白山通りを歩いていると悲しいお知らせが。洋食店。
こちらは回転寿司。しまった,まだ入ってない。
人手不足が深刻化している。それを実感したのが,ある昼下がりの神保町だった。
9月後半でも暑い日が続いており,ついに「日傘デビュー」した自分は日傘で神保町界隈を歩く。マジで男の日傘組,かなりいるよね
この日は白山通りに出て,CanDoでも覗くかと歩いていたときだった。
以前入って酷評した「神保町やきそば」はやはり行列などなくなっていた。いや,だってしょっぱすぎるだろ,あれ。
それにしても,横浜市営バスが人手不足で減便したりと,本当に「自分ごと」になっている。
人手不足の本質は,生産年齢人口減に「人気業種・業界にばかり人が偏ること」だと思う。たとえば,僕からすればボロ儲けのIT産業。ITに詳しくない人にとっては「単価」「工数」の業界標準がわからないので,いくらでもカモになる。ゆえに儲かるではないか,ということだ。
その逆で,IT化しようとしても限界のある「人的パワー」を要する僕のいるような業界。構造的不況もあるが,要はDX化など簡単ではないのだ。しようとしても,「ドラえもん」がいるのならともかく,所詮PCで何かをやるというレベルに終始してしまう。構造から変えることなどそうはできない。
インフラ系の業種もそうである。流通業界の2024年問題は深刻で,事実お盆に9連休を宣言されて,納期予定などが大きく変わってさまざまな部署から苦情が来たが,僕は終始一貫「これが,2024年問題だ」として突っぱねた。
閑話休題。
上記のお店のうち,回転寿司にはとにかく行ってみよう。神保町界隈では貴重だし。
うどん・そば・中華・カレーライスまでは美味しいところが見つかっているが,御茶ノ水駅周辺では横浜家系ラーメンまで閉店してしまうから,本当に昼食難民になりそうだ。
スーパーもないから,絶対に住みたくない街だな,わるいけど。
最近,庭にオンブバッタがやたらいる。いや,いままで気づかなかっただけかもしれないだけだろう。
そして,その名の通りこうして「オンブ」している。
子どもの頃,図鑑で調べた記憶があるはずなのに身についていない。
そう思って調べ直した。
なるほど。「交尾している」でなく「交尾を確保する」か 人間でいえば「俺の将来の嫁さん,渡さん」みたいな感じだろうね。
観察していると,けして始終草本類を食べているわけでなく,じっとしている姿も印象的。
メトロリバーは間違いなくバッタの宝庫で,ショウリョウバッタ,トノサマバッタ,イナゴ,ほかはもう「わからない」がとにかくいる。台風の後の荒れ地なんて,コオロギとバッタにとっては最大の繁殖地だしね。
そこで,キチキチバッタも気になって調べると,なんだよ,ショウリョウバッタのオスのことかよ。
子どものとき,あんなに穴が開くほど図鑑を見ていたのに,大人になって魚類に移ってしまったからだろうか,昆虫に疎くなっているなあ。
ヒートアイランド現象すさまじい現代だから,本当の冬は1-2月ぐらいかも
まだまだ,観察を続けよう。
あ,アゲハの幼虫はシジュウカラに見事に食べられていました。
【西遊記】THE BIRTH OF THE ODYSSEY〜MONKEY MAGIC ゴダイゴ
西田敏行さんがご逝去されてしまった。
およそ「代えの効かない役者」として,自分としてはこの『西遊記』で演技力の高さを知ったものだった。
『西遊記』本放送は1978年だから,小学校中学年のときである。沙悟浄の岸部シロー,一応主役(この物語は群像劇なので誰が主役という感じではなかったという記憶がある)の孫悟空・堺正章,そして三蔵法師・夏目雅子という,当時のオールスターが居たのだから当然といえば当然なのだが。
とにかく当時から西田敏行の名前は刻まれて「絶対,この役者は全部アドリブだろう」と思っていた。
そこから数年が経過して『池中玄太80キロ』が始まった。ここでは,いつも坂口良子の美しさに惚れていた。やはりマセガキなのである。でも,やはり西田敏行の名優ぶりといったらすごかった。「もしもピアノが弾けたなら」は大ヒットだったし。
以降,おそらくほぼ「西田敏行出演」となると見ていた。家族も全員フアンだったから,裏番組も何もなかった。この役者の演技を見たかったのだ。
そういえば,ゴダイゴというかタケカワユキヒデのイメージはこの1978年当時のままだったので,『銀河鉄道999』シネマコンサートで姿を見たときは「時間」の無情さを感じるばかりだった。
久々に,なんかこうさびしい気持ちになりましたね。合掌。
朝の散歩で意外にみかけるキジバト。
母の故郷では「ドデポッポー」と言われるキジバト。
何度か記事にしているが,ドバトのような集団行動でなく基本的には単独行動。多くても2羽が一緒に行動するのを見かける。
朝の散歩は豪雨でもない限り続けており,もう丸2年が経過しようとしている。毎朝20分弱,さらに通勤で25分,これで1日7500歩程度なのだが,道理で靴底が減るわけである。
キジバトは歩き方がなんとも可愛らしく,自分にとっては身近な野鳥()の一つ。『釣りキチ三平』で「ヤマバト」と称されるのはこのキジバトだというから,本来は山に多いらしい。
運がよければ朝から「ドーデー,ポッポッポー」と鳴き声がして,なんとも朗らかな気分になっている。
そういえば,「里山では」スズメが絶滅危惧だなんて報道を見たが,またもや「里山原理主義者」の陰謀に過ぎない。
そもそも「里山」の定義は「人間が,人間の都合でつくった雑木林・ため池などを管理して」そこに住み着いた生き物たちをくるめてのものだから,「間違っても薪を集めたりしない」21世紀は「雑木林など管理していない」から,「里山」が定義されない時代である。
言ってみれば「定義域のない」関数論をしているような滑稽さがある。東京ど真ん中の千代田区にスズメなどいくらでもいるから,「昔はよかった」として里山をありがたがる原理主義者の荒唐無稽さがわかるだろう。
さて,10月になっても暑い日が続いており,10/19に至っては30℃近い暑さ。ついこの前涼しくなったのに,と思っていたらこの暑さ。
それでも,キンモクセイの香りが季節を告げる。
見ればたいしたことはない。しかし香りはよい。
窓を開ければ始終キンモクセイの香りがしているので,よくよく観察するといたるところに植えてあるではないか。
腰痛治療ではかなり有益な指導を頂いている。つまり今回の整骨院は「アタリ」なのだが,予約がとりにくいのが難点。さらに,自分の組合からはかならず「問い合わせ」がくるのも難点だが,「正しい治療」が整形外科で受けられない方が問題ではないですか
腰痛にもさまざまな要因があり,腰がわるいというよりは「バランスの問題」であることがよくわかってきた。
仕事も年内いっぱいキツイが,なんとかして乗り切りたい。
嗚呼!逆転王 Full 逆転イッパツマン挿入歌 MAD By 山本まさゆき
動画主に感謝します。
本放送時はまったく「タイムボカンシリーズ」から離れていた。はじめて観たのは再放送である。当時の友人曰く「観たほうがいい」のオススメがあったのだ。
そして見ると,この「逆転王」「三冠王」のテーマソングが妙につきささる
山本まさゆきの「平坦な」歌い方は子どもに容易に真似しやすかったはず。でも,そういえばカラオケでこの歌は歌った記憶がないのは...。
いうまでもなかった,TVアニメソング三冠王「水木一郎」「子門真人」「ささきいさお」を歌い始めたら最後,自身止まらないからだった。下手でも暗記しているのは当時異様なのめり込みで観ていたからだろう。
そんな記憶も蘇るこのテーマソング。たしか,ヒーロー側が負けるという実によいアイデアがあったはず
メカニックが独創的なのは大河原邦男デザインだからだったのか。「ガンダム」であれだけの才能を観た,「ガッチャマン」でも観た。気がつけば,男子は全員大河原邦男に虜だったのだ。
そんな熱い1980年代から40年以上が経過したことを実感する,2024年の秋だった。
叔父が87歳でなくなり,体調不良の続く父の名代として1日参列してきた。
結論は「やってみるとわかること・やってみないとわからないこと・年齢を重ねないとわからないこと」があるということに尽きる。
母方で強烈に印象深いのが,祖母99歳の葬儀だった。それはもう「お祭り騒ぎ」で,祖母からしたら孫にあたる僕らがいくら社会人とはいえ,花輪まで出すことになっているとは しかも,花輪の真ん中に「缶詰・ビール一式」が飾られるという,とても東京では考えられないものだった。いまでも「ゾッ」とする田舎の葬式である。
父方ではそれほど強烈な葬儀の記憶がない。祖母が30年近く前に亡くなっているのだが,まだ自分は「傍観者」に過ぎなかったからだ。
今回の叔父の件では「子どもの居ない夫婦」の葬儀の大変さを実感した。端的に言えば,位牌・遺影・お骨をもつ人数が必要で,この時点で3名の協力者を要するのだ。
自分は,当初献杯の挨拶だけかと思っていたら,要所要所で「これは親族である自分がやらないと」という場面に出くわした。たとえばお金の精算,骨壺に収める役目も名代としては当然やるべき任務ということである(もっとも,終始「貴重な勉強なのだ」と思っていたから辛くなどなかった)。
若くして父母を失った人も多いだろう。その大変さが想像できないが,いま本当にわずかながら「ちょっと足元まで寄って」きたという実感がある。
そんな叔父は1ドル360円時代に海外勤務が7年間あった。だから,後期高齢者なのに保険料自己負担が3割だったこともわかった。自分の父母など年金暮らしなので1割だが,こうして身近に3割負担の人がいることも知った。
僕がフォローしている方の最近の記事ではとてもよい言葉が紹介されていた。それは「つらい人選手権」である。
みんな生きている限り辛いことはあって,その感じ方は人それぞれなのに,やれ「そんなの辛いうちに入らない」とか「こっちの方がもっと大変だった」などという。そんな不毛な争いは「つらい人選手権が開催されましたね」といえば比較的丸く収まる,というものだった(と理解している)。
釈迦も同じ考えだったのではないか。
だからこそ,如来になるため弥勒菩薩は56億7千年という年月を経て衆生を救いにくるという解釈がされたのではないか。そう,逆説的だが「天文学的な数字」だからこそ「弥勒菩薩に頼りきるなど愚かなこと」であり,そもそも人間はいつになっても悟りなど開けないということが暗示されているのではないか
また何かの機会,というより父の様態が落ち着いたら(手術を近々に行う;おそらくこれが最後の手術だろう),叔父の住んでいたところに行ってみよう。けして近くないが,国外でもないわけだしね。
バークレイ・パワーベイトについてもう少し書いてみたくなった。
本家のHPを見るとさみしいラインナップ。
自分の記事でも「霞クロー」などをネタにしているのが2010年頃。その頃までは普通に売っていたはずだが,当時の自分はハードルアーばかりだったので,これまた詳細な記憶が不鮮明。
日本国内では,味付き・匂い付きワームは,1993年の「エコギア」(当時はマルキュー扱い)が最初だったはず。
もれなく自分も購入したが,「バッシンシャッド」「シャッドラップ」「バイブラシャフト」といった海外製ルアーが円高差益で激安だったせいもあり,ワームに本気になることはなかった。
そしてほどなくしてバークレイ登場となるが,当時は「自作ラバージグ」などもやっていたので,なぜか主力にならなかった。
覚えているのは,八郎潟初めての釣行だった1996年。そこで,アシ島をバークレイ・パドルで撃つと入れ食いだったこと。ボートの操船は後輩にまかせて入れ食いだったので,ずいぶん嫌味を言われたものだ。
いやいや,「エコギア」の次に「ノリーズ」で「エスケープ」「パーティワーム」が発売されたことも思い出した。
佐原にあった,当時護岸されていなかった新八間川を見つけてかなり釣っていたが,そこにこれらを投入するともっと釣れ...る前に,バズベイトとセンコー,フォローでスライダーワームを使っていたっけ。1996年頃だろう。
そんな感じで,なぜか現役時のパワーベイトでは釣れているものの評価していなかったかもしれない。若さゆえの過ちというところだろう。
当時のカタログもないわけだが,ぼんやり記憶でフリマで探すと出てくる・出てくる
どれも高価でなく安心価格。中古店に流通がないと思っていたら市場が変わっていたのか。
そうそう,この写真の「フォーミュラ強度2倍」にもビビビと来たっけ。そして釣っているのに,当時はクランクとスピナーベイトの方がとにかく数が釣れたんだよなあ...。
「宇宙戦艦ヤマト」がHDリマスターされている。
その画像は,とても50年前のものとは思えないものであり,驚くに値する。
だが,何よりも驚くのは「デザインの先進性」と「どうやら科学っぽい裏付け」である。
いうまでもなく,僕は再放送で存在を知った方であり,映画化されたときは小学生なので当然見に行っていない。中学の友人で「ロードショーって,あの水曜とか金曜にやるやつだろ」とマジメに勘違いしているのもいたっけ。
それはともかく第一艦橋の内部デザインが,これでもかと22世紀のような未来感
特大スクリーンはいまでこそ液晶ないしLEDで可能だが,それを予測したかのような演出。
どれをとっても設定が古くなく「先を行っている」ので,なるほど50年前の作品が通じるわけである。
ところで富山敬の代表作にこのヤマト・古代進が有名だが,まったく同じ時代の番場蛮を観ているだけに「古代が蛮ちゃんに聞こえる」ようなセリフまわしというか,男っぽいところも盛り沢山である。
もう,嫌なほど観たと思っていたヤマトであるが,いま観るとまた違った感動がある。
ところで,TVアニメでリマスターしてほしいというか,作り直してほしいのは『釣りキチ三平』(赤目プロor矢口プロに協力依頼必須)である。
「釣りとは何か」のテーマが終始抜けていたことが至極残念だし,当時不可能だった魚や背景もいまの技術なら描き切ることができるのではないかと思うのだ。
連続出家達成。アタリすらなし。
MMZ先輩の真似をすべく連日出撃した。
AM限定出撃だったが,ノーバイトの猛攻。
同じようなリグにすると「根掛かり多発」でうまく行かない。そもそも回遊がないのだろうか
周囲で誰も釣れなかった。そして,アユがだんだんサビてきて,産卵を終えたアユが早くも天命を全うしている。10/31でいったん禁漁だから,もうサビサビかもね。
はじめてメトロリバーの駅近くでラーメンを食べたかも。1070円だって。
トホホのようでいて諦めていない。そもそも魚釣りであり,腰痛の苦しみに悶えながら自宅待機するよりはるかに健康によろしい
釣れなくて怒っていた(イライラした)のは子どもの頃(小学生中学年まで)だった。よく言えば「悔しかったの裏返し」だが,大人との能力差を嫌と言うほど味わったもので,研究はいまだ続いている。
それが,エサ釣りだろうがルアーだろうが「釣り」という遊びの本質的なところ。「引き運」も重要だし,そもそも週末に天候がよくないと釣りにすら行けないわけである。
次回はIDポイントに半年ぶりに行ってみよう。涼しくなったからようやく耐えられるだろう,もちろんコンクリートの反射熱に,だ。
諦めてもいないし絶望もしていない。むしろ,準備していると「ワクワク」してくる。
釣りは誠に健全な趣味,ということにしておこう。
朝8時過ぎから15時までやって1バイトのみ。出家した。
魔の10月である。10月はロクに釣れたことがなく,2023年度も10月すべて出家し,後半から観光地巡りなどをした記憶と記録が明快だ。三浦半島・奥多摩に行ったっけ。あれからもう1年も経過するのか。
それでも釣りに行く。腰痛のために座っていることは苦痛であり,動いている釣りなら楽しいから。
1バイト得たのは,真夏によかったところ。「ククン」とあたってスッポヌケである。
その後もウロウロすると,常連のエサ釣りの方は「今日は寒いし,もう帰ります」といいながら,30cmぐらいのフナを釣っていた。いいなあ。
今度はバス釣り常連だった方と1年ぶりに遭遇。お久しぶりですね,なんていいながらもお互いに「10月が苦手」という共通点だけがある。
寒かったので日向で昼食しているとアゲハがやってきた。
いや,なんて可愛らしい仕草のチョウなのだろう。蜜を吸う姿が健気で可愛らしい。模様もオシャレで,やはり身近なチョウだからかも。
その後,鬼門ポイントに行くも自身無反応。だが,上流域で釣っていたOさんから「バークレイ・パワーフライで釣れました」LINEがあった。
メルカリぐらいでしか買えないから,次回会ったら1袋1000円で売りつけよう(笑)。まあ,そんなに苦労しないでフリマとかなら探せるけどネ。
そして運命の「MMZ先輩」がいらした。いつものようにMMZ釣法なのかと見ていると,あっというまにヒット。マ,マジデスカイ。
だが,根に突っ込まれたようで1匹目はジエンド。必殺「ドボン石」作戦を行ったがときは遅かった,ことはなかった
10分もしないうちに43cmを釣り上げた。いつものMMZかと思いきや,なんと自分とほぼ同じルアーだった...。違うのは,操作法とリグの微妙なバランスである。
まるで「星投手の足が右足が高く上がると」「青虫が青葉にとまって」消える魔球100%の正体,を見たかのような感覚である
リグは教わった以上に改良されているようだ。さすがはMMZ先輩。よし,帰宅しながら釣具店に行くしかないだろう。
こうして「魔球打倒のヒント」が得られたかのようだが,そこは自然相手の釣りという遊び。10月はやはり苦手というMMZ先輩でもあったのだ。
次回,「魔球打たる!」か
日高屋でガチにチャーハン大盛り依頼。ハズレだった。
前回の日高屋で「チャーハンはありかも」と書いたのを取り消したい気分になった。
大盛りチャーハン・税込み620円。価格はありえない安さだと思う。文句を言ってはいけないだろう。しかし,スープはともかく「ご飯がベトベト」なのだ。
「チャーハン論」でも書こうかと思ったら,ふと学生時代を思い出した。そうだ,学食のチャーハンに熱い思いをぶつけたことがあるっけ。
卒業年度の会誌がないが,ゼミナール紹介は役立った。
「何もかも捨てる」と評される自分だが,「本当に重要なもの」はこうして残っている。40年近く前の「数学会会誌」である。もちろん無料で,入学したらすぐにもらうことができた。
いまでこそ,デジタルデバイスによる講義要項閲覧など可能だし,進路選択も見えるような学科設計がどこでもされているが,この時代にそんなものはない。あるものは,こうしたアナログ情報と先輩からの話だけだ
幸い,釣り研究会に1年上の先輩が居たので少しは情報が役立ったが,結局は同級生間での情報交換にいろいろ助けられた。でも,数学科に入学して「数学研究会」に所属するって,どんだけ数学好きなんだよ,ってのが結構居たので,情報伝播・共有は早かった。
一番役立ったのは,「誰々先生の過去問」だ。原則,期末試験の問題は持ち帰りできたはず。そう,「持って帰って復習しろ」という意味があるからだ。だが,出来に自信のなかったものについて,自分はたぶん捨てていた。いや,全部捨てた。単位をとってしまえば,あとは「教科書とノート」だけでいくらでも思考できるのが数学の醍醐味だからだ。
閑話休題。
学食にチャーハンがあり,それを日常の昼食にしていた。270円が並盛,320円で大盛りだった。激美味いカレーライスも同額で,「チャーハンかカレーライス」という,いま考えると不健康な食生活をしていたものである。
周囲にろくに店舗のない田舎だったから学食の意味は極めて大きかった。タダでお茶は飲めるし(姉の大学と給茶機が同じで「強制茶葉交換」させる技が姉から伝授された),弁当持参で箸を忘れても箸もあるという。まあ,学費払っているからとはいえ,ゆるい時代だった。
本格的にゆるいのが,上記会誌を読み直して知った「当時の学食メニュー設定」である。あまりにも詳細な分析をして,しかもそれを会誌とはいえ公表するとは,「1000円の図書券あげるから」と言われてホイホイ原稿書く自分もどうかしているが,誤植のママ掲載するなんて恥ずかしかったものである。
こうして振り返ると,「小説を読まない」バカだったのに異様に活字にこだわってきた自分がわかる。学生時代,そしてボンヤリ記憶の初代ブログ開設・Mixi(削除したヨ)などなど,自分は「文章を記す」のが好きなのだと
季節外れのボケが開花。母の色である。
最初はボケの花だと思ったし,狂い咲きだとも思ったが,よく見ると花弁の形が異なっている ボケに寄生した何かの花なのだろうか。
熱い「チャーハン論」を展開するには,本ブログでは到底余白に余裕がないことに気づいた。
それではここでお開きに。
腰痛治療のため隣駅に行った9/14のPM。
治療は非常によく,納得して次回予約をした。
帰り道,ふと気になって子供のときに通った釣具店へ行ってみた。
45年前のママ,看板まで残っている。釣具はほぼ見えないが微妙にある。入ってみよう。
入ってみると,同世代の方が店番をしていた。本業は別らしい。
懐かしい近所話で盛り上がりながら,在庫を探しているとご覧のものが見つかった。
「がまかつ鉤」のパッケージがいい そうそう,5号だと25cmのマブナ狙いとかに使ったっけ。
ガン玉・ヨリモドシ・ゴム管はあるから,これでメトロリバーでエサ釣りができるじゃないか
さらに探していると,壁際にワームがあった。
パヌーだ。エバーグリーンのワームで,2000年デビューの「ギガバイト」シリーズ。
業界裏話やら近所のハクビシン話など,同世代ならではのお話ができて楽しかった。
価格は謎だったので「500円で」となって決まり。鉤は,いくら保管してあっても劣化している可能性が高いから「お金もらえないなあ」なんて実にいい方だった。
約25年前のワームなのに腐ってはいない。プラスチックワームという意味がよくもわるくもわかる。
それにしても,45年前=1980年に通っていた記憶が鮮明だ。あの頃は近所の池に行く前に立ち寄ってアカムシを入手していたっけ。当時は50円だったね。
あとは,メトロリバーでミミズを探せばよいだけだ。
まあ,パンでもいいか。楽しみだ
T-REXさんの記事を参考に行ってみた。
中古釣具店巡りをしなくなって久しい。最近は,ほぼフリマで揃えてしまったし。
そうはいっても天候不安定で釣りに行くのは難しいので,釣具屋に行ってみよう。交通費がいくらかかるか知らんけど,ガソリン代より安いだろう(結局往復1200円ぐらいした)。
大宮・宮原駅に行くまでに乗り換え2回。新宿で「湘南新宿ライン」にうまくやればサクッと乗れただろうが特段調べないから赤羽で乗り換えて「上野東京ライン」の宮原駅まで行く。
事前にネットでマップを見ていたので駅から一直線のはずが,帰り道は素直にナビしてもらうと「往路20分以上,帰路わずか10分」だった。素直にナビに従うのがイイネ。
いろいろあって開店時刻に到着。さすがに秋田の漫画倉庫よりは小さいか。
入ってビックリしたのがロッドのバリエーション。大昔のコンバット,IGハイスピードなどなどがある。
懐かしい自分の竿「だった」ものを触ってみる。まずは,CSS-65M「スカウトマスター」。
アカン。こんなん,竿じゃネエ(爆) ZODIASに及ばない意味がよくわかった。重くて・グリップが巨大で,いやあ,絶対に大昔の竿とかリールは買わない方が安心だ。
CSC-65MH「スーパーウオリアー」も触ってみる。本当に,西暦2005年頃まで使っていたっけ
そんなこんなで懐かしい竿ばかり触ってしまう。シマノ・IGハイスピードの重量と来たら相当なもので,いやいや,当時も重くて買わなかった。まあ,当時から廃れると見込んだ記憶が蘇る。
ハードルアーやらのコーナーに行くと「まじめに見ると3時間」の意味がわかる。気が遠くなる量だ。
体調がイマイチで,かがむと立ち眩みしたりしていたので,結局1時間滞在で帰宅した。帰路は駅が近く感じたというか,全然遠くないね。
メガバスルアー,たたき売りのD-Style。そして必要な小物を。
あらかじめ自分の在庫は知っているから,手にとって価格を見て「いまの流行」を知る。そう,フリマで売るときの参考価格になる。
11:40くらいに近くに着いていたので,ここで昼飯を。
松屋はともかく「松のや」を知らないが,どうやら揚げ物系らしい。
普段食べないものを頼んでみよう。
カツ丼670円が美味い。これはスゴイコスパだよ。
本日最大の収穫は「松のや」だったかもしれぬ。
まあでも,この中古店の特性というか,現代の流行がわかったので,一応記しておく。
- D-Style,レイドジャパンが叩き売り。かつて人気のあった「ダッジ」が普通に売っている。青木大介,レイドの怪しいお兄さんの将来はどうなることやら...。
- ゲーリーヤマモト在庫がほぼなし。やっぱり「釣れる」ルアーはどこでも人気があるのだろう。
- 改造リールがそれなりの値段で売っていた。もっとも,個性が反映されるから,使いにくさがある可能性を排除できないけど。
- ハードルアー在庫が多すぎて探せない。あらかじめ「これが欲しい」と決めておかないとフラフラしてくる。
- ラインは,サンヨーナイロンが高い。ネットで十分安く買えます。
- リールのOH受付やらセルフOHコーナーがあったが,いやいや,メンテナンスしてから売ってほしいね。リール中古は,釣具のイシグロがかなりいいと思う。
普段,ネットばかり見ていて実際の相場感がかなりズレていた。大昔のコンバット(30年以上前)が5500円もしていたが,どうみても現行ZODIASの8800円の方がはるかに軽いし使いやすい。古いアブやらも売っていたが,アブには興味がないのでそこら辺はわからない。ZEALも廃盤価格なのか,一時安価だったのに高価になっていた。
まあ,かなり久々の「釣具屋遠征」だった。新品店舗なら「南柏のキャスティング」などを知っているが,もう水戸街道方面に行くことなんてないからネ...。
以上,貴重なネタになりました。ありがとうございました,T-REXさん。
あまりにも高くなったので三浦のハンバーグ・ランチに初挑戦。720円だった。
地元の駅は東京23区といっても基本が住宅街で,スーパー激戦区 したがって,いわゆる「デパ地下」なみの弁当類が展開されており,「地元勤務だったらめちゃくちゃ安くて済むのに」と思うことしばしば。
昼時の魚屋さんが提供する「寿司弁当」は超ハイクオリティで安価。マジで健康考えたら地元駅勤務の会社員,ウラヤマシイ。
残念ながらコロナ禍からまったく在宅ワークなんて進まないし,DX化なんて大嘘。「DX本部」なる部署ができたけど,きっと銀行からお金を借りるための口実だ。
ともかく勤務地,いや最寄り駅となる御茶ノ水。コロナ禍のときに多くの店舗が廃業に追い込まれ,推定で30軒あまりが消えてしまった。
2019年までは戦争の影響もなく・物価高よりもデフレの影響が強く,ゴーゴーカレーがまさに550円で展開されていた記憶があるが,ゴーゴーカレーなぞとっくに撤退している。
かつて秋葉原勤務だったときにゴーゴーカレーがOPENして,当時はカレーが税込み380円だったはず。これでキャベツおかわり自由だったので,野菜大好き人間の自分は「キャベツカレー」を食べていたし,さくら水産の「500円ランチ」はまったく不健康メニューだったが文句は言わなかった。
時代は大きく変貌し,ウクライナ紛争とCO2排出規制(取引)による中国のアルミ電解精錬抑制(という名の経済戦争)により,日本の基幹である軽金属はすべて値上がり,穀類も値上がった。
これを,「物価も上がったが給料も上がった」という政治家がいるが,どこの話なのだろう
ウルトラ大企業が「2000人の世界規模での削減」を打ち出したことがあったが,それが全社員の2%ということは,2000/2=1000名が1% ∴ 100%=1000×100=100,000名(百万人)規模のウルトラ大企業の話で「まったくピンと来ない」のだ。
ともかく給料は下がっている(額面で増えたように見えても税金がどんどん増えている)ので,とにかくできるだけ安価なランチを探す必要がある。もちろん,若い頃みたいに「毎日立ち食いそば」はありえない。
三浦のハンバーグは,うん,ハンバーグはかなり美味しい部類だと思う。ただ,ご飯が硬めのがネック。あとは野菜がない。まあでも,これで720円なら文句は言えないだろう。
日高屋に積極的に入らないが,チャーハンはありかも。
チェーン店でも値上がりが続いており,「餃子の王将」「れんげ食堂・東秀」でさえも平日ランチが800円を超えているようだ。これなら神保町にある「中国人経営の中華料理店」が美味しく,不満がない。
それでも時間がないときに入ってみた。13:30なのになぜか満員 まあ,周囲に何も店がないに等しいからね。超絶久しぶりなので「タンメン・半チャーハン」セットを頼んだ。税込み830円だから,まあ安いほうかも。
タンメンは,以前食べたとき同様「野菜が死んで」おり,味は「舌がしびれる」化学調味料の味。マジで「これが美味い」という人の舌は信じられない。カップヌードル食べた方がマシなんじゃないかと思うほどに,だ。
ところがチャーハンが美味い。ご飯がしっかり「パサパサ」になっていて,熱々。隣の人がチャーハンのみ頼んでいたが配膳速度が激ハヤだった...。
決まったヨ,たぶん。チャーハンだけ食べにいくなら日高屋はありだと。メトロリバーの駅にもあるし,チャーハンはわるくないのかと。
B級グルメの話題のはずがほぼ政治の話になってしまった。まあ,これが自分のスタンスなのでご容赦頂きたい。
オズマ青春の1コマを発掘した。
当時は写真にきちんとコメントを書いていたので,明確に思い出せる。
ときは1990年5月27日。だいたい進路も決まっていたので釣り研究会メンバーで釣りに行こうということになった。
目指すはなぜか奥多摩湖。自分の家が一番近いので,自分の家にたしか夜21時くらいに集合。後輩の運転するシビック(スーパーシビックのスターレンジつきAT)に4名・荷物満載で青梅街道まっしぐら。
着いた奥多摩は当然真っ暗闇で釣りにくい。というか,数時間で飽きてしまい「地図を見ると大月に抜けることもできそう」なんてことで,河口湖に行くことになった。
大月にいくには松姫峠という,当時「酷道」と言われていた悪路だった(このときすでに経験していた)ので止めて,一気に八王子まで下る作戦だ。
八王子まで下って河口湖。「釣れるし,楽だあ」って感じで朝から釣りまくっていた。
疲れてきたので寝ようかと思っていたら,後輩が「こんなこともあろうかと」とテントを持ってきていた。
4名が入って眠れたので,さらに爆釣。記録を見ても「道路フィッシング」(湖周道路からキャスティング)で爆釣と書いてある。
ちなみに,顔がよく見えないが右端が自分だ。
夕方までがっつり釣ったら,河口湖ICまでたどり着けない大渋滞だった。ATだったのでマシだったが,これが辛かった。
たしか八王子辺りで21時くらいになり,当時亀戸に住んでいた友人は「電車がなくなるかも」ということで,自分と友人のみ多摩川・拝島橋(R16の橋だったはず)で降ろしてもらう。
拝島橋から徒歩で拝島駅に行く。まだ帰ることができそうということで電車に乗って,一番近い自分は余裕で帰宅したっけ。
翌日は月曜日だったが,元々授業がなかったので休みである。
学生生活最後の4年のときは,こんな無茶苦茶な釣りばかりしていた。北浦に行って,帰りの道路が大渋滞で江戸川区から8時間もかかって帰宅したり,とにかく「AT,パワステ」が必須だと思い込むのに十分なほど渋滞の辛さを実感した。
でも,自分で購入したのはMTばかり。要は経路を変えれば渋滞も少なくなるということである。でも,外環が全線渋滞になっていることなどしばしばで,よくまあヘロヘロになりながら帰宅したものだ。
まあ「釣れる」ということがそれだけパワーをくれるという一例だろう。琵琶湖も,90年と92年に行ったときは,岸釣りでも爆釣だったしね。
こんな体験があるから,いまでも「バス釣り」やっているんだろう。まあ,当時は「バッシング」という言い方の方が普通だったけどね。