現代版徒然草素描

勝手気ままに感じたままを綴ってみましょう。

いき続けている情報

2009-04-16 16:36:24 | 情報行動科学

 どんなに古くなっても生き続けている情報がある。これはその人の感性にかかわる問題である。タルムードの書式については「現代版徒然草素描」の中に投稿済みになっているけれど、その記述はいつも現在形で書かれている。「~ラビはこういった。」と過去形では書かれていない。「こういっている。」と記述されている。

何千年以上も前に書かれたものであるが現在も生きていると言える。現在のネット情報は時間的に後から来た情報を優先順位の上位に記述しているけれど、古い情報は自動的に消されるか隅のほうに追いやられてしまってやがて人々の記憶から消し去られてしまうだろう。若い人たちの記憶の仕方や忘れることとよく似ている。私の記憶術は記録しておいてしばらく忘れていると言う方法で成り立っている。(私の記憶術参照と言いたいけれど、「面白中学の三年間とその後」さまざまな情報が飛び交っている時代だからこそ、その真偽はもとより「この情報は使える。」とか、「私としてはストックしておく必要がありそうだ。」と判断しなければならないことになる。

我々の日常的な会話の中でもこのようなことが起こる。情報は受け取る人がいて始めて成立するコミニュケィーションである。例えば、母親の「隣のお兄ちゃん努力して東大に合格した。」という情報を聞いていた受験生と娘さんがいたとしよう。「よし俺も」と奮起して目的とする大学に入れればこの情報は生きた情報になる。娘さんにしても淡い恋心が目覚めれば生かされた情報になるだろうが、「なーんだ。そんなことか。」と言う人たちには放送と言う機能しかしなかったことになる。

  【参考文献、ボディランゲージ、例えば以下】

パソコンの中に設けたクロスインフォメーション(どこかにその記事を投稿してあります。)とはネット情報や新聞、テレビ、週刊誌、書籍の情報をその出所、日時を記載して転写済みにしているが、すべての情報を網羅しているわけではない。中には記録しておくことを怠ってしまったために探し続けなければならなかったものまである。自分の価値(「価値とは欲望の関数だ。」と言っていたオーストリア学派の経済学者たちがいる。参照)に照らして取捨選択していることになる。いくら、ネット社会と言ども、PCとPCの後ろにはそれを操作している人間がいると言うことを忘れてはなら無い。


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