古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

山仕事は一段落しました。

2018年02月28日 01時51分20秒 | 古希からの田舎暮らし
 このところ連日、老人にしては精力的に山仕事(ぼく⇒竹伐り・斜面の片付け/道子さん⇒石垣づくり)に打ち込んできましたが、きのうでほぼ完了しました。
 今日は休養日にします。
 きのうはいい天気でした。陽が射して、仕事がしやすかった。10時のお茶は、コーヒーとチーズケーキです。家のウッドデッキでなく、裏山の花見デッキでいただきました。

 手前はビオトープの池です。花見デッキの後ろにキウイの棚が見え、その上の斜面が片付けている場所です。この林間デッキは季節の変化が間近に見られ、気分がいい。「このデッキを作ってよかった」。
 きのう気付いたのですが、このデッキから見える〈田舎の風景〉もわるくない。
 右が我が家と左の「訪問看護ステーション」の間に見える景色です。
 
 このたびの山仕事で感じたことがあります。
「〈体幹〉がしっかりしてきたから斜面での仕事をする気が出てきた」。
 瞑想のときに毎朝20分間座っているプラスチックの座いす「スタイル・アスリート」。
 テレビを見るときに毎日2時間は座っている「スタイル・ドクターチェア」。
 二つのイスで『体幹』がしっかりしてきたのではないか。そのイスに座りだして1ヵ月余りだけど。
 背中を曲げてダラーンと座っていたイスと違い、背中が立っている感じです。運転するときも。
 80歳にもなるとバランスをとる力が弱くなり、斜面を移動するのが不安定になります。そんなところを移動して、竹藪や繁みを片づけようと思わなくなります。
 それでも竹や木を引っ張って移動することができた。斜面を転がり落ちたのは一回だけだった。
「不安定だからやめとこ」と思わなかった。
 
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山仕事はしんどいけどたのしい。

2018年02月27日 00時00分05秒 | 古希からの田舎暮らし
 日曜日はコスミック・ホールで音楽を聴きました。音の波動につつまれて、しあわせでした。きのうはあの感動をまた味わおうと[you tube]で《チャイコフスキー第5番》の〈第4楽章〉を聴きました。カラヤンの指揮/バーンスタインの指揮/ムラヴィンスキーの指揮/と。スピーカーの音は、生の楽器の波動と全然ちがいます。途中でやめました。
 きのうはいい天気だったので、道子さんもぼくも、それぞれ裏山で仕事をしました。
 道子さんの石垣づくりは佳境に入っています。

 軽トラで農道を走って道ばたに石が転がっていると、道子さんは「ちょっと止めて」と石を拾います。そんなふうにコツコツためた石を積んで、石垣を築いています。砂とセメントを混ぜて練り、固さを調整し、組み合わせを考えて。ぼくはドボジョの熱意に感心して見ているだけ。
 ぼくのほうは斜面の竹や下生えを伐って片付けました。まだ作業が残っています。斜面を、慎重に、笹につかまりながら、鋸で下生えを伐り、倒した竹を横の竹藪に突っ込みます。

 足腰を休めるために、キウイの棚にハンモックを吊るして横になります。
 うららかな「春の陽射し」をあびて、空を見あげる。

 足腰が弱って、ハンモックが危なくなったら、地面にゴザを敷いて寝転び、空を見あげよう。
「しあわせ」ってこういうもんだろうな。空を見ながら思いました。
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コスミックホールで『第5番』を聴きました。

2018年02月26日 01時03分04秒 | 古希からの田舎暮らし
 きのうの日曜日は、夕方近い4時から『日本センチュリー交響楽団』の演奏会がありました。チャイコフスキーの交響曲第5番。久し振りに「チャイ5」を生(なま)で聴けます。しかもすぐ近くの、あの響きのいい『コスミック・ホール』。
 コスミック・ホールでは、去年12月に『第九』(ベートーベン)を聴きました。聴衆は満員でした。合唱の声がきれいに響くのに感動しました。
 数年まえには、このホールで関西フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、やはりチャイコフスキーの交響曲第5番を聴いたことがあります。あのときも感動しました。
 日本センチュリーの指揮者は松元宏康さん。若い! 指揮する体にキレがある。楽団のパワーを引き出す指揮で、見ていても気持ちがよかった。
 日本センチュリー交響楽団は、去年の冬このホールでベートーベンの交響曲第6番『田園』を演奏しました。そのときやはり指揮者だった松元さんが「この町の人たちが思うよりはるかに、日本の演奏家にこのホールの良さは知られています」と聴衆に語り掛けました。
 きのうは、アンコールを兼ねて地元の合唱団とともに『フィンランディア』を演奏するまえに「演奏がみなさんによく響くように、みなさんの拍手も快く響きます」とコメントされていました。合唱もきれいに聴こえました。
 ここで毎月クラシックの演奏会があれば、遠くまで出掛けることもないのですが。
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築城ドボ女、活躍中!

2018年02月25日 01時22分57秒 | 古希からの田舎暮らし
 ぼくは裏山の竹を伐る仕事がまだ残っています。きのうは太い枝を片付けました。
 直径20センチ近いコナラの枝が強風で折れたようです。といっても数日前の話でなく3年くらい前のことです。「枝が太いし、片付けるならチェーンソーで切断しないといけない」と思い、そのままにしていました。
 その間に枝の横たわる斜面に竹が生え、下生えの木が生え、「繁み」になってしまいました。
 
 その「繁み」というのはこの斜面です。2010年の写真です。この年、斜面の竹をはじめて伐りのぼり、片付けました。もうすでに「竹の枝切り刻み」にいそしむ母・妙子さん、この斜面を年賀状に入れたいという道子さん、そして裏山の頂上が写っています。
 竹藪の竹を伐って片付けたらこんな斜面が現われた。斜面を見たら「こころがひろがった」。そんな「うれしさ」も写っています。
 あと2日の作業でこの斜面をまた見られそうです。
 道子さんは小高くなったところに石垣をつくろうと奮闘中です。
 ぼくはほんとは「大工さん」向きの人間だったかもしれない。道子さんは「土木工事をする仕事」に向いていたのかもしれない。と思うことがあります。道子さんは熱中しています。
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裏山の竹を片付けました。

2018年02月24日 02時51分37秒 | 古希からの田舎暮らし
「裏山の暗い竹藪が母・妙子さんの『竹の枝切り刻み』によって里山風になった」話は、先日お伝えしました。
 彼女の精進と「竹伐り孝行息子」の奮闘で里山は数年間維持されていました。しかし妙子さんが百歳で引退し、この4年間は息子も竹伐りの手を休めていました。竹は伐り倒しましたが「片付け」は手を抜いていました。
 竹藪の竹がなくなり日が射すようになると、下生えの木木が伸びてきます。猿がいたら嫌がるであろう、あの「サルトリイバラ」なんか嬉々として這いまわり、這いのぼります。地面に落ちたクヌギやコナラのドングリも芽を出し、伸びてきます。シャシャキ/サカキ/ソヨゴ/アセビ/タカノツメ/ネジキ/ガマズミ/ネズミモチなどなど「こんなにいろいろな植物が竹藪に抑えられていたのか」と思います。
 2日間休養していましたが、きのうは伐った竹を横の竹藪に突っ込んで片付けました。
 裏山のてっぺんに登る道の階段も修理が必要です。前より足がおぼつかなくなったので階段のステップを小さくします。で、きのうは階段に使う鉄筋をディスクグラインダーで切断し、パイプをつかって曲げる作業をしました。

 この鉄筋でとめる木は、杉の2×4材にします。木が朽ちても修理できなくなるだろう。しかしできるだけ長く裏山に登りたい。
 それにしても家の裏に建てた小屋は役に立ってます。4メートルの鉄筋を切断し、曲げる作業が苦も無く出来る。ありがたいです。
 
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「突然死」! どんな心の準備も間に合わない!

2018年02月23日 04時16分23秒 | 古希からの田舎暮らし
 俳優・大杉漣が急死。小気味よい切れ味の、元気な人した。「急性心筋梗塞だったか。大動脈解離だったか」とお医者さんのコメントもあるようです。
 急性心筋梗塞といえば去年の5月、弟が亡くなりました。買い物から帰って玄関の鍵を開け、中に入ったところで倒れたようです。本人にとっても身内にとってもあまりの突然死でした。
 大動脈解離といえば去年の6月、親友が亡くなりました。話をききますと「朝は市民農園に野菜づくりに行き、夜、車を運転して病院に行き、問診票を書いている途中で倒れ、そのまま」だったそうです。家族の方から電話があったときは、どんなに動転したか。
 
 朝、仏壇に向かうとき、いまも戦慄の感覚がからだをかすめます。
 その戦慄の感覚を、ふり払うでなく、凝視するでなく、ただ「あったなあ」と感じるようにしています。
                                                                                                                                
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『立禅』(りつぜん)の金子兜太さんは今頃あの世で再会してるかな。

2018年02月22日 01時00分05秒 | 古希からの田舎暮らし
 大正8年生れの俳人・金子兜太さんが、98歳で亡くなりました。朝日俳壇の選者を長らくつとめて、俳句の現代化に力を入れた方です。このブログでは2年前に金子さんの『立禅』を紹介しました。
 生前、毎朝、先に逝った人たちの名前を唱えていた金子さんは、今頃あの世で再会し「やあ、やあ」と思い出話に花を咲かせてるかも。亡くなられたのを機に、もう一度彼の『立禅のやり方』を、著書『あの夏、兵士だった私』より引用します。


 私は毎朝、神棚の前で、死んだ人の名前を唱え、みんなに向き合う「立禅」を続けています。時間にして約30分弱。やらんとその日は眠られないくらいです。
 私は無神論者ですが、神棚には郷里の椋神社なんかを祭ってある。亡き家内の位牌もそこにある。その神棚の前で名前を唱えていると、気持ちも体もスーとしてくる。これが私流の「立禅」。いまのところ全部で130人くらい。続けていると気持ちがいいので、毎朝繰り返しています。
 やり方はまったくの自己流。立ったまま、座禅のように手を丹田(たんでん)のところで組んで、目をつぶって、小さく名前を唱えていく。それだけ。
 すると不思議なことに、亡くなった人たちの顔が浮かび、喜んでいる顔と再会しているような気がする。こっちも元気になります。
 こうして毎朝、立禅で亡くなった人たちと交流するんですが、唱える名前の順番は決まっていて、いっとう最初は実家の菩提寺の和尚。次は私の俳句の師匠加藤楸邨(しゅうそん)先生。そして日銀の鎌田正美さん。4番目が私の俳句の基礎をつくってくれた堀徹(ほりてつ)さん。それから何人か唱えて、両親や女房の名前はいちばんしまい。新しく他界していった人は、その後に付け加えさせていただく。


「ぼくもリストアップしてみよう」とあれこれ思い出してメモしたことがあります。しかし名前を唱える気持ちにはなりません。いまは毎朝仏壇を拝みます。仏壇の横に亡くなった身内、先輩、友の写真、アルバムを置いて。

 朝の瞑想前に仏壇に向かう。電池のロウソクを点け、線香(半分)に火を点ける。数珠を手にして写真を見る。鈴を鳴らす。拝む。
 このルーティーンを、なんとなく気に入っています。
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昼ご飯は春の陽をあびて。

2018年02月21日 03時57分27秒 | 古希からの田舎暮らし
 久しぶりのうららかな春の日。風もなく、気持ちがほこりびます。お昼はウッドデッキで昼食をとることにしました。
 
 酵素玄米の〈のり巻きおにぎり〉、焼き芋、黒豆、塩鮭の小さい切り身とありあわせの残り物に、バナナと目玉焼きをそえて弁当をつくりました。我が家では朝・昼・晩の3食に黒豆をつけます。去年は黒豆がよくとれました。10数キロ。1、2キロはポン菓子屋さんにポンしてもらって、香ばしい「黒豆ご飯」をつくります。
 黒豆は、大豆みたいに味噌につかいません。10キロ超残っています。で、甘さをひかえた煮豆にして毎食、食べます。豆の味がおいしく、あきることはありません。焼き芋は、ぼくが裏山のたき火・ダッチ・オーブンでつくり、冷凍保存しています。解凍して少しずつ。80歳になると食べる量は少し。しつこくない簡単な食事を好みます。こんな食事がちょうどいい。
 
 この間から土地測量の人が来て、デッキ前の土地を測量していました。前の空地に家が建つみたいです。
 デッキからの眺めがわくるなります。でも「ま、いいか」。
 この地に家を建て、移り住んで11年がすぎました。デッキからの眺めは我が家の自慢です。ここに移り住んだ年は合計10回、人を呼んではデッキでバーベキューをしました。子や孫たちとは毎年バーベキューをしてきました。これからもできますが、眺めはちょっとわるくなるかも。しかし裏山には林間バーベキューのデッキをつくりました。いい眺めは裏山にちょっと登れば眺められます。
 
 それに孫たちもこの11年間に大きくなりました。ぼくらも老いてきました。たのしみはたっぷり受けとりました。いつまでも独り占めしなくてもいい。
 どうなるか、まだわかりませんが、そんな気持ちです。
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買い物に出てちょっとドライブ。

2018年02月20日 00時25分42秒 | 古希からの田舎暮らし
 ストーブ用の石油、ブロック、土などを買おうと軽トラで出掛けました。
〈コーナン ⇒ コメリ〉とまわって軽トラでちょっとドライブ。吉川高校から吉川グランドに行く手前で細い道に入り、湯谷に出ました。前にも紹介したことがありますが、湯谷には藁屋根家屋のツー・ショットがあります。どちらも空き家でなく、現役です。家の前の樹は銀杏に見えます。

「季節によってはいい写真になる」と思いました。うちの村でも藁屋根の家は残っていますが、トタンの波板で保護されています。藁屋根のままの家は一軒だけです。川向こうの村に無住の藁屋根の家がありますが、先日ドライブしていたらその家の屋根が陥没して、崩れていました。
 トタンの波板でカバーしてない藁屋根の家は少なくなりました。現役のきれいな藁屋根の家となるとめったにお目に掛かれません。それが2軒続き。
 また若葉の頃に来てみます。  
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日本列島は冬のオリンピックでわいてます。

2018年02月19日 02時49分23秒 | 古希からの田舎暮らし
 冬のオリンピックで、日本中がわいてます。
 今から20年前、1998年には「冬の長野オリンピック」がありました。
 1998年2月に道子さんとぼくは、カナダのイエローナイフにオーロラを見に行きました。イエローナイフ ⇒ 大都市トロントとめぐるツアーでした。
 トロントには当時、世界一高いCNタワーがありました。自由行動のときにそのタワーに昇ってみました。エレベーターで300メートル昇ります。そのエレベーターでカナダの人が話し掛けてきて「日本から来た」という話になりました。カナダの人が「ナガノでオリンピックがあるときなのに、なんでカナダに来るのか」ときかれたことを思い出しました。
 カナダは北の国で、冬のオリンピックに強い選手がいて、関心が高いのでしょう。ぼくらも多少は関心があったかもしれないけど、自分のツアーのほうが大事でした。
 あの20年前と今では、テレビの盛り上げ方がちがう気がします。落ち目のテレビが「冬のオリンピック一色」に染まって、視聴率を稼ごうとしているような。
 2年先のトウキョウ・オリンピックもそうなるのか。
 ヒットラーは国民を3つの「S」にひたしている間に、戦争に舵(かじ)を切りました。SPORTS / SCREEN / SEX。いまはスクリーンがテレビになっていますが同じです。
 
 こんな話を聞いたことがあります。
 感動的な講演をすることで有名な講師が「人間は寛容が大切である」というお話をしました。
 聴衆はみんな感動して熱狂的に拍手しました。ところがある一人の聴衆が「いまの講演はつまらなかった」といいました。熱狂していたまわりの聴衆はその人を袋叩きにしました。
 あえて「ひとこと」。
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今年も、大将軍神社に毎月お参りします。

2018年02月17日 01時38分50秒 | 古希からの田舎暮らし
 きのうは16日。うちの村の「大将軍神社」にお参りする日でじた。
 当番の方が、神社の境内を掃き清め、参る人に渡す「お餅」をつき、「お神酒」を用意して待っておられました。
 去年は「お参りの日=16日」に、毎月お参りしました。皆勤賞! 今年も皆勤をめざします。

 お参りのあとは買い物。軽トラで。コンクリートのブロック、セメント、鉄筋を買うために。
 でも寒いし、羽生くんのスケートがあるし、外仕事はしませんでした。
 ま、ぼちぼちだんな。
  
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去年の巣かな。

2018年02月16日 00時32分58秒 | 古希からの田舎暮らし
 裏山を見る窓から4メートルのところにコバノミツバツツジが生えています。その木の枝に鳥の巣を見かけました。巣は空(カラ)でした。去年の冬の巣でしょう。地上1メートル。ウグイスの巣です。

 家の近くなのに気づきませんでした。春にはツツジの葉が茂るし、笹も生えておおってしまうし、自然のなかって見つけにくいものです。
 そういえばもうすぐウグイスが鳴きます。毎年〈初鳴き〉を耳にして「春が来たな」と感じます。下の里からあがってきた人は鳴き声を聞くと「あ! ウグイス!」と感動します。ぼくらはあの鳴き声をずっと耳にしながら毎日をすごします。なにしろ一日に千回鳴くウグイスもあるそうですから。
 そのかわり、下の村におりて「チュンチュン」と鳴き声をきくと「あ! スズメ」となつかしい気持ちになります。山にはスズメは飛んできません。

 3日間かけて裏山の斜面の竹を伐りました。下生えの木も丈を低くしました。下から頂上を見あげた写真です。

 右に傾いた木が見えます。クスノキです。斜めに写っていますが、ほんとは真っ直ぐ立っています。30センチほどだった苗木が立派になりました。あと10年もすれば裏山の「シンボル・ツリー」になるでしょう。
「下から頂上が見える」=「上から村を見渡せる」です。こんなに頂上が見えるのは4年ぶりでしょうか。しばらく竹伐りをサボっていましたから。
 頂上からは6月には水をはった田んぼの広がりを、10月には稲刈り前の黄金の稲波を、眺められます。「ああ、田舎だ」という眺め。ときどき登ることにします。足の筋肉の鍛錬にもなるし。 
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カセット・テープよ、さらば!

2018年02月15日 02時14分59秒 | 古希からの田舎暮らし
 2009年には家の裏に、足場パイプで作業・物置き小屋を建てました。この小屋で、道子さんはポットに種を播いたり苗を植える農作業をし、ぼくは電動工具をつかったりして大工仕事をします。
 この小屋にステレオを置いて、もっぱらカセット・テープで音楽を聴きながら作業をします。 
 最近はテープ・デッキの調子がおかしい。ヘンな音で聞こえる。長年たくわえたミュージック・テープを処分するしかない。
 実は10数年前に「カセット・テープはもう古い。これからはMDだ。MDで音楽を聴くことにしよう」とMDにテープやCDをコピーしていました。そのMDで音楽を聴くことにしたい。
 というわけできのう、カセット・テープとステレオを処分しました。
 
 いい音のスピーカーはそのままつかいます。それにしてもこの沢山のカセット・テープ! 
 実は50年前、ぼくはオープンリールのテープデッキを愛用していました。時代の流れでカセット・テープに切りかえ、『週刊FM』という雑誌をとってFM放送を録音したり、CDをコピーしたり。思い出の詰まったカセット・テープばかりです。自動車用の「テープ携帯ケース」も自作していました。
 それにしても「そろそろ博物館に入ろうか」というMDをなぜ今頃? 10年ほど前にMDデッキを買おうとしたらもう製造中止だったし。
「思い出のある音楽MDをもっている。中国製のアンプ・中古のMDデッキを安く入手できる。まだしばらくは小屋で仕事できる。音楽聴きながら作業したい。オレの人生を〈カセット ⇒ MD〉に延長しよう」

 小屋のステレオ棚がすっきりしました。
 
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裏山の「里山仕事」ができたのは母のお蔭です。

2018年02月14日 02時33分26秒 | 古希からの田舎暮らし
 きのうも裏山の竹や繁みの低い木を伐りました。伐りながら思ったのは母・妙子さんの〈ご恩〉です。
竹藪の竹を伐るのはたやすい。だけど始末に手がかかります。
 倒した竹を3メートルくらいに切って積み上げる。枝がついている。かさばって山のようになる。
 その枝を花バサミで切り落とし、さらにかさばる枝を切りきざんたのは母・妙子さんでした。104歳になる母は、去年4月の道子さんの検査入院以来、施設でお世話になっていますが97歳の頃は元気に竹藪に登って、竹を片付けてくれました。
 
 母は、そんな作業を何年もやってくれました。この写真は2010年2月=妙子さん97歳になる年の写真です。伐った竹の山にとりついて、暑いときも寒いときも、若葉のときも紅葉のときも、花バサミを入れたカゴをかかえて竹藪に登り、ひたすら竹の枝を切りきざんでくれました。
 
 もう一枚は2013年=妙子さん100歳になる年の写真です。2、3年は竹を片づけてもらうのがありがたかったのですが、母は毎日根を詰めてやります。竹の山がなくなってしまいます。文学少女の母も100歳ともなると読んだり書いたりするのが面倒になったのでしょう。ひたすら竹の枝切りに精進します。
 母の生き甲斐づくりに『孝行息子の竹伐り』も頑張らないわけにはいきません。
 それで竹藪がきれいになったようなものです。しまいには奥のよその竹藪から手頃な竹を伐って運んできたりしました。
 そうだ。母の竹を伐らなくてもよくなったから、竹が生えて裏山が荒れてきたんだ。
 いや、なんというか …… 。 
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竹伐りは2年ぶりです。

2018年02月12日 20時01分03秒 | 古希からの田舎暮らし
 裏山の頂上からの眺めがイマイチになっています。斜面の竹が伸びてきたからです。きのうは樹樹への寒肥をすませました。今日は朝から「竹伐り」です。
 まずたき火。落ち葉を集めて,ブロックで囲んだ炉に火を点け、廃木材や竹を燃やします。火に当たるわけではありませんが、たき火があるというだけで仕事をする元気がわいてきます。
 斜面がきついので、上から竹を伐りながら切り株につかまって下りてきます。「一年にしては竹が多く、繁みの木が伸びてるな」。思い出しました。去年は「竹を伐らなくては」と思ううちに冬が過ぎ春が過ぎて、5月になってしまいました。裏山には「ハメ」(マムシ)がいるので5月になると繁みに入るません。
 広い畑と裏山の両方を今まで通り管理するのは、だんだん無理になっている。去年は裏山にしわ寄せがいったんだ。しかし毎朝眺める裏山には愛着がある。今年は裏山を里山のようにすることに力を入れたい。
 あと2日がんばって竹を伐ります。
 
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