針外し/爺さんの独り言。役にたたない情報ばかり。

自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

王維

2022-01-31 08:56:04 | 漢詩・古典・エトセトラ

王 維(おう い、生卒年は、『新唐書』では701年~761年以降の記述は一応『新唐書』に準拠、(長安元年から上元2年)は、唐朝の最盛期である盛唐の高級官僚で、時代を代表する詩人。また、画家・書家・音楽家としての名も馳せた。字名は摩詰、最晩年の官職が尚書右丞であったことから王右丞とも呼ばれる。本貫(出生地)は太原郡祁県です。

         

同時代の詩人で李白が“詩仙”、杜甫が“詩聖”と呼ばれるのに対し、その典雅静謐な詩風から詩仏”と呼ばれています。南朝より続く自然詩を大成させた。韋応物・孟浩然・柳宗元と並び、唐の時代を象徴する自然詩人です。とりわけ、王維はその中でも際だった存在である。画についても、“南画の祖”と仰がれています。

王維は、仏教を信奉し、乱の際に「香水銭」(これ何だか分かりません)と呼ばれる授戒による軍費調達によって粛宗の信任を得た荷沢神会(かたくじんね・人の名前だよ。禅僧。荷沢宗の開祖。)の支持者の一人であった。そのため、なまぐさを食べず、派手な服装はしなかったと伝えられる。また、早くして妻を亡くしたが、以後、再婚せず、30年間、独身を貫いた。

王維はその高潔清雅な性質と作品群によって、後世、高い評価を受けていたが、朱熹のように「其の人既に言うに足らず、詞も清雅なりといえども、また萎弱にして、気骨少なし」という評価や、清代の徐增からは「天才は李太白(李白)、地才は杜子美(杜甫)、人才は王摩詰」という評価も受けている。
代表作
送元二使安西は以前にやったので此処では省きます。どちらも「唐詩三百詩」の中に入っています。
               鹿柴 
空山不見人  空山 人を見ず      ひっそりとした山に人影もなく
但聞人語響  但だ人語の響きを聞く   ただかすかに人の声だけが聞こえる
返景入深林  返景 深林に入り     斜陽が深い林の中に差し込み
復照靑苔上  復た青苔の上を照らす   また青い苔の上を照らし出す

 朱熹が王維に対して批判的ってありますけれども、誰だって自分の作品が並外れて秀作だと認識して詩を作っている奴なんかいませんよね。その時の情景とかを皆と分かち合って詠っていればそれでいいじゃないか。

 自分の気持ちに素直になって詠んでいるので、邪推な面は無い筈でありますね。この「鹿柴」だって私たちが素直に見て詠んで「いい」と思えばそれでいいじゃないか・・です。

 だから針外しは「佳作」とか「優秀作」とかの判断・評価をする奴は嫌いですね。ケチを付けようとすればいくらでもできます。そんな事よりも、この詩で同じような気持ちにさせてくれる、持たせてくれる方をえらびます。兎角、例えば野球界にしても「一億総監督」で批判ばかりしているよりも、野球をやって楽しむ方がよっぽど「マシ」ですね。もっと風情を楽しんで、「粋」な気持ちを持ちたいもんです。

漢詩の良さってそういう所にあると思っています。

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赤匪

2022-01-29 09:02:15 | 漢詩・古典・エトセトラ

 赤匪(共匪)(きょうひ)とは、中華民國統治下の中国において、中国共産党の指導のもとに活動したゲリラのことである。匪賊のうち共産主義を掲げる集団とされ、共産匪赤匪毛赤匪中共匪とも呼ばれた。
 これは、馬賊とも違う。また書く村々では自警団を作って村を守ったがそれとも違う。共産主義を理想として革命を起こそうとしたが実際はとんでも無い集団です。
共産党…階級闘争を提唱し、農工を欺騙し、民意を偽造し、無罪者を殺戮し、財産を強奪し、礼教を毀棄し、親族を仇視し、青年学子を誘惑し、赤色恐怖を引き起こし、害毒を流すは、財産多寡に分けること無く、人格賢愚を論じず、「土地を有するは皆横暴で、紳の劣らぬこと無し」に及ぶ。凡(おおよそ)我が真正農工ならび武裝同志は、室家を破り毀されぬものなく、その賊害を被っている。

         


国民党「農政視察団」の報告

  此の度軍に従ひ某地を出発し、共匪討伐に赴いた。共匪の難を蒙つた地方の惨状を目撃して、自分は一個の感想を抱いた。共産党は農工革命を標榜してゐるけれども、その実は却つて農工を欺騙して居る。この地方一帯は本当の農民と労働者は凡て共匪に殺され尽して居る。共産党の暴動に従ふ者は凡て流民や悪漢であつて、本当の農民労働者は逃亡するか、若しくは殺害されて居る。この地方一帯の田地には耕作する者が無い。この情態は実に残酷を極めて居る。共産党は本来、露西亜(ロシア)の走狗である。

 露西亜に於てすら適当ならざる共産主義を堅く執つて支那に持つて来て実行せんとして居る。誠に遺憾至極のことである。玆に於て自分は共産党員が国を害し民を害する分子であることを悟り得た。我等はまさに同心協力して共産党を滅ぼさねばならぬ・・・・・。

 針外しは以前に「赤い故郷を捨てた人々」という書を紹介した事があるが、紅衛兵=赤匪=共産軍は日本と戦っているが、連戦連敗を重ね、ある村に駐留すると、其処を日本軍に占領される位なら、村民は全員銃殺、物資は全て略奪か焼却だったといいます。

  また、当時の富裕層=地主が表に出されて所謂「人民裁判」を紅衛兵が執り行い、ある小作農の爺さんが「此奴らは地主階級だ」と言うと、その場で全員(子女迄)銃殺にされたとあります。
そうした事で恐怖で身の危険を感じた人達は台湾海峡を泳いで渡ったとあります(赤い故郷を捨てた人々)

日本軍と戦って当然負ける訳ですが、日本軍にやる位ならと、村を全部焼き討ちして村民も全員殺して逃げたとあります。また韓国軍の捕虜にしても、移動の際は必ず殺してから動いたとあります。
共産党軍が華々しく勝って国家を樹立したなんて言うのはほとんどが嘘だという事です。
華僑にしても自国の救いようのない腐敗政治、独裁政治から逃げて国外にでた人々である事は間違いないね。

           

 昔、曲波の「林海雪原」という本を読んだ事がありまして書いてあることは全部「綺麗ごと」神田の「東方書店」辺りで出た頃テレビでも京劇で「智取威虎山」と言う名で放映されていました。(その中で「楊 子栄」なる主人公が活躍するもの。)皆、英雄視。綺麗な掻き立てられるような美辞文句だった。曲波は敵のpropagandaによって苦しめられたと書いてありましたが、共産軍の方のやり方の方がとんでもなくえげつなかった。

           
                  真ん中が楊 子栄

憲兵の特務機関云々が言葉巧みに誘導して騙して・・なんてあります。またよく日本軍の南京大虐殺を取り上げますが、共産党、紅衛兵の方が何百万人と同胞を殺害した事は消す事の出来ない事実であり最大の汚点であます。

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淮南子と言う書

2022-01-28 09:38:08 | 漢詩・古典・エトセトラ

 『淮南子』(えなんじ/わいなんし)、前漢の武帝の頃、淮南王の劉安が学者を集めて編纂した思想書です。日本へはかなり古い時代から入ったため、漢音の「わいなんし」ではなく、呉音で「えなんじ」と読むのが一般的である。色々な言い方がありますね。国士無双の韓信は劉邦の意向を被って淮南の地の王になったので淮南王(わいなんおう)韓信と呼ばれましたからね。この淮南王の劉安も「わいなんおう」と読むのが合っていると思います。(針外しはね。)その中に「人間万事塞翁が馬」と言う言葉があります。

                                       
                                                淮南王 劉安  
普通「人生」(じんせい)とか「人間」(にんげん)間違って覚えている事が多いのですが、人間(じんかん)が正しい。でも「世間」を意味するので、誤りではありません。でその意味は

人間万事塞翁が馬」とは幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえです。 また、人生において、何がよくて何が悪いのか、後になってみないとわからない。 という事です。。

 昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言った。

        
 やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。すると胡の馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。
人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという故事に基づく。単に「塞翁が馬」ともいいます。

「が」は所有を表す格助詞だが、「塞翁の馬」と言いません。
人間を「にんげん」と読むのは間違いで、正しい読みは「じんかん」であるとの指摘も多いが、どちらの読み方をしても「世間」の意味があり、「にんげん」が誤読ということはないですね。

ま、普通にこういう老人がいると、変にひねくれ者と感じてしまうでしょね。物の道理を問うたもので、どっちが正しい事か何て人智では測れないと思っていた方がいいね。

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杜甫の「飲中八仙歌」

2022-01-24 10:14:35 | 漢詩・古典・エトセトラ

李白と杜甫は交流があり李白の元にショッチュウ遊びに行っていたのですが李白の仲間には当然酒飲みが集まっていた訳です。でその頃の酒仲間を詠ったのが「飲中八仙歌」です。

        
          真ん中の抱えられているのが李白だね。

賀 知章(ガチショウ)  字は季真、四明狂客と号します。会稽郡永興県の人。証聖元年(695年)に進士に及第して、後に太子賓客・秘書監に至る。詩をよくして李白と交友があり、また草書と隷書に巧みであったという。無類の酒客にして脱俗の趣あり、後に官を辞して故郷に帰り道士となって86歳で没した。酔って馬に乗る姿は揺れる船に乗るかのようで、井戸に落ちてもそのまま眠り続けたという事です。

汝陽王・李璡(ジョウヨウオウ リシン) 譲皇帝李憲の長男。汝陽王に封ぜられる。太僕卿に至り醸王と号した。弓と鞨鼓に優れて叔父の玄宗皇帝は、はなはだしくこれを愛したと伝える。性謹直であったが無類の酒好きで、毎朝出仕の前に三斗の酒をあおり、途上、麹車に出会えば涎を流し、いっそ酒泉王に封ぜられたかったと言ったと歌う。

李 適之(リテキシ) 左丞相の地位にあった。毎日、一万銭を費やし、大鯨が百の川の水を吸い込むがごとき飲みっぷりであって、清酒は飲むが濁酒は飲まない。

崔 宗之(サイソウシ) 崔日用の子。侍御史・斉国公となった。美少年が杯を手に青空に白目をむけば、その輝かしさは美しい木が風に揺られるかのようと歌う。

蘇晋(ソシン) 蘇珦の子。玄宗の詔勅などを起草し、太子左庶子・吏部侍郎となった。仏像の前で肉食はしないが、酔えば座禅などしていられないと歌う。

李白(リハク) 一斗の酒を飲めば百篇の詩が吐き出され、酒場で眠り、天子の召し出しがあっても「自分は酒飲み仙人」だとうそぶくと歌う。なお、日本の川柳に、これを踏まえた「李太白一合づつに詩を作り」「四日めにあき樽を売る李太白」といった句がある。

張旭(チヨウキョク)三杯の酒で草書の達人と伝えられるが、王侯の前でも頭を剥き出しにして筆を揮い、その書は雲煙の湧きおこるかのようと歌う。

焦遂(ショウスイ)在野の人。五斗の酒で意気上がり、気炎を吐いては周囲を驚かせると歌う。

で、この中の6篇目 の   李白を詠った詩

   李白一斗詩百篇  李白一斗詩百篇         李白は酒を一斗呑むごとに百篇の詩を作る。

   長安市上酒家眠  長安市上酒家に眠る       長安の町中の居酒屋で飲んだくれて眠っている

   天子呼来不上船  天子呼び来きたれど船に上がらず 陛下からのお召しがあっても船に上がらない。

   自称臣是酒中仙  自ら称す臣は是れ酒中の仙と   そして自分のことをこう言うのだ。「酒中の仙人でございます」と。

(蛇足) 
因みに、これに合わせて酔拳の中で八人の仙人が出来たのだろうか?。中国では数を誇張する傾向がありますがこれもそうかね?。でも酔八仙の文字は春秋戦国の頃からあるとも言われているしね、どっちが先で後かなんて問うのは愚の骨頂だね。
 伝説では各地に伝わる酔拳を、蘇乞兒(日本語当て字:蘇化子そかし)、別名:蘇燦)と范大杯という2人の武術家が研究し、それに少林拳や、八仙拳、地功拳などの技術を組み合わせることで、酔八仙拳を創始したと言われています。

八仙のメンバーは時代によって違いがあるんですけれども、小説『八仙東遊記』成立後は、以下の八人で固定されました。

  • 李鉄拐(りてっかい、リーテッグァイ)または鉄拐李(てっかいり、テッグァイリー)
  • 漢鐘離(かんしょうり、ハンツォンリー)または鍾離権(しょうりけん)
  • 呂洞賓(りょどうひん、ロイドンピン)
  • 藍采和(らんさいか、ランツォイウォー)
  • 韓湘子(かんしょうし、ハンシャンツー)
  • 何仙姑(かせんこ、ホウシングー)
  • 張果老(ちょうかろう、チャングォロウ)
  • 曹国舅(そうこっきゅう、ツォウゴッカウ)

           
                   酔 八 仙

有名な伝承者には
  李元智(1903-1972)秘宗拳(水滸伝の浪士の燕青が祖)で知られる武術家。傳万祥に酔八仙を習ったとされる

  黄漢勛(オウカンクン)七星螳螂拳で知られる武術家。羅光玉の弟子。羅光玉に酔羅漢拳を習ったとされる。酔羅漢拳は蟷螂拳に伝わる地功拳の拳套(型)。

  龍飛雲(1955-2007)日本の武術家。単身台湾に渡り北派拳法の修行を重ねる。酔八仙拳を日本に伝承した最初の人物。・・・がいます。

尚、酔拳は太古の昔からあったとされて、春秋戦国の時代の朱豹、水滸伝の花和尚の魯知深、景陽崗で素手で虎退治した武松がいますね。武松には玉環歩 鴛鴦腿なんて技の名前が出てきます。

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瓜田に履を納れず李下に冠を正さず

2022-01-21 16:11:51 | 漢詩・古典・エトセトラ

 この句は粱の武帝の子、蕭統(しょうとう)が編纂した「文選」の中の楽府古辞四首の中の「君子行」という一首です。此処に言う楽府古辞とは民間で謳われていて誰が作者か分からない物をいいます。前半六句は君子のあり方。疑いを掛けられるよう行動を慎んで。後半は功労を誇る事をせず謙虚でいろと説いています。

                 
                        斉の武帝

  464年~549年 蕭衍は字は叔達。梁の初代皇帝・武帝である。南朝の皇帝のなかで最も長い四八年の在位で、安定した治世だったことで知られる。残虐だったり無能だったりする皇帝が多い南朝のなかでは、ひときわ名君として名高い。
四七九年に始まった南斉は、五〇一年までの短期王朝だった。皇帝は蕭道成(高帝)から五代まで続いたが、まともなのは高帝と息子の武帝だけだった。四九八年、東昏侯(愚かな東の侯爵、という意味)が帝位についた。殺戮が趣味であるかのように、この皇帝は殺しまくった。朝廷の重臣たちも次々と殺され、蕭衍の兄も犠牲となつた。ここにいたり、ついに蕭衍は決起した。東昏侯を倒すと、その異母弟を皇帝に擁立(和帝)。そして、その和帝から帝位を譲られるかたちで、梁を建国し、皇帝となったのである。五〇二年のことだった。
武帝はその姓が示すように、斉を建国した蕭の一族である。本来ならば、同姓の国を滅ぼすのは、よくない行為だし、彼がいつ皇帝になろうという野心を抱いたかは、よく分からない。

              

 ともあれ、斉末期があまりにもひどかつたので、彼の行動も支持されたのである。殺さなければ殺される。そんな時代だったのだ。
武帝は文武両道のオ能があり、邸宅には多くの文化人・教養人が招かれていた。仏教に熱心で、僧侶以上に修行をしたともいう。功績のひとつとして、国立の大学を設立し、 一般の秀才にも入学を許可し、それとともに国家試験に合格すれば、家柄に関係なく、高級官吏として採用する制度を作った

君子防未然  訓氏は未然を防ぎ        君子は災いが起らないように未然に防がねばならない。

不處嫌疑閒  嫌疑の間に処らず        疑いを掛けられるような位置に自分を置かない。

瓜田不納履  かでんに履を入れず       例えば瓜畑の中で履を履きなおしたり、

李下不正冠  りかに冠を正さず        スモモの木の下で冠を直しては駄目だ。

嫂叔不親授  そうしゅくはしんじゅせず    義弟が嫂に直接物を手渡したり

長幼不比肩  ちょうようはかたをならべず   若僧が年長のものと一緒に並んだりしては駄目だ。

後半は周公みたいな聖人であれと詠っています。 孔子はこの周公を敬慕していました。

勞謙得其柄  ろうけんにしてそのへいをう   功労を誇ることなく初めて人間としての本領を得る事が出来。 

和光甚獨難  わこうははなはだ独り難し    自分の知恵を世俗のチリと思えるようにならねばならない。

周公下白屋  しゅうこうははくおうに下り   就航は粗末なあばら家に住んでいる人に対しても謙虚でいた。

吐哺不及餐  ほを吐きて餐に及ばず      食事中に来客があっても口から吐き出して面会したし、

一沐三握髪  ひとたび沐してみたび髪を握る  洗髪中に人が来ても、髪を握ったまま会いにでたほどであった。

後世稱聖賢  こうせいせいけんと称す     だから後世に至っても聖賢と称されるのであります。

所謂、君子論ですが、中国派ご存知「儒教」の国、孔子が時の王に遊説して回って君子は「如何にあるべきか」を説いて回りました。それを時の権力者は取り入れて儒教国家となった訳です。するとこれに老耼(ろうたん)(老子の事)が皮肉った。大道廃れて仁義有り。「お前が礼だの義などとくだらない事を言うもんで仁や義などの根本の道徳が必要とされるようになったんだよ。」
老子は無為自然の道を説きました。
因みに孔子の説いたのが八徳南総里見八犬伝でも有名な仁・義・礼・智・忠・信・考・悌ですね。

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お化けビルが増えてきました。

2022-01-17 06:31:00 | 針の政治談議

  今。熱海辺りのホテルの廃業による、お化けビルがやたら増えて、野放図になっています。また日本中にゴミ屋敷も目を覆う様になって来ています。これが、悪臭をはなし、怨霊の棲家となったり、兎も角、景観が良くありません。

 元より国民は物を取得する時はその対価として、購入するので、出費を惜しみませんが、いざ問題が起きるとそれに対して散財したくありません。嘗て針の家も自動車の鈑金塗装を生業としていましたが、新車を購入する時は、「ポイッと」札束を投げ出す癖に、修理となると来る人来る人皆「まけてね」の言葉ばかりです。

 儲かっている時は兎も角、その他の費用になると、出したくないのが人情です。これが修理業を始め第一次産業、二時産業の日本の産業の衰退を招いたとも言えます。兎角、受注産業は弱いですよね。

 この問題は本来、国が税金を取っている以上国がその責務を負うと考えます。それは無理な面があるので、税金の中に「廃業積立金」を設立すればいいのではないか?。固定資産税、住民税、所得税、個人の給料からも税金を取っている。そのくせこういう場合は、所在不明とか権利者の所在とか言って結局民間に丸投げ状態です。

                   

 国は財政財政と口を揃えて言いますが、こういう所で税金使わないでどうするんだよ。そのくせ何百万も掛けてトイレ作ったり、何兆円も掛けて「箱物」造っています。これこそ無駄と言う物です。トイレが必要ならばもっと安くていいから町の中にもっと沢山作って頂きたいね。
 日本の今の国税は民間から「取れるだけ取る」です。国は後はお構いなし。「勝手にやってくれ」です。本来、税金はこういう所までフォローしないと駄目なんだ。国が知らんぷりすると売り手と買い手の利益の鬩ぎ合いです。前土地の所有者が結局、大幅に本来の適正価格から譲歩を余儀なくされてしまいます。

 個人が土地を取得する時は、前の土地の所有者が現存の建造物を撤去して更地にするのが基本ですが、こういう大きいホテル業等はそうはいきません。更地に戻すのに相当の金銭を必要になります。挙句の果てに何処かに逃げてしまって、手が付けられない状態になってしまいます。今の税金の制度のザルの目がこの事を引き起こしていると言っていいでしょう。

                   

観光地のある知事に物申したいね(本当は立法府の国会議員だけどね。廃業共なれば誰だって金を出したくないし、ましてや倒産だと、金なんか何処からだって出てきません。

それなら、日頃取り立てている税金の中に「ビルの解体準備金」を作って置いて、ビルの管理者からそうなった時の為に一筆捺印を取っておけばいいじゃないか?。

中には「悪質じゃないか?」と思われる事案も多々ありますね。其処で針外しは無い知恵を絞って考えました。

① 廃業、倒産による建物の放置に関しては先に述べたように、税金の内訳の中に積立金を作っておいてこれで解消する。

②個人の家でゴミ屋敷にしている者には行政指導で短期間に期間を決めて撤去を命令し、これに従わなければ差し押さえにより費用を捻出する。係員を決めてその個人に二度とゴミを蓄積しないように指導する。費用を出せない場合は土地の放棄を視野に入れて問題の解決を図る。
今の法曹界は個人の権利ばかり主にしていますが、少しは「強制法」もあっていいのではないですかね?。国も税金を取り過ぎるきらいがある。

 そうしないと、国自体がだらしのない国家になってしまいます。裁判についてもこんなザル法では、「法的根拠を問えなくなってしまいます。今の法曹界は「いい悪いがハッキリしていない」だからいい加減な「判決」が出てしまう訳だ。

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ひねくれ者って言われそうですが

2022-01-14 18:04:21 | 針の政治談議

 此処だけの話、日米の地位協定が不平等って論議がずっと以前からくすぶってきています。確かに米国米軍に物を言えない状態が日本国民は「正義感の塊」ですからとてもじゃないけど納得出来ません。

 針外しはひねくれ者なのか、穿った見方をしています。中国が日本に侵攻してきたら、あっという間に叩きのめされてしまうでしょう。中国と言う国に日本は文化的な恩恵を沢山受けてきたのですが、一方で、中国の考え方は国が大きいせいで国民が貧乏です。で、人の物をかっぱらう、騙す、何て言うのは当たり前。秦の時代の張儀、「楚の(秦の隣国)国を攻めて平定すれば我が国が潤う」という物です。中国は太古の時代から、群雄割拠の国王達は皆、領土の拡張を念頭に戦争していました。言い掛かりなんて朝飯前です。

 そんな中国に平定されてしまえば完全にウィグル自治区のような弾圧は避けられないね。でこの地位協定で日本は、対等な位置、物を言える国家を望む訳ですが、逆を考えるとこの劣等があるお陰で日本は軍隊を持たないですんでいます。今のこの時に突然中国軍が攻めてきたら日本は一応戦闘態勢を取らざるを得ないね。でも「付け焼刃」そのもの。赤壁の戦いの戦いの前の呉の国の不戦論者みたいに、いくら「ギャーギャー」言ってたのと変わりない。攻め込まれたらあっという間に潰されてしまうね。

日本は平和ボケしていると良く言われますが、良い処は国が小さいので何か政策を出しても統制が取れてまとまりが付いた。島国という事もあるかも知れません。国もそこそこ裕福でしたしね。

 だから、不平等だなんて言っていないでアメリカ軍が先頭を切って戦ってくれた方が有難いもんだよ。不平等だって「お安いもんだ」。

安倍と言う馬鹿が憲法改正を目論んでいますが、自衛隊を軍隊に格上げしたら、アメリカ軍だって日本の軍隊に戦って欲しいし、中国軍だって相手が軍隊ともなれば遠慮なしに攻撃を仕掛けてきます」。わざわざ「軍」を名乗らなくてもきちっと必要な軍備を整えればいいのだ。

 これは滅茶苦茶怒られるだろうと思いますが、極論を言えば、日本にも核爆弾を保有すれば(保有していると噂を流すだけでもいいね)中国だっておいそれと不穏な言動を慎むだろう。事が起きてあの時「ああしておけば良かった」と後悔しても後の祭りとなる訳だ。確かにもうこれ以上核爆弾の残酷な結果は人類は経験したくないのは当たり前です。ただ、抑止力があるなら保有しておけば人が前線に立って死闘を繰り広げないですむでしょうね。切った張ったで我が国の兵士が死ぬ事も無い訳だ。誰だって戦争なんて嫌ですからね。

中国と言う国は「和睦」という言葉は通用しません。和睦を結んでも隙あれば、奇襲をしてまでも、相手国を潰しにかかるでしょう。

 ロシアや中国が行動を起こさない一つの理由に日本にはプルトニウムの原発があり、核爆弾を簡単に作れてしまうのをしっているからだ。何しろ一発で世界を破滅にしてしまうほど威力があるからです。「日本は核爆弾を持たないし、軍事侵攻はしないから、攻め込んでこないだろう」なんて馬鹿げた考えを持つのは大変危険です。戦争が勃発すれば「想定外」なんていう官僚が言いそうな理由付けは通用しないです。

 韓国の大統領選で何故文在寅が当選したかと言うと、韓国の若者、徴兵制に掛かっているもんが北朝鮮との軍事衝突を文在寅が国交樹立を考えているうちは戦争にならないですむからである。前線に行って死ぬのは誰だって嫌ですからね。

一番危険と思われている核兵器が我が国を守る最上な兵器なのかも知れないね。

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世の中には

2022-01-11 11:24:20 | 針の民間療法。

 人の体は皆、生まれた時には皆一緒で、何処も悪くないと思っています。ただ、永年の体の癖とか体質で体の何処かに血流を遮断(ちょっと言い方が大袈裟ですが)している処が出来て、それが悪さをするんだと思っています。ただ分からない難病は未だ沢山あるので難儀な思いをされている方は多いですね。

 医術には西洋医学と東洋医学とがありますが、腫瘍を切ったり、取ったり、複雑に折れた骨を修復するのは西洋医術に敵いませんが、経絡治療とか、血流の遮断を直すのは東洋医学に敵いません。健康保険は西洋医術を基本にしているので登用が兎角、見下される傾向にありますが。

 此処で一つお話が。以前誰とかは言いませんが、長男の時は良かったのですが、次男の時、着床して直ぐに足の先が氷のように冷たくなり、(結果、成長していなくて流産になったのですが)、頭痛が酷くて、肩が物凄く凝っていて、起きていられない状態でしたが、入院していた時、仕事が終わって病棟に行った時に、背中、肩を揉んでもちっとも良くなりませんでした。「ひょっとして、経理を始めたのが原因で腕の方からのコリなのかね?、背中側からのコリじゃないのかも知れない」

                                                     
                      腕の博陽は武道の書の名称です。  

 という事で、腕の博陽、腕の三里、合谷と順に指圧したら、「あれ、足が暖かくなった」「そんなことあるか。そんなすぐに効かないよ」と半信半疑で触ってみると、「あ、本当だ!」「あんなに冷たかったのに」と、やった本人も信じられませんでした。

 結果基礎体温って言うんでしたっけ?。滅茶苦茶だった体温が綺麗な曲線に直って、その後、次男三男が産まれました。ですからこんなマグレで簡単には行かないとは思いますが、その人その人で違いがあるとは思いますが、色々試してはどうでしょうか?。

腕の博陽は普通は少し痛いですが、うちの場合は凄く気持ち良かったみたいです。(悪かった所だからなのか?)押した途端に目が開けていられないほど「ジワーっ」としたって。

 冷え性の方でなかなか「お子さん」が出来ない方この方法もあると頭の片隅に置いておくのも、いいですね。
もう一つお話が。 
 我が家には「パワーヘルツ」という微弱電流を流す機械がありますが(同類の機械には「ヘルストロン」なんかもあります)、体には結構いいみたいですが、遮断された血流の修復にいいかも知れません。何でも試してみるといいですね。この機械、認可は取れていますが直接「効能」を唱ってはいけないらしいのですが、「毛細血管が出来て、という事はその先に細胞が出来るという事かね?)毛髪がボリューム感が出るそうです。うちのワンちゃんもこの機械に座らせてみたら毛吹きがとても良くなりました。

                
                                                             何とも胡散臭そう。(笑)

 価格が高いので「中古」もあるみたいです。買って効き目が無かったなんて事もありますから、ショールームがあって、其処では30分無料体験が出来るそうです。今何処にあるか分からないので事務局に聞いてみて下さい。うちの場合は、母が人伝手に聞いて其処で施術したら凄く体の調子が良くなったので自分で購入してきました。医者が皆使っているって。

追記:Amazonで家庭用電位治療器で検索し、その中に出てくる「パワーヘルツ」を選択。右にある「全ての出品を見る」で価格を見て下さい。弱だけのタイプと強弱切り替えるタイプがあるので気を付けて下さいね。パットも必要だよ。

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創業は易く、守成は難し

2022-01-06 07:18:36 | 漢詩・古典・エトセトラ

 唐の太宗と侍臣達の政治上の論議を集大成した書で唐の呉兢(ごきょう)の著の中にある言葉です。

太宗が言うには「帝王たるものの事業は創業と守成とではどちらが難しいと思うか?」すると左僕射(さぼくや)の房玄齢が答えて「国家を打ち立てるには群雄の並び立つ乱世において悉くこれに打ち勝って行かなければならないので創業の方が難事でしょう」と言ったのですが、諫議大夫(かんぎたいふ)の魏徴がこれに反対して、「新たに帝王が起るのは悪性が行われていて国が乱れている時ですから人民はむしろ喜んで従います。故にそれ程難事ではありません。一旦天下を手中に入れると慢心して政務を怠る様になります。国の衰えはいつも其処から起こります。そう思うとむしろ守成の方が難事と言えます」

                                                 
                                                              魏徴の像

また、昭和に戦争が勃発して当時の人達は学校どころではありませんでした。当然、前線に駆り出されて、喰う事にも困っていましたので、其処で事業を始めるにしても、いい悪いなんか言っていられなくて、多少の悪い事、法律に引っかかる事でも強引に推し進めました。だからバイタリティーだけで創業できたのですが、教養を身に着けた若者は「〇✕すると法律に引っかかる」とかで手足をもがれた状態です。

また親が創業者の場合、その家の長男は学を身に着けてしまって、また親の様に強引さで人を引っ張っていく事も出来なくなっています。こういう場合創業よりも守成の方が何倍も難しくなっています。
これを、「攻撃は最大の防御」と結び付けるのはちょっとちがいますね。

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やっと少し良くなりました。

2022-01-03 15:32:07 | 針の民間療法。

 年末、クリスマスの頃から右後ろのわき腹が痛くて、寝返り出来ない状態でした。その前から前兆があったのですが、右のお尻の真ん中が、段々と痛くなりワンコの散歩時には歩けなくなり程。針外しは独自の腰痛解消法がありますが、椅子を使って体を吊り上げ(ぶら下がる)背骨を矯正して、膝を上げてそのまま外に出すと骨盤が正常になって治るという物ですが、今回はそれで治らなくて背中側の右の筋に痛さが移動して寝返りが出来なくなるほどでした。

                   

この痛さを表現するとしたら、昔、柔道をやっている時に相手の背負い投げを凌いでいたら、臂が鳩尾(みぞおち)に入ってしまい、呼吸が出来ない位になってしまった時と良く似ています。

 筋の炎症を取るのに「モーラステープ」があったので2枚貼っていたのですがなかなか良くなりません。で「温パックス」にして温めてみたらと言うのでそれに替えたら凄く楽になって今は寝床から起き上がるのにも痛さを感じる事が無くなりました。

 この「お尻」の真ん中が痛くなるのは、前にもあってもう、「2,3回目」位です。だから今回もすんなり治るかと思っていたらおおまちがいです。針外しは実は学生の頃から腰痛と戦っていましてだから運動が出来なかったのもあります。だから、野球にしてもテニスにしてもやると腰痛が爆発するのではないかといつも頭から離れません。

                    

こんなんでは激しい運動なんて無理な話ですよね。また、針外しは長男で親の後継ぎである時、学校の友人が「針、皆で2,3日地方に遊びに行かないかね?。旅館に泊まってさ。」と言われたのでその事を親に言ったら「お前な、休みって言うのは、日曜日一日あればいいんだぞ」と言われました。「ガーン、」と言う訳で針外しの将来が決定付けられました。

身体も痛いし、親から引導渡されて、「引き籠り」になった訳であります。だから趣味はと言えば、Eギター、読書(中国古典が主)植木。唯一外に出たのが「バス釣り」です。と、こういう、生涯を運命付けられて生まれて来たんでしょう。しょうがないね。

とまあ、大幅に脱線しましたが、今から思えば、寝転んでうつ伏せになって本を読んでいたのがいけなかった。これが「腰痛」を引き起こす一番の原因なんですね。

椅子を使って背骨を伸ばしたり、骨盤を矯正したり自分なりに直し方が分かったんですが、一年の今頃、何故か痛くなるんですね。寒いからなのか?。急に「グキッ」っと来る痛さは無くなりましたがまだ、痛さが残っています。

と言う事で皆様明けましておめでとうございます。何の進歩もないブログですけど、本年も宜しくお願い致します。

コメント (2)
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