古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『あの戦争』 = 『巨大な不正義』 をにらみつけながら死にたい。

2015年02月28日 03時30分06秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 ぼくは昭和12年(1937年)に生まれました。支那事変のはじまった年です。そして昭和20年(1945年)8月15日、日本が戦争に負けた日は7歳でした。 
「もう10年早く生まれていたら、城山三郎みたいに予科練に志願してたかも」と考えることがあります。真珠湾攻撃や南洋攻撃の連戦連勝のニュースに、じっとすわっておれないほど興奮し、何度も何度も新聞を見て、ラヂオを聴いて、わけもなく歩きまわったでしょう。
 あとになってあの戦争をめぐる『巨大な不正義』を知り、腹が立って仕方がありません。ぼくはこの「怒り」のエネルギーを終生燃やし続けたいと思います。
 人間はなぜか「正義」が好きです。テレビの推理ドラマでも「正義」が勝つようにできています。そうでないと「こころのすわり」がわるく、落ち着きません。子どもの頃は、映画館で映画を見ているとき、〈悪者〉が現れるとハラハラし、警官隊が駆けつけると拍手したものです。嵐勘十郎の鞍馬天狗や旗本退屈男の市川右太衛門(北大路欣也のお父さん)が登場するとみんなが拍手しました。
 そんな「善良な市民」があんな「巨大な不正義」をなすように追い込まれた。それを仕掛けた者たち、人間を人間とも思わず、ゴミを捨てるように命を捨てさせた者たちに腹が立つのです。
 召集令状が来て、出征兵士を見送る。 …… 悲しみ・嘆きを隠して。なんという欺瞞。凄惨な新兵いじめ。リンチ。戦場に出る前に耐えられなくて自殺した者。殴り殺された者。戦場では理不尽な命令で死地に追いやられた者。そんな人たちをいっぱい知るにつけ、こんな不正義が「のさばった」ままでいいのか、バチが当たらなくていいのか、という思いをどうしようもありません。

 裏山につくったBBQフロアですが、いろんな名称を考えています。奥座敷/クヌギ(コナラ)座敷/クヌギ(コナラ)御殿/クヌギ(コナラ)広場/野外座敷/裏山広場/ ……。ま、じっくり考えます。敷物は4畳半のゴザ。座卓は畳の部屋で使っていた自作のテーブル。イスで広場を使うときには高い脚がつくようにします。キャスターはしばらく使ってから考えます。道具箱を置いてお茶を沸かせるようにしました。
 どうしても、フロアのことを「あーしたらいいかな。こーしたらいいかな」と考えてしまいます。こころがほんわかします。
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トイレ読書はおもしろい。

2015年02月26日 04時44分56秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 我が家のトイレにはちょっとした本棚があり、入るたびに腰掛けて読みかけの本を少し読んだりします。きのう半藤一利の『昭和史』(1926~1945)を読み終わりました。少しずつ読みますから2週間もかかったでしょうか。三度目の読み返しですが、おもしろかったです。歴史の本は小説なんかより頭に入りやすいです。
 ぼくらが中学校で歴史を習ったときは「江戸時代から明治に入る前」で終わりました。それに授業がおもしろくなかった。先生は毎年同じことを黒板に書き、生徒はそれをひたすら写す授業でした。いまだったら退屈して生徒は騒ぐでしょう。むかしの生徒は授業中は黙々とノートに写し、休み時間に思い切り遊びました。
 さてもう少し昭和史をくわしく読んでみようと、図書館で借りている<ほるぷ出版>の『日本史』第7巻(15年戦争)にとりつきました。おもしろい。文に無駄がなく、読みやすく、頭に入りやすい。分厚い本ですが読んでみます。
 裏山の<野外奥座敷>は、カーペットでなく四畳半のゴザを敷くことにしました。出したり片づけるのがらくです。座敷机は脚にキャスターをつけて移動しやすくします。防水のしっかりしたプールライナーをマジックテープでとめてカバーできるようにします。(フロアに「置きっぱなし」にするので)
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あとはぼちぼち整備します。

2015年02月24日 02時47分25秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
「BBQフロア」のつもりでつくったスペースが出来あがりました。これで一応完成とします。はじめに目ざした「バーベキュー広場」という目標はどこかに飛んでしまいました。お客さまに、庭を、花を、木の梢を、青空を、眺めてもらう「野外の奥座敷」にしたい気分です。
                    
 池のまわり・デッキのまわりを片づける。手すりでないほうの< L >字の2辺を整える。という仕事は残ってますが。
 床のフィンランド・エコ・デッキ材は人口木材です。太陽で熱せられると夏は裸足で歩けないほど熱くなります。履物を履くか敷物を敷かねばつかえません。でも土足禁止にします。だから スリッパ/フロアの掃除道具/お茶の道具/を入れる道具箱や敷物を備える必要があります。なおデッキ下の地面には古い電気カーペットとか敷物を敷きました。床を張ってしまうと下にはもぐれないし、竹の子や草木が生えてこないように。
 思ったより精魂込めたので疲れました。
 できてよかったなー。
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まだ『BBQフロア』(仮の呼称)のことで頭がいっぱいです。

2015年02月23日 03時29分21秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは雨で外仕事ができませんでした。大工道具でも片づけようと小屋に入ったけど、半分だけできたBBQフロアの手すりのことが気になります。結局塗った材木を持ち込んで、手すりの下ごしらえをしました。
 あのスペースをとりあえず『BBQフロア』と呼んでいますが、どうもしっくりしない。
 あのフロアがだんだんオープン座敷のように思えてきました。土足禁止にして敷物を敷いて、座敷机を置いて、箱を開けたらお茶セットが出てきて …… というようなイメージがつぎつぎとわいてきます。しっくりする呼称を考えます。
 裏山は間もなく、というか3月から5月にかけて花花が咲き、若葉が芽吹きます。
 いまネコヤナギが咲いています。つづいて 花紅梅/サンシユウ/ミモザ/コブシ/アセビ などが咲き、4月には ユキヤナギ/コバノミツバツツジ/ソメイヨシノ(去年は6本のうち3本が咲きました。今年は何本咲くかな)/ヤマザクラ(3本) などが咲き、つづいて ライラック/ハナカイドウ/コデマリ/オオデマリ/エニシダなどが咲き、花を愛する道子さんがせっせと植えた ネモフィラ/ムスカリ/チューリップ/アネモネ なども咲き、花壇がにぎやかになります。
 歩きながら花を愛でるのもいいけど、座敷風な敷物に坐して野点(のだて)をたしなみながら眺めるとまた風情があるでしょう。寝転んで青空と若葉の芽吹く木々の梢を見あげるのもいい。
 あのフロアが出来上がってしまわないと、どうもほかの仕事に気持ちが向かわないようです。
 仕方ありませんな。
 
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BBQフロアの手すり仕事をしました。

2015年02月21日 01時48分25秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのう「BBQフロアの仕事は <一段落!> つけて、《寒肥》 とか 《竹伐り》 の仕事をしてしまう」と宣言するブログを書きました。でも寝て起きてみたら頭の中はフロアの「手すりイメージ」でいっぱい。他の仕事のイメージが浮かぶスペースはありません。仕方がないので手すりをつくる仕事に没頭しました。
 疲れたけどとってもしあわせでした。
 今日部材を組み立てて手すりにします。出来上がりのイメージが浮かんでワクワクします。
 そうでした。9年前 = 2006年12月のはじめに引っ越して、年末からお正月にかけてウッドデッキづくりに没頭したことを思い出しました。
 大晦日の日も家から電灯線を引いて暗くなるまで庭先で部材にキシラデコールを塗っていました。寝床に入るとき「ぼくの生涯にこんな大工事をすることが待ち構えていたとは。これはあの世に行ってからも自慢したくなる大仕事だなー」と思いました。
 やっぱりぼくは大工仕事が大好きなんだ。無理に我慢しないでやりたい仕事を先にしよう。
 道子さんのほうはきのうは <ダンシャリアン・ミチコ> になってキッチンの乾物などを整理し・片づけましたが、ふだんは山や庭の仕事が大好きなんです。彼女の仕事の写真を見てください。
                     
 階段をつけたのも道子さんですし、山道に鉄平石や飛び石を敷き、縁石を並べたのも道子さんの仕事です。もともとこの山は粘土質の土ですから掘っても石が出てくることはありません。村の中をドライブしていて道ばたに石があると「ちょっと拾ってくる」と車に積み、製材所(元)の方に「石がいるならどうぞ」といわれたら何度も車で運んだりした石ばかりです。「こんなにたくさんの石を拾い集めていたのか」と感心しました。お蔭で池のまわりや山道が見栄えよくなります。仕事ぶりを見ながら「彼女は『ドボジョ』になったら才能が開花していたかも」と感じました。庭師とか造園師とか。
 ドボジョは「けんせつ小町」という名前に変えてほしい、という声があるそうですね。
 力強さがなくなるなー。なよなよしてる、っつうか。
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裏山の仕事を「一段落」にします。

2015年02月20日 01時18分58秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 1月から2月にかけて裏山の仕事をしてきましたが、つぎつぎとすることができて区切りがつきません。でもどこかで区切りをつけないと畑仕事も待っています。「一段落」と書いて気持ちに区切りをつけることにします。
                       
 階段をつけた山道から下を見下ろした写真です。去年つくったキウイの棚の下にBBQフロア、その下にビオトープ用の池が見えます。
 そのバーベキュー・フロアですが、完成したフロアに寝転んで空を見上げてみました。竹藪だった頃には考えられなかった眺めです。竹と背比べをしながら、勝負に勝って生き残ったクヌギ・コナラが高いところで枝を広げています。
 いまはまだ冬の眺め。でも芽吹きの準備はできて、やがて枯れ木のような枝がふっくらしてきます。ウグイスが鳴き、4月中ごろからは若葉。だんだん濃い緑になり、気持ちのいい木陰をあたえてくれる。盛夏の蝉。夕暮れにヒグラシの「カナカナ」。稲刈りがすむと山々がだんだん色づきはじめ、風はなくても枯れ葉が、静かに、舞うように、落ちてくる。秋の静寂。
 BBQフロアをつくるつもりだったけど、それよりここは読書をしたり、昼寝をしたり、ときにはお茶したり、昼食をとったりする場所になることに気づきました。大きなサイズで、寝転んで見上げたアングルの写真をアップします。

 このフロアは土足禁止にしますし、道からヒョイと入れますので、来て寝転んで、見上げてみてください。
 いいですよ。
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フィンランド・エコデッキ材を張りました。

2015年02月19日 07時52分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 この冬は寒いですが、たき火をしながら山仕事に精を出す日がつづいています。
 寒肥を施す程度で、裏山にほとんど手を入れない年もあったのにどうした風の吹き回しか。自分でも不思議です。おそらくイメージが浮かんだのでしょう。「イメージ」は「力」ですね。
 で、このところBBQデッキ・フロアをつくろうと木材を塗ったり斜面を掘ったりしていましたが、きのう『フィンランド・エコデッキ材』を張る段取りになりました。写真のフロアです。ステンレス・ビスがなくなったのでまだ半分しかクリップでとめていませんが、材を並べてみました。夕方なのに白っぽく見えます。デッキ材をあつかう店で、この色(スノーブルー)だけ安く販売していたのです。
 池の上のほうにこうしてデッキフロアをつくってみると、やっぱり「手すり」があったほうがいい。「L」字型の手すりをつけることにします。腰掛けられる低い手すりがいいかな。もう少し考えます。
                        
 『人とどのようにつながるか』を書きかけたままで、気になっています。ぼくの思う「まとめ」を書いておきます。
 田舎暮らしのテレビ番組を見ているとよくこんな展開になります。
 ○○さんは田舎暮らしをはじめました。そのうち地域の人と交流が生まれ、「今日は村のみなさんに集まってもらって(日頃の恩返しで)会食交流会です」。来た人も迎えた人も「お世話になってる。いい人でよかったよかった。」と交歓して肩をたたきあう。
 一方、田舎暮らし志向で移住したけれど人間関係がしっくりいかず、街に帰ってしまう人もいる筈ですがそれはあまり話題になりません。
 そんな人の一般論を書くつもりはありません。自分なりに田舎暮らしを志向して、また実際に暮らしてみて、感じることを伝えたくてこの項を書きはじめたのです。
 ぼくは60歳で定年退職した後、神戸のニュータウンで毎日散歩をしました。1時間。ときには2時間。退職して時間が出来て、すぐそばの公園にもよく行きました。しかしまわりの住民との距離感は、勤めていた頃と同じでした。10年を経て田舎に暮らすことになり、やはり散歩しはじめました。
 そして気づいたのは「自分のこころがひらいてる」ことでした。
 人に出会い、あいさつし、親しみを感じ、自分から話し掛ける。街では起こらなかったことが自分のこころに起きている。
 それはまわりの自然のせいなのか。人が少ないからなのか。
 村の中で車と出会うと運転者の顔を見ます。20号線(村を通る幹線)を横断するときは車だけ見ています。
 いまの日本では、街でも田舎でも人間同士の距離感はそんなに変わりません。要は自分のこころの「ひらき加減」です。
 海の貝はアサリでもカキでも店で売ってるときは閉じています。でも海の底にいたときはずーっとひらいてた。それが本来の貝の姿でした。「ぼくの場合、自分のこころがそんな本来の姿になるところが、田舎です」と言いたかった。
 こころがひらくと、こころは、手を伸ばし、足を伸ばし、深呼吸して、うれしそうな表情になる。
 それが <人のつながり> の原点だと思います。
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裏山に『林間BBQフロア』をつくろうと奮闘しています。

2015年02月16日 00時50分58秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 池のそばに『林間バーベキュー・フロア』をつくろうと、きのうも一日中ツルハシを振るいました。道子さんも大きな竹の根や切り株を掘り出してくれました。(うちにはツルハシが2本〈2丁/2挺〉あります。1本は裏山開拓用に買ったもの。もう一本は金属ゴミの日に拾ってきて柄を買ってつけたもので、どちらも1,5キロ。ぼくらには丁度いい重さです)
 裏山で仕事をしていると雌のジョウビタキがいつも飛んできて応援してくれます。切り株の上にとまっているのですが撮影が下手でごめんなさい。
                    
 彼女はもうすぐカムチャッカかどこか、北の方に帰るのでしょうね。来年もまた来てね。そろそろウグイスくんが鳴く頃だね。初鳴き、ヨロシク。まだちょっと寒いかな。
 BBQフロアは3メートル×3メートルにします。「林間」と名付けるのだから凸凹の地面はそのままでいいようなものですが、高齢者向きではありません。やっぱり平らな足もとがいい。板はフィンランドエコデッキ材を張ることにしました。半永久的にメインテナンス不要です。使う者のほうはくたばりますが。もう数日かかりそうです。それがすんだら寒肥を施します。
 そうそう、県道20号線の三木市街を抜けて吉川の方向に走ると喫茶店『ふれんず』がありました。まだこの地に移り住む前、満州開拓に参加された方に聞き取りに来たとき、この喫茶店に寄ったことがあります。以後何度かお茶を飲んだり老人会で食事をしたりしたのですが、買い物で前を通ったら「売り店」と看板が。閉店なんですね。一番近くにある喫茶店だったのに。
 そうそう、東条インター近くにあった小さな絵本屋さん『空飛ぶくじら』も閉店ですって。いつまでも読み継がれる「いい絵本」ばかりが揃えてあったのに。残念です。
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裏山に毎日登るようになりました。

2015年02月15日 05時03分13秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 今年の冬は山仕事に精を出しています。ビオトープの池をつくり、シイタケのホダ木置き場を片づけ、頂上に登る道に階段をつけました。いまは『林間BBQ』のステージをつくろうとしています。
                       
 写真は裏山に登る山道です。すぐ先に見えているのが頂上ですから「山に登る」という表現が恥ずかしいほどですが、ぼくたち高齢者にとっては「どうだ! 裏山に登ったぞ!」です。この山道に階段をつけて上まで登れるようにしたのです。一部急なところには手すりもつけようと思っています。
 登っても何もありませんが村の景色を見下ろせます。10メートルほど高くなるだけですが眺望がグーンと広がります。「うそだと思ったら登ってみてください」。
 道子さんは朝飯前にちょっとだけ裏山を散歩して、「サンシユウの芽がふくらんできたね」とか「今年はコブシが咲きそう」とか「あのジョウビタキがいつでもいるね」と報告してくれるのですが、山道に階段ができてからは「今日もツッカケで頂上まで登ってきた。これから毎日登ろうかな」というようになりました。ぼくもツッカケでチョチョイと登ることがあります。
 こんなに気分よく登れるようになるとは思いませんでした。
 夜中に目覚めてブログを書きながら「そうだ。裏山のてっぺんにある 《祇園さん / 愛宕さん》 に登る道も階段にしたらいい」と思いました。7月14日/24日の拝む日は当番の人が夕方6時頃から上で待機します。村の人たちが年によって数人お参りし、たき火をかこんでお酒を飲みます。(道子さんとぼくは毎年行くことにしています)
 当番は10年くらいでまわってきます。一昨年だったかその前だったか前老人会長さんが「次の当番は10年先か。生きとっても登れるかいなー。」とつぶやいておられましたが、その実感はぼくにもよーく伝わりました。
 そうだ。山道を階段にしたらいい。とっても登りやすくなる。
 道子さんの歩数による計算では7階建てのビルの階段を上がる程度だそうです。途中急なところがあり、左右の竹につかまったりしながら登るのですが、階段があれば大丈夫です。「ちょっと声を掛けて夏のお参りの日までに実現したい」と思いました。

 なお「心覚え」に書いておきます。(2011年7月25日のブログに書いてます)
 7月14日 …… 祇園さん …… 頂上の広場の右(東)の祠 
 7月24日 …… 愛宕さん …… 頂上の広場の左(西)の祠 
 2011年当番をされた村の方に教えていただきました。亡くなられましたが立派なお百姓さんで、何でも尋ねるとやさしい声でわかりやすく教えてくださいました。          
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念願だった『おかげさま』に行きました。

2015年02月13日 04時53分01秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 加古川にある『おかげさま』(自然食レストラン)のホームページを見ては「いつか行こう。いつか行こう」と道子さんと話していたのですが、きのうついに訪ねて何年越しの念願をはたしました。
「今日で母・妙子さんのショートステイが終わるので羽根を伸ばしておこう」と欲張って計画をたて、午前中から出掛けました。まず母のステイ先に寄って「明日の夕方迎えに来るからね」とノートに書きます。書いておくと何度もそれを読んで心待ちにしますが、口で言っただけではすぐ忘れます。(見知らぬ人に送ってもらうのは「拉致される」と不安がるので毎回迎えに行きます)
 次に三木図書館に寄って本を借り、加古川にむかいました。仏壇屋さんのところで路地に入り、しばらく走ると立派な神社がありました。八幡神社(厄神さん)とあります。車を置いて拝みたくなるのびのびした空気感が心地よい。賽銭をあげてしっかり拝みました。
 ここの厄神さんは2月18・19日が厄除大祭で「数十万人が参拝する」とありました。西宮にいたときは門戸厄神、神戸の須磨にいたときは多井畑厄神、いまの村に来てからは氏神さま・八幡神社の厄神、といずれも1月18・19日が厄除け大祭なのですが、ここはひと月あとなんですね。『おかげさま』がなかなか見当たらず、電話して「仏壇屋さんの敷地にある」と教えてもらいました。
                     
 素朴な民家風です。珈琲をいただいてしばらくおしゃべりしました。いつものように夜中に起きて『おかげさま』のブログを見たら、もうぼくたちのことが載っていました。ありがとうございます。「大豆畑トラスト」のことも高尚に書いていただいて。若い人はすることが速い。またいい季節にうかがって自然農法の畑も見せていただきたいと思います。
 午後は加古川の文化センターに行って、いなみの学園(4年間勉強する老人大学)陶芸科の卒業制作展を見ました。職場時代の同僚が作品を出しておられ、案内をもらいました。退職して趣味のマジック道に精進しておられると思ったら、陶芸で入賞され、才能を開花しておられる。どの方の作品も実に立派で感心しました。
 文化センターにはプラネタリウムがあり、これを見るのも予定に入れていました。
 プラネタリウムを見るなんて何十年ぶりでしょう。この前見たのはどこで、いつだったかな。覚えているのは大阪電気科学館のプラネタリウムです。鳥取県倉吉市の中学生は昭和28年頃、「京都・大阪・奈良」が修学旅行先でした。あの時はドヴォルザークの「新世界」の音楽が鳴り、暗くなり、ぐっすり寝ました.
 きのうはあちこちまわって、たのしい一日でした。
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人とのつながり   ②

2015年02月11日 11時52分41秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 人間はもともと群れる <生き物> でした。いまも群れて生きています。それなのに「一人になりたがる」「好き勝手に生きたがる」。そんな矛盾を抱えた <生き物> です。
 こんな話を講演で聴いたことがあります。

 人間は群で移動しながら生きる動物でした。群の雌が子どもを産む。鹿は産れるとすぐ立って歩く。群について移動する。ところが人間の子どもは立つどころか這うこともできない。子どもを抱えた雌が取り残されてしまう。 …… そこで人間は移動するのをやめた。定住し、土地を耕して生きることにした。 …… 人間は弱く生まれる生き物です。「やさしさ」がないと生きられません。人間の心がつながらないと人間は育ちません。だからいま「子育てのための人間連帯」が必要なのです。

 そんな話でした。
 「孤独」を、「自由」を、求めるくせに、どこかではつながっていたい。干渉してほしくないけど注目されたい。それは単なる「好み」とか「性格」の問題でなく、人間という存在そのものが持つ矛盾です。人間の「生きるための課題」です。その課題のまわりでいろんな悲しい事件が起こっています。
 人間には『正解』はちゃんとわかっています。 …… 「人が生きるために人がつながらねばならない。みんなで支え合わねばならない。だから自分は○○○しなければならない」
 でもそれができない。未知の人と知り合うのはいやだ。相手に合わせて気をつかうなんていやだ。人のために何かするなんてアホらしい。 ……
 人と出会い、たのしく語り合い、居心地よくすごせたら、アホらしいとは思わないでしょう。「無駄なエネルギーをつかった」、「時間を浪費した」と思わないでしょう。
 そんな力が身につければ、人とのつながることがたのしくなるでしょう。
 近頃『コミュニケーション能力』という言葉を耳にするようになりました。   (つづく)
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人のつながり方を考える   ①

2015年02月10日 01時56分28秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 安心・安全な地域づくりのために、住民が手をつなぐことが大事だといわれます。
「むかしの下町は住民同士が仲良しで、味噌や醤油を借りたし、他所の子どもでも叱ったし、困ったときは助け合ったもんだ。いまは街の人はつながりがなくなり、マンションの扉を閉めれば孤立した家じゃないか。田舎の人たちのつながりがうらやましい」という人もいます。
 そこで人のつながりについて、思うことを書いてみます。
 西宮のある地域の集会で聞いた話です。「住民同士のつながり」について話してくれたのは市会議員でした。
 
 ある造成地に十数軒の建売り住宅が建ち、住民が一斉に引っ越してきました。知らない人ばかりですから、玄関を出て住人と出会ったら「おはようございます」とあいさつはしますが、2年たっても3年たってもその距離感は変わりませんでした。ところがその住宅に下水が入るために道を掘り返すことになりました。自動車の出し入れや通行に支障があり、業者や住民同士の話し合いが必要です。
 何のつながりもなかった住民同士が道路で立ち話をするわけにもいかず、会場を各戸持ち回りにして話し合うことにしました。話し合いを重ねるにつれ、お互いに親しくなり、住民同士の行き来が生まれ、郷里のことや趣味が話題になったりして交流が深まりました。親同士の交流があると子どもの交流も活発になり、路地の雰囲気が変わりました。
 で、苦労した下水工事が一年かかって完了しました。
 そしてしばらくすると、また「顔を合わせたらあいさつする」くらいの住民の距離感が戻りました。

 以上です。
 それは田舎でも同じです。現代の日本の空気です。
 田舎はお互いの生まれたときからの情報量が豊富ですから、それだけの「親しさ」と「つながり」はありますが、人のつながりが求心的に強くなっていくわけではありません。むかしは、地主がいて威張ってるとか、顔役がいて幅を利かせているとか、貧富の差が大きくて肩をすぼめるように生きているとか、いろんな要因がありますが、それが「人のつながり」に見えたかもしれません。でも「つながり」の裏返しは不自由でした。お互いの情報量の豊富さはかえって「自由をしばるもの」でした。何かすれば後ろ指を指される閉塞感を打破しようと、人びとは街の自由に憧れて都会に出てゆきました。   (つづく)
 
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老人モードの一日でした。

2015年02月08日 05時08分05秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                     
 口吉川公民館で「安全なまちづくり」の会があり、参加を頼まれていたので午後行ってきました。写真は老人会有志の演じる「振り込め詐欺」の寸劇で、「だまされ銀行」ATMに行って携帯電話の指示で振り込んでいるところです。こんな会に参加するよう頼まれて「ハイ」と素直に出掛ける自分が嫌いではありません。
 母上はきのうからショートステイです。特に今年になってから、着替えや洗面・入浴・食事など2人がかりでほぼ全面介護をしていますので、施設に連れていって外に出ると「ホッ!」。「介護があるからこの解放感が気持ちいいんだね」と道子さんがいい、ぼくも同感です。介護保険もまだなくて「一日も/一時間も息の抜けなかった」時代に、身も心もすり減らて介護された方の苦悩を思います。
 家を一時間以上あけないようにしていたので、きのうはのびのび買い物をしました。そして午後「安全な……」に参加。夕方は東条町の「とどろき荘」の温泉にゆっくり入って帰ってきました。
 夜は『限界集落株式会社』(NHKテレビの土曜ドラマ/9:00~10:00)を見てから寝ました。8時前後には寝てしまうぼくには「夜更かし」でした。
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『限界集落株式会社』を見ています。

2015年02月07日 02時58分29秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 NHKの土曜ドラマ『限界集落株式会社』(1)を深夜に起きて見ました(再放送で)。おもしろい。この連続ドラマを見ることにします。(5回)「有機無農薬」というふれ込みのキャベツ畑がきれいすぎるように見えましたが。
 「限界集落」とか「廃村」という言葉になにか惹かれるものを感じて、同窓会があって郷里に行くときに寄ったこともあります。

 これは鳥取県三朝町の超限界集落に寄ったときの写真です。太い柱をみると立派な藁屋根の家だったのでしょう。しかし無住の家は朽ちて、材木の山になっています。隣の家はいまにも崩れそうでした。2010年に訪ねたのですがそのとき住んでおられる家は2軒だけでした。いまはもう無住の廃村になっているでしょうか。
 「限界集落」は全国に8000あるそうです。すでに廃村・消滅してしまった集落も何千とあります。どの集落も、大昔に人が住みつき、田畑を開墾し、道をつくり、家を建て、お寺や神社を建て、お墓をつくり、数えきれない人たちが生きてきたところです。それがいまどうしようもなく消滅の危機に直面しているのです。
 そんなひどいことが起こる時代に、ぼくらは生きてるんだなー。
 たまたま居合わせたのだろうか。ぼくらがどこかで間違えたんだろうか。
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<PPK>について考えました。

2015年02月06日 04時05分57秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 高齢になってから <PPK> で亡くなった人の話を、一つや二つはだれでも見聞きしています。ぼくが一番心に残っているのは、書家で97歳の男性の死です。彼は朝食後、家人に「ちょっと昼まで習字してくる」と自室に入り、昼食の声を掛けに行ったら机に向かって亡くなっていました。その話を聞いて「そんな死に様、ええなー」と感心しました。
 ぼくもできれば、畑か裏山に行って「<えらい遅いなー>と様子を見に行ったら亡くなっていた」というのがいいと漠然と思っていました。でもその考えをやめます。数分まえまで元気でピンピンしていた人がコロッと死ぬのはおかしい。ふつうそんなことは起こりません。先日紹介した『穏やかな死に医療はいらない』という本にこんなことが書いてありました。



「ピンピンコロリ」は理想の死に方とされています。  ……  でも僕は、ピンピンコロリは案外つらいのではないかと思います。明日も明後日も今日と同じ日常がやって来ると思っていたのにコロリと死んでしまうのは、たとえ本人がよくても、残されるご家族や周囲の人たちがかわいそうです。
 僕が思う理想の死に方は、ピンピンコロリではなく、「ゆっくりコロリ」「じんわりコロリ」です。  ……  少しずつ死という終着点に向かうことができれば、身体の負担も少なく、本人や家族にも死を受け入れる時間が生まれます。
 そしてそれ(ゆっくり / じんわりコロリ)は決して難しいことではありません。身体に任せればいいだけです。余分な治療、余分な食事、余分な点滴 ……。そういったものをやめるだけで、多くの人が苦痛から解放され、ぎりぎりまで「ゆっくり」「じんわり」生き抜くことができます。病院では「血圧が下降した」「体温が下がった」「呼吸が不規則になった」ら、その度に、点滴を増やしたり、昇圧剤を投与したりします。病院は病気と闘います。患者さんの状態、つまり戦況は刻一刻と変わり、そのたび戦略を変更し、武器や爆弾を投入していくわけです。しかしすでに終末期を迎えている患者さんが、それで回復する可能性はゼロです。 
「終末期モード」「老衰モード」に入ると、ほとんどの患者さんは食欲がなくなり、食べられなくなります。それは確実に死に向かっているサインであり、自然な生命の営みです。


 読みながら「その通りだなー」と思いました。
「ご臨終です」医師や看護師が頭を下げ、見守っていた人たちが「ワッ」と泣きすがる。
 というイメージでなく、みんなが必ず行き着く終着駅での静かな別れ。「別れを受け入れる」という大仕事をする<ひとびと>の「心」に、静かな時間をあげる。
 「畳の上でじんわり死ぬ」心掛けで残りの命を生きたいと思います。
 蛇足ですが、山や畑で死ぬのは後で事情聴取があったりして大変だそうですね。
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