はるにわ日記

古民家再生の記録、薪ストーブ、子供との戯れ、大好きなバイクと英国旧車のこと、サッカー、カフェ。徒然なるままに・・・・。

和式便器 LOVE!

2012年10月18日 23時43分12秒 | つぶやき

最近、外ではトイレに行きたくない。

「小」の方ではない。「大」の方である。

ドアを開けて、中に丸っこい椅子の様なものがあると、心底うんざりする。 

洋式のトイレが嫌いなのである。

この世から無くなってしまえばいいとさえ思う、それほど嫌いなのである。

なぜそれほどまでに嫌うのか?

理由はその不潔さに拠る。

普通の人は「えっ?」と思うかもしれない。

そう、見た感じ汚いのは和式便所で、洋式はきれいに見える。

確かに和式は地面が濡れていると、誰かがこぼしたのではないかと思ってしまう。

便器にウ●チがついていることもある。

しかしだ。

しかしそんなウ●チは触ろうとしない限り触ることは無い。

例え誰かがこぼしていたとしても、靴の底に付くだけ。

靴の底なんて、ちょっと外を歩けばすぐにきれいになる。

見た目は汚そうに見えるが、実害は無いのである。

一方、洋式便所はというと、ウ●チが便器に残っていることは滅多にないし、外にこぼしたりすることもまず無い。

これだけ考えると、洋式のが確実に清潔であるように思える。

問題はこの便器が

「本当にきれいなのか」

ということにある。

洋式の最も大きな違いはこのきれいに見える便器に、実際に自分の素肌や衣服が触れることにあるのだが、その便器がもし不潔だったとしたら・・・・

よく考えて欲しい。

なぜ便座クリーナーや便座に乗せて使う紙があるのはなぜ?

ボクは別に細菌の話をしている訳ではない。

どちらかというと、「除菌なんとか」に関して批判的でもある。

大腸菌が付いてたからって、目に見えないし、とりたてて害があるとも思えない。

そうではないのだ。

どんな誰が座ったか分からないその場所に、素肌で座ることに抵抗があるのだ。

電車の吊革につかまったらベタベタしていた、それに関しては後で手を洗えばいい。

でも太ももは洗えない。

汚いものに触ったと思っても、家で風呂に入るまでとりかえしがつかない。

ただそんなのは、便座をきれいに紙で拭けばいい、そこまでは十分我慢できる。

どうしようもないのは、便座が濡れているとき。

なぜ濡れるんだ?

誰かがこぼしたか? 

ティッシュで拭いただけで、そこに座れるか?

ボクは無理だ。

もしくはウ●チを流した時に、勢いが付いたその水が跳ね飛んだか?

間違えないように申し上げておくが、この水は元はきれいな水道水だが、ココに付いているのはウ●チ水溶液である。

即ちウ●チが浮かんでいた水が飛んだものであって、そこにはウ●チが溶け出していると考えてよい。

こちらの便座にもボクは座りたくない。

しかもご丁寧に蓋を締めている場合も見受けられる。

洋式便所には構造上の欠陥がある。

ひとつはこの蓋だ。

なんのために存在しているのかよく分からないのがこの蓋であるが、この蓋にこのウ●チ水溶液が付着している場合は、より深刻な状況となる。

蓋を上げると、蓋の裏側、すなわちウ●チ水溶液が付着した面はこちら側を向いている。

何も知らずに便座に座ると、この蓋の裏面は自分の腰から背中の辺りに位置することになるのだが、ここにあるのは自分の衣服だ。

冬場に着こんでいたりすると、かさばって蓋に触らないようにするのは至難の業、というか不可能に近い。

スカートをはいている女性がどうやっているのか見たことは無いが、どうも下ろしているとは思えない。

たくしあげていると仮定すると、丁度スカートはこの位置にたまることになろう。

それの存在に気付けば良い。

拭き取れば被害はかなり減らせる。

気付かなかった時どうなるか?

相手は水滴、たちまちのうちに衣服に吸い込まれるか、べったりと貼り付くであろうことは想像に難くない。

そんな衣服を、もう一度身につけなければならない状況には、ボクは堪えられないのである。

もう一つの構造上の欠陥、それは小便器を兼ねている部分にある。

男性が「小」をするとき、便座を上げなければならない。

上げずに実施するのは、便座に液体が付くので論外なのであるが、では上げたら解決するかというと、実はそうではない。

解説しよう。

まず便座を上げるのはなぜか、から考えてみる。

男性なら当然のこととして認識しているが、女性の方には分からないであろう。

ひとことで言うと、必ず便器に付くから。

立ってその行為をするとき、勢いのあるときは狙いは定め易いのだが、勢いが弱まって、まさに途切れんとするときには、制御はなかなか効かないのである。

結果として、投下地点を見誤った液体が便器に黄色いシミを作る。

さて、構造上の問題とはここから。

行為を終えて便座を下げ、トイレを後にする。

何が問題か?!

この行為を行った人には被害は無い。

運悪くこの後に入った人に災害は降りかかることになる。

便座を下げたとき、この便座が黄色いシミの部分を全て覆い隠してくれれば、全く問題は生じない。

しかし、だ。

現実はそうではない。

どこのメーカーのどんな便器もこの問題を解決してはくれない。

どうしても便座でカバーできない部分が、便座の下に残る。

この部分だ。

下着とズボンを下げると、かなり注意しないと下げた衣類がこの部分に触れる。

便座をきれいにしたいのなら、こぞって拭き取ればよいのだが、自分の家のトイレでもないのにそんなことをする気は毛頭ない。

気にするとどんどん下に下げてしまうのだが、あまり下げると今度は地べたに着いてしまう。

微妙な位置を保持するのには、かなり神経を遣って排便に集中できず、ストレスが溜まるのである。

もうひとつ言わせていただくと、どうせ自動化するなら便座を自動で開くようにすべきだ。

便座を手で上げる時に、上図の汚染部分を触ってしまうではないか!!

便器の蓋が自動で開くなど無駄な機能は要らないので、メーカーはその辺りを考えて欲しい。

そして、ボクがもっとも洋式便所に嫌悪感を感じるのがこれ。

おつりだ。

汲み取り式の「ボットン便所」をご存じの中年の方なら記憶はあると思う。

「おつり」とは自分が落としたウ●チがその下に満たされた液面に落ちた際、その反動でその液体自体が跳ね上がり、自分のお尻に還ってくることである。

洋式便所でお尻に冷たいモノがかかる度に、過去(ボットン便所時代)の忌まわしい記憶が甦ってきて、精神を掻き乱されるのである。

「チッ!」と舌打ちをしながら紙で拭きとるが、ウェットティッシュでない限り、完全に取りきれた気はしない。

和式の水洗便所ができて普及したとき、ボクは輝かしい文明の進化に感謝し、誇らしく思い、そしてどれだけ喜んだことか。

ボクだけではない、古来より全ての日本人が何百年も悩まされ続けてきた「おつり」の呪縛から、このときこの時代、やっと逃れられたのだ。

それなのに・・・・・

それも束の間、一瞬のうちにまた「おつり」の時代に逆戻りである。

なんと皮肉なことか。

洋式便器がどうしてこんな形になったのか、思い当たる節がある。

イギリスに新婚旅行で行った時のこと。

泊まった農場の主人が教えてくれた刑務所博物館で見たモノ、それは、椅子に開けられた穴だ。

つまりイギリスでは椅子に座った状態で用をたす。

椅子とテーブルの文化の欧米では当然の流れだ。

日本は、じべたに直に座っていたので自然の成り行きとして和式便所が出来あがった。

いまや日本でも椅子とテーブルは当たり前の時代で、洋式便所が普及してもなんら不思議はないし、特に否定もしない。

しかし洋式便器はそれほど良いものなのか。

確かに、自分の家にあるのはいい。

便器さえきれいにしていればよく、あとはフローリングにしたりして普通の部屋と変わりなく管理できる。

和式ではそうはいかない。

ボクの家のトイレも洋式だが、これが汚いとは思ったことは一度も無い。

言いたいのは公園や駅やデパートなど、公共の場におけるトイレの話だ。

どこのどんな誰が使用したか分からない、決して清潔とは言えない便座に、無防備な姿で座ること対しては、どうしても慣れないし、これからも慣れることは無いだろう。

それよりも、見た目きれいでなくて、靴の底が汚れるかもしれないリスクを抱えながらも、本質的に清潔さが保たれる、ボクは和式便器を探す。

和式便器、日本の文化と歴史の中で完成されてきたこの道具のいさぎ良さに、今の日本人は気付いているのだろうか。

このまま廃れていくだけなのだとすると、なんとも寂しい限りである。

適材適所、各家庭からは締めだされた和式便器だが、公共の場ではそのメリットはまだまだ活かせるのではないだろうか。

ただその前提として、ボクのように洋式便器が不潔だと感じる人が他に多く居るというのが前提ではあるのだが・・・・・。