ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

河村愛ちゃん。

2005年01月13日 | 感じたこと


 「河村愛ちゃん」と書けば皆さんは、きっと若くて元気な今をときめく「愛ちゃん」ブームの宮里あい、福原愛等のスポーツ選手か、若いアイドルやタレントを連想されるのではないかと思います。
 ひょっとしたら実際に「河村愛」と言う名の芸能人か著名人がおられるかもしれませんが、私がここで勝手に紹介させていただく「河村愛ちゃん」は大正6年生まれの87歳の元気なおばぁちゃんである。

 10年以上になるが、ちょっとしたボランティアとして社会福祉協議会の事業で主に独居老人のための給食サービスの配送をしており、そのお届け先の民生委員さんや直接手渡しする独居の高齢者と親しく言葉を交わす機会があって、その中のお一人である「かわむらアイ」さんとは、10年来の友人と言った感じで、たった月2回だけだが、必ず言葉を交わす間柄なのである。

 昨日も、だいぶ寒さを感じる夕刻前に田舎の一軒家に70年近く住んでおられる「河村アイ」さんを訪ねた。毎回10個足らずのお弁当を配送する中で、心待ちに待っていて下さる高齢者の方々の顔を浮かべながら、社協の調理ボランティアサークル「あじさい」の女性たちが、心を込めて作って下さった季節感のある旬の食材が彩る暖かい弁当を届けられて幸せである。

 その上、待っておられるおじいちゃん、おばぁちゃんたちの感謝の言葉と笑顔や一言に出会うこともあって、二重、三重の喜びとなることが多いのである。この「河村アイ」さんは、「河村愛ちゃん」と呼ぶにふさわしい明るくて元気なおばぁちゃんなのである。

 「河村アイ」さんは、たった一人の弟さんが30歳の若さで戦死されており、今も玄関の扉の上に戦没者遺族のシールが貼ってあった。彼女は「弟は嫁さんも決まっとったが召集が来たので、嫁になる人がかわいそうだからと結婚せもずに、出征して死んでしもて、かわいそうだった」と今も弟さんのことを偲びながら、彼女自身は独身で戦後60年を生きてこられた方である。

 しかし私は、この「河村アイ」さんに、いつも励まされている様な気がしている。お弁当を届けると、お宅におられないこともあり、道を隔てた畑におられたり、藪を越えた隣の畑でのんびりと農作業をされていたりするのだが「兄ちゃん、いつもありがとうね、珈琲でも飲んで行かんかい?」と声をかけてくれる。

 家は古い和風の家だが、奥に仏壇があるのが見える他は、玄関口や台所と思われる生活スペースには、物があふれていて、一人暮らしの60年を髣髴させる感じである。

 夏場に伺うと何ともあられもないと言っては失礼だが、風呂上りか暑いからか、昔のシュミーズと言った方がいい様な姿で出てこられ、ご年配とは言え女性であるので、こちらの方がどきまぎしそうになることもある。しかし、いつも笑顔で少し耳は遠くなられたので、大きな声で話すように心がけているが、昔は間違いなく、皆さんの想像を遥かに越えた、その時代のアイドルになってもおかしくないお元気で明るい女性だったことが、今も想像できるような方である。

 現代の世の中は、暗いニュースやいやな出来事が多いが、私は「河村アイ」さんと、月に2度ほど弁当を届ける短い時間に,元気で明るい顔を見て「寒うなったから、風邪ひかんようにな」等と声をかけながら「どっこい生きているよ」と言わんばかりの彼女の生き様に、励まされている自分に気づいている。

 どうか河村アイさんに、何時までか分からないが「あじさい」のお弁当をずっと届けられるように、私自身も健康に気をつけて風邪もひかずに出来る限り、配食ボランティアを続けられたらいいなぁと思っている。
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