針外し/爺さんの独り言。役にたたない情報ばかり。

自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

檜山さんち。

2009-02-26 07:41:50 | 凛ちゃんとレオちんのページ

 もうちょっとなりますが、ジャックと凛ちゃんのシャンプーにももかりんさんと行った時に檜山さんの御宅に招待されました。玄関に入って応接間に通されました。何時もブログで見ている光景が目に入ってきましたぞ。ここの住人は檜山さんとお弟子のお姐さんとワンちゃん達だ。ここでは人間とワンちゃんは同格なのだ。   

          
 檜山さんが来るとワンちゃん達はあっと言う間に、周りを囲む。シェルティーってこれだけ集まっても、喧嘩をしない。(というか、針は見た事がない。)

           
     これだけのワンがいると退屈なんかしないよね。(微笑ましい)

         

         

          
          この子は「おかゆちゃん」ノブちゃんの愛犬だよ。

          

          
 ももちゃんもかつての産まれた場所なのかすっかり打ち解けている。
          
 かりんちゃん、用心深いせいか、ママさんからあまり離れない。かりんちゃん綺麗になってきたぞ。

          
        この子、可愛かったなあ!。何ていう名前だっけ?。
         
          
  桧山さん何がなんでも何を差し置いても本当にわんちゃんが好きなんですなー!。尊敬しちゃう。

 さんざん遊んでいたら、お店から連絡があってシャンプーが終わったというので凛ちゃんをつれに行ってきた。凛ちゃん、これだけ多くの仲間がいるのでビビリ気味だ。針に抱っこしに来て降りようとしないよ。

          
 凛ちゃん、女の子なので男の子に追っかけられっ放しだ。

         
 それにしてもピントが甘いなあ!。針も一緒に撮ろうとするから、駄目なんだよ。

         
         ママしゃん早く帰ろうよー。

         
 檜山さんじゃないけど、折角シャンプーしたのに「グチャグチャね」だ。ワンはワン同士。いろいろな性格のワンちゃんと遊ぶのがとってもいい。

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 最近の凛ちゃん。

2009-02-23 05:32:10 | 凛ちゃんとレオちんのページ

 これは、親分が心配するので秘密にしておいたのだが、改善されてきたので、もう話してもいいだろう。

 凛ちゃんまだ、1才になる前に山に連れていったのだが、まだ、何処かに行っちゃ困るので、デッキをケージの網で塞いでおいたら、何と、間の所からまさかのダイブ。慌てて抱きかかえてみると、大分痛かったとみえて、ビッコ(表現が適切でないかも知れませんが勘弁ね。)を引いている。後々まで、引きずると可哀想だと思いますからね,とっても心配しました。

           
      左右の階段の所は当時塞いだが、矢印の所から飛んでしまった。

 それから、暫く、足がビッコするような事は無かったので安心しきっていたら、最近再び、足をビッコするようになった。

 病院に連れていっても骨とかに異常は見られないし、筋を痛めたにしては最初だけで、散歩とか走ったりすると何でもなかったりする。もし、骨折とか筋を違えたなら、むしろ、運動の後半になって痛くなるからです。

 起きる時に足が痺れるのかと思って、傷めたであろう方の足をマッサージしたり、散歩から帰って来た時に、お湯シャワーで関節を暖めたりしたけど、一向に良くならなかった。すぐ起きる時は何でもないんですが、寝て起きた時なんかは、やはり、痺れが出るのか、ビッコをひくんですね。

 ふと、そこで以前紹介した「パワーヘルス」を駄目もとで試してみる事にした。何故なら、ジャックが首筋、右腹、腰にとんでもなく大きな腫れ物が出来たのだが、これにかかっていたら、大きく掘れていたのが、縮小、溜まっていた膿が外に出てくる、腰の山脈みたいな、腫れが跡形も無くなったからだ。

 以前にも言いましたが、何でも身体の深部の方から治癒してくるそうで、最近のジャックが凛と走ったりするようになった。こんなに身の軽いジャックを見るのは久ぶりだなあ。・・・話が逸れてしまったので元に戻さなくちゃ!。(汗)           

             
 ジャックを座らせた後、凛を20分座らせてみた。最初凛ちゃん凄く不安そう。    

            
           パパしゃん、なんか恐いでしゅよ。早く降ろして頂戴よ。  

 かれこれ10回位やった今日この頃、起きてくるときにビッコを引かなくなった。これはいい意味で「意外」でしたぞ。身体の調子がいいせいか、長い時間座っているのが嫌らしく、ゴニョゴニョと文句をたれます。(笑)。まだ様子を見なければなりませんが、一安心で御座る。      

 元気?になった分、朝ご飯の時に、キャンキャンと非常に騒さいぞ。「凛ちゃん、まだ朝早いんだから怒られちゃうよ」 もう何回「向こうに行ってなさい」って言われるか数え切れない。シンクに向かってピョンピョン、キャンキャン針の家の朝はそうやって始まるのだよ。      

           
          もう一点集中だよ。ジ~っと、見つめたままだ。

 いつも「お手」と「お代わり」をするのだが、ママさんの手を叩くようにするのだ。それも言われる前にね。
            
 ママは「少し我慢もさせないとね」なんて言ってますが、針は凛ちゃんが意地悪されているとしか思えない。(笑)←全く、「アマショク、コッペパン」だよね。

           
  「可哀想だから早くあげなよ。」お手の後は「伏せ」。「これでやっと食べられるワン。」

            
 でも凛ちゃん健気にも、ちゃんと命令を聴いているぞ。針の親爺はこういうのを見ると「ホロリ」としちゃう。お腹が膨れると、うとうととしてくるのは人間もワンも一緒。

           
 ジャックは世慣れているのでサッサと寝てしまう。凛ちゃんは遊びに未練があるのでチラチラこっちを見ているぞ。

           
 とうとう睡魔に襲われてうとうとし始めた。やっと、これで静かになると言うもんだぞ。

           

           

 この寝顔がいいんだなあ!。ついつい、頭を撫で撫でしちゃう。頬擦りしたくなっちゃう。早く暖かくなって、外で思いっきり走らせてあげたいですなあ。なんてふとそんな事が頭を過ぎりました。

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ちょいネタ。御殿場の馬刺し。

2009-02-20 21:45:40 | 日記

 またまたネタが無くなったので、ちょいネタね。

 山でよく買って食べている、馬刺し。最初、「え"ー、馬!?。」「馬を食べるの?」と思ってましたが、これが食べるとなかなか美味しい。母なんか、毎回「お土産に買ってきて」と言う始末だ。

 麓の「ツルヤ」に少量だけど、売っているのでちょくちょく買ってきて食べている。針のお好みは「ニンニク味噌醤油」。「生姜」でも美味しいよ。ニンニクを擂って味噌を大さじ一杯取って、醤油を垂らして、馬刺しに乗せて食する。酒の肴にぴったしだ。酒飲みは、ガツガツと大食いしなくてもちょっとの肴で充分だ。

 馬刺しの選び方は、筋のあるものは、好きではない。マグロのオオトロでも筋のあるものは、口に残って頂けない。だから何時も赤みの柔らかそうな所を選んでくる。

 先日、(ちょっと前の話しネ)カミサンの実家の新年会で、御殿場の親戚のすぐ傍にある肉屋さんから馬刺しを取り寄せて、出してくれた。よく馬刺しと言うと熊本産が多いし、そう聞いていましたがね。

 あんまり美味しそう、(美味しかったので)写真を撮り損ねた。兄弟、舎弟共、最初は手を付けたなかったが、一口、口に入れたらバクバクと食べ始めた。あっと言う間に2パック平らげてた。まだ1パック残っていると言うので、冷蔵庫から出してカメラに収めました。

           
 
 これは、次のお客さん用なので封を切れないので、中身がどうなっているかお見せ出来ないのが残念だ。兎に角、柔らかく、味もとっても美味しい!。  

         

 1パック、3000円位かな。ツルヤで買うパックが大きい方で、1000円でこの量の1/3位なので、決して高くはないと思う。この時は送料手数料込みで10000円で註文して、単価的には3000円ちょっとだね。1家庭で食べるのに1パックは多いくらい!。3家庭位で、10000円(送料込)、註文するのがいいのかな?。

         

          http://www.shizuoka-navichi.net/shop/shop.shtml?s=1797

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大島さんちの蕎麦。

2009-02-18 05:49:45 | 日記

 昼の芝公園には、犬仲間が沢山集まってくるのだが、何時の日だったか、パスカル・ニュートンママ、ハルママ、小〇みどりさんとかが、昼のお話相手なんですな。

 その中に大島さんって方がいて、どうも針の家の方の人らしい。最初大島製作所さんの方かと思っていたら、どうも、違うらしい。だんだん根掘葉掘(こう書くんだっけ?)聞いてみると、なんと、針の小学校からの同級生の八百正の大島君の女房殿と言う事が判明した。「なあ~んだあ!」畳屋の白井君、八百屋の大島君とは学校こそ違え、塾が一緒だったので、ず~っと馴染みだったんだよね。ましてや最近は熊野神社のお神輿でも、町会同士で盛り上げている仲間でもあるのだ。

 最初は昼辺りから散歩に出ている針の事を凄く「胡散臭い」って思っていたらしく、なかなか打ち解けて話しもしなかったのだが、いざ話をしてみたら、なんのことはない、大島君のかみさんだったわけ。世の中広いようで狭い。

 その女房殿が「手打ち蕎麦の名人」ときたもんだ。2・8、十一、十割とどんな打ち方も出来て、それも大変美味しいと皆さんから絶賛されているのだ。

 ・・・で何時の時だったか、「ネー、女房殿、針にも蕎麦食べさせてくれよー」と図々しく、しつこく言ってたら、なんと蕎麦を打って持ってきてくれた。

 2・8、十一、十割のそれぞれに使うそば粉が違うんだって!。それぞれ、適正があるんだってさ。へーそれは知らなかったよ。

 これは後で聞いたのだが、㌔/700円~何と1000円を越すそば粉もあるんだってさ。蕎麦屋さんで、あの笊に乗って、1000円~という蕎麦があるのも決して高いものではなかったんだね。

       
 流石名人だ。実にい綺麗にうってあるぞ。何でも、一回沸騰させて、麺を入れ、もう一度、湧き上がって10秒で、出して冷水で締める。

 

        

 実に綺麗に切ってある。そして食べてみると、すごい腰がある。 香りもいいし、食感がたまらないぞ。3玉の内2玉を食べて明日にも残りを食べようと思っていたら、うちのかみさんが「どれどれ」と言って、残りを食べてしまった。

 蕎麦打ちも此処までの境地になればさぞかし楽しいでしょうにね。針もやりたいと思ってたが、最初から打つのはしんどそうですからね。近くにこういう人がいるなら、また作ってもらおうっと!。

        

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ルアーの改造

2009-02-13 05:17:52 | 自作ルアー・疑似餌

  以前ちょと、トール君のページで垣間見た、ルアーの改造をやってみました。それは、クレイジークロラー型の左右のウィングに鈴を付けるというものだ。

 よくこういう発想をしたねえ。これはルアー界のノーベル賞ものだぜ。まず、取り付ける所に2つずつ、3mm程度の穴を隣接してあけます。ここにスプリットリングを通すのでかなり際どくくっ付けるようにします。穴を開けるのにドリルで開けるのですが、以前ネットオークションで購入した、ルーターが大変重宝でした。

 何故スプリットリングで付けるのかというと、実際、糸等で付けてもいいのだが、リングで付ければ、より金属音になりいい音が出ると判断したからだ。

         
鈴の裏側にある留めにリングを通す訳だが、0番クラスのリング、それも、2重になっている物を通すのは至難の業です。やってみると分かりますがとってもじゃないけど、通りゃーしませんぜ。

         

 二重になっているリングを穴の通すのはなかなか出来ません。そこで、リングを少しだけ重なる所を残してカッターでカットした。

         
   右にあるのがカットした欠片だよ。真ん中のを見ると感じが掴めるよね。

         
 それでも、通りづらいのだ。そこで針はどうしたかったと言うと、リングを若干広げてあげるのだ。これで鈴を取り付けやすくなる。

         

 鈴を付けてから、伸ばしたリングを元通りに縮めてあげると、綺麗に付く事が出来る。

         

他にも、穴を開けて付けてあげたぞ。

          

 取りあえず、鈴を付けたのはこれだけ。いい結果が出れば今後もっと付けてみようかと思う。秘中の秘だと思うけど、針のブログなんぞ、誰も見てないと思うのでちょっとアップね。

 

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趙雲子竜

2009-02-10 21:53:15 | 漢詩・古典・エトセトラ

 長坂橋(ちょうはんきょう)のもう一人の英雄と言えば趙雲(ちょううん)だ。

                

 趙雲は身長八尺(約184cm)、←これがよく分からないね。日本の一尺は確か30cm。だからそれでいくと2m40cmだよね。中国の尺貫はちょっと違うのだよね。そう言えば「一日千里を走る」とか「負けて千里を敗走した」とかあるけど、ちょっと、想像がつかないぞ。でもこの位な体格でないと、重い武器を振り回して、相手を討ち取る事なんか出来ない。

 趙雲は姿や顔つきが際立って立派だったらしい。故郷の常山(じょうざん)郡から推挙され、官民の義勇兵を率いて公孫瓚(こうそんさん)の配下に入った。

公孫瓚が袁紹(えんしょう)と戦っている時、援軍として劉備を派遣した際に随行し、騎兵隊長となった。

 後に趙雲は劉備と久しぶりに目通りし、劉備の配下となった。

 呉妹君(ごまいくん・孫権の妹)との婚儀で劉備のお供で随行した趙雲ですが、その席で呉の皇太閤が「あそこに控えているのは?」。「趙雲子竜です」。「おお!、あの劉禅阿斗を助け出した勇者ですか」と、彼の武勇は遠く呉の国にも響いていたのだ。

           
  チッチャクテ、どれが趙雲だか分からないって!?。た、多分真ん中の左の白馬に乗っているのがそうだと思う

 仁徳の人、名君の劉備のもと、万夫不当の関羽、張飛、趙雲、馬超(ばちょう)、の他、魏延(ぎえん)、黄忠(こうちゅう)、その上、臥龍(がりゅう)事、諸葛孔明、鳳雛(ほうすう)事、龐統(ほうとう)の両軍師を得て、蜀の国を平定し、理想の国家を作ったが、魏賊(ぎぞく・皇帝を僭称していると言う意味。勝手に名乗ると言う事だよ)を討って、天下統一は出来なかった。

 図らずも、水鏡先生が「君、臥龍鳳雛を得ると雖も、その時を得ず」と言う予言が当たってしまうのだ。

 魏の国の曹操が「天の時」。呉の国の孫権が「地の利」で国の体制を維持しますが、蜀の国は「人の和」で立ち上げたのだが、その人の和が崩れて、国が崩壊してしまった。

 関羽が魏の捕虜となって首を刎ねられ、張飛も大酒を飲んで就寝中に首をかかれ、義兄弟の契りをもって劉備が出兵しても、大敗をきしてしまう。劉備の死後、魏延が傲慢になり、孔明の軍令にも逆らうようになる。

 ある歴史家の書では、趙雲はわざと魏延よりか低い地位にいたといっている。魏延は劉備の配下になった頃から、自分は関羽張飛に匹敵すると、思っていて、超雲以上と思い上がっていた訳で、趙雲は孔明と図っていて、その後、孔明の策で「俺を倒せる奴がいるか!?」「おう、ここにいるぞ」と言われて背後から、魏延は討ち取られてしまう。

 息子のトモも言ってましたが、「全身是肝の人なり」と言われてまして、位の上下なんかにこだわらなかったとも言われています。これこそ絵に描いたような将軍・人物でした。今でも民衆に人気があって、京劇でも趙雲が主役の演目が多いのがその証拠だね。関羽、張飛の批判をする人がいても趙雲はあまりというか、そういう時に名前が出てこない。

 美髯公、関羽、燕人張飛、常山の趙子竜。タイムマシンに乗ってこの時代に行くことが出来たらどんなに、いいか!。行けないならせめて、映画で勇猛さを再現してもらって、当時を思い起してみたいものです。

 でもタイムマシンで着いた途端に、戦いの真っ最中に飛び込んでしまって、あっと言う間に、首を刎ねられたら嫌ですからね、映画で見ているのが安全でいいやー。(笑)

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燕人張飛。

2009-02-07 23:21:40 | 漢詩・古典・エトセトラ

 張飛は字を翼徳(よくとく)、燕人の異名がある。←って、そのいわれは分かりまへん。身長八尺、豹のようなゴツゴツした頭にグリグリの目玉、エラが張った顎には虎髭、声は雷の如く、一丈八尺の鋼矛「蛇矛(だぼう)」を自在に振るって戦場を縦横無尽に駆ける武勇を誇る武将だ。

             

 張飛は一騎打ちでは負け知らずであり、夏侯惇と互角の曹豹を討ち取り、関羽と戦った紀霊を一騎打ちで討ち取り、曹操軍を代表する猛将である許褚に一騎打ちで勝利している。馬超との一騎打ちは名場面の一つだ。張飛がてこずったのは関羽と二人掛りだ戦った呂布ぐらいだろう。

 荊州の守、劉表が死ぬと、曹操が劉備を狙って、荊州に南下する。その時劉備を慕って農民が「是非お供を」と願うのであったが、如何せん、曹操軍の南下の速度が速い。しかたなく劉備が妻子も棄てて、わずか数十騎をしたがえて逃げ出すという中、張飛は「しんがりを任され、当陽の長坂において敵軍を迎えた張飛は二十騎の部下とともに川を背にして橋を切り落とし、「我こそは燕人張飛なり。いざ、ここにどちらが死するかを決しよう」と大声でよばわると、曹操軍の数千の軍兵は先に関羽から「我が弟張飛なるは、嚢中から物を取るが如く」と聞かされていたので先に進む子とが出来ない。張飛が詰め寄ると、曹操軍はなだれをうって退いた。このために劉備は無事に落ち延びることが出来た。

 劉備は後、荊州の南部四郡を攻略し、張飛を宜都太守・征虜将軍として新亭侯に封じた。しばらくして南郡に転任させた。

 張飛の欠点はその粗暴さにあって、目上の人にはそれなりの敬意を払うが目下のものには目もくれないし暴力を使う。それゆえに張達范彊の二人に酒を飲んで就寝中に首をかかれて殺されてしまう。

関羽は剛毅が過ぎて傲慢であり、張飛は乱暴で部下に恩愛をかける配慮が無さ過ぎた。

 まあ、関羽と張飛の欠点を上げてもしかたがないし、この戦乱時に倫理観をかざしても、始まらない。関羽と張飛の魅力は劉備に付いて万夫不当の勇が魅力だね。レッドクリフに関羽と張飛も出てくる。画像での彼らの見所は、やはり白兵戦の中の一騎打ちですかね。針もここは凄く期待しちゃう。

          
 五月の節句にも置かれる鐘馗様も張飛がモデルになっているとか。この鐘旭様は蛇矛は持ってませんけどね。

 追記:西遊記にも出てくる二郎神君の門番の鐘旭様(五月人形にもあるね)とか地獄の明王にも張飛の顔の影響があるとされているのだとか。聊斎志異等にも張飛が出てくるし、関羽張飛は民衆の心を掴んで離さない。

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三国志といえば、関羽、張飛、趙雲でしょ。

2009-02-04 20:22:46 | 漢詩・古典・エトセトラ

 三国志でまず、一番最初に覚える人が関羽、字は雲長、張飛、字は翼徳、趙雲字は子龍だと思います。あれーまだやるのかよ。

 先ず関羽。関羽でまず思い出すのが、劉備が袁紹のもとに身を寄せていて一方、曹操の所に捕虜となっている関羽と劉備の正室、甘夫人。曹操は関羽を是非配下に取り立てたいと切望してたので、「寿亭候」という位を与えたりした。その時関羽はじーっと印字を見てそのまま返した。曹操はその心を読んで頭に「漢之」を足して与えたら、関羽は「にこっ」と笑って「よくそれがしの胸中をお読みなされた」と言ってやっと受け取った。

          
 この関羽像は髯が立派じゃないね。伝説中の関羽は美髯公と言われてもっと立派だって聞いているけど。

 それまで曹操は多額の財宝の類を関羽のもとに贈り届けさしたりしたが、関羽は頑として受け取らなかった。でも何故、「漢の寿亭候」の称号を受け取ったかと言うと、漢という字にあったのだ。漢は主君劉備が漢の中山靖王(ちゅうざんせいおう)の嫡孫であり、漢の皇室から頂いたものであり、曹操から貰ったものではないからだ。

 ただ、強力無双・万夫不当の呂布が乗馬としていた、赤兎馬(せきとば)(汗血馬(かんけつば)・一日千里を走る名馬とされる)を曹操から贈られると、「この馬があればご主君の元にすぐさま駆けつける事が出来る」と言ったそうです。曹操はこの関羽を慕うのですが、如何せん、心を変えられない事を痛切に感じるわけです。

 時に、袁紹と曹操が戦闘する事になった時、劉備と関羽・甘夫人の立場は当然微妙になる。関羽は形だけでも曹操に恩義を感じていたので、何時か、これを返したいと思っていたが、逆に曹操はそう簡単に、返してもらいたくなかったのである。

 袁紹(えんしょう)と曹操が対峙したときに,袁紹方に顔良(がんりょう)・文醜(ぶんしゅう)という猛者がいて曹操方の武将で敵う者がいない。この時こそ、恩義を返す時と関羽は出陣を願い出ます。

 袁紹方と曹操方の兵が入り乱れて交戦している時に関羽が自慢の「赤兎馬」に乗って出馬すると、両軍さっと波が引くが如きに分かれます。

 「お主が顔良か?」「おう、我こそは・・・」と、言い終わらないうちに関羽の大刀が一閃して鎧ごと叩き切ってしまいます。首を持って曹操の下に着いた時にはまだ、時のカネが3っ目が鳴っていなかった。

それに続いて仇討ちを願い出てきた文醜も一閃のもとに切り落とします。「人格、思慮、武術、共に関羽に並ぶ者無き」と称されて、万夫不当の勇を誇っています。

 関羽で有名な話では、関羽の肘に毒矢が刺さり、名医華陀(かだ)が関羽の腕を押さえつけようとすると、関羽はその必要なしと碁を対極し続けますが毒に当たった肘の骨を削っている時も身じろぎ一つしなかったという事です。華陀が将軍のような患者は初めてです。関羽も「私も貴殿のような名医は会ったことが御座らん」「すると、さしずめ名医と名患者ですな」

 また関羽の娘に呉候(孫権)との婚約話が持ち上がった時、「虎の娘をどうして、犬の子供に嫁がせよう」と言ったこともあります。
 
 古より関羽ほどな忠義の士はいないと言う事で武人の鑑とされています。。横浜の中華街にある関亭廟(かんていびょう)はこの関羽を祭ってある事は有名な話ですね。

一口メモね。

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 レッドクリフを早く見てみたい。(その3)

2009-02-02 06:53:29 | 漢詩・古典・エトセトラ

 当時、水鏡(すいきょう)先生(司馬徽(しばき)の門下には徐庶(じょしょ)の他、臥龍(がりゅう)、鳳雛(ほうすう)と並び称される知者がいました。臥龍とは諸葛孔明の事であり、一方の鳳雛とは龐統(ほうとう)という人でした。

 臥龍先生の孔明が書生風(しょせいふう)なのに対して、龐統は風采(ふうさい)も上がらず、顔があばたが酷かったらしく、最初は、呉の国の孫権にまみえますが、孫権からはこれを理由に退けられたとあります。

 その後、魯粛(ろしゅく)の薦めにより、また、諸葛亮の請いによって蜀にきますが、劉備にも好かれず要職に付けられずに、地方官位にしか付けなかった。その後、劉備が自分の不明を詫びて副軍師(ふくぐんし)の職に付きます。あやうく逸材(いつざい)を野に放してしまうところでした。

 その昔、水鏡先生(司馬徽)に「臥龍・鳳雛の一方でも得る事が出来れば,容易く、天下を得る事が出来る」といわれた劉備(りゅうび)ですが、その両方を得る事が出来たわけです。(但し、龐統が劉備の配下に入るのは赤壁の後、蜀攻略の頃です)

 話を元に戻して、魏は大軍を擁(よう)して、呉に襲い掛かってきたわけですが、折りしも、天候が悪く浪は高く、風は逆巻き、船団も大揺れになった。ただでさえ、船の生活に慣れてなく、あっと言う間に、体調を崩す者が続出し、疫病まで流行り出した。

 そこにこの鳳雛先生が来て、船団を太い鎖で繋ぐ連環(れんかん)の計を進言しました。魏の軍団は大地に居るが如くになり、戦意が復活した。でもこれも策略だったのですね。

 また一方で呉の老将・黄蓋(こうがい)が投降をすると魏に偽りの話しを持ちかけた。わざと棒で背中を叩(たたか)れて傷を負った。(これが「苦肉(くにく)の策」の語源になったと言われているんだよ。)

 魏の船団が大地の如くゆれが止まって攻めてこれないのは良かったが、こちらも(蜀・呉の同盟軍)攻め手が無いのが頭痛の種だった。

 周瑜と孔明は知略を巡らして、お互いの心に思っている事を手の平に書いてみようと言う事になった。同時に手をあけてみると、そこには「火」の字が書いてあった。つまり、火攻めの事をさします。

 しかし、今の季節は魏から呉の方へ吹く北西風で、下手に火を射掛けるとこっちが危ない。孔明はここで周瑜に言います。「我に天を(気象)変える力有り、祈祷(きとう)によって東南の風(たつみのかぜ)を呼び起こして御覧にいれます」周瑜は唖然とした。そんな事が出来るのか!?。と。勿論、莫大なるデータを集めていた孔明ならではの事です。

 孔明は祭壇を構築して天幕を張り、北斗の足取りで、7日間祈祷し続けます。周瑜も魯粛と顔を見合わせるばかりだ。でもなかなか、東南(辰巳)の風は吹かない。しかし期が迫ったある晩、にわかに風が吹き始めた。周瑜は一時は孔明を尊敬したがここに到っては、尊敬から恐怖に変わり、ますます、孔明を殺そうと思い直すのであった。勿論孔明はこの季節に1,2日必ず風が変わるのを知っていたわけです。

 機は熟した!。老将・黄蓋は舟に硝煙(しょうえん)を満載して、その東南の風に乗り、魏の船団の中に突入した。木と皮で出来た船はあっと言う間に、燃え広がり、鎖で繋いであるが為に一艘が沈むと隣の船も引っ張られて沈む。最初は曹操の軍80万あった軍勢も1/3になったとあります。

 陸地に上がった曹操ですが、烏林(うりん)等、とかで蜀の猛将、張飛、超雲子龍、関羽等の伏兵にさんざんに叩かれてしまいます。曹操以外に25騎しか残らなかったともあります。

 これが赤壁の戦いのあらましです。三国志読むと、とっても面白いですぞ。針は中学の時にこれを読んでからというものの、中国古典の虜になってしまいました。

 違う著者で、3,40回は面白さも手伝って読み直したよ。なんでかって言うと蜀の国に曹・孫という姓も出てくるし、呉の国にも劉・諸葛亮の兄諸葛瑾(しょかつきん)もいるし、当然魏の国にもね。

 最初は読んでいるうちに「何が何だか分からなくなっちゃった」んです。三国志を読むと大概ここで躓(つまづ)くんですよね(笑)。

 中国の古典は漢文で書いてあるから、読むのが難しいと思うでしょ?。でも書き下し文を読むと楽ですし、とっても面白いんですぜ。(こういう針だって原文は読めません)←なんでぃー!。

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