昨日は、太平洋戦争末期に米軍が上陸して、唯一日本国内で地上戦が戦われて、島民の多くが戦死もしくは殺戮、自決をせざるを得なかった「沖縄」の記憶と記録が忘れ去れようとしている、6月23日であった。
テレビマスコミと新聞の一部には報じられてはいたが、多くの日本国民が忘れているのではないかとさえ思ってしまう大切な記念日であった。
第二次世界大戦末期、既に日本の敗戦は濃厚との見方が政府、軍部にもあったらしいが、日本本土への直接攻撃は避けられていて、主要都市部では爆撃が繰り返され、東京大空襲、大阪大空襲などもあったが、地上戦として米軍が上陸しての戦闘は沖縄本島のみであった。
現在の那覇市の北東部に位置する「読谷村」の海上から4月に上陸した米軍は沖縄本島での日本軍との戦闘になったが、島民の多くは「米軍の捕虜になるくらいなら、自決せよ」との教育を受けていたせいで、特に島の南西部を中心に逃げて追いこめられた老人や婦女子が自決をしたといわれる、自然の隠れ家「ガマ」が沖縄本島には点在している。
私も今から20年ほど前に、沖縄本島の読谷村にある、「チビチリガマ」を初めて訪れた時の衝撃というべきか、悲しみと強烈な記憶を忘れることはできない。
当時、あの沖縄県で初開催された国体でのソフトボール会場となった読谷村の野球場に掲揚された「日の丸」を下ろして火をつけたという罪で起訴され裁判中だった、知花昌吉さんに案内していただいての「ガマ」見学であった。
その後、チビチリガマ前に飾ってあった、金城実氏製作の土製のチビチリガマ群像が何者かの手で破壊されて、見るも無残な破壊事件が起きたし、戦争と平和を考える大きなモニュメントと言っても過言ではない現場であった。
背を屈めてガマの中に入ると、人の骨と共に、亡くなった人たちの遺品と思われるメガネや櫛、つぼなども放置されていて、重たい空気と共に、目に見えない怒りと涙を感じざるを得なかったことを覚えている。
外に出れば、サトウキビ畑の青々とした一帯に南国の照りつける太陽が容赦なく降りかかり、もはや戦後という言葉すら風化した現代社会に生きる日本人の一人として、とても複雑な気持ちで手を合わせたのであった。
それから既に20余年が経ち、なんと戦後64年、日本唯一の戦場となった沖縄本島の戦死者を全て末ってる、南部戦跡にある「平和の礎」に20数万柱の氏名が刻まれているのだが、平和な現代のニッポンに生きる全ての国民が、忘れてはいけない歴史上の明白な記録であり、記憶に強くとどめたいものである。
決して戦争はしてはいけない。人類の驕りと傲慢さが平和を崩す大きなエネルギーとならないために、私たちが日頃から平和を保つために成すべきこと、出来ることを怠ってはいけないと再び強く思った。
テレビマスコミと新聞の一部には報じられてはいたが、多くの日本国民が忘れているのではないかとさえ思ってしまう大切な記念日であった。
第二次世界大戦末期、既に日本の敗戦は濃厚との見方が政府、軍部にもあったらしいが、日本本土への直接攻撃は避けられていて、主要都市部では爆撃が繰り返され、東京大空襲、大阪大空襲などもあったが、地上戦として米軍が上陸しての戦闘は沖縄本島のみであった。
現在の那覇市の北東部に位置する「読谷村」の海上から4月に上陸した米軍は沖縄本島での日本軍との戦闘になったが、島民の多くは「米軍の捕虜になるくらいなら、自決せよ」との教育を受けていたせいで、特に島の南西部を中心に逃げて追いこめられた老人や婦女子が自決をしたといわれる、自然の隠れ家「ガマ」が沖縄本島には点在している。
私も今から20年ほど前に、沖縄本島の読谷村にある、「チビチリガマ」を初めて訪れた時の衝撃というべきか、悲しみと強烈な記憶を忘れることはできない。
当時、あの沖縄県で初開催された国体でのソフトボール会場となった読谷村の野球場に掲揚された「日の丸」を下ろして火をつけたという罪で起訴され裁判中だった、知花昌吉さんに案内していただいての「ガマ」見学であった。
その後、チビチリガマ前に飾ってあった、金城実氏製作の土製のチビチリガマ群像が何者かの手で破壊されて、見るも無残な破壊事件が起きたし、戦争と平和を考える大きなモニュメントと言っても過言ではない現場であった。
背を屈めてガマの中に入ると、人の骨と共に、亡くなった人たちの遺品と思われるメガネや櫛、つぼなども放置されていて、重たい空気と共に、目に見えない怒りと涙を感じざるを得なかったことを覚えている。
外に出れば、サトウキビ畑の青々とした一帯に南国の照りつける太陽が容赦なく降りかかり、もはや戦後という言葉すら風化した現代社会に生きる日本人の一人として、とても複雑な気持ちで手を合わせたのであった。
それから既に20余年が経ち、なんと戦後64年、日本唯一の戦場となった沖縄本島の戦死者を全て末ってる、南部戦跡にある「平和の礎」に20数万柱の氏名が刻まれているのだが、平和な現代のニッポンに生きる全ての国民が、忘れてはいけない歴史上の明白な記録であり、記憶に強くとどめたいものである。
決して戦争はしてはいけない。人類の驕りと傲慢さが平和を崩す大きなエネルギーとならないために、私たちが日頃から平和を保つために成すべきこと、出来ることを怠ってはいけないと再び強く思った。
いつも、政治的にも、経済的にも、人間的にも、「沖縄」を犠牲にしてきた「本土」、ニッポンがありますね。
忍耐強く大らかな「沖縄人」に学ばねばなりませんね。