針外し/爺さんの独り言。役にたたない情報ばかり。

自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

小野 篁殿の話。

2007-03-26 18:18:31 | 御先祖様

前に小野 篁 殿の話をしたが、その続きだ。当時のわが国は一夫多妻であり、篁殿は異母兄弟の比宇古と恋仲になった事は有名な話。(←本当かよ)。

 

          
                   小野 篁 殿

 

  比宇古姫が井戸に落ちて死亡し、篁がその井戸へ入り、亡き坂上田村麻呂と会い、そこから、冥界に行き来するようになった。・・・と言うお話 。

 前回、私の周りで奇妙な事・・・と言いましたが、差しさわりがあるのでまたの機会に持ち越しです。

 

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うちのご先祖様か?。

2007-03-20 23:27:31 | 御先祖様

うちの祖父は秋田の人で、その本家の人の名前を見ると、「順悦氏」とかうちの叔父さんには「亡き順之助さん」とかいる。私のご先祖は東北の「小野家」。秋田県の南秋田郡の岩瀬という所の出だ。東北の「小野家」と言えば百人一首の中で「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」という歌を詠んだ、参議、篁(さんぎ、たかむら)事、小野 篁だ。(お、断定しちゃって大丈夫か?。)

先には小野妹子、孫娘には小野小町がいますぞ。(当然私なんぞ,その一統の中の宇宙の果ての目糞、鼻糞だけどね)。

          
 当時うちの爺さんは四男坊か五男坊。所謂、農家の食い詰めモンで、職探しで東京に出た来たパターンだと思っていましたぞな。
 小野 篁というと、篁は、毎晩冥府に通い、閻魔王庁で裁判を手伝っていた人物としても知られる。
          
         皆さんご存知、閻魔大王様で御座る。

 篁はまだ学生であったときに罪を犯した。 そのとき、藤原良相(よしみ)が篁の弁護をした。何年か経ち、篁は参議となり良相も大臣となっていた。あるとき良相は重病となり、他界した。 直ちに閻魔王の使いの者に捕らえられて、王宮で罪を定められようとした。見ると、閻魔大王様のかたわらに篁殿がいた
             
               小野 篁 殿

  篁は閻魔に「この人は、正直で良い人だ。篁に免じて許してあげてくれないか」と言う。閻魔は「篁がそうと言うのならば、許してやろう」と答える。 こうして良相は、生き返ったのだ。
良相が内裏に行き、篁に会った。あのときの閻魔王庁でのことを尋ねると篁は「昔、私の弁護をしてくださったお礼をしただけ。人には話さないでくださいね。」と言う。話を聞いて良相はますます篁を恐れ、 「篁は普通の人間ではない。閻魔王庁の臣であった」と知った。
このことは自然と世間に広まりって、人々は「篁は閻魔王宮の臣として冥途に通っている人だ」 と恐れたという。
 それ以後小野家の人間は代々そういう能力を持った人間を出していると言われています。最近、うちのカミサンの親戚と本家の「小野家」下谷の「小野照崎神社」の娘さんと新たに親戚となってしまったのだ。要は「遠い親戚が近くの親戚になった訳だ。
 「小野照崎神社」は小野 篁が御東下した際に立ち寄った上野の下谷に居を構えその後、逝去された後、建てられた神社なのだ。
 ・・・とだんだんと私の身辺にも少し変な事が起きている。
        

              下谷の小野照崎神社 

お祭りは浅草の三社祭りと重なってしまうので神輿の担ぎ手を大分とられてしまうが、年々盛んになって来ている。

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やっぱり、運慶は・・・

2007-03-20 22:12:09 | 日記

横浜、金沢区の称名寺で「大威徳明王坐像」が運慶の作という事が判明した。
 仏像というと、本来がらがら殿の管轄なのだが、実は私も嘗て、鎌倉仏師に興味があり、運慶、快慶、康慶の作を見ては感動したものだ。

          
 

 しかし、このお顔を見ると、いかにも運慶の作そのままですね。なんともいえない気品というものが感じられる。仏像のお顔はその国の風土、習慣等かなり色濃く反映されているね。本家印度、中国、日本とそれぞれ、お顔が違う。・・・とまあ、私の知識なんぞこんな程度だ。

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私も一言。

2007-03-09 21:19:12 | 日記

 がらがら殿が裁判官と言うより司法制度の在り方について述べているが、針からも一言。私が得意とするのは、古代中国の頃でありますが、今は昔、秦の始皇帝の時代、弱小の国の皇太子であった、韓非が始皇帝に差し出した書。文字通り「韓非子」だ。
 これはその中の一節。ある村にとんでも無く非道な放蕩息子がいたのだが、両親が説いても、学校の先生が言っても、村の村長が諭しても一向に言う事を聞かない。そこで郡の長が国にその息子の討伐を進言していざ軍隊を差し向けようとしたら、その息子はそこで、初めて恐れ慄き、悔い改めた。という事です。
 

 戦前の日本にはそこまでの極道者は居なかったが、近所付き合いが緻密で、どこどこの餓鬼がどこで悪さをしているか、筒抜けだった。よく日本の法律は性善説に立って作られていて、犯罪者にも3分の利があると説くが、そもそも、犯罪にいい犯罪なんていうのは、ありえないと思いませんか?。(確かに已むに已まれぬ時がありますが、それはその時の事であって、全て頭の固い法律学者が変な理想を掲げて法律を作るから話がおかしくなってくる。
 そんなのはもう法律とはいえませんね。だから、一人殺したら、無期で二人殺したら、死刑なんて馬鹿な結果がでてくるのだ。

 それにオウム真理教の麻原なんて、犯行が分かっているのに、弁護士があーだこーだ言っているのは、自分の一生の飯の食い扶持が保障されるから、死刑を執行させようとしないで、税金を無駄に使っているのだ。これが、江戸時代、清の時代だと(今の中国もそうだね。)即、断罪。国の役人でも、悪さをすれば、そく死刑になった。今の時代は変な理想主義が蔓延ってしまい、法の怖さを感じない人が増えてしまった。(ただ取り締まりの警官も馬鹿が多いけどね)。

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バズの製作(その6)

2007-03-02 17:45:53 | 自作ルアー・疑似餌

                    

12本ある、バズのボディーの内、5本位は白蛇君、青大将のカラーにする為、残しておいて、7本を真っ黒のイカ墨君に塗った。・・・とここで大事な事を忘れていたぞ!。
 エンペラとなる、ダブルのペラを塗るのを忘れていたのだ。(駄目だなあ!。いつも酔っ払っているんじゃないかって!?、針外し、御酒は大変好きだけど、呑まれチャーいまへんぜ。

そういえば、まだカットしたばっかで、まだ整形していなかったっけ!。
やっと、整形したが、まだ、最後にヤスリをかける前に、ルーターで縮まった、芯の折り返しのワイヤーが通る所に、新たに穴を開ける。
        
    アルミ板や、鉛に穴を開けるのには、このくらいのルーターで充分だ。

        
    切り詰めたので芯の所を新たに折り返してしんの中心に新たに穴を開ける
 

 これから、折り返した耳をカット、整形。他の所もヤスリをかけ、平らで綺麗な所も、ペーパーヤスリを掛けて色を塗る。まだまだ、先は長いぞ。次の工程としては、残りのボディーの塗りとエンペラを塗る事だ。それが終わると、目玉を貼ってその上からクリヤーを硬化剤を入れて分厚くぬる。目玉が入ると俄然格好がつくのよ。
 
 それにしても、針外し、ここら辺りになると、ちょっとダレルのよね。ね、皆さん結構大変なんよ。。私が上げた、スピナベ、バズ結構作るの大変なんよ。簡単にロストしないでね!。(笑)・・・嘘!。
 (ね、商売にならない訳、分かったでしょ!?。

     
        

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