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加藤顕清「婦人像・裸立像」 旭川の野外彫刻(26)

2021年02月10日 07時50分34秒 | 街角と道端のアート
(承前)

 1894年(明治27)~1966年(昭和41) 彫刻家。岐阜県に生まれ、幼少時代を旭川で送った。北海道から出て官展で活躍した代表的作家。1915年(大正4)東京美術学校彫刻科に入学、高村光雲、白井雨山の教えを受けた。卒業後、同校西洋画科に再入学し、油彩画も学んだ。1921年第3回帝展に「静寂」を出品、以後毎年帝展、文展に出品した。1928年(昭和3)第9回帝展で「女人像」が特選となり、第10回・11回と連続して特選を受賞、いちはやく官展の有力作家と見なされるようになった。伝統的なヨーロッパアカデミズムの流れを汲んだ堅実な作風で、一貫して人間像を追求した。代表作は、「コタンのアイヌ」(1941年)、「人間像」(1952年)など。北海道立近代美術館作品収蔵。旭川の買物公園にも「人間像・青年」(1960年)などが置かれている。1952年日本芸術院賞受賞、1962年同院会員。日展常任理事、日本彫塑会会長も務めた。


 1981年刊の『北海道大百科事典』(北海道新聞社編集・発行)からほぼ全文を引用しました(二重かぎかっこをふつうのかぎかっこに変更しています)。


 旭川市のサイトによると、加藤顕清は生後間もなく深川に移住、旧制上川中学(現在の旭川東高校)を経て、旭川で代用教員を務めていましたが、上京して上智大哲学科に学んでいるとき、中原悌二郎と知り合い、彫刻家を志したということです。
 サイトには、次のようにあります。

 加藤顕清の作品は、初期においては官展の流れをくむ、物の形を写し取ることに主眼をおいたものでしたが、エジプトやギリシャの古典彫刻を研究した堅実でアカデミックな写実的手法を用い、更に造形としての存在感、量塊としての独自性を追求します。また、一時は哲学を志した加藤らしく、生き,悩み,思索する、普遍的かつ実存としての人間像と高い精神性を表現しています。


 旭川市には1968年、加藤顕清遺作保存会から多くの作品が寄贈され、彫刻美術館でも作品を所蔵しています。

 買物公園のリニューアルに伴い、それまで緑橋通などにもあった加藤顕清の作品が7点、7条緑道に集められることになりました。
 ただし、この作品と、次項の「婦人像・着衣」はリニューアル前から7条緑道にあるようです。

 この「裸立像」は「旭川野外彫刻たんさくマップ」によると、164 × 45 × 39センチでブロンズ製。
 1938年(昭和13年)作。
 1974年に旭川市で開かれたライオンズクラブの全国大会を記念して市に寄贈されたそうです。


 この画像で分かるとおり、中井延也「開拓のイメージ」の近くに立っています。

 こんなことを書くとしかられそうですが、あまり豊かとはいえない胸や、太い足首などが、近年のモデル型の体型をした女性と異なる、戦前の日本女性を表現しているように筆者には見えます。静的なたたずまいもあいまって、西洋人の裸像よりもエロティシズムを感じさせます。

 ブログで7点続けて紹介すると、読者も飽きてしまうかと思いますので、近くにある他の作家の作品も挟みながら掲載していきます。


過去の関連記事へのリンク
ホーレス・ケプロン像/黒田清隆像 2020年2月6~8日は13カ所(23)
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2 コメント

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女版ダビデ? (nudeartsuki)
2024-06-22 20:10:49
その気があったのか、偶然なのか、ミケランジェロのダビデ像とポーズが似てます。顔の向きが違う位で。(これは右向き、ダビデ像は左向き)
勝手な考えですが、バスタオルでも背負ってほしかったです。(ダビデ像では袋に石を入れた武器)
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Unknown (ねむいヤナイ@北海道美術ネット別館)
2024-06-22 20:37:10
nudeartsuki さん、こんにちは。
確かに似てますね~。
いまほどは美術全集の写真などがない時代ですが、参考にしたかもしれませんね
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