古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

NHKテレビの『こころ旅』が休止中。

2024年04月30日 23時39分19秒 | 古希からの田舎暮らし
 75歳の火野正平さんが腰痛になって、NHK・BS放送の『こころ旅』が中断しているそうです。「75歳といえば老人だ。2011年から14年間も日本全国、自転車乗りまわしてきたんだ。日本は島国で、山が多く、坂道も多い。そんなところで自転車乗りまわしてきたんだから、体も痛むわなあ」。人気のある番組で、我が家も欠かさず見ていました。
 でも中止になるとすれば残念だなあ。どんな田舎の、どんな小さなものでも、たずねていく番組だったのに。うちの村だって、『大将軍神社』とか、『福地池』とか、訪れてほしいところがあったのに。いろんな庶民の、人生の味がしみ出る番組だったのに。
 火野正平の「もち味」を継ぐことはできないけど、「ちがったキャラクターが自転車に乗って、番組を継ぐといいな」と勝手に想像していました。年配の俳優がチャリオで全国をたずねてまわる。その人は急死しましたけど。
 
「畑の石垣下の草刈りをしよう」。そう決心してから数日過ぎていきます。なぜかぐずぐずしている。天気もよくないけど、それだけでなく「気力の衰え」を感じています。 いまはまだ図書館で本を借りてくるけど、ほとんどの本は読んでません。小説の人物が「心の中に立ち上がってこない」。字を読んでいるだけです。それでは面白くない。
 そういえば、母・妙子さんが三木に引っ越したのは94歳の誕生日だったなあ。三木の図書館に通うようになり、軽自動車で月に二度くらいつれていきました。母は大型活字本で、佐多稲子/宮尾登美子/宇野千代/石垣りん/…… など女流作家の本を借りて、自室で読んでいるようでした。
 ぼくが「新しい作家の、おもしろい本を読もう」とするのは間違いのような気がします。もう「そんな新しいキャラクターがこころに入るのは無理かもしれん」と思います。「また読みかえしてみたい」と思う本があります。阿部牧郎の『神の国に殉ず』(東条英機と米内光正)とか船戸与一の『満州国演義』という大部な小説です。あの戦争をなぞって、小説風に書いている。それを読みながら自分のなかで「あの戦争の歴史をなぞる」。これなら生涯できそうです。
 
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昨日も今日も〈たき火・焼き芋〉をしました。

2024年04月28日 18時46分28秒 | 古希からの田舎暮らし
 ダッチオーブンで焼き芋をつくる。ネットにも「焼き芋がつくれる」と書いてあります。ダッチオーブンに小石をつめて、その中に埋めるようにしてサツマイモを焼く。(クッキングホイルで包んで)おいしい焼き芋ができます。
 でもやっている人は多くないようです。考えてみると、鉄の分厚い鍋をたき火であたためるには、大きなたき火が必要です。大きなたき火は、だれでも、どこでも、簡単にできるものではありません。いつでもそれができるワタクシは〈しあわせ〉というしかないですね。
 さてずっと雨が降ったり、降りそうだったりして、なかなか〈たき火・焼き芋日和〉になりませんでした。しかし昨日と今日は絶好の焼き芋日和。強いたき火を1時間たいて、〈紅はるか〉を焼き芋にしました。

 ダッチオーブンの下の「炎」です。眺めているとじーっと見てしまう。
 たき火をはなれて、テントハウスでイスにすわり、緑の樹樹を見あげる。

 若葉がいい。またじっと見ていたくなる。
 ウグイスがずっと鳴いています。一日に1000回鳴くそうですが、ほんとにずっと鳴いてます。ときどき変奏曲風に変化をつけて鳴く。
 こんな環境はおじいさんによく似合います。いい晩年だなあ。
 
 ところで阪神タイガーズ、近ごろ強いわけでもないのに、なかなか負けません。打者も不甲斐ない。「当りそこね」を打って、それで決勝点が入ったりする。恥ずかしいような勝ち方だけど、負けないねえ。
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モッコウバラが咲きました。

2024年04月26日 17時34分13秒 | 古希からの田舎暮らし

 玄関先の〈モッコウバラ〉が咲いてます。道子さんは50メートル先の電柱まで誘引しようとこころがけています。ここは道子さんがゴミ捨て場にしていた斜面ですが、10年ほどまえから花壇にして、いろんな花を植えるようになりました。玄関先が見事な花園になっています。手がかかるけどおじいさんはノータッチ。道子さんはえらいですねえ。
 さて、冷凍庫の〈焼き芋コーナー〉が少し空いてきたので、今日は〈たき火・焼き芋〉をしました。午前中の仕事はそれでおしまい。午後は畑の石垣下の草を刈ろうと〈心づもり〉していました。

 石垣下は草が伸びてきました。先月草刈りしていてマムシを退治したところです。数年前亡くなった老人会の先輩に「あそこはワシが草刈っとってマムシを一匹殺したところや。もう一匹おるから〈気ィ〉つけなあかんで」と言われたことがあります。先日殺したのはその「もう一匹」だったか。マムシは「もう一匹おるやろから、気ィつけや」とよくいわれます。草刈り機を持って作業しているのでチョン切ります。

 午前中〈たき火・焼き芋〉をしながら若葉の裏山をテントハウスから眺めた写真です。竹を伐って、緑いっぱいの裏山になって、いつも眺めながら暮らしている。「しあわせだなあ」と感じる時間です。もうしばらく、こんな時間がつづいてほしい。

 今日もコジュケイ夫妻が裏山をウロウロしていました。野鳥と出会うたのしみが日々ある。これもいいですねえ。
 昼寝をして起きて畑の石垣下を刈ろうと思ったけど、気力が抜けていました。午前中の焼き芋で「今日はおしまい」でした。  
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『独ソ戦』を読みました。

2024年04月24日 12時36分24秒 | 古希からの田舎暮らし
 岩波新書の『独ソ戦』は5年前に出版された本です。書かれている内容は83年前の戦争のことです。昔の、人々が忘れかけてる、戦った兵士はほとんど死んでしまった、古い戦争のことです。ところがこの本は飛ぶように売れた。2019年7月19日に発行。40日後には「第5刷」が発行されています。この本は「新書大賞」という賞を受けてます。
 ナチスドイツとヒトラーのことは、いまでも人たちが読みます。ディスカバリーチャンネルでナチスの戦争があつかわれれば、見ます。あの80年前のナチス・ドイツのことでは、戦争後多くの本が出されました。いろんなことが書いてあった。ナチスは〈悪者〉でした。内幕暴露の本がいっぱい出た。「売らんかな」とあやしい本も出た。シュペーアの書いた内幕本(『狂気の内幕』)も大いに売れた。ホロコーストに関わったのに「知らなかった」と〈善者ぶった〉シュペーアもいまでは断罪されています。 
 しかし日本では、独ソ戦は古い文献を参考にして「独ソ戦」が書かれていた。この手の本は「ヒトラーを悪者にして、総統に強制されて仕方なくやった」といえばまかり通った。しかし諸外国の、ソ連の文献も含めて、80年の研究の成果をふまえた「独ソ戦」の本は日本にはなかった。
 それが白日のもとに引き出された。独ソ戦における「この戦争における残酷さと当事者の行動」が明らかになりました。ヒトラーを悪者にして、すべての責任を押しつけられるような戦争ではなかった。スターリンもドイツの将校たちもひどいことをした。地球上の人間という生き物が、これからどれほど生きるかわかりませんが、この戦争を上まわる残酷な殺し合いをすることはもうないでしょう。引用するのははばかられますが、ドイツ軍もソ連軍も悪のかぎりをつくしました。
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ゴミ・ステーションの草を刈りました。

2024年04月22日 23時26分13秒 | 古希からの田舎暮らし

 いつもの風景です。2024年最初の〈草刈り〉をしました。10月まで毎月刈ることにします。途中で87歳になりますが、まだ刈れそうです。でも「あと三年くらいは …… 」というのは無理でしょう。無理をして頑張るつもりはありません。

 道子さんは花壇の手入れをしました。いつもの〈大日如来〉さまの写真です。石ころがいっぱい集められているように見えますが、花立が動かないようにしているのです。道子さんだけでなく、一部の村の人が拝むのでしょう。なんとなく〈如来さまの気配〉がするような気がします。
 軽トラで「ゴミ・ステーションに行こう」と福地池をまわっていたら、「なんと!」堰堤の祠が元の位置にもどっています。

 何度も書きますが、この祠は福寿坊というお坊さんを祀っています。福寿坊は村人たちが苦労していた「福地池の堰堤の人柱」になったお坊さんです。罰当たりなイノシシがその祠を突き飛ばして、堰堤の下に転げ落としました。それが元にもどりました。軽トラをとめて、二人でしっかり拝みました。

 祠を見あげた写真です。ちゃんと元の位置にもどっておられます。祠が〈ほったらかし〉にならない。チャンと元にもどしてあげる。村の人たちのこころがいとしいです。 

『独ソ戦』を読んでイヤなのは、ドイツ軍です。スラブ民族を見下げ、『ボリシェビキ』(レーニンが率いた多数派の共産党)を見下げ、多くのロシア人を殺しました。あとでは「ヒトラーの命令で仕方なく …… 」と口をぬぐう。戦争は「ひどいことをする」ものですが、ロシア人に対する(人間に対する)感覚や態度が、ゆるせません。人間をゴキブリをたたき殺すように殺すのか。
 もう一人許せない人。アルベルト・シュペーア。ヒトラーお気に入りの建築家で軍需大臣。他のナチス幹部は死刑判決を受け、処刑されましたが、シュペーアは刑期20年でした。彼は「ホロ・コースト(ユダヤ人皆殺し)のことは知らなかった」と言い逃れて、刑期を終えました。本を書き、まるで生き残りの英雄のように講演したりして余生をおくりました。〈嘘っぱち〉だった。彼はヒトラーの命令で増産するためにユダヤ人を地下工場で働かせていました。シュペーアの死後、彼の所業があばかれました。「自分一人だけ嘘をついてイイ子になろう」とする態度が許せない。ぼくは一時期、『狂気の内幕』(シュペーアの書いた本)を読んだりして信じただけに、彼の醜さにイヤな気持ちです。     この項つづく。
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岩波新書『独ソ戦』を読みました。

2024年04月21日 22時43分10秒 | 古希からの田舎暮らし
 阪神タイガーズは、快調なスタートではありませんでした。阪神ファンは「あれ? なんか調子がおかしいな」と首をかしげました。しかし一カ月もしないうちに本領を発揮して、セリーグの首位に立ちました。
 いまとなっては、「首位に立つのがちょっと早過ぎたかな」と思ったりします。これはまあ、気分のいいことです。
 一つ、「気分のわるいこと」があります。それは岩波新書『独ソ戦』を読んだことです。
 それをくわしく書きたいです。しかしくわしく書くと気分がわるくなる。しかし書きたい。グズグズして日が過ぎてゆきます。
 本を紹介しておきます。
 独ソ戦というのは、第二次世界大戦での戦争のことです。1941年6月に、ヒトラーは突如ソ連軍におそいかかり、広大なロシアに攻め入りました。この戦いは1945年5月までつづき、ソ連軍がベルリンに攻め入って勝利します。
 すさまじい戦争でした。地球上のすべての戦争のなかで、一番多くの人間が殺しあった戦争です。ちょっと引用してみます。


 しかし、独ソ戦を歴史的にきわだたせているのは、そのスケールの大きさだけではない。独ソともに、互いを妥協の余地のない、滅ぼされるべき敵とみなすイデオロギーを戦争遂行の根幹に据え、それがために惨酷な闘争を徹底して遂行した点に、この戦争の本質がある。およそ四年間にわたる戦いを通じ、ナチス・ドイツとソ連のあいだでは、ジェノサイドや捕虜虐殺など、近代以降の軍事的合理性からは説明できない、無意味であるとさえ思われる蛮行がいくども繰り返されたのである。そのため、独ソ戦の惨禍も、日本人には想像しにくいような規模に達した。
 まず、比較対照するために、日本の数字を挙げておこう。1939年(昭和14年)の時点で、日本の総人口は約7138万人であった。ここから動員された戦闘員のうち、210万ないし230万名が死亡している。さらに、非戦闘員の死者は55万ないし80万人と推計されている。十分に悲惨な数字だ。けれども、独ソ両国、なかんずくソ連の損害は桁がちがう。
 ソ連は1939年の段階で、1億8879万3000人の人口を有していたが、第二次世界大戦で戦闘員887万8000ないし
1140万名を失ったという。軍事行動やジェノサイドによる民間人の死者は450万ないし1000万人、ほかに疫病や飢餓により、800万から900万人の民間人が死亡した。死者の総数は、冷戦時代には、国力低下のイメージを与えてはならないとの配慮から、公式の数字として2000万人とされていた。しかし、ソ連が崩壊し、より正確な統計が取られるようになってから上方修正され、現在では2700万人が失われたとされている。
 対するドイツも、1939年の総人口6930万人から、戦闘員444万ないし531万8000名を死なせ、民間人の被害も150万ないし300万人におよぶと推計されている(ただし、この数字は独ソ戦の損害のみならず、他の戦線でのそれも含む)。
 このように、戦闘のみならず、ジェノサイド、収奪、捕虜虐殺が繰り広げられたのである。人類史上最大の惨禍というっても過言ではあるまい。

  ※ この項つづく


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「ドボジョ」用の石をもらいました。

2024年04月19日 22時58分19秒 | 古希からの田舎暮らし
 パン屋さん・カンパーニュの実家は石屋さんでした。もう廃業しておられますけど、石は残っています。その石を分けてもらって、「裏山の土木仕事をしたい」という願いを道子さんはもっています。80代の〈ドボジョ〉です。
 そこでパン屋さんに軽トラで行きました。

 コンクリート・ブロック、グリ石、ピンコロ(石)、などを積み込んだところです。畑仕事の合間にやります。で、おじいさんは協力するのか。まったく協力しません。「興味がわかないことはやらない」勝手気ままなおじいさんです。すみません。
 もし裏山の土木仕事がはかどってさらに石材が必要なら、また分けてもらいたいと思います。

 いま裏山ではオオスズメバチの女王蜂が巣をつくる場所を物色している季節です。道子さんはオオスズメバチ・トラップを買って、裏山に吊るしました。早速女王蜂がかかったようです。女王蜂はすごく大きい。わかりにくいですが、かかっています。巣をつくってしまってから退治するのは大変です。いまが一番いい。

 先週の土曜日くらいから「春の草刈りをしよう」と思っていました。ちょうどそのときに風邪を引いてしまい、一週間草刈りをパスしました。この一週間は大きい。写真のように伸びて、盛り上がります。草がやわらかいから「ナイロンコードで刈ろう」と思っていたのに、もうだめです。今日鋸歯で刈りました。ゴミステーションも伸びてるだろうな。数日中に刈ります。
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〈手づくり野草酵素飲料〉あと何回仕込むのだろう。

2024年04月17日 17時54分08秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は「(手づくり)野草酵素飲料」の春の仕込みをしました。春は、木の芽/レンゲ、ハコベ、などの野草/果物などを仕込みます。病み上がり感の残るぼくは、ゆっくりゆっくり「木の芽を摘んで集めました」。裏山は竹を伐ったのでいろんな木が生えています。いまやわらかい新芽を出したところです。新芽だけで数十種集めました。
 野草酵素飲料の仕込みは、いままで 〇 春は木の新芽/野草/穀物/野菜/などを中心に仕込む 〇 秋は畑でとれたもの(サツマイモ、黒豆、大豆、根菜など)秋の果物や栗などを中心に仕込む と年に2回つくってきました。春の野草酵素飲料は、夏に飲み物としてよく飲んでいました。しかし秋の酵素飲料はどうしても残ります。道子さんは残った飲料を薄めて野菜にかけたりしていました。でも二人がだんだん年を取り、飲む量も少なくなり、残ります。
 今日は10キロでなく、半分の5キロの野草で仕込みました。

 でもこんな思いがこころにうかびました。「いつまで野草酵素飲料をつくるんだろう」。おいしいけど「ほしい。飲みたい」と思わなくなりました。
 何も思わずに、ずーっとやってきたことが、ふと面倒になったりする。これも老化現象ですね。
 
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〈ゴルフ会員権〉

2024年04月16日 23時42分49秒 | 古希からの田舎暮らし
 ぼくはゴルフをしません。だからゴルフ場のことはよく知りません。いま本を読んでいます。岩波新書で、佐藤誠という大学教授が書いた『リゾート列島』という本です。この本の出版は1990年4月になっています。バブルの絶頂期に出版されています。
 日本中がバブルに翻弄されていたときに、冷静にその現象を見ている学者の眼に感動しました。
「ゴルフ会員権」もバブルに舞い踊ったようで、その部分を引用してみます。


 どこのゴルフ場建設においても、開発をスムーズに速くするために2~300人もの「特別縁故会員」なる各種「縁故」者が必要のようである。各レベルでの議員、行政関係者、用地とりまとめの世話人たちが、会員権市場でも相場の金額と当初入会費との差額を疑似キャピタル・ゲインとして懐に入れている。
 会員権は法的には有価証券ではなく、単なる民法上の債権にすぎないので、一口いくらにするかは開発サイドの胸先三寸できまる。大阪市能勢町でのケースでは、この縁故権が3000万円で売り出され、土地を売った旧地主の何人かが「話が違う」と騒いでいるという。ある人は土地を売るときの口約束では一口800万円でと言ったといい、別の人は、「ワシは1300万円と聞かされていた」という。甘い話は府の開発許可が出るまでの話で、後は話が変わってくることが多い。
 現在大阪府の会員権相場は平均で4000万円というから、業者からしたら約1000万円のうまみがあるじゃないかということだ。大阪府下では18ホールのゴルフ場建設に約200億円かけても、4000万円の会員権を1000人に売れば400億が入るといわれる。「このもうけが、開発時のわいろや政治資金、海外の不動産投資に使われている」(『朝日新聞』大阪版1990年1月13日から29日の「偽りの緑・ゴルフ場にみる政治」シリーズ)。
 カネ余り現象の中で融資先をさがす銀行がゴルフ会員権高騰に目をつけ、相場の七割を融資している。水と大気の汚染など何のそのの無謀な開発がまかり通り、「危うい紙切れ」が舞い上がっている。土地と株と第三の資産が会員権で、この財テクの三本柱が現在の「繁栄」を支えている。


 三木の、近くのゴルフ場の会員権もこのバブルに巻き込まれたのでしょうか。
 現在も会員権の売買は行われ、相場がネットに出ています。オリムピック 70万円 / センチュリー三木 155万円 / センチュリー吉川 75万円 / 美奈木 50万円 / セブンハンドレッド 7万円 / どうしてこんなふうに「売買するのか」わかりません。前に老人会でゴルフのことが話題になったとき、ある老人がいいました。「ワシもゴルフしようと思って申し込んでもあかんかった。岡山まで行かんとゴルフできんかった。「まわりにいっぱいゴルフ場があるのに、なんで岡山まで行かなあかんねや、とぼやいたもんや」。 
 
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風邪を引いて「咳」が出ます。

2024年04月15日 18時39分58秒 | 古希からの田舎暮らし
 風邪を引きました。咳がでます。土曜日からおとなしくしています。道子さんも咳がでます。外仕事をあまりしないようにしています。今日は、道子さんの前の「不明熱」の心配もあるのでかかりつけの病院に行きました。「熱が出たのならPCR/インフルエンザ検査をしてから診ます」だって。外の車で待機し、道子さんは検査を受けました。コロナもインフルエンザも(-)でした。そして血液検査をして、診断は「不明熱は心配ない。風邪ですな。咳が出るなら咳止め薬を飲んでください」だって。
 午前中かかって、疲れるだけでした。
 昼寝をして、夕方「燃えるゴミ/プラスチックゴミ」を捨てにいきました。段ボールや紙もいっぱいになっているので、それも道端のコンテナに投入するつもりで、軽トラに積んで出かけました。

 ところが紙も段ボールもはみ出すほどいっぱいです。これではどうしようもない。田舎は10分ほど走るとまたコンテナが置いてあります。そこでなんとか紙と段ボールを突っ込んできました。
 村の〈ゴミ・ステーション〉には、道子さんがケアしている〈大日如来さま〉のお花やささやかな花壇があります。チューリップが咲いてます。如来まえは草が伸びています。草刈りを早めにしなくては。

 このゴミステーションのまわりには「ヤマカカシがいるので気をつけてください」と村の青年にいわれたことがあります。草が伸びてきました。まえに「85歳になったらここの草刈りはやめる」とブログで宣言したことがありますが、86歳になってもできそうです。去年やり、今年もやるつもりです。草が伸びるまえに近く草刈りをします。

 いまなら柔らかい草なのでナイロンコードで刈れそうです。
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〈ユー・チューブ〉を見て思うこと

2024年04月12日 18時03分07秒 | 古希からの田舎暮らし
 毎日深夜には〈ユー・チュブ〉を見ます。好んで見るのは「田舎暮らし」「安い値段で買った古民家のリフォーム」です。「ウッドデッキ作り」もよくあります。リフォームとかウッドデッキには、憧れがあるようですね。そういうぼくも、2006年12月にいまの家に引っ越したときは、まず〈ウッドデッキ〉を年末から新年にかけて作りました。
 必死にあれこれ考えて、満足できるウッドデッキを作りました。「この大工仕事は、冥途に行っても自慢できる〈わが生涯の大仕事〉だと思いました。田舎暮らしとウッドデッキはつながってるみたいです。何度か補修しましたが、いまも満足しているデッキです。
 いまは「古民家が安い」ですね。2006年(いまから18年前)はこんなに安くなかった。
「家を建てよう」と決心しかけたとき「三木に暮らすのはどうか」と三木市役所の農政課に行って意見をききました。農政課の人の答えは「三木に親戚や知人があるなら引っ越してもいいけど、三木を知らない人がいきなり田舎に住むのはやめたほうがいい」という答えでした。
 篠山で空き家を探して、不動産屋さんと見てまわりましたが、しっかりした構えの古民家は3000万円以上と言われました。いまは値段が下がり、空き家バンクができたりして、この20年ほどの間に状況が変わりました。我が家は、古民家のリフォームでなく新築で建てたのが正解でした。
 もし、ぼくが60歳代で、いまのような空き家情勢だったら、そしていまのように〈ユー・チューブ〉でリフォーム作業が紹介されていたら、「ぼくもリフォームにはまっていただろうな。86歳のいまからではどうしようもないけど」。そんな思いで見ています。
 
 ところで阪神タイガースはどうしたんや。錦織圭/大阪なおみ/の試合がなくて、テニスの試合をたのしめません。応援しないで見るのはつまらん。応援しながら見たい。それなのにタイガースは打てない。情けない気分です。去年の秋とえらいちがいや。投手が頑張ってもあれでは勝てません。気分がよくない。なんとかしろ!
 
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今年もたっぷり〈お花見〉をしました。

2024年04月11日 22時07分25秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は気温も天気もよく、北谷川に〈お花見〉に出掛けました。まさに満開の桜堤をゆっくり歩きました。先日は公民館の庭に駐車できませんでしたが、今日は午前中なのでとめることができました。道子さんは歩くのがちょっとしんどいので、上流地点に車をまわして乗ってもらいました。

 北谷川の桜は今日が満開です。明日から散った花びらを踏みながらの花見になります。

 北谷川の堤防左岸にはトウダイグサがよく咲いています。北谷川に行きはじめた頃はこの草を気に入り、持ち帰って裏山に植えました。道子さんが「どんな植物なの? 野草酵素飲料に入れてもいい?」ときくのでパソコンで調べてみました。
「かわいい見た目に反して、強い毒性をもっている」とあります。いまは裏山で見つけるとすぐ抜いています。植えてから10数年たったいまでも生えてきます。
 東条図書館に寄り、お昼近くになったから喫茶店「シャレード」でピザかトーストのお昼にしようと思いました。しかし車をとめるところがありません。〈北播磨ソロプチミスト桜苑〉をちょっとのぞいて帰り、家で食事をしました。

 我が家の裏山です。ソメイヨシノはよく散っています。右手の〈ユウゼンケヤキ〉が葉をつけはじめました。ほかの若葉が濃い緑色になってもこの樹だけはしばらく黄色です。濃い緑になるのが遅れます。遠くからは花が咲いてるように見えるそうで、村の方が「どんな花が咲いてるのか」と見にこられたことがあります。
 午後は〈たき火・焼き芋〉をしました。火のお守りをしながら、裏山の樹樹を見あげて、頭は空っぽで、ただぼーっとしている。ぼくの好きな時間です。
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花いっぱいの裏山に感謝します。

2024年04月10日 18時06分48秒 | 古希からの田舎暮らし

 パソコンのイスにすわって裏山を撮りました。いつも自慢ですみませんが、目の前は花花の世界です。l黄モクレン/コバノミツバツツジ/ソメイヨシノ/椿/が満開です。4月から5月にかけて、〈オオデマリ〉が立派に咲くでしょう。そのあとは去年つくった柵の百合園が色とりどりの大きな花で満開になるでしょう。
 バードフィーダーには「歓迎しないハト」も一羽来ますが、スズメたちが飛んできます。今朝はまだ/アオジ/シロハラ/を見ました。もうすぐ北のほうへ行きますが、また12月には帰ってくるでしょう。
 ウグイスはよく鳴いています。「ホー・ホケキョ」と鳴く。人間の先入観ですが、ウグイスは鳴き方がそれぞれちがうそうです。道子さんは裏窓から裏山を見るのが好きです。今朝は「桜の樹にメジロが10羽来てた」と言ってました。満開ですからね。

 裏窓から見えるところに小鳥の巣箱をつけています。この巣箱をつけたのは2年前です。しかしどの小鳥も寄りつきませんでした。ところがシジュウカラの動きが「どうも巣箱をねらっているようだ」と道子さんはいいます。シジュウカラはヒマワリの種を好むようなので、今日は買いに出ました。カンパーニュでパンを買い、スーパーで買い物をして、ホームセンターに寄りました。
 帰ってから巣箱の下にエサ台をつけました。巣箱から出るとエサがある。「シジュウカラさん、この巣箱、いいでしょう!」
 ユーチューブにはシジュウカラが巣箱で卵を産み、ヒナを育て、11羽が巣立っていった画像がありました。あの巣箱に入居してくれたらいいんだけど。
  
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北谷川の桜はいま〈九分咲き〉かな。

2024年04月09日 16時46分00秒 | 古希からの田舎暮らし
 雨はやんだけど寒い。風が吹いてる。それでも〈出たがり屋〉のおじいさんおばあさんは、北谷川の桜を見に出掛けました。

 古川町公民館の庭は車がいっぱい。とめるところがありません。少し川上に行って道端に車をとめました。外に出ると寒い。風が吹いてる。しかし〈花見〉に来たのですから川端まで行きました。
 桜は立派に咲いていますが、満開一歩手前=〈九分咲き〉というところです。二日後くらいに来たら見事でしょう。
 帰りに喫茶店に寄って〈お茶〉しました。まえの〈ミール〉(名前をコットンに変えたいそうですけど)で珈琲とチーズケーキ。なんにもない口吉川町ですが、喫茶店が一軒あるのはうれしいです。
 我が家の裏山も花がいっぱい。

 黄色のモクレンが咲きはじめました。〈エリザベス〉という品種です。勢いのある咲き方です。横に、白い、小さい花が見えます。〈カラタチ〉の花です。数年前「咲いたら『カラタチの花』(北原白秋作詞・山田耕筰作曲)を歌をうたうからね」と語りかけていました。あれから律義に毎年咲いてくれます。歌は一番の途中までですけど。
 
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ゴミ・ステーション、そして桜見物。

2024年04月08日 21時56分56秒 | 古希からの田舎暮らし
「今日は〈焼き芋〉をしよう」と思っていましたが、雨。10時のお茶をすませてゴミ・ステーションへ。明日の燃えるゴミを前日に出します。うちはゴミ捨ても老人二人。そこから口吉川町の桜を見てまわりました。
〇 蓮華寺 ……  いつも桜にかこまれた家は満開です。こちら側の知人の家も8本のソメイヨシノが、お向かいに負けないくらい見事に咲いています。池のまわりの八重桜は少しあとになります。
〇 東、保木の公民館あたりの桜も満開です。ゆっくり軽自動車を走らせながら桜を見物しました。
〇 橋を渡って殿畑の公民館そばを通りました。建物のまわりの桜が満開です。
〇 ちょっとした買い物があるのでコーナンに寄ることにしました。峠を越えて安国寺への道から〈やすらぎの森診療所〉前を通り、東条川沿いに〈とどろき荘〉へ。ここは老木が太く、どっしりとかまえています。いま満開。
〇 コーナンで買い物をすませて喫茶店・シャレードのほうに走りました。シャレード裏の桜も満開です。

 この桜は一本の樹ですが、見ごたえのある枝ぶりで、盛りあがって咲いています。今日は月曜日で、定休日です。桜は満開でもシャレードはきっちり定休日を守ります。あの桜の下にはカウンターがあり、珈琲とケーキをとっていると桜の花びらがカップに舞い落ちます。あの雰囲気をまたあじわってみたくなりました。

 シャレードの対岸の桜並木です。花の下で珈琲を飲みながら対岸の桜を見る。最高の花見場所です。それでも定休日は守る。
〇 次は〈北播磨ソロプチミスト桜苑〉にまわりました。

 満開の一歩手前という感じです。ここは樹が若い。盛りあがりに勢いがあります。一人も見物客はいません。晴れた日に、イスかゴザをもってきて、花の下にすわっていたい。桜パワーがもらえそうです。
 北谷川のほうには行ってません。あそこは我が家の花見には欠かせないスポットです。天気のいい日に行きます。
〇 帰り道、東中・桾原の間の4本の桜を見ました。満開です。いいですねえ。
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