針外し/爺さんの独り言。役にたたない情報ばかり。

自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

牛筋の煮込み

2020-11-26 19:23:49 | 針でも出来る簡単料理・食い物の話し。

冬になると暖かい物が恋しくなってきますが、我が家の山の定番、「牛筋の煮込み」を作りました。ここでは関西系の人も来るので、案外と楽に「牛筋」が手に入ります。

しかも、立科牛の牛筋です。以前、オーストラリアかカナダだか分かりませんが、あまり旨味が足りなかったのだが、ひょんなことから、蓼科牛の筋を手に入れる事が出来ました。

牛筋を洗ってから圧力鍋で茹でます。国産牛は「灰汁」を取るのも楽、何回も繰り返さなくてもいいね。

           

で、その後、調味料を入れてダッチオーブンで1時間ぐらい掛けて煮込みます。ダッチオーブンをわざわざ使う理由はこれ自体が「圧力鍋」の働きがある為に他の具材もある程度柔らかくなるからです。ダッチオーブンの欠点と言っては何なんですが、鉄の鋳造物ですので、赤ワイン等で煮込むと鉄と反応して、汁が黒っぽくなって美味しくなさそうになりますが、味の方は保証付きです。

昔、「木村東吉君」のオーブンの紹介で鳥の手羽元、ペパロニ、マッシュルーム、をワインで煮込む(「クックヴァイン」っていってたような)料理を紹介していたので、針外しも真似をしたんですがやはり黒っぽくなりました。
恐竜がまだ闊歩していた頃テレビで放映していた「ローハイド」で料理番のウィッシュボーン爺さんが馬車の脇にダッチオーブンを吊るしておいて、料理手伝いのマーシュ?と一緒にダッチオーブン料理を出す訳だが、隊長のフィーバーさんが「色は良くないが味は美味しい」って言っていたのが今となっては懐かしいね。

           

 特にごぼうは丁度いい感じになります。固くもなく、柔らか過ぎず。また一度冷ますと大根に味が浸み込みます。朝、再度煮込み熱を入れると少し「灰汁」が出るので再び取ります。

出す時に、豆腐を入れるともっと美味しくなりまっせ。ネギを補足切って掛けてもね。色合いが地味なので豆腐を入れると明るくなるので是非入れて下さい。美味しいし。

何にしてもいいのは、皆で食べられるのがいいね。

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蕎麦処 12ケ月

2020-11-23 08:32:48 | 蕎麦の話。

 針外しは17日から山へ来ていますが、かみさんは馬に乗る予定で20日から合流です。いつもは佐久迄新幹線で来るので其方に迎えに行くのですが、今回はある食材を調達する為に茅野駅で待ち合わせです。

駅で拾ってから、丁度食事時なので、前から下調べしておいた、蕎麦屋さん「蕎麦処 12ケ月」へ直行です。
 店の口コミや照会文では「分かりづらい」との事で「グーグルアース」で店の様子を調べておいたので、簡単に見つかりましたぞ。
入口も引いていいやら押していいやら分からなっかったが押してみて開く事が分かりました。知らない処での冒険心がくすぐられるね。(笑)。

     

 構えからみて、農家をリタイアして爺さんが蕎麦を打っているのかと勝手な想像していたら、なんとお若い奥さんと娘さんが2人が出てきて面くらいましたね。(だはは)多分、調理場には旦那さんがいて、ご一家でお店をやられてるんだろうね?。

            
              目の前の壁はこんな感じ。

  

 古民家を利用してお店にしているんだけど、何かの小屋だったのか、内壁なんかありません。こんな小屋風のお店ですけど、中に居る人達のお人柄というか立ち居振る舞いでお店の風格というか「カラー」がこんなにもいい感じに変わってしまうんですね。

 お客さんもお店のカラーに馴染んじゃうし。見方が変わると、いい雰囲気に変化するから、人間の感性なんてたいしたもんじゃないのかもね。

     
惣菜も色々そのたびに違う容器に入って出てくるんだろうね。

 セットでの設定になっていますが、これもなかなかいいね。お蕎麦も最初はちょっと少な目かなと思いましたが、笊が凹んでいるので、いい量のお蕎麦が入っています。尤も、美味しいので、2笊位食べちゃいそうです。
 石遊の湯(いしやすのゆ)にあった、「せせらぎ」さんが辞めてしまったので、美味しい処を探していたんですが丁度いい処にお店が見つかってよかった。

 

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一本木を伐りました。

2020-11-21 06:47:00 | 立科・信州の話。

先日錨型のトリプルフックを作って枝を引っ張って切る事にしたわけですが、高枝式のチェーンソーを使って伐採しました。

  

 山はもう冬支度を始めていますので、同じ処を撮っても全く違って見えますが、木が無くなると、視界が一気に開けます。カルタジャないですけど、断絶六(タンヤオゼツロク)→日本語と中国語が混じってるね。)。スッテンテンという意味だよ。何にも無くなっちゃってます。青いのは刈残した笹だけね。

もうこの木は、変に寄せ植えされていて育ちが良くないので、可哀そうですが、切り倒す事にしました。二股の左はもう立ち枯れていますし、斜めの方の枝は如何にも自身を支えているのが辛そう。

  

昔、「竹村健一氏著の「サボテンが喋った」という本を持っていて読んだのですが、サボテンに感情があって針を近付けてみたら検査器の針が反応したとありました。植物だって生きているので感情があるので、こういう事はあまり好まないね。

  

お釈迦様は殺生禁止、菜食主義を謳っていますが、そうなると、人間食べる物が無くなってしまいます。とまあ、こんな事をつらつら考えながら、妙な感傷に浸りながら切り倒しました。

  

 あと切っている時に感じたのですが、こんな細い枝でも、段取りを決めて順序良く切って行かないと、思わぬ失敗があると感じました。これより大きい木はやはり業者さんにお願いした方がいい。

 で、この樹が無くなって夏の間、矢印の処にお日様が当たらなかったのだが、良く当たるようになりました。勿論、今は冬で葉が皆落ちてしまっているので、明るいですけどね。

切り倒した結果、より広々としたので切った木には申し訳ないが良しとしますかね。

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ちょっと変化が

2020-11-18 07:50:19 | サボテン・植木・花

11月の初めに試験的に挿し木を下のですが、半月を過ぎてチラホラと新芽が出てきました。木瓜は強い品種で耐寒性もあり、初心者にはもってこいの木です。

        
手前の右から2番目の矢印。ボケてしまってかなりのピンボケですがこれもしっかり葉が出てきましたよ。

   

葉が出たからと言って外には出しません。このまま鉢で寄植えしたまま冬を越します。外の寒気に耐えられる程頑強ではありませんからね。

1本でも芽が出てくれたらめっけもんと思っていましたが全部とは言いませんが出てくれたら最高ですね。

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木瓜の挿し木に挑戦。

2020-11-15 09:16:55 | サボテン・植木・花

よく植物の剪定の話になりますね?。今回も今年伸びた新芽がだらしなく伸びてしまって、このまま大きくしてしまうと、樹形が悪くなってしまいます。また、花付きにも影響します。花芽というのは新しく伸びた枝の上から半分~2/3位まで花芽が付きにくい。

          

      

下の図で白い矢印の先端迄切り戻してあげます。全く花芽を付けなかった枝は葉芽を2,3個残して切り落としてあげます。これは枝が大きくなってその先に新しい枝が出来てしますと剪定し辛くなりますし、太くなってからでは剪定が不可能になってしまいます。業者さんが売りに出す時にはかなり切り詰めるみたいですよ。

      

  今年伸びた枝がだらしなく伸びています。中には花芽になりそうな芽が付いています。もう冬になろうとしていますのでちょっと遅いのかも知れませんが少し切り詰めて、切った枝を挿し木にしてみる事に。 挿し木の適期は9月~10月だとか。 挿し木で注意する事は、「根が出たか?」と抜き差しをしてはいけないという事だね。根が出てきた証は葉が出てくるかで分かるね。針外しの処では部屋に置いて葉が出るか見てそのまま春まで置いておこうかと思います。     

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こんな物作りました。

2020-11-10 10:09:55 | 立科・信州の話。

  バス釣りとかで使う「ルアー」についているトリプルフックの大型版を思いついてアマゾンで色々調べたんですが、結局、作ってもらう事にしました。え、何に使う物かって?。山で木を伐採するには、専門の業者さんを頼むのですが、ちょっとした太めの枝を切り落とす時、ただ鋸やチェーンソーで切るとあらぬ方向に落ちて大事な植栽を痛めてしまいかねないね。

其処で木の枝に引っ掛けて、引っ張り方向を変えて上げられればと思い付いた次第ね。まるで忍者が城壁を昇る鍵フックみたいだね。

      

 テントとかで使う「ペグ」(これ3本セットで300円くらいだった)をアールを付けて曲げて柄の方を束ねて溶接してもらった訳。これにロープを付けて、枝にこれを投げて引っ掛けて引っ張っておこうと思うのさ。で下の斜めに伸びてしまった枝を切る訳だが最初から一番下から切っては駄目なのだよ。こういう時は上の方の細い方から2回ぐらいに分けて落としていきます。

1回目は矢印の指している辺りを切っていきます。最初から切ってしまうと、重さで切り口が裂けてしまい其処から腐ってしまいかねない。これをCODIT論と言います。

              

図で言うと、枝の下側の1の処に鋸を入れてその上の2に鋸を入れて落とします。1に鋸を入れておくと皮とかが引っ張って,汚く裂けてしまうのを避けられます。その後、下側の本当に切りたいところを切り落とす訳です。切り口は防腐剤を塗っておきます。

実はこの樹はまっすぐに立っている方が立ち枯れしてしまって、下からひこばえが沢山出てしまっているので、ひょっとしたら全部伐採するかも知れません。

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マイブーム 木瓜 (2)

2020-11-07 10:45:51 | サボテン・植木・花

  
        宴                     樺長寿                   高嶺錦

 針外しは本来、梅の盆栽が好きなのだが、我が家のベランダは強い西日が当たり、尚且つ、ベランダの熱放射で木が痛んでしまい、枯れてしまうのが多いので、ちょっと断念です。ヨシズか何かで遮光をして影を作ってあげてもいいのですが、母の介護で洗濯物も多いので、ちと具合が悪い訳です。

 梅に変わる物が何かないかと思っていましたが、木瓜は多少の暑さも寒さにも強い品種なのでこれに熱をあげるようになりました。それに大きくなったら山に持って行って植える事も出来ます。梅は山では育ちません。育つにはちょっと標高が高い訳です。

 栽培家というのは、ある程度、花の色で品種を揃えたい願望がありますね。赤色、橙色、桃色、鮭色、白色、それらの混合色と咲別れです。これらを集めるのに梅程高くなく集められます。
「早く、大きくなって綺麗な花を見たい」という願望も込めて掲載します。

 今回、前にもお世話になりました明花園芸さんでまたご厄介になりました。針が選ぶのは「日本のボケ」という本を参考にしたのですが、「色付きが悪い」「安定しない」「棘が強すぎる」等の原因で大分品種改良が進んでしまって、図鑑に載っている品種がかなり無くなっていました。

  
      黒潮                     司牡丹                   長寿楽

 
       東洋錦                   白寿

 其処で、そういう色の他の品種を探して貰って揃えてもらう事にしました。木瓜は寒木瓜、春木瓜と草木瓜があるといいます。草木瓜は日本の古来種との事です。無い品種ばかりですが大体満足する事になりました。重点的に集めたものに、黄色花、桃色花、鮭色花です。

   
         夢                   金牡丹                   愛の月

  
           黄華                   丹頂紅


           
                         
メールのやり取りが出来て、先様から、今回の苗木の写真が送られてきました。早く鉢に植え付けてあげてあげたいものです。

因みに最後の写真は以前購入した「長寿楽」を植えて剪定した時に、挿し芽を適当に植えて置いたら、根付いて今年植え替えてあげたら、何故かこの10月に花を付けて立派な花を咲かしてくれました。(開花の時期は11月~5月とあります。)

             
              花芽の付いている処が地面の中だったので地中から伸びて花が咲きました。

木瓜は強い品種ですので、挿し木も簡単に付き花も梅に比べてはやく咲かしてくれるので、栽培していて楽しい品種だと言えますね。これからが楽しみです。
         

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こんなにいっぱい実を付けた。

2020-11-05 20:06:04 | 立科・信州の話。

山に行く途中、長門牧場の手前、スノーシェルターを出た処に「白花の山帽子」が植わっていて、花がかなり沢山咲いていたのですが、紅葉が始まる頃、鈴なりで実を付けていました。

我が家にも山法師は2本植えてあるのですが、いつも鳥に食べられてしまっているのか、こんなに身を付けている姿は見た事ないね。此処は車の通りがそこそこあるので、鳥が寄り付かないのかそのまま残っています。

何でも焼酎に付けると果実酒になるらしいのだが、まだやった事はありません。どうせ漬けたってあまり飲まないしね。

      
人間にとってあまり美味しくなくても鳥のとっては御馳走なのかもね。

           

いつもは気が付かないので、もしかすると、誰かが実を採ってお酒に付けているのかも。ひょんな処で役に立っている訳です。



追記:針外しのブログ友達だった、美〇さんが先日、亡くなられました。針外しなんかとは年の差が孫位離れていますが、その頭脳の明晰さ、文章の巧さは針の遠く及ばない処です。それでも針外しのブログを毎日のように見に来てくれ、それが針の心の張りにもなっていました。まだまだこれからの人生が長いのに、さぞ無念だったと思います。

「共に語るに足る」という言葉があるように、話が合う人とは空気が合う。残念です。最近にないショックでした。病状も快方に向かっていると信じていただけに、亡くなったと聞いてショックが大きかった。慎んで此処にご冥福をお祈りいたします。暫くブログを休もうと思いましたが。あの世から見に来られて書いてなかったら怒られそうなので、奮い立って書きます。

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またまた、荘子です。(2)

2020-11-03 07:36:48 | 漢詩・古典・エトセトラ

もうちょっと続きます。

[朝三暮四]

あるサル使いの親方が栃の実を与えようとして『朝は三つ、夜四つにするぞ』と言うと、サルたちはみな怒った。そこで親方が『それでは朝四つにして、夜三つにしよう』と言うとサルはみな喜んだ」という寓話を載せ、続けて

「合計七つであることに違いはないのに、喜怒の感情が左右した。それはサルたちが朝四つ、夜3つが正しいという自分たちの価値基準に縛られているからだ」と言っています。

余 地】という言葉は『荘子』という哲学書・思想書に出てきます。荘子は後代、道家の祖となりました。道家は「不老長寿」を追い求めたことでも有名です。『荘子』に出てくる「養生」という考え方もこの「不老長寿」と結びついたかもしれません。

この話は『荘子』の初めの方・「内篇」に出てきます。やや長い話なので現代語訳のみ紹介します。料理で使う包丁の語源になった話です。

料理人のなる男が、文恵君(魏の恵王)(こいつは物凄い淫乱で残虐だったと言われています)のために牛の解体をしました。丁の手が触れるところ、肩が寄るところ、足が踏むところ、膝を置くところ、気持ちの良い音とともに切りさばかれていきます。その様子はまるで殷王朝の舞曲のようでもあり、尭(ぎょう)(古代の聖なる王)の楽の音の演奏もかくやと思わせるものがありました。

文恵君はこれを見聞きし「いや実に見事なものだ。技とはこういうものか」と感嘆の声をあげました。すると丁は刀を置きこう言いました。

「私が好きなのは技ではなく、その先を行く道です。この仕事を始めた時、何を見ても牛に見えてしまいました。それから三年すると、牛の全体は目に入らなくなり、刀を入れる場所だけが見えるようになりました。今は牛を目で見ることなく、心の中にある不可思議な働きでもって見ております。あらゆる感覚は止まってしまい、この不可思議な働きのみ動いているのです。

私は刀を牛の体の自然な筋目に沿って、肉の隙間、骨の穴に入れるのですが、それは牛の体の自然な造りに合わせているだけなのです。ですから牛をさばくのに難しい場所に刀を入れたことは一度もありません。優れた料理人は一年ごとに刀を取り替えます。肉を切るからです。

並みの料理人は毎月刀を取り替えます。骨をたたくからです。私はこの十九年刀を取り替えたことがありません。さばいた牛は数千頭になりますが、私の刀は研いだばかりのようになっています。

牛の体には肉と骨の間に隙間がありますが、刃物というのは厚みがありません。厚みのない物を使って隙間に入れるのですから、刃を動かしても必ずゆとりがあります。こうした使い方をしていれば十九年経っていようが、刀は研いだばかりのようになっているのです。

そうは言っても解体の難しい場所にくれば、心を引き締め目をそこから離さず、手はゆっくりと動かし、刀の動きも微かなものになります。そうしているうちにまるで土砂が崩れるかのように肉が離れていくのですが、そうなった時私は刀をぶら下げ、あたりを見回しぼんやりとしてしまいます。意識が戻ってくると刀をぬぐってさやにおさめます」

文恵君はこの話を聞き終えると「見事である!お前の話を聞いて私は命を養うすべを会得させてもらった」と言ったということです。

中国の諸子百家の書は万人にも分かり易く逸話話を引用している事が多いね。論語にしろ孟子荘子にしろ、中国大陸は人民の生活が極度の貧困で教育が行き届かない。窃盗、殺人、軍隊による殺戮が絶えなかったのでそれを悟らせるのが目的だった。だから、より読者の心に浸透してくるんですね。

因みに日本はそれを道徳・倫理書として、人生の教本として大事に素直に勉強したので今日のような民度の高い国家となっています。これは世界に誇れる事だと思っていますよ。

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荘子について

2020-11-01 06:50:39 | 漢詩・古典・エトセトラ

針外しが信奉するのに、道教がありますが、道教と言えば老子と荘子です。老子は以前書いたので、今回は荘子。曾子(そうし)と区別するために「そうじ」と言われていますが、何とも違和感があり針外し的には「そうし」と言っています。どっちでもいい話ですけど。

             
   
 荘子は自身の考え方を、33編に収めていますが、内編7編、外編15編、雑編11編に分けられており、内編は「荘子」自身によってまとめられました。外編、雑編は後の学者が書き加えたと言われており、 内編にこそ純粋な「荘子」の思想が詰まっていると考えられています。

斉物論は、思想書『荘子』の第二編に登場する思想であり、「世の中のすべての存在は同等の価値を持っている」という考えです。「人間から見た主観的な価値観で、物事の優劣をつけることは出来ない」と「荘子」は述べています。「自分の目だけでなく、広い視野を持って物事を見なければいけない」という教えです。

荘子は読んだ事ないけど、「これ」は知っていると云う物が多いね。例え話が多いのでその中のいくつか挙げます。

木鶏
(もっけい)
木鶏とは、荘子(達生篇)に収められている故事に由来する言葉で、木彫りの鶏のように全く動じない闘鶏における最強の状態をさす。

昔、紀悄子という鶏を育てる名人が登場し、王からの下問に答える形式で最強のについて説明します。

紀悄子に鶏を預けた王は、10日ほど経過した時点で仕上がり具合について下問する。すると紀悄子は、
『まだ空威張りして闘争心があるからいけません』 と答える。

更に10日ほど経過して再度王が下問すると
 『まだいけません。他の闘鶏の声や姿を見ただけでいきり立ってしまいます』  と答える。

更に10日経過したが、
『目を怒らせて己の強さを誇示しているから話になりません』 と答える。

さらに10日経過して王が下問すると
『もう良いでしょう。他の闘鶏が鳴いても、全く相手にしません。まるで木鶏のように泰然自若としています。その徳の前に、かなう闘鶏はいないでしょう』 と答えた。

これににた話が、昔読んだ清の時代の聊斎志異に「コオロギ合わせ」出ています。

無用の用
無用の用とは 「一見役に立っていないように見えることが、実は大きな役割を果たしている」という意味の名言です。針外しが知っている「無用の用」は、ねじ曲がって木材にも薪にも使えない巨木がありましたが、利用価値が無い為に長く伐採されずに長寿を得ているという話を覚えています。

井の中の蛙大海を知らず 

これは、大概の皆さんの知っていますね。狭い世界で生きていると、外の広い世界のことは何も分からないということ

虚室、白を生ず (きょしつ、はくをしょうず)
先入観を持たずに人と接すれば、他人の意見を素直に受け入れられるということ
直訳すると、「空っぽの部屋は太陽の光がよく入って明るくなる」という言葉です。
要するに、この言葉は「先入観を持たずに空っぽの頭で人と接すれば、他人の意見を素直に受け入れられるということを意味します。
あるがままを受け入れる、自然主義の考え方に基づく「荘子」らしい言葉です。
例え話ですけど、運動部の生徒は、ろくすっぽう勉強なんかしない。頭の中は「すっからかん」なんて言いますが、社会に出ると結構頑張っていい成績を残すなんてありますね。それは空っぽの頭なので上司のいう事を真に聞いて、一生懸命頑張るからだと言われます。これが「虚室、白を生ず」なんですね。

魚を得て筌(うえ)を忘る 

目的を達成すると、それに役立った物の功績は忘れてしまう。「筌(うえ)」とは魚を取る仕掛けをいい、 「魚を取ったら道具は必要なくなるので忘れてしまう」という意味を表します。「目的を達成すると、それに役立った物の功績は忘れてしまう」という教訓が込められた言葉です。
これに似た言葉に「狡兎死して走狗烹らる」があります。ちょっと違いますかね。

この他、荘子の妻が死んだため、恵子は弔問に行った。すると荘子は両足を投げ出して座り、土の瓶を叩きつつ歌を唄っていた。恵子は「夫婦として共に暮らし、子どもを育て老年になったのである。その相手が死んだのに、泣き叫びもしないのは、それだけでも不人情といえるが、更に瓶を叩きながら歌を歌うとは、ひどい振る舞いではないか」と責めた。 荘子はこう答えた「そうではない。死んだ直後には、私だって悲しみを抑えられず泣かずにはいられなかった。ただ人の始まりを考えてみるに、元々は生命は無かったのだ。生命が無かっただけではない。元々は形さえなかったのだ。形がなかっただけでない。もともと気さえなかったのだ。混沌と朧(おぼろ)でとらえどころの無い状態であったものから、やがて変化して気が生じ、気が変化して形ができ、形が変化して生命が出来た。そして今また変化して死の状態へ帰っていくのだ。

これとは逆の話もあります。
荘子が死んで妻が墓の前で息を吹きかけています。それを見かけた人が「何でそんなに息を吹きかけて入るんだ?」と言うと、盛り土が乾くと、再婚が出来るんだとか、・・で、実は死んでいなくてもっこりと荘子が起き上がると妻は大いに恥じた。とあります。・・すると荘子はそんなに恥じる事はないぞ、実際、連れ添っていたかどうかも確かではないのだから。

老荘思想と言いますが、老子は、例え話が総論的で、荘子は各論的で庶民風だね。

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