古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

大豆を刈りとりました。

2022年10月31日 17時47分34秒 | 古希からの田舎暮らし
 毎年、文化の日(11月3日)を「大豆刈りとり日」の目安にしているのですが、今年はよく乾いています。明日は雨が降る予報ですし、今日=10月31日に刈りとりました。
 大豆の品種を「サチユタカ」にしてから、10月のおわりには葉っぱが枯れて落ちるようになりました。

 刈り頃です。
 二段に張った青い線(ハウスバンド/マイカ線)/鉄筋(先端を曲げた棒、1メートル)/を片づけて、草刈り機で根元を刈っていきました。倒れたときに、大豆の粒がはじけることがあります。全部の粒をあとで拾います。
 竹の棒や菜園用の棒は抜きにくいし、弱いのですが、鉄筋は打ち込みやすく、抜きやすい。全部で50本。折れたり曲がったりすることなく、ずっとつかえます。
 今年つくったあの四輪カートにのせて、ウッドデッキまで運びました。三往復で全部運ぶことができました。
 デッキにブルーシートを敷いて、その上に大豆の枝を並べていきます。

 脱粒がすむまで、このままここで干します。夜はブルーシートを上からかけます。雨の日も。
 このデッキは農作業でよく役に立っています。修理がおわって、よかったです。
 午後は、昼寝のあとゴミ・ステーションへ。明日の生ゴミ、水曜日のプラスチックゴミ、を出しました。道子さんは、ゴミ・ステーションの花壇を手入れして、石ころみたいな大日如来さまに花を供えました。そのあと口吉川町を〈ドライブ散歩〉しました。コースは、まず〈マイ・トレーニング・ロード〉1200メートルを走り、20号線から冷泉橋を渡って桃津に。そこから田舎道を蓮華寺 ⇒ 馬場 ⇒ 東 ⇒ 保木 ⇒ 南畑 ⇒ 大島 ⇒ 槙 ⇒ 吉祥寺 ⇒ 里脇 ⇒ 久次 ⇒ 笹原 ⇒ 殿畑 ⇒ 桾原 ⇒ おらが村 とゆっくりドライブしました。稲刈りはすんで、田んぼのワラを焼いた田もあり、柿は色づき、「晩秋の気配だな」。
 農作業の節目に、口吉川町の村村を〈ドライブ散歩〉するのを、とても気に入っています。
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ウッドデッキの通路はできました。

2022年10月30日 18時07分02秒 | 古希からの田舎暮らし
 手すりの三本目のパイプを立てて、ウッドデッキの通路はできました。

 まえのデッキを壊し、エアコンを新調して移動し、何日もかかりましたが、これで一応完成です。「少なくとも10年は大丈夫。ぼくがいなくなってからもしばらくデッキをたのしんでもらえる」。と思います。

 午後は通販で買った〈紅はるか〉の焼き芋をしました。たき火の木材はよく乾いていますが、あまりつよいたき火だと皮がこげます。ほどほどの火力でいい焼き芋ができました。小さめサイズの紅はるかで、粒がそろっています。ダッチオーブンで10個焼けます。冷凍しておけば、お客さんにも持ち帰ってもらえます。
 たき火の番はぼくの好きな仕事です。明日も焼き芋したいな。

 夕方、デッキ工事をした大工道具を片づけました。道具の住所が決まっているので、気持ちよくスイスイと片づきます。階段の〈手すり〉の材木が出てきました。「そうだ。仮の階段だけど、手すりはつけておこう」。
 用心して階段を下りても、老人はあぶないときがあります。一度骨折して寝込むと筋力が落ちてしまい、「ハイ、それまでよ」です。大工仕事などできなくなります。

 手すりをつけて、安心しました。
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秋だなー。

2022年10月29日 18時09分17秒 | 古希からの田舎暮らし

 遠くには稲刈りのすんだ田んぼ。我が家の柵にはコスモス。夜なべ仕事の干し柿。野草酵素飲料の果物が並んでいます。
 秋だなー。
 果物で重さを稼いで、7キログラム仕込みました。秋の野草酵素飲料は毎年残り気味ですから少し減らしました。

 午後は昼寝のあと、BS1で「ビルマ戦線の敗戦」後半(再放送)を見ました。前半は見逃しです。多分「インパールの戦い」だったでしょう。インパールには、ぼくの針が大きく振れます。あの牟田口廉也を「許せない」気持ちになります。

 4時から外仕事にかかって、ウッドデッキの手すり工事を、ちょっとだけしました。

 地面を掘り、ブロックをすえて、単管パイプと立てたところです。長くかかっていますが、明日は手すりができます。ウッドデッキはこれで一段落です。
 通販で買った「紅はるか」で焼き芋をしよう/大豆を刈ろう/と思いながらまだ手がまわりません。

 
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明日は〈秋の手づくり野草酵素飲料〉を仕込みます。

2022年10月28日 18時12分31秒 | 古希からの田舎暮らし
 いつもの年より遅くなりましたが、明日は〈手づくり秋の野草酵素飲料〉を仕込みます。秋は木の芽や野草、畑の野菜が少ないので、果物中心の酵素飲料になります。これが実に美味しい。風呂上りに炭酸水で割って飲むとくせなりそう。
 道子さんはコープの宅配で果物をそろえていますが、追加で買いに出かけました。まず「よかたん」へ。よかたんのお風呂には長く行ってませんが、10月いっぱいは工事中ですって。ブドウが終わったので人は少なめでした。
 帰りに「東条道の駅」にまわりました。ここで梨と渋柿を買いました。渋柿は酵素飲料に入れませんが、大きな愛宕柿があったので干し柿にします。道子さんの〈夜なべ仕事〉です。
 午後は、村で毎年柿をいただくお宅に行き、たくさんとってきました。

 酵素飲料に入れるのは数個ですけど、三本の柿の木にスズナリだったし、つい。
 夕方、道子さんはウッドデッキで〈ナスビとピーマン焼き〉。ぼくはデッキの工事をしました。地面を掘り、ブロックを埋めて、手すりの単管パイプを一本たてました。

 今日たてたのは一本目で、三本たてます。まだ工事はつづきます。
 老人にとって「することがある」のは〈いいこと〉だと思います。ボチボチやります。
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デッキの通路はできました。

2022年10月27日 17時55分00秒 | 古希からの田舎暮らし
 ウッドデッキの3メートルの通路はできました。手すりは単管で別につけます。デッキの階段は、前の階段木材をバラシて、幅をせまくして、作り直しました。階段も10年間もつように、イタウバ(デッキ用天然木材)をつかって、後日作るつもりです。来年になるかな。

 たったこれだけのことですが、何日もかかりました。むかしから考えると、腰を曲げてノロノロ動いて、やっと作りました。
 午後は「通販で買っておいた〈紅はるか〉の焼き芋をしよう」と思っていたのですが、なんか元気が出ません。そういうときに、85歳のおじいさんは無理をしない。昼寝をして、本を読んですごしました。

 昨日ブログに書いた、フロア板をとめる駒は全部つかいました。
〇 3メートルフロア板の一方を桟に〈ビス止め〉してしまう。
〇 幅を調節して、駒をもう一方の端から挿入し、それぞれの桟までスライドさせる。時間がかかりました。
〇 フロア板のもう一方も桟にビス止めしてから、各駒をビス止めする。
 フロアの表面にビスどめの頭が見えますが、何度も張り替えたので仕方ありません。
 今後はこわれることがあっても、補修はしないつもりです。
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フィンランド・エコ・デッキは桟に〈ビスどめ〉します。

2022年10月26日 20時20分46秒 | 古希からの田舎暮らし
 今朝起きてロール・カーテンをあけました。東の空です。

「今日もいい日になりそうだ」。
 デッキ修理の工事をしました。昼寝が長くなって、夕方からとりかかったので、ほとんどすすみませんでした。
 実は、デッキの床は駒をつかってフロアの板をとめます。

 ところが床板の張替えは四度目になります。相当いたんでいます。

〈心おぼえ〉に修理の歴史を思い出してみます。
〇 2007年1月 2×4材でウッドデッキをつくりました。BBQや来客の応接などによくつかいました。ウッドデッキは〈我が家の自慢〉でした。(デッキから眺める景色のお陰ですけど)ところどころ修理したり塗り替えたりしながら。
〇 2013年11月 床が抜けるほどいたんできたので、フロア材を〈フィンランド・エコ・デッキ材〉に張替えました。そのとき下の支えが腐食しないよう屋根の下地シート(商品名:モラサン)を防水目的で床に張り、その上に「垂木にペンキを2度塗りした桟」を置いて、フロア板をとめました。
〇 時期は不明ですが、桟の木材が腐食してブヨブヨした感じになったので、人口木材(プラスチックの桟)に替えました。フロア板を全部はぐって、防水用の屋根下地材(モラサン)を「♯7000」という超ド級のシートに替えました。これで「デッキは永遠だ!」とそのときは思いました。
〇 2021年秋 土台の材木がひどく腐食し、床がブヨブヨしてきました。そこで「最後の大仕事」のつもりでウッドデッキを土台からやり直しました。ただし、このときは3メートル×4メートルの広い部分だけ。3メートルの通路部分は「丈夫そうなので」そのままにしました。木材の土台を全部こわして燃やし、単管パイプで土台をつくりました。フロアの板はそのままつかいました。駒をつかって床板を張るのは大変でした。
〇 残りの3メートルの通路が、土台がいたんでブヨブヨしてきました。このたびの修理です。これが最後の修理となります。フィンランド・エコ・デッキ材が、反ったり曲がったりして、かなりいたんでいます。でもそのまま使用します。もうこのデッキ材は日本では入手できません。ほかの人工木材は高価すぎます。駒をはさんでデッキ板をとめようとしましたが、板が反って、曲がっているので不可能です。プラスチックの桟にビスどめします。
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この頃思うこと

2022年10月25日 23時06分08秒 | 古希からの田舎暮らし
 この頃思うことを二つ。

〇 日曜日の朝『がっちりマンデー』というテレビ番組があります。紹介されるのは「何か工夫してモノがよく売れて、もうかる」会社のお話です。よく見られている番組でしょう。お金のもうかる〈お話〉はみなさんお好きですから。ぼくも見てます。
 お金のもうかる〈アイディア〉に刺激されて「よし、オレも何か思いついて、お金をもうけるぞ!」という人がいるでしょうね。パソコンにさわってなにか工夫すれば、あまり苦労しないでお金がもうかるとか。
 ぼくは思うのです。「一人の成功者のカゲには、100人、1000人、10000人、の失敗する人がいるだろうな。その人たちは、失敗のあと、どんな思いで生きるのだろうか」。
 
〇 オリンピック汚職が報道されてます。汚職した人は78歳。ぼくと近い年齢です。上司の森喜朗さんは同い年です。そんな歳になって、逮捕される。イヤな思いをする。ビクビクする。おそらく、汚職はあの人だけではないでしょう。オリンピックという催し物も、汚染されています。高齢になってもそんなことに精を出す人がいる。
「あの世には、一円も持って行けないんだけどなー」。
 
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毎日〈ウッドデッキ修理〉をやっています。

2022年10月24日 18時19分23秒 | 古希からの田舎暮らし

 これは23日(日)の写真です。ウッドデッキにフロア板を張ったように見えます。しかし、下の支えができたので板を置いただけです。今日は、板をはずして土台がしっかりするようにあれこれ細工しました。安上がり/しっかりしている/10年はメインテナンス・フリー/のデッキにしようと、あれこれ苦労します。
 今日も夕方まで仕事しましたが、まだ完了しません。もう一日かかるでしょう。
 でも、作業の途中で考え、また考え、ありあわせの材料で、デッキを作り直していくのは〈好きな仕事〉です。何日かかってもいい。「早く仕上げたい」とは思いません。明日もデッキ修理の仕事をします。

 花好きな道子さんが今朝、下駄箱の上に置いた花瓶です。家のまわりで花をそだて、花を挿す。しあわせでしょうね。
 石の観音像は、1978年(昭和53年)ぼくが訪中団として中国に行き、上海で買ったものです。あの地震をこえて、ずっと我が家の玄関で見守っておられます。
 この観音さまとは、縁がありますねえ。
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〈半藤/池上〉対談から、もう一つ引用します。

2022年10月23日 02時44分35秒 | 古希からの田舎暮らし
 日本は安全な国ですが、それを支える警察は官僚化しています。ナワバリ意識がすごい。テレビの警察ドラマ『相棒』にも警察内の〈ナワバリ争い〉が出てきます。半藤/池上/対談でそのことにふれています。
 オウム・サリン事件についての対談を引用します。


半藤: かれらに地下鉄サリン事件を起こさせない道はあったか、と問われれば、坂本一家殺害事件のときに神奈川県警が本気になって当たっていたら、あそこまで行かなかった可能性はあります。そう思うのですが、どうですか。
池上: たしかに早い段階で警視庁の捜査員を投入していれば展開は違ったかもしれません。坂本一家事件は神奈川県警。松本サリン事件は長野県警。オウムは当時、警視庁管内では事件を起こしていなかったので、警視庁は捜査ができなかった。かれらは切歯扼腕していたのです。
 そうしたら目黒の公証人だった刈谷さんが連れ去られた。あのとき、警視庁や警察庁が、これで捜査できる、となって警視庁捜査一課の腕っこきを投入して一挙にオウムに迫る。
半藤: あれが起きるまで手出しができなかったのかしらね、警視庁は。わたくしは当時、なぜ警視庁が出てこないのかと不思議でしょうがなかったんです。
池上: 東京管内で事件が発覚していなかったからです。着手する法的根拠がなかった。
半藤: では、大もとの警察庁が直接動くという考えはなかったのですかね。
池上: 警察庁は、所轄をまたぐ事件の情報を集めて、「警察庁指定第〇号事件」というふうに指定をし、それぞれの所轄にたいして捜査依頼や連絡調整をする役所ですから、指揮系統はないんです。
半藤: なるほど警察庁は、そもそも指揮も捜査もできないということか。いずれにしても、第二のオウムがこの先出てこないともかぎらない。そのことは気に留めておきたいですね。


 官僚化している警察組織のことはよくわかりません。しかし「地下鉄サリン事件のヒントはいっぱいあったのに〈ナワバリ〉の谷間に埋もれてしまった」ことはわかります。なんとかしないと、どんな事件が起こるかも。
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『半藤一利さんの教え』より引用します。

2022年10月22日 02時37分00秒 | 古希からの田舎暮らし
〈浜坂への旅行〉中に読んだ本から引用します。半藤一利と池上彰の対談の本です。『令和を生きる』(幻冬社 新刊 2019年5月刊)お二人は、わかりやすく時局を話してくれる人ですので、期待して読みました。いろいろ引用したいのですが、二つにしぼりました。読んでみてください。


半藤: 「バスに乗り遅れるな」というスローガン。なぜ日本人はその言葉に乗りやすいか。ここで昭和史のおさらいをしておきます。/ 太平洋戦争開戦の前年、昭和十五年(1940)のことです。ヒトラー率いるドイツ軍が電撃作戦をはじめて、ついに六月、パリに無血入城を果たしました。快進撃を見て、日本では陸軍が息巻いた。イギリスが白旗を上げるその前に、ドイツ、イタリアと三国同盟を結ぶべきだと主張したのです。陸軍大臣をわざわざ辞任させて海軍出身の米内光政内閣を総辞職に追い込みました。そして近衛文麿内閣(第二次)を七月に誕生させ、九月にはもう三国同盟を結んでいます。「バスに乗り遅れるな」という言葉がこのとき盛んに語られたのですが、その意味は、「早晩ドイツが勝つから、早く参戦しないとドイツの分け前にあずかれないぞ」ということでした。東南アジアのイギリス、オランダの植民地は、戦勝国ドイツの手がのびる前に押さえておきたかった。インドネシアとフランス領インドシナといった地域の資源は、日本にとって喉から手が出るほど欲しいものだったのです。このあともう一度、昭和十六年にもまた「バスに乗り遅れるな」が叫ばれることになります。
 ドイツ軍の対ソ大進撃がはじまったのが昭和十六年六月二十二日。独ソ不可侵条約を無視したドイツ軍の奇襲の前に、ソ連赤軍は敗走させられました。このときイギリスとアメリカはただちにソ連援助の声明を出しています。つまりソ連が英米の陣営に入ったわけです。
 いっぽう開戦後のドイツは、盛んに日本の決起を督促してくる。大島浩駐独大使をつうじて、対ソ作戦に協力してほしいと言うのせす。作戦はたちまちドイツ勝利のうちに終了する可能性が高いとも言ってきます。オットー駐日ドイツ大使も、いまこそ日本にとって唯一無二のチャンス。対ソ軍事行動を起こすことによって、希望どおりに中国との戦争、支那事変を解決できると、リッペントロップ外相の申し入れを伝えている。それらの情報は、日本の好戦派を武者震いさせることになるのです。「ソ連が白旗を上げる前にこそ立つべし」「バスに乗り遅れるな」とかれらの勇み足を早めさせた。そしてこの国は情勢分析と政治判断を誤り、全国民を巻き込んだ凄惨な負け戦に突き進むことになったわけですね。国民はほとんど思考停止の状態でした。軍部や政府の言うがままに闇雲に走り出していた。その話、覚えておいても損はないです。


 いま読むと、実にわかりやすい。一部の好戦派だけでは事態はうごきません。新聞も国民をあおりたて、みんなが〈この流れ〉に熱狂して、あの戦争に突き進んだのでしょうか。


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浜坂温泉に一泊の旅をしました。

2022年10月21日 18時17分44秒 | 古希からの田舎暮らし
 20日(木)21日(金)と〈浜坂温泉に一泊〉の旅をしました。
 浜坂という町にはじめて行きました。鳥取県に住んでいると、浜坂はちょっと隣りの町です。浜坂出身の知人も友人もいます。しかし、なぜか行ったことがありませんでした。温泉があり、漁港で蟹がとれるのに「なぜ行ったことがないのだろう」と自分でも不思議でした。「一度は行ってみよう」とこのたび思い切りました。

 秋の空をバックに温泉の看板です。
 浜坂温泉は800戸の家々に温泉が配管されており、全国一だそうです。泊まったのは保養荘で、露天風呂を気に入りました。〈男・女・一日交代〉の露天風呂ですが、今朝は男風呂になっており、朝6時からゆったり入りました。〈六畳大の大きな浴槽〉にお湯があふれています。注いでいるのは直接さわると熱い温泉。入っていた30分の間だれも来ない。〈かけ流し〉でもったいないけど、ひとり占めの露天風呂でした。眺めのいいお風呂で、一人湯船で手足を伸ばしていると、寿命がのびる気分になりました。
 このたびは自動車を運転しないで、列車に乗って行きました。新三田に車を一泊させて(二日で2000円)列車に乗りました。
でもいま国鉄は(アッ! まちがえた。JRだった)大変です。〈乗り換え乗り換えまた乗り換え〉で行きます。
 新三田から篠山口へ。福知山行きの普通車へ。そこで特急〈きのさき号〉へ。城崎から浜坂まで普通車。
 帰りもいろいろあって、遅く帰りました。結構大変な旅でした。
 JRの『餘部』の駅は人気がありますね。各停の列車が止まると、ごそっと人人が降りていきます。

 写真を撮っていたら、手を振ってくれました。
 今度行くときは、北近畿自動車道で行くかなあ。
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エアコンを付け替えました。

2022年10月19日 17時44分59秒 | 古希からの田舎暮らし
 まえのエアコンはウッドデッキを作るより先に、家の軒下に陣どりました。引っ越しの日に設置してもらったのです。エアコンがあるために、あとでデッキの通路をつくるのに苦労しました。
 このたびエアコンを新しくしました。まえのエアコンは、名谷に住んでいたときに付けた機種で、三木でもずっと使っていました。40年近く使っていたことになるでしょうか。水戸黄門のセリフ「助さん格さん、もういいでしょう!」。
 今日、新しいエアコンを設置してもらいました。

 これで通路作りがらくになります。単管パイプ/鉄骨材/フィンランド・エコ・デッキ材(再利用)/コンクリートブロック/ステンレス・ビス/で、これから〈10年間手入れ不要〉のデッキをつくります。
 いま、現場をながめては、あれこれ考えています。しあわせな、たのしい、時間です。
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外仕事の雑用

2022年10月18日 19時56分29秒 | 古希からの田舎暮らし
 コキア(ほうきぐさ)が色づいてきました。あちこちの公園で『コキア祭り』のようなものが行われます。前に書きましたが「ひたちなか海浜公園のコキア祭りを見たい」と思っていました。しかし我が家にもコキアは咲きます。いま色づきかけてきました。

 毎日眺めながら色づきをたのしみます。これで結構です。

 今日は、外仕事のいろいろな雑用をしました。
〇 我が家のサツマイモをダッチオープンで焼き芋にしました。
  サツマイモの出来がわるくて、あとは小さい芋が残るだけです。いろんな種類のサツマイモは、これからはつくりません。「紅はるか」を10本植える程度にします。畑の場所はとるし、出来はわるいし、通販でいい芋がゲットできます。それで十分。
〇 栗のイガをたき火で燃やしました。やっかいな栗のイガは片づきました。
〇 エアコン用の土台をつくりました。新しいエアコンを明日設置してもらいます。その場所を片づけました。
〇 針金で「S字フック」をつくる。
 
 ホームセンターで売っている、一番太い針金でつくりました。この針金は「S字フックをつくろう」と以前買ったのですが、太くて固い。「番線切り」で切れません。ディスクグラインダーで切りました。ペンチで軽く曲げるのは無理です。万力にはさんで、金づちで叩いて曲げました。不ぞろいですが、丈夫です。
 こんな雑用で一日が過ぎることもあります。
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プリンターを替えました。

2022年10月16日 20時37分13秒 | 古希からの田舎暮らし
 写真とコメントの〈アルバムづくり〉がおわりました。
 老人会の文書作りに活躍した〈プリンター最後の大仕事〉でした。年賀状でも長年お世話になりました。途中で「プリンターを替えよう」と同じレベルのプリンターを購入しましたが、ヘッドにインクが詰まって捨ててしまいました。
 結局まえのプリンターを十数年使うことになりました。ヘッドはまだ大丈夫ですが、紙送りのロールが不調です。十二分にがんばりました。ありがとうございました。
 同じレベルの新しいプリンターを買いました。つないで印刷してみました。快調です。しかし付属のDVDをパソコンにセットしても、マニュアルがインストゥールできません。いつもお世話になる方にお願いしてやってもらい、ふつうに使えるようになりました。おそらくこれが生涯最後のプリンターになるでしょう。ときどき印刷もして、長く使います。

 
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道子さんは夜なべ仕事が好きです。

2022年10月15日 18時21分16秒 | 古希からの田舎暮らし
 裏山の栗(筑紫)が毎日落ちています。

 道子さんはせっせと拾って、夜皮をむき、渋皮煮にしました。今年はよくできました。
 栗の前は毎晩、ピンセットで胡麻のゴミをとりのぞきました。これから大豆を収穫すると、板の上をころがして、いい豆を選別します。渋柿を買うと夜なべ仕事で干し柿にします。
 夜なべの単純な仕事が大好きです。
 渋柿は〈道の駅三木〉で西条柿を買っていましたが、去年から大ぶりのあたご柿を干し柿にするようになりました。今年もあたご柿を注文しました。11月下旬に送ってくるそうです。待ち遠しい!

 今日、買い物に出掛けて帰るとき、道端の南畑テントでブドウを売っていました。
「10月に入るとブドウはおしまい」と思っていましたが、ジュース用のサービス品をふくめてピオーネをゲットしました。今夜からまたブドウのデザートがたのしめます。
 
 ところで、ガソリン代が高くなるので補助。電気代が高くなるので補助。「旅行に行け! 金つかえ!」と補助。補助のお金は税金でしょ。国の借金になるんでしょ。国民の機嫌とりみたいに、お金をつかって、国の借金ふやして、その場だけいい顔して。こんなことで日本はやっていけるんか。
 安くなる/補助がある/得する/もうかる/ …… 国民を「そんなレベルで釣ろう」とするのか。
 ほんとに困っている人には手厚く援助しましょ。なんとかやっていける人には、補助しないで、なんとかやってもらいましょ。
 
 
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