針が山に行くと必ずワンを連れて行く場所。そこは蓼科園地。野外音楽堂の芝生の園地だ。夏のお盆休みを除けば、大概、無人。ワンの散歩連れがたまに通る位。
麻布の芝公園で、人を怖がる「ももとかりん」も此処にくれば、思いっきり遊べるというもんだ。もっと人に馴らせと言っているんですが、夜の遅いももパパは散歩の回数も今一だ。
家で「座敷犬化」しているももかりんも流石にここに来ると大喜びなんですな。そのぶっ飛び様はジャックと凛も唖然!。ももちゃんの爆走に少々ビビリ気味なんです。 若さという力は,、箱入りという「ダム」を決壊させるものなんですな。溢れる若さを潰しては駄目です。
ここに来るとジャックでさえ、良く走る。ま、もっとも蓼科に着くと、ジャックは仮面を脱ぎ捨てて、犬が変わりますけどね。
凛ちゃん、おっとっと!。ももちゃんのあまりの勢いにたじたじだぞ。
最初はももちゃんは闇雲に走り捲くります。かりんは本当はもっと、馴れるのに時間が欲しいみたいですけど、4頭で走っていると、安心なのか一緒になって走り捲くります。 いいねえ!。針はうちのワン共が嬉しそうに、何の屈託もなく走る姿が大好きです。
針はもともと道学者(道教って意味ですよ(笑)ですからね。無為自然にワンが育ってくれるのを最上とします。だから、凛は針が遊んでくれない時なんか、お経みたいな、所謂、「文句」をいいます。それ程対等って事ですな。
ワンは人間の奴隷ではありませんからね、少なくとも針は、そう、対等にお付き合いしています。
ちょっと、酒落臭い事を言いますが、老荘思想では「無用の用」と言う言葉があります。捻じ曲がった大木は木材には利用できない。だから長生きが出来るんです。世の中無用と思われる物にその長所を見出します。何の変哲も無いものの中にこそ、至上の幸福があると思っています。
「悟りとは常に脚下にあり」と富田常雄氏著「姿 三四郎」に出てくる和尚さん(名前忘れちゃった(汗)) が言ってましたが、そこに気が付くかどうかで、日頃の日常生活はまるで違ったものになりますね。
なんて、偉そうにー!。(爆) だから針はワンを無為自然に育てたいと思っている訳なんですな。だから、呼び戻しが出来るならそれで結構なのだ。形に嵌った調教をしようとは思いません。こんな事言うと、ケンチェリさんや親分殿に怒られるかもしれませんが。そんな事言うわけないよね。
かりんちゃんも、すっかり、馴染んできました。檜山さんとこで見たプリンス君に良く似てるね。かりんはとっても甘えん坊なんですぞ。
針はいつもこう思うのです。「もし、自分がワンの立場で居るなら。ワン達はどう思っているのか?。」当然人間もだよ。だから、可哀想な事は出来ない。
ワンコとは「同じ釜の飯」は一緒には食べられませんが、せめて親子の関係位なお付き合いをしようと思いますぞ。だから、猟犬として飼う、役に立たないなら、捨てる、番犬として家の前に鎖で繋いで、味噌汁をぶっ掛けて餌にする。そういう飼い主にはなりたくありませんね。ましてや、「うちのはやる時はやるぜ。やる時は相手の首を噛むんだ。」なんて自分の犬を嗾けるような奴はもっとも、軽蔑します。(近くにそういう馬鹿がいます)。
そりゃー、ワンだって、悪さした時はおこりますよ。ってながながと御託を言ってしまった。(反省!)。年を経ると愚痴っぽくなりますなあ!。
一度、山でワンを遊ばせると、やめられませんねー。 是非、sindy一家を一度はお呼びしたいものだ。親分殿にも一度来て頂きたいもんだ。愛媛から山までどの位掛かるんだろう。「愛媛の松山空港から信州・松本空港」ってルートはないのだろうか?。ルートといえばルート君」。彼に聞けば分かるかなあ!(あはは、冗談でっせ)。 やはり、自家用ヘリを買ってもらうしかないのか?。
ヘリポートを造らなきゃならないのかも!。奥が売りに出ているので、其処を誰か買ってくれないかなあ!?。そう言えば今朝、鳩山氏が老荘思想がどうのこうのと言ってましたね。