ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「夢」

2012年04月13日 | イベント
 今朝、面白い「夢」を見た。

 何故だか全く分からないのだが、夢に出て来たのは何処かの大学か高校の50周年か100周年の記念行事の一環で、あのカナダ出身のかつて名声を博したフォークシンガーの「ジョニー・ミッチェル」が来ることを知った私が、何とか9月22日から25日の間に、コンサートを企画したいと学校関係者に要望しているというものであった。

 突然、ジョニー・ミッチェルと言っても、多くの方は「それって誰ですか?」と言う感じだと思うのだが、特に強い思い入れがあるわけではないのだけれど、我が青春時代に多くのフォーク、ロックなどのレコードを購入したりして聞いていたレコードコレクションの中に、若き彼女のレコードが数枚あったことは確かなのだが、コンサートの交渉に関しての手紙は彼女の作品のひとつである「ブルー」の色の便箋に記した方が良いとも進言したりしていて、細かなリテール?迄「夢」に出てきたのであった。

 「夢」と言えば、現実的な人生での将来の夢とか、老後の夢?も含めて、実現への意思と共に可能性にチャレンジする夢と、睡眠中に見る「夢」があるのだけれど、時にはこの「夢」が「正夢」とか言われる、現実と睡眠中の夢が重なった現実的な夢になる場合もあるらしい。

 私の「夢談」からすると、ちょうど町会議員をしていた初期に、当時のH町長への議会質問で、何を問うたのだろうか具体的には覚えてはいないのだが、町長さんの答弁は「私にも夢があります。あなたの様な大きなゆめではありませんが、小さな夢はあります」と間違いなく記憶している答弁があったのである。

 彼は町が市制化し京田辺市になる前に町長選で初代市長にはなれなかったのだったが、今思えばひょっとしたら彼の夢は「初代市長」だつたかもしれないと思うのだが、彼も数年前に他界してしまったので、その小さな夢の真相は聞くことができないが、誰しも大きい、小さいではなく夢があるということ自体が嬉しいものである。

 先日、私自身にも小さな夢の到来かと思われる出来ごとがあり、三十代初期から四十代前半まで私がたずさわってきた「プレイリーダー」と称された、子どもたちと遊ぶという仕事の世界の延長で、ある学校の留守家庭児童会なるものを、その保護者たちが運営していて、その担当者として白羽の矢が飛んできたらしく、出来ればと要請されたのであった。

 しかし子どもと野山を走ったり、ものづくりやキャンプ、そして多種多様に遊んでいた時代から二十年もの年月が経過しているので、果たして小学生の子どもたちと遊んだり時間を楽しく過ごすための体力があるかどうかと心配する向きもあって、一度見学も兼ねてとのお誘いがあったのだつたが、その翌日に左足の太股に強い神経痛の様な痛みを感じる出来事があった。

 その痛みは、眠っている夜半から翌日の夕刻まであったのだったが、二日後には全く忘れているほどどうもなくなり、あの痛みは何だったのだろうと振り返って考えてみると、自分自身のことながら、気持ちは若くても体力的には決して無理が効かない年齢の域に達していることを、痛みを通じて体が知らせてくれたのだと知ったのであった。

 つまり、子どもたちと一緒に若い頃と同様に走り回ったり遊んだりと、まだまだ出きるつもりでいる私の気持ちに対して、無理したらあかんで、止めときなさいと忠告してくれた様な感じだったのである。

 「夢」を見ることは自由だし、誰にも「夢」があっていいのだが、現実の生活や人生においては、やはり「夢は夢に終わる」ことも多いものではないかと、なんだか残念な思いも残っているのだが、それは現実ではなかろうかと自問自答しているのである。

 それにしても、冒頭に記した「ジョニー・ミッチェル」のコンサート開催の夢のお告げは、何を意味しているのだろうか。

 その「ブルー」のレコードも今はもうない。

 

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