昨日の日曜日の昼下がりに、私のブログに時折コメントを下さる、尼ヶ池遍路ことS・Kさんが主催して、内モンゴルからの留学生である包海岩君と海霞さんを招いての「パエリアパーティー」が行われた。
バオハイェン君は、同志社大学神学部の大学院生で、京都生活6年目の青年であり、その妹のナラングリさんは、同志社留学生別科で2年間、日本語を学んで、今春から名古屋の大学に進学するお嬢さんである。
私とバオ君との出会いは、今から17年前と思うが、彼が13歳の時に、91年に開催した「内蒙古地球学校」(日本の小、中、高校生ら100人が参加)を企画し、交流する蒙古族の子ども達を探して、中華人民共和国、内蒙古自治区の赤峰市郊外のダライノールと称する大きな湖の近くの町、達来の中学校を訪ねた時が始めてであった。
それ以来、既に17年の年月が経過していて、91年の内蒙古地球学校での交流に始まり、93年には「日本海地球学校」と称して、私達の町「田辺」を中心にモンゴル族の子ども達、約20名の男女が日本の家庭にホームステイして、その後「中国と日本を隔てる」日本海のすぐ傍の宮津市での海の合宿を経験したのである。
その当時、彼は「宝海鷹」と中国語での名前表示をしており、とっても印象に残る「いい名前」だったので唯一よく覚えていた名前だったのである。
その彼が2001年の3月31日に、突然電話をかけてきて、「ガリバーさん覚えていますか?バオハイェンです」と言ったのです。私は彼が日本の京都に留学することを初めて知らされて「落ち着いたら、ご飯でも食べよう!」と返答し電話を切ったのである。
翌日、彼は関西国際空港に着いて、偶然にも日本滞在が長いモンゴル人のお世話で、大阪長居に一泊して、翌日正午に私と京都今出川の同志社大学正門前で8年ぶりに再会したのである。
それ以来、京都に滞在する彼とは、友達として先輩として、いろいろと話し、遊び、飯を食ってきた。
H・K氏は、彼と彼女の名古屋行き前に、何故か地中海料理の一種である゛「パエリア」を調理して、彼ら共々私たちにご馳走したいと招いてくれたのである。
ハマグリ、海老、鮭、烏賊、ソーセージ、鶏肉、パプリカ、たまねぎ、人参、しめじ、セージ、サフラン、ワイン、オリーブオイル、にんにく、などの食材を切って炒めて、ライスは別に鉄板で炒めて、一緒に味付けして、最後にパセリとレモンの輪切りで出来上がりだった。
屋外の庭で炭火で鉄板を温めて、炒めるアウトドア料理になったが、なかなかの美味に仕上がって、主催のKさんの会社の若き同僚の美男、美女と共に、我々3人と、彼の奥さんと母上で、相当量あった「パエリア」はなくなり完食したのである。
日本人がスペイン風料理を調理して、モンゴル人と共に楽しく賑やかに食すことができたのである。まさにこれぞ国際交流である。ともかく美味しかったよ。感謝。
バオハイェン君は、同志社大学神学部の大学院生で、京都生活6年目の青年であり、その妹のナラングリさんは、同志社留学生別科で2年間、日本語を学んで、今春から名古屋の大学に進学するお嬢さんである。
私とバオ君との出会いは、今から17年前と思うが、彼が13歳の時に、91年に開催した「内蒙古地球学校」(日本の小、中、高校生ら100人が参加)を企画し、交流する蒙古族の子ども達を探して、中華人民共和国、内蒙古自治区の赤峰市郊外のダライノールと称する大きな湖の近くの町、達来の中学校を訪ねた時が始めてであった。
それ以来、既に17年の年月が経過していて、91年の内蒙古地球学校での交流に始まり、93年には「日本海地球学校」と称して、私達の町「田辺」を中心にモンゴル族の子ども達、約20名の男女が日本の家庭にホームステイして、その後「中国と日本を隔てる」日本海のすぐ傍の宮津市での海の合宿を経験したのである。
その当時、彼は「宝海鷹」と中国語での名前表示をしており、とっても印象に残る「いい名前」だったので唯一よく覚えていた名前だったのである。
その彼が2001年の3月31日に、突然電話をかけてきて、「ガリバーさん覚えていますか?バオハイェンです」と言ったのです。私は彼が日本の京都に留学することを初めて知らされて「落ち着いたら、ご飯でも食べよう!」と返答し電話を切ったのである。
翌日、彼は関西国際空港に着いて、偶然にも日本滞在が長いモンゴル人のお世話で、大阪長居に一泊して、翌日正午に私と京都今出川の同志社大学正門前で8年ぶりに再会したのである。
それ以来、京都に滞在する彼とは、友達として先輩として、いろいろと話し、遊び、飯を食ってきた。
H・K氏は、彼と彼女の名古屋行き前に、何故か地中海料理の一種である゛「パエリア」を調理して、彼ら共々私たちにご馳走したいと招いてくれたのである。
ハマグリ、海老、鮭、烏賊、ソーセージ、鶏肉、パプリカ、たまねぎ、人参、しめじ、セージ、サフラン、ワイン、オリーブオイル、にんにく、などの食材を切って炒めて、ライスは別に鉄板で炒めて、一緒に味付けして、最後にパセリとレモンの輪切りで出来上がりだった。
屋外の庭で炭火で鉄板を温めて、炒めるアウトドア料理になったが、なかなかの美味に仕上がって、主催のKさんの会社の若き同僚の美男、美女と共に、我々3人と、彼の奥さんと母上で、相当量あった「パエリア」はなくなり完食したのである。
日本人がスペイン風料理を調理して、モンゴル人と共に楽しく賑やかに食すことができたのである。まさにこれぞ国際交流である。ともかく美味しかったよ。感謝。
スペインでは、彼女や奥さんのために作る男の大雑把(ダイナミックな鍋)料理だそうで、、ラテン語の皿や調理用プレートを意味するパテーラ(patella)がスペイン語のパエリア(paella)の語源とか、又はスペイン語の「彼女のために(paraella)」が語源だとか言われているようです。
意味はともかくとして、気の合った仲間と作れば楽しい美味しい料理が出来ます。特に私の母と「大好きなパートナー」が珍しく喜んで食べてくれたのが嬉かったです。
のんびりふらりと訪ねてしまった自分が惜しい・・・。
ガリバーさん,御兄妹ともども
もうチトゆるりと話したかったでゴザル。
ともあれ,稀有な出会いに多謝☆
ありがとうございました( ̄ω ̄)ノ゛