ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「落書き」はやめよう。

2008年07月13日 | とんでもない!
 先月、イタリアのフィレンツェにある世界遺産の大聖堂に、日本人の大学生が自分の名前と学校名を「落書き」したことが、大問題となって、岐阜女子短大と京都産業大学の名前が大々的に報じられ、日本人の恥ずべき犯罪としてマスコミが騒いでいた。

 この種の「落書き」には、どう考えても三種あり、自分の名前や所属を明らかにして「記念日」なども書き添える「記録的なもの」と、芸術的センスを感じさせる殺風景な空間に丁寧にデザインされた「絵を描くもの」と、とんでもない禁句や恥ずべき絵を汚く書き散らすものである。

 すべて「落書き」として、所有者などに許可なく無断で書き記すこと自体は、言語道断の「恥ずべきこと」なのだが、人間の心理の中に、こうした思いが隠されているようである。

 今回の世界遺産に落書きのケースは、明らかに大学生にもなって、海外良好の記念にと軽い気持ちで「自分の名と学校名」を落書きしたものなのだが、続いて報道された野球部監督の大の大人の落書きについては、全くお話にならないお粗末なもので、退任させられたのもやむ得ない処置だったと思う。

 前者の大学生の場合が許されるとは思わないが、この類の「落書き」は、全国各地の観光地や、ちょっとした「思い出の地」にはたくさん存在するもので、ちょっとした「気分の高揚」から軽い気持ちで「記念」としたもので、恥ずかしい思いと責任を感じて、今後絶対にしないという反省につながればいいと思う。

 一番始末に悪いのが、社会の中での自分の主張や活躍の場が十分でないのか、一方的な自己顕示欲の表現や、社会に対するアンチな攻撃的な「落書き」である。

 道路、壁、建物の塀など、公共的な建造物であろうが、私的な空間であろうが、全く許可もなく、たぶん夜中に個人もしくは集団で、ペンキやスプレーで、意味不明な図柄や暗号めいた自分たちのグループなどを誇示する「マーキング」のような落書きである。

 行政や商店街、大学など大きな組織的な対応が出来るところは、監視を強くしたり、これらの落書きをさせないための活動もしているようだが、個人で太刀打ちできないところでの、一方的な「落書き」は、暴力と同様である。

 日本人だけでなく、世界中の観光客たちが、「他の落書き」に刺激されて、私も僕もの書きたがる傾向があると見え、毎年のように行っている、「中国の万里の長城」にも、無数の「落書き」が建造物としての壁や通路や櫓の石に彫られていて、なんとも言い難しである。

 これを期に、世界中で論争にまで発展している「落書き騒動」だが、やはり自己顕示欲や記録的落書きも含めて、「やめよう落書き」キャンペーンが必要なようである。

 いい子ぶるわけではないが、私は一度も建造物や文化遺産に「落書き」をしたことはないが、自分のノートや、この「ガリバー通信」に、落書きのような文章を綴っているのが現状である。

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