古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『軍旗はためく下に』(VHSビデオ)はいつ見ようかな。

2012年09月06日 06時14分22秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 アマゾンに注文していたVHSビデオテープ『軍旗はためく下に』が届きました。「電話などに中断されないで、眠くない時間帯に、しっかり集中して見よう」とビデオテープを見る日を待っています。
 原作は結城昌治の同名の小説で、新藤兼人の脚本、監督は深作欣二です。
 結城昌治は昭和2年生れ。藤澤周平/城山三郎/吉村昭と同年生まれです。いずれも作家で、あの戦争に負けた年は18歳19歳、多感な年齢でした。日本の戦争とともに成長して、<敗戦と対面した青年たち>です。予科練に志願した城山三郎は、その敗戦後を「私は廃墟となって生きた」(『そうか。君はもう……』)と書いています。城山だけでなく、あのひっくり返った敗戦後の価値観に、青年たちは<廃墟となって生きる>しかありませんでした。
 小学校6年生(敗戦当時は国民学校6年生)だった先輩は、あのひっくり返った世の中を「一年間黙って大人を観察して、どう生きるかを考えた」と述懐しています。自分の信じた<宇宙>が消えてしまい、大人はナニゴトもなかったように暮らしているのですから、子どもの<心>がこれからどう生きていくかを考えるのは大変だったでしょう。
 敗戦のとき小学校2年生(国民学校2年生)で山陰の山奥で暮らしていたぼくは、あの戦争を実感したことはありません。身のまわりから男の大人が消えた。女たちと子どもが残り、畑を耕した。学校ではやたらに神社にお参りした。防空頭巾をかぶって登校した。そんな記憶はありますが、空襲も爆弾も体験したことはありません。飛行機が頭の上を飛んだり、兵隊さんを見かけたこともありません。神戸から親類が疎開してきたことを覚えている程度です。
 さきほど挙げた作家の中で、ぼくは藤澤周平と結城昌治に肌が合います。城山の小説や吉村の小説は、戦争に関する作品でも読もうと思いません。結城昌治は推理作家ということになっていますが、人間を見る視点は藤澤と通じるところがあります。藤澤は時代劇の中で、名もない庶民の<人間としての気概>を描いていますが、結城はそれをあの戦争・敗戦の中で描いています。
 業界新聞で活躍した藤澤は、戦後の人々との交わりの中で、あの戦争をめぐる不正や不条理やいじめをたくさん見聞した筈です。それを告発する作品を目にした筈です。心をいためる見聞にいたたまれないことがあった筈です。そして言いたいことが山ほどあった筈です。でもあまりに巨大な悪とあまりに間近に対面して、手をこまねくしかなかった。人間の<矜持>を描くとすれば時代劇にするしかなかった。
 そうです。あの戦争をめぐる時代の日本社会には<人間の誇り・矜持>を描く余地がなかった。
 ぼくの言いたいのは。戦争という嵐が過ぎたら、「一億総懺悔」だとか「軍部がわるかった」とかで、個々の大小の犯罪がうやむやにされた。例えば軍隊内のリンチ。私的制裁。ひどかった。そんな部隊が外地に行って突撃すれば。いじめた上官が前に出て指揮すれば背中を撃たれることを恐れ、後ろから「突撃!」と叫んだ。
 ぼくのブログで根本博中将の旭川連隊での訓示「私的制裁の禁止」を取り上げたことがあります。
 このことを書き始めるとワッといろんな思いが出口を求めて殺到し、秩序がとれなくなります。
 また考えます。
コメント
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