ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

早や三月、梅が咲いたよ。

2006年03月01日 | 季節の話題
 今朝はあいにくの雨に降られているが、弥生三月、春の到来である。

 昨日、奈良に住まう姉の見舞いがてらに、母と姉、妹と待ち合わせて一緒に近くの「大和文華館」の梅を見に行きました。

 まだ、つぼみの状態の梅の木々が多い中で、美術館前のお庭には、珍しい梅の木がありました。一本の梅の品種に、館長さんが六種の異なった色や品種の枝を接木されたそうで、大きな梅の幹からたくさんの枝が出ていたのですが、何と七種の異なった色の花が咲くという、珍しい梅の木となっていました。

 もう三分咲きと言った感じの花もありましたが、ほとんどは蕾も膨らみ、花を咲かせるタイミングを待っているかのような趣で、準備中といった風情でした。

 お庭には、蝋梅や椿や橘の木など、たくさんの樹木が植えられており、花や植物好きの年老いた母は、大変喜んでおりました。

 兄弟姉妹全員が揃って会う機会も少なくなりつつありますが、お互いの健康と家族や孫達の話もあわせて、賑やかに昼食の時を持ちました。

 「春の到来」は、やはり年をとっても嬉しいもので、まだ二月の末日でしたが、心うきうき、何だか温かい風を感じる半日となりました。

 帰宅したら、娘の家族がやってきて四歳になる孫が、「明日は三月一日で、春やねんで」と一人前に教えてくれました。

 幼稚園で見たり読んだりする本の歌も、おひな祭りの歌から春を告げる歌へと変化して、たぶん幼稚園の部屋飾りなども、今日から「春」バージョンに模様替えされているのかなと、イメージを膨らませています。

 「さんがついちにち」と今日の日付を語ってくれる、四歳の男の子に「大人は、さんがつついたち」と言うのだよと教えながら、「ついたち」とは「一日」と書くのに、何故読むんだろうなと改めて考えたりもしました。

 間違いのない「春の訪れ」を感じるのは、私の場合は、「ふきのとう」が食卓に上がる季節なのですが、今週末には、「蕗の薹」が入荷してくるので、あの微妙な苦味と自然の息吹を感じる「ふきのとう」を食せることを楽しみにしています。

 そう言えば数年前の四月一日に、北海道の斜里町を訪れる機会があって、バスに揺られながら、目的地の田舎町に向かっていた時のことです。

 バスの車窓から、まだ雪が残る道路わきを眺めていたら、あちらこちらに見たこともないような大きな花のようなものが残雪か除雪し堆積された雪の中から、顔を出していて、何ナノかなと不思議に思っていましたが、バス停を降りて、よーく見ると、お化けの様な大きな『蕗の薹』だったのです。

 日本列島は南北に長く、南の沖縄では一月中旬に「春を告げる」琉球桜が咲きますが、北の大地、北海道では四月にふきのとう、そして桜前線は五月になってから訪れて、ソメイヨシノなどの桜の開花となるようです。

 何はともあれ、誰もが心から待ち遠しく思っている「春の訪れ」を、皆さんは何で一番感じられるのでしょうか。

 「梅は咲いたが、桜はまだか」と言う心境で、本格的な『春の訪れ』を待ちたいと思います。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする