クラシック輸入盤・新譜情報/グッディーズ

コメントはメーカー案内書より抜粋です。お問い合わせ:goodies2@pc.highway.ne.jp

21-03 No.1

2021年03月02日 12時11分01秒 | Weblog
★You Tubeで一部タイトルが試聴できます。ぜひご活用ください。
https://www.youtube.com/channel/UCMZSL60J-WC_7wzpo4_2EXg/

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ランスファーCD-Rの素晴らしさをお聴きいただきたく、通常価格を改定いたしま
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CD-R:800円 プレスCD:1000円(税込み)

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発売予定:2021年3月下旬発売予定 価格:各1枚 ¥800(税込み)
※セット販売ではありません。1枚づつお申し込みいただけます。

78CDR-3827
機械式録音盤(電気式録音以前)を含む復刻音源
1916-1936年録音

B.フリース:モーツァルトの子守歌

ベルンハルト・フリース(1770頃ベルリン生まれ-?)は医師でアマチュア作曲家
だった。この人の曲がモーツァルトの作品と間違われケッヒェル番号 K.350が
つけれていたのが、ケッヒェル第6版の番号改正のとき、フリートリッヒ・ヴェ
ルヘルム・ゴッター(1746-1797)作詞、ベルンハルト・フリース作曲ということ
になった。最近ヨハン・フリートリッヒ・アントン・フライシュマン(1776-
1798)の作曲という研究発表があった。日本語歌詞は堀内敬三(1897-1983)のも
のがよく知られている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用
MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu1 DSD録音機を使用した。

(1)エミー・デスティン(ソプラノ)
IRCC 5012-A(U.S.) 1916年4月21日 キャムデン録音(機械式録音)ドイツ語歌唱
エミー・デスティン(1878-1930)はプラハ生まれ。1898年ベルリン国立歌劇場で
デビュー。その後ワーグナー未亡人の招きでバイロイト音楽祭、ロンドンのコ
ヴェントガーデン歌劇場、ニューヨークのメロポリタン歌劇場に出演スーパー
スターになった。
デスティンの録音はSUPRAPHON から1999年にThe Complete Destinn(214曲収録)
12CDsetが出ている。
(2)アルマ・グルック(ソプラノ)
VICTROLA 64590(U.S.) 1916年2月17日 キャムデン録音(機械式録音)英語歌唱
アルマ・グルック(1884-1938)ルーマニアのブカレスト生まれ。早期にアメリカ
に移住。メトロポリタン歌劇場で成功を収めた。ロシア出身の名ヴァイオリン
奏者エフレム・ジンバリスト(1889-1985)夫人となり、息子にエレム・ジンバリ
スト・ジュニア、孫にステファニー・ジンバリストがいる。
(3)フリーダ・ヘンペル(ソプラノ)
HMV DA577-A(U.K.) 1923 年6月4日 イギリス録音(機械式録音)
ドイツ語歌唱フリーダ・ヘンペル(1885-1955)はライプヅィヒ生まれ。ベルリン
のシュテルン音楽院で学び、1905年にデビューした。ベルリン宮廷歌劇場、
ニューヨークのメロポリタン歌劇場に所属した。ヘンペルは1912年にの曲をベ
ルリンで録音していた(独 GRAMMOPHON 76 042)。機械式録音時代に二度の録音
は珍しい。
(4)ジークリッド・オネーギン(コントラルト)
BRUNSWICK 15070-B(U.S.) 1923年12月31日 アメリカ録音(機械式録音)
ドイツ語歌唱ジークリッド・オネーギン(1889-1943)はストックホルム生まれ。
15歳の時ミュンヘンで声楽を学び、1911年にシュトゥットガルト歌劇場で「カ
ルメン」でオペラデビュー。この時の相手役ホセはエンリコ・カルーソだった。
その後ロシアの貴族で音楽家のエフゲニー・オネーギンと結婚しオネーギン姓
に改めた。
(5)マリア・クレンコ(ソプラノ)
COLUMBIA 2046-M(U.S.) 1925年4月12日録音(電気録音)
ドイツ語歌唱マリア・クレンコはロシア帝国のトムスク生まれ。モスクワ音楽
院で声楽を学び、1914年ハリコフ歌劇場でデビュー。その後ボリショイ歌劇場
でソリストをつとめた。フランスに移住してからヨーロッパ各国のオペラ劇場、
さらにミューヨークのメトロポリタン歌劇場にも出演した。米 COLUMBIA に多
くの録音を残した。これはクレンコの初録音。
(6)エリーザベト・シューマン(ソプラノ)
ローランス・コリンウッド指揮 管弦楽団
Elisabeth Schumann(soprano) Lawrence Collingwood conducting Orchestra
HMV E555(U.K.) 1930年2月17-18日 ロンドン録音(電気録音)
ドイツ語歌唱エリーザベト・シューマン(1888-1952)はドイツ生まれのソプラノ。
1909年にハンブルク歌劇場でデビュー。ヨーロッパ各地のオペラ劇場に出演し
た。1938年アメリカに移住し1944年市民権を得た。モーヅァルト、シューマン、
シューベルトの歌曲の録音を残した。
(7)エルナ・ベルガー(ソプラノ) ハンス・アルトマン(ピアノ)
Erna Berger(soprano) Hans Altmann(piano)
POLYDOR 47068(Germany) 1936年6月16日 ベルリン録音 ドイツ語歌唱
エルナ・ベルガー(1900-1990)はドレスデン生まれ。第1次世界大戦後一家は南
米に移住し、1923年に生地のドレスデンに戻った。1925年にドレスデン歌劇場
でデビュー、その後ヨーロッパ、アメリカの歌劇場に出演した。戦後間もなく
来日しビクターに録音した。


78CDR-3828
モーツァルト:
セレナード第13番ト長調 K.525「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」
セレナード第10番変ロ長調 K.361(370a)「グラン・パルティータ」(抜粋)
レオ・ブレッヒ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
英 HMV EJ326/7(K.525)
英 HMV DB4401/2(K.361)
1928年8月30日(K.525)& 1931年頃(K.361)ベルリン録音
レオ・ブレッヒ(1871-1958)はドイツのユダヤ系指揮者。ベルリン高等音楽院で
ピアノと作曲を修め、1893年にアーヘン市立歌劇場の指揮者になった。1899年
プラハ・ドイツ歌劇場に転出、オイゲン・ダルベルトの歌劇「低地」を初演し
た。1906年にベルリン国立歌劇場の指揮者に任命され、1913年に総監督に昇進、
以降シャルロッテンブルク歌劇場(現ベルリン・ドイツ・オペラ)、ベルリン・
フォルクスオーパー、ウィーン・フォルクスオーパーの指揮者を歴任。その後
ベルリン国立歌劇場に復帰し、1937年までに2846回の公演を指揮した。1937年
にラトヴィアのリガ国立歌劇場の音楽監督に転出、1940年にラトヴィアがソビ
エト連邦に占拠されると、モスクワやレニングラードに客演して大成功を収め、
モスクワ音楽院の院長を要請された。ブレッヒはこれを断りリガに戻ったが、
1941年ドイツ軍がリガに侵攻したとき、親しかったナチスの文芸部員の仲介で
秘密りにスエーデンに亡命、かねてから要請されていたストックホルム王立歌
劇場の楽長に就任した。戦後の1949年にドイツに帰国、シャルロッテンブルク
歌劇場の音楽監督に就任した。ブレッヒは1926-7年にフリッツ・クライスラー
(1875-1962)と共演したベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスのヴァ
イオリン協奏曲の録音で名前が知られているが、その波瀾の生涯はほとんど知
られていなかった。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用
MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3829
J.S.バッハ
フーガの技法 BWV1080(弦楽四重奏版)
ロート弦楽四重奏団
(フェリ・ロート(vn)イェネ・アンタル(vn)フェレンツ・モルナール(va)
ジャーノシュ・ショルツ(vc))
米 COLUMBIA 68257/66SD
1934年10月21-23&25日、11月1-2&16日、12月4、6、14&21日ニューヨーク録音
「フーガの技法」は1740年代バッハが50歳代半ば頃作曲をはじめたが、途中で
作曲者自身の視力低下のため未完のまま作曲が中断された。また演奏する楽器
指定はなく、一般的な鍵盤楽器で演奏されることが多い。ここではアメリカの
作曲家ロイ・ハリス(1989-1979)とメアリー・D・ハーター・ノートン(1894-
1985)による弦楽四重奏版で演奏される。ロート弦楽四重奏団はオーストリア・
ハンガリー帝国出身のヴァイオリニスト、フェリ・ロート(1899-1967)によって
1922年に設立された。全員ハンガリー出身者で構成され、1928年アメリカにわ
たり活躍、レコード録音も多い。この「フーガの技法」は代表盤。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用
MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu1 DSD録音機を使用した。
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