女郎花人のまごころ触れ生くる
瓢箪や明日にたのしみ広がりて
毎朝の歩行運動の途中のお宅の瓢箪の成長を勝手に楽しんでいる。このお宅の主人は私より二年先輩で、長い間共に商工会議所の役員として活躍してきた中である。先輩は一線から退いてから趣味にしている「日本画」と「水彩画」を楽しんでいなさる。もう何回も県展に入選される、セミプロ級の腕である。私は毎年楽しみにしていることは、先輩が描いた絵をカレンダーにしてプレゼント下さることです。たまたま先輩に会うと、情報不足の私は、先輩との話しに、話しが尽きないほどに、先輩の情報通に驚かされるばかりである。
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歩いておりますと、写真にしました女郎花らしい花をが群生しているお宅を発見したので、女郎花かどうか自信が無かったので、写真にして来て早速「花図艦を調べたり、ネットで捜しますと、まさしく「女郎花」であった。私共の地方では、私が知らないのか、はなかなか上の写真のように「女郎花」を沢山咲かせているお宅に遭遇するのは珍しい。来る九月一日の俳句教室に先生から戴いた兼題の中に「女郎花」がありましたので、既に「さびれたる温泉宿に女郎花 」と詠って投句を済ませた。写真の「女郎花」を目のあたりにして観賞しますと、こんな句が浮かんだ。「女郎花人のまごころ触れ生くる 」と、女郎花は男朗花(おとこえし)と反対に美女を圧倒する美しさから来る花だ。花言葉に「まごころ」「親切」「美しさ、美人、佳人」「心づくし」など。「まごころ」を詠ったことは偶然で、こんなことがあるものだと思う。俳句教室に掲出した句より気に入りましたが、既に遅しである。こんなことが、この頃チョクチョクある。未練、未練の連続である。