針外し/爺さんの独り言。役にたたない情報ばかり。

自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

工藤会というや〇ざ。

2021-08-29 08:40:54 | 針の政治談議

 昨日、工藤会の野村 悟 (74) と田上不美夫(65) が死刑判決と無期懲役の判決が出た。今迄、警察や国家保安協会はやくざという世界も一部で残しておかないと収支が付かないという事で、半分と言うかかなり目を瞑ってきました。以前のやくざは決して「カタギノ衆」には手を出さないという不文律があってそれなりに蔓延る意義はあった。

しかし、此処へ来て、自分達の不当なゴリ押しを通すのに邪魔な一般人がいると手を出してしまった。こうなると警察も黙っていられないね。工藤会は所謂「一線を越えてしまった」。こういうやくざの論法は得てして過激になり易いので、「度を超す」という事になる。「嘘に嘘を重ねる』ではないけれど、こういう時はより過激な方向に向かうと相場が決まっています。

                                            野村悟被告(74)と、ナンバー2の田上不美夫被告(65)
            「工藤会 判決」の検索結果 - Yahoo!検索

 ま、この判決は「やっと司法が動いた」ということだが、何年か前に安倍元総理が山口の地元で選挙運動している時に、対抗候補者の誹謗中傷をこの工藤会と合田一家に依頼したのだが、500万で手を打つ」という約束を安倍が「ケチって」300万しか払わなかったので、工藤会が怒って事務所に「火炎瓶を投げ込んだ」という新聞記事がありました。
             
                                     特報!日常的に合田一家と工藤会が安倍事務所に出入り!
                                                           安倍晋三宅火炎瓶投擲事件 - Wikipedia

                安倍首相と暴力団「工藤会」のただならぬ関係 沈黙を続ける大手メディア|政治ニュース|HUNTER(ハンター)|ニュースサイト (hunter-investigate.jp)   
            

 相撲の関取とか、芸人の闇営業だとすぐに永久追放するのに、安倍の場合はどうなんだ?。政治家ばかり罪を逃れる構図が出来てしまっている。これを何とかしないと駄目ね。山口の安倍事務所にはこの2つのやくざが絶えず出入りしているのにマスコミも取り上げない、警察もノータッチ、国会でも全くと言って触れないできた。

やはり報復が怖いからなのだろうか?。「どいつもこいつもテメーの欲得」で動いているのでいつの時代も駄目だね。国の法律が議員を守るのを優先してしまっている結果、箍が緩んでしまって、平気で悪辣な犯罪が増えてきてしまっている。

こんなんでは、昔の時代の厳しい法律の方が良かったね。「悪い事をすると厳罰が待っている」というのが根底にあると、おいそれとは悪さをしなくなるね。これには冤罪という壁があるので簡単に判決は出せませんが、もっと科学が進んで人の「嘘」を見抜く事が出来れば社会が粛正されるだろう。

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今の社会は

2021-08-20 20:55:05 | 日記

針外しが生まれたのが昭和の時代。この頃は皆が一生懸命働いて、一家の主となり店を持って独り立ちできた。そして所帯を持ってそれぞれ幸せだった。社会の仕組みも年功序列で皆なんだかんだいって脱落者もあまり出さずにやってこれたもんだ。

それがIT関係が主体となり所謂、「勝ち組」「負け組」の構図が出来てしまい、今回のコロナや災害時にその結果がより顕著になって、挙句失業者が増えてしまった。そうなるとどうなるかと言うと、飯の」食えない若者や中年層が泥棒、押し込み強盗、詐欺がとてつもなく増えてしまった。道路や公の場で辻斬りならぬ路上斬りまで出るようになった。

此れじゃ昔で言う「一揆」と変わらないじゃないか?」

今のIT主体の社会は自分達さえ良ければそれでいい」という風潮が強い。昔は少なくとも工場や店で就労する若者を「我が子」同然に面倒見て育て上げ、立派に成長すると、店の暖簾分け迄してあげた。とは言っても、確かにITの就労者もそんな余裕もないけどね。

針の釣り仲間のN君に物を治めた時、11時頃やっと帰宅して連絡が取れて話をしたんですが、「今日はお疲れ様でした。ゆっくり休んで下さい」と言ったらそのN君、「何を言ってんですか。これから風呂に入って、飯食べたらこれからまた会社に戻って仕事ですよ」だって。

ITも社会の中心になっていますが、「人間はロボットではないよ」

前述しましたが民間の小規模経営者にしても昔は、「金の卵」と称して社員を宝物のようにして育て上げ中でも良くできた子には「暖簾分け」で店を持たせたり、会社の後継ぎにしたりした。

 でも今の経営者は自分は前と同様に贅沢な暮らしを」しているのに社員を皆「期間雇用社員」に位置付けてしまっても、退職金もなく時給計算だ。そして契約は1ねん契約で再雇用となる1年契約なら退職金が発生しないからだ。上の人間達がおいしい所を皆持っていってしまっている。
前のN君にしても、所謂「勝ち組」の中で仕事をしても過酷な割に低賃金に甘んじられているね。

以前安倍という奴が一億総活性とか言っていたけど、例えば郵便局何かは絶対と言って良いほど社員にさせない。今の優勢は総務省管轄なのに当時の高市などは絶対手を付けなかった。だから、極少数が社員で後は皆期間雇用社員だ。

これじゃなかなか所帯なんか持てないよね。口じゃ唱っておきながら、全く進行しなかった。ましてやこのコロナで小規模の会社は商売が出来ずに止めてしまったりで,職を失い皆「ウーバーイーツ」の社員だ。(実際は社員ではないけどね)
国の態度がそんなだから若者は皆「いう事を聞かなくなってしまった」

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やたらと羽化します。

2021-08-15 11:12:07 | 立科・信州の話。

 6月の春蝉が終わって、というかもう前から姿を見ているような気がしますが、この綺麗な蝉が出てきます。小学校の頃の「昆虫図鑑」を見たのを覚えていてそれでしか、特定出来ませんが、この蝉、「蝦夷ゼミ」「小蝦夷せみ」と書いてあったような。今図鑑見たら、名前が変わっているかもね。

クマゼミに似ていますが、クマゼミは真っ黒け。この蝉は綺麗ですよね。

   

 立科の辺り、というか山の蝉は何処からでも羽化します。笹や、草、ウド、デッキ他木という木全部。中には、鹿よけの網をよじ登ってそれが絡まって死んでいるものもいます。そういう時はそっと取って他の白樺の木に付けてあげたりしますね。

   

この間は道路で羽化してしまって上手く飛べない子もいます。昨年は10匹位助けましたかね。

   

この蝉の名前は調べていないのでわかりませんね。言える事はこの蝉も命あるという事です。去年、杉並か練馬で中国人が油蝉を捕まえて食べていたのを思い出しました。しかし食うかね?。

羽化しますが当たっていますよね。孵化って言うのは魚かね?。

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剪定ハサミの調整。

2021-08-12 08:06:01 | DIY

 昨日、倉〇さん宅の庭の雑草取りをしたのだが、その時に剪定ハサミの切れ味が良くないとの事で、「直してくれ」だって。

 剪定ハサミというのは切り口が最初から最後まで切れ味を良くする為に、真ん中の辺りに隙間がある。切っている時は「きっちりと」合わさって草を切りますがその合わせ面が先端に移動するようになっています。

刃が移動するという意味ではなくて「合わせ面」が移って行くという意味だよ。

    
    横から見ると隙間が開いています。この隙間は開いていていいんですよ。

 刃を研ぐのはしょっちゅうやっていますがこの合わせ面を治すのはやったことないので「どうしたもんか?」と、ここで止まってしまったね。

    

 最初刃を焼いてこの当板で少しハンマーの歯を叩いて合わせ面の当たりを強くしようとしましたが、どうもしっくりこないね。そんな事しなくても出来るんじゃないかとあれやこれや考えたね。
そんな時は「一休み、一休み」「一休さん」。だはは、何言ってんだろうね。

      
 でも「ハタっ」とある事を思いついたね。なあに極、簡単な事ですよ。それはね、鈑金で使う当て板を下に敷いてハサミのボタンを支点にして片方は柄、片方は刃を持って折って曲げてあげるのですよ。(両方、下に押すんですよ。)支点を中心にして折ってあげる感じね。

      

その反対も同様にやってあげます。結構やわらかいもんで曲がるもんですね。そうしたら真ん中辺りで隙間が出て切れないでいたのが音が出る様になって綺麗に切れる様になりました。(今までは切ってみると中頃の辺りの草が切れないで靡いて(なびいて)しまっていました。)

当たりを強くしようと支点になるボルトを叩いても直りませんよ。

物事、ちょっとしたひらめきがあると、解決する事がいっぱいありますね。その為には頭を柔らかくして色々な考え方が出来るといいなあ!。

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結 廬。

2021-08-08 07:12:33 | 漢詩・古典・エトセトラ

 今日の今までこの詩が杜甫の詩だと思っていました。記憶というのが如何に曖昧だと思い知った訳です。人の脳なんていい加減なもんなんですね。(←それはお前の脳だけだよ)
詩の題名も「結 廬」杜甫とばかり確信して覚えていました。針のブログもWikipediaを全部引っ張り込んで書いている訳ですが、検索しても何処にも「杜甫」の文字はありません。とまあ、針の好きな詩なもんでアップします。この詩は陶淵明だと初めて気が付きました。駄目だねえ。

飲酒「全20首」の中の「五首目」でした。「結廬在人境」という句の頭を取って「結 廬」と言われています。くれぐれも「結露」じゃないよ。

それにもう一つ。屈原と陶淵明が妙に重なってしまって、頭の中で混乱しています。何でだろう?。

      
              陶淵明

陶 淵明 365年(興寧3)~427年(元嘉4年11月)は、魏晋南北朝時代(六朝期、東晋末)から南朝 宋の文学者。字は元亮。または名は潜、字が淵明[。ですから陶潜とか陶淵明と呼ばれています。死後友人からの諡(おくりな)にちなみ「靖節先生」、または自伝的作品「五柳先生伝」から「五柳先生」とも呼ばれる。尋陽、柴桑(現在の江西省九江市扶桑区の人。)郷里の田園に隠遁後、自ら農作業に従事しつつ、日常生活に即した詩文を多く残し、後世には「隠逸詩人」「田園詩人」と呼ばれる針さんの心情とぴったしね。(おこがましいんだよ)


てな訳で、

           陶淵明  飲酒 其の五  
 
結廬在人境  而無車馬喧  廬を結んで人境に在り  而も車馬の喧しき無し 

問君何能爾  心遠地自偏  君に問う何ぞ能く爾ると 心遠く地自から偏なり 

採菊東籬下  悠然見南山  菊を採る東籬の下  悠然として南山を見る

山気日夕佳  飛鳥相與還  山気日夕に佳し   飛鳥相與に還る
 
此中有真意  欲辨已忘言  此の中に真意有り  辨ぜんと欲して已に言を忘る


      
           というのはこんな感じかね


 人里に廬を構えているが、役人どもの車馬の音に煩わされることはない。「どうしてそんなことがありうるのだ」とお尋ねか。なあに心が世俗から遠く離れているため、ここも自然と僻地の地に変わってしまうのだ。
 東側の垣根のもとに咲いている菊の花を手折りつつ、ゆったりした気持ちで、ふと頭をもたげると、南方はるかに廬山のゆったりした姿が目に入る。山のたたずまいは夕方が特別すばらしく、鳥たちが連れ立って山のねぐらに帰っていく。この自然の流れの中にこそ、人間のありうべき真の姿があるように思われる。しかし、それを説明しようとしたとたん、言葉などもう忘れてしまった。

地自から偏なり 僻地の地    日夕に佳し   夕方が特別すばらしく

      

追記:「廬」と言う字を「蘆」と間違えていました。正しくは「廬」です。ここにお詫び申し上げます。

 

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暇ネタ。携帯用の手斧。

2021-08-04 06:15:19 | DIY

 携帯用の斧があったのでちょっくら購入です。が、持ち手が痛そうなので、以前やった「パラコード」で巻きました。

      

 山で焚火する時細く切った薪を作るのにちょっと便利かな?。薪を細く切って帆口にするにも都合がいいかもね。道具はあれば便利な物なので邪魔にはなりません。なんて正当化しています。前にも言いましたが、一度でも使えばその道具の購入した価値があったという事です。


      

巻いてみて、ちょtっと感じたんですが幾ら強く巻いても使っているうちにゆるみが出そうです。

      
てなわけで、手に持って、感じない処に接着剤を浸み込ませる事にしました。例えば両端、とか地肌に接着しているところです。

やはりアロンアルファなんかがいいですかね。あまり付けると握った時にごわごわするので極少量だけ付けます。

ま、こういうのは使ってみて何ぼ」ですからね。上手く行かない事もあったら、再度挑戦です。
      

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明日からまた山です。

2021-08-01 10:52:07 | 立科・信州の話。

母の在宅介護の先生が、コロナワクチンを接種してくれるので、7月27日に一旦、東京に戻りましたが、凜ちゃん達ワンコが暑さに弱いので明日から再び山です。今回は2回目の草刈と、エンジンソーの修理を依頼してあるのでその引き取りです。そのほか余分な物も買っちゃったんでそれもね。

あっしは2回接種したんですが、母は1っ回目なので21日に帰ってこなければなりません。ま、ワンコ達の避暑になればいいのでそれで良しです。

山というのは8月の15日を過ぎるとボチボチ秋の準備となります。白樺なんかはチラホラと落葉してきます。今年は市川君のカミさんが、からだ中の関節が痛くなって、山に誰も呼べずにいたので退屈極まりないです。コロナのお陰で誰とも会えませんでした。

                     

コロナで不慮の最後を遂げた人もいなかったので、結果良しですね。しかし、ワクチンは若いん人程早くした方が良かったんじゃないかって。年よりは家にこもったっきりテレビ見て、酒喰らっているのが多いので、「順序を後回しにすればいい」という選択肢で良かったんじゃないかって。

若い人は行動力があり、行動範囲が広いので感染確率が高い。政府の馬鹿なお偉方はやり方が最初から間違っていたんだよね。PCR検査やって陽性、陰性を決めて陰性の人は酒飲みに行っていいとすればこんなに広がる事は無かった。広がっても極小規模だった。安倍という馬鹿が森友、加計、桜と何億も無駄遣いしてくれたお陰で日本は対策が遅れてしまった。

山に行ってれば、身の安全は図れるので大人しくしてよう。

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唐代の詩人でもう一人有名な方が。

2021-08-01 06:41:20 | 漢詩・古典・エトセトラ

盛唐の詩人で忘れてはならない人に「杜甫」がいます。本来こんな後になんて取り上げないで筆頭に記するものでありますね。杜甫と言えば李白と並んで中国古代の二大詩人です。李白と杜甫を並び称して李杜と言われています。李白を詩仙。杜甫を詩聖と言って並び称されています。

杜甫は712年唐の玄宗皇帝が即位した年に、唐の都・長安の隣、河南省洛陽から東に5~60キロ行った小さな町で生まれました。

 杜甫の家柄は代々官吏で、この点、李白と比べると立派な家柄の出。祖先には杜預(と・よ)という『春秋左氏伝』の注釈をした学者にして将軍である人物がおり、祖父・杜審言(と・しんげん)も有名な詩人でした。つまり杜甫は名門の家系に生まれた訳です。

           
            杜  甫                   杜甫の育った叔母の家かね?。

 杜甫は両親を早くに亡くし、父の妹である叔母に育てられました。この叔母は自分にも子がありながら杜甫に深い愛情をかけてくれ、杜甫は後々まで感謝の思いを持っていました。杜甫は自分が悲しむ時、同じ悲しみにくれている見も知らぬ人にも思いを寄せるという個性の持ち主なのですが、この個性はこの叔母に育てられたことによって培われた部分もあるのかもしれません。

 名門の出として杜甫の人生は最初から決まっていました。科挙を受けて官職につくことです。今受験勉強といえば家にこもるか予備校などに行って黙々と励むわけですが、当時は詩文を学ぶと同時に旅に出て有力者と顔をつないでおくのも大切なことでした。

そこで杜甫20歳、呉楚(東南の沿岸地帯)への旅に出ます。4年後にまた洛陽に戻り科挙の試験を受けますが、合格率1%ほどの難関。不合格でした。

 杜甫30歳の時に洛陽で役人の娘と結婚し家庭を持ちます。杜甫は生涯この奥さんを大切にし、奥さんもまた優秀でありながら不遇であり続けた夫から離れることはありませんでした。後に安史の乱で安禄山の軍につかまり長安で軟禁された頃この妻を詠んだ詩があります。すでに5人の子供をなし貧しさに疲れ果てた中年の夫婦でありながら、妻は詩の中で若く美しく、やや違和感ありですが美しい五言律詩です。

 今でも詩を書くことだけで食べていける人はほとんどいないでしょうが、それでも教員になるなど二足の草鞋をはけば詩人としてやっていけるでしょう。当時は詩人という職業はなく、詩文を書く人は官職…つまり政府の役人になることを目指すしかありませんでした。この仕官の道が大変で、あの有名な科挙に合格するか(合格率はきわめて低い)、有力者の強力な推薦を受けるかなどしかない極めて狭き門でした。

 杜甫も若いころから仕官の道をめざしますが、官職に就けるまでが大変。杜甫は生活苦の中で子供をひとり餓死で失っています。人生の半ば過ぎやっと官職に就きますが、それでも人生の大半を貧困の中で過ごしました。という訳で有名な詩。一首。


    春  望   杜甫

国破山河在  國破れて 山河在り        くにやぶれて さんがあり

城春草木深  城春にして 草木深し       しろはるにして そうもくふかし

感時花濺涙  時に感じて花にも涙を濺ぎ     ときにかんじて はなにもなみだをそそぎ

恨別鳥驚心  別れを恨んで 鳥にも心を驚かす  わかれをうらんで とりにもこころをおどろかす

烽火連三月  峰火 三月に連なり        ほうか さんげつにつらなり

家書抵万金  家書 萬金に抵る         かしょ ばんきんにあたる

白頭掻短   白頭掻いて 更に短かし      はくとうかいて さらにみじかし

渾欲不勝簪  渾べて簪に 勝えざらんと欲す   すべてしんに たえざらんとほっす

語彙:意味 國破  安禄山の反乱によって国の都長安がおちて宮殿や町などが破壊されたことをいいます。  時 時世のありさま 烽火 ここでは戦いのこと  家書  家人よりの便り

   抵 相当する   渾 まったく  簪   かんざし 外からまげにさし、冠(かんむり)を固定させる。

意解
 戦乱によって都長安は破壊しつくされたが、大自然の山や河は依然として変わらず、町は春を迎えて、草木が生い茂っている。
 時世のありさまに悲しみを感じて、(平和な時は楽しむべき)花を見ても涙を流し、家族との別れをつらく思っては、(心をなぐさめてくれる)鳥の鳴き声を聞いてさえ、はっとして心が傷むのである。
 うちつづく戦いののろしは三か月の長きにわたり、家族からの音信もとだえ、たまに来る便りは万金にも相当するほどに貴重なものに思われる。
 心労のため白髪になった頭を掻けば一層薄くなり、まったく冠を止める簪(かんざし)もさすことができないほどである。

   此処で言う「峰火 三月に連なり」というのは「安禄山、史思明の乱」の事です。

                 
                      安禄山

 李白と杜甫を比較対象する事は「愚の骨頂」ですが、李白は酒を飲む詩が多く、その中で憂を晴らしたり、自然と戯れたり、世情を詠ったりしていますが杜甫は真面目な性格からか、それが詩の上にも表れていますね。心の悲哀をストレートに表して詠っています。

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