしたのです。
 何よりイヤなのは、小説『少年H』は、反戦の小説になっていますが、あれは「あとになってから大人の分別で書いた」反戦小説だからです。
 ぼくは昭和12年生まれです。大日本帝国が戦争を仕掛け、真珠湾攻撃をした昭和16年12月はまだ4歳でした。世の中がどうなっているかなにもわからないときでした。でももし12歳の少年だったとしたら、あの臨時ニュースに「血沸き肉躍る」子どもだったでしょう。日本中の子ども達がワクワクし、「オレも大きくなったら兵隊さんになって戦争に行く」と思ったでしょう。
 定年退職後「満蒙開拓青少年義勇軍」の人たちに聞き取り取材を数年間したことがあります。
 彼らは尋常小学校の先生たちに背中を押されて14歳で義勇軍に志願しました。85000人の少年が、銃のかわりにクワの柄(ただの木の棒)をかついで満州に渡りました。25000人は生きて日本に還れませんでした。
 またある人に聞き取りをしたとき、彼は1945年(昭和20年 …… 8月に敗戦の年)4月、15歳で海軍予科練に志願して入隊しました。敗戦前でもう訓練なんてまともにできず、殴られる日々でした。その彼が話したのを覚えています。

 小学校の学級には男子が30人いて、29人が兵隊になることを考えていた。1人だけ兵隊にならないと決めてた子は、双子だった。「1人が兵隊になり、他の1人が家業の大工を継いで親をみる」と2人で相談していた。

 作家・城山三郎はやはり予科練に志願し、殴られる日々を過ごし、敗戦後価値観がひっくり返り「私は廃墟になって生きた」と書いています。(『そうか。きみはもういないのか』)
 敗戦のとき15歳で、昭和史の著作が多い半藤一利は「敗戦後の大人たちの変り身のはやさにキモを潰しました」と書いています。
「あの戦争は負けると思った。だいたい○○がおかしかった。○○がヘンだった」と大人はあとで言います。でも少年にとっては、自分の信じている宇宙がひっくり返ってしまうことです。
 陸軍幼年学校で敗戦を迎えた作家・加賀乙彦に『終らざる夏』という自伝的小説があります。彼は幼年学校の生徒として敗戦を認めまいとして奔走し、最後は自決する結末になっています。彼は作品の中で一度自分を死なせなければ、立ち直って生きていけませんでした。
 4月に亡くなった先輩は、12歳の愛国少年でした。彼は敗戦後「オレは、まわりの大人の言うこと・することを、黙ってじーっと見て過ごした。一年かかってやっと、〈世の中ちゅうのはこんなもんなんやナー〉と思えるようになった」とぼくにしみじみ話したことがあります。
「あの熱狂」を、自分だけわかったような顔して、あとになってから分別臭くあれこれ言われたくない。
 モノのわかったような顔でコメントする。〈一億総懺悔〉で責任をあいまいにして、きちんと反省しないでごまかした。軍隊内の初年兵いじめだって、作戦ミスだって、下への責任の押し付けだって、いろんなずるさをそのままにして戦争が終ったことにした。敗戦時の隠匿物資だって、例えば旧満州の731部隊の犯罪だって。ドイツのナチス告発とそこが違うにです。あの『白ばらの祈り』という映画が2005年になってつくられた国。若者にいまも人気のあるゾフィー・ショルという少女(映画の主人公)。
 なんか違うんだなあ。責任追及や反省があいまいだから、日本はまた戦前の軍隊のようなものが生き返る。「戦争反対」が上滑りになってしまう。軍隊の無責任がいま官僚機構にそのまま生きてます。
 まとまりませんが、75歳のぼくは、あの映画の姿勢が受け入れられないのです。
 

 
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夏になってはじめての畝間潅水をしました。

2013年08月18日 01時35分37秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 農業用水はふだん家庭用の16ミリ・ホースをつないで水やりをしていますが、きのうは45ミリのホースにつなぎ替えて畝間潅水をしました。黒豆の畝の向こうをせき止め、ホースを畝間に入れて水を流しています。10メートルの畝ですから2~3分で5センチ超の水がたまります。するとホースを次の畝に移動してまた潅水。1時間余りで11畝の黒豆・大豆、それに落花生・サツマイモなどの畝に水を流しました。
 でも黒豆の長い畝が残りました。きょうの朝潅水します。いま大豆・黒豆は花が咲いていますが、これで一週間は大丈夫でしょう。写真のように水がたまっても、20分もすれば光るところがなくなるほど水を吸ってしまいます。
                 
『マッサージ・クッション』を買いました。
 温泉に行ったときよく100円玉を入れて「マッサージ・チェア」にすわります。この頃は脚のマッサージもついて、それなりにいい気持ちです。BSテレビでよくこのチェアを宣伝しているもので「うちにもあってもいいかな」という気になりかけていました。そんなときナフコで写真の「マッサージ・クッション」を見て、買いました。つかってみるとなかなかいい。電池式でどこにでも当てられるし、自分の体の押し付け方で強さを調整できるし。10万円もするマッサージ・チェアを買わなくてよかった。
 日々愛用しています。
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暑い! 暑い! 暑い!

2013年08月17日 02時41分20秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 夏は暑いものです。それにしても暑いですね。お元気にすごしておられますか。
 とりたてて我が家の『消夏法』はありませんが、なんとか元気にすごしております。
① 一部屋のエアコンを28度に設定して「つけっぱなし」にしておく。
「庭」とか「裏山」とか「畑」とか外で仕事をすることが多いので、こまめに休憩をとる。ちょこっと一仕事終ってシャワーを浴びるとその部屋に入って涼む。昼食はその部屋で裏山に植えた木々を見ながらとる。その部屋で昼寝をしたり、読書をする。
② 冷たい特製ジュースを飲む。
 今年はマクワウリ・プリンスメロンが大量に採れました。数人には野菜便で送り、お向かいで仕事中の大工さんとかお隣さん、訪ねてきた人、畑で声を掛けた人など10人ほどにはマクワウリをもらってもらい、我が家でも「剥いて細かく切る ⇒ 冷凍 ⇒ ミキサーでジュースにする」と特製ジュースをつくります。これが実にうまい。やみつきになりました。
③ なお100歳になった母・妙子さんは自分で健康には気をつけています。こちらに移り住んで7年目。いままでは夏の日中でも花バサミの入ったカゴを抱えて裏山に出掛けていましたが、今年は8月に入ると出掛けなくなりました。弱ったのでなく暑さがきついから自制して。100歳まで生きた経験上、「この暑さは尋常でない」と感じているようです。エアコン嫌いでしたが、今年は日中はエアコンをずっとつけています。

 藤澤周平の『秘太刀馬の骨』は何十年も前に読んだのですが、ふと読み返したらおもしろく、仕事の合間に2日で読みました。ぼくにしては速く読んだものです。
 でも謎めいた部分が全部つかめなかった。頭が、思考が、単純になったからかな。
 そういえば昔、『ナバロンの要塞』というものすごくおもしろい映画がありました。いま見てもおもしろい。それに味をしめた映画会社が続編『ナバロンの嵐』という映画をつくりました。これは陰謀や裏切りがからみ合って、わけがわからなくなり、きわめて不評でした。いま見る人はいないでしょう。

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あれこれすることがいっぱいあって、たのしくこなしたいのですが……。

2013年08月16日 02時27分15秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 先日孫や娘たちと蓮花寺に散歩に行ったときに撮りました。若葉色をしているのはもみじの木々です。木漏れ日に紅葉が浮き立つ頃は、また見事でしょう。
 田舎に移り住んだ7年前は、なんでもない田舎の風景の中を、ただ歩くだけでうれしくなりました。「暑くても散歩したい」と娘たちがいうのを聞いて、「畑仕事に追われて田舎の風景を享受するよろこびを忘れそうになってたな」と思いました。
 もうすぐ稲穂が黄金色になり、やがて山々が紅葉する季節になります。その前、お彼岸の頃にはうちの畑のぐるりに植えた満珠沙華も咲くでしょう。やっぱり散歩しようかな。
 さて、わからないことがあればネットで調べるのですが、千成り瓢箪ができたので『七味』の容器でもつくるか、と「瓢箪の作り方」を検索しました。収穫はまだ早い。枯れてから穴をあけ、水につけて中の種をとり、外を磨き、ニスなどを塗り、といろいろ手順があるようです。
 クララは背の高さくらいになり、豆のサヤができています。ところがきのう、クララの葉が食べられ、マユのように糸みたいなものでおおわれているのに気づきました。1センチ余りの黄色に黒の斑点がいっぱいついた幼虫が、マユの中にフンをして、葉を食べつくしています。
「苦くて頭がクラクラする」から『クララ』と名付けたというのに、その葉を平気で食べるムシがいるのか。クララはオオルリシジミ(絶滅危惧種の蝶の名前)の食草ですが、他のどんなムシが葉をたべるのでしょう。
 ネットで調べましたがよくわかりませんでした。
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真夏の散歩は早朝がいいのですが……。

2013年08月15日 03時44分19秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
『真夏の散歩は早朝がいい』という題にしましたが、まだそんな早朝散歩をしていません。
 朝食後、孫と娘たちが「散歩しようよ」と言い出しました。日はすでに高く、9時になるというのに。せっかくの夏休み、田舎の空気を吸ってみたいのしょう。
「汗をかかないでのんびり歩けるところは……」と思案して、蓮花寺参道の散歩を思いつきました。蓮花寺までは車で行き、公民館前に車を止めて高い木木の下を歩くのです。本堂まで往復すると、ちょっとした散歩になります。
                 
 木漏れ日のあたる散歩道です。空気はまだ涼しく、ゆっくり歩けば汗も出ません。
 それに竹薮がないから「気」がいい。でも「蚊」はしっかりいました。
 お盆の帰省で数日いた子どもらは帰りました。
 で、ぼくらは昼寝をしてから、畑仕事に出ました。母はショートステイ中だし、暗くなるまで働いてもいいのですが、なんだかしんどい。熱中症で亡くなる人をニュースが伝えています。無理をしないで早めに帰ってきました。
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熊谷達也『調律師』を読みました。

2013年08月14日 01時43分34秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                    
 お向かいの訪問看護ステーションがかなり出来てきました。木材・サイディングの切れ端を捨てる鉄の箱が置いてあります。ぼくは大工さんや建築主にことわって、毎朝鉄の箱を物色し、さしあたって使う当てのない材料でも、小屋や軒下に取り込んでいます。山の小道に雑草防止のために敷くとか、土止めに敷くとか、また別の使い道も考えます。
 写真手前は我が家のウッドデッキです。夏休みで孫たちが来てるのですが、今夜も花火をするのでおじいさんがベニヤ板を2枚敷いてセッティングしました。去年から、花火は玄関先に出ずに、ウッドデッキですることにしました。見物の大人はデッキチェアにすわれるし、蚊取り線香もあちこちに置けるし。

 東条の図書館で借りた『調律師』という小説を読みました。読むのが遅くなったぼくでも一気に読んだので、おもしろかったということです。いまは森浩美という「売れっ子作詞家」の小説『家族の言い訳』を読んでいますが、やっぱり「本当の」小説家と「文」がちがう。そして「つくり」がちがい、「強度」がちがいます。
 前にもこんな体験をしました。
 2013年3月20日のブログに、作品の一部を引用した小説家・森山啓の『谷間の女たち』です。彼の「小説」の「強度」に圧倒されながら読みました。
 ちょうどその本を読んでいたとき、テレビドラマ化・映画化された『東京タワー ~オカンとぼくと、時々オトン』という小説も読みかけていました。この本はつい最近のむかし、200万部を越すベストセラーでした。でも、あまりの「文」・「小説的強度」の違いに読むのをやめました。
 熊谷達也という小説家を知りませんでしたが、直木賞作家の彼には「マタギ」をテーマにした『邂逅の森』という作品があるらしく、読みたくなりました。
 マタギといえば小説家・志茂田景樹に『黄色い牙』という優れた小説があります。彼は髪の毛をヘンな色に染めてテレビに出てたりしましたが、『黄色い牙』は小説的強度のがっしりしたマタギ世界を描いた作品です。
『邂逅の森』を読むのが、たのしみです。 

 
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きのうは夕立がありませんでした。

2013年08月13日 03時42分29秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 ことしは胡麻の生長が早いようです。写真はうちの畑のキンゴマ2条植えの2畝。道子さんは毎朝この2畝4列を両側から見てまわります。見てまわるといっても150センチ以上の高さになっていますし、上から下までサヤがついていますから、立ち止まって1本ごとに首を上下して点検。クロメンガタスズメの幼虫がいたら葉っぱごとちぎり、四角のタライに入れて水葬。ミドリカメムシがいたら(ほとんどツガイになってます)潰す。下の不要な葉っぱはハサミで切って落とす。1時間以上かかります。
 例年収穫は9月はじめですが、今年は下のほうのサヤが枯れてもうすぐはじけます。(胡麻が落ちてしまう)ですからぼちぼち切って収穫します。(逆さに吊るして干す。ゴマは下のシートに落ちる)大変な手間をかけて、日本では絶滅危惧種ともささやかれる胡麻をつくっているわけです。ぼくは、種播きから収穫まで、ゴマに関してはなんにもしません。ときどきあの幼虫を火葬にしてるだけ。
 ところでみなさん、胡麻の木のほうはこうして真っ直ぐ150センチ伸びるのですが、「根」はどうなってるかご存知ですか。
 ゴマの根は、細い根がいっぱいからまって、カボチャくらいの大きな塊になっています。だから胡麻を切って収穫したあと、根を掘り起こすのは一仕事です。抜いた根はいっぱい土を抱えていますから、根を干し、コンクリートブロックに叩きつけて土を落としてから燃やします。(ぼくの仕事)
 一粒の小さい胡麻が、150センチに伸び、A5版ほどの大きな葉をつけ、びっしり細い根を張る。
 余談ですが、クロメンガタスズメのサナギが、根といっしょに出てきます。黒っぽい赤色で親指ほどの大きさです。それを掌で握ると「ビビビッ!」と痙攣が伝わり、ゾクッとします。幼虫は存在感がありますが、サナギだってなかなかのものです。
 きのうは夕立がありませんでしたが、このところ毎日夕立があり、水やり不要で助かります。でも畝間が乾かず、土が長靴にごってりつきます。
 きのう神戸の長田の人と話したら、「神戸は夕立がなくてカラカラ!」ですってね。知りませんでした。
 大豆・黒豆の花が咲き、水やりの必要なときにばっちり雨が降る。
 龍神さま、ありがとうございます。お疲れでしょう。しばらくおやすみください。
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『生ゴミの土』からスイカ・冬瓜が勢いよく育ちました。

2013年08月12日 04時46分29秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 今年の冬は生ゴミ投入箱を空にしました。2008年からの5年間、家の生ゴミを、毎日のように新聞に包んで捨ててきましたが、さすがの大きな箱もいっぱいになったのです。生ゴミは土になっていました。
 土は山積みしていたのですが、生ゴミの中の種が芽を出し、何の肥料も与えないのに物凄い勢いで生長してきました。特に勢いのよかったのは、スイカ・冬瓜・キクイモ・コイモなどです。緑が盛り上がって小山のようになっています。
                
 写真中央に、冬瓜がキクイモの茎にぶら下がっているのが見えます。ここは去年、草刈機で草を刈ってたときに、知らずにマムシを切ってしまったところです。緑の小山は蛇などの絶好の隠れ家になります。9月までに刈ってしまったほうがいい。
 で、刈って、片づけたら、冬瓜やスイカがゴロゴロ出てきました。
                
 スイカはまだ未熟でした。冬瓜は食べられます。街から菜園勉強に来ている青年や娘たちに持ち帰ってもらいました。それにしても生ゴミはいい土になっています。今年は畦パネルでゴボウの枠をつくりましたが、中に入れた畑の土が固まってしまい、不調でした。土がさらさらで、肥料の要らないここに、ゴボウの枠を移動することにします。
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