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第162回直木賞の川越宗一さんが受賞作「熱源」を書くきっかけになったピウスツキの胸像とは

2020年01月17日 09時06分36秒 | つれづれ読書録
 北海道新聞の1月16日、3面「ひと 2020」を読んでいたら、15日にことし上半期の直木賞を受賞した川越宗一さんを紹介した記事に、次のようなくだりがありました。

6年前に胆振管内白老町のアイヌ民族博物館(閉館)を訪ね、民族学者ピウスツキの胸像に興味を持ったことが執筆のきっかけになった。


 まだ読んでもいない本のことを「つれづれ読書録」のカテゴリで紹介するのもわれながらどうかと思いますが、アイヌ民族が江別市対雁ついしかりに強制的に移住させられて多くの命が失われた史実などを踏まえた小説で、しかも、人気作家への最大の登竜門といわれる直木賞ということで、なかなかおもしろそうな本です。

 ここに登場するポーランド人、ブロニスワフ・ピウスツキ(1866~1918)は、ロシア皇帝の暗殺未遂に連座して逮捕され、サハリンに流刑されましたが、アイヌ民族の肉声を録音しました。
 刑期を終えた後は、北海道にも渡ってきており、二葉亭四迷らとも交友があったとのこと。
 声が収録されたろう管(その頃は、黒い円盤のレコードがなかった)は、後に北大が再生に成功し、貴重な資料となっています。
 当時、ポーランドはロシアなど列強に分割されて国がなかったんですね。ピウスツキは独立運動に突き進むなかで、テロ計画に関わったのでしょう。
 ポーランドは第1次世界大戦後の1918年に独立を果たします。初代国家元首のヨゼフ・ピウスツキは弟にあたります。

 もっとも、同日の北海道新聞によると、ピウスツキの最期など、史実とはあえて違う設定になっている個所もあるとのこと。
 それは、小説なので、当たり前といえば当たり前なので、心に留めておきたいところです。

 さて、この胸像は2013年10月、ポーランド政府が全額を出資して、アイヌ民族博物館の、比較的入り口に近い場所(松浦武四郎の碑のとなり)に建立されました。
 除幕式では、カムイノミが行われ、ポーランドの大臣やピウスツキの孫も出席したそうです(ピウスツキはアイヌ民族の女性と結婚しました)。 

 ところで、この碑や胸像には作者名が刻まれていません。
 ネットで検索すると、富山県でこの種の像を多く手がけている業者である「竹中銅器」の作のようです。同社のページには、原型製作者として「熊谷友児」の名が明記されています。

 現地では現在、「ウポポイ」が急ピッチで建設工事中のため、見ることができるかどうかはわかりません。
 同じ日の北海道新聞によると、ウポポイはあと100日でオープンするそうですから、多分その時には、鑑賞できるようになっていると思います。


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