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最終日を迎えた「アイヌ民族博物館」 2018年3月31日(2)

2018年04月02日 19時01分40秒 | 情報・おしらせ
承前

 ポロトコタンの入り口。

 最終日記念ということで、ふだんは800円のところが、無料になっていた。 


 まず、コタンコルクルの像がお出迎え。

 この高さ16メートル、奈良の大仏に匹敵する巨大な像も、閉館後に取り壊されるらしいと聞く。
 FRP(強化プラスチック)という素材は近年、ブロンズの代わりに彫刻によく使われるが、経年変化に強いという話は聞いたことがないので、やむをえないのだろうか。

 その横には、幕末明治に道内を何度も旅した探検家でアイヌ民族の苦境にも理解を示した松浦武四郎の碑と、アイヌ語をろう管レコードに記録したポーランド人ピウスツキの胸像が並んでいる。


 結論からいうと、行って良かった。
 ここはアイヌ民族に関する知見がまとめて得られる利点がある。
 アツシや丸木舟(チェプ)などの「モノ」は、他の博物館などでも見る機会があるだろうし、知識は書物などでも得られるだろうが、舞踊や音楽をライブで見ることは、そう簡単にできることではない。
 筆者は旭川駅構内で行われた行事などでリムセ(輪舞)を見たことがあるが、やはりチセの中で間近に見ると、すばらしさがアップするように思う。反対に言うと、現代建築の中にアイヌ舞踊や音楽を持ち込んでも、なんだか「浮いた」ような感じがぬぐえないのだ。

 この日は、リムセ、トンコリ伴奏と歌、トンコリ独奏、ムックリ独奏、子守唄、男女による「イヨマンテ リムセ」というプログラムだった。
 「イヨマンテ リムセ」以外は、すべて女性の担当である。

 ただ、湖畔に並んでいるチセは、実際にかつて建てられていたものの2、3倍の大きさはあるとのこと。
 言うまでもなく、こういう家で、19世紀のままの暮らしをしているアイヌ民族はいない。
 (当たり前である。日本国内にそういう人は誰もいない)

 今回ライブで見たなかで、とくにおどろいたことが2点。
 ひとつは、思ったよりも声が大きく、響いたこと。しかし、これは個人差、地域差があるのかもしれない。
 もうひとつはムックリの音色の多彩さ。
「ビンビン…」という音はなじみがあるが、この日の演者の女性は、太い声(?)のようなものも時おり出していて、音域の広さにびっくりした。


 最近思うのだが、アイヌ音楽は「トランス」的な魅力がある。
 これはおそらく、トランスミュージックがよく聞かれるようになったため、新たに発見された良さだと思う。
 半世紀前はアイヌ音楽について「哀調を帯びた」というような形容がよく用いられていた。たしかに「イヨマンテ リムセ」で女声がかもし出す哀感は、そのような言い方がふさわしい。
 ただ、当時聞かれていた音楽(とりわけ大衆音楽、歌謡曲)に日本人が感じていた良さを、アイヌ音楽に見つけようとしたとき、哀感に着目するのが手っ取り早かったのではないか。トランスやハウス、クラブミュージックのような機械的なリズムの反復は、1970年代以降に創始され魅力が発見されたものである。



 館内の出口附近では、1960年代以降のポロトコタンの歩みを総括する特集展示を行っていた。
 これはなかなか充実していた。森山大道の写真集「北海道」も、展示されていた。
 平沢屏山の掛け軸は保存状態が良く、驚いた。

 この特集展示を読んではじめて知ったのだが、ポロトコタン自体は白老中心部にあったコタンを戦後に移したものだという。
 「なんか、強制移住みたいだでイヤだな~」
とも思ったが、同時に、このコタンが、観光用に人為的につくられたものというより、ずっと昔から連綿と続いてきたものであることがわかり、意義深い存在であることも実感した。


 売店はなかなか充実していた。
 北海道博物館がリニューアル後、書籍をほとんど置かなくなってしまったのは痛恨の出来事だったが、白老にはその轍を踏まないよう願いたい。

 本を2冊購入した。




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