なつかしの鍋倉山の春スキー
(アルバムの写真は私が撮ったのか一緒に行った友達が撮ったのかさなかでないが鍋倉山の春スキー)
この頃、持ち病の為か、無聊感に陥ることが度々ある。まだまだ前を見なければと思うのですが、元気なころの思い出に浸るため、時々若き頃のアルバムを開くことしばしばである。こんなことはどなたも経験なさることだと思い思い、何だか年の重なりを感ずる今日この頃である。
なつかしの鍋倉山の春スキー
(アルバムの写真は私が撮ったのか一緒に行った友達が撮ったのかさなかでないが鍋倉山の春スキー)
この頃、持ち病の為か、無聊感に陥ることが度々ある。まだまだ前を見なければと思うのですが、元気なころの思い出に浸るため、時々若き頃のアルバムを開くことしばしばである。こんなことはどなたも経験なさることだと思い思い、何だか年の重なりを感ずる今日この頃である。
料峭や生かされている水ぐすり
病気以来18年近く、多量な薬の常用者である。そろそろ副作用が出るのではと時々思う日々である。毎日朝一回の水薬であるが、幸いにして今のところ、主治医には何も言われていないが、どんなところに副作用が出るのですかとたずねると、訪ねる度に主治医は、今の薬を止めたらどうなるかねーと言うだけである。確かその通りであるが、心配である。PCなどの情報では、改善と進歩で段段と、今の薬は、副作用は少なくなった書かれている報道を見ると、胸を撫でおろすことしばしばである。今、いろいろ免疫力が向上するなどの、健康食品が蔓延していますが、主治医と相談すると、そんなに効くのならば、薬になりますよと笑われてしまう。ごもっともだと思ったりもしている。
春の展妻だけ褒めひる水墨画
春描く美術館にて蘇る
飯山芸術文化協会主催でそれぞれの作品が飯山公民館と美術館に展示された。美術館には、水墨画、油絵画、日本画、水彩画、など展示された。皆さんの画の上手さを、何時も驚くばかりの私である。やはり、それぞれに言えることですが、幼少のころから素養があって、学校の美術部などで活躍された方の画は精細があり素晴らしいと何時も思う。私みたいに六十歳過ぎて、しかも、病気した心の穴を埋めるためにと、中途半端の動機で初めた画は、やはり何時まで経っても精細にかけ上達しない。もう一つの心の穴を埋めるために行った「俳句」の世界も言えることだ。でも結果はどうであれ、私なりに、何かに没頭が出来て、病気と言うこころの穴埋めが出来て、残された人生を楽しめればそれで良いと、勝手に自分を慰めている。
認知症とならずに咲けよ老さくら
長野県の櫻前線は長野まで来て、満開に近い見頃だと情報が入る中、ここ「飯山城址」の老さくらはまだかたくなに蕾のままである。その他のさくらの開花情報は、須坂臥竜公園は7分咲き、上田城址公園は満開、松本城山公園は7分咲き、だが国宝松本城は満開、諏訪市高島公園は咲き初め、松代城跡は満開と、色々ですが、飯山城址公園だけが蕾の情報だったが、軽井沢プリンスホテル周辺も蕾情報だった。
手をあはしなんまんだぶと翁さくら
飯山城址公園の櫻の開花予報は確か4月の12日~15日頃と報道されていましたが、この分だと、かなり遅れた開花となる。数年前までは、4月20日頃から咲きはじめ満開は月末で、遅い年は5月の連休にまたがった記憶がある。温暖化の影響なのかこのは数年は、開花が早い、今年はこの2~3日の寒さからかかなり遅れることだだろう。
有名となった、高遠城址公園のタカトウコヒガンさくらが満開
ネットからの転送
手洗いの水に触れば春もどり
今日の日本列島は上空の寒気の影響による真冬並みの寒い日となった。県内で雪が降ったり0度を下回る地区があったと報道された。この調子では飯山城址の櫻の開花がおそくなるだろう。今日のように寒暖の差が激しい日は、歩くことを止めて一日家に閉じこまることにした。
にっこりとまなざし清く入学す
ンの字とソの字見分けず入学す
ゆーちゃんは今、公文の教室でカタカナを習っているようだ。どうも今だ「ン」の字と「ソ」の字が良く区別がつけないままに、今日はピカピカの一年生の入学日だった。よほどうれしかったのか、入学服とネクタイをピシット決めて、私の部屋へ、お爺ちゃん僕を写真に撮って、今日のブログにしてと、にこにこ顔で入って来た。私は無責任にも、今日はゆーちゃんの小学校の入学式の日を知らなかった。今日のブログは話題に困窮しているので止めようかと思っていた矢先のことでしたので、「ゆーちゃん今日入学式か、よーし上手く撮ってやるよと張り切った。いたずら者で勉強嫌いの問題児のゆーちゃんであるが、爺にとっては何故かお兄ちゃんより、気になって可愛い。
清明や傷む灯籠風まかせ
新聞のシリーズで毎日、俳人土肥あき子さんが観賞句評されています「けさの一句」に「清明や雲のうまるる音のして」という(明隅礼子)さんの句が乗っていた。清明という季語は初めてでした。土肥さんは「二十四節気のひとつ清明、万物がすがすがしい明るさに満たされ、あらゆるものが機嫌良く朗らかにほがらかに成長する。」とあった。歳時記でもは二十四節気の一つは、陽暦四月五日頃とありましたので、気がつくと、今日四月五日である。そこで今日のブログには清明を使った句にしようと、歩行運動をしながら句材を捜して見たが、なかなか今一つ見つからなかった。歩行から帰って来ると、家内が、古くなった傷だらけの家の前にある「灯篭」を腕を組みながら眺めていた。そこで私は「何してるの」と聞くと、傷だらけの灯篭を、修理するか、それとも焼却してしまうか迷っているとのことだった。この灯篭は家の新築と同時に据え付けたので、私には大切な思い出があったので、焼却するのも忍びなかった。簡単に修理してもう少し灯篭をこのまましておきたいと言う私の意見で、しばらく焼却しないことになった。
プリムラの鉢を窓辺に子の門出
東京へ行く前にプリムラの俳句に出会った。プリラムは初めてでしたので、歳時記で調べると、「サクラソウ科の植物の外来種のものの総称」とあった春の季語である。ネットで検索すると。あまりにも奇麗な花の上に育て方が簡単で強い花とのこと、プリラムは今一番綺麗な花のようですので思いきってネットより購入する。そのプリラムは今日宅急便で届く。少し高い買い物でしたが、今日の句に、東京の孫の高校入学を祝う気持ちが入った。俳句教室の先生から「孫」という言葉は使わないようにと指導されている。その理由は今だ分からない私である。
木の芽晴遠き山々白残し
今日も歩行運動の途中、新幹線新駅の喫茶店でゆっくり出来ました。こちら北信州も、さくらが色着き始め、木々それぞれが芽吹き始めて来ています。もうしばらくすると、青々とした木々と鍋倉山がある「開田山脈」の残雪とのコンストラクトで、素晴らしい景色となる。やはり眼の前に、高いビルではなく、山々が聳える田舎はうれしいと芯から思います。
東京の春の雑踏受け止めつ
さくら咲く番号直視号泣す
東京の孫娘が、めでたく希望の高校に合格したので、合格祝いに、開業したばかりの北陸新幹線(hakutaka)に孫のお兄ちゃん椋一君と家内とで久しぶりに東京へ行って来た。30日31日と両日好天に恵まれましたが、全国の学校が春休みの為なのか、人に酔ってしまうほどに雑踏の東京だった。東京へ行くたびに思うことは、田舎で生まれて、以来74年間田舎生活の私は大都会東京は大の苦手である。東京の咆哮するような雑踏になじむことが出来ない。一口に言って、東京は大嫌いであるが、何だかわからないが、興味だけは何時も湧く。
お兄ちゃんは、東京スカイツリーに上りたいと以前から言っていましたので、PCで情報を入れますと、とても混雑で予約しても、待時間が長いようだので、おにいちゃんに、また来年、弟の湧ちゃんと、みんなで「東京鳩バス」のスカイツリー見学コースに乗ろうと、納得させた。今回は遠くからスカイツリーを眺めようと上野駅で降りて、タクシーの運転手に「スカイツリーが一番良く見える場所へと頼んだら、余り良い顔をしなかったが運転してくれた。良い顔をしない分けだ、基本料金以内の場所だったからだ。東京は珍しく、澄み切った青空の好天に恵まれましたので、東京スカイツリーが良く撮れた。お兄ちゃんも満足そうで内心安心した。再び上野駅に戻り、山手線で東京駅に行き、中央線で娘の住んでいる三鷹に無事到着することが出来た。家内も一緒だったと思うが、おのぼりさんは、大変の気の使いようで疲れてしまった。