ほしがきに彼の丹精沁みている
今年は少し遅くなったか、友人の N 君から例年のごとく丹精のこもった「ほしがき」が届いた。彼は銀行マンで数店の支店長ととともに、傾きかけた数か所の会社に執行し、会社を立て直した実績があるなかなかの腕利さんだ。私も経営について相談したことが、昨日のように蘇ってくる。彼は65歳少し過ぎまで銀行勤めでしたが、若い時代からアグリライフが夢であったようだ。退職後、奥さんの実家の畑を借りて、奥さんと二人で気楽に農業を楽しんでいるようだった。ところが、私の地方にも見られるように、農家の高齢化の現象なのか収穫されない柿に目をつけ、数年前から「ほしがき」を造るようになった。その「ほしがき」を善光寺の中見世のお土産屋さんに置いていただくと、飛ぶように売れると言う。その後だんだんと数を増やし、気楽な農業で無くなったようである。無理がたたってか昨年ごろから足腰が痛いようだ。私がお礼の電話を入れると、「ほしがき」は今年最後にしたとのことだった。私は以前から高いところは危険だから「ほしがき」は止めた方が良いとアドバイスしておりましたので、安心すると同時に、美味しい「ほしがき」が食べれなくなることが少し残念な気もした。
おいしそうです。
見捨てられた柿を加工なさるなんて、本当に働き者のご友人ですね。
でも、商売性が増し、楽しみ感が減ってしまったのでしょうか?
仕事も趣味もいつか閉じる時が来るのが、人生ですね。
おいしそうです。
見捨てられた柿を加工なさるなんて、本当に働き者のご友人ですね。
でも、商売性が増し、楽しみ感が減ってしまったのでしょうか?
仕事も趣味もいつか閉じる時が来るのが、人生ですね。